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報ステが大スクープ!憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明! 戸田 16/3/3(木) 23:27
★報ステやるなあ。岸時代の憲法調査会のやりとり流してる内容がすごい。(画像必見) 戸田 16/3/3(木) 23:36
☆「押し付け憲法論」はデマだった!9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに! 戸田 16/3/3(木) 23:49
◆押し付け憲法論が根底から覆った報ステ報道、文春同様報ステも絶好調 戸田 16/3/4(金) 0:06
◇9条の発案は幣原総理、音声テープに証言!「私がマッカーサーに申し上げた」! 戸田 16/3/4(金) 0:24
■史実捻じ曲げる極右首相<押しつけ憲法論は大嘘>(本澤二郎の「日本の風景」) 戸田 16/3/4(金) 0:57
△押しつけ憲法』論の『ウソ』とは!?日刊IWJメルマガ2/28より 戸田 16/3/4(金) 2:34
◎戸田の幣原喜重郎質問:最初は2009年9月議会一般質問だった(戦没者追悼式問題) 戸田 16/3/4(金) 3:31
▲次は2012年4月に自治基本条令案への「戸田の議員意見」の中で幣原氏に触れたこと 戸田 16/3/4(金) 4:01
★2013年6月議会:戸田が「幣原氏が戦争放棄を発案した」との資料提示して質問! 戸田 16/3/4(金) 10:27
△この6月議会戸田質問への市と市教委答弁:幣原業績継承と護憲の姿勢を示す良い答弁 戸田 16/3/4(金) 10:34
◎2015年8月、安保法制反対運動勃興の中、幣原氏が戦争調査会設置した業績に光が! 戸田 16/3/4(金) 11:10
★「門真でも・門真だからこそ出来る超党派の護憲共同」の結集軸が「幣原喜重郎」だ! 戸田 16/3/4(金) 13:46
☆2015年9月議会:文教委でも本会議でも幣原業績継承をオール門真ですべしと質問! 戸田 16/3/4(金) 15:14
▲9/16文教委質問を「議事録」で全文紹介する。(原稿には無い発言も結構あるよ) 戸田 16/3/4(金) 15:56
★2015年12月議会:自民党の中道議員が「平和憲法の幣原兄弟の継承を」と深い質問! 戸田 16/3/4(金) 17:26
☆2016年3月議会:民主党系の森議員が「幣原氏の偉業継承について」質問するよ! 戸田 16/3/4(金) 18:09

報ステが大スクープ!憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/3(木) 23:27 -
  
 最近、「門真市の偉人=幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)氏」の平和憲法業績が大々的に取り上げられたので、主に「阿修羅掲示板:政治板」記事を中心に紹介していく。
 
◆幣原喜重郎氏の平和憲法業績については、昨年9月議会で戸田が本格的に取り上げ、
 かつ「超党派で啓発継承を進めよう」と呼びかけたところ、それに共鳴して12月議会
 で自民党の中道議員が取り上げ(!)、今度の3月議会では民主党系無所属の森議員が
 3/10(木)本会議一般質問で取り上げることになった。
  
 この紹介ツリー記事は、森議員質問への応援にもなると思う。
 6月議会では公明党議員も取り上げてくれるだろうと期待しているが、共産党議員はど
 うなんだろうかね?(今のところ、やる気が伺えないが・・・)
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◎報ステが驚異の大スクープ!憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事
 が判明!木村草太氏「押しつけ憲法論こそ…
   http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/858.html
  投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 2 月 26 日 19:30:05:     

【報ステが驚異の大スクープ!】憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった
 事が判明!木村草太氏「押しつけ憲法論こそ思考停止」
   http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/13475
 2016/02/26 健康になるためのブログ

【報ステの動画;岸時代の憲法調査会の肉声テープ発見】
   http://www.dailymotion.com/video/x3ub062

ショートバージョン憲法9条は幣原喜重郎首相のマッカーサーへの提案であった

憲法9条は幣原喜重郎首相のマッカーサーへの提案で... 投稿者 gomizeromirai

全編総理と祖父“改憲の原点” 岸時代の調査会肉声発見

総理と祖父“改憲の原点” 岸時代の調査会肉声発見 投稿者 nnol2016

以下ネットの反応。

小学館『少年少女日本の歴史』
「幣原首相が、憲法に戦争放棄を盛り込むよう提案」1989年版
→「マッカーサーが、戦争放棄を提案」1994年版
と歴史的事実を正反対に改訂。『ドイツ人学者から見た日本国憲法』はこれを厳しく批判しています。 pic.twitter.com/UknMecUSMW

— 盛田隆二*Morita Ryuji (@product1954) 2015年7月11日

@kuwabarakazu @ruhiginoue @product1954 @mr_unworthy 押し付け憲法論もデマですけどね。1946年5月27日の毎日新聞の世論調査で、新憲法草案を支持する回答が85%で、反対が13%、戦争放棄条項を必要が70%、必要なしが28%でした

— ネオクラシカルな音楽愛好家 (@NeoClassicalUSA) 2015年7月12日

憲法調査会の会長高柳氏は「第9条はユートピアであると見えるかもしれないが、戦争放棄を普遍ならしめるということでなければ人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。第9条は一つの政治的宣言であると解釈すべきである。」と述べていた。https://t.co/ycNLoOyzSA

— 伊波 洋一 (いは よういち) (@ihayoichi) 2016年2月26日

報道ステーション
総理と祖父「改憲の原点」

岸がやっていた憲法調査会の議論は、今の議論と全く同じ!!

安倍は岸の出来なかった事をやりたいだけなんだ!!

国民の想いと懸け離れた個人的驕り以外の何ものでもない!!https://t.co/TzEkjTTWf2

— 昭和おやじ 【打倒安倍政権】 (@syouwaoyaji) 2016年2月26日

報道ステーションでの木村草太教授の話、とても分かりやすい。

「押し付け憲法」と主張される方にも是非、見ていただきたい。

岸時代の憲法調査会の肉声テープ発見20160225houdoustation - Dailymotion https://t.co/PelrcuXoQd

— Yoshiko Matsushima (@yotikopiko) 2016年2月26日

これは知らんかった。
→「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(憲法調査会事務局)
Q 第九条の意味がよく分からない。独立したら憲法改正するのか?
A 一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論。https://t.co/4qZNl46BIA

— 伊丹和弘@朝日新聞長岡支局 (@itami_k) 2016年2月26日

#報道ステーション 占領終了5年後から憲法調査会が立ち上がった。
改憲派の中曽根氏に、調査会会長高柳氏「憲法改正は子孫に長く伝わるので、現代に生きる我々が軽々しく決めるととんでもないことになる。学者を政治家の道具にするのは間違いだ」 pic.twitter.com/YkurtiDX7g

— 札幌ふいめい(丸腰平和主義) (@HuimeiSapporo) 2016年2月25日

「そういう人たちがなぜあの戦争を止めることができなかったのか」

今夜は「報道ステーション」がホームランです。

新たに発見された半世紀前の岸信介総理時代の「憲法調査会」の審議の録音テープの内容を公表しました。 pic.twitter.com/IMGmClXJJ3

— sig_yok (@yoksig) 2016年2月25日

岸の作った憲法調査会は、同じく戦犯として裁かれ、公職追放から復帰して来た戦前の官僚や政治家、軍人などが中心。その個人的な米国への恨みが生んだのが「押し付け憲法論」。木村草太氏も「憲法への恨みがある限り、合理的な改憲は不可能」と指摘。 https://t.co/lACq2upKpr

— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) 2016年2月25日

報ステ「岸時代の憲法調査会」を特集。占領下の憲法という「押し付け論」を喧伝する改憲派、「現状に対応できない」「9条は理想論だ」と、59年前も今と全く同じ主張を繰り返しているに過ぎない。つまりこれは、60年もの間も改憲せずとも全く問題なく現状に対応出来た、との「証明」に他ならない。

— きむらとも (@kimuratomo) 2016年2月25日

【報ステ】新たに発見された「岸時代の憲法調査会」の記録!(◎_◎;)AB政権やウヨ連は「現・日本国憲法はGHQ・マッカーサーの押し付け」と噴き上がるが、9条なんか当時の幣原首相からの提案だって、2人とも証言してるじゃん💧 pic.twitter.com/Ruw9s2GDy0

— haru.sf (@12fuji28) 2016年2月25日

すごいの出て来たね( • ̀ω•́ )✧
憲法調査会の音声。報ステ pic.twitter.com/k5Yjk8wUD2

— あや (@ayakumahotcake) 2016年2月25日

「押しつけ憲法」などと言っているのは、当時の国会議員やその国会議員を選んだ人々への侮辱

木村草太氏はVTRの中でこうも言っています。安倍総理・日本会議・ネトウヨが後悔の涙を流さずにはいられない言葉ですね。

建設的な憲法改正論・必要なうえでの憲法改正論なら話し合う価値はありますが、「日本人が作ったモノじゃないから」という感情から憲法を変えると言うのは、決して良い方向へは行きません。

そして、こうして事実(押しつけ憲法ではない)が明らかになったわけですから、「押しつけ憲法」という土台から憲法を考えてきた人たち(安倍総理・日本会議・ネトウヨなど)はもう考えを改めるべき時でしょう。考えを変えることは全然恥ずかしいことではありません。
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引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

★報ステやるなあ。岸時代の憲法調査会のやりとり流してる内容がすごい。(画像必見)
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/3(木) 23:36 -
  
 この掲示板では画像紹介が出来ないので、ぜひ記事原文にアクセスして見て欲しい。
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「>いやあ,報ステやるなあ。岸時代の憲法調査会のやりとり流してる内容がすごい。:萩原 一彦氏」 http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/866.html

 投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 2 月 27 日 00:00:06: 「>いやあ,報ステやるなあ。
岸時代の憲法調査会のやりとり流してる内容がすごい。:萩原 一彦氏」
  http://sun.ap.teacup.com/souun/19545.html
    2016/2/27 晴耕雨読
https://twitter.com/reservologic

>marshland 報道ステーション、 戦争放棄=幣原喜重郎発案説が照明された。 しかし、歴史修正主義のねつ造を含めて、 まさかこの漫画の通りだったとは。

>manekineko いやあ,報ステやるなあ。岸時代の憲法調査会のやりとり流してる内容がすごい。憲法9条は、幣原総理(もちろん日本人!)の提案だったと! マッカーサーの証言もあるよー。


>Hirok_KZ 報ステで岸時代の憲法調査会の肉声テープを公開。「占領下で敵国に押し付けられたみっともない憲法」というフレーズ(安倍首相もこれをコピー)を主張しているのは、敗戦時に公職を追放されて復帰した人々。
 自分たちのかつての権力を取り戻そうとしているようにしか聞こえない。

>報ステ、戦争を禁止する条項を入れるよう当時の幣原総理が申し入れた

>manekineko 報ステ、ジャーナリストの鈴木昭典氏が今回発表した岸時代の憲法調査会の音声を流したが、安倍首相の言葉がその頃の改憲派の受け売りそのままな事がわかり、驚くよりうんざり。
 押しつけ憲法というのは正しい理解ではない。こんな話を、じっくりとやるのは良い。

>日本国黄帝 報道ステーション。59年前、安倍の祖父、岸の作った憲法調査会の音声データを公開。
 戦争放棄の憲法9条は米国ではなく、当時の幣原首相が発案してマッカーサーに申し出た条文だったと、幣原首相に取材した記者、そしてマッカーサー自身も書簡で明言。
「押し付け憲法論」こそがペテンという事だろう。

>ジョンレモン 報道ステーション 言ってることがまるで同じ。

>毛ば部とる子 木村草太氏「憲法とはこの国をこの国たらしめているルール、将棋が将棋のルール無しに存在しないように、国家というのは憲法なしに存在しない。
 国家を大事にするのは憲法を大事にすることでもある。
 今の憲法に憎しみを持っている方は、それから開放されないと、建設的な改憲論は永遠に不可能だ。」

>札幌ふいめい#報道ステーション 占領終了5年後から憲法調査会が立ち上がった。
 改憲派の中曽根氏に、調査会会長高柳氏「憲法改正は子孫に長く伝わるので、現代に生きる我々が軽々しく決めるととんでもないことになる。学者を政治家の道具にするのは間違いだ」

>毛ば部とる子 報ステ、いい特集だった。幣原総理はもちろん、「二度と戦争はしない」というのは全国民の強い思いだったと思うよ。 https://t.co/WRJzmns2Eg

この報ステの録画は消されてしまわないうちに絶対見ておくべきだと思う。日本会議系の改憲議論の大半はこれで崩れ去る。

>ANTIFA大阪 【幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について】 昭和三十九年二月 憲法調査会事務局 https://t.co/hGIR9ZC7LV

>Tetsuya Kawamoto 幣原喜重郎氏
 「ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。
  そうだ。誰かが自発的に武器を捨てるとしたらー最初それは脳裏をかすめたひらめき
  のようなものだった・・しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった」。

>盛田隆二 国会前で「憲法は米国に押しつけられたのではなく、日本側が戦争放棄を提案したのです」と訴えるチラシをもらったが、配っていたのは『ドイツ人学者から見た日本国憲法』の著者シルヒトマン氏本人だった→http://www.magazine9.jp/kaigai/dai033/

>但馬問屋 #報ステ 木村草太氏 なぜ70年にもわたって改憲が実現してこなかったか。 それは日本国憲法が世界標準に照らしても、かなり優秀な内容であったこと。
 さらに国民が望むような、より良い提案を、自民党内の改憲派議員たちがしてこなかっ
 たから。

>盛田隆二 
 小学館『少年少女日本の歴史』 「幣原首相が、憲法に戦争放棄を盛り込むよう提案」  1989年版 →「マッカーサーが、戦争放棄を提案」1994年版 と歴史的事実を正反対に改
      訂。『ドイツ人学者から見た日本国憲法』はこれを厳しく批判しています。
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<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

☆「押し付け憲法論」はデマだった!9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/3(木) 23:49 -
  
 (写真や画像を見るために、ぜひ記事原文にアクセスして読んで欲しい)
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◎改憲派の「日本国憲法は米国から押し付けられた」はデマだった!
 9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに(リテラ)
   http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/107.html
 投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 2 月 28 日 08:00:05:

左『マッカーサー大戦回顧録』(中公文庫)ダグラス・マッカーサー・著 津島一夫・訳
右『外交五十年』(中公文庫プレミアム)幣原喜重郎

改憲派の「日本国憲法は米国から押し付けられた」はデマだった!
 9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに
    http://lite-ra.com/2016/02/post-2017.html
  2016.02.28. 改憲派の押し付け憲法論はデマだった  リテラ

 先日の国会でも「戦力の不保持」を明記した9条2項を含む改憲を示唆した安倍首相だが、彼を筆頭とする改憲タカ派や保守論壇がしきりに喧伝しているのが、“日本国憲法はアメリカから強要された”という、いわゆる「押し付け憲法論」だ。

 安倍首相自身、2012年末にネット番組で
  「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人がつくったんじゃない
   ですからね」
と、現行憲法への敵意を剥き出しにしている。

 また、昨日の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)でも、安保法制は違憲ではないと主張していた日本会議常任理事の憲法学者・百地章氏が「日本が二度と連合国やアメリカの脅威とならざる、というのがアメリカの占領目的でした。その一環としてまさにこの日本の憲法はつくられた」と主張していた。

 しかし、彼らが言う「日本人がつくった憲法じゃない」というのは、実のところ、まったくのデマゴギーなのである。

 2月25日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日)が、日本国憲法の成立過程につい
ての特集を組み、この「押し付け憲法論」を反証する新証拠をテレビで初公開した。

 それは、今から約60年前、「自主憲法制定」を掲げた岸信介内閣で設置された憲法調査会における“音声テープ”の存在。
 元テレビ局報道部出身のジャーナリスト・鈴木昭典氏が国立公文書館で発見したものだ。

 そこには、はっきりと、こんな証言が残されていた。
“憲法9条の提案者は、ときの内閣総理大臣・幣原喜重郎によるものだ”と──。

 まずは軽く時代背景を説明しておこう。
 1950年代は、岸らを始め、A級戦犯として公職追放されていた政治家が続々と政界復帰
を果たしていたころ。
 憲法調査会は英米法学者の高柳賢三氏を会長に発足し、岸内閣から池田勇人内閣まで約
7年間続いたが、このなかで最大の議題となったのが憲法制定の経緯だった。

 『報ステ』では、若かりし中曽根康弘ら改憲派が
  「異常な状態でつくられた占領下の憲法」
  「外国の権力者がつくった憲法でありますから」
  「もう今日それに引きずられる必要はない」
などと弁舌をふるう様が放送された。

 その狙いは冷戦下における9条の変更、軍隊保持を明記し、海外派兵を可能にすること
だった。
 いうまでもなく、これは岸信介の孫・安倍晋三や昨今の改憲論者が論拠とする「押し付け憲法論」や「安全保障の急速な変化に対応」とまったく同質である。

 だが、鈴木氏が発見した音声テープには、こんな証言が記録されていた。
 憲法制定当時に中部日本新聞の政治部長だった小山武夫氏による、憲法調査会公聴会での発言だ。

 「第9条が誰によって発案されたかという問題が、当時から政界の問題になっておりました。そこで幣原さんにオフレコでお話を伺ったわけであります。
 その『第9条の発案者』というふうな限定した質問に対しまして、幣原さんは、『それは私であります。私がマッカーサー元帥に申し上げて、そして、こういうふうな第9条という条文になったのだ』ということをはっきり申しておりました」

 つまり、9条はGHQ側による一方的な「押し付け」ではなく、幣原首相がマッカーサーに直接に提言したものだったのだ。
 このことは、51年5月の米上院軍事外交合同委員会の公聴会でマッカーサー自身も証言
していることだ。
 そして、マッカーサーは岸内閣の憲法調査会に対しても
 「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行ったのです」と書簡で回答していた。

 それでは、幣原はいったいいつ、どのようにして「戦争放棄」を新憲法に組み込むよう、マッカーサーに提言したのか。

 64年刊行のマッカーサーの回顧録によれば、〈旧憲法改正の諸原則を、実際に書き下ろすことが考慮されるだいぶ前のこと〉、ちょうど幣原内閣の国務大臣・松本烝治らが新憲法草案作成にとりかかろうとしていた46年1月24日、幣原は私的な挨拶を名目に、マッカーサーの事務所に訪れていたという。

〈首相はそこで、新憲法を書上げる際にいわゆる「戦争放棄」条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切もたないことをきめたい、と提案した。
 そうすれば、旧軍部がいつの日かふたたび権力をにぎるような手段を未然に打消すことになり、また日本にはふたたび戦争を起す意思は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった。〉
 (『マッカーサー大戦回顧録』津島一夫・訳/中公文庫より)

 このマッカーサーの回顧録は長らく議論の的となってきた。
 実際、表向きにはアメリカ側が松本草案を明治憲法と大差ないとして突き返し、戦争放棄を含むGHQ草案を作成、そして、これを日本側が調整したものが国会に提出されたとい
うのが通説ではある。

 しかし、9条の基盤についての「幣原説」を裏付けるのは、マッカーサー回顧録だけで
はない。実は、他ならぬ幣原自身が著書で「押し付け論」を明確に否定していた。

 回顧録『外交五十年』(読売新聞社のち中央公論新社、初版1951年)のなかで、幣原は、総理就任直後にこんな風景を思い出したと記している。
 それは、敗戦の日に、幣原の乗る電車のなかで、ひとりの男が「なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっとも判らない」などと怒鳴り散らしていたことだ。 述懐はこう続く。

〈これはなんとかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくちゃいかんと、堅く決心したのであった。
 それで憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。
 つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならん(略)。
 よくアメリカの人が日本にやって来て、こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られてたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうじゃない、決して誰からも強いられたんじゃないのである。〉
 (『外交五十年』より)

 また、幣原の秘書も務めた元側近議員・平野三郎による証言も残っている。
 平野は、前述の岸内閣憲法調査会に対して「平野文書」と呼ばれる報告書を提出したが、それは1951年2月、幣原逝去の直前に、平野が幣原から直接聞き取った言葉を問答形
式で記載したものだ。

 これによれば、やはり幣原は平野に対し、象徴としての天皇制存続と9条の同時実現と
いうプランをマッカーサーに進言した、と語っている。
 これを読むと、日本側、アメリカ側、ソ連をはじめとする天皇制廃止を求めた諸外国、そしてマッカーサーその人のさまざまな思惑を見越しての提言だったことが窺い知れる。

 そして、今回『報道ステーション』が報じた、幣原が新聞記者にオフレコで、自身が
“9条の発案者”であることを認めていたという証言。
 これもやはり、「幣原説」を補強するひとつの傍証である。

 こうした証言が複数存在する以上、少なくとも、日本国憲法はじめとした戦後の民主主義、基本的人権、平和主義のすべてをひっくるめて、GHQによる「押し付け」という乱暴
な理屈に回収してしまう改憲タカ派の主張は、どう考えても暴論と言わざるをえないのである。

 前述のマッカーサー回顧録にはこうある。
  幣原から「戦争放棄」を新憲法に盛り込むことを提案された総司令はひどく驚いた。  なぜならば、〈戦争を国際感の紛争解決には時代遅れの手段として廃止することは、
  私が長年熱情を傾けてきた夢〉だったからだという。

 〈現在生きている人で、私ほど戦争と、それが引き起こす破壊を経験した者はおそらく
  他にあるまい〉とマッカーサー。
  彼が戦争を嫌悪する気持ちを吐露すると、幣原は──。

 〈私がそういう趣旨のことを語ると、こんどは幣原氏がびっくりした。
  氏はよほどおどろいたらしく、私の事務所を出る時には感きわまるといった風情で、
  顔を涙でくしゃくしゃにしながら、私の方を向いて
   「世界は私たちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし、百年後
    には私たちは予言者と呼ばれますよ」
  といった。〉
       (前掲・『マッカーサー大戦回顧録』より)

 果たして、このふたりだけの“会合”から70年。
 それは、この国が、直接的に戦争に参加し、それによって人を殺すことも、殺されることもなかった70年である。それだけは、確実に言える。

 だが、これからは分からない。
 安倍首相は9条の解釈改憲ではあきたらず、いよいよ明確に“軍隊による殺戮”を合憲化しようとしている。
 戦争当事者である幣原とマッカーサーは、この日本の現状をどう思うだろうか。
 残念ながらもう、彼らに訊ねる術はない。
                     (宮島みつや)
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引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

◆押し付け憲法論が根底から覆った報ステ報道、文春同様報ステも絶好調
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 0:06 -
  
◎押し付け憲法論が根底から覆った報ステ報道、文春同様報ステも絶好調
 (まるこ姫の独り言)
  http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/902.html
 投稿者 かさっこ地蔵 日時 2016 年 2 月 27 日 18:09:42:
  http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2016/02/post-7d87.html
2016/02/27

 報ステが始まってすぐに古館が、”あっと驚くようなことが分かった、憲法について特
集を組む”みたいな発言をしていたので待っていたら、本当にあっと驚く大スクープだった。

 古館はキャスターとして自身の降板が決まった時から、何か吹っ切れたのか、報道に携
わる人間として国民へ、これだけは伝えなければいけないと決心しているのか、切れ味が
鋭くなってきた。
 すべての束縛から解き放たれた後の人間ほど強いものない。

 テレ朝も、ガス抜きなのか3月一杯だからと思っているのか、自由にさせているのかもしれない。

 あっと驚くと言う経緯は、国会図書館で調べ物をしていたジャーナリスト鈴木昭典氏が
積まれた段ボールの中から、半世紀前の岸信介総理時代の”憲法調査会”の録音テープを発見したと。
 それを今回公表した訳だが、そのテープは驚くべき内容だった。

 終戦後、 A 級戦犯容疑者であった岸信介は総理に返り咲いたが、占領終了5年後”憲
法調査会”なるものを発足させて、平和憲法の検証をしている。今回発掘されたのはそのテープだ。

 内容は今の安倍首相が言い放つ、”みっともない憲法””押し付けられた憲法”に言及
しているのは、政治家ばかりだった。

 岸総理か、安倍総理か、どちらが再現したのかと思うほど、まるでデジャブのように、安倍首相の言動と一致している。

 やっぱり安倍首相は、祖父の岸の怨念を晴らしたいがために、憲法改正をごり押ししているという、それ一点だ。

 テープでは、よほど自分たちが公職を追放された恨みがあるのか、政治家のほとんど
は、敗戦の反省もなく新しい憲法は米国から押し付けられたと言い募っていた。
 中曽根康弘もかかわっていた。

 唯一女性の評論家?が「何のための敗戦だったのか」と厳しい言葉を残していたが。

 戦後70年たっても国民は戦争は嫌だと思っているのに、戦後すぐに開いた憲法調査会での政治家たちは、敗戦の反省もないまま、戦前に戻りたがっているのではないかと危惧するほど暴走していた。

 この人達は、国民がどれだけ辛酸を舐めたか、どれだけ辛く苦し思いをしてきたか分かっているのだろうか。。。。

 政治家の野蛮さは今も昔もそう変わらないのかもしれない。
 テープでは幣原首相の肉声で、憲法に戦争放棄を盛り込むように、マッカーサーに提案している。

 平和憲法は、安倍首相以下改憲派の言うように、米国に押し付けられたものではなく、戦争放棄を当時の総理自ら申し出ているのだ。

 もちろん短期間での新憲法作りという事で、草案の骨子は米国が作ったかもしれないが、当時の総理自ら申し出たという事は画期的な事実で、押し付けられた説が崩壊する。

 それにしても、国民を利用して祖父の怨念を晴らそうとする安倍のおどろおどろしい野望には驚きあきれ返る。

 ここまで見果てぬ夢を追っていたとは。。。。。

 隔世遺伝なのか、この祖父と孫は思考がそっくりで狂っている。
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 記事の「コメント欄」では、ネトウヨが「押しつけ憲法論」をごり押ししようとして、
グダグダ書きまくっている。ヤツラにとってよっぽど「痛い事実」が出されて困ったの
だろう。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

◇9条の発案は幣原総理、音声テープに証言!「私がマッカーサーに申し上げた」!
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 (数多くの写真や画像のある記事なので、ぜひ記事原文にアクセスして読んで欲しい)
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◎憲法9条はアメリカではなく、日本人が作った物だった!9条の発案は幣原総理、音声
  テープに証言!私がマッカーサーに申し上げた
   http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/223.html
 投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 3 月 01 日 22:40:05:

憲法9条はアメリカではなく、日本人が作った物だった!9条の発案は幣原総理、音声テープに証言!「私がマッカーサーに申し上げた」
 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-10310.html
  2016.03.01 21:00 真実を探すブログ

☆改憲派の「日本国憲法は米国から押し付けられた」はデマだった!
 9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに
  URL http://lite-ra.com/2016/02/post-2017.html
引用:
 だが、鈴木氏が発見した音声テープには、こんな証言が記録されていた。憲法制定当時に中部日本新聞の政治部長だった小山武夫氏による、憲法調査会公聴会での発言だ。

 「第9条が誰によって発案されたかという問題が、当時から政界の問題になっておりました。そこで幣原さんにオフレコでお話を伺ったわけであります。その『第9条の発案者』というふうな限定した質問に対しまして、幣原さんは、『それは私であります。私がマッカーサー元帥に申し上げて、そして、こういうふうな第9条という条文になったのだ』ということをはっきり申しておりました」
:引用終了

岸時代の憲法調査会の肉声テープ発見

岸時代の憲法調査会の肉声テープ発見20160225houdo... 投稿者 gomizeromirai

報道ステーション 「岸時代の調査会」肉声発見

↓報道ステーションが取り上げた憲法の重要な証言テープ

報道ステーション
憲法9条の発案者は幣原総理
「それは私であります」
米国の押し付け憲法論を否定。 pic.twitter.com/NOtPnJjcHN

&#8212; ジョンレモン (@horiris) 2016年2月25日

改憲派の「日本国憲法は米国から押し付けられた」はデマだった!リテラhttps://t.co/CgLnyu6lMd安倍さんは何十年も国会議員をしていて知らなかったのか、知ってて言っていればご都合主義の嘘つき、どっちにしてもあきれる pic.twitter.com/7qEuWokBCo

&#8212; 秋野あかね (@dougakan) 2016年2月29日

日本国憲法は押し付けられたものではなかった&#128518;&#128536;
 「…つまり、9条はGHQ側による一方的な「押し付け」ではなく、幣原首相がマッカーサーに直接に提言したものだったのだ。」
そもそも押し付けられたとしても「良いものは良い」のである。https://t.co/MCoKuYEaAL

&#8212; バランスのとれた政治 (@korekara1192ho2) 2016年2月28日

この話には心を動かされる。日本国憲法は戦争を経験した人達が戦争しない未来の為につくった合作とも言えるのでは?ー9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに https://t.co/WKASJemm95 @litera_webさんから

&#8212; teek_hai (@teek_hai) 2016年2月28日

改憲派の「日本国憲法は米国から押し付けられた」はデマだった! 9条が幣原総理の発案だったとの証拠が明らかに(リテラ)https://t.co/5y8fTGGA6f pic.twitter.com/9eTmuqExxr pic.twitter.com/YWZgmpNTYm

&#8212; 宇宙からの使者 (@hirochiyan) 2016年2月29日

 これは教科書にも書かれるべき情報だと言え、物凄い歴史的な証言だと思います。
 今までは「アメリカが日本の武力を制限するために9条を作った」と一般的には言われていましたが、それが全てひっくり返るような大発見です。
 9条は日本の総理が自ら提案した物で、アメリカはそれに賛同しただけというのは随分と意味合いが異なると言えるでしょう。

 また、岸元総理と安倍首相の発言が全く同じ点も興味深く、このような素晴らしい情報を取り上げた報道ステーションに拍手をしたいところです。
 憲法を変える前に、私たちは憲法の成り立ちや意味をシッカリと知る必要があると私は強く感じました。

國破れてマッカーサー (中公文庫)

記事コメント

これはショックだ。日本の総理が日本国を縛る鎖を自分で用意していたなんて信じられない。

だが、逆に考えるんだ。日本独自の憲法ならば改憲に当たってアメリカ始め連合国側の国々に対して遠慮する必要は無い。
[ 2016/03/01 21:07 ] 七氏 [ 編集 ]

日本会議は戦前の日本を取り戻したいだけ。だからこの真実を伏せていた。

戦犯共の亡霊共に好きにされてはならない。
[ 2016/03/01 21:10 ] 名無し [ 編集 ]

このあいだの谷垣さんの発言の見出しが、占領下で作られた憲法ってなってたのはこの件を意識してるからじゃないかと思ってる。
この言い方だと、この記事の指摘は大きな問題にはならないから。

これまでの発言とは整合性が取れないことがあるとは思うけど、どうせいつもの詭弁でごまかすやろうしね。
[ 2016/03/01 21:11 ] エヌ [ 編集 ]

「頭もげとるやないかーい」自衛隊の「生首」幹部候補生募集ポスターが不気味すぎると話題に
http://a.excite.co.jp/News/it_g/20160301/Buzzap_35284.html
[ 2016/03/01 21:12 ] 名無し [ 編集 ]

ネトウヨ諸君、あなた方のだ〜いすきな「証拠」が出てきたんですが。
え?テレ朝だからねつ造?おふざけもたいがいに。

国の公文書が保管してあるとこから出てきたんですからね。どう言い訳なさるのか楽しみですね。それとも、都合の悪いことはスルーですかね。(笑)
[ 2016/03/01 21:13 ] 名無し [ 編集 ]

21:07
改憲するかどうかは国民が決めるのだ。一部の権力者が勝手にかえるなぞもってのほか。
むしろアメリカの言いなりで改憲しようとしてるのがアベ自民。
なんか違うのではないかい?

[ 2016/03/01 21:19 ] 名無し [ 編集 ]
21:13
テープが捏造だなんて言いませんが、例え憲法9条が日本人の発案だとしても、もう日本の平和主義は説得力を失っています。
それでも憲法改正は必要でしょう。

憲法9条の「出自」が日本だったら例えば自衛隊の憲法上の位置付けをどうするかといった問題が解決するのかと言えば、そんなことはないでしょう。
[ 2016/03/01 21:21 ] 七氏 [ 編集 ]

21:19
私は改憲を望む国民の一人です。
もちろん、ただ改憲すれば良いなどとは考えていません。国家解体を目指す立場からの改憲というのもあり得ますしね。
だから改憲の条件を緩和することなどには反対です。
改憲が必要であるのと、どう変更するかはまた別の問題です。
[ 2016/03/01 21:27 ] 七氏 [ 編集 ]

この件ちょっと検索すると
この件ちょっと検索すると、音声テープはないけど、説としてはかなり前から知られていたみたいですね。そのことが驚き。 この総理、調べると本当にスゴイ人ですね。Wikiみてみて。
[ 2016/03/01 21:28 ] ごきお [ 編集 ]

例え憲法9条が日本人の発案だとしても、もう日本の平和主義は説得力を失っています。
それでも憲法改正は必要でしょう。 >
七氏 さん>

私は長期的には『憲法は国民の意志や実態に応じて改正を含めて適宜運用すべし』と考えるがゆえに、『多くの国民の意志が改憲(たとえば9条を変えたい)』であれば、改憲すべきだと感じます。
 ただし、安倍政権のように『アメリカの押し付け憲法だから』を理由にするのは間違いですし、また、立憲主義に基づかず、『政府など国家権力の暴走から国民を守る盾の役割』を考えていない憲法改正案を提示する今の自民党政権での改憲には反対します。
[ 2016/03/01 21:32 ] ロハスな人 [ 編集 ]

ゲリゾー「ポルポトガ、スターリンガー!サヨクガー!!」
ぼく「頭大丈夫かこいつ」
[ 2016/03/01 21:33 ] 名無し [ 編集 ]

アーミテージは9条をこわしたいと言った
アーミテージが
「憲法9条がバリケードのように日本を守っている」ってテレビで言ってたよ。だから壊したいんだって。
 なぜ安倍政権はそんなアメリカの戦争屋のアーミテージらの言いなりになって国民をあおるのか?押しつけ憲法だと嘘までついて。

 アメリカが押しつけたのならアーミテージはそれを壊したいとは絶対に言わないだろう。日本にとって素晴らしく、アメリカにとって不利益な作用をもたらすからアーミテージは9条を壊したいのだ。
 安倍は嘘をついたことに対して全国民に謝罪の会見すべきだ。
 これはもっと大きくなるべき情報なのだが。自民党の醜悪なおっさんらが必死で抑え込んでいるんだろう
[ 2016/03/01 21:37 ] 名無し [ 編集 ]

これ結構前に報ステでやってたけど態と?
http://健康法.jp/archives/13475
[ 2016/03/01 21:38 ] 名無し [ 編集 ]

9条が誰の発案なんか関係ないんだけどね。

アメリカが日本を庇護してきた時代は終わりをむかえるんだけど?まさか、今まで9条が国を守ってきたとでも?(笑)

オマエラパヨクはアメリカが日本を守ってきた七十年をシカトして、さも9条のおかげと詭弁しているにすぎない。

[ 2016/03/01 21:45 ] ヒデヨシ [ 編集 ]

はいはい。さすが威勢だけはいっちょ前。ドンパチやる事態になったら、さっさと逃げないでいの一番に特攻かけてね。(笑)
[ 2016/03/01 21:50 ] 名無し [ 編集 ]

>今までは「アメリカが日本の武力を制限するために9条を作った」と一般的には言われていましたが、それが全てひっくり返るような大発見です。

9条の発案者が幣原総理というのはずっと昔から言われてた話。
最近になって新しく発見された事実じゃない。

自民党やらの改憲派がウソを重ねて来ただけ。
[ 2016/03/01 21:51 ] 名無し [ 編集 ]

?安倍ソーリが、押しつけ憲法だから変えるべきと言ってるのですから、押しつけかどうかは大変重要な問題です。関係ない訳ないでしょう?何言ってんですか?
[ 2016/03/01 21:55 ] 名無し [ 編集 ]

いやぁ、ネトウヨが発狂してんなあ。
9条か、反日か、売国か、在日しか興味ないのね。

ちゃんと地に足着けた生活しなよ。政治屋でもあるまいし。アベちゃんの七光りで強気になれるのも今のうちだよ。
[ 2016/03/01 22:01 ] 名無し [ 編集 ]

【要拡散】 自民党憲法で、憲法前文の “基本的人権の保障”と、 “主権在民(国民)”を 【削除】!
【要拡散】
自民党憲法で、憲法前文の“基本的人権の保障”と、 “主権在民(国民)”を 【削除】!

【日本国憲法前文】
・〜ここに『主権が国民に存する』ことを宣言し、
[中略]

この憲法が日本国民に保障する『基本的人権』は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである

主権国民を国家が破棄
主権国民も、基本的人権も保証されない憲法だ。

民主主義破壊憲法
[ 2016/03/01 22:10 ] 名無し [ 編集 ]

安倍がまた息を吐くように嘘をついてるんだな
[ 2016/03/01 22:12 ] 名無し [ 編集 ]

日本国憲法の前文は、どんな人が読んでも感動すると思うよ
http://blogos.com/article/124117/

みっともない憲法ですよ
by安倍晋三


安倍ちん  基本的人権と 主権国民を 否定!
[ 2016/03/01 22:14 ] 名無し [ 編集 ]

21:45
それはどうだろう
冷戦中にいつだってドンパチできたよね?
だけど日本は戦争放棄が憲法に記載されているのを理由に参戦を拒否し続けてきた
憲法の条文なければ拒絶理由は存在しないから、即刻アメリカの召使い

少なくとも正しい知識や認識なしには憲法を変えるべきではないね
あなたのような子どもを見てますますそう感じた
[ 2016/03/01 22:18 ] 名無し [ 編集 ]
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記事の「コメント欄」では、ネトウヨが「押しつけ憲法論」をごり押ししようとして、
グダグダ書きまくっている。ヤツラにとってよっぽど「痛い事実」が出されて困ったの
だろう。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

■史実捻じ曲げる極右首相<押しつけ憲法論は大嘘>(本澤二郎の「日本の風景」)
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◎史実捻じ曲げる極右首相<本澤二郎の「日本の風景」(2279)
 <押しつけ憲法論は大嘘>
  http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/154.html
 投稿者 笑坊 日時 2016 年 2 月 29 日 10:01:17: EaaOcpw/cGfrA j86WVg Tweet  

  http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52132041.html
  2016年02月29日 「ジャーナリスト同盟」通信

<押しつけ憲法論は大嘘>

 「戦争放棄の日本国憲法は、世界に冠たる憲法である」と鈴木善幸首相が国会で答弁している。
 彼の後継者・宮澤喜一首相は「核時代において9条が光輝を放っている」と叫んだ現場を目撃してきた筆者である。

 彼らは、9条が米国の押しつけで実現したなどとは全く考えていなかった。
 憲法草案を誕生させた幣原喜重郎首相による、マッカーサー元帥への進言であることを承知していたのだ。
 9条憲法は、吉田茂内閣下の国会で全会一致で成立した。国民の総意を受けた文句なしの平和憲法である。
 極右首相や秘密結社・日本会議が宣伝する「押しつけ憲法」は大嘘である。

<テレ朝が、岸信介内閣下の憲法調査会記録で証明>

 2月25日放送のテレ朝報道ステーションが、安倍の祖父である岸内閣のもとで発足した憲法調査会での、録音テープを国立公文書館で見つけて、これを放送して多くの国民を納得させた。

 憲法制定当時の事情を、中部日本新聞の政治部長の小山武夫が、幣原から直接聞いていた、それを調査会で証言していた。

 「9条は幣原さんの発案で、彼がマッカーサーに申し上げて、9条の条文になったものだ」と明言していた。

 戦後70年間の平和には、敗戦国民の悲劇を率直に受け止めた首相の英断が幸いしたものである。この史実を日本国民はしっかりと認識すべきだ。

 戦争肯定派は、財閥と神道など右翼グループなどで、国民の1%に過ぎないだろう。

<幣原首相とマッカーサー元帥の回顧録にも記述>

 小山証言を裏付ける当事者の記録も残っている。
 幣原の「外交50年」(中公文庫プレミアム)、ダグラス・マッカーサーの「マッカーサー大戦回顧録」(中公文庫)である。

 マッカーサーは、51年5月の米上院軍事外交合同委員会の公聴会での証言を、回顧録に載せている。
 マ元帥と幣原の会見は敗戦後の翌年、46年1月24日のことである。

 これほどの真実を覆そうとする安倍は、悪人・悪魔の使いに相当しようか。
 2012年末のネット番組で「みっともない憲法。はっきり言って日本人が作ったんじゃない」と放言している。

<なぜA級戦犯が政権担当?>

 筆者は政治記者になって、どうしても理解できなかった疑問は、A級戦犯がなぜ政権を担当することが出来たのか。ドイツでは、想像さえも出来なかったことだから。

 いまは明確に判断できる。米CIA工作の成果である。
 平和・軍縮派の宇都宮徳馬は、生涯にわたって岸批判を止めなかった。
 同じく三木武夫首相は「もし新聞が社説で反対をすれば実現しなかった」といって悔しがった。

 日本の新聞は、相手がCIAだと抵抗力を喪失してしまう。国民を平然と裏切る。
 今もそうである。米ソ冷戦が反共主義者の出番を作ったともいえる。

<米CIAの傀儡>

 米CIAの工作というと、それは9条を解体させ、自衛隊を米軍傘下に組み入れることだった。
 これに吉田が抵抗を見せると、戦犯の岸と、同じく追放されていた鳩山一郎の勢力を支援した。
 まずは鳩山内閣に改憲総選挙を実施、これに失敗したことから、岸に白羽の矢を当てた。
 国民のための政府では、全くなかった。CIA・ワシントンの傀儡政権だった。

<戦前戦後も国民を裏切る売国奴>

 長州出身の岸は、東京帝国大学で国粋主義者で有名な学者に師事した。卒業して商工官僚となって財閥の代理人となった。
 軍需次官も歴任、日本の傀儡政権・満州国支配では、蓄財に成功している。

 ついに東條・戦争内閣の商工大臣になった。民意とは無縁の死の商人そのものだった。

 それは戦後も同様だった。戦前は財閥・天皇に従い、戦後はCIA・ワシントンの召使として、生涯、憲法改悪を叫び続けた。

<売国奴の遺言を強行する売国奴>

 そして孫の安倍晋三である。どこを向いて走っているか、はっきりわかるだろう。
 歴史を知れば、彼の正体はくっきりと見える。彼の取り巻き連の素性も、容易にわかる。

 売国奴の遺言を強行する、売国奴に貢献する悪しき政党・宗教団体もまた、民意を裏切る悪魔集団と断じることになろうか。

 歴史を正視する日本人でありたい。それは、世界の日本研究者にも当てはまるだろう。

    2016年2月29日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
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引用なし
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△押しつけ憲法』論の『ウソ』とは!?日刊IWJメルマガ2/28より
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 2:34 -
  
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 公式サイト 【 http://iwj.co.jp/

■■■ 押しつけ憲法』論の『ウソ』とは!? 季節の変わり目は政治・経済・世界情勢の変わり目!そんな今日は歴史に残る『バカヤロー』記念日!「元自衛官が岩上安身のインタビューで生々しい自衛隊の『リアル』を暴露!そして『報ステ』がスクープした『!」2016.2.28日号〜No.1263号〜 ■■■
(2016.2.28 8時00分)
  (中略)
┏━━【目次】━━━━━━━━━━━━
┠■【中継番組表】
┠■「トモダチ作戦の名を借りて上陸作戦の予行訓練」!? 「ヒゲの隊長はイラクで前線を見ていない」!?!?〜静かなクーデターが進行する自衛隊の「実態」を、元自衛官の末延隆成さんが岩上安身のインタビューで暴露!(佐々木隼也)
┠■報ステがスクープ!「押しつけ憲法論」崩壊!? 憲法9条を作ったのは「幣原喜重郎説」をさらに裏付ける新証拠が発見される!(原佑介)
┠■あの「国会での非常識な暴言」足立康史議員が岩上安身にTwitterでリアクション!
┠■IWJスタッフ募集中! 「テキストスタッフ」「Webスタッフ」として一緒に働きませんか?
┠■わとはぷ〜What happened today?「今日はバカヤローの日」(佐々木隼也)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━
  (中略)

 続いては、佐藤正久議員や安倍総理、最近では中谷元防衛相が、改憲の必要性を説くときに多用し始めた「押しつけ憲法」論のウソについて、原佑介記者がお伝えします!

■報ステがスクープ!「押しつけ憲法論」崩壊!? 憲法9条を作ったのは「幣原喜重郎説」
 をさらに裏づける新証拠が発見される!

 おはようございます。記者の原です。一昨日26日放送の「報道ステーション」(テレ朝)の「スクープ」が話題を呼んでいます。

 国立公文書館で見つかった、手つかずのダンボールの箱。その中から、岸信介総理大臣らが「憲法改正」について議論した、1957年の憲法調査会の模様を収録した「肉声テープ」が見つかったというのです。
 報ステによると、これまでこの憲法調査会の記録は映像だけで、音声は存在しないと思われていたそうですが、59年後の今になって、ジャーナリストの鈴木昭典さんがこの貴重なデータを発見しました。

 憲法改正を目指す方々は様々なロジックを使って憲法改正の必要性を訴えますが、その中のひとつが、安倍総理に見られる「日本国憲法は、GHQが一方的に日本に押しつけた『押しつけ憲法』である」という理屈です。
 今回発見された肉声テープには、その「押しつけ憲法論」を真っ向否定する貴重な証言が収録されていました。

 「幣原総理は『私がマッカーサー元帥に申し上げて第9条の条文になった』とはっきり
言った」――。

 これは当時、憲法調査会に公述人として招かれた中部日本新聞元政治部長・小山武夫の証言で、かつて、小山さん自身が幣原喜重郎元総理本人から直接「オフレコ発言」として聞いた内容だそうです。

 「憲法9条を作ったのは誰なのか」という設問については、「幣原喜重郎説」だけでなく、「マッカーサー説」や「吉田茂説」などもあります
 (今日は、吉田茂首相が1953年に、衆議院予算委員会で「バカヤロー」と発言した日。
  これがキッカケで内閣不信任案が可決、衆議院解散へ)。

 小山さんの証言は、「幣原喜重郎説」をこれまで以上に裏づける新材料と言えそうです。

 作家の半藤一利さんは、かつて「立憲フォーラム」で、「実際は、幣原喜重郎総理大臣とマッカーサーとのあいだで話し合いがあったときに、どちらが先に(戦争放棄を)言い出したか、証拠物件としてはないんです」と話されていましたが、半藤さんは独自の調査で、やはり「憲法9条は日本人が作った」と結論づけられています。

 IWJ会員であれば、半藤さんの講演を全文文字起こしつきでご覧いただけますので、会員登録の上、ぜひご覧ください!
−−−−−
※2013/06/05 「憲法9条は日本人が作った」 作家・半藤一利氏、安易な改憲論に反論 〜「立憲フォーラム」 第4回勉強会
http://iwj.co.jp/wj/member/archives/12730
−−−−−
 この「肉声テープ」が記録された時期というのは、GHQの占領が終わり、追放された岸さんなどの「戦犯」が次々と政界復帰していた時期で、憲法調査会では、改憲派の議員や識者が「占領統治下で作られた押しつけ憲法だ!」「みっともない前文だ!」と意気軒昂に主張。
 今、安倍総理らが唱えている主張とまったく同じ内容で、見ていると嫌な汗が背中を伝います。

 他方、護憲派の評論家・坂西志保さんは
  「今になって、戦争も敗戦の責任も自分たちにない、というようなことを言う。
   そして『将来の世代のためにこの憲法を改正することが自分たちの使命である』と
   聞かされると、強い憤りを感じる」
と証言されていましたが、とても共感できますよね。

 今、僕たちは、当時の坂西さんのように、岸さんたち、即ちあの無謀で愚かな侵略戦争を引き起こし、遂行した戦争指導者たちの「亡霊」と対峙しているのだと思います。

 この日、報ステにコメンテーターとして出演していた木村草太さんは、憲法について、  「これを押しつけだと単純に評価するのは当時の国会議員、官僚、彼らを選んだ国民
   への侮辱になっていると気づくべきですね」
と、穏やかな口調ながら辛口なコメントをしました。

 木村草太さんには岩上さんも単独インタビューしていますし、昨日、IWJは、木村草太さんが登壇した学習会「木村草太氏×シンヘボン氏『憲法改正と人権〜国家緊急権が意味するもの〜』」を中継・取材してきました。
 記事化を急ぎますが、改憲派が新設を目論む「緊急事態条項」の危険性への認識が徐々に広がりつつあるのを感じます。

 ちなみに1933年の今日は、「国会議事堂放火事件」を受けて、アドルフ・ヒトラーの発議による大統領令・民族と国家防衛のための「大統領緊急令」が発令された日。

 過去の「負の歴史」を見直し、憲法を見つめなおさなければなりませんね。
 もっともっと、その認識が広がってほしいものですし、IWJとしては参院選で取り返し
のつかない結果が出るのをなんとしても阻止するため、全力を投球し続けます!
−−−−−
※2015/06/16 「法の支配に対する挑戦が行われている」――気鋭の若手憲法学者が安保法制を進める政府・与党の「無法者」ぶりに警鐘を鳴らす!〜岩上安身による首都大学東京准教授・木村草太氏インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/249458
−−−−−
=============================

 原記者でした。詳しくは、自民党改憲草案を現行憲法と丁寧に比較し、分かりやすくその問題点を読み解いた、梓澤弁護士、澤藤弁護士、岩上さん共著の『前夜』をご覧下さい!
 「押しつけ憲法」論の馬鹿馬鹿しさや、それをもって国民の賛成を取りつけようと画策する自民党改憲草案の危険性を、スッと理解することができます!!

※【増補改訂版・岩上安身単独サイン入り】『前夜〜日本国憲法と自民党改憲案を読み解く』
https://iwj.co.jp/ec/products/detail.php?product_id=171

※【増補改訂版】『前夜〜日本国憲法と自民党改憲案を読み解く』
https://iwj.co.jp/ec/products/detail.php?product_id=169

 また、この超危険な改憲草案を、一発ですべて成就させようとするクレイジーな手口−−まさに「ナチスの手口」そのものである、緊急事態条項の問題点については、昨年末
IWJが開催した特大イベント「饗宴VI」で、超豪華登壇陣から警鐘を鳴らしていただきました。

 こちらはDVD化し、多くのみなさまにお買い求めいただいております。
 まだお持ちでない方はぜひ、ご購入していただき、2度3度と見返していただければと思います。

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◎戸田の幣原喜重郎質問:最初は2009年9月議会一般質問だった(戦没者追悼式問題)
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 3:31 -
  
 戸田が幣原喜重郎氏の平和業績について議会質問を行なったのは、掲示板検索によれば、2009年9月議会の本会議質問(一般質問)だったようだ。  

 この時は戦没者追悼式のあり方に疑問を呈して、(特に「英霊にこたえる会」問題)

  「2度と戦争の悲劇を起こさない」ために、「先の大戦」について、門真市としては
   どういう認識を持っているのか?  
   日本国憲法擁護の義務を負う自治体として、幣原喜重郎生誕の地として、見解を述
   べられたい。
と質問している。

 が、幣原喜重郎やその業績の偉大さについての認識は、まだ浅かったと言わざるを得ない。
 認識が深まるのは2013年になってからの事だ。
 とりあえず「2009年9月議会特集」から、戸田の一般質問(+答弁)を紹介する。
     ↓↓↓
 http://www.hige-toda.com/_mado05/2006/2006_9/toda_situmon_touben.htm

戸田質問1:他人の住民税を上乗せ請求し市民に暴言を吐いた事件について
      略
戸田質問2:市が得た個人情報の使い回しについて
      略
戸田質問3:障害者の投票支援有料化と選挙権保障・投票率向上について
      略

戸田質問4:戦没者追悼式に対する市の認識について

 最後の項目として:戦没者追悼式に対する市の認識について質問します。

  市が毎年10月に主催している「門真市戦没者追悼式典」について、所管部署である保
健福祉部に先頃、問い合わせたところ、追悼する「戦没者」の定義があやふやで、対象人数についてもおおよその人数すら考えられていないことに驚きました。

 戦没者追悼の意味や思いがだいぶ以前から風化、形骸化して、式典主催者としての市の認識が深まるどころかあやふやなものに堕してしまっているのではないかと危惧しますが、「恒久の平和を念願し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」するという、当初はあったはずの初心に返ってもらうために、以下の質問を行ないます。

1:市主催の追悼式典の実施経過やその目的と内容はどのようなものか?
  内容や規模に変化はあるか?
 現在の参加個人・団体、来賓はどのようなものか?

2:そもそもこの式典で追悼している「戦没者」の定義は何か?
  亡くなった時期はどうか?、
  戦災や抑留・処刑での死亡者は入るのか?
  「門真市(市域)と関わり」がある人が対象なのか?
  それともそういう限定がないのか?

3:追悼対象の「戦没者」の人数把握はどうなっているか?
  普通に考えれば、万の単位に上るものと思うが、およそいくらと追悼対象人数を認識
 しているのか?

4:追悼式の周知案内について、どういう団体・個人に何通くらい発送しているのか?

5:「英霊にこたえる会」という団体にも案内を発送しているようだが、この団体は門真
 市内にあるのか?
  また、この団体を発送先に組み込んだのはいつからで、どういう判断・基準で組み込
 んだのか?

6:「英霊にこたえる会」は1976年に、日本遺族会と靖国神社本庁、全国戦友会連合会、
 日本郷友連盟、軍恩給連盟等の団体が合同して結成されたもので、

  「大東亜戦争」は自衛のための戦争であったと主張し、1994年に当時の細川首相が訪
 中した際に行なった侵略戦争に対する謝罪表明に反発し、産経新聞に「日本は侵略国で
 はありません!」とする意見広告を掲載したり、「国立の無宗教戦没者慰霊施設」建設に
 反対する署名活動などを展開している団体ではないでしょうか?

  私が問い合わせた当初、所管担当者は「英霊にこたえる会」のことを全く知っていま
 せんでしたが、知らないままに案内を送っていたということか?

7:門真市遺族会なども構成団体になっている「日本遺族会」とは、個々の遺族会や遺族
 の意識はともかく、全国組織としては、先の大戦がアジアに対しては侵略戦争であった
 ことや東京国際裁判の判決を否定し、「靖国神社の国家護持に関する要綱」を出し、
 靖国神杜の国営化を要求してきた団体だと思いますが、市の認識はどうか?

8:一方、こうした日本遺族会とは別に、平和遺族会全国連絡会というものが1986年から
 全国15地域に設立されており、その宣言文には
  「私たちは戦没者の遺族として、日本の政府に対して、再び戦争による惨禍を避ける
   為に最大の努力をするように希望します。
    このようにすれば、私たちの肉親の悲しみと無意味の死、およびアジア各国人民
   の死も意義を失わずに報われることでしょう。
   これこそが私たちの追求する只一つの道です」、
 と述べられています。

  そのほかに、「キリスト教遺族会」が1949年8月から設立されており、
  ・「英霊」は決して平和の基礎ではなく戦没者の遺族は『英霊』を否定している。
  ・戦没者の追悼をするなら、個人の宗教や信条を大事にすべき
  ・必ずアジアの戦没者遺族に謝罪せよ、
 と述べています。

 門真市の戦没者追悼式典ではこういった遺族会が送付先に入っていないのはなぜか?
 「送付申し入れ」があれば送付するのか?

9:「2度と戦争の悲劇を起こさない」ために、「先の大戦」について、門真市としては どういう認識を持っているのか?  
  日本国憲法擁護の義務を負う自治体として、幣原喜重郎生誕の地として、見解を述べ られたい。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
【答弁】南保険福祉部長

 一戦没者追悼式に対する市の認識についてであり ます。

 本市におきましては、昭和38年5月14日「全国戦没者追悼式の実施に関する件」の閣議
決定を受け、今次の大戦における全戦没者に対し、市と致しまして追悼の誠を捧げるため、昭和39年10月より式典を実施いたしますとともに、

 昭和57年4月13日の閣議決定では、毎年8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として定めることとし、

 現在では、門真市にゆかりのある日中戦争以降の戦争による軍人、軍属及び準軍属の他、外地において非命にたおれた者、内地における戦 災死没者等を含む死没者を対象に
宗教的儀式の伴わない式典として実施しております。

その形式につきましては、会場設営の様式や式典内容に若干の変更はあるものの、大き
な変更はございません。

 次に、戦没者の把握につきましては、従前より 各地区にありました遺族会の協力を得て名簿を作成いたしますとともに、
 昭和62年に遺族会門真支部による調査、平成5年の記念誌発行時の調査、また市民からの申しで等により名簿を整備してきたところであります。

 なお平成5年の記念誌発行時の調査にまりますと当該戦没者数は268名となっております。

 門真市戦没者追悼式の周知でありますが、本年は、議員各位をはじめ、関係行政機関、遺族会や社会福祉協議会等市の関係団体計84名の方々に来賓としてご案内いたしますとともに、

 門真市遺族会資料、国におきます弔慰金該当者名簿等を参考に名簿を作成し912名の方にご案内を行い、 また、広く市民の方にもご承知いただくため、市広報紙におきまして戦没者追悼式の目的を掲げ参列をお願いしているところであります。

 なお、「英霊にこたえる会」につきましては、 昭和51年に設立された団体でありまして、本市では遺族会で対応されておりますので、遺族会 同様にご案内しているところで
あります。

 また、平和遺族会につきましては、申しでのありました時点で対応してまいりたいと考えております。

 本市におきましては、先の大戦での戦没者に対しまして追悼の誠を捧げ、恒久平和への誓いを込めて式典を開催するものでありますのでよろしく ご理解賜りますようお願いを
申し上げます。
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▲次は2012年4月に自治基本条令案への「戸田の議員意見」の中で幣原氏に触れたこと
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 4:01 -
  
 「議会質問」ではないが、戸田が幣原喜重郎について触れ、自分でも認識を深める契機
になった事として、以下の事を挙げておく。
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 戸田失職中の2010年9月に、門真市で「自治基本条例」を作っていこうとする動きが起こって、「市民検討委員会」が作られ、
 戸田が復活当選した2011年の9/6に「市民案」が完成提出され、それを庁内検討にかけ
て2012年の1/13に市の第1次案、2/8に第2事案(以下「市素案」と言う)がまとめらた。
 
 そして「議員の方からも市素案について意見を出して欲しい」、という要請が所管の総合政策部・公民協働課から出され、4/10一杯と4/11午前にかけて、「ちょいマジ掲示板」にいろいろ意見を書いていくことになった。
   ↓↓↓
◎自治基本条例について戸田意見等を書いていくツリーを開始!とにかく書かねば!
   戸田 - 12/4/10(
 http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7113#7113

 そしてこのツリーの中で、幣原喜重郎の業績を啓発継承すべきことについて触れている。
   ↓↓↓
前文1:非核平和都市宣言なぜ無視?幣原氏や安井氏、「義民」など。論議も紹介しつつ
    戸田 - 12/4/12
   http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7119;id=#7119

<幣原喜重郎に触れた部分の抜粋>

で、まず「前文」について。戸田の意見をざっくり述べておく。

1:市民検討委員会での論議も含めて、市民からも行政からも有識者からも、門真市が誇
 るものとして「非核平和都市宣言」(1983年制定)が出て来ない事に不満を覚える。
  「美しいまちづくり条例」(市民案や1/13市案)なんかは、実は全国どこでも作って
 いるようなありきたりのものに過ぎないが、「非核平和都市宣言」はそれほどありきた
 りのものではない。

  平和憲法作成貢献の幣原喜重郎氏、原水禁運動創設の安井郁(かおる)氏を輩出した門
 真市であれば、この「非核平和都市宣言」を前文の中に高々と掲げ入れるべきと思う。

2:現代日本史的に「門真が生んだ偉人」として誇るべき幣原喜重郎氏、安井郁(かおる)
 氏の名前が記されているのは(説明)部分のみだが ↓
   ・・・平和外交を進め、日本国憲法の制定に寄与した幣原喜重郎や原水爆禁止活動
     に貢献した安井郁を輩出するなど、日本史に名を残す先人をはじめ・・・
 せめて保守政治家でもある幣原喜重郎氏くらいは「前文」の中に氏名を出してもよいと
 思うのだが・・・。
  (後略)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 なお、このツリーの中の以下の記事も注目してもらいたい。非常に重要である。
   ↓↓↓
▲悠々さん、私が批判したのは「近過去の事実認識がなさ過ぎる事」ですが・・・
   戸田 - 12/4/13(金) 3:15 -
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7127;id=#7127

 悠々さん、投稿ありがとうございます。
 「市民の未熟」という事できつい書き方をした部分もあるので、反発もあるだろうとは思っていました。
 しかし私が批判した「市民の未熟」という事は、「戸田が思う内容が市民案にないから」では全然ありません。

 「市民自治」を論議するのに不可欠なはずの、近過去の事実についての認識が余りになさ過ぎる事、それに無自覚である事を批判したのです。
 そして「全然間違った事実認識に基づいて論を組み立てても、市職員は誰もそれを指摘しない」し、「有識者もそれ(=合併反対闘争の事)を知らないので指摘しない」ので、市民検討委員会の話し合いの中で間違った認識のままで論議が進んでしまった事を指摘したのです。

 詳しくは
総論2:近年の門真市防衛大闘争を知らずに自治を語る市民の未熟さと今後への期待
      戸田 - 12/4/11(水) 13:03 -
 http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7115;id=#7115
に書いた通りですが、改めて抜粋紹介します。
   ↓↓↓
 それはつい数年前の事ではないか!
 2002年初頭の産経新聞報道から2004年11月の合併協議会解散までの、ほぼ丸3年に渡って門真市の消滅(=守口市との合併)か存続かを巡って市民を2分した大闘争ではないか!
 あと一歩で門真市消滅が決まってしまうところだった大問題ではないか!
・・・・
1:ところが、自治基本条例の「市民検討委員」中の門真市民の内で、こういう経過を正
 しく知ってる人は竹内さんら2人のみ!(合併反対運動の当事者)
  深い考えも無しに合併賛成に回っていたであろう人が若干名。

  他の圧倒的多数の市民委員達は、これほどの大闘争を何も知らなかったり、「門真市
 民は合併賛成だったが守口市民が住民投票で合併反対を示したので合併しなかった」と
 いう全くのデマを信じ込んでいたりで、その無知無関心ぶりはお話にならない状態だっ
 た。

  2002年春から「総合計すると門真市民の数倍にも上る住民を含む事になる合併推進の
 諸団体署名」が出されたりしたし、以降2年半の間に合併反対慎重側は全戸配布ビラを
 10回近くは行なったし2003年市議選、2004年春の「合併問題での住民投票条例制定
 直接請求運動」を経て2004年9/17に住民投票実施など全住民に聞こえないはずがない
 大事件大運動が起こっている。
 
 それなのに「合併反対運動を知らない・およその経過すら覚えていない」のであれば、
 その市民の意識の持ち方の方に大きな欠陥があると言わざるを得ない。
・・・・・・
4:当時の自公政府の圧力の下、門真市長を先頭にして市役所全体と議会の与党4会派の
  全て、「町のボス連中」のほとんど全てと創価学会が全力を挙げて合併を煽る中で、
 この「うかつにモノが言えない雰囲気」の中でも、多くの市民がそれに反発して直接請
 求署名1万2千人を集めて住民投票条例案を議会に上げた。

  さらに特筆すべきは250名もの市民がビラや戸田HPで実名と居住町名を挙げて合併
 反対の意志を表明した事だ!
  (この250人の中には合併反対で動いた市職労や共産党系団体の市民はほぼ皆無で、
    戸田ら数人を除けば全て無名の一般市民!)
      ↓↓↓
      証拠:「合併反対!門真市民の会」氏名公表会員一覧(04/08/02現在)
       http://www.hige-toda.com/_mado04/gappei/siminnokai/list.htm
 
 これらの市民の決起は石碑に刻んで残されるに値する「住民自治実践の証」である。

5:ところが、こういう直近の重大な「住民自治の実践例」を何ら知らず・考えずに自治
 基本条例づくりは進められてきた。
  この事はお話にならない程重大な欠陥である。
・・・・・
8:自分のまちを守った歴史的な闘争に無知であるのは、現段階での市民意識が未熟であ
 るという事だが、その事自体ははっきり見据えつつ、その未熟さは今後自治基本条例が
 制定され、住民自治の活動が豊富化する中でやがて克服されていくだろう、との展望を
 戸田は持つ事にする。
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――

>100点満点の人材なんて居ません。お互い、50〜70点で、それもそれぞれ持ち味
>あって、得意不得意ありますので、弱みを補完し合い、強みを活かし合う、それが協働
>だと思います。
↑↑↑
 戸田もその通りだと思います。

>ことさら敵を作るのは、市会議員さんとして達成したい目標あるでしょうから、
  ↑↑↑
 これはかなり誤解だと思います。
 ただ私は何事であれ、デタラメな事実認識や無知に基づいて大事な論議が行なわれる事
を放置したり、それに追随する事は出来ないのです。

 強いて「市議として達成したい事」として言うならば、「何であれ、物事を論議するときには確かな事実に基づいて行なう(デマや無知を土台にした論議はしない)という習慣を普及する事」という事でしょうか。

 「合併阻止闘争」というのは心ある門真市民・守口市民が一体になった闘いです。
「守口市だけで住民投票成立(投票率51%)で合併阻止できた」のは最善の勝ち方ではなかったですが、「次善の勝ち方」であり、心ある門真市民・守口市民全体の勝利です。

 直接請求署名を行なった門真市の1万2千人、それを集めた人々、そしてビラやHPで
実名と居住町名を挙げて合併反対の意志を表明した250名の門真市民達は、門真市を守った「現代の義民達」であるはずです。

 しかしその事が正当に認識されずにいる事を戸田は非常に嘆かわしく思っています。
 また戸田は門真市の人に対しては常に
   「あなたはあの時何をしていたのか? どういう立場を取っていたのか?」
を心の中で問いかけて、その人の言動を判断する重要な材料にしています。

 現在的には遺憾ながら「塗りつぶされた近過去」になっていますが、やがては「門真市を守った市民の大闘争」として広く正しく認識されていくだろうとの希望も持っています。
 合併問題の最初から最後までの全記録(公式文書・運動文書・宣伝物・映像・音声記録・新聞記事等々)が戸田HPと戸田事務所に存在していますから、やがてはそれを研究して整理発表してくれる「郷土史家」も現れる事でしょう。

 年上の悠々さんに口はばったい事を言ったかもしれませんが、ご理解をお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

▼悠々さん:
>自治基本条例で、戸田議員さんのご意見を披露される折、
>ことさら、市民を未熟扱い等し、こき下ろす必要などないと考えています。
>戸田議員さんが思う内容で、市民案にないからと言って、市民をこき下ろす必要ないです。
>気がついたこと、さらに良くなると思うこと、さらりと提案して下されば良いのです。

>そうすれば、さすが戸田議員さんと、市民も賞賛するでしょう。
>戸田議員さんご承知のように、100点満点の人材なんて居ません。
>お互い、50〜70点で、それもそれぞれ持ち味あって、得意不得意ありますので、
>弱みを補完し合い、強みを活かし合う、それが協働だと思います。

>ことさら敵を作るのは、市会議員さんとして達成したい目標あるでしょうから、賛同する市民が減るだけだと思います。
>私、戸田議員さんより少し年長ゆえ、また、門真を良くする議員さんとして期待してる市会議員さんですので、あえて苦言申し上げました。
>自治基本条例で、真摯に頑張ってくれてる市会議員さんだからこそですので、お許し下さい。
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★2013年6月議会:戸田が「幣原氏が戦争放棄を発案した」との資料提示して質問!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 10:27 -
  
 この時期に戸田は「憲法9条は,日本側からGHQに押し付けた妙策だった」というネット記事 http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html を読んで衝撃を受け、
幣原氏への認識が劇的に深化した!

 そしてそれを門真市の市長や教育長らにも、議員達にも伝えて、門真市を「平和憲法擁護都市」にしていく事を訴えていった。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎2013年6月議会特集→http://www.hige-toda.com/_mado05/2013/06gikai.html
 この議会特集で、戸田は
    ★画期的!門真市議会の全音声記録を初めて入手し公開!
 として、「議会の音声動画」を作ってアップしている。(膨大な手間をかけて!)

 2013年は「第二次安倍政権」が始まった年で、「憲法改悪のきな臭い動き」が強まったがゆえに、戸田としても「改憲阻止!」、「門真という地域からも広範な護憲の意識を作ろう」という意識から、「門真の偉人=幣原喜重郎」への関心が高まって、

「幣原喜重郎をキーワードにして、超党派的な護憲の意識を門真で広めよう」、という目的意識を持って議会質問を行なった。

▲「戸田の幣原氏認識の劇的深化」については、「戸田の一般質問の最終部分」に如実に
 示されている。
   ↓↓↓
 ・・・・ちょっと前まで私は、日本国憲法は、戦後革命の敗北を根底とし、日米安保と
 セットで制定されたブルジョア憲法であり、幣原喜重郎氏は所詮はブルジョア政治家内
 のリベラル派に過ぎない、と軽んじる所があったのですが、
  今は、歴史条件の組み合わせの中で世界史的使命を帯びたものとしての憲法9条と、
 幣原喜重郎氏の重さを深く認識するようになりました。

  天皇制の存続か廃止か、では私と幣原氏の意見は全く異なりますし、幣原氏は日米地
 位協定や日米安保の問題への認識は無かったわけですが。

  さて、「もし私たちが空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと
 言われるならば、出来もしない事を考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。
 「その通りだ」と。」

  これはチェ・ゲバラの言葉ですが、幣原さんは「世界は我々が現実に即さない夢想家
 だと言って、あざけり笑うでしょうが、百年後には我々は予言者と言われるようになる
 でしょう。」と言っています。
  ゲバラと共通した、革命的信念に満ちた素晴らしい言葉ではないでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
参照:
◎短くも波瀾万丈で緊張と充実の6月議会が終了した。締めは戸田の名演説で
    戸田 - 13/6/7
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7810#7810

★戸田の一般質問原稿(2)(幣原喜重郎と憲法問題、再質問)聞かせる名演説だっ
 た!    戸田 - 13/6/7(金) 20:02 -
 http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7817;id=#7817

<項目4:憲法9条を発案し、貫いた幣原喜重郎の見識と憲法の擁護遵守義務について>

Q1:私は「憲法9条は,日本側からGHQに押し付けた妙策だった」というネット記事を読
  んで衝撃を受けました。
   これは、門真の偉人:幣原喜重郎元首相の側近であった元衆議院議員平野三郎氏
  が、1951年の幣原氏逝去の10数日前に幣原氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれ
  た事情について、総理府憲法調査会事務局が1964年2月に印刷に付したものを紹介す
  る記事でした。
   この幣原氏聴取記録は、2004年11月10日の第161回 国会参議院憲法調査会でも引
  用されたものです。

   私が何に衝撃を受けたかというと、

 1)憲法9条は幣原氏が一人で発案し、それを確固たる世界観と緻密な将来見通しを持
   って、かつ巧妙精緻な手法でGHQに押しつけて了承させ、それをもって日本政府
   にも了承させて作成した、という点

 2)幣原喜重郎氏が単に「理想的平和主義の人」であったのではなく、国際政治におけ
   るレアルポリティクの世界、国際交渉が権謀術数の世界である事を知り尽くし、
   数々の修羅場をくぐった凄さを持った政治家でもあ事、という点。

 3)「戦力放棄という非武装平和主義の憲法9条」に対するあらゆる危惧や批判、
   揶揄、逆行をこの時既に想定し、それへの反論対応を十分に確立していた、という
   点です。

 以下に、質問者の平野氏と幣原氏の応答を少し要約的に抜粋して紹介します。

 問:日本だけが(軍隊を持つ事を)やめても仕様がないのではありませんか。

 答:実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。
    世界政府とまでは行かなくとも、少なくも各国の交戦権を制限し得る集中した武
   力がなければ、世界の平和は保たれない。

    戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、この条件の下で各国の
   軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された
   武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよ
   りも強力である、というような世界である。
     ローマ帝国や、徳川三百年のように。

    このことは、今まではやれなかった。
    しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋が
   来たと僕は信じた訳だ。

  問:日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところで・・・

  答:負けた日本だからこそできることなのだ。
    国家というものは極端なエゴイストである。
    原子爆弾は世界中に拡がり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめら
   れるだろう。
    それでもなお各国は異口同音に言うだろう。
    「自衛のためには力が必要だ。」、「相手が持っているものは自分も持たねばな
   らぬ。」

     要するに軍縮は不可能である。
     唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば、世界が一せいに一切の軍備を廃
    止することである。
     しかしこれも不可能なことだ。

     ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。
     次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。
     もしこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。

     だが今では「正気の沙汰」とは何かということである。
     武装宣言が「正気の沙汰」か?それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考
    え抜いた結果もう出ている。

     要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。
     これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。
     その歴史的使命を日本が果たすのだ。

  問:やがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。敵が口実
    をつけて侵略したらどうする訳ですか。

  答:僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。
    僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。
     その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論によって裏
    付けされたものでなければならない。

     そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。
     要するにこれからは世界的視野に立った外交の力によってわが国の安全を守る
    べきで、だからこそ死中に活があるという訳だ

  問:憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。

  答:・・・僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。
    情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳であ
    る。
     憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそうい
    う形でなかったら実際に出来ることではなかった。
     そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したの
    だ・・・
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  紹介はこれで終えますが、自分がこういう重大な事を知らず、幣原氏の真の凄さを知
 らずにいた事を恥ずかしく思い、かつそれら知った嬉しさを強烈に感じたので、これは
 ぜひ多くの人達にも知ってもらいたいという思いに突き動かされて、5月9日に、園部
 市長や副市長、各部長、全ての議員にこの記事のコピーを進呈しました。

  これを読んだ市長や副市長、各部長の人達も、その大半は、今までは「憲法9条は、
 幣原氏が一人で発案して、日本側からGHQに、いわば押し付けたものだった」事を知らな
 かったのではないでしょうか?

  幣原氏の政治哲学や人間としての凄さを、今まで十分には知らず、この記録によって
 目を拓かれた、という思いを抱いたのではないでしょうか?
  園部市長らの率直な所を聞かせて下さい。

Q2:幣原喜重郎氏の見識や業績の数々、最新の知見について、市民への継承はどうなさ
  れているでしょうか?
   本件資料は、歴史資料館で展示されているでしょうか?

Q3:憲法公布の1946年から既に67年、憲法制定経緯については全て知り尽くされて、今
  さら新しい事実など出て来ないものと思っていましたが、先般、憲法や戦後史を研究
  している学者の話を聞いたら、まだまだ究明すべき事が山積しているとのことでし
  た。

   幣原氏の業績については、歴史資料館を中心にして、新しい知見を積極的に収集
  し、市民に公開したり、分かりやすく展示したり、勉強会を開催したりしていくべき
  と思いますが、どうか?

   また、市職員や学校教員を対象とした研修会も実施していくべきと思いますが、
  どうか?
   子ども達に今まで以上にしっかり伝えていく事については、どうか?

Q4:憲法99条では「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員
  は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と定められています。
   つまり「全ての公務員は憲法を尊重し擁護する義務を負う」わけであり、公務員た
  る者は、当然にも
    ・「『憲法を尊重し擁護する』とはどういう事か?」
    ・「『憲法を尊重し擁護する義務に違反する行為』とはどういうものか?」
  を知っていないといけないはずです。
  
   もしそれを知らないとすれば、それ自体が公務員の憲法義務に反している事になる
  はずですが、どうか?

   「憲法を尊重し擁護する義務に違反する行為」の具体的に想定できる例を2つか3
  つ挙げてみて下さい。
              
Q5:日本国の公務員が、日本国憲法について
    「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付
     けた元凶である」
   と公衆に向けて公開的に非難する行為を行なった場合、
   これは明白に「公務員の『憲法を尊重し擁護する義務』に違反する行為」だと判断
   されるはずですが、どうか?

   これを「公務員の憲法違反行為」と認定出来ない理由などあり得ないはずですが、
  どうか?
 
Q6:「日本国憲法、とりわけ憲法9条を発案創設した幣原喜重郎の生地=門真市」とい
  うポジションは、全国や世界各地の人々を門真市に呼び寄せる題材として大変有効な
  ものであるはずであり、門真市の活性化、地域経済への貢献にも大いに役立つはずで
  す。
   幣原喜重郎の業績展示の施設の充実、説明ガイドの養成、などを、たとえば民間
  NPOや住民研究家などと共同して検討し、やがては「幣原喜重郎の業績探訪ツア
  ー」などが組まれていくようにするべきと思いますが、どうか?

Q7:一時期、6月市長選に維新の会公認候補が出る動きがあったので、それへの対抗の
  ためか、自民党防衛族の石破茂幹事長と園部市長とのツーショット写真ポスターが市
  内各所にデカデカと貼り出され、園部市長=憲法改訂、私から言えば「改悪」、9条
  改変急進派の自民党、というイメージが非常に色濃く感じされるようになって
  いますが、これについては、いかがなものか、と私は思います。

   さまざまな考えを持つ市民全体の上に立つ市長という立場にある者は、たとえ特定
  の政治主張や政策を持つ政党の一員であっても、ある程度の部分は政党色を自省する
  事も必要なのではないでしょうか?

   とりわけ幣原喜重郎生誕の門真市の市長であるからには、安倍自民党の改憲路線と
  は一線を引いて、日本国憲法の擁護、特に憲法9条の擁護遵守の姿勢をはっきり打ち
  出して、市の内外に示してもらいたいものです。

   園部市長の考えはどうでしょうか? 
   今回、幣原喜重郎氏の奥深い見識を読んで知った者としての考えを示して下さい。
                              残り2分19秒!
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<再 質 問>

 脱原発PPS電力でも、中央小工事問題でも、選管問題でも、かなりの前進が確認できました。

 また、「日本国憲法は、日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である」という主張を公務員が公言するのは憲法違反だ、との明言もありました。
 これは言うまでもなく、橋下や石原ら日本維新の会の憲法違反を痛切に批判した事であり、門真市が全国の公機関の中で、初めて明言したものです。これも非常に先進的な事です。

 最後に、私の認識を率直に述べておきます。
 私は21世紀型社会主義革命を本気で目指す活動家ですから、当然、日本国憲法を社会主義の憲法に深化発展させるべきと考えています。

 しかし、資本家勢力・右派勢力による憲法改悪策動を粉砕するべく、当分の間は断固護憲であり、今の改憲手続きはずっと堅持すべきものと考えています。

 ちょっと前まで私は、日本国憲法は、戦後革命の敗北を根底とし、日米安保とセットで制定されたブルジョア憲法であり、幣原喜重郎氏は所詮はブルジョア政治家内のリベラル派に過ぎない、と軽んじる所があったのですが、今は、歴史条件の組み合わせの中で世界史的使命を帯びたものとしての憲法9条と、幣原喜重郎氏の重さを深く認識するようになりました。

 天皇制の存続か廃止か、では私と幣原氏の意見は全く異なりますし、幣原氏は日米地位協定や日米安保の問題への認識は無かったわけですが。

 さて、
  「もし私たちが空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われ
   るならば、出来もしない事を考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。
  「その通りだ」と。」

  これはチェ・ゲバラの言葉ですが、幣原さんは
   「世界は我々が現実に即さない夢想家だと言って、あざけり笑うでしょうが、百年
    後には我々は予言者と言われるようになるでしょう。」
  と言っています。
   
   ゲバラと共通した、革命的信念に満ちた素晴らしい言葉ではないでしょうか。

  この幣原さんの言葉をみなさんに伝えて、園部市政2期8年最後の、私の一般質問を
 終わります。
  ご清聴ありがとうございました。

     ・・・2分20秒・・・ 
  ◆1回め質問17分41秒+再質問2分20秒=20分01秒
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

△この6月議会戸田質問への市と市教委答弁:幣原業績継承と護憲の姿勢を示す良い答弁
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 10:34 -
  
▲稲毛総合政策部長の答弁原稿(憲法9条をGHQに押しつけた幣原喜重郎と護憲問
 題)    戸田 - 13/6/12(水) 13:38 -
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7826;id=#7826

<項目4:憲法9条を発案し、貫いた幣原喜重郎の見識と憲法の擁護遵守義務について>

への答弁は、総合政策部の稲毛雅夫部長と総務部の森本訓史部長、教育委員会・生涯学習部の柴田昌彦部長とが、それぞれの分野で答弁した。
 まず、戸田質問の後に答弁のトップバッターに立った稲毛総合政策部長の答弁から先に紹介する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【稲毛雅夫 総合政策部長の答弁 】

 戸田議員ご質問の一部につきまして、私より、ご答弁申し上げます。
 まず、9条を発案し貫いた幣原喜重郎の見識についてであります。

 戸田議員より情報提供を受けた資料を読んでの率直な感想及び考えでありますが、一言で申し上げれば、「改めて、郷土の偉人の考えと実践力に感嘆し、誇りに思う」ということであります。

 幣原喜重郎の功績につきましては、市史編纂時に、郷土史家の方々が、幣原兄弟について検証する会を結成し様々な研究を残されており、その結果として、
幣原喜重郎は、「平和憲法制定に貢献した郷土の偉人」と位置付けられ、市史にもその結果が色濃く反映されております。

 「平和外交」の象徴として教科書にも掲載されてきた幣原喜重郎でありますが、彼が
自らGHQにもちかけて、日本国憲法9条を発案し、戦争の放棄が明記されたという話は、
昨今、認識が乏しかったものであり、資料にある記述の史実は、埋もれていたとすると「郷土の宝」の発掘といえるものであります。

 後日、確認、調査を行い、この資料の史実に光をあて、後世に確実に伝えていけるよう対応してまいります。

 次に、日本国憲法の擁護、憲法9条の擁護遵守の姿勢についてであります。

 昨今、憲法96条や9条の改憲を巡って、押し付けられた憲法は改正すべし、戦争放棄は
問題である等の論議が取りざたされておりますが、大切なことは、我が国が経済や政治、
文化等において国際的に確固たる地位を確立した状況で、かつ、国民の議論がしっかりとなされ、民意が熟された下で、判断していくべきことであると認識いたしており、早急な改変については問題であると考えております。

 もとより、現行憲法の下で、市民の皆様の福祉の増進を図る使命がある地方自治体として、平和な社会の構築なくして、市民の皆様の幸福度の向上はあり得ないと考えており、憲法を擁護する立場に変わりはありませんので、ご理解賜りますようお願い申し上げます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

▲森本総務部長の答弁原稿(憲法9条をGHQに押しつけた幣原喜重郎と護憲問題)
   戸田 - 13/6/12(水) 13:41 -
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7827;id=#7827

【森本訓史 総務部長の答弁】
 
 次に、憲法9条を発案し貫いた幣原喜重郎の見識と憲法擁護遵守義務についてであります。

 まず、幣原喜重郎の業績についての市職員を対象にした研修会でありますが、現在、
新規採用職員研修で歴史資料館の見学と職員からの講義の時間を設けており、今後も継続してまいります。

 次に、日本国憲法99条における公務員の憲法尊重・擁護する義務につきましては、
公務員が公務に従事する際の心構えを宣言したものであり、公務員に任用される際にも同趣旨の宣誓を行っておるところでございます。

 仮に「憲法遵守、擁護する義務について知らない」ということであれば、法に基づく
宣誓に背くものであり、憲法違反につながるものと考えられます。

 憲法遵守・擁護する義務に違反する行為の具体例につきましては、基本的人権を侵す
行為やそれを容認すること、合憲法的に成立した政府を暴力でもって破壊する行動やこれを容認することなどが考えられます。

 次に日本国憲法について「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め(おとしめ)、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である」、と公衆に向けて公開的に非難する行為についてでありますが、

 公務員という立場での行為につきましては、憲法違反に値する行為であると考えておりますので、よろしくご理解賜りますようお願い申し上げます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

▲柴田生涯学習部長の答弁原稿(憲法9条をGHQに押しつけた幣原喜重郎と護憲問
 題) 戸田 - 13/6/12(水) 13:51 -
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7828;id=#7828

<項目4:憲法9条を発案し、貫いた幣原喜重郎の見識と憲法の擁護遵守義務について>

への答弁原稿のうち、最後の柴田昌彦 生涯学習部部長の分を紹介する。
 答弁対象は、「門真市歴史資料館」も所管する教育委員会として、幣原氏の業績の市民・職員・子ども達への継承や、業績展示の施設の充実、説明ガイドの養成、などの点になる。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【柴田昌彦 生涯学習部部長の答弁】

 戸田議員ご質問の「憲法9条を発案し貫いた幣原喜重郎の見識と憲法の擁護遵守義務について」のうち、一部についてご答弁申し上げます。

 まず、幣原喜重郎の見識や業績の数々、最新の知見の市民への継承についてであります。

 幣原喜重郎の業績における市民への継承についてでございますが、歴史資料館におきましては、常設展示といたしまして、『「幣原家」の足跡を訪ねて』を開催し、その一部として、平和外交など平和主義を貫き憲法の草案づくりに寄与したといわれる幣原喜重郎の業績を紹介いたしております。

 また、「門真市文化財ガイドマップ」や「門真市くらしの便利帳」においても業績を掲載いたしております。

 今後、ホームページや広報を通しましても、周知に努めてまいりたいと存じます。
 なお、議員ご指摘の本件資料については、展示いたしておりませんが、最新の知見についても、今後資料収集に努めてまいります。
 
 次に、歴史資料館を中心とした勉強会などについてでございます。

 幣原喜重郎に関する資料については、自宅が戦火により焼失したことによりほとんど残っていないのが実情でございますが、現存する資料について、できる限り展示を通して市民に公開いたしますとともに、幣原喜重郎に関する知識を得ていただくために、歴史講座等の開催についても検討いたしてまいりたいと考えております。

 また、各小学校においては、郷土学習として3年生全員が幣原喜重郎の碑を訪れるとともに、副読本や歴史資料館で幣原喜重郎の業績についても学習いたしております。

 教員に対しましては、新任・転任者研修の一環といたしまして、幣原兄弟の顕彰碑を訪れており、今後は、「歴史資料館」の見学もプログラムに加え、幣原喜重郎の日本国憲法制定に果たした役割等について一層の周知を図ってまいります。

 次に、幣原喜重郎の業績展示の充実、説明ガイドの養成についてでございます。

 先ほど、ご答弁申し上げましたように、歴史資料館での展示内容の工夫と併せまして、
市内の歴史的な文化資源を再確認していただくことで、門真に対する帰属意識を更に強め
ていただくためにも、散策ツアーなどは非常に有効であると考えており、歴史講座やサークル活動をとおして知識を身につけた方を語り部として養成し、ガイドとしてご活躍いただくことも考えております。

 その中で、歴史資料館の常設展示や顕彰碑の見学も盛り込んだものといたすべく検討してまいりたいと考えておりますので、よろしくご理解賜りますようお願い申し上げます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

◎2015年8月、安保法制反対運動勃興の中、幣原氏が戦争調査会設置した業績に光が!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 11:10 -
  
 「2015年8月」と言えば、「憲法破壊の安保法制国会審議」で安保(戦争)法制反対運動が各地各層に燎原の火のように燃え広がり、万余の国会前集会が続き、あの歴史的な「8/30(日)国会12万人結集」がなされた時である。
   ↓↓↓
 http://www.hige-toda.com/_mado04/jieiken/jieiken_index.htm (写真・動画多数)
   ★「55年ぶりの国会前車道占拠」に遭遇し感涙 !赤旗の特報写真は戸田車上から
     撮影! 戸田 - 15/9/1(
   http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=9302;id=#9302

 この「憲法破壊に反対する熱い8月」に、幣原喜重郎の業績に新たな光が当てられた。
それが、「敗戦直後に戦争の原因と実相を調べる調査会を設置した」という業績である。
   ↓↓↓
◎門真の総理=幣原(しではら)さんは戦争の原因と実相を調べる調査会も作っていた!
    戸田 - 15/8/20(木) 3:54 -
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=9278#9278

「門真の偉人=幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)」と言えば、降伏直後の総理大臣で、「戦争放棄」の強い情熱を持って平和憲法作定にあたった人として有名だが、
  ◎幣原喜重郎元首相の生誕地(PDF:786.6KB)
      http://www.masse.or.jp/ikkrwebBrowse/material/files/200907_pc3.pdf
実はそれだけでなく、敗戦直後に日本人自身の手で戦争の原因と実相を調べるための調査会=「大東亜戦争調査会」というものを設置した人でもあった!
 その事が阿修羅掲示板記事に書かれていたので、備忘録としてとりあえず投稿しておく。

 この件、「日本近現代史の歴史家」の人が「最近、印象的な史料に出会いました」、と書いているくらいだから(戸田は全くの初耳)、もしかすると門真市立歴史資料館の幣原資料展示でも触れられていないかもしれない。
 門真市の市長や教育長も、議員も市民も、知らないだろうと推測する。
 とても重要な事なので、以下に紹介する。
    ↓↓↓
◎(戦後70年)「あの戦争」とは 日本の近現代史を研究する歴史家・加藤陽子さん:
  「敗戦責任」論は必要不可欠な過程
    http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/925.html
   投稿者 あっしら 日時 2015 年 8 月 20 日

(戦後70年)「あの戦争」とは 日本の近現代史を研究する歴史家・加藤陽子さん
[朝日新聞]2015年8月5日05時00分

 「あの戦争」とは何だったのか。戦後の70年は日本人にとって、そう自らに問い続ける時代でもあった。そして、70年たった今も、戦争の原因や責任をめぐり、様々な論議が交わされている。私たちはこれから先も、あの戦争の意味を考え続けていくことになるのだろうか。歴史家として戦争を見つめてきた加藤陽子さんに聞いた。
 (中略)
 「占領期の国民がどう考えていたかについては、最近、印象的な史料に出会いました。降伏直後の45年秋に幣原喜重郎内閣が、大東亜戦争調査会というものを設置しています。戦争の原因と実相を日本人の手で調査し、記録に残すことを目的にした機関でした」

 「幣原首相はその記録を『後世国民を反省せしめ納得せしむる』ものにしたい、と発言していました。戦勝国にせよ敗戦国にせよ戦争は引き合うものではないのが現実であり、その参考になる記録にする、とも。

 また、戦前に鉄鋼増産の立案に携わった水津(すいつ)利輔は46年5月に調査会で、『来(きた)るべき平和的、文化的世界に対して日本は一つの贈り物がある』と語っていました。贈り物とは、自ら『失敗原因の報告』をすることである。水津はそう発言しています」

 「連合国側の意向で、後に調査会の試みは中止させられました。ただ私は彼らの発言を読み、身についた言葉だと感じました。日本国民が戦後に到達していた一地点を示すものだと思います」
  ==============================================================
2015年08月04日 (火) [NHK総合]
視点・論点 「シリーズ「戦後70年」 戦前史を学ぶことが なぜ必要か」
東京大学教授 加藤陽子

・・・・以上、戦前の歴史を学ぶことの意味を二点にわたって考えてきました。
 最後の三点目として指摘したいのは、今に連なる戦後というものが、戦前の反省の上に始まった、という歴史的事実の重みです。
 この点について、「戦争調査会」を例に説明しておきましょう。
 戦争調査会は、1945年10月、幣原喜重郎内閣総理大臣を総裁として、内閣に設けられた調査機関でした。

 会の目的は、敗戦の原因と実相を明らかにすることにおかれ、日本の犯した「大なる過誤を、将来において繰り返さないため」に、永続的な調査が必要だとしてスタートしたものでした。
 1946年3月に開かれた第1回の総会で幣原が述べた言葉を紹介しておきましょう。
 まずは、戦争放棄について、こう述べています。

 「今日我々は戦争放棄の宣言を掲ぐる大旗をかざして、国際政局の広漠なる野原を単独に進み行く」ものだと。

 その上で、「戦争の原因及び実相を調査致しまして、其の結果を記録に残し、以て後世国民を反省せしめ、納得せしむるに、充分力あるものに致したい」。記録を残すことの重要性を説いていました。

 また、同年4月の第2回総会における幣原の言葉も大事です。
 「戦勝国にせよ、戦敗国にせよ、戦争が引合うものでない、此の現実なる参考を作る。〔中略〕将来、我々の子孫が戦争を考えないとも限らない。その時の参考に今回の資料が非常に役立つ様な、調査をせねばならぬ」。
 このように幣原は意気込んでいました。

 ただ、不幸なことに、調査会の活動は中止を余儀なくされます。
 連合国軍最高司令官マッカーサーの諮問機関であった対日理事会のうち、ソ連とイギリスの代表が、1946年7月、解散勧告を行ったからです。
 その理由は、「戦争の原因を尋ね、これを処罰する仕事は国際軍事法廷の任務に属する」、というものでした。

 戦争調査会の挫折は、日本国民にとりましても、日本の戦争で惨禍を蒙ったアジアの人々にとりましても不幸なことでした。
 ただ、調査会にかけた幣原が、極めて早い段階で、戦争抛棄の精神を明らかにし、日本人の「反省」の仕方の道筋を付けていたことは注目に値します。
 過ちは繰り返さないと誓い、戦争は引合うものでないとの参考を作るところから、戦後は始まったのです。
   http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/224424.html
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◎関西を歩く:大阪府門真市の門真市立歴史資料館「幣原家の足跡をたずねて」
  http://4travel.jp/travelogue/10924769
 門真市立歴史資料館は門真の歴史に関する資料を収集・保存、展示公開している。常設展「幣原家の足跡をたずねて」は門真市が誇る偉人のコーナーだ。

 幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう、1872−1951年)は日本の外交官、政治家。
 内閣総理大臣(第44代)、外務大臣、衆議院議長(第40代)などを歴任し日本国憲法の草案作成に携わったことで知られている。
 国際協調路線は「幣原外交」とも称され軍部の軍拡自主路線と対立し1931年の満州事変後国際協調路線を唱える幣原は軍部から「 軟弱外交 」と批判を受け辞任に追い込まれた。

 表舞台に返り咲くのは終戦後の1945年昭和天皇の命を受けて首相に就任し連合国軍総司令部(GHQ)の占領下で憲法草案作成に取り組みその後衆議院議長に就任し現職のまま78歳で亡くなっている。
 門真市立歴史資料館には幣原家ゆかりの史料が約五十点展示されており説明資料も詳しい。
 幣原家は元来 石清水八幡宮 の御幣をつくる家であったそうで門真村の豪農で庄屋だったとのこと。

 大阪府出身の総理大臣経験者は幣原喜重郎(第44代内閣総理大臣)と鈴木貫太郎(第42代内閣総理大臣、海軍大将)の2人。

 鈴木貫太郎は堺市中区伏尾(関宿藩の飛び地)で1868年に生まれ3歳の1871年に本籍地である千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)に居を移し育っているので先祖代々の大阪の地で生まれ育って総理大臣になったのは幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう、1872−1951年)一人だけで、昭和天皇も認める平和主義者であったことで門真市が誇る人物であることはよくわかる。
  (写真は門真市立歴史資料館)
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◎守口門真の謎・疑問・情報を探求するもりかど探偵団。
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  2013年04月26日 第44代内閣総理大臣 幣原喜重郎
   http://tanteidan.seesaa.net/article/357336903.html

 総理大臣になるには・・・なんて考えたこともない中庭です。
 幣原兄弟の顕彰碑は実は幣原さんの家の跡だったんですねぇ。しかも願得寺は幣原が通ってた小学校があったところだったなんて!!毎日30分強かけて通学してたんですねぇ。
 70歳で総理大臣・・・すごいですねぇ。

 今回は改めて門真市出身の偉人、幣原喜重郎のことが学べて良かったです。
 かめっちこと亀田しょうこです
 今日は門真出身の英雄、幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)がテーマでした
 この人は第44代内閣総理大臣に就任したすご〜〜い人なのです

 私は門真市立歴史資料館にて常松先生に幣原喜重郎について伺ってきました
 喜重郎は幣原家の次男として生まれ、東京帝国大学(今の東京大学)に進学しました。
 戦前には外交官・外務大臣として「協調外交」を展開し、戦後には44代内閣総理大臣に就任しました。

 実は内閣総理大臣就任を一度は断っていた喜重郎。高齢の身だったからです。
 ですが天皇から再び内閣総理大臣就任を命じられ、44代内閣総理大臣に。
 幣原内閣には次の総理大臣になる吉田茂も入閣していました。
「日本国憲法改正草案要綱」を発表するなど、日本の民主化を実現するために努めました。

 そんな喜重郎の家族や幣原家の歴史について改めて門真市立歴史資料館にある常設展「幣原家」の足跡を訪ねてリポートに

 喜重郎の父は厳格な教育者だったようですが、「田畑を売り払ってでも教育にはお金をおしまない」という方針の愛情たっぷりの素晴らしい父でした・・・
 当時の幣原家を再現した模型や、喜重郎が実際に使っていたステッキなども展示されています

 もっと知りたい方はぜひ行ってみて頂きたいです(入場無料です)
 門真市立歴史資料館 常設展「幣原家」の足跡を訪ねて
 門真市立歴史資料館へのmap↓
http://www.city.kadoma.osaka.jp/kyoiku/shisetsushokai/bunka_shisetsu/rekishi_siryo.html
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

★「門真でも・門真だからこそ出来る超党派の護憲共同」の結集軸が「幣原喜重郎」だ!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 13:46 -
  
 「立憲主義破壊・極右全体主義かつ米帝追随売国のアベ政治」に反対する広範な国民運動を作る、自民党や公明党の(今や数少ない)良識的穏健派も含めてそのような結集を作るという「切迫した課題」について、
「門真市ではどうするのか?」、という応用問題が突きつけられている、と戸田は痛感した。

 戸田はいろんな運動情報に日常的に触れ、共産党の赤旗日曜版の読者でもあるから、いくつかの自治体議会で
  A:「安保法制について慎重審議を求める意見書」の採択
      ・自公の議員もそれに賛成して「全会一致」の場合、
      ・「賛成多数で可決」の場合、
  B:「安保法制に反対する意見書」の採択(少数の議会だが)
      ・「全議員賛成」は無かったと思うが、「自民党議員も賛成して可決」のと
       ころはごく少数ながらある。 

という事が起こっているのは知っていた。

◆共産党は盛んに「保守のみなさんとも共同して採択された!」とか、「自民党議員も賛
 成して採択された!」、と宣伝して
 「あなたのまちでも戦争法反対の幅広い共同を進めましょう!」と赤旗で訴える。

 なるほどそれは全く正しい事であり、戸田も以前から考えてきた事だ。

▲問題は、「それを門真市議会で進めるにはどうするのがよいか」、という事である。

1:門真市議会では幸いな事に「アベ政治的な極右派議員」はいない。
  安倍自公癒着政権支持の自民党議員、公明党議員は与党多数派だし、右翼全体主義
 の橋下維新の「公認議員」や「別働隊議員」(緑風クラブ4議員)もいるが、
 それぞれの議員は皆、個人信条としては(理論矛盾しているが)「大枠では穏健保守」
 に分類できる。
  ※緑風クラブの一部に右翼の「日本会議」所属議員や「日本会議と親密な『親学』」
   信奉議員もいるが。

2:しかし、門真市の公明党・自民党・緑風クラブ議員達の今の意識状況では、安保法制
 について「慎重審議を求める意見書」への賛成は全く望めない。
  「安倍政権が正面切って打ち出す重要政策に対して、正面切ってブレーキをかける」
 種類の意見書への賛同に持っていく事は、少なくとも現在の世論状況程度では無理だ。

3:しかし、◆「平和憲法を作った門真の偉人=幣原喜重郎の業績を称える」という事で
 あれば、これに反対する議員は誰もいない。
  ここに「超党派的な護憲共同」の鍵がある!

  「郷土の偉人」の力はやはり偉大である。
  「今の憲法は押しつけ憲法だから変えるべきだ」というデマ政治の上に立つ自民党や
 「日本会議」の議員であっても、「幣原喜重郎なんて反日分子だ!」とか「幣原喜重郎
 の業績を称えるなんてとんでもない!」とかを主張する議員は誰もいない。
   (※他自治体ではそんなバカ右翼議員がいる議会があちこちにあるが。)

4:「安保法制反対」や「アベ政治反対」は無理でも、
 「立憲主義を守ろう」とか、「憲法の平和主義を守ろう」、
 「憲法9条の改悪には反対」
 ぐらいの文言であれば、門真市議会での採択は十分に可能だと思う。

  たしかに自民党は「憲法改正が党是」ではあるが、「幣原喜重郎を輩出した門真市」
 の自民党議員が「立憲主義は守って当然」、「憲法9条の『改悪には反対』」との立場
 に立つ事は十分に可能なはずだ。

 ◆またそれは、自公の市議にとっては、国政レベルでは「壊憲極右・生活破壊のアベ政
  権」の推進役でありしもべでありつつつ、市政レベルでは「壊憲極右派ではない穏健
  良識主義で門真の偉人を大切にする市会議員」としてのイメージを出せる事でもある
  ので、「決して損ではない選択」である。

   ▲政党の上部から締め付けがあったとしても「地域の選挙事情で」という「言い
    訳」も成り立つし(笑)。
   
5:★幣原喜重郎の業績の啓発継承を市が積極的に行なう事が、
    「市民や子ども達に誇りを生み、門真市を愛する気持ちを育む」、
    「門真市の品格と魅力向上にも寄与する」
  事は「誰も否定できない事」である。

 ◆「もともと都市間競争(こんな言葉は戸田は大嫌いだが)で不利な立場にある門真市
  が『魅力ある都市』となって人々を惹きつけるには、幣原喜重郎の全国的な名声を高
  めて、『平和憲法都市=門真市』として都市品格を上げていくべきだ」、
  ・・・・という「論」は、非常に優れていると思うよ!

6:戸田は「アベ政治打倒の広範な共同戦線を作っていく」、という自分の政治的意志を
 全く隠しはしない。

  共同戦線とか統一戦線とかいうものは、「騙し」や「猫なで声」で作るものではなく
 (これ、共産党への当てこすりです)、それぞれの利害や差異の存在を認めあって、
 それぞれが「ウインウイン」になるようにしつつ、
 「それぞれにとって大切に思う『共通の目的』を実現するためのもの」である。

 ■「幣原喜重郎の業績の啓発継承を超党派的に行なう事」は、
   戸田や共産党にとっても、
   門真市の自公民・緑風の議員にとっても、 
   自民党園部市長にとっても、
   門真市行政にとっても、
   もちろん門真市民にとっても、 

  「みんなにとって良い事」としてある。

7:◆「幣原喜重郎の活用」は、「門真市以外のまちでは絶対に出来ない事」、
 「門真市だからこそ出来る事」である。

8:自民党の中道議員や民主党系の森議員が、戸田のこういった呼びかけに呼応して、
 「あえて議会質問をする」という行動に踏み切っているのに、門真市共産党4議員は、
 こういう事に全然興味を示していない模様であるのはなぜだろうか?

  「護憲とアベ政治反対の共同を門真市でどう作るか」、という「応用問題」に取り組
 むだけの能力やセンスを持ち合わせていないためだろう。

  さらに、「自分が発案して実行する能力」が無いだけでなく、ソリの合わない戸田が
 始めた事であっても、「良いものが動き出したら、それを評価して自分も加わってい
 く」、という「度量」も無いのだろう。

  戸田だったら、共産党が超党派的共同を発案発表し、自民党議員もそれに呼応して議
 会質問をしたら、多いに称えて市民にも宣伝していくし、もちろん自分もその動きに参
 加して議会質問していくけれどね。

  門真市共産党はそういうトンチンカンだから、「右翼やウソつき糸らと仲良し関係を
 持ったトポス裁判闘争」を続けているのだろう。
  
  ま、「過ちを改めるのに遅すぎる事はない」と思うので、今後に「かすかな期待」は
 しておこう。
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引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

☆2015年9月議会:文教委でも本会議でも幣原業績継承をオール門真ですべしと質問!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 15:14 -
  
 通常戸田は、文教委で質問したのと同じ課題を本会議でも質問する事はしない。
 しかし2015年9月議会では違った。
 幣原喜重郎の業績継承について、9/16文教委所管事項質問で行ない、それを土台として、9/25本会議一般質問も行なった。
 それぞれに原稿を紹介していく。
    ↓↓↓
◎2015年9月議会特集 http://www.hige-toda.com/_mado05/2015/gikai/09gikai.html
  動画が沢山載せられている。
  質問・答弁の原稿はPDFで載せられている。 

 ※この9月議会については、掲示板での報告記時は異様に少なくて、質問原稿すら掲載
  されていない。
    ↓↓↓
  明日9/10(水)から9月議会!今晩戸田は三宅教育長への賛成討論作成ほかの作業中!
       戸田 - 15/9/9(水)
    http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=9316;id=#9316
 ほか、わずか4本のみ。
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【9/16文教委所管事項質問の双方の原稿】
http://www.hige-toda.com/_mado05/2015/gikai/img/151004/bunkyoui/heiharakijyuurou.pdf
  <幣原喜重郎の業績について>

Q1 「門真の偉人=幣原喜重郎」と言えば、降伏直後の総理大臣で、「戦争放棄」の強い
 情熱を持って平和憲法作定にあたった人として有名だが、その業績について、従来一般
 的に知られていた事を説明して欲しい。

A1 幣原喜重郎は、1872 年(明治5年)、門真一番下村において大変教育熱心であった幣
 原家の次男として生まれ、門真小学校で学び、わんぱくな少年時代を過ごした後、当時
 、国の直轄であった大阪中学校で英語の基礎を身につけ、東京の帝国大学に入学しまし
 た。

  卒業後、外務省に入り、外交官として仁川、ロンドン、釜山、ワシントンなど世界各
 地へ赴任の後、51 歳にして外務大臣に就任し、「幣原外交」といわれる平和的な外交を
 展開しました。

  終戦後の 1945 年(昭和 20 年)、73 歳で第 44 代内閣総理大臣に親任、「大阪で生
 まれ育った唯一の総理大臣」として、「日本国憲法改正草案要綱」を発表するなど、
 日本の民主化に尽力した人物です。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q2 それは門真市の市民や子ども達には、どのような形で伝えられてきたか?
 (いつから、も含んで)・学校の教科書や授業、課外活動において・歴史資料館におい
 て・石碑など・広報その他において・講演会などにおいて

A2 学校教育におきましては、1975 年(昭和 50 年)に小学校社会科の副読本「わたし
 たちの町かどま」に業績を掲載し、3年生の市内めぐりにおいて幣原兄弟顕彰碑を訪れ
 ています。

  歴史資料館におきましては、2000 年(平成 12 年)に特別展を開催し、同年から常
 設展として郷土の偉人の生い立ちに焦点をあてた幣原家の足跡を伝えてまいりました。
  幣原兄弟顕彰碑につきましては、1966 年(昭和 41 年)に建立された後、市内外の
 人が訪れてこられました。

  広報につきましては、折に触れて取り上げておりますが、例えば 2011 年(平成 23
 年)に徳庵道の特集で掲載したほか、幣原喜重郎の生い立ちなどをわかりやすく伝える
 映像を 1996 年(平成8年)に制作し、歴史資料館で見ることができるようにしていま
 す。
  また、2013 年(平成 25 年)に発行した門真市暮らしの便利帳では、門真が誇る偉
 人としてその業績を紹介しています。
  講演会につきましては、2002 年(平成 14 年)に幣原家の方を招き講演会を開催し
 ました。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q3 戸田掲示板 8/20 投稿で、実はそれだけでなく、敗戦直後に日本人自身の手で戦争の
 原因と実相を調べるための調査会=「大東亜戦争調査会」というものを設置した人でも
 あった!
  この件、「日本近現代史の歴史家」の人が「最近、印象的な史料に出会いました」、
 と書いているくらいだから、もしかすると門真市立歴史資料館の幣原資料展示でも触れ
 られていないかもしれない。門真市の市長や教育長も、議員も市民も、知らないだろう
 と推測する。

  と書いたが、市や歴史資料館の認識としては、どうだったか?
  戸田からの通報の後、調べてもらったが、調べた結果は現在どのようなものか?
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

A3 歴史資料館では、幣原喜重郎個人の実績のみならず、幣原家の歴史や地域の様子、
 家族との関わりなどについて多角的に展示しておりますが、当該調査会については認識
 しておりませんでした。

  調べた結果につきましては、少しご説明が長くなりますが、幣原平和財団が1955 年
 (昭和 30 年)に発行した「幣原喜重郎」や調査会に関する論考によりますと、
  当該調査会は、「敗戦に関して犯した過ちを繰り返さないこと」を目的とし、
 「敗戦・戦争の原因と実相の徹底的な調査」のため、幣原喜重郎内閣が 1945年(昭和
 20 年)11 月に設置しました。

  設置経緯につきましては、戦争責任の調査と追及を求める世論を受け、敗戦原因の調
 査の必要性を指摘していた幣原が、「敗戦ノ原因及実相調査ノ件」として閣議決定し、
 設置され、総裁には幣原自らが就任し、調査方針として、
  戦争の起こった原因を世界史的立場に立って究明すること、
  戦争経過の実情を明確にし、敗戦に導いた真因を追求すること、

  降伏後の日本がどのような困難に直面し、処理したかを明らかにするなどして、
  戦争の顛末について正確な歴史的資料を後世に遺し、恒久的な平和日本を建設するた
  め基本的な指標を導き出すものであること
 を策定しました。

  しかしながら、連合国最高司令官の諮問機関である対日理事会において、ソ連代表が
 戦争の原因調査や戦争扇動者の処罰という任務は極東国際軍事裁判所に属していること
 や、元軍人などが委員として調査に携わっていることを批判し、解散を勧告したことな
 どにより、
  対日理事会での意見対立の長期化を懸念した GHQ の意向に応じ、日本政府は 1946
 年(昭和 21 年)8月に調査会の廃止を内定、9月に廃止されました。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q4 幣原喜重郎と「大東亜戦争調査会」の一件について、門真市教委として、さらに調査
 を進めて、市民に展示・啓発説明出来るようにしていくべきと思うが、どうか?
  またその推進をする体制や推進のメドはどうか?

A4 調査が十分に行われることなく廃止されたようであるため、新たに展示する資料とし
 てどのようなものがあるかはわかりませんが、常設展のパンフレットに記載している年
 表を充実させたいと考えております。

  歴史資料館の体制につきましては、正職員として生涯学習課長補佐、公民館長、文化
 会館長を兼務する館長が1名、学芸員が1名、非常勤嘱託職員2名の体制でございま
 す。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q5 とりあえず、「戦後 70 年」の今年中に幣原喜重郎と「大東亜戦争調査会」の一件を
 語れる研究者などに依頼して、門真市内で講演会を持つのが良いと思うが、どうか?
  朝日新聞記事に載った「日本の近現代史を研究する歴史家・加藤陽子さん」などに依
 頼してはどうか?

A5 郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を、市民の皆さんにわかりやすく伝えることによ
 り、幣原喜重郎が目指した「永久不滅の平和」について考えていただくとともに、市民
 が本市に対して誇りと愛着を持つことができる環境を醸成する取り組みを検討してまい
 ります。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q6 門真市やその周辺で、幣原喜重郎の業績を調査研究している団体個人はどのようにな
 っているか? 歴史資料館・民間のグループや郷土史家、研究者など

A6 独自に調査研究している方はおられるかもしれませんが、門真市周辺で幣原喜重郎の
 業績の調査研究を行っている団体や個人について把握できておりません。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q7 幣原喜重郎の業績の啓発継承を市が積極的に行なう事が、門真の市民や子ども達に誇
 りを生み、「門真市を愛する気持ち」をより育み、門真市の品格と魅力向上にも寄与す
 ると確信するが、教委の認識はどうか?

A7 郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を伝えることにより、市民が本市に対して誇りと
 愛着を持つことができる環境を醸成することは大変重要なことであると考えておりま
 す。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q8 今年度内にでも、新たに認識された業績の紹介を中心とした講演会などの啓発企画が
 出来るよう、市長部局にも働きかけて予算が出るようにして欲しいがどうか?

  今後はせめて年に1回は幣原喜重郎に関連する市民向け行事をやるようにする、
 例えば「幣原喜重郎平和フェスタ」とか「幣原喜重郎平和憲法祭り」とか
 「幣原喜重郎の業績展示講演会」をやったり、「平和憲法制定首相のまち=門真市」を
 「門真市の魅力」として打ち出したりする事については、どう考えるか?

A8 これまでにも先ほどご答弁したような内容を実施してまいりましたが、今後も引き続
 き、市民大学等の場を活用するほか、郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を伝える新た
 な取り組みにつきましても、関係部署へ働きかけたいと考えております
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【9/25本会議一般質問の双方の原稿】
http://www.hige-toda.com/_mado05/2015/gikai/img/151004/02heiharamondai.pdf

 さて、私が喪服で登壇した理由の2番目は、安倍自公政権とその与党および「次世代」
等の追随者達によって、立憲主義と国会民主主義が殺されてしまった事への強い怒りの表
現です。
憲法違反が明らかな、「米軍戦争への積極加担」の「戦争法案」が、9月19日土曜日
の午前2時に参院本会議で可決され、成立させられてしまいました。

しかし、本会議採決の前提として、「9/17 の参院特別委員会で可決された」と与党や
マスコミが認定しているわけですが、
 実際には、現場で委員長からの発言が全く聞こえておらず、かつまた、特別委員会に所
属しない与党議員と国会議員ですらない秘書らが大挙して委員長席周辺に押し寄せ、
野党を暴力で排除して事を進めたという、

「部外者乱入による、特別委員会の違法な蹂躙」がなされ、「特別委員会での採決」自体
は不存在である、という酷さです。

これは、戦争利潤を追求して止まないアメリカの軍産複合体に追随する事に自分の利益を感じる、日本の支配勢力が、長年に渡って日本国憲法への攻撃を続けてきた結果でもあるわけですが、
 平和憲法作成の大功労者たる幣原喜重郎首相を生みだした、この門真市においては、
それに追随することなく、逆に、門真市民の誇りにかけて、幣原喜重郎の偉大な業績を積
極的に自覚し、継承していくべきである、と考えます。

氏の偉業に敬意を払って立憲主義を守り、憲法9条を維持する事について、他ならぬこの門真市においては、自民党の市長であれ議員であれ、みなが同意できるはずだ、と私は確
信しており、その見地から、

<項目2;日本人自らの戦争検証をも実行した「門真の偉人」幣原喜重郎の業績の啓発継 承について>
の質問を、以下のように行なうものです。
 
Q1:「門真の偉人=幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)」と言えば、降伏直後の総理
 大臣で、「戦争放棄」の強い情熱を持って平和憲法作定にあたった人として有名だが、
 実はそれだけでなく、敗戦直後に日本人自身の手で戦争の原因と実相を調べるための調
 査会=「大東亜戦争調 査会」というものを設置した人でもあった。

  それについて、私が 9/16 文教委所管事項質問で取り上げたが、幣原喜重郎氏のそれら
 の業績について、市が 現在認識しているところを、少し詳し目に述べてもらいたい。

A1:まず、幣原喜重郎氏の業績についてであります。
   幣原喜重郎氏は、1872 年(明治5年)、門真一番下村において大変教育熱心であっ
 た幣原家の次男として生まれ、願得寺内に設立された門真小学校で学び、わんぱくな少
 年時代を過ごした後、当時、国の直轄であった大阪中学校で英語の基礎を身につけ、
 東京の帝国大学に入学されました。

  卒業後、外務省に入り、外交官として仁川、ロンドン、釜山、ワシントンなど世界各
 地へ赴任の後、51 歳にして外務大臣に就任し、「幣原外交」といわれる平和的な外交を
 展開されたものでございます。

  終戦後の 1945 年(昭和 20 年)、73 歳で第 44 代内閣総理大臣に親任、「大阪で生
 まれ育った唯一の総理大臣」として、「日本国憲法改正草案要綱」を発表するなど、
 日本の民主化に尽力した人物でございます。

  次に、戸田議員ご質問にもありました「大東亜戦争調査会」の設置につきまして、御答
 弁申し上げます。
 幣原平和財団が 1955 年(昭和 30 年)に発行した「幣原喜重郎」や大東亜戦争調査会
 に関する論考によりますと、

   当該調査会は、「敗戦に関して犯した過ちを繰り返さないこと」を目的とし、
 「敗戦・戦争の原因と実相の徹底的な調査」のため、幣原喜重郎内閣が 1945 年(昭和
 20 年)11 月に設置されたものでございます。

  本調査会の設置経緯につきましては、戦争責任の調査と追及を求める世論を受け、
 敗戦原因の調査の必要性を指摘していた幣原内閣総理大臣が、「敗戦ノ原因及実相調査
 ノ件」として閣議決定し、設置され、
 総裁には幣原内閣総理大臣自らが就任されたものでございます。

  また、調査方針として、戦争の起こった原因を世界史的立場に立って究明すること、
 戦争経過の実情を明確にし、敗戦に導いた真因を追求すること、降伏後の日本がどのよ
 うな困難に直面し、処理したかを明らかにするなどして、
 戦争の顛末について正確な歴史的資料を後世に遺し、恒久的な平和日本を建設するため
 基本的な指標を導き出すものであることとされたところでございます。

  しかしながら、連合国最高司令官の諮問機関である対日理事会において、ソ連代表が
 戦争の原因調査や戦争扇動者の処罰という任務は極東国際軍事裁判所に属していること
 や、元軍人などが委員として調査に携わっていることを批判するとともに、委員会の解
 散を勧告したことなどにより、
  対日理事会での意見対立の長期化を懸念したGHQ の意向に応じ、日本政府は 1946 年
 (昭和 21 年)8月に調査会の廃止を内定し、9月に廃止されたものでございます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q2:幣原喜重郎の業績の啓発継承を市が積極的に行なう事が、門真の市民や子ども達に
 誇りを生み、「門真市を愛する気持ち」をより育み、門真市の品格と魅力向上にも寄与
 するし、
 「立憲主義の民主主義国家の主権者」としての自覚の発揚にも寄与する、と私は確信し
 ており、自民党の園部市長もきっと同じ認識を持っていると思うが、どうか?

A2:郷土の偉人であり、門真市の誇りである元内閣総理大臣幣原喜重郎氏の業績を、
 子どもからお年寄りまで、広く市民に伝えることは、本市に対する誇りと愛着を持つこ
 とができる環境の醸成につながるものであり、
  かつ、大変重要なことであり、門真市の品格と魅力の向上にも寄与し、
 また、「立憲主義の民主主義国家の主権者」としての自覚の発揚にも寄与するものと考
 えております。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Q3:早期に、新たに認識された業績の紹介を中心とした講演会などの啓発企画が出来る
 よう、園部市長の気持ちを示してもらいたいがどうか?

  せめて年に1回は、幣原喜重郎に関連する市民向け行事、例えば「幣原喜重郎平和フ
 ェスタ」とか「幣原喜重郎平和憲法祭り」とか、「幣原喜重郎の業績展示講演会」など
 をやったり、
 「平和憲法制定首相のまち=門真市」を「門真市の魅力」として打ち出したりする事が
 良いと思うが、園部市長はどう考えるか?

A3:これまでにも、歴史資料館におきましては、2000 年(平成 12 年)に特別展を開催
 し、同年から常設展として郷土の偉人の生い立ちに焦点をあてた幣原家の足跡を伝えて
 まいりました。
  また、2013 年(平成 25 年)に発行した門真市暮らしの便利帳では、門真が誇る偉人
 としてその業績を紹介しており、講演会につきましては、2002 年(平成 14 年)に幣原
 家の方を招き講演会を開催しているところでございます。

  今後におきましては、郷土の偉人である幣原喜重郎氏を多くの市民にも知っていただ
 けるよう、業績を伝える新たな取組につきまして、検討してまいりたいと考えておりま
 す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

▲9/16文教委質問を「議事録」で全文紹介する。(原稿には無い発言も結構あるよ)
←back ↑menu ↑top forward→
 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 15:56 -
  
 門真市議会議事録から、該当分を全文紹介する。
【9/16文教委所管事項質問の幣原喜重郎業績についての部分】
  (アドレスはコピー貼りしてもうまくいかないようなので省略する)

◆戸田 委員
 ・・・次に、2番目の幣原喜重郎の件ですね。
 項目的に言うと、「幣原喜重郎の新たにわかった業績の啓発継承などについて」とい
う質問に移ります。
  門真市の偉人、幣原喜重郎と言えば、降伏直後の総理大臣で、戦争放棄を強い情熱を
持って、平和憲法作成に当たった人として有名ですけれども、まずはその業績について、
従来一般的に知られていることを詳しく説明してください。

◎牧薗 生涯学習課長
  幣原喜重郎は、1872年、明治5年、門真一番下村において、大変教育熱心であっ
 た幣原家の次男として生まれ、門真小学校で学び、わんぱくな少年時代を過ごした後、
 当時、国の直轄であった大阪中学校で英語の基礎を身につけ、東京の帝国大学に入学し
 ました。

  卒業後、外務省に入り、外交官として、仁川、ロンドン、釜山、ワシントンなど世界
 各地へ赴任の後、51歳にして外務大臣に就任、幣原外交と言われる平和的な外交を展
 開しました。
  終戦後の1945年、昭和20年、73歳で第44代内閣総理大臣に親任、「大阪で
 生まれ育った唯一の総理大臣」として、日本国憲法改正草案要綱を発表するなど日本の
 民主化に尽力した人物です。
-------------------------------------------------------------
◆戸田 委員
  そうですね、大阪府で生まれ育った唯一の総理大臣なんです。
それがよりによってというか、門真市の出身なんです。すばらしい郷土の偉人と言わな
ければならないと思いますね。
 
さて、そういった門真市の市民や子どもたちには幣原喜重郎氏の業績や人となりとは
どのように伝えられてきたのか、いつからということも含めまして、
 学校の教科書や授業、課外活動において、あるいは歴史資料館において、石碑など、
 広報その他において、講演会などについて回答願います。
       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎牧薗 生涯学習課長
  学校教育におきましては、1975年、昭和50年に、小学校社会科の副読本「わた
 したちの町かどま」に業績を掲載し、3年生の市内めぐりにおいて、幣原兄弟顕彰碑を
 訪れています。
  歴史資料館におきましては、2000年、平成12年に特別展を開催し、同年から
 常設展として、郷土の偉人の生い立ちに焦点を当てた幣原家の足跡を伝えてまいりまし
 た。
  幣原兄弟顕彰碑につきましては、1966年、昭和41年に建立された後、市内外の
 人が訪れて来られました。

  広報につきましては、折に触れて取り上げておりますが、例えば2011年、平成
 23年に徳庵道の特集で掲載したほか、幣原喜重郎の生い立ちなどがわかりやすく伝え
 る映像を1996年、平成8年に制作し、歴史資料館で見ることができるようにしてい
 ます。
 
  また、2013年、平成25年に発行した門真市暮らしの便利帳では、「門真が誇る
 偉人」として、その業績を紹介しています。
  講演会につきましては、2002年、平成14年に幣原家の方を招き講演会を開催し
 ました。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  どうもありがとうございます。
  ここで、ちょっと気がつきますのは、幣原喜重郎、これだけすごい抜きん出た人物で
 あるにもかかわらず、地元門真で紹介されていったというのは、戦後から20年から
 30年ぐらいたってからなんですね。
  地元の学校の副読本に載ったのは1975年からですから、戦後もう30年たってい
 ますね。
  そのほかいろいろな業績が市民にどんどん伝えられていくというのは大分時間がたっ
 ている。

  これはなぜかと思うに、一つは、例えば田中角栄さんが典型ですが、「地元で橋をつ
 くった」、「何をつくった」、「どさっと経済実利を与えた」、という人では全くな
 い。
  総理をやっている時間も短かったということもあっただろうし、その後の憲法のいろ
 んなそういうことがあったでしょうけども、東京で暮らしていたということもあったで
 しょう。
  御遺族の方がもう門真に住んでないということもあったでしょう。

  しかし、これほど抜きん出た人が、地元門真での啓発継承というのは、実はかなり出
 遅れていると。
  今も「ものすごい有名人」というのは、まだ残念ながらまだ言えない、という状況に
 私の感覚としてはありますけれども、これは今後もっと盛り立てていくべき人物だと思
 って、次の質問にいきます。

  さて、私のホームページの掲示板の8月20日の投稿で、実は幣原さんの功績はこれ
 だけじゃなくて、敗戦直後に日本人自身の手で戦争の原因と実相を調べるための調査委
 員会、すなわち「大東亜戦争調査会」というものを設置した人物であったと。

  この件については、これは朝日新聞に載っていたんですが、日本近現代史の歴史家と
 いう研究者の人が、「最近、印象的な資料に出会いました」と、こう書いているぐらい
 ですので、
  もしかしたら門真市立歴史資料館の幣原資料展示でも触れられていないかもしれませ
 ん。
  門真市の市長や教育長も議員も市民も知らないだろうと推測します、

 と書きましたけれども、市や歴史資料館の認識としては、実際はどうなったんでしょう
 か。
  私からの通報後、調べてもらいましたけども、調べた結果は現在どのようなことがわ
 かったのでしょうか、お答えください。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎牧薗 生涯学習課長
  歴史資料館では、幣原喜重郎個人の実績のみならず、幣原家の歴史や地域の様子、
 家族とのかかわりなどについて多角的に展示しておりますが、当該調査会については認
 識しておりませんでした。

  調べた結果につきましては、少しご御説明が長くなりますが、幣原平和財団が195
 5年、昭和30年に発行した幣原喜重郎や調査会に関する論考によりますと、当該調査
 会は、敗戦に関して犯した過ちを繰り返さないことを目的とし、
  敗戦・戦争の原因と実相の徹底的な調査のため、幣原喜重郎内閣が1945年、昭和
 20年11月に設置しました。

  設置経緯につきましては、戦争責任の調査と追及を求める世論を受け、敗戦原因の調
 査の必要性を指摘していた幣原が、敗戦ノ原因及実相調査ノ件として、閣議決定し、設
 置され、
 総裁には幣原みずからが就任し、
 調査方針として、
  戦争の起こった原因を世界史的立場に立って究明すること。
  戦争経過の実情を明確にし、敗戦に導いた真因を追求すること。
  降伏後の日本がどのような困難に直面し、処理したかを明らかにするなどして、戦争
  のてんまつについて正確な歴史的資料を後世に残し、恒久的な平和日本を建設するた
  め、基本的な指標を導き出すものであること
 を策定しました。
 
  しかしながら、連合国最高司令官の諮問機関である対日理事会において、ソ連代表が
 戦争の原因調査や戦争扇動者の処罰という任務は極東国際軍事裁判所に属していること
 や、
  元軍人などが委員として調査に携わっていることを批判し、解散を勧告したことなど
 により、
  対日理事会での意見対立の長期化を懸念したGHQの意向に応じ、日本政府は、
 1946年、昭和21年8月に調査会の廃止を内定、6月に廃止されました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  どうもありがとうございました。
  この戦争責任の問題については、私自身も含めて日本のリベラルと言われているほと
 んどの人たちも、「日本人みずから戦争責任を裁く」、「戦争を検証する」ということ
 ができないままに極東軍事東京裁判で裁かれてしまったので、
  それで戦争の追求、検証が極めて不十分なままに戦後が過ぎたんだという論調、考え
 なんですね。

  しかしながら、これを見ますと、当時の総理大臣みずからが「戦争の検証をしっかり
 やろう」ということを発案して、みずから陣頭指揮をとって調査会をつくったと、
 これはやっぱりすごく大きな事実だったと思いますね。

  もちろん保守政治家ですから、戦後の戦争責任なんていうのは考えもつかなかったで
 しょう。
  しかしながら、平和外交の旗手としてやっていた政権の中枢に一時おった人ですか
 ら、当時の戦争推進遂行の勢力、軍部や財閥、その意向を受けた政治家たちがいかにデ
 タラメなことをやって日本を過ちに導いたのかというのを、まさに切歯扼腕する思いで
 左遷されて冷や飯を食っていた。

  そして、自分がまさに危惧したとおり、とんでもない敗戦になって、日本はぼろぼろ
 になったという強い怒りも非常に持ったはずであります。
  戦前の日本というのは、戦後、「日本を取り戻そう」とかいう人らがワアワア言って
 いるみたいに、「打って一丸戦争に行った」とは実は言えない。

  政権中枢のビルのど真ん中で白昼堂々と日本刀で幹部を斬り崩す、永田鉄山斬殺事件
 とか、2・26事件とか、あるいはアヘンを商売して中国に行く……

○佐藤 委員長
  戸田委員、内容をできるだけ要約して。

◆戸田 委員
  はい。そういうふうないろんな、軍隊の中での派閥の争いとか、いろんなことがぐち
 ゃぐちゃになって、結果としては、全体としては極めて無責任な体制。
  今の東京オリンピック体制の何百倍、何千倍も無責任な責任をとらない体制で敗戦を
 迎えた。

  そのことに対する憤り、あるいは自分の力不足、自責の念等々も踏まえて、こういう
 ことを提起されたはずなんでありますね。
  こういうことの意義というのはとても大きくて、しかもそれを近代史の専門家の方で
 すら、本はちゃんとあるんですけども、それに焦点を当てるというか、照明を当てると
 いうことが極めてなかったということぐらいですから、市が知らなくてもある意味当然
 なんですけどね。

  今後ぜひこれ照明を当てて、みんなの共有財産にしていきたいと思いまして、次の質
 問に移りますが、

  4番目。
  幣原喜重郎と大東亜戦争調査会の一件について、門真市教委として、さらに調査を進
 めて、市民に展示・啓発説明できるようにしていくべきと思いますが、どうでしょう
 か。
  また、それを推進する体制とか推進のめどというのは、今のところどんなものなんで
 しょうか。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎牧薗 生涯学習課長
  調査が十分に行われることなく廃止されたようであるため、新たに展示する資料とし
 てどのようなものがあるかはわかりませんが、常設展のパンフレットに記載している年
 表を充実させたいと考えております。

  歴史資料館の体制につきましては、正職員として、生涯学習課長補佐、公民館長、
 文化会館長を兼務する館長が1名、学芸員が1名、非常勤嘱託職員2名の体制でござい
 ます。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  人員削減体制の折、課長補佐と公民館長と文化会館長が同じ人が兼ねていると。
  大変なことですね。
  学芸員は1人だけ、非常勤嘱託職員が2名ということですけども、なるべくならば、
 若干の嘱託経験者も雇い入れることを含めてぜひ頑張っていただきたいということを要
 望して次に移ります。

  5番目。
  とりあえず戦後70年である今年のうちに、幣原喜重郎と大東亜戦争調査会の一件を
 語られる研究者などに依頼して、門真市内で講演会を持つのがよいと考えるんですけど
 も、どうでしょうか。
  朝日新聞記事に載っていた日本の近現代史を研究する歴史家、加藤陽子さんなどに依
 頼するということについてはいかがお考えでしょうか。

◎牧薗 生涯学習課長
  郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を市民の皆さんにわかりやすく伝えることによ
 り、幣原喜重郎が目指した永久不滅の平和について考えていただくとともに、市民が
 本市に対して誇りと愛着を持つことができる環境を醸成する取り組みを検討してまい
 ります。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  どうも「今年中」とか、あるいは「今年度中」とかとも言いにくい、言えないという
 のは残念ですけれども、できるだけ早くやってほしいと要望します。

  さて、6番目。
  門真市やその周辺で幣原喜重郎氏の業績を調査研究している団体、個人はどのように
 なっているでしょうか。
  歴史資料館や民間のグループ、郷土史家、研究者などについてお答えください。

◎牧薗 生涯学習課長
  独自に調査研究している方はおられるかもしれませんが、門真市周辺で幣原喜重郎の
 業績の調査研究を行っている団体や個人については把握できておりません。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  このお答えはちょっと意外だったんですね。
  これだけの偉人であれば、歴史ファンみたいな歴史マニアみたいな人が何人かいらっ
 しゃるのかなと思ったら、どうもそうじゃないという現状がわかりました。

  次、7番目。
  幣原喜重郎氏の業績の啓発継承を市が積極的に行うことが、門真の市民や子どもたち
 に誇りを生み、門真市を愛する気持ちをより育み、門真市の品格と魅力向上にも寄与す
 ると私は確信するんですけれども、
  教委としての認識はいかがでしょうか。

◎牧薗 生涯学習課長
  郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を伝えることにより、市民が本市に対して誇りと
 愛着を持つことができる環境を醸成することは大変重要なことであると考えておりま
 す。
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  この項目、最後の質問として、8番目。
  今年は無理でも、せめて今年度内にでも新たに認識された業績の紹介を中心とした講
 演会などの啓発企画ができるよう、市長部局にも働きかけて予算が出るようにしてほし
 いと思いますが、どうでしょうか。

  今後はせめて年に1回は、幣原喜重郎氏に関連する市民向け行事をやるようにする
 と。
  例えば「幣原喜重郎平和フェスタ」とか、「幣原喜重郎平和憲法祭り」とか、「幣原
 喜重郎の業績展示講演会」などをやったり、
 「平和憲法制定首相のまち、門真市」を門真市の魅力として打ち出したりすることにつ
 いてはどのようにお考えでしょうか。

◎牧薗 生涯学習課長
  これまでにも先ほど御答弁したような内容を実施してまいりましたが、今後も引き続
 き市民大学等の場を活用するほか、郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を伝える新たな
 取り組みにつきましても、関係部署へ働きかけたいと考えております。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  了承します、ぜひよろしくお願いしたい。
  門真市の与党の議員の方、自民党であれ、公明党であれ、こういうことには反対され
 ない。
  「郷土の偉人」としての幣原喜重郎を盛り立てていこう、というお考えにおいて、
 私は共通するものと思っているんですね。
  まだじかに問い合わせしていませんけども。

  そういうことも含めて超党派的な取り組みが十分可能なことであるということを指摘
 して次の質問にいきます。
 
  次、保育園の問題で、公立保育園・幼稚園の耐震化工事の見通しについてでありま
 す。・・・・・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

★2015年12月議会:自民党の中道議員が「平和憲法の幣原兄弟の継承を」と深い質問!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 17:26 -
  
 2/5投稿を改めて紹介する。↓
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★自民党の中道議員が「超党派で平和憲法の幣原兄弟の継承を」として素晴らしい質
 問!
    戸田 - 16/2/5(金) 0:54 -
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=9496;id=#9496

     (12月議会の報告追加がもの凄く遅れて、2月に入ってしまった。)
 「議会ごとに与野党を問わず多くの質問者が出て、市政の改善を数項目は進めている」
近年の門真市議会だが、2015年12月議会ではとびきり素晴らしい事があった。

 「平和憲法創設の門真の偉人」=幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)の業績をもっ
 ともっと「市民共有の誇り」として啓発深化させるべきだ、議員も超党派的にそれをも
 り立てるべきだ、
 ・・・・・との戸田が9月議会の文教委と本会議で質問提起した事を受けて、

★自民党の中道茂議員が、 
  ・喜重郎氏のめざした「永久不滅の平和」に対する意思を市民である私たちも引き継
   いでいかねばならない、
 という見識を公表した上で、

  ・喜重郎氏の兄の坦(たいら)氏も、姉の操さん・妹の節さんも平和な社会つくりに
   大きな貢献をしている事をいろいろ説明し、
 こういった喜重郎氏と兄弟姉妹の功績を多くの市民に知らせていく事を市に求めたの
 だ!

★これつまり、「門真市では自民党も『平和憲法を守ろう!9条を大切にしよう!』とい
 う立場に立つ事を積極的に公表した」、という事であり、
  他の一部のように「安倍政権が進める安保法制に自公議員も含めて反対表明する」ほ
 どではないにしろ、それにかなり近い意識レベルで「超党派で平和憲法擁護を掲げる」
 ものである。

※今回は公表されていないが、門真市の公明党議員達も、同じ立場に立つものである事は
 間違いない。 
 「国政レベルでは憲法破壊の自公政権」であっても、「門真市政レベルでは自公も平和
  憲法擁護」として超党派で進むのは大いに良い事だ。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 中道議員の一般質問の構成は以下のようになっているが、
 まずは、中道議員のその最後3項目めの質問と、市の(形式的には市教委の)答弁全文を紹介する。
      ↓↓↓
  1 アルコールによる健康障害について
    (1)アルコール健康障害対策基本法について
    (2)アルコール依存症について
    (3)断酒会について

  2 商店街の活性化について
    (1)商店街の空き店舗の現状について
    (2)(仮称)商店街空き店舗支援センターについて
    (3)商店街空き店舗対策について

  3 幣原家の啓発継承について
   (1)門真の偉人、幣原坦(しではら たいら)について
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 17番、自由民主党の中道茂でございます。通告に従いまして順次質問させて頂きます。
  (中略)

 最後に、「幣原家の啓発継承」についてであります。

 郷土の偉人、第44代内閣総理大臣の幣原喜重郎氏については、9月議会の文教常任委員会で、また、一般質問で戸田議員が質問されました。
 啓発継承の思いを私に、「たすき」を託されましたので、今後は超党派で繋がるように「幣原家の啓発継承」について質問させて頂きます。

 喜重郎氏は、戦前に外交官、外務大臣として協調外交を展開され、戦後には日本国憲法の草案づくりに関わるなど、平和への思いは生涯にわたり一途なものであり、喜重郎氏のめざした「永久不滅の平和」に対する意思を市民である私たちも引き継いでいかねばならないと考えます。

 さて、喜重郎氏の生まれ育った一番町の生家跡には記念碑が建てられております。
 喜重郎氏と並んで兄の坦(たいら)氏の銅像も見ることができます。

 坦(たいら)氏は、明治8年に幣原家の長男として生まれ、後に帝国大学、現在の東大に進み、卒業後は教育界において幾多の重責に就かれました。
 明治43年に母校東大教授に就任したほか、昭和3年には、海を渡り台北帝国大学の初代学長に任じられました。

 幣原内閣誕生後は、枢密院の顧問官に任ぜられ、新憲法草案作成には、諸外国の法制に明るい坦博士の助言があったとされております。
 晩年は、故郷の、ここ門真の地に戻り、北河内の教育界にも尽力されたそうであります。

 とかく、喜重郎氏がクローズアップされた形となっておりますが、兄の坦(たいら)氏をはじめ、姉の操さん・妹の節さんも当時、社会に大きく貢献されたようであります。
 喜重郎氏の兄弟姉妹の功績についても、多くの市民に知っていだけるような周知方法を、ぜひ、お考えいただきたいと思いますが、理事者のご見解をお尋ねします。

 兄弟姉妹の中でも、坦氏につきましては世界的な視野を持ちグローバルな活動の一方で、ローカル的な視点で、門真という生まれ育った地域に対する愛情を注ぐという、グローバルとローカル面を併せ持つグローカルな活躍は、喜重郎氏と並び称されるべき郷土の誇りであると考えます。

 さて、平成23年度から門真市は、「めざせ世界へはばたけ事業」が実施され、その趣旨として、地域や世界で活躍することのできる人づくりをめざすことが掲げられております。
 そのために、単なる英語のスピーチコンテストではなく、国際共通語である英語をツールとして、海外においても、あるいは国内においても堂々と自分の考えを伝え、相手の質問にも答えることができること、という意味からプレゼンテーションコンテストを開催され、優秀者はオーストラリアへの派遣研修という機会を与えていただいております。

 こうして見ると、この地域や世界で活躍できる人づくりは、偉人、幣原兄弟を生んだ、わがまち門真にふさわしい取り組みであると、私は、考えます。

 ひと昔前のように、外国の人たちと接すること自体が珍しかった時代と異なり、今や
SNS等を通じて交流するだけでなく、門真市内にも外国籍市民も大勢おられます。

 このような状況下、本市におきましてもグローカルな視点での施策の展開が求められるものと考えます。

 これまで、過去4回の海外派遣研修の中学生の帰国後の報告書をお聞きいたしますと、
国内と異なった環境に身を置くことにより、自分自身が成長した、あるいは、周囲の人たちがひと回り大きくなったと感じておられることがよく伝わり、この事業の有益さを確信するものであります。

 今後、数多くのグローバルかつローカルな視点を持つ子どもたちが成長し社会で活躍することで、国際交流はもちろんのこと、本市の国際化の進展に貢献してくれる日が来ることを切に期待するものであります。 

 来年2月には、早くも5回目のプレゼンテーションコンテストが開催されます。
 今年度は747人もの応募者があったと聞き及んでおります。
 5回というひとつの区切りを迎え、本市として、これまでの実績を総括して、どのようなことをお考えなのかお聞かせください。
 また、国際交流の進展につながることについてもお聞かせください。

 最後に、喜重郎氏は、外交で活躍され、担氏はグローバルな教育者として活躍されました。

 共通のキーワードは英語であります。
 学校の英語教育についてでありますが、残念ながらコンテストに出場できなかった中学生にとっても、英語の授業は、単なる教科の一つではなく、大きくいえば、教室が海外につながっているということを実感できるものと考えます。

 事前研修に参加されたり、あるいは海外研修に同行されたりした教職員もおられますが、これらを生かして、学校での英語教育について、今後どのように取り組まれるのか、理事者のご答弁をお聞かせください。

 以上で、質問を終わります。ご清聴ありがとうございました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【答弁:柴田昌彦 教育委員会・生涯学習部長】

 まず、喜重郎氏の兄弟姉妹の功績の周知についてでありますが、
 歴史資料館では、喜重郎氏の常設展とともに、「幣原家の足跡を訪ねて」というパンフレットを設置し、その中でご家族を紹介しておりますほか、兄・坦氏直筆の書や学生時代の愛用ノート等も展示いたしております。

 幣原家兄弟姉妹のそれぞれが諸分野で活躍されたことを広く市民の皆様にも知っていただくために、広報やホームページを活用して、周知方法を工夫してまいります。

 次に、めざせ世界へはばたけ事業のこれまでの実績の総括と、国際交流の進展につながる考え方についてであります。

 坦氏は、東京帝国大学教授時代に欧米諸国へ派遣され、のちに台北帝国大学初代総長に就任されました。
 また、喜重郎氏は国際協調外交を重視し、幣原外交を展開され、兄弟揃って世界的な視野を持ち、グローバルに活躍されました。

 まさしく本事業は、議員のお言葉どおり幣原兄弟のようなグローバルかつローカル両面で活躍できる人をはぐくむという趣旨のもと、23年度に開始いたし、これまで2,068名の中学生が応募し、それぞれの思いや主張を英語で表して伝えようとする学習に取り組んできました。

 コンテストに出場した中学生たちは本番の緊張する舞台で、英語による質疑応答という、日頃はできないことを経験しております。
 このように、コンテストを通じて多くの生徒たちに実際に使える英語を学ぶ機会を提供してまいりました。

 また、海外派遣研修生たちは経験を通じて、
 あらためて、英語に対する新たな学習意欲を高めたということ、
 将来に向けて自分がめざす方向の中に、英語が大きく存在するような影響を受けたこと
を、
 自身の中学校での報告や校内ニュースあるいは市広報等を通じて発信し、
 市内の中学生に英語を学び世界へ目を向けることの大切さを、身をもって示していることと認識いたしております。

 今後は、これまで受入先となっていただいているオーストラリア・アデレード市の学校とインターネット等のICTを活用して、門真の中学生と現地学生がリアルタイムで相対し、英語で交流できる機会を創出するなど、

海外の異文化を学ぶことができ門真の文化を世界に発信できるような国際交流としての環境づくりも検討してまいりたいと考えております。

最後に、学校での英語教育についての今後の取り組みでありますが海外派遣に参加した教員は、実際に使える英語を子どもたちに身につけさせることの重要性を再認識しており、学校での英語教育にも、使える英語をめざした授業改善等に取り組んでまいります。
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<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

☆2016年3月議会:民主党系の森議員が「幣原氏の偉業継承について」質問するよ!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 18:09 -
  
 大変嬉しい話である。
 こういった流れを受けて、民主党系無所属の森博孝議員も3/10(金)の最終本会議での
一般質問において、幣原喜重郎の業績継承の事を質問する決断をしてくれた!

  質問項目3:いきいきと人が輝く文化薫るまちについて
         (1)幣原氏の偉業継承について
を質問する事が分かった!
  ↓↓↓
 3/10本会議に行なう分の一般質問通告(「無所属」の戸田と森議員)
  http://www.city.kadoma.osaka.jp/shigikai/pdf/shigi_ippan/28/2801_i.pdf
 質問者 :森博孝
 質問要旨:
     1 安全・安心で快適に暮らせる明るいまちについて
       (1)防犯カメラの自治会によるリース方式について
       (2)洪水及び地震ハザードマップについて
       (3)拡幅整備に対する補助制度について
    
     2 健やかな笑顔あふれる支え合いのまちについて
       (1)障害者差別解消法について

     3 いきいきと人が輝く文化薫るまちについて
       (1)幣原氏の偉業継承について
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ちなみに、森博孝議員は、松下労組出身で、大労組の「連合」・民主党系の新人議員。
 本来は田伏議員の後継者として「門真市民クラブ」の一員になるはずだったが(田伏議員は引退)、、日高議員、木津議員という2人の議員が2015年市議選で予想外の落選となっために、
 「たった一人の「門真市民クラブ」当選者となってしまい、「会派形成は2人以上か
ら」という決まりによって「無所属」となった議員だ。

 ※「無所属」どうしの戸田と森議員がくっついて会派を作る事は・・ムニャムニャ・・

◎森博孝議員の顔写真などは、
  門真市議会HP・議員紹介のページ
    http://www.city.kadoma.osaka.jp/shigikai/shigi_shokai.html
  戸田HPの「これが門真の議員さん」ページ内で(選挙公報)
    http://www.hige-toda.com/_mado06/img/mori.jpg
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 森議員は、「IT技術者でかなりの専門家」で、
「アナウンサーのような素敵な声の持ち主」である。
 誰かと違って(笑)、人当たりが良く、穏和な性格の人で、学校現場の苦労や子ども達の問題、障がい者の問題などにも関心が強いようだ。

 森議員の「幣原喜重郎の偉業継承について」の質問内容がどういうものであるかは、
現段階では分からないが、「頭脳明晰さと人柄の良さ」からして、かなり期待できるものと思う。

 ・・・さっき森議員に電話して、「ちょいマジ掲示板」に「幣原喜重郎の業績継承と議会質問についてのツリー」をドサッと作ってある事を伝えて、「戸田からの声援」も送っておいた。

※「会派代表質問の通告」
    http://www.city.kadoma.osaka.jp/shigikai/pdf/shigi_ippan/28/2801_d.pdf
 を見たところでは、
 共産党も公明党も、緑風クラブも、幣原喜重郎の事は質問しないように見えるが、これ
 はあくまでも「要旨」に過ぎないので、本番になったら、幣原喜重郎の事が質問の中に
 出てくる可能性は「あり得ない事ではない」。

  さて、どうなるか??
  まずは質問確定の森議員に期待しよう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

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