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報ステが大スクープ!憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎首相の提案であった事が判明! 戸田 16/3/3(木) 23:27

▲9/16文教委質問を「議事録」で全文紹介する。(原稿には無い発言も結構あるよ) 戸田 16/3/4(金) 15:56

▲9/16文教委質問を「議事録」で全文紹介する。(原稿には無い発言も結構あるよ)
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/3/4(金) 15:56 -
  
 門真市議会議事録から、該当分を全文紹介する。
【9/16文教委所管事項質問の幣原喜重郎業績についての部分】
  (アドレスはコピー貼りしてもうまくいかないようなので省略する)

◆戸田 委員
 ・・・次に、2番目の幣原喜重郎の件ですね。
 項目的に言うと、「幣原喜重郎の新たにわかった業績の啓発継承などについて」とい
う質問に移ります。
  門真市の偉人、幣原喜重郎と言えば、降伏直後の総理大臣で、戦争放棄を強い情熱を
持って、平和憲法作成に当たった人として有名ですけれども、まずはその業績について、
従来一般的に知られていることを詳しく説明してください。

◎牧薗 生涯学習課長
  幣原喜重郎は、1872年、明治5年、門真一番下村において、大変教育熱心であっ
 た幣原家の次男として生まれ、門真小学校で学び、わんぱくな少年時代を過ごした後、
 当時、国の直轄であった大阪中学校で英語の基礎を身につけ、東京の帝国大学に入学し
 ました。

  卒業後、外務省に入り、外交官として、仁川、ロンドン、釜山、ワシントンなど世界
 各地へ赴任の後、51歳にして外務大臣に就任、幣原外交と言われる平和的な外交を展
 開しました。
  終戦後の1945年、昭和20年、73歳で第44代内閣総理大臣に親任、「大阪で
 生まれ育った唯一の総理大臣」として、日本国憲法改正草案要綱を発表するなど日本の
 民主化に尽力した人物です。
-------------------------------------------------------------
◆戸田 委員
  そうですね、大阪府で生まれ育った唯一の総理大臣なんです。
それがよりによってというか、門真市の出身なんです。すばらしい郷土の偉人と言わな
ければならないと思いますね。
 
さて、そういった門真市の市民や子どもたちには幣原喜重郎氏の業績や人となりとは
どのように伝えられてきたのか、いつからということも含めまして、
 学校の教科書や授業、課外活動において、あるいは歴史資料館において、石碑など、
 広報その他において、講演会などについて回答願います。
       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎牧薗 生涯学習課長
  学校教育におきましては、1975年、昭和50年に、小学校社会科の副読本「わた
 したちの町かどま」に業績を掲載し、3年生の市内めぐりにおいて、幣原兄弟顕彰碑を
 訪れています。
  歴史資料館におきましては、2000年、平成12年に特別展を開催し、同年から
 常設展として、郷土の偉人の生い立ちに焦点を当てた幣原家の足跡を伝えてまいりまし
 た。
  幣原兄弟顕彰碑につきましては、1966年、昭和41年に建立された後、市内外の
 人が訪れて来られました。

  広報につきましては、折に触れて取り上げておりますが、例えば2011年、平成
 23年に徳庵道の特集で掲載したほか、幣原喜重郎の生い立ちなどがわかりやすく伝え
 る映像を1996年、平成8年に制作し、歴史資料館で見ることができるようにしてい
 ます。
 
  また、2013年、平成25年に発行した門真市暮らしの便利帳では、「門真が誇る
 偉人」として、その業績を紹介しています。
  講演会につきましては、2002年、平成14年に幣原家の方を招き講演会を開催し
 ました。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  どうもありがとうございます。
  ここで、ちょっと気がつきますのは、幣原喜重郎、これだけすごい抜きん出た人物で
 あるにもかかわらず、地元門真で紹介されていったというのは、戦後から20年から
 30年ぐらいたってからなんですね。
  地元の学校の副読本に載ったのは1975年からですから、戦後もう30年たってい
 ますね。
  そのほかいろいろな業績が市民にどんどん伝えられていくというのは大分時間がたっ
 ている。

  これはなぜかと思うに、一つは、例えば田中角栄さんが典型ですが、「地元で橋をつ
 くった」、「何をつくった」、「どさっと経済実利を与えた」、という人では全くな
 い。
  総理をやっている時間も短かったということもあっただろうし、その後の憲法のいろ
 んなそういうことがあったでしょうけども、東京で暮らしていたということもあったで
 しょう。
  御遺族の方がもう門真に住んでないということもあったでしょう。

  しかし、これほど抜きん出た人が、地元門真での啓発継承というのは、実はかなり出
 遅れていると。
  今も「ものすごい有名人」というのは、まだ残念ながらまだ言えない、という状況に
 私の感覚としてはありますけれども、これは今後もっと盛り立てていくべき人物だと思
 って、次の質問にいきます。

  さて、私のホームページの掲示板の8月20日の投稿で、実は幣原さんの功績はこれ
 だけじゃなくて、敗戦直後に日本人自身の手で戦争の原因と実相を調べるための調査委
 員会、すなわち「大東亜戦争調査会」というものを設置した人物であったと。

  この件については、これは朝日新聞に載っていたんですが、日本近現代史の歴史家と
 いう研究者の人が、「最近、印象的な資料に出会いました」と、こう書いているぐらい
 ですので、
  もしかしたら門真市立歴史資料館の幣原資料展示でも触れられていないかもしれませ
 ん。
  門真市の市長や教育長も議員も市民も知らないだろうと推測します、

 と書きましたけれども、市や歴史資料館の認識としては、実際はどうなったんでしょう
 か。
  私からの通報後、調べてもらいましたけども、調べた結果は現在どのようなことがわ
 かったのでしょうか、お答えください。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎牧薗 生涯学習課長
  歴史資料館では、幣原喜重郎個人の実績のみならず、幣原家の歴史や地域の様子、
 家族とのかかわりなどについて多角的に展示しておりますが、当該調査会については認
 識しておりませんでした。

  調べた結果につきましては、少しご御説明が長くなりますが、幣原平和財団が195
 5年、昭和30年に発行した幣原喜重郎や調査会に関する論考によりますと、当該調査
 会は、敗戦に関して犯した過ちを繰り返さないことを目的とし、
  敗戦・戦争の原因と実相の徹底的な調査のため、幣原喜重郎内閣が1945年、昭和
 20年11月に設置しました。

  設置経緯につきましては、戦争責任の調査と追及を求める世論を受け、敗戦原因の調
 査の必要性を指摘していた幣原が、敗戦ノ原因及実相調査ノ件として、閣議決定し、設
 置され、
 総裁には幣原みずからが就任し、
 調査方針として、
  戦争の起こった原因を世界史的立場に立って究明すること。
  戦争経過の実情を明確にし、敗戦に導いた真因を追求すること。
  降伏後の日本がどのような困難に直面し、処理したかを明らかにするなどして、戦争
  のてんまつについて正確な歴史的資料を後世に残し、恒久的な平和日本を建設するた
  め、基本的な指標を導き出すものであること
 を策定しました。
 
  しかしながら、連合国最高司令官の諮問機関である対日理事会において、ソ連代表が
 戦争の原因調査や戦争扇動者の処罰という任務は極東国際軍事裁判所に属していること
 や、
  元軍人などが委員として調査に携わっていることを批判し、解散を勧告したことなど
 により、
  対日理事会での意見対立の長期化を懸念したGHQの意向に応じ、日本政府は、
 1946年、昭和21年8月に調査会の廃止を内定、6月に廃止されました。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  どうもありがとうございました。
  この戦争責任の問題については、私自身も含めて日本のリベラルと言われているほと
 んどの人たちも、「日本人みずから戦争責任を裁く」、「戦争を検証する」ということ
 ができないままに極東軍事東京裁判で裁かれてしまったので、
  それで戦争の追求、検証が極めて不十分なままに戦後が過ぎたんだという論調、考え
 なんですね。

  しかしながら、これを見ますと、当時の総理大臣みずからが「戦争の検証をしっかり
 やろう」ということを発案して、みずから陣頭指揮をとって調査会をつくったと、
 これはやっぱりすごく大きな事実だったと思いますね。

  もちろん保守政治家ですから、戦後の戦争責任なんていうのは考えもつかなかったで
 しょう。
  しかしながら、平和外交の旗手としてやっていた政権の中枢に一時おった人ですか
 ら、当時の戦争推進遂行の勢力、軍部や財閥、その意向を受けた政治家たちがいかにデ
 タラメなことをやって日本を過ちに導いたのかというのを、まさに切歯扼腕する思いで
 左遷されて冷や飯を食っていた。

  そして、自分がまさに危惧したとおり、とんでもない敗戦になって、日本はぼろぼろ
 になったという強い怒りも非常に持ったはずであります。
  戦前の日本というのは、戦後、「日本を取り戻そう」とかいう人らがワアワア言って
 いるみたいに、「打って一丸戦争に行った」とは実は言えない。

  政権中枢のビルのど真ん中で白昼堂々と日本刀で幹部を斬り崩す、永田鉄山斬殺事件
 とか、2・26事件とか、あるいはアヘンを商売して中国に行く……

○佐藤 委員長
  戸田委員、内容をできるだけ要約して。

◆戸田 委員
  はい。そういうふうないろんな、軍隊の中での派閥の争いとか、いろんなことがぐち
 ゃぐちゃになって、結果としては、全体としては極めて無責任な体制。
  今の東京オリンピック体制の何百倍、何千倍も無責任な責任をとらない体制で敗戦を
 迎えた。

  そのことに対する憤り、あるいは自分の力不足、自責の念等々も踏まえて、こういう
 ことを提起されたはずなんでありますね。
  こういうことの意義というのはとても大きくて、しかもそれを近代史の専門家の方で
 すら、本はちゃんとあるんですけども、それに焦点を当てるというか、照明を当てると
 いうことが極めてなかったということぐらいですから、市が知らなくてもある意味当然
 なんですけどね。

  今後ぜひこれ照明を当てて、みんなの共有財産にしていきたいと思いまして、次の質
 問に移りますが、

  4番目。
  幣原喜重郎と大東亜戦争調査会の一件について、門真市教委として、さらに調査を進
 めて、市民に展示・啓発説明できるようにしていくべきと思いますが、どうでしょう
 か。
  また、それを推進する体制とか推進のめどというのは、今のところどんなものなんで
 しょうか。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎牧薗 生涯学習課長
  調査が十分に行われることなく廃止されたようであるため、新たに展示する資料とし
 てどのようなものがあるかはわかりませんが、常設展のパンフレットに記載している年
 表を充実させたいと考えております。

  歴史資料館の体制につきましては、正職員として、生涯学習課長補佐、公民館長、
 文化会館長を兼務する館長が1名、学芸員が1名、非常勤嘱託職員2名の体制でござい
 ます。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  人員削減体制の折、課長補佐と公民館長と文化会館長が同じ人が兼ねていると。
  大変なことですね。
  学芸員は1人だけ、非常勤嘱託職員が2名ということですけども、なるべくならば、
 若干の嘱託経験者も雇い入れることを含めてぜひ頑張っていただきたいということを要
 望して次に移ります。

  5番目。
  とりあえず戦後70年である今年のうちに、幣原喜重郎と大東亜戦争調査会の一件を
 語られる研究者などに依頼して、門真市内で講演会を持つのがよいと考えるんですけど
 も、どうでしょうか。
  朝日新聞記事に載っていた日本の近現代史を研究する歴史家、加藤陽子さんなどに依
 頼するということについてはいかがお考えでしょうか。

◎牧薗 生涯学習課長
  郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を市民の皆さんにわかりやすく伝えることによ
 り、幣原喜重郎が目指した永久不滅の平和について考えていただくとともに、市民が
 本市に対して誇りと愛着を持つことができる環境を醸成する取り組みを検討してまい
 ります。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  どうも「今年中」とか、あるいは「今年度中」とかとも言いにくい、言えないという
 のは残念ですけれども、できるだけ早くやってほしいと要望します。

  さて、6番目。
  門真市やその周辺で幣原喜重郎氏の業績を調査研究している団体、個人はどのように
 なっているでしょうか。
  歴史資料館や民間のグループ、郷土史家、研究者などについてお答えください。

◎牧薗 生涯学習課長
  独自に調査研究している方はおられるかもしれませんが、門真市周辺で幣原喜重郎の
 業績の調査研究を行っている団体や個人については把握できておりません。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  このお答えはちょっと意外だったんですね。
  これだけの偉人であれば、歴史ファンみたいな歴史マニアみたいな人が何人かいらっ
 しゃるのかなと思ったら、どうもそうじゃないという現状がわかりました。

  次、7番目。
  幣原喜重郎氏の業績の啓発継承を市が積極的に行うことが、門真の市民や子どもたち
 に誇りを生み、門真市を愛する気持ちをより育み、門真市の品格と魅力向上にも寄与す
 ると私は確信するんですけれども、
  教委としての認識はいかがでしょうか。

◎牧薗 生涯学習課長
  郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を伝えることにより、市民が本市に対して誇りと
 愛着を持つことができる環境を醸成することは大変重要なことであると考えておりま
 す。
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  この項目、最後の質問として、8番目。
  今年は無理でも、せめて今年度内にでも新たに認識された業績の紹介を中心とした講
 演会などの啓発企画ができるよう、市長部局にも働きかけて予算が出るようにしてほし
 いと思いますが、どうでしょうか。

  今後はせめて年に1回は、幣原喜重郎氏に関連する市民向け行事をやるようにする
 と。
  例えば「幣原喜重郎平和フェスタ」とか、「幣原喜重郎平和憲法祭り」とか、「幣原
 喜重郎の業績展示講演会」などをやったり、
 「平和憲法制定首相のまち、門真市」を門真市の魅力として打ち出したりすることにつ
 いてはどのようにお考えでしょうか。

◎牧薗 生涯学習課長
  これまでにも先ほど御答弁したような内容を実施してまいりましたが、今後も引き続
 き市民大学等の場を活用するほか、郷土の偉人である幣原喜重郎の業績を伝える新たな
 取り組みにつきましても、関係部署へ働きかけたいと考えております。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆戸田 委員
  了承します、ぜひよろしくお願いしたい。
  門真市の与党の議員の方、自民党であれ、公明党であれ、こういうことには反対され
 ない。
  「郷土の偉人」としての幣原喜重郎を盛り立てていこう、というお考えにおいて、
 私は共通するものと思っているんですね。
  まだじかに問い合わせしていませんけども。

  そういうことも含めて超党派的な取り組みが十分可能なことであるということを指摘
 して次の質問にいきます。
 
  次、保育園の問題で、公立保育園・幼稚園の耐震化工事の見通しについてでありま
 す。・・・・・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i60-35-69-37.s04.a027.ap.plala.or.jp>

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