「自由・論争」 掲示板

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★戸田の回答書き込みは多忙な活動の中では優先度最下位である。戸田の考えを聞きたい人は電話して来る事。
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私的所有について 徳永基二 08/7/2(水) 3:16

中間共同体について 徳永基二 08/7/2(水) 5:01
難しいものです。 ねこかぶり 08/7/2(水) 22:59
やっと「対話的公共圏」について出てきたことを喜んでいます YUKI 08/7/3(木) 0:18
言葉は魂を持ってます ねこかぶり 08/7/4(金) 1:57
書き方が悪かった? YUKI 08/7/4(金) 11:43
あえて書きますが ねこかぶり 08/7/7(月) 0:20
言葉遣いについて 徳永基二 08/7/7(月) 1:41
Re:言葉遣いについて ねこかぶり 08/7/7(月) 4:19
オールタナチブじゃなくて ねこかぶり 08/7/7(月) 4:23
いわゆる自分が取り上げてた過去の時代と現代の関係 徳永基二 08/7/7(月) 9:02
0と1の間には無限の数がある ねこかぶり 08/7/11(金) 21:49
障害学(障害者運動)においては中心テーマ YUKI 08/7/7(月) 1:51
マルチチュードと経済の問題、それと表現の自由 徳永基二 08/7/12(土) 14:42
孤立しない世の中について ねこかぶり 08/7/4(金) 1:50

中間共同体について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/2(水) 5:01 -
  
>人びとが孤立しているので、共同体を再興しなければならない。もちろん、
>閉鎖的なものではない。そして、行政もそれを支援するべきだ。

この考え方はトニーブレア政権の中で英国労働党が唱えていた社会的包摂の
考え方かと思います。

http://www.miyadai.com/


ねこかぶりさんの引用記事の中で
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/06/20/entry_27002871/

「アス・アンド・ゼム」の考え方が出てきますがこの「アス・アンド・ゼム」
の思考背景にどんな文化的背景があるのかという研究がカルチュラルスタデーズ
を産んだのです。(EPトムスン「英国労働者階級の形成」とか)

カルチュラルスタデーズの論客たちはサッチャー政権時代に大学を追われ
それ以後、アメリカやカナダ、オーストラリア、フランス、インドなど
に思想が伝播して言ったのです。

対話的公共圏がTV時代の到来と共にかつての階層性を失って大衆文化に
飲み込まれてゆくとハバーマスが「公共性の構造転換」に書いたのは
1950年代ですが、皮肉なことにこの本が新たな意味で注目されるように
なったのはベルリンの壁が壊れた1990年代になってからです。

ハバーマス本人自身も含めてそれまで対話的公共圏といえば近代国家へと
包摂されてゆく圧力団体ー選挙ー議会のことを指すと思われていた節が
あるのですが89年代に突然、そういうものには包摂不可能な巨大な
市民が歴史の中に立ち現れたのです。


また、
デリダという思想家は68年が生んだ優れて現代的な思想家ですが、ただ、
90年代に入るまでは政治的な運動にも関ずりあっているのに彼の問題提
起は学問の内部だけでの問題と思われてきました。ところが90年代にな
ると全然別な視点から脚光を浴びるようになります。

脱構築「文化の独自性はけして自民族同一性とイコールではない。ヨーロッ
パにはかつてヨーロッパ的であるとすら思われていなかった反ヨーロッパ
的な起源をも含む」を彼の出自(彼はアルジェリア出身のユダヤ人。フラ
ンス人として教育を受けたが戦前、国籍を一年間に渡って突然、奪われた
ことがある。日本の在日朝鮮人に近い視点を持つ)から理解する。また、
インターネットの普及の視点から彼の「多様な読み手に向かって開かれた
思想」という視点が読み解かれる。


例えば、デリダ的な視点で対話的公共圏を読み解いたとするとどうで
しょうか。すると近代国家が前提としている国家、国民、自治体といった
狭い枠組みの範囲を越えるものとして世界市民的な地平が浮かび上がっ
てきます。ヨーロッパの手で生まれた自由、平等、博愛といった理念が
民族の枠組みを越え、ヨーロッパ人でないからこそ別な解釈の可能性
が生まれ、時にヨーロッパに再帰的に対置される。そしてそれを通じて
議論に弁証法的な深みが加わり民主主義はより発展した次の段階へと
進展してゆく。そういう地平が見えてくるわけです。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

難しいものです。
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 ねこかぶり  - 08/7/2(水) 22:59 -
  
▼徳永基二さん:
>>人びとが孤立しているので、共同体を再興しなければならない。もちろん、
>>閉鎖的なものではない。そして、行政もそれを支援するべきだ。
>この考え方はトニーブレア政権の中で英国労働党が唱えていた社会的包摂の
>考え方かと思います。

なるほどねぇ‥
ただ、それが自然発生的な土壌で出来るかが問題です。
お仕着せだったら5人組の再現でしかない。

>「アス・アンド・ゼム」の考え方が出てきますがこの「アス・アンド・ゼム」
>の思考背景にどんな文化的背景があるのかという研究がカルチュラルスタデーズ
>を産んだのです。(EPトムスン「英国労働者階級の形成」とか)

まぁ、日本で言うと一億中流意識から格差社会への変化でしょうね。
で、アスがアスのままで居ればいいのですけど、孤立すると問題が
出てくる。私は富の再分配しかないと思うのだが、その点いろいろと
意見の分かれるとこでしょう。

>対話的公共圏がTV時代の到来と共にかつての階層性を失って大衆文化に
>飲み込まれてゆくとハバーマスが「公共性の構造転換」に書いたのは
>1950年代ですが、皮肉なことにこの本が新たな意味で注目されるように
>なったのはベルリンの壁が壊れた1990年代になってからです

時代とはそういうものでは?
先を見通せても相手にされないと

>例えば、デリダ的な視点で対話的公共圏を読み解いたとするとどうで
>しょうか。すると近代国家が前提としている国家、国民、自治体といった
>狭い枠組みの範囲を越えるものとして世界市民的な地平が浮かび上がっ
>てきます。ヨーロッパの手で生まれた自由、平等、博愛といった理念が
>民族の枠組みを越え、ヨーロッパ人でないからこそ別な解釈の可能性
>が生まれ、時にヨーロッパに再帰的に対置される。そしてそれを通じて
>議論に弁証法的な深みが加わり民主主義はより発展した次の段階へと
>進展してゆく。そういう地平が見えてくるわけです。

非常に難しい答えなのですが(いつもそうだが)
民主主義の次の段階に昇華すべきだというのは賛成です。
でも、そのフレームワークは民主主義じゃないといけないのですよね。
民主主義は衆愚により政体かもしれないが、責任を負う本体が決定権を
持つというほかにない優れた政体なんですよね。チャーチルの言うとおり
やはり、ここは自分で考える能力をもつ人をつくる教育にかかっていると思われます。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

やっと「対話的公共圏」について出てきたことを喜んでいます
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 YUKI WEB  - 08/7/3(木) 0:18 -
  
私が言ってきたことは、「対話的公共圏」であり、それを「いかに分かりやすく言って行くか」に主軸があったのです。

様々な左派団体は官僚主義・権威主義的なトップダウン型に陥り、地方議員も自分の地方で「対話的公共圏」を作らなければいけないところを、独断専行型で議員活動を行いがちになる点に憤りを感じていたのは確かです。

しかし、今、当掲示板で、「対話的公共圏」の言葉がでてきたことに喜びを感じています。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.14) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

孤立しない世の中について
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 ねこかぶり  - 08/7/4(金) 1:50 -
  
前回は酔っ払っての回答なので‥
#酔っ払ってまで書くなよ‥

▼徳永基二さん:
>>人びとが孤立しているので、共同体を再興しなければならない。もちろん、
>>閉鎖的なものではない。そして、行政もそれを支援するべきだ。
>この考え方はトニーブレア政権の中で英国労働党が唱えていた社会的包摂の
>考え方かと思います。

ですね。

>「アス・アンド・ゼム」の考え方が出てきますがこの「アス・アンド・ゼム」
>の思考背景にどんな文化的背景があるのかという研究がカルチュラルスタデーズ
>を産んだのです。(EPトムスン「英国労働者階級の形成」とか)

その通りです。
一億総中流のなかではでなかった思想です。

>カルチュラルスタデーズの論客たちはサッチャー政権時代に大学を追われ
>それ以後、アメリカやカナダ、オーストラリア、フランス、インドなど
>に思想が伝播して言ったのです。

なるほど‥
サッチャリスムがそれを生んだのかと‥

>対話的公共圏がTV時代の到来と共にかつての階層性を失って大衆文化に
>飲み込まれてゆくとハバーマスが「公共性の構造転換」に書いたのは
>1950年代ですが、皮肉なことにこの本が新たな意味で注目されるように
>なったのはベルリンの壁が壊れた1990年代になってからです。

無知ですみません。
私自身そこまで本を読んでませんので‥言い訳ですが

>ハバーマス本人自身も含めてそれまで対話的公共圏といえば近代国家へと
>包摂されてゆく圧力団体ー選挙ー議会のことを指すと思われていた節が
>あるのですが89年代に突然、そういうものには包摂不可能な巨大な
>市民が歴史の中に立ち現れたのです。

89年は大きな年でしたね。
未だにそれに対応できない市民が多く居ます。

>また、
>デリダという思想家は68年が生んだ優れて現代的な思想家ですが、ただ、
>90年代に入るまでは政治的な運動にも関ずりあっているのに彼の問題提
>起は学問の内部だけでの問題と思われてきました。ところが90年代にな
>ると全然別な視点から脚光を浴びるようになります。
>
>脱構築「文化の独自性はけして自民族同一性とイコールではない。ヨーロッ
>パにはかつてヨーロッパ的であるとすら思われていなかった反ヨーロッパ
>的な起源をも含む」を彼の出自(彼はアルジェリア出身のユダヤ人。フラ
>ンス人として教育を受けたが戦前、国籍を一年間に渡って突然、奪われた
>ことがある。日本の在日朝鮮人に近い視点を持つ)から理解する。また、
>インターネットの普及の視点から彼の「多様な読み手に向かって開かれた
>思想」という視点が読み解かれる。
>
>
>例えば、デリダ的な視点で対話的公共圏を読み解いたとするとどうで
>しょうか。すると近代国家が前提としている国家、国民、自治体といった
>狭い枠組みの範囲を越えるものとして世界市民的な地平が浮かび上がっ
>てきます。ヨーロッパの手で生まれた自由、平等、博愛といった理念が
>民族の枠組みを越え、ヨーロッパ人でないからこそ別な解釈の可能性
>が生まれ、時にヨーロッパに再帰的に対置される。そしてそれを通じて
>議論に弁証法的な深みが加わり民主主義はより発展した次の段階へと
>進展してゆく。そういう地平が見えてくるわけです。

不勉強で済みませんが、言いたいことは私と同じです。
「次の段階」というのが私には解りかねますが、おそらく民主主義では
ないかと‥そのためには義務教育の充実と言うのが必要です。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

言葉は魂を持ってます
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 ねこかぶり  - 08/7/4(金) 1:57 -
  
▼YUKIさん:
>しかし、今、当掲示板で、「対話的公共圏」の言葉がでてきたことに喜びを感じています。

言葉というものは難しくそれを的確に表現する言葉というものはプロでもなかなか
出来ないものです。今回私がたまたま興味を持った言葉を書き込んだだけで、その
思想は持ってなければ共感できないはずです。YUKIさんがその言葉に共感したのは
いいとして、自分の言葉で自分なりに表現するのがYUKIさんの義務だと思います。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

書き方が悪かった?
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 YUKI WEB  - 08/7/4(金) 11:43 -
  
当然、私は「対話的公共圏」という言葉も概念も知っていますが、それをどうやって分かりやすく伝えるのか、そして、それをどうやって広く分かってもらうかが課題でした。

なぜなら、「対話的公共圏」と言ってしまったら堅苦しくなるし、ハーバマスやアーレントなんて知っている人は限られています。

私が「対話的公共圏」の重要性に気付いたのは、障害学(障害者運動)の考えを原点としているからです。
これは、自身がマイノリティだからこそ気付いたという面も大きいと思います。

つまり、私の数年間を振り返れば、「対話的公共圏」を作るための苦闘というのが根底にあったと言えるでしょう。
※旧サイトでも根底にそういう考え方が流れています。
http://www.n-yuki.net/old/profile/index.html

社会政策という観点からは、第一に地方自治体が様々な方法で支援すること、具体的には、公的施設の提供などハードウェア的な面と、市広報の市民への解放などソフトウェア的な面、そして、第二に地方議員も「対話的公共圏」の創出に尽くさなければならないなどが言えるでしょう。

当掲示板でさえ、市民派議員は率先して「対話的公共圏」を作らなければならない、「独断専行ではいけない」との書き込みを行えば、統一戦線さんが私への誹謗中傷を行うというのが過去にもありました。

今まで、様々な方法で伝えようとしたけれども、「なぜそれが重要なのか」がなかなか理解されないというのが嘆きでもありました。

従来の左翼的な運動を行っている人でさえ、ある種のマッチョイズムや体育会的な文化により、経験を振り回したり、「○○さんだって頑張っているんだ」という同志を庇う風潮などにより、若者が入ってきても異論はおろか、自分の意見も言えない状況に置かれるのです。

それが雨宮処凛さんの活躍、それとも赤城さんの『希望は戦争』などで、左翼運動自体が変革を求められている部分から徐々に変わりつつあります。
『革命21』の「わたしたちを変えよう」というのも、象徴的ではないでしょうか。
確かに、四トロ掲示板のよねざわいずみさんの指摘など至らない部分も多いのは分かっているが、これも、どっちかと言えば「うっかりミス」に近く、話せば分かる程度だと思います。


▼ねこかぶりさん:
>▼YUKIさん:
>>しかし、今、当掲示板で、「対話的公共圏」の言葉がでてきたことに喜びを感じています。
>
>言葉というものは難しくそれを的確に表現する言葉というものはプロでもなかなか
>出来ないものです。今回私がたまたま興味を持った言葉を書き込んだだけで、その
>思想は持ってなければ共感できないはずです。YUKIさんがその言葉に共感したのは
>いいとして、自分の言葉で自分なりに表現するのがYUKIさんの義務だと思います。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.15) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

あえて書きますが
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 ねこかぶり  - 08/7/7(月) 0:20 -
  
言葉というものは自分で会得してこそ自分のものになるものです。
その間には消化期間があります。他人の言葉に思わず反応してはいけないということです。
消化してから自分の言葉で話して欲しいのです。私はこの国がダメになったら逃げる覚悟
ですが、貴方はこの国を変える覚悟があるはずです。それならなおさら言葉を大切に
して欲しいのです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

言葉遣いについて
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/7(月) 1:41 -
  
なるべくですます調で話したいのにすぐ論文調(である。だ。)になってしまう
徳永です。

いつも私の書いたものにレス頂いている方々ありがとうございます。

折角ですのでYUKIさん充てに書かれた文への横レスを試みてみようと
思います。

言葉と言うのは自分の中で蓄えて熟しから発せよ、はまさしくその通りです。

もっとも私が学術用語を使う時はまた別な意味合いもありますけど。
自分はプロバカンダー、思想家というところで発言してるので
その系統の人に対してのメッセージ(隠語)という意味もあります。

自分はデモにも行きますけど、多分、デモの群集に混じってる時より
こうやって書いてる時の方が社会的に意義ある活動をしていると思い
ますので。


勿論、活動系の人を無視してるわけではありません。ただ、社会的な
活動は定義されて始めて自覚的で評価されうる活動となると言う面も
あります。

日本にはこれまでマルクス主義かナショナリズムしかありませんでした。
そういうところでは全ての運動はこの二つの論理で整理されこの二つの
論理を行き交う以上のムーブメントを起こせません。

この二つの論理で語られない非自覚的動きに定義を与え、自覚化させること。
別なオルターナティブを見せ、方向性を与えること。これは自由社会主義の
論者を名乗っている自分にしかできない。(森野栄一さん辺りはあまりに
学術的な世界に閉じこもりすぎている。私は政治的であって悪いと思わない)

学術的な用語自体は悪くありせん。それがあんまり観念的な論理になりすぎ
なければです。

それに自分が普段使っている論理はここ2,30年間に日本でもすっかりおなじみに
なった論理ばかりです。(もっと古い時代からお馴染な話も盛り込まれています。
つまり60年安保や70年全共闘のころにお馴染だった論理に新しい装いと論理を
与えて接続してやろうと思ってますので)

運動系の人にとって理論武装の手段と運動の方向性を与えられるのはそんなにも
悪くありません。なにせ、国家と資本は、やれ自己責任、やれ新自由主義、
やれセキュリティ国家と次から次へと自らの権力を正当化する論理を生み出し
ているのですから
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

障害学(障害者運動)においては中心テーマ
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 YUKI WEB  - 08/7/7(月) 1:51 -
  
以上は、障害学(障害者運動)においては中心テーマであり、障害者運動が特に盛んだった80年代はラジカルな当事者運動(後期青い芝など)から盛んに言われていたことでもあるのです。

障害学を本格的に学ぶなら以下のサイトがおすすめです。
http://www.arsvi.com/

それと、「社会権」について、生存権と混同されがちであるが、本来の意味は「社会の中で人間が人間らしく生きる権利」です。
この中でも「社会の中で人間が人間らしく」とは何かを問わなければなりません。
共同体に主体として参加できること、そして、決定の場に立ち会えること、最低でもこの二つがあってこそ始めて人間らしいと言えるのではないでしょうか?
そこから見れば、今の若者は、分断と孤立の中にあり、制度上も精神的にも意見を言えない状況に置かれているので、社会権からはほど遠いと言えます。
「社会権」概念は、女性が男性の従属物とされていた頃の女性運動やラジカルな障害者運動から得られるものが多いでしょう。
http://www.dpi-japan.org/

あるいは、フェミニズムの中でも「第三世代フェミニズム」では、単に「女性の解放」でなく、今までのフェミニズムが培った成果を生かし、「弱者が弱者のまま開放される」世界を目指そうとしています。
その中でもエンパワーメントと多様性を前提とした人びとの繋がりを作ることがテーマとなっています。

第三世代フェミニズムについては、以下が代表的なサイトと言われています。
http://macska.org/

私は思想的に上記からかなりの部分で影響を受けていて、エンパワーメントと新しい共同体の創出を主題として言論活動を行っていました。
しかし、どうしてそれが重要なのか理解されないばかりか、誹謗中傷さえ浴びたことがあるという過去があります。
最近にして、若者を中心としたラジカルな運動からも言われる様になり、やっと重要性が広く知られる様になったと思っています。
(今の若者の運動は、まさに「エンパワーメント」を確立する運動です。)


私からすれば、上のスレッドで「対話的公共圏」(社会学では「公共領域」と呼ぶ方が一般的)という専門用語が出てきたこと、私が「市民派議員が対話的公共圏を作らなければならない」と書いても統一戦線さんが誹謗中傷を書かなくなったことからも象徴されているのではないかと思うのです。

そして、今や「革命21」でさえも、「多様性のもとで」「リゾーム状」とか言い出していて、「ポストモダンへの歩み寄り」を見せているのは、明らかに時代が変わりつつあることを証明しています。

私は、以前よりずっと「多様性」「人間関係の上で発生する権力」「弱者の社会参加」「開かれたコミュニティの創出」と言い続けていたことを思えば、今になってやっと私の志向した方向に運動の主流が向かって行っていると感じています。

ただ、ここで付け加えておかなければいけないのは、私も上で書いた様に、主に障害者運動やフェミニズムから学んだにしか過ぎず、決して私が人よりも先を見ていた訳でも何でも無い点です。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.15) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

Re:言葉遣いについて
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 ねこかぶり  - 08/7/7(月) 4:19 -
  
▼徳永基二さん:
>なるべくですます調で話したいのにすぐ論文調(である。だ。)になってしまう
>徳永です。
>日本にはこれまでマルクス主義かナショナリズムしかありませんでした。
>そういうところでは全ての運動はこの二つの論理で整理されこの二つの
>論理を行き交う以上のムーブメントを起こせません。

それは間違いだと思う。
#起きたての我輩の主張だが‥
中間点で着地を願っていたのは本来の主張と違う霞ヶ関の連中では?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

オールタナチブじゃなくて
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 ねこかぶり  - 08/7/7(月) 4:23 -
  
▼徳永基二さん:
>なるべくですます調で話したいのにすぐ論文調(である。だ。)になってしまう
>徳永です。
>日本にはこれまでマルクス主義かナショナリズムしかありませんでした。
>そういうところでは全ての運動はこの二つの論理で整理されこの二つの
>論理を行き交う以上のムーブメントを起こせません。

それは間違いだと思う。
#起きたての我輩の主張だが‥
中間点で着地を願っていたのは本来の主張と違う霞ヶ関の連中では?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

いわゆる自分が取り上げてた過去の時代と現代の関係
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/7(月) 9:02 -
  
おはようございます。仕事に行く前にいくつか。

ねこかぶりさん二度同じこと書かれてます。

私だって、多様性のある歴史が二つの潮流でまとめられうる
と思っていませんよ。ただ、確かに大正時代辺りから平成
までメインの流れはそうだったと申し上げているのです。
(アナキストの被害妄想か??だがもし、歴史を姜尚中と
中島岳志の『日本 根拠地からの問い』みたいにみるなら
そういわざるえない。実際私から見ると西部邁だろうが
宮台真司だろうが、的場 昭弘やいいだもも、だろうが
明らかにその枠で行動している。)

後、自分がこれまで取り上げた過去の時代ですが

特定の時代を褒めることはしていない。全てその時代に
含まれていた可能性の一部のみ取り上げている

2ちゃんの某スレに書いたことを繰り返すと
----------------------------------------------------

59 名前:サヨ[sage] 投稿日:2008/06/07(土) 11:38:32 ID:???
こういうヨーロッパと日本の様々な時代からとってきた歴史のパッチワーク
(里山と農村の話は日本だったら江戸時代、ヨーロッパだったら、絶対王政
の時代まで、>55の話は12〜13世紀ごろのバロック時代のドイツ辺りの話、
ジェントルマンうんぬんはルネッサンス時代、日本だと明治初期の文豪が
生きていたまで当てはまる。>56はイギリスだと17世紀、フランスでは18世紀)

かなり美化された話が現状批判になるのか?歴史を単線的な発展段階だとすると
単なる回顧趣味だが、そうでないとするならこれらを理想とした改革論を構築可能
だわ。勿論、かつての封建社会を美化してるんじゃない。こういうのを思想化すると

「地方分権」「減価償却マネー」「基礎所得」「対話的公共圏」「土地共有制」
「教養主義の復権」「大学の自治」「ナショナリズム批判」みたいな物言いになる。
-----------------------------------------------------------------------
と書いている。

もっともと、ここのスレに書いた内容では勇み足な発言

「地球環境問題に関しての自分の立場は若干複雑です。
分かりやすく言うと本多勝一氏の「麦とロッキード」
からあまり変っていない。

要するに地域環境を破壊する公害には反対だが
だからといって機械文明によって生活が改善される
ことには賛成すると。

だけどそれはアンソニーギディンズの言うように
ジャガーノート(迷走するトラック)だとは思いません。
むしろ、我々が過去から築き上げてきた農業文明の中にその
解決の処方箋もあるという立場です。(そういう意味では
かなり保守的)」


「私は国民国家という段階を得ず、(宗教戦争による領邦国家の進展という
段階を得ず)この状態のまま民主主義化が進行することは不可能だったのか?
と思うわけです。」

も目立つわけですけど。
前者なら中沢新一のおじさん護人氏と同じような話になりますし、
後者なら中沢新一のお父さんに近い立場になる。

だけど農民対非農民という対立関係で見ているわけでないので。
一方で檀家制度の批判のように江戸時代の封建制度に対する批判もある。
だけど江戸時代の農民が必ずしも士農工商の階級社会の枠に留まっていた
というほど保守的でないのも事実です。(識字率の話にそれが伺える)
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

0と1の間には無限の数がある
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 ねこかぶり  - 08/7/11(金) 21:49 -
  
▼徳永基二さん:
>おはようございます。仕事に行く前にいくつか。

遅くなってすみません。
体調を壊していたものですから

>ねこかぶりさん二度同じこと書かれてます。

その頃からボケとったのですね(苦笑)

>私だって、多様性のある歴史が二つの潮流でまとめられうる
>と思っていませんよ。

選択肢も無数にあったでしょうし、潮流も無数にあった。
それが歴史ですよね。

>ただ、確かに大正時代辺りから平成
>までメインの流れはそうだったと申し上げているのです。

まぁ、自民党や社会党自体が一枚岩でないのでね。

>2ちゃんの某スレに書いたことを繰り返すと
>----------------------------------------------------
>
>59 名前:サヨ[sage] 投稿日:2008/06/07(土) 11:38:32 ID:???
>こういうヨーロッパと日本の様々な時代からとってきた歴史のパッチワーク
>(里山と農村の話は日本だったら江戸時代、ヨーロッパだったら、絶対王政
>の時代まで、>55の話は12〜13世紀ごろのバロック時代のドイツ辺りの話、
>ジェントルマンうんぬんはルネッサンス時代、日本だと明治初期の文豪が
>生きていたまで当てはまる。>56はイギリスだと17世紀、フランスでは18世紀)
>
>かなり美化された話が現状批判になるのか?歴史を単線的な発展段階だとすると
>単なる回顧趣味だが、そうでないとするならこれらを理想とした改革論を構築可能
>だわ。勿論、かつての封建社会を美化してるんじゃない。こういうのを思想化すると
>
>「地方分権」「減価償却マネー」「基礎所得」「対話的公共圏」「土地共有制」
>「教養主義の復権」「大学の自治」「ナショナリズム批判」みたいな物言いになる。
>-----------------------------------------------------------------------
>と書いている。

「地方分権」、「基礎所得」、「教養主義の復権」、「大学の自治」、「ナショナリズムの批判」
あたりには賛成します。

>要するに地域環境を破壊する公害には反対だが
>だからといって機械文明によって生活が改善される
>ことには賛成すると。

これにも賛成します。

>だけどそれはアンソニーギディンズの言うように
>ジャガーノート(迷走するトラック)だとは思いません。
>むしろ、我々が過去から築き上げてきた農業文明の中にその
>解決の処方箋もあるという立場です。(そういう意味では
>かなり保守的)」

私は工業文明の中にも解決法があると思います。

>「私は国民国家という段階を得ず、(宗教戦争による領邦国家の進展という
>段階を得ず)この状態のまま民主主義化が進行することは不可能だったのか?
>と思うわけです。」

不可能でないが、人類の抱える業というものを考えると理性的進化が出来るか
どうか不明です。

>だけど農民対非農民という対立関係で見ているわけでないので。
>一方で檀家制度の批判のように江戸時代の封建制度に対する批判もある。
>だけど江戸時代の農民が必ずしも士農工商の階級社会の枠に留まっていた
>というほど保守的でないのも事実です。(識字率の話にそれが伺える)

まぁ、それはいえてますね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

マルチチュードと経済の問題、それと表現の自由
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/12(土) 14:42 -
  
ルモンドディプロマティークの「アメリカ大統領選の欠けた争点」
http://www.diplo.jp/articles08/0806-2.html)の記事を見れば
分かるように多様な者たちの機会均等を語ることが必ずしも
貧困格差の解消には繋がらない。

だが、新自由主義による階級間格差の固定化が世界規模で
進展する中で、欧米や日本などでは多様なものたちの視点が再び
経済の問題へと回帰してきたように思われる。これは喜ばしい
ことだと思う。経済の問題を解決するだけでは多様なものたちが
多様性を維持したまま共存できるようにはならないし、逆に
多様なものたちに機会を均等化したところで、貧困問題の解決に
はならないからだ。


>第三世代フェミニズムについては、以下が代表的なサイトと言われています。
>http://macska.org/

上記サイトにある記事
「フェミニズムにおけるポルノグラフィ否定論と肯定論の意外な近さ」
は興味深かった。

私は男性なので基本的に男性の性欲そのものを否定する気はないし
(女性のそれが肯定されて男性のそれが否定される筋合いはないだろう)

ポルノグラフィで性欲の処理をすること自体を悪し様に言う気はない。
ただ、それによって特定の個人が犠牲になったり陵虐されてはならない。
欲望諸関係において個人の欲望はお互いに高めあうような形で処理され
るべきものだ。

日本では二次元の文化が独自の発展を遂げた。やれ「ジャパニメーション」
だ「萌え市場」だと周囲から喧伝さるようになってからオタク文化はかなり
歪んだように思うのだが、もともと空想上の存在に想いを馳せ、理想の
愛について語ること自体が歪んでいるわけではない。(プラトン、
ボッティチェリ、ペトラルカなどその道の達人は昔から大勢いた。)
児童ポルノ禁止法の拡大解釈で二次元を規制するのでなく、むしろ萌え文化
とフェミニズムが建設的な対話を重ねることを望む。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

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