「自由・論争」 掲示板

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私的所有について 徳永基二 08/7/2(水) 3:16

障害学(障害者運動)においては中心テーマ YUKI 08/7/7(月) 1:51
マルチチュードと経済の問題、それと表現の自由 徳永基二 08/7/12(土) 14:42

障害学(障害者運動)においては中心テーマ
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 YUKI WEB  - 08/7/7(月) 1:51 -
  
以上は、障害学(障害者運動)においては中心テーマであり、障害者運動が特に盛んだった80年代はラジカルな当事者運動(後期青い芝など)から盛んに言われていたことでもあるのです。

障害学を本格的に学ぶなら以下のサイトがおすすめです。
http://www.arsvi.com/

それと、「社会権」について、生存権と混同されがちであるが、本来の意味は「社会の中で人間が人間らしく生きる権利」です。
この中でも「社会の中で人間が人間らしく」とは何かを問わなければなりません。
共同体に主体として参加できること、そして、決定の場に立ち会えること、最低でもこの二つがあってこそ始めて人間らしいと言えるのではないでしょうか?
そこから見れば、今の若者は、分断と孤立の中にあり、制度上も精神的にも意見を言えない状況に置かれているので、社会権からはほど遠いと言えます。
「社会権」概念は、女性が男性の従属物とされていた頃の女性運動やラジカルな障害者運動から得られるものが多いでしょう。
http://www.dpi-japan.org/

あるいは、フェミニズムの中でも「第三世代フェミニズム」では、単に「女性の解放」でなく、今までのフェミニズムが培った成果を生かし、「弱者が弱者のまま開放される」世界を目指そうとしています。
その中でもエンパワーメントと多様性を前提とした人びとの繋がりを作ることがテーマとなっています。

第三世代フェミニズムについては、以下が代表的なサイトと言われています。
http://macska.org/

私は思想的に上記からかなりの部分で影響を受けていて、エンパワーメントと新しい共同体の創出を主題として言論活動を行っていました。
しかし、どうしてそれが重要なのか理解されないばかりか、誹謗中傷さえ浴びたことがあるという過去があります。
最近にして、若者を中心としたラジカルな運動からも言われる様になり、やっと重要性が広く知られる様になったと思っています。
(今の若者の運動は、まさに「エンパワーメント」を確立する運動です。)


私からすれば、上のスレッドで「対話的公共圏」(社会学では「公共領域」と呼ぶ方が一般的)という専門用語が出てきたこと、私が「市民派議員が対話的公共圏を作らなければならない」と書いても統一戦線さんが誹謗中傷を書かなくなったことからも象徴されているのではないかと思うのです。

そして、今や「革命21」でさえも、「多様性のもとで」「リゾーム状」とか言い出していて、「ポストモダンへの歩み寄り」を見せているのは、明らかに時代が変わりつつあることを証明しています。

私は、以前よりずっと「多様性」「人間関係の上で発生する権力」「弱者の社会参加」「開かれたコミュニティの創出」と言い続けていたことを思えば、今になってやっと私の志向した方向に運動の主流が向かって行っていると感じています。

ただ、ここで付け加えておかなければいけないのは、私も上で書いた様に、主に障害者運動やフェミニズムから学んだにしか過ぎず、決して私が人よりも先を見ていた訳でも何でも無い点です。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.15) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

マルチチュードと経済の問題、それと表現の自由
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/12(土) 14:42 -
  
ルモンドディプロマティークの「アメリカ大統領選の欠けた争点」
http://www.diplo.jp/articles08/0806-2.html)の記事を見れば
分かるように多様な者たちの機会均等を語ることが必ずしも
貧困格差の解消には繋がらない。

だが、新自由主義による階級間格差の固定化が世界規模で
進展する中で、欧米や日本などでは多様なものたちの視点が再び
経済の問題へと回帰してきたように思われる。これは喜ばしい
ことだと思う。経済の問題を解決するだけでは多様なものたちが
多様性を維持したまま共存できるようにはならないし、逆に
多様なものたちに機会を均等化したところで、貧困問題の解決に
はならないからだ。


>第三世代フェミニズムについては、以下が代表的なサイトと言われています。
>http://macska.org/

上記サイトにある記事
「フェミニズムにおけるポルノグラフィ否定論と肯定論の意外な近さ」
は興味深かった。

私は男性なので基本的に男性の性欲そのものを否定する気はないし
(女性のそれが肯定されて男性のそれが否定される筋合いはないだろう)

ポルノグラフィで性欲の処理をすること自体を悪し様に言う気はない。
ただ、それによって特定の個人が犠牲になったり陵虐されてはならない。
欲望諸関係において個人の欲望はお互いに高めあうような形で処理され
るべきものだ。

日本では二次元の文化が独自の発展を遂げた。やれ「ジャパニメーション」
だ「萌え市場」だと周囲から喧伝さるようになってからオタク文化はかなり
歪んだように思うのだが、もともと空想上の存在に想いを馳せ、理想の
愛について語ること自体が歪んでいるわけではない。(プラトン、
ボッティチェリ、ペトラルカなどその道の達人は昔から大勢いた。)
児童ポルノ禁止法の拡大解釈で二次元を規制するのでなく、むしろ萌え文化
とフェミニズムが建設的な対話を重ねることを望む。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

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