「自由・論争」 掲示板

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私的所有について 徳永基二 08/7/2(水) 3:16

独裁も必要悪では? ねこかぶり 08/7/5(土) 23:06
いわゆるアナボル論争について 徳永基二 08/7/6(日) 22:35
まぁ、そうなりますね ねこかぶり 08/7/6(日) 23:08
識字率と国家 徳永基二 08/7/6(日) 23:50
それからのことは ねこかぶり 08/7/7(月) 0:30
中世でも 「まつろわぬ民」は存在した YUKI 08/7/7(月) 1:03
Re:中世でも 「まつろわぬ民」は存在した 徳永基二 08/7/7(月) 2:31
つきはなすということ ねこかぶり 08/7/7(月) 1:35
Re:つきはなすということ 徳永基二 08/7/12(土) 11:39
否定できませんなぁ ねこかぶり 08/7/13(日) 0:46
戦後すぐの社会の方が 徳永基二 08/7/13(日) 23:09

独裁も必要悪では?
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 ねこかぶり  - 08/7/5(土) 23:06 -
  
▼徳永基二さん:
>国民国家の果たす役割については私はかなり揺れています。

通過点として必要だと思います。
最終的な目的じゃないという点では私も同じです。

>民主主義は既に国民国家の必要な段階を越えたと思っているのですが
>歴史には単線的な進化はありませんし、いろいろな状態の社会が
>あってもいいわけですから。個々の社会の変化を起こさせるはそこの
>国の人たち自身です。

国民国家によってなされる重要な役割は義務教育だと思われます。
識字率の向上なくして民主化はなされないと思います。
現代ではそれがテレビやラジオでなされるかもしれませんが、
最終的には本を読まないことにはよりよい形で知識は形成
出来ません。まぁ、本を読まなくなった世の中が、今の
日本であり、アメリカであるのですけどね。民主主義は
感情で動かしてはいけないと、理性で動かすべきだと‥
テレビで表情を見て投票をするのではなく、演説の内容を
聞いて投票すべきだと‥
まぁ、最近のNHKのドキュメンタリーは評価に値するものが
結構ありますけどね。ここ10年ぐらいまともじゃなかったので
すけど、例のエビちゃん亡き後、ジャーナリストとしての
使命に目覚めたようです。

>(歴史は進化でなく変化する。ただ、理念は人に学習能力があるかぎり
>失敗を糧として進化しえる。過去の歴史に発展段階解釈を加えることは可能)

過去の失敗を学ぶためには本を読まなければなりません。自分で考え
自分で受け止められるものを選択するには現在でも本が唯一の存在です。

>ただ、そもそも国民国家が必要だったのかどうかで判断に迷いがあります。
>国民国家の形成過程では権力を集中させるため多くの血が流れます。

歴史の必然じゃないでしょうか?
私は必要悪だと思います。

>既に遠い過去ならあれはああいう時代だったんだ(そういう発展段階だったんだ。)
>といって済ますこともできるかもしれませんが、もし単一民族国家などに
>囚われなければユーゴスラビア内戦もパレスティナ紛争も起こっていなかった
>かもしれないと思うと、”ああいう時代”で済ます気にはなれない。

人間は血を見ないと進化しないのかもしれません。
そして血を忘れると逆戻りすると‥
実に皮肉なことですが、そういう側面があるのでは?

>国民国家以前の封建社会に対する理解では私は両義的です。一方で現在社会で
>資産が集中し、システムの硬直性が高まることで個人の選択の余地が小さく
>なり、階層固定化が進むことを「社会の”封建化”」と侮蔑的に呼ぶことが
>あります。

私も社会の封建化には反対です。
だから公教育は無料化すべきだと
今問題になっているのは親の年収が子供の学歴を決めてしまうとこです。
前にも書いたことですが、相続税は出来るだけ高くして、世代間の
負の連鎖を断ち切るべきだと‥

>その一方、社会主義思想の唱える理想状態の源泉として国民国家以前の段階を
>引き合いに出すことがある。たとえば2ちゃんねるの某スレ(http://tmp7.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1211719164/l50)上ではこう書きました。
>
>「自分は社会学部出身なんだけれども、本来、”社会”という概念は
>「国民政治経済学」等という概念に対する形で生まれてきたものだった。
>”社会”の担い手は国民でなく”市民”だった。
>
>中世のころ、当然、国家などは存在しなかった。存在したのは領主と領民だ。
>領主は世襲だが、教会の牧師は世襲でなかった。教区を中心とした領主権力
>からの解放区があって、そこに都市住民ー市民なる存在がうまれた。市民は
>交易で生計を立てていたが、当時の封建諸侯はたびたび貨幣を改鋳し、その
>たびに改鋳費を取り立てていたので貨幣は退蔵されず、市中でよく循環して
>いた。また当時の金持ちは世間でジェントルマンとして認められるためには
>文化的宗教的素養にも秀でていなければならず、貧しい芸術家のパトロンと
>なったり、宗教施設への寄進もよく行っていた。教会は貧しい人々にパンや
>寝床を与え、古典文献の収集にあたった。つまり現代で言うところの生活保護
>並びに図書館として役割を担っていた。

私は中世には否定的です。
社会に対して一方的な「おしつけ」的身分制度があったからです。
つまり、職業の世襲が当たり前だったことです。

>社会主義が生まれたのはもっと後の時代だが、こういう背景があったから
>国家と貨幣という二つの王政の廃止を唱えたプルードンの思想なんかに
>一定の説得力があった。
>
>56 名前:サヨ[sage] 投稿日:2008/06/06(金) 22:29:37 ID:???
>市民的公共圏なるものは交易で稼いでゆとりの出来た市民がカフェなどで
>駄弁っている中かから生まれた。カフェが生まれる前、ヨーロッパには酒場
>しかなかったが、イスラム商人やオスマントルコの大使や貴族などから
>カフェ文化が流入した。暇な市民は一日の大半をカフェでの社交に費やし
>そこから郵便制度、株式交換所、損保、新聞、私設国会が生まれてゆく。
>いわゆる啓蒙主義思想はこういう空間を根拠に蔓延った。
>
>57 名前:サヨ[sage] 投稿日:2008/06/06(金) 23:18:22 ID:???
>市民同士は交易関係で封建諸侯に抗して利害が結び合わされていたので
>世界市民とは言えなくなかった。この話とマルクスレーニン主義の
>「万国の労働者よ団結せよ」は意味が違うが同じ階層的な利害を共有する
>者達という意味では同じだわな。
>
>因みに68年世代にとっては共にカウンターカルチャーを共有した者達
>のことを世界市民というんだろう。(ジョンレノンやボンジョビの歌を
>唄うものたちとか)

社会の階層化自体は仕方ない(実力主義、競争主義の中で)ですが、階層の
固定化は避けるべき問題だと思います。また、最低限のセーフティネット
(社会権)は保証されてしかるべきだと思う。その階層の中で思想を共有
しあうのは当然あるべき姿だと思います。

>>55や>56のような話を今更するのに意味があるのか?若しくはこれって
>伝統主義でないのかと思うかもしれない。
>自分がやっているのはいわゆる現状肯定や永続性の証明として回収されてない
>未完の歴史を拾うことで現状肯定や伝統に異議申し立てを行っているわけだ。

まぁ、どうなんでしょうね。人間は防衛本能として自己肯定をなすのは無意識
として仕方がないとして、それを理性が越えてこそ未完の歴史を進化させる
ものでは?

>58 名前:サヨ[sage] 投稿日:2008/06/07(土) 00:02:14 ID:???
>勿論、社会主義思想が学んだのは都市民の生活のみではない
>田園地帯では農耕作業の傍ら様々な年中行事に囲まれて現在より
>ゆとりがあったし、農民が生活の糧にしたのは農耕作物ばかり
>でなく川の幸、山の幸もあった。そしてこういった収穫を保障
>した里山は入会地制度によって保障されていた。(国有でもなければ
>私有でもない土地制度の具体例だ)
>
>里山の奥には未だ未開拓な獅子神みたいなものが棲む山も勿論あっただろう。」

現在の民法でも共有地(入会地)は保証されてますが、それは法律を作った
当初の名残かもしれませんね。で、貨幣経済をどう見るかによりますね。
私は貨幣経済は民主主義に進化する上で不可欠なものであると
その上で人々がより良く生活するためには社会権が必要だと‥
ワイマール憲法が画期的だったのはその社会権に触れたからです。
原始共産主義的社会への郷愁をもつのはある意味、あの世代の独特の雰囲気
だったのかもしれません。宮崎駿がそうであるように風の谷のナウシカで
原始共産主義的社会を賞賛し、もののけ姫で自己否定をしたと
#まぁ、彼の作風も変わりましたしね。出来るだけカット数が少ない方向に

>私は国民国家という段階を得ず、(宗教戦争による領邦国家の進展という
>段階を得ず)この状態のまま民主主義化が進行することは不可能だったのか?
>と思うわけです。

私はある意味中世から近世への変化の必然だったと思います。
日本はそこら辺うまく処理して封建国家から突然国民国家になったと‥
それはレアケースであるが、そのための下地が封建国家のうちに
伏線としてひかれていた(国学とか、寺子屋とか)ので、突然
変貌できるものではないと思います。

>後、問題と思っているのは党の果たす役割です。私はそもそも政党政治自体が
>寡占化が進みすぎていると思ってる人なので。(議員そのものが大勢の代表、
>その議員に党議拘束をかけることで、既に票決は民意と言い難いものに変化
>している。)

まぁ、そこは最終的には国民の選択ということで‥
小選挙区を生み出した議員も国民の信託を受けて議決したのですから‥
民主主義の利点はその責任が決定者たる国民にあることです。
集団的ヒステリーはあり、それによってあるべき方向でない方向に
向かうことはありますが、結果的にそれは国民の決定であると
言うことです。
チャーチルの名言「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、
またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。
民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。
実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。こ
れまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」
にあるように‥

>いわゆる一党独裁、民主集中制は必要なのか?確かに革命の過程で時に多様性
>が社会の変化の加速化にとって障害となることもある。個々人を自由にして
>おくと返って個々人を虐げる体制が民間レベルで出来てしまうことが多々ある。
>だから民衆は革命リーダーの指導を受ける必要があり、それには党の優位性は
>必要不可欠だ。もし革命の過程で守旧派の居座る議会が障害になるなら、革命的
>武装蜂起で覆してもよい。

国民が国家を作るべきで、国家が国民を作るんじゃないですよね。
だから、革命権は民主主義の基本にある権利だと思います。

>こういう論理に基づいてロベスピエールの独裁も10月革命も、毛沢東の独裁も
>行われたのですけど、それは民意の集約と革命の進展のために必要なことだった
>のか?と思うわけです。勿論、議会に対する武力革命が全て無効だったとは思
>わないですけど。1991年ボリス=エリツィンのやった議会に対する武力行使と
>1917年、レーニンとトロッキーのやった武力行使の違いは?その後に生まれた
>社会体制はまったく真逆でしたけど。

まぁ、一部を除いて人間とは学習しないおろかな生物です。私も含めて‥
同じことを繰り返しているものです。フランスが第五共和制になるまで
どれだけの時間が必要だったかと、その第五共和制も欠陥のあるシステム
であると‥
最近だと面白いニュースがあります。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080705k0000m030071000c.html
これはロマ人(ジプシーと書いた方がわかりやすいのだが)に対する差別です。
こういうことが平然と行われるのも民主主義です。
まぁ、戦中アメリカで日系人を抑留するということもありましたしね。

>社会主義者である私は当然、私企業に社会的責任と基本的人権を問うのですけど
>だからといってその代わりに国家権力が野放図であれとも思わないので。なにせ
>国家と貨幣の両王権の破棄を唱えたアンチ革命論者、アナルコサジカリストの
>プルードン派ですので。

私は民主主義というシステムがある限りは、国家権力は国民によって制御可能
であると信じます。国家権力の暴走は国民の暴走であり、その責は国民にあると‥
私は人間の理性を信じます。
でも、現実ヒステリックな世の中ですけど‥魔女狩り的な政変がおこったり‥
頭が痛くなりますけど、人間である以上それが性なのかもしれませんね。
ある意味諦めが肝心なのかもしれません。民主主義という制度がある限り‥(苦笑)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

いわゆるアナボル論争について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/6(日) 22:35 -
  
ねこかぶりさんの話は昔のアナボル論争を再燃しかねない
話です。

私に言わせると
原始共産制はマルクスとエンゲルズの脳内妄想、将来の科学的共産主義
段階は不渡り手形。

レーニンのいう党の指導性は労働者の反乱を自己の優位なように簒奪
すること。最終段階の国家の消滅は永久に果たされない空約束。
プロレタリア独裁はプロレタリアへの独裁、革命とは赤軍の軍事力で
反対派を抹殺すること。「全ての権力をソビエトへ」はソビエトを形骸化
した組織へ改変すること。

としか見えない。プルードンも言ってることですけど、「手段において
独裁を用いるものは目的においても独裁者であり続ける。」
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

まぁ、そうなりますね
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 ねこかぶり  - 08/7/6(日) 23:08 -
  
▼徳永基二さん:
>ねこかぶりさんの話は昔のアナボル論争を再燃しかねない
>話です。

意外と共通点が多いのも事実です。

>私に言わせると
>原始共産制はマルクスとエンゲルズの脳内妄想、将来の科学的共産主義
>段階は不渡り手形。

(笑)
その通りですね。

>レーニンのいう党の指導性は労働者の反乱を自己の優位なように簒奪
>すること。最終段階の国家の消滅は永久に果たされない空約束。

(笑)
その通りですね。

>プロレタリア独裁はプロレタリアへの独裁、革命とは赤軍の軍事力で
>反対派を抹殺すること。「全ての権力をソビエトへ」はソビエトを形骸化
>した組織へ改変すること。

(笑)
その通りですね。

>としか見えない。プルードンも言ってることですけど、「手段において
>独裁を用いるものは目的においても独裁者であり続ける。」

意外と国民国家で独裁というのは長く続けるのは大変なものです。
社会の5-10%をスパイ化しなきゃいけない。
スパイに払うコストも馬鹿にならないものです。
意外ともろくあっさりと壊れるものです。
その点、キューバやDPRKは優秀です。ま、どちらも既にほころびが出つつありますが‥
民族対立とかを利用すると意外とあっさり行ったりしますが、国民への締め付けが緩むと
すぐに崩れるものです。旧ユーゴスラビアとかいい例です。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

識字率と国家
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/6(日) 23:50 -
  
左翼の間には知っての如くイバンイリッチの『脱学校』と言う本があります。

自分は社民党員ですけど、自分が社民党に入るきっかけとなったのは
保坂展人さんがまだ議員になる前に彼のところに出かけていってそこで
社会新報の記者と知り合ったことがきっかけです。

保坂さんは知っての如く「偏差値裁判」を起こした人で、彼のように
現代の学校教育のあり方に疑問をもつ人たちから「東京シューレ」の
ような教育機関がうまれました。

日本は明治維新に入る前も識字率が高い国で農民も寺小屋などに通って
文字を学んでいました。学校が生まれる以前は教会や寺などが文字を
教え古典文学を温存する機関となっていたというのは既に書きました。

田舎が遅れていて迷信深いというのは首都権力を機軸にものを考えた
時の話です。(こういうのがサバルタンスタディーズの考え方です。)

日本で学校制度が引かれた時に大勢の人間がそれに抵抗しましたが、それは
学校制度の裏に徴兵制への人材育成の意図を農民たちが読み取ったからです。

昔の学校には非行に走る若者はいなくて代わりに番長と呼ばれる不良がのさばって
いました。彼らはいわゆる地域社会に足場を置き、良い学校、良い会社という路線に
反逆するアウトノミアでした。

西洋ではガリレオ裁判のように教会が巨大な政治権力をもっていた
時代もあったので教会と科学は常に対立していたように見られがちです。

ですがイスラム世界や日本のような仏教世界では必ずしも両者は対立関係
というわけではありません。

欧米でもビックバン理論のガモフ博士、メンデルの法則のメンデルの如く
宗教関係者で科学者もいます。

宗教が科学的事実を歪めてはいけませんが、市場と技術の暴走に横槍を入れる
勢力が必要なのも事実です。(だからといって、人格神を信じず、人間の作った
近代法を宗教法人より上におく考えは変える気はないが)

学問の自由や学校の自治という考えは元々、学校が教会から派生した制度だから
生まれた考え方です。

封建制度は確かに身分制度でしたが出家はそこからドロップアウトする方法
だったことを思い出す必要もあります。(日本では江戸時代以後、檀家制度
に組み込まれて、宗教勢力は出家者の自治組織でなくなっていった。そもそも
家族ぐるみで入信したり、先祖供養を説いたり、死後の成仏を説くなどどれも
本来のゴ−ダマシッタルダの思想とはかけ離れている。)

後、これも既に書いたことですが、百年ほど前(明治時代だ。)の日本には
書生といわれる若者が数多く居て、これらの若者を受け入れられるほどの大
家族をもった先生方というものが普通に存在しました。

もっと昔になると宮本武蔵のように土蔵に篭ったり、山に篭ってて晴耕雨読
に明け暮れる老大家が大勢居ました。(今で言うとオタクだろう。)例えば
アイザックニュートンもそういう人です。後、発明家のエジソンはいわゆる
落ちこぼれでまともに学校に通ってなかったことも思い出すべきですね。

ということで何が言いたいのかと言うと、政教分離を説くなら学校も政治から
分離してなければ話にならないということです。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

それからのことは
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 ねこかぶり  - 08/7/7(月) 0:30 -
  
▼徳永基二さん:
>左翼の間には知っての如くイバンイリッチの『脱学校』と言う本があります。

私は左翼ではないですが、親戚の中には元社会党国会議員が居ます。
#ま、私の身元はその筋にはばればれでしょうから
私はその本を知らないが言いたいことは大体解ります。
で、いま酔っ払って明日動かなきゃいけないので‥

>自分は社民党員ですけど、自分が社民党に入るきっかけとなったのは
>保坂展人さんがまだ議員になる前に彼のところに出かけていってそこで
>社会新報の記者と知り合ったことがきっかけです。

なるほど‥
彼はいい議員です。
今でも
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/
で興味深いメッセージを発信してます。

ま、酔っ払いの戯言ということで本格的な返事は明日ということで‥

#ある意味、資本主義者と社会主義者で価値を共有しなければいけない時代なのかもね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

中世でも 「まつろわぬ民」は存在した
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 YUKI WEB  - 08/7/7(月) 1:03 -
  
網野善彦によれば、中世でもドロップアウトした人びと〜「まつろわぬ民」〜が存在していた様です。
身分制度が固定化されたのは封建制度が出来た後のことで、それ以前は以外とアナーキーだったということが分かっています。

詳しくは、『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』(平凡社ライブラリー/1996/網野善彦)が分かりやすいです。
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_458276150X/
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.15) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

つきはなすということ
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 ねこかぶり  - 08/7/7(月) 1:35 -
  
あえて漢字で書かなかったのですが、民主主義的教育で最後に必用なのは「つきはなす」と
いう行為じゃないですかねぇ(同意を求める)
知識を学習するレベル(高校教育レベル)まで進んだらあとは自分で判断できる能力を
持ち合わせなきゃいけないと思うのですよね。少なくとも1つの外国語(主に英語)を
最低限解釈する能力持ち合わせているなら自分に必要な知識は自分で得ることが出来る。
そこまでが義務教育の終了じゃないかな?
その後は本人次第
でも公教育としての博士課程までの最低限(寮とか奨学金の借金があるにしても)の無料化
ま、生活保護(社会権)とそこらへんがここ10年で切り捨てられてきた気がするのですよね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

Re:中世でも 「まつろわぬ民」は存在した
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/7(月) 2:31 -
  
中沢新一の「僕の叔父さん 網野善彦」はなかなか面白くて読ませる本でした。
1968年1月のエンタープライズ寄航阻止に立ち上がった三派全学連が投石しているの
を見て、新一氏の父が「あそこで機動隊に向かって石を投げていたのは単に政治かぶれの学生なんかじゃなく、もっと大きな意思に突き動かされているものでないかのか。その意思とはマルクスとかレーニンとか毛沢東思想なんかよりもっと根源的な人類の原初から立ち上がってくるものでないのか」と言ったのを聞いて

『蒙古襲来』の冒頭部分で飛礫の話をしてるとか(そういえば『カムイ伝』にもツブテというキャラがいたっけ)

それで更に面白いのは網野善彦がアジールの思想を形成する過程で、新一の父の弟、護人氏(当時、中国派で農本主義者)と新一の父(ソ連派)の大論争があったとか。

護人氏は農村に理想的な共同体を見出し、科学技術はそういった社会と結びついた時に理想的な社会形態ができると訴えたのに対して父は若い頃、航空機設計の技術者であったことも手伝って、科学技術の問題解決能力の柔軟性を信じ、科学を強力な道徳に従わせれば返って社会の停滞を招く。それに農村とは歴史的な産物で農村が形成される以前にあった社会にこそ次の時代が学ばなければいけない理想があるはずでないか?と反論。

この論争中から網野善彦は非農民の系譜に関する思考を構想したとか。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Re:つきはなすということ
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/12(土) 11:39 -
  
教育の目的が自己判断のできる人間を育てることそれはその通りなのですけど。

自己判断→リスクマネージメント→自己責任論と
このところの「新自由主義の蔓延」の前で本来、社会システムの構造的欠陥
(直裁にいうと人間使い捨て社会)の結果もたらされる事柄を
全て個人の問題に転科しようという社会的もの言いが増えている。


後、日本にはいわゆるオーバードクターが1万人以上居る。博士課程まで
取ったが仕事がないという人がザラ。かつての全共闘で問われた問いが
まるで生きていない。そもそも大学まで出てものを考えられる人になると
いうことと企業社会、日本株式会社の中で即戦力の人材になるということ
の間がどうにも埋まらない。

日本のように外圧の目を意識しつつ上からの近代化を行い、富国強兵
を目指して企業社会を構築してきた。そのための人材育成機関として
学校があるという社会システムのありようと、分権化した中世の社会の
狭間を縫って台頭したブルジョワ対話的公共圏の自己と社会のありよう
を問う啓蒙主義、その啓蒙主義に基づいた市民革命と市民社会
の成熟を担う目的で生まれてきた社会科学の思想との間のギャップ。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

否定できませんなぁ
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 ねこかぶり  - 08/7/13(日) 0:46 -
  
オーバードクターの状況を見ると否定出来ませんなぁ‥
それだけ日本経済界の器量の狭さをみせつけているような‥

▼徳永基二さん:
>教育の目的が自己判断のできる人間を育てることそれはその通りなのですけど。

それを目指すべきなんですけどね。
でも、ご指摘の通りオーバードクターの行く末を見ているとね。未来は暗いと

>自己判断→リスクマネージメント→自己責任論と
>このところの「新自由主義の蔓延」の前で本来、社会システムの構造的欠陥
>(直裁にいうと人間使い捨て社会)の結果もたらされる事柄を
>全て個人の問題に転科しようという社会的もの言いが増えている。

そこが問題なんですよね。
社会としてコストをかけた人材を使わないで捨ててしまうのはもったいないと
私はケイジニアンですのでそういう人材にも適材適所をと思うのですが‥

>後、日本にはいわゆるオーバードクターが1万人以上居る。博士課程まで
>取ったが仕事がないという人がザラ。かつての全共闘で問われた問いが
>まるで生きていない。そもそも大学まで出てものを考えられる人になると
>いうことと企業社会、日本株式会社の中で即戦力の人材になるということ
>の間がどうにも埋まらない。

そうなんですよね。
将来的には有望でも、即戦力にはならないと

>日本のように外圧の目を意識しつつ上からの近代化を行い、富国強兵
>を目指して企業社会を構築してきた。そのための人材育成機関として
>学校があるという社会システムのありようと、分権化した中世の社会の
>狭間を縫って台頭したブルジョワ対話的公共圏の自己と社会のありよう
>を問う啓蒙主義、その啓蒙主義に基づいた市民革命と市民社会
>の成熟を担う目的で生まれてきた社会科学の思想との間のギャップ。

うーん、そこらへん、1945で途切れてしますのですよね。
変わらないのは官僚主義の世の中‥
社会システム均衡を保つには難しいのですよねぇ
引用なし
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戦後すぐの社会の方が
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/13(日) 23:09 -
  
>うーん、そこらへん、1945で途切れてしますのですよね。
>変わらないのは官僚主義の世の中‥
>社会システム均衡を保つには難しいのですよねぇ

戦後すぐの社会は可能性に満ちた社会でした。新しくできた民主主義
社会の下、多くの可能性が芽吹いていましたし。

そういう意味では赤木智弘の「丸山真男をひっぱたきたい」で言ってる
ことはよくわかる。ただし、そこで評価するのは国家総動員体制で社会階層
を越えて労働力が動員された(国家社会主義の見かけ上の平等性)ではなく
丸山が唱えた「8月革命説」におけるそれでなんだけれども。

心の声---
{社会的上層部を吹っ飛ばすためには戦争や革命でないとダメなのだろうか??}

今から考えると明治維新直後の政府も8月革命の次に優れていたと思う。
確かに徳川について行った旧幕臣の多くは食えずに路頭に彷徨ったのだが
その一方で優秀な人材ならたとえこの間まで敵方の武将であろうが政府高官
として迎え入れたのだから。(榎本孝明とか勝海舟とか)西南戦争のおり
なんかなんと旧会津藩士を反乱鎮圧のための官軍として使ったりした。

だからといって維新政府の見かけ上の能力主義を高く買うことはしないが。
(所詮、西洋列強に対して中央集権・富国強兵に役立つ人材だけを登用した
だけで真に個人の能力の前面開花を民主主義の名の下で目指したものではない。)

心の声---
{やはり日本国内だけでは真の民主主義は実現不可能なのだろうか??}

維新政府を高く買うと司馬遼太郎史観に陥る。また、維新政府のイデオロギー
の欺瞞性を見据えていないと中島岳志のような神風連の評価(「右翼とは天皇
を絶対者とすれば全ての人間が一般化されて平等になる思想だ」)となる。

私は誰か一なるカリスマの前での平等など認めないし(天皇の変わりに毛沢東
やレーニンでも認めない)、国家による労働力の動員や学校制度、ケインズ的な
投資政策による産業育成、囲われた機密情報や特許・著作権、中央集権的な
銀行団を中心とした産業団制度、これらをみな私人の権利を法人の権利に
屈服させる民主主義上の敵対勢力だと思う。

心の声---
{しかし、上記の民主主義には革命が必要だという話とどう辻褄を合わせるのか}

基礎所得は本来、均等に無償提供されてしかるべきだし、そこになんらかの
形での有益性ないしは収益率のついての判断を差し挟んではならない。なぜなら
個人の活動が社会にどのような意味を持つのか直裁には判断できないからだ。

例えば私は17世紀のブルジョワ対話的公共圏を高く評価したけどよく考えれば
当時の文脈で考えればヒマ人が茶店で駄弁っていただけのどうでもよい無駄な
活動だ。それに何か重要な意味を与えているのはただ現在の文脈においてだ。

勿論、個人の活動には明らかに犯罪的な行為もあるだろう。だから時に法によって
規制を受けるだろう。だが法は最小限のものであり、個人の活動は原則自由で
あってしかるべきだ。それに個人が破壊的な衝動に取り付かれるのは社会の側に
個人を阻害するような何がしかの欠陥があるからだと自分は思う。
引用なし
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