「自由・論争」 掲示板

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地上戦が始まったガザからアブデルワーヘド教授の緊急メール 考える葦 09/1/4(日) 22:45

山形県の医師桑山紀彦さん(45)のブログが見つかりました。 考える葦 09/1/18(日) 11:15
★お前のパレスチナの名前はドクトル・モフター(鍵)だ!敬意を込めてブログ記事紹介 戸田 09/1/19(月) 8:20
●1/18のブログ記事から:夜間空爆の恐怖。心がどんどん惨めになっていく。・・・ 戸田 09/1/19(月) 8:28
桑山紀彦医師が無事エジプトに出国し本日夜帰国予定。 考える葦 09/1/20(火) 10:40
ガザ救援に赴いた医師桑山紀彦さんと後藤明子さんの最新コメントです。 考える葦 09/1/22(木) 14:46

山形県の医師桑山紀彦さん(45)のブログが見つかりました。
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 考える葦  - 09/1/18(日) 11:15 -
  
《注目意見》「どちらが本物の外交か 天木直人氏」の中で紹介されていました

山形県の医師桑山紀彦さん(45)のブログが見つかりました。

「地球のステージ」というNPO法人の「地球のステージ ブログ」です。

桑山からガザの現状が毎日発信されていますのでぜひお読みください。

http://blog.e-stageone.org/

以下は「地球のステージ」ホームページhttp://www.e-stageone.org/から引用しました桑山紀彦さんのプロフィールと「地球のステージ」の紹介です。

<<桑山紀彦さんは、医者であり、緊急救援などの活動をNGOとして行っている精神科医である。そこで本人が撮りためてきた映像をマックで編集し、7本のビデオに編集したものが「地球のステージ」のビデオ素材である。

一方で、200枚を越えるスライド素材も桑山が現地で撮りためてきたものであるが、それらを使って、世界各地の紛争、貧困地域をスライドで曲の間に語る。構成は「ビデオ映像」+「ライヴ音楽」と、「スライド映像」+「語り」である。

口コミで東北全域に広がりつつある「地球のステージ」は96年1月に始まったが、全く1回も広報しない状況で、この01年7月末で300回以上の公演を終えた。ほとんど全てが「呼んでいただいたステージ」であり、自主企画ではない。

山形県内で口コミによって広がった地球のステージは98年に入って、岐阜県、神奈川県、岩手県に広がり、99年に入って、福島県、東京都、青森県、秋田県と広がってきた。00年には九州、01年には大阪などへの拡がりがみられてきた。

全く広報をしない中でのこの拡がりは完全に、1回見た人がまたどこかで呼んでくれる・・というものである。

首都圏では、98年12月に初の横浜公演を行って、それが99年4月の国立市の公演につながり、それがまた99年10月の横浜、2000年4月の品川区に広がってきているが、まだまだ首都圏での知名度は「ゼロ」に等しい。>>
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.5) Gecko/2008120122 Fire...@softbank219007255098.bbtec.net>

★お前のパレスチナの名前はドクトル・モフター(鍵)だ!敬意を込めてブログ記事紹介
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 戸田 E-MAILWEB  - 09/1/19(月) 8:20 -
  
 山形県の医師桑山紀彦さん(45)に深い敬意を表して、 「地球のステージ ブログ」
記事の新たらしい部分を紹介します。家族友人、全国の人々からの真面目なコメントもついてますので、詳しくはブログをクリックして読んで下さい。

 タイトルの部分は1/19記事の中の、
 ER看護部の師長、アフマッドさんが言いました。
 「ケイ、お前にアラビア語の名前をやろう。お前のパレスチナの名前は“モフター“だ。」
 「モフター?」
 「そうだ、それはKey、つまり“鍵”という意味だ」
 「ほう」
 「お前はケイと呼ばれている。ケイは英語で言うとKeyだな。それは鍵だ。お前は実はいろんなところを開ける鍵なんだ。ラファの検問所も開いていないはずなのにお前は開けて入ってきた。困難な鍵を開けて新しい世界へつなぐ、そんな意味を込めてお前のパレスチナの名前はドクトル・モフターだ!」

という部分から取りました。

    ■地球のステージ ブログ■ http://blog.e-stageone.org/
2009.01.19 Monday ER、4日目
起きたら朝でした。
 初めてちゃんと眠れた夜でした。深夜に空爆が止み、雨の音が聞こえます。
 「停戦になったんだ」
 街がしっとりとしていました。
 この空爆のない日々が続くといいなあ、と思っていたら、ダルウイーッシュが言いました。
 「ケイ、これは戦争が終わったってことじゃないんだ。元の占領された日々が戻ってきただけなんだよ。イスラエル軍はこれからもガザの支配を続けるんだから、停戦になったことがすなわち、パレスチナ人の苦悩がなくなったってことじゃないんだ。だからこの“停戦”ってやつが恐いんだ。世界がそれで“ガザがよくなる”と思ってしまうからな。停戦が来たって、もとが仕掛けられた戦争なんだから、本当の平和が来るわけじゃない。それを間違えてはいけないよ」
 さすがにダルウイーッシュ、ここに暮らす人の言葉に教えられました。

 さて、ラファ市立病院のERは大にぎわいです。
 今まで空爆を恐れて来た人が、その恐怖から開放されて一気に来ます。ありとあらゆる患者さんが来るのがER、救急救命室。発熱、下痢、咳、やけど、骨折、疲労・・・。
 でも76歳になるハミーダおばあちゃんはちがいます。

 「おとといなあ、近くに爆弾落ちたからびっくりして逃げようとおもったら足ひねったんだよ〜。痛くて痛くてしょうがなかったんじゃが、昨日は爆撃がひどくて来れんかったんじゃ〜。診てくれるかの〜」
 こんな爆撃の被害もあるんです。76歳にもなるおばあちゃんを爆撃で脅かすなんて、本当に人間の仕業とは思えません。

 レントゲン撮ってみたけど、骨や関節には異常がありませんでした。
 「おばあちゃん、骨とかつなぎ目は何ともなかったよ。でも痛いだろうからとりあえず痛み止めのお注射して、お薬もらって帰ろうね」
 「おお、ありがとよ。お前はジャパニ・ドクターか。こんなひどいところによく来てくれたの。きっといいことがこの先もあるぞ。今日はありがとなあ」
 もうハミーダおばあちゃんが空爆でケガしませんように。

 仕事が一段落すると、パレスチナ人のスタッフはみんな話し好きだから寄ってきてくれます。片言の英語、片言のアラビア語でも十分通じあう気持ちがあります。
 ER看護部の師長、アフマッドさんが言いました。

 「ケイ、お前にアラビア語の名前をやろう。お前のパレスチナの名前は“モフター“だ。」
 「モフター?」
 「そうだ、それはKey、つまり“鍵”という意味だ」
 「ほう」
 「お前はケイと呼ばれている。ケイは英語で言うとKeyだな。それは鍵だ。お前は実はいろんなところを開ける鍵なんだ。ラファの検問所も開いていないはずなのにお前は開けて入ってきた。困難な鍵を開けて新しい世界へつなぐ、そんな意味を込めてお前のパレスチナの名前はドクトル・モフターだ!」
 大切な名前をもらいました。

 夜、ダルウイーッシュの友人のマジディの家にみんなで集まりました。
 18人が、一斉に同じものをつまむ素敵な食卓。そしてにぎやかな団らん。笑いが家の響き渡ります。でもマジディの家は国境に近いために12月27日から避難して実に3週間ぶりのわが家への帰還だったのです。

マジディの家での18人会食!

 戦争はまだ完全には終わっていないけど、空爆の恐怖に怯えないでもすむ時間が戻ってきたこの瞬間を目にして、
「ひとまず自分の活動は終わった」
 と思いました。
 明日19日(月曜日)にはエジプト国境を抜けてカイロに出るつもりです。うまくでられれば火曜日の夜に成田空港に着くと思います。
 翌水曜日は午後から神奈川県の中学校で歌っているでしょう。
 どうかうまく出域できますように・・・。

 このホームページを見て下さり、本当に多くの書き込みがありました。その一つ一つを読みながら、どれほど励まされたでしょう。正直、なんども書き込みを読みながら自分は泣いていました。それほど厳しい環境の中で、大切な救いでした。
 こんなに、人からの励ましの言葉が、人に勇気を与えてくれるものだとは・・・。僕は改めて、人間が「人間が”願う”という気持ちを持つこと」がどんなに力のあることか気付かされました。

空爆に怯える夜は、急いでもう一回保存しておいたその書き込みの文字一つ一つを何度も何度も読み返しながら自分を励ましていました。
 「みんながこんなに応援してくれているんだ。よし、耐えよう」
 そう思ってここまでやってきました。
 やっぱり人間を支えるのは”人間”なんです。
 皆さんの書き込みの一つ一つが、そうやってガザに居残った僕を支え続けてくれていました。
 皆さん、本当にありがとう。

 これからも僕たちの活動と、そして「地球のステージ」、10月1日に宮城県名取市に開業する「東北国際協力クリニック」をよろしくお願いいたします。
 10月1日、NPO法人「地球のステージ」もこの仙台都市圏に引っ越ししてクリニックと共に新しい国際協力の拠点として統合します。そこには「地球のステージ」の本部、国際協力を視点に入れた一般内科と心療内科のクリニック、そして「地球のステージ」ミュージアム、50畳のミニステージができるホールを設置する予定です。
 皆さんぜひ遊びに来て下さい。

 無事出域できたら、またご報告します。
桑山紀彦
| ドクトルK | - | 05:53 | comments(11) | - |
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引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; .NET CLR 1.1.4322)@i58-94-93-72.s04.a027.ap.plala.or.jp>

●1/18のブログ記事から:夜間空爆の恐怖。心がどんどん惨めになっていく。・・・
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 戸田 E-MAILWEB  - 09/1/19(月) 8:28 -
  
■地球のステージ ブログ■  2009.01.18 Sunday 
     http://blog.e-stageone.org/?day=20090118
ER、三日目
今日は患者さんが多かった〜
 毎日アラビア語を勉強しつつ、通訳のアベッドに助けられながら、それでも20人は診察したでしょうか。
 空爆がひどいと、人々は動けないので患者さんが来ません。暇になります。でも一度空爆が静かになるとどっと来ます。その波に巻き込まれて、今日は忙しい一日でした。

 そんな中で、イスラエル軍の機銃掃射で撃たれた青年、近くに被弾してケガした少女を診ましたが青年は着いた時点で亡くなっていました。少女は一命をとりとめましたが、肝臓に達する破片があるため、手術室に送りました。ERはあくまで救急処置のみです。
 あとでちゃんと破片が取り除けて、少女は助かったと聞きました。よかった。
 
 午後になって額を切った少年、オマール君が一人でやってきました。聞けば兄にたたかれたといいます。
 空爆以降、子どもたちは落ち着きません。不安、恐怖、怒り、さまざまな感情が渦巻いて、ちょっとしたことでもいらいらしています。そんなとばっちりが、オマールにいってしまったわけです。
 「一針縫うだけだから麻酔しないよ。その方が傷が少なくてすむからね」
 「わかった」
 じっと痛みに耐えて、写真に納まってくれました。
 そんなERの一日が過ぎていきました。

 さて、ここからは、昨日の夜中に書いたものを転記します。内容としてはショックなものかもしれませんが、これが「空爆」なんだと思います。
 どうか受け止めて頂きたく思います。
 でも、あまり心配しないで下さいね。元気にやっていますから。

夜間空爆の恐怖
 今日の夜間空爆は午前0時きっかりに始まった。
 まずジェット戦闘機の鋭く風を切る音が近づいてくる。やがてそれにジェットエンジンの音が混じってきて、
「近づいてきた」
 という事実がどんどん身に迫ってくる。
 一瞬の閃光が光り、約2秒ほどおいて、
ズズ〜ン
 鈍い着弾の音と地響きが襲ってくる。部屋の棚が揺れ、ドアが開く。
 「近いぞ」
 近くないかもしれないけど、自分でそんなふうに声にしないと正気が保てない。
 一旦遠のいたジェット戦闘機の音は、ものの5秒もしないでひるがえり、再び近づいてくる音に変わる。ターンが速いのがよくわかる。

 再びジェットエンジン音が近づいてくるが、今度はかなり低空を飛んでいる感じが伝わってくる。全身がセンサーのようになっていて、その音と自分の距離を測ろうとしているのだ。
 今度は着弾音なく、爆音が去っていく。
 気持ちが緩むのがわかるが、またすぐにターンして戦闘機が戻ってくる。
 間髪入れず、
 ズド〜ン
 着弾して地響きが広がる。

 やがてその戦闘機の爆音が去っていく音に入れ替わる形で軍用ヘリの音が近づいてくる。これは民家の屋根すれすれを飛んでどんどん市の中心地に近づいてきた。
 シュバ!
 閃光と共にミサイルの発射音がする。こちらにはなぜが着弾音はない。また再び、
 シュバ!
 動きのあるものを狙っているのだろう。小形のミサイルを近くで撃ち込んでいる。街に一瞬火の手が上がった。
 その軍用ヘリが去っていくとと同時にまたしてもジェット戦闘機の爆音が近づいてくる。間髪入れず襲ってくるのが、空爆の特徴だ。

 ズズ〜ン
 再び近くに着弾だ。
 「一体何がしたいんだ。これが一般市民への無差別攻撃じゃなかったら、何だって言うんだ!」
 そう言葉にしないと、またしても頭がおかしくなりそうだ。

 2分もすると、戦闘機の飛来がなくなり、静寂が戻ってくる。そして同時に救急車のサイレン、どこかの家から電話が鳴る音が聞こえてくる。誰かがケガをし、誰かが何かを求めているのだ。市立病院の夜間当直シフトの仲間たちが手当てをしているだろう。
 救急車のベテラン運転手のアブ・オマルも低空飛行のヘリが狙う中を駆け回っているだろう。
 自分のシフト勤務は朝の7時30分からだから、
 「ごめん、オレは何もできん」
 と心の中で言い訳して寝ようとする。

 夜の闇の静寂があたりを包んでいて、ほっとする。
 「この空爆で死ななくてすんだ」
 という思いが込み上げてくるが、ふと
 「これっておかしい」
 と気付く。

 自分で危険な山に登り、無事に下山した時、
 「よかった登り終えた、遭難して死なずにすんだ」
 とほっとするだろうけど、それとはちがう。

 なぜならこれは圧倒的で一方的な爆撃の暴力の前に自分という人間が引きずり出されて、曝され、それでも何もなく無事にいられただけの話で、そんなことになぜ自分がほっとしなければいけないのか、その理不尽さにすぐに気付く。
 そして惨めな気持ちになる。

 これが戦争だ。
 心がどんどん惨めになっていく。
 「お前なんか死んでもいい」
 と空を飛ぶ戦闘機のパイロットに思われて、爆弾を落とされることがどんなに人間として惨めか、気付かされる瞬間なのだ。
 
 今日の夕方、友人のマジディの家族が訪ねてきてくれた。18歳を頭に6人もの子どもを持つマジディ夫妻。みんなにあの緑色の医師の制服を着て見せておどけるとやんやの喝采を受けた。
 しかしふとマジディが相談してきた。
 「うちの下から2番目のヘバが全身にできものができて苦しんでいる。ここにも、ここにも、ほらこんなところにも妙なできものができているんだ。空爆が始まってこれが出てきた。夜間の空爆があるたびにヘバは泣き叫ぶ。それと関係あるだろうか」

 もちろん、子どもたちの心に大きな衝撃と影を落としているこの夜間空爆。
 大人の自分でさえも耐えられず、身を固くして、
「どうか自分のところには落ちてこないで」
 と必至で願っているくらいなのだから6歳のヘバが背負っている恐怖は計り知れないものがあるだろう。

 その「できもの」をみると、いくつかは自分の手で押した「アザ」だった。
 空爆の恐怖から知らず知らずに自傷行為が出ているのだ。空爆が子どもたちに与えているストレスは限界を超えている。

 また夜の闇と静寂が戻ってきた。しかし眠れない。身体がこわばり、眠るための「余裕」というものがなくなっているのだ。
 たまらずこの夜間空爆の恐怖を書き残そうとパソコンに向かう。しかしふと、
「このパソコンの画面の明かりが外に漏れて、近接戦闘ヘリのターゲットになったらまずい」
 と思い、毛布をかぶって書き始めた。

 でもふと、嫌な気持ちになった。こんなふうに毛布にくるまって卑屈になり、やりたいこともやらなくなってしまう自分に気付かされる。戦争は、そうやって一人一人の人間の心をむしばんでいくのだ。

 「やめとこう」「避けたほうがいい」「きっとこうなってしまうにちがいない」
 すべてが後ろ向きの気持ちにつながってしまい、人間としてのやる気や積極性を奪い取られてしまうのだ。

 また戦闘機のエンジン音が近づいてきた。
 「今度も死なないかな」
 そう思いながら、瓦礫の中に転がる自分の死に様を想像してしまう。
 身が固くなり、気持ちが細る。
 これが空爆の恐怖。
 圧倒的な暴力の前に、ただただおびえる弱いひとりの人間のはかない存在。

桑山紀彦  2009年1月17日 深夜2時  ガザ地区、ラファ市

| ドクトルK | - | 02:41 | comments(30) | - |
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引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; .NET CLR 1.1.4322)@i58-94-93-72.s04.a027.ap.plala.or.jp>

桑山紀彦医師が無事エジプトに出国し本日夜帰国予定。
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 考える葦  - 09/1/20(火) 10:40 -
  
イスラエル軍によるガザ地区無差別殺戮の真っ只中にガザに飛びこみラファ市立病院のERで救援医療活動されていた「地球のステージ」の桑山紀彦医師が無事エジプトに出国し本日(1月20日)夜成田空港着で帰国される予定です。

無事で本当に良かったです。お疲れ様でした。

以下に昨日付けブログの記事を転載しますのでお読みください。

http://blog.e-stageone.org/
_____________________

2009.01.19 Monday

出域、帰国へ

エジプトに出国しました。

病院のみんなともダルウイーッシュの家族とも涙の別れでした。

誰もが、 「こんな戦争のまっただ中に、よく来てくれた。お前の姿に本当に励まされたんだよ」と言ってくれるパレスチナ人たち。もうこの人たちを爆撃しないで下さい。

もうこの人たちを占領したり、経済封鎖しないで下さい。

みんなただ普通に暮らしたいだけなんです。

僕を迎えてくれたパレスチナ人はみんな戦争も、空爆も、偵察も大嫌いです。

家族を愛し、仲間と語らい、お茶を飲んで、ご飯を食べて、学校に行き、働いて、お給料もらって喜んでおもちゃ買ってもらってはしゃいでいたいだけないんです。

熱が出たら、家族に病院に連れていってもらって、医者が診てくれて、看護師さんに手当てしてもらって、お母ちゃんに「今日はゆっくり家で休もうね」といってもらって、勉強もその日は休みになって、ぬくぬくと毛布にくるまって、時折お母ちゃんが持ってきてくれる温かいミルクティにほっとしたいだけなんです。

なぜ救急車が狙撃や爆撃に怯えて140キロで走らなければならないのか

なぜ病院が「爆撃対象だから危ない」と言われなければならないのかなぜ、僕の大切な友人、ダルウイーッシュが住む家のすぐそこに夜中に着弾して、みんなで飛び起きなければならないのか

たった1回、偶然もらったこの命を大切にしたい。パレスチナの人たちも僕たちと同じように思っています。

手のしわも、おへその位置も、足の形も、みんな同じでした。

笑顔も、優しさも、涙も、みんな同じでした。
 
国境へ向かう時、みんなに言われました。

「日本のみんなにここで見たことをちゃんと伝えてくれ。僕たちはここで毎日生きている。日本のみんなと、いつか自由に会える日が来ることと、この人間のつながりがいつまでも続くことをいつも信じているよ。また還っておいで」

医者として働いたんだから出国税はいらない、と言ってくれた国境管理官の横にいたパレスチナ人のおじさんの言葉です。
 
さて、ガザはまた振り出しに戻りました。「占領地」という振り出しです。でも今回ほどパレスチナの人と“つながれた”という思いになったことはありません。一緒に働き、血を浴びて、それをふき取り、包帯を巻いて、絆創膏を貼り、そして処置が終わると“やったね”の握手をがっちりと交わしてきました。でも僕の姿のその後ろに、実は多くの心ある日本人たちが、じっとパレスチナのみんなことを見守っているんだよ、ということもちゃんと伝えてきました。

これからもダンディなダルウイーッシュのことを見守っていきたいと思います。

彼の学校、エル・アマルもひどい被害を受けて修復には400万円近くかかるだろうと試算していました。

とても全部の支援は無理ですが、現在集まってきている募金でうねりをつくり、ますます皆さんとパレスチナが近くなるように、努力していきます。ガザの復興に力を貸して下さい。

火曜日の夜には成田に帰国できることになりました。

また全国の「地球のステージ」でお会いしましょう。

(転載終わり)
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.5) Gecko/2008120122 Fire...@softbank219007255098.bbtec.net>

ガザ救援に赴いた医師桑山紀彦さんと後藤明子さんの最新コメントです。
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 考える葦  - 09/1/22(木) 14:46 -
  
ガザ救援に赴いた「地球のステージ」の医師桑山紀彦さんは火曜日夜に帰国し翌日には神奈川県の中学校でステージ公演を行っています。

桑山さんと一緒にガザに入りイスラエル軍の攻撃の中カメラを回し続けた後藤明子さんの最新のコメントも「地球のステージ ブログ」に掲載されています。

http://blog.e-stageone.org/

________________

2009.01.22 Thursday

帰国、ニュース23

今日、神奈川県の中学校でステージがありました。「地球のステージ2」でした。
最初の曲は「祈り」なんですが、そこから崩れてしまい、涙声になって大変苦労しました。
中学生のみんなは「なんでこの人泣いてんのかなあ」って思ったでしょうね。
一つ一つの歌詞は、自分でつくったものでしたが、そのフレーズがあまりに厳しくて、ラファでの日々を思い出し、ダルウイーッシュのこと思い出し、何度もステージで歌いながら、「ごめんね、ごめんね」と思っていました。 自分だけ還ってきてしまいました。

でも今日の中学生のみんなはよく聴いてくれて、それが嬉しかった。さすがに「パレスチナ篇:前編」ではまた思い出して崩れてしまいましたが、ざわつくこともなく、なぜか涙声の僕のことを支えてくれました。

そして先ほどTBSの「ニュース23」に出てきました。担当ディレクターの黒河さんは、パレスチナ問題を「日本人の視点で報道したかった」と強く語るナイス・ガイです。

素敵なTBSの報道部の皆さんに囲まれて、ガザのことを伝えるという仕事をさせてもらえました。
これからまだまだガザへの取り組みは続いていきますが、「知る」「興味を持つ」ことがどれだけ現地の人を励まし、支えているかを痛感してきたので、このブログに寄せられてきたメッセージの多さや、テレビ報道の機会をダルウイーッシュたちに伝え、「日本からもちゃんと見守っているよ」ということを感じてもらいたいと思います。

ありがとうございました

桑山紀彦

今まで本当にいろいろとご支援いただきましてありがとうございました。

15日にガザに入ってから幾度とない空爆に、何故自分はここにいるのだろう、と思う瞬間も数多くありました。
その度に励みになったのがみなさんからの励ましの言葉でした。寄せていただける気持ちがどんなに嬉しかったことか。

そして、自らの命を危険にさらしながらも、必死に救命活動にあたるパレスチナの医師や救急隊員たちの姿。
空爆の危険があるというのに、患者さんの命を救うためと危険地帯とされる病院へ搬送するという医師、「桑山紀彦」。
私にできることは?と見つめた時、この現実と必死に活動する人々の姿をみんなに伝えること、と思い必死にカメラを回してきました。本当に多くの方々からのご支援をいただいたことに対して、今日ニュース23でその姿をみていただくことができ、自分の役割、責任を少しでも果たせたかなと思っています。

人は人によって支えられるんだ、とはっきりと実感した日々でした。
パレスチナの人々もきっと同じ。人によって、気持ちによって支えられていくものだと思います。どうぞこれからもガザで起きていることに関心を持ち続けていっていただけることを願っています。

最後に、身内ごとではありますが、留守の間事務局を守ってきてくれた優子ちゃんと美穂ちゃんにも感謝しています。

みなさん、本当にありがとうございました。

後藤明子

最後にお知らせがあります。

1月31日(土)より、ポレポレ東中野 にてドキュメンタリー映画「地球のステージ」の上映が始まります。

 これまでの桑山紀彦の活動の軌跡をたどりながら、そこで出逢った人々の生きざまを描いている映画です。
世界では何が起きているのか、もう一度自分の目で見て心で感じていただければと思います。

 *上映時間 12:30 / 14:40 / 16:50 より

 *お問い合わせ先:03-5428-3085
          e-stage@officeraft-qua.co.jp

 詳しくは、こちらのHPをご覧ください。
 http://officeraft-qua.co.jp/porepore.htm

 ぜひ、ご覧ください!

(引用終わり)
引用なし
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