「自由・論争」 掲示板

★この掲示板は戸田が「革命的独裁」をする所である。
この掲示板はジャンルを問わず、論争・口ゲンカ・おチャラけ・ボヤキ等、何でもOKだが、「掲示板のルール1」「掲示板のルール2」を読んで必ずそれに従うこと。
●ここのルールを守らない荒らし的文句付け屋に対しては、「何で稼いでいるのか、どんな仕事や社会的活動をしているのか」等を問い質し、悪質な者には断固たる処置を取り無慈悲にその個人責任を追及していく。
★戸田の回答書き込みは多忙な活動の中では優先度最下位である。戸田の考えを聞きたい人は電話して来る事。
●「Re:○○」形式の元タイトル繰り返しタイトルは厳禁!!必ず「内容が伺える独自のタイトル」をつけること。
◆約10年間完全自由投稿制を維持してきたが、荒らし・妨害投稿頻発のため、投稿者登録制に移行した。投稿する方はこちらにアクセスし、所定の手続きを行なうこと。
◆投稿者のメールアドレスは戸田が把握するが、掲示板では非表示にできる。
◆投稿者名・メールアドレス・パスワードは登録時のものを使わないと投稿できない。 登録・投稿についての分かりやすい説明はこちら。うまくいかない場合の問い合わせは戸田事務所まで。(冒頭記:2009年4/8改訂)   これまでの管理者命一覧(必読)

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(1) まず、最初に 麻生英人 07/2/15(木) 20:03

(2)この論争のすれ違う根拠 麻生英人 07/2/15(木) 23:32
論理だけで世の中が回っていかないことは百も承知でありますが。 黒目 07/2/16(金) 15:25
少しだけ 麻生英人 07/2/17(土) 20:12
Re:少しだけ 黒目 07/2/17(土) 20:50
(3) 議員と労働組合 麻生英人 07/2/16(金) 19:23
(補) 戸田さんとまっぺんさんの努力に敬意を表します 麻生英人 07/2/20(火) 20:56
補2) 一致点を拡大し、違いは時間をかけて 麻生英人 07/2/24(土) 17:48
<補3> 黒目さん・よねざわいずみさん・まっぺんさんへ 麻生英人 07/3/8(木) 0:53
お返事遅くなりました 黒目 07/3/14(水) 13:08
「迷宮入り」にならない様に努力します 麻生英人 07/3/16(金) 19:21
(4) 宮崎問題について<1> 麻生英人 07/2/26(月) 21:08
>宮崎氏に情報を権力に渡されたとする当事者の見解 黒目 07/2/27(火) 12:02
(5) 宮崎問題について<2> 麻生英人 07/2/28(水) 1:47
(6) まっぺんさんへ、そして・・・ 麻生英人 07/3/14(水) 5:42
(7) 最後に、関生支部の現状を 麻生英人 07/3/14(水) 5:58
Re:(7) 最後に、関生支部の現状を ホッシュジエンの国内ニュース 07/12/30(日) 19:35
非常に有意義な指摘と整理だと思います。 戸田 07/3/4(日) 19:23
Re:(3) 議員と労働組合 ホッシュジエンの国内ニュース 08/2/20(水) 16:02

(2)この論争のすれ違う根拠
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 麻生英人  - 07/2/15(木) 23:32 -
  
 私は、戸田さんの掲示板を一つのフィクショナルな「戸田式公共言説空間」だと理解しています。現実政治にリアルに対抗するための虚構・装置だと考えています。

 その前に、戸田さんの論争相手である、まっぺんさんや井上さんや黒目さんやdkさんなどは非常に論理的だと思います。自らが主張すべき点を過不足無く表現できる術を身につけておられるのでしょう。戸田さん陣営では草加さん。同様ですね。ただ、私などのように、思っていることが中々伝えきれない者には、自己の考えや自己のあり方はこうであると表現することは実に難しい。表現されたものがお前である、その思想性であると言われると、そうだなとは思いつつ、的確に表現する技術・訓練がないと、自己の考えやあり方が誤って理解される場合もある様な気がします。もっと言わせて貰えれば、人はすべてをあるがままには表現できない限界性を持つような気がするのです。この限界性を常に配慮していくこと(相手にも自分にも)が、大きな枠での左翼的(同志的)論争に必要なのではないでしょうか。

 さて、この掲示板のルールは、普通(左翼常識的)に読めば、非常に差別的で暴力的な内容となっています。そう、まっぺんさんの指摘される通りです。右翼的言葉を吐いただけで、人間性すべてを否定する対応はいかがなものかと。戸田個人の思い込みですべての対話を一方的に打ち切るのは独善にすぎないか。右翼的な言論を重ねると身元調査されるなんて、左翼であるならば、人権意識があるならば許されざる所業です。ひいては、ネットのアンチ左翼世論をより一層組織化する可能性大です。

 では、何故許容されているのか。一つは、戸田さんの強烈な個性による、いけいけどんどんという勢いでしょう。もう一つは、戸田さんの自身への自信なのでしょう。あるいは自らも一翼を担う連帯労組の組合活動に対する自信なのだと思います。戸田さんの日常活動において、困難な職場状況にある労働者・解雇された者・失業者等々、青年から高齢者、女性などの相談を幾つも受けてき、あるいは関与し、解決してきた経過があると思います。また、生コン・建設産業では、労使共に、在日韓国朝鮮人や被差別部落大衆や教育体制から排除された者たちが沢山いる環境です。やくざも元も含めて、たくさんいる環境です。そこで、いろいろ学んだり揉まれたりする。あるいはセメントメーカーが多国籍化する中で、日韓労働者連帯の中での多くの出会いがある。そして、門真市における市民との多種多様な関わりもある(だからといって、自動的に差別的でないと強弁するつもりで言及しているのではありません)。この背景の下で、政治的に「ファッショ」は何があっても許さないという政治的スタンスをネット世論の中で打ち出しているのです。確かに、一見すると差別的暴力的な表現を取るが、あれもこれも守りながら闘いは組めない、仁義無き闘いもOKだとその無頼振りを示すことが、政治的意味を有すると考えていると思います。

 だから、戸田さんの戸田批判への反論の定型は、「この人を見よ」とばかりに自らの活動を披瀝するのです。戸田さんの内心は、「現実の俺を見よ、言葉での正しさだけに依拠した批判ではなく、現実的に有効なる対応をせよ」と言っているのかもしれない。確かに、日常の戸田さんは、斬新なアイデアで有言実行し、こまめに活動し、差別を憎み、相談者の話に耳を傾け、議論で非があれば素直に謝ります。そうでないなら、ビックマウスだけで支援は続かない。

 しかし、戸田さんの掲示板の自己過信や差別性や暴力性を、一転して政治的対決姿勢をとる有意味な掲示板スタイルとして維持できたのは、戸田さんや連帯労組の存在であり、その活動であり、その「威信」性によるものと考えられます。つまり、この掲示板は方法論的にマッチョでいきますよ、この「暴力的」姿勢でのぞみます、そういう防衛体制を敷きますよ、しかし、本質は差別的でも暴力的でもないのですよ、間違わないでねと言っています。私には、そうした条件によるフィクショナルな「戸田式公共言説空間」だと理解しています。
 だから、戸田さんの本質が差別主義だから、こうした事態が発生しているというよりは、戸田さんがこの虚構性と「現実」との境目をよく理解していないことから来る行き違いのような気がします。自らの言動が、この場では「芸」であるという相対化が必要な気がします。こうした表現は、次ぎなる誤解を産むような気もしますが、事態解明の一助になればと願っています。
 別の面から言えば、政治は言葉であるとも言えますから、自らの真意と意図を明確に表現しておけばよいとも言えます。
 不充分ですが、まだまだ言わなければならない事があります。しかし、私の限定された訓練不足の表現力では、かえって戸田さんやまっぺんさんに何を見当外れなとお叱りを受けることになるかも知れません。ほんの少し時間を置きます。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

論理だけで世の中が回っていかないことは百も承知でありますが。
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 黒目  - 07/2/16(金) 15:25 -
  
私は戸田さんや「統一戦線」さんに問いを発しているので、ここで麻生さんの文章に絡むとややこしくなりそうな気もするんですが、いくつか気がついたことは述べておこうと思います。

麻生さんの言われている、「戸田肯定論」の眼目は、「戸田ひさよしはネットの外ではまともである」という点が中心になっているかと思います。
そりゃ、一から十までむちゃくちゃな人だったら、そもそも連帯労の執行委員長なんかにはならないでしょう。戸田さんの日常活動は、麻生さんが言われるとおりなのでしょう。

ひとつの問題点、私などはあまり意識していない論点ですが、実は戸田さんの問題の中心点であるかもしれない論点は、
「そういう世間ではまともな人が、なぜネットの中ではこんなに一から十までむちゃくちゃなのか?」
という問題に集約できるのかもしれません。

インターネットが普及しだした頃に、たくさんいたタイプとして、「インターネットに書いたものは、世界中の誰でもが読んでいる可能性がある」という事、ネットというのは別に「異世界」ではなくて、単なる通信手段であるという事を、結局のところ理解できないタイプ、こういう人たちがネットを荒らしまわったわけですが、戸田さんはそのまま10年ぐらいきてしまっている、という事なのかなあと思うわけです。

たとえば、電話というものが普及しだした頃には、「中にちっちゃい人が入っているに違いない」とかいって受話器を分解する人がいたそうですが、我々はすでに電話というものに慣れ親しんでいます。
そこでですね、たとえば電話で、「お前は俺の質問に答えろ!俺に質問することは許さん!」とかいって怒鳴りまくった人がいたとして、次の日に「やあ」とか普通にしていて、「電話は電話でしょ?」とか言う人がいるでしょうか?そういう人間は社会生活が営めないわけです。

インターネットは、この十数年で普及の過程をたどり、一般化しました。多くの人にとって、日常的な通信手段となっていますし、「インターネットは全く見たこともない」という人も少なくなってきています。
そういった中で、ネット上の不細工な立ち振る舞いを、「歳のせい」などにする事は許されなくなってきている(戸田さんは歳のせいにできるほどの年寄りでもないと存じますが)というのが、この十数年におこったことです。
その中で、戸田さんが、未だにインターネットというものがどういうものかわからない結果、こういう立ち振る舞いに及んでいるのだとすれば、戸田さんは十数年のレベルで立ち遅れているということになる。
有体に言って、初期の頃からインターネットをいじっていた人間が、未だにこんなのだという状態であるならば、「戸田さんはインターネットが向いていない」という事にしかなりません。

ネットの普及期には、「インターネットはバーチャルな空間だ」ということがしきりに言われました。このことが、インターネットというものに対する大きな誤解を生んでいるのではないか。すなわち、「バーチャルな空間=現実ではない」という誤解です。ゲーム機をテレビにつないで「信長の野望」とかのゲームをやっている感覚で、「論争ゲーム」を楽しんでしまう、ということが起こっているのではないでしょうか。しかし、これはゲームなどではなく、相手は生きた人間であり、ネット上で相手が怒ってきたときは、実際に怒っている人間がいるのだ、ということが理解できない。

こういった人間の類型の典型が、「ネットウヨ」です。彼らはゲームのように掲示板を「プレイ」します。しかしそれを撃退するとする、戸田さん(あるいは「統一戦線」さん)が、このような現実感覚を喪失したゲームプレイヤーであったのなら、これはお笑いです。(そして現実に、笑いものになっているのです)

考えてみれば、戸田さんのネット上の立ち振る舞いの特質は、「コミュニケーションの不在」です。
私は最初、これはなにをやっておられるのだろうか、と理解できませんでした。
人の書いたものに受け答えしようとせず、自分の書きたいことだけを書く。これは生産的な議論というものそのものを否定する態度です。
しかしこれは考えてみれば、戸田さんはゲーム機の「発射ボタン」を押すように投稿しているに過ぎないのではないか。そして誰かが反論すると、「敵が撃ちかえしてきた」としてしか認識していないのではないか。


もうひとつ、気になることがあります。
これだけネットでむちゃくちゃな人が、果たして、現実世界では真人間であるというようなことがあるのだろうか?
ゲームのやりすぎで現実とゲームの区別がつかなくなってる子供とかの話はよくありますが、戸田さんの場合はどうなっているのだろうか。

戸田さんにとっては「虚構空間」かもしれませんが、たとえば私は、ここの展開の中で何度かの「殲滅宣言」を賜りましたし、戸田さんには「絶縁」を宣言されております。
私もいちいち殲滅されているわけにもいきませんので、ネット外での対処が必要になってくるであろう事柄であるわけですが、果たして、これらを言う側には、現実感覚を持って言っておられるのだろうか、これを現実世界で問題化した場合、どのような事が起こるのか。すでに私にとっては結構、困難な事になってしまっているわけです。

もう一点、麻生さんご指摘の、「論理中心主義」という問題。
「正しいことを言ってたらいいってもんじゃない」というのは全くそのとおりであり、また、論理というのはそれ自体抑圧的です。
この辺が、「役立たずの学生上がり」が忌み嫌われる所以であるわけですが(W,
論理というのは力であり、それは理不尽を阻止する力として行使しうる。
戸田さんの行った理不尽の前に、これを止めんがために、私は「論理の暴力」を行使しました。
これ自体は、なんら否定的なものであるとは考えておりません。
ただ、「理屈ばっかりでできたような奴」がうっとおしい、という話であれば、全面的に同意します(W.
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.1.1) Gecko/20061204 Firefo...@softbank219022240046.bbtec.net>

(3) 議員と労働組合
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 麻生英人  - 07/2/16(金) 19:23 -
  
 連帯労組は、全日本建設運輸連帯労働組合といい、近畿地方本部傘下に関西地区生コン支部・近畿地区トラック支部・近畿セメント支部があります。各支部は単位労組で独立性をもっています。連帯労組のかなめ(組織力・運動論からいって)の労組が関西地区生コン支部です。略称として関生支部や生コン支部と呼ばれます。
 さて、関生支部は1965年、産業別労働組合として結成されました。当時は、全国自動車運輸労働組合(全自運)、後、全日本運輸一般労働組合に結集していました。この頃は、運輸一般が共産党系の労働組合と言われ、関生支部にも共産党員が沢山いました。ところが、80年代初頭、組織が急拡大し、画期的な産別的成果を勝ち取っていた最中、権力弾圧が集中しました。その背後から、労働運動の方針をめぐってという装いの下、82年12月17日、赤旗紙上で、運輸一般中央本部声明(という形式で)の発表以降の関生支部への支配介入・分裂策動・誹謗中傷の大宣伝と続きました。前門の国家権力、後門の日本共産党という苦しい時代を経験しています。達成していた運動上の成果も崩されました。まさに、話せば長いことながらではあります。以降、関生支部は政党(及び政治家)に対し、平等(1党に偏さず)・対等(政党の大小に関わらず)・互恵(一致できるところで)の大きな原則でお付き合いしています。また、政党に引き回され、支配介入を受けたものとして、関生支部もまた、政党・政治家の主体性を尊重し、引き回しや支配介入をしないということになります(ここは近畿地本と読み替えて頂いてよい)。
 さて、戸田さんに対しても同様であり、個人・議員としての主体性は尊重されます。だから、何かの問題が発生した場合、組織の意向の上意下達ではなく、対等な立場で真摯な議論が続く中で、何らかの結論が出てくるものと言えます。尚、労働組合は組合員一人一人の要求で団結している大衆団体です。政党ではありません。また、戸田さんは当初、一組合員として議員になっており、しばらくたってから地本の執行委員長になった経過があります。
 最後に、関生コミュニスト同志会は、HPや文章に代表者の名前を明らかにしていますし、方針・議論の経過も公開しています。関西の生コン産業で働く労働者の思想政治集団です。各地域や各産業・業種の労働者による思想政治集団の結成を呼びかけ、その結合をめざそうとしています。しかし、現在のところ、ここまでが公開の範囲です。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

少しだけ
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 麻生英人  - 07/2/17(土) 20:12 -
  
 黒目さん、申し訳ありませんが、少し時間を頂けませんか。私の表現力不足で、私の言う「虚構性」や「論理的」と黒目さんの言われていることとは違うように思います。しかし、一度、まとめて言いたいこともあります。申し訳ないですが、そちらを優先させてください。言い終わるまでは、もし、私に言及していただいても、同じ応接をせざるを得ません。すいません。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

Re:少しだけ
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 黒目  - 07/2/17(土) 20:50 -
  
ああ、すみません、
麻生さんになんらかの対応を要求しているわけでもなんでもありません。
麻生さんの文章に触発されて、気がついた事を忘れないうちに発言しておこうと考えたにすぎません。

どうか、私への対応などはお気になさらないでください。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.1.1) Gecko/20061204 Firefo...@softbank219022240046.bbtec.net>

(補) 戸田さんとまっぺんさんの努力に敬意を表します
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 麻生英人  - 07/2/20(火) 20:56 -
  
 どちらにも返信したいので、この形で表明します。お二人の自己抑制と理解を深めようとする姿勢にあらためて敬意を表するものです。また、私の所でこのような意志表明をして下さり感謝いたします。
 時間が許せるのであれば、もっと言及したいところですが、また、あらためて意見表明します。ありがとう。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

補2) 一致点を拡大し、違いは時間をかけて
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 麻生英人  - 07/2/24(土) 17:48 -
  
 時間に追いかけられるような気持ちで余裕が無く、様々な見解表明や提起に即応できないことをお詫びします。

 さて、今回事態の発端であった1月2日以降の戸田さんの膨大な書き込みについて、戸田さん自らが、別の提起の仕方があったかもしれないと述べられている点は、画期的だと思います。私は、サイバーアクション補章についての内容のあれこれについての批判は自由だと思いますし、意見表明したいと思えばして当然と思います。ただ、方法は考えなければならない。草加さんのご指摘以上に付け加えることはありません。

 また、出版の自由妨害の危険性を考慮して、社会批評社への申し入れを撤回される旨の表明も歓迎するものです。元来、「出版の自由」も含めた「表現の自由」という概念は、国家権力から守られるべき人民の権利であると規定されるものです。しかし、人民内部においても守られなければならない大切な原則と思います。但し、例外として、差別する自由は抑制されると考えます(この兼ね合いと、何を差別とするのかという問題は一様ではないとも考えますが)。

 さらに、サイバーアクション補章及びそれに関するやりとり批判や管理者としての方法論固守については変更無いとの見解でしたが、そのことに対しても、それなりの自己の方法的政治的意図を説明していたと思います。論争過程で、自分の土俵で、従来主張を修正していくことは、なかなか難しいものです。戸田さん批判者には勿論不十分でしょうが、私には勇気ある決断と感じます。但し、始まりの第1歩であるともいえますが。

 そして、それ以外は譲れない、管理者としての管理方法は貫くという点に関しては、私は、すでに言及している様に、原則は管理者の創意工夫の範疇であると考えます。しかしながら、同時に、この論争は、この掲示板だけで展開されていません。ネットというものの優位性だと思いますが、平行して、それぞれの場所で意見が展開されている。そこで、この論争に触発されて、色々な見解が現れたことは評価されるべきでしょう。そこでは、戸田さんが評価を下げる場合もあるでしょうし、反感が組織される場合もある。しかし、見直されることもあります。ネットの可能性・優位性や限界性も議論されたと思いますし、実際としても現れていると思います。多くの場で、戸田さんやまっぺんさんの見解が相対化されることはいいことだと思います。

 現在、戸田さんもまっぺんさんも見解の違いが大きくあります。しかし、双方が相手を重く大切に受け止めざるを得ないと評価しています。譲歩の一歩もあります。その上での批判・反批判であってみれば、後はネット全体で論争すればいいし、両者の距離がもっと縮まれば、同じ土俵で詰めればいいと思います。公開のネット上で、なんだそれだけかとの評価もあれば、そこまで前進したのかとの評価もありえます。

 私は、「事件」が発生すれば、同じ陣営と思われている人々が、反感を募らせ、袂を分かつかもしれない光景に遭遇しました。仕掛けてきた戸田さんが悪いという言い方は成り立ちます。私も当初、何の意図かと訝しく思いました。何故急に宮崎学擁護なのかと、その政治的意図を心配しました(宮崎問題については、後日言及します)。しかし、しばらく論争過程を見て、戸田さんの直球勝負を見て安心しました。他意はないんだと(だからといって、他意が無いことだけですべてが許容されるとは思いませんが)。ここらの機微はなかなか表現しにくいものです。
 戸田さんを悪し様に評したい気持ちは判るような気がします。批判にも理由があります。しかし、同時に、戸田さんの芸風を愛し、大様に見る支持者もいる、あるいは、それなりのネット活用者が掲示板に現れてくるという事実にも目を向けてください。戸田さん支持者=「とんでもない人々」でもないと思いますが。そこから戸田さんを理解する論理の足が伸びる可能性もあるような気がします。
 
 私は、論争の厳しさや論理の力を信じますし、曖昧な解決を拒否しなければならないときは拒否します。ところで、小異を捨て大同につくことは本当に難しい。当事者にとって、小異などないからです。当事者間では大異しかない。私は小さな声で自分自身に言っています。切れないようにしよう、繋いでいこう、今までも、これからも。

 あらためて、戸田さんとまっぺんさんへエールを送ります。

  
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

(4) 宮崎問題について<1>
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 麻生英人  - 07/2/26(月) 21:08 -
  
 ネット上の議論は賞味期限が早いらしく、私などが加わることの限界を痛感しています。しかし、泣き言はともかく、私は今回の事態に対して、草加さんも指摘されたもう一つの核心についても述べておきます。

 さて、草加さんのネット論(1月7日付&#9332;〜&#9338;と1月30日付の論考)と同様、この宮崎学問題でも、草加さんの1月7日付&#9339;及び1月30日付論考は参考になります。抑制のきいた配慮ある意見であると思います。

 関東では大きな話題なのかも知れませんが、私は宮崎学問題をよく知りませんでした。また、関西でも大きな関心事とも思えません。宮崎学氏の影響力に比例しているのでしょうか(最も、私だけの疎さなのかも知れませんので、私の単なる印象と理解下さい)。

 しかし、今回の論争過程で、こうした事件があったという事が判り、私の手元にも「サイバーアクション」と共に、指摘されていた2冊の書籍を揃えました。宮崎学氏が理由はともかく、国家権力−公安調査庁に闘う陣営の情報を「売った」、あるいは「取引」をしたという事実が確認されました。その事実の大筋は当人も認め、後は評価が分岐するというところでしょうか。

 スパイには便宜的に3種類(粗雑な整理上の基準)あるとします。
 1.職業的か使命からかはともかく、計画的に調査対象に潜入し、情報をとる、ある   いは調査対象を攪乱する
 2.お金などの利益誘導によってか弱みなどを握られて、内部情報を売る、あるいは   内部の情報攪乱する
 3.ある目的があって、相手から得るものと自己が知る相手の欲しい情報とを交換す   る、または、交換をしたという事実を利用する
 ここでは、上記3.を取引と言ってスパイとは呼ばない人もいます。

 スパイとか諜報活動は国家権力ばかりでなく、企業や政党などの諸組織にもあるのでしょう。今回事案は、社会批評社「キツネ目のスパイ宮崎学」「公安調査庁スパイ工作集」の論者によると、国家権力−公安調査庁相手に宮崎学氏が上記2.と3.をしたと論証しています。その論証では、当時、宮崎氏は新左翼を含めた幅広い反体制運動の影響力ある一つの結節点、代表的個人になっていたとされます。その彼が、国家権力(しかも、反体制運動を憲法違反の破壊活動防止法で潰す目的で作られた公安調査庁)に、彼が運動で知りえた内部情報を「売った」ということ、しかも、権力内部にパイプを持つことで、反体制側が有利になる影響力を行使するための「取引」という意味ではなく、金銭的な利益や自己の防衛や権力拡大を目的として情報提供したということが主張されていました。また、権力との「取引」を意味のある政治行動と主張する宮崎氏及び支持者に対し、自己を特別視し、権力と裏取引できるとする意識こそが、政官財の利権構造や権力構造の裏返しの意識であり、反体制運動の主体をスポイルするものであると批判しています。運動が依拠するのは、どこまでいっても、大衆(民衆・市民)一人一人だ、という主張です。

 宮崎氏及び支援者(戸田さん含む)の理解では、この問題は、宮崎氏の守るべきものと宮崎氏が流しても大丈夫と判断した情報とを交換した国家権力との「取引」である。本来、国家権力との「取引」は危険なものであるが、宮崎学氏はその付き合いや著作、活動実績から判断して信頼に足る人物である。しかも、元々「アウトロー」の信条を表明しているではないか。政治は、きれいごとばかりでなく、リスクを負いながらも、敵の中に「理解者・取引相手」を作っていく必要がある。敵に打撃を与える有効で面白い闘いを組んできた「喧嘩上手」の宮崎氏に限って、あり得る戦法である。だから、通常言われるスパイとは位相が異なると主張しているように思えます。

 それぞれの主張は、私の主観的受け止めなので、当事者には一切責任はありません。この主張とは別に、私には宮崎氏に情報を権力に渡されたとする当事者の見解(宮崎氏批判)の内容・経過・その後がよく判りません。全体の理解のための重要なファクターが欠けているような気がします。「被疑事実」を状況証拠だけではなく、きちんと証明できる証拠類が相当数あり、立証と同時に反証も可能という条件は、現実的に無理なことでしょうから、その上で言えることは、「事実」(公安調査庁への情報提供)は残り、それを前提で問題は語られなければならないということです。

 私は、まったく偶然ですが、「突破者」以来10冊程、宮崎氏の著作を面白く読んできました。読みごたえのある真摯な著作群だったと思います。しかし、仮に宮崎氏が素晴らしい人であったとして、情報提供する権利・権限が発生するのでしょうか。情報提供が正当化されるのでしょうか。宮崎氏は、むしろ、倫理(信義)よりも効果を誇るとするのでしょう。宮崎流運動展開を評価するとして、左翼・左派政治が、敵に有効な打撃を与えることが難しくなった情勢にあって、有効な闘いは本当に必要だとしましょう。それでも、提供された者が与り知らない所で、国家権力に情報提供されることが正当化されるとしたら、それは左翼・左派の倫理崩壊ではないでしょうか。戦略・戦術のためには、一般的な倫理は棚上げされるべきだとはよく聞く話です。また、倫理の党派性(階級性)が指摘され、支配のためのイデオロギーと人民解放のモラルは違うということなのでしょう。また、倫理が適用される範囲は、真の仲間と相対的な仲間と自ずから違うということでしょうか。

 でも、この構造は新旧左翼政党(の一部と限定しておきます。すべては知りませんので)の論理と倫理に似ている様に思います。目的がよければ、実行する主体(前衛党・個人)が優れていれば、手段は問わないということでしょう。でも、その一つの結果が、正義や革命の大儀で、反対する相手を反対するという事だけで誹謗中傷し、スパイ呼ばわりし、暴力的排除(肉体的抹殺も含む)することが罷り通ってきた様に思います。手段を問うことから、闘い方を問うことから、左翼は苦労しながら、新たな歩みを重ねているのではないのでしょうか。まず、大きな原則から確認しておいた方がよいように思います。
 
 さらに言えば、国家権力「取引」論は必ず大きなリスクを負います。一つは、故意か偶然かはともかく、「取引」の証拠が公然化され、宮崎氏の左翼世界での評価は相当落ち、活動が制約されました。狐と狸のばかしあいということであれば、宮崎氏ともあろう人が、権力にばかし負けしたということでしょうか。というよりは、権力に活用されてしまう必然を持つということではないでしょうか。もう一つは、運動内に疑心暗鬼の毒がまわるということです。最後に、左翼の倫理的基準の低さに対する落胆があるように思います。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

>宮崎氏に情報を権力に渡されたとする当事者の見解
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 黒目  - 07/2/27(火) 12:02 -
  
宮崎が売ったとされる革共同は、機関紙(2001/09/03)で見解を公表しています。

http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no01/f2019sm2.htm
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.1.2) Gecko/20070219 Firefo...@softbank219022240046.bbtec.net>

(5) 宮崎問題について<2>
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 麻生英人  - 07/2/28(水) 1:47 -
  
 今回の論争の中で、多くの方が、あらためて事件を知り、今後の判断の前提になったという意味では、まっぺんさんの「喧嘩を買った」成果であると思います。少なくとも、私は2冊の関連本と幾つかの断片的な情報を知りました。

 私は、語るべき内容に乏しく表現力もないので、的を射た議論にはなっていないような気がします。宮崎学問題について<1>では何を的外れなと思われていることでしょう。もう少し、言ってみます。

 私は、宮崎氏に情報提供された当事者による事実経過と問題点整理と今後の対策と今日までの対応が、一つの見解表明で理解できるほど理解力ががよくない。そのため、全体構造が見えないままに、一つの断定は難しい様に思えます。言及しうる事は多々あるでしょうが、当事者判断への介入になるかもしれませんので、ここでは、やはり全体構造はわからないと言っておきます。

 また、東京の運動域内における主体的責任を負える立場にない者で、状況がよく見えない者が、立ち入った言及はできない(但し、教訓は引き出せます)。

 さらに、前述した2.のスパイ行為と3.の取引論とでは、情報提供という結果は同じであっても、動機も違えば批判される内容も異なると思います。そして、2.のスパイ行為にあっては、(いかに容疑が濃くても)推定される事実と一定の基準で認定される事実とは違うと思いますので、提供されている情報だけでは、判断は保留です(こういう場合には被疑者の権利云々はいらないという声もあるでしょうが)。

 もっとも、2.と3.とがはっきり分けられないと判断することの理由は判ります。また、そもそも、2.と3.とは区別の必要なくスパイ行為であると断定する立場があり得ることも理解します。公安権力に情報を売られれば、理由の如何に関わらず、出る被害は同じですから。

 但し、取引論は宮崎氏や支援者(戸田さんも)が言っていることなので、この取引論においては、批判すべき点を明らかにしておかなければなりません。宮崎氏が事実経過を克明にかつ理由を明確に述べない限り、また、抽象的な取引論だけを述べるのなら、こう言及せざるを得ません。

 基準は何かと問われれば、心もとない状況の様ですが、普通、国家またはその政策と対決し、共に闘う陣営内において、敵と想定されている国家権力、しかも、反体制勢力を取締り、打撃を与えたり利用することが専らの任務である公安権力に、内部情報を売る行為が容認されるはずがない。売られた組織が直接間接に打撃を受けます。組織の壊滅や人の生死に関わる危険性もある。個人の生活が破壊されます。これに見合う「守るべきもの」があるのでしょうか。売らないという信頼を前提に、共に運動に取り組み、交流するのです。

 また、闘う者内部の信頼関係を根こそぎするものです。公安権力による情報操作を招きます。敵に味方を売らないというのは、左翼だけではない仁義と思います。現在は、敵が誰で、味方はどこまでかが不鮮明なのかも知れません。ここかしこで、仁義無き闘いがあるものですから。しかし、闘う者の武器は信頼ではないですか。

 ここの敷居、倫理基準がはっきりしていないと、この大切なものが取引の材料になる。取引されるのは、闘う組織・個人の存続と権利の破壊であり、さらに、信頼関係である。これに見合う「守るべきもの」とは何でしょうか。答えは簡単明瞭であり、そんなものはない。つまり、取引論は成り立たない(成立を認めることはできないと言うべきです)。この局面での取引論は、レトリックです。取引一般、国家権力(政策担当)との取引一般のイメージ、あるいは裏取引一般のイメージで、事の本質をすり替えている様に思います。宮崎氏の倫理と権力に対する侮りに基づいた恣意的行為というべきではないのでしょうか。宮崎氏が倫理(社会的規範を作る意志)を信じない自由はあります。また、左翼に倫理を云々されるとは笑止千万なのかも知れません。しかし、言わなければ明日がないと言うしかありません。

 その事の上で、宮崎氏の擁護があり得るとしたら、彼の「主観的善意」を容認するということだと思います。宮崎氏は意図的なスパイでないとするなら、彼の「主観的善意」すなわち、「仲間を守りたかった」「今後のためにパイプを作っていた」・「提供した情報は実は見かけ倒しのものだった」がセットになった彼の意図(彼がそう表現したかは知りませんが、そう想定するしかない意図という意味です)を信じることだけです。

 真相は歴史が明らかにするのでしょうが、この「主観的善意」を誰が信じるのかということです。事件発覚後の宮崎氏の応対は、対外的(少なくとも、主体的に責任を果たさなければならない直接的関係者−共に運動に関わった者−においても)に充分に経過と自己の心情を語った訳ではなさそうです。彼の仲間にはきちんとした説明があったのかはわかりません。しかし、この「主観的善意」を受け入れる人々は少数派であると思います。伝聞の範囲ですが、告発者の存在がいなかったら事実が明らかにならなかったこと、宮崎氏の自己への言及の不充分さ、「主観的善意」の検証が無いことなど、信じる根拠が希薄であるからと思われます。

 ただ、宮崎氏を信じる人が相対的に多いのも事実です。この信じる者をすべてマインドコントロールされた信者と評し、その主体性をなきがごとく嘲笑することが適正な対応なのかという気もします。宮崎氏個人と彼を信じ支持表明する者とは、相対的に区別されるべきであると思います。

 そして、人を信じるという事はよくある話です。それは、政治だけではない。人を信じる自由はあります。これをはなから否定するのはいいことではないように感じます。ただ、この事件を許しがたいと思うことには、相当な理由と合理性があり、信じない自由もありますし、批判する自由もある。戸田さんは、宮崎氏を信じることをせず、その政治活動に宮崎氏を参加させることは断固拒否という人がいることは尊重されねばなりません。また、自らがわざわざ、宮崎氏支持を改めて表明するのなら、この事件を否定的に見る者に対して、その論拠に答えていく努力も必要かと思います。差別され犯罪者とされた者の決起の力強さや意義を讃え、宮崎氏が百戦錬磨の強者で、器が桁違いであっても、仲間との深い信頼関係があったとしても、だから、今回事件とどう繋がるのかの説明がないと、仲間外の人には通じません。結局は、俺は宮崎を信じるという事しか言っていないことになります。

 さらに、戸田さんに言えることは、構造は理解しているのに、敢えて挑発的に登場する傾向があります。戸田さんへの批判は、往々にして、的を射ていないと思うことがあります。幾人かの論者は、戸田さんを差別主義者でマキャベリスト、論理も理性も通用しないマッチョマンと総否定です。最近は、「ネット上はともかく、日常ではまともではあるのでしょう」と少しは適正な評価もして頂ける様になってきました。戸田さんは鮮烈市民派議員として登場してきましたが、既存の左翼政治やある種の潮流に対しても、鮮烈さをアピールしている様に見受けられます。その背景があるのでしょうが、挑発的発言で波風を立てようとしているような気がします。その強引さと事態打開のためなら先頭を切って走るバイタリティーと表裏一体のものだとも思いますが、無用な波風を立てているとも思います。今は、裁判や門真市議会活動、現在の組織相談の解決や選挙等々、本当に忙しい毎日を送っているので、議論継続はそれなりにとなるのでしょうが。

 私は、この事件をつかっての政治的利用や政治的対立関係が反映した上での批判の応酬があるのかどうかをよく知りません。元々そうした政治的な流れに疎い者です。この事件に言及すれば、政治的スタンスが問われるのかどうかも判りません。初めて知った事件を、こう考えるという話でしかありません。本来なら、手元の少ない情報で、しかも全体構造が見えない中で、色々と発言すべきでないような気もしています。しかし、戸田さんとまっぺんさんの論争に触発されて、言論には言論でと言った手前、ここまでは言及してみました。大きな読み間違いをしているかも知れません。戸田さんにもまっぺんさんにも、またしても違う違うと、指摘を受けそうです。もう始まってから丸2か月で、大方の関心も去っているでしょうが、つまりは、今回も結論は草加さんと同じです。私は草加さんの要を得た説明を、不器用な大量の言葉で置き換えているような気がします。今回は、前にもまして判りにくいものになったかと危惧するところです。

 最後に、関連でやくざについての見解を述べたいと思っています。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

非常に有意義な指摘と整理だと思います。
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 戸田 E-MAILWEB  - 07/3/4(日) 19:23 -
  
 麻生氏の投稿努力に敬意と感謝を表します。非常に冷静で分かり易く、有意義な指摘と整
理だと思います。

 各論点についてあれこれの意見を展開していく事はできませんが、総合的には概ね納得で
きます。「理屈では分かるが感情としては承伏しきれない・自分としては選択しない」とい
う部分もありますが、それはそれとして・・・。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-89-136-220.s04.a027.ap.plala.or.jp>

<補3> 黒目さん・よねざわいずみさん・まっぺんさんへ
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 麻生英人  - 07/3/8(木) 0:53 -
  
 相変わらず、即応できずにすいません。

 さて、私はこの論争経過を戸田さんの掲示板と同時に、まっぺんさんの管理するサイトとの二元中継で理解しています。私は、両者のサイトを見ているという前提で論を組み立てている場合があります(勝手で申し訳ありませんが)。この論争に関心ある方は、レッドモール党公式サイトへアクセス下さい。それ以外の場所で言及はあるのでしょうが、追えていません。

 そこで、ここで登場できないまっぺんさんの意見も見ています。また、私への批判もありますし、この掲示板での黒目さんの見解(2月16日付)への言及もありますので、各人の主体性を尊重しないということではなく、まとめて見て頂きたいという意味で、こういう投稿形式にします。

 まず、冒頭に、よねざわいずみさんから、私の立ち位置に関する批判を受けました(2月28日付)。
 私の基本的立場は、どちらか一方の観点から一方を批判するというものではありません。指摘された私の文章は、証明されていない事をあたかも証明されたかの様な前提で、他者(戸田批判者)を非難していることになっていること、客観的事実と違うという意味ではレトリック(別言すればデマゴギーになりかねない)を使用していることにおいて、私の「立ち位置」からずれているとする批判だと思います。

 これに関しては同意し、謝罪します。私の性急な物言いであり、今まで述べてきた私の主観的意図、多少の異論はあるものの、大筋において戸田さんへの論理的追求自体への非難はないということへの理解の上に立っても、主要な問題点をずらした戸田擁護と戸田批判者への非難に繋がり、あらたな論議を生み出してしまう文章になってしまうこと、また、戸田批判者の真意を伝えないまとめ方は公平性を欠くという意味においても、ありうべき批判として受け止めました。以後気をつけます。

 黒目さん、黒目さんが主張される、ネットが「単なる通信手段」、日常生活の中にある精神的交通のツールであるというご指摘は理解しました。多分、そのことは戸田さんも判っているとは思います。その上での振る舞い方の問題である様に思います。ここでは、コミュニケーションの前提が大きく異なっていたり、立論するときの主体の仮構性・虚構性・演技の許容性などが議論の余地になるような気がします。決して、黒目さんが指摘されている、かつて「インターネットはバーチャルな空間」と言われていた、という意味での虚構性として言及してはいません。ただ、これ自体で議論すると本来の趣旨から遠ざかっていきますので、私の本意は、戸田さん理解の一助として、活用頂けるのならということです。意味が不明ということであれば、それは私の力の及ばなさです。

 次に、論理的であることについて、その限界性と抑圧性についてのご理解に感謝しますが、私のもう一つのお願いの声も聞いてほしいのです。
 論理力は誰もが当たり前に持っているものではない様に思います。私は人間的価値の優劣を言うつもりはありません。論理力を身につけるのは、それなりの時間と訓練がいると思います。持っている者は、自覚的に、その論理の足を最大限延ばして欲しいと思っています。もちろん、私にとっての主観的な願望であり自身もできていないという自覚の上で言いますが、相手の主張だけではなく、相手の言っていないこと、相手の無意識、その主張を成り立たしめている構造までを射程に入れてほしいと思っています。その上での、相違点の相剋をどう処理していくのか、の解決をはかって欲しいと思うのです。
 そして、これは出来るほうがやるということでしか無いように思います。当然、何の意味や義理があって、とやかく考えなければならないのかという声もあると思いますが。
 私は、時代錯誤的な倫理という言葉を多用してきました。この論争を左翼内部のあり方の問題として考えたいということです。

 まっぺんさん、すいません、息が切れてしまいました。可及的速やか返信します。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

(6) まっぺんさんへ、そして・・・
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 麻生英人  - 07/3/14(水) 5:42 -
  
1.はじめに

 まっぺんさん。相変わらず遅い返信で申し訳ありません。

 さて、連帯労組は07春闘真っ盛りです。関西の生コン業界の春闘では、大阪兵庫生コン経営者会70社程の経営者と関生支部もその一員である5つの労働組合200名とで、共同交渉を持ちます。今年は、3月14日・22日・29日と開催され、3月末までに解決しなければ、ストライキをはじめとした労働組合の行動で事態の打開をはかることになります。これと連動して、奈良・京都の生コン業界、バラセメント輸送業界、コンクリート圧送業界で集交、そして未解決の場合行動と、横断的に繋がっていくことでしょう。

 その前に、権力弾圧粉砕!賃上げゼロ回答を打破し、中小労働運動を前進させよう!3・11自動車パレードが、200台のミキサー車・バラセメント輸送車・コンクリートポンプ車で、大阪市内を走り抜けました。

2.まっぺんさんの投げられたボール

 この1月に始まった論争も、主として、戸田さん及び戸田さんと伴走してきたつもりの私の対応の遅さによって、この時期まで来てしまいました。まっぺんさん及び戸田さんを批判する人達の寛容さによって、粘り強い「言論には言論で」を実践して来れました。しかし、この実践は草加さんの言われる通り、投下労働量に規定される様な気がします。皆さんもそうでしょうが、時間のやりくりと考える時間が求められます。但し、ここに表現されない多くの「考えること」が、私にとっては価値あるものと感じられます。また、私は、私のこなれていない言葉を受け止め、ここやまっぺんさんのサイトで議論や思いを語ってくれた人々に感謝します。
 まっぺんさんのサイトで明らかにされました「麻生さんに応えるために」3月1日付はそれほど日を置かずに読みました。相変わらず、自己抑制の効いた論旨と落とし所だと感心しています。

 「言論には言論で」の原則に沿いながら、戸田さんと私のこの掲示板を通じての対話があり、リアルでの議論もありえると考えています。私は尊敬する政治活動家としての戸田さんの主体性を尊重した対話が続くであろうと思っていますし、また、それが「言論には言論で」の原則を提示された人々にも応える方法であるのだろうと考えます。

 私は、「権利」問題については、まっぺんさんを支持します。まっぺんさんは反論する権利があり、そもそも戸田さんが反論を「客観的」にしむけたのですから。

 さて、この掲示板の独裁的管理者である戸田さんは、2月20日付論考で、自己の1月2日以降の膨大な投稿(まっぺんさん言うところの「新春42連発」)の総論として、「サイバーアクション『補章』批判をするにしても別の書き方があり得た」「客観的には喧嘩を売ったことになる」と自己を相対化し自己のあり方を捉え返しています。あと「サイバーアクション再版云々の要求が、出版の自由妨害と表裏一体であることを反省し取り下げようと思う」と表明されました。

 私は、戸田さん自身や戸田さんの批判者はお怒りになるのでしょうが、論争している当事者が、総論として「別の書き方があり得た」と表明することの持つ意味を感じてほしいと思っているのです。また、自己の主張は不当に反論されていると感じている者が、自らが「喧嘩を売ったことになる」と被害と加害を逆転させた判断も見てほしいと思っています(後に続く戸田さん一流の文章で、戸田批判が倍加しているのだと思いますが)。
 さらに、「宮崎問題について」では、「総合的には概ね納得できます」とあります。従来の戸田さんの見解と比較して、自己相対化は顕著だろうと思います。

 この間の私の投稿の考えの基本は、私の独創ではありません。草加さん以外は逐一断ってはいませんが、私の主張はまっぺんさんであり、黒目さんであり等々であろうと感じています。

 まっぺんさん、言いだせばきりがない程、多くの問題があるように思います。私は、戸田さんに言いたいことを言ってきた様な気がします。それは、私が戸田さんを知っており、その上で信頼しているからです。また、この論争の争点に関して、どちらが悪いという問題とは相対的独自に、ある種の構造を明らかにしないと、通じ合わないという感触も消えません。しかし、延々と議論はしにくいものです。

 さて、ネット上でしか存じあげませんが、まっぺんさんの人柄は感じ取れます。そして、私がレトリックではなしに、上に挙げた理由で、まっぺんさんの投げたボールが戸田さんによって、部分的には返されていると言っても、少しは容認して頂けるのではないかと思っています。小さな声でも聞き取る術はある様に思います。

 いずれにしましても、まっぺんさんがボールを投げていることは理解しています。
受け止め返さなければならないことも。言論には少し時間がかかりますが。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

(7) 最後に、関生支部の現状を
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 麻生英人  - 07/3/14(水) 5:58 -
  
 ところで、05年12月の戸田さんへの政治資金規制法違反事件なる国策捜査は、大阪では大々的に報じられ、労働組合と政治家の癒着、ダーティーな金銭の授受等々悪徳政治家としてのイメージ作りに沿うメディア報道が執拗になされました。多くのテレビカメラが集められ、市役所の議会の打合せの場で戸田さんは逮捕されたのです。この時、片方の主役であったのが、生コン経営者に対する威力業務妨害・強要未遂容疑で長期拘留されていた関生支部の武建一執行委員長です。11ヵ月ぶりに保釈される目前に、この事件で再逮捕・長期拘留されたのです。戸田さんと武委員長が保釈されたのは、06年3月です。
 もちろん、戸田さんは全国区ではなく、一地方の一市議会議員なので、大阪の様が全国的に知られているとは思えません。だから、戸田さんの選挙の厳しさは伝わりにくい様な気がします。そして、4月22日の地方選で当選したとしても、4月25日高裁判決です(判決まで、1回の審理しかありませんでした)。一審で、戸田さんは罰金刑と共に、2年間の公民権停止を受けています。議席を失うことも充分あり得ます。こうした状況下にあるというのが戸田さんの現実です。

 この政治資金規制法違反事件の有罪根拠は、一つは戸田さんの記載ミス(報告漏れ)です。裁判官は戸田さんが「忘れていたのではないか(故意ではない)」と言いながら、正確に記載する意思がなかったと認定するのです。「疑わしきは罰する」のです。また、労働組合とは別のカンパを労組の寄付行為、戸田さんへの地本役員の報酬を労組の寄付行為としました。

 ここで、階級的警戒心の問題も出るような気がします。国家権力との攻防をしている以上、細心の対策が問われます。政治弾圧を受けることは栄誉ではありません。誇るものでもなく、なるべく隙を作らないのが原則です。

 しかし、現在の刑法体制の中で、何らかの違法性はつきものです。この間の国策捜査の問題は、可罰的違法性のハードルを大幅に下げてきていることです。この捜査体制では、いかようにも「事実」に基づいて事件を作れます。その上、「人質司法」で、長期拘留が当たり前のように既成事実化されています。違反行為とされている瑕疵に比して、異常に重い公民権停止なのです。

 この問題は、関生支部の武委員長にも当てはまります。
 関生支部は産別労組であり、企業別労働組合とその構成・運動方針が大きく異なります。産業政策という産業構造の民主化をはかる運動を全力で取り組んでいます。独占資本の産業支配に対し、中小企業の協同組合化を通して、中小企業・労働者が抗しうる体制を作っています。生コン業界では、セメントメーカーやゼネコンにイニシアティブを取られるのではなく、中小企業・労働者が生コン価格を決定し、品質管理を担い、賃金・労働条件を決めるのです。中小企業と労働組合は一面闘争・一面共闘による緊張関係を有しますが、独占資本に対する共通の課題があるとします。もちろん、独占資本はその資本の専制支配力によって中小企業を引っ張りますから、まさに独占資本との攻防です。一般的に言われる労使協調とは次元を異にします。産業政策とは、労働者の賃金・労働条件ばかりでなく、労働者の職場環境、産業構造は自らが決める労働者の自己決定権の実現でもあります。

 さて、いずれにしても、今回関生支部弾圧は、こうした産業政策上の運動展開であることは明らかなのに、あたかも、労働組合が生コン業界を不正な意図で牛耳るために仕組んだ暴力行為であるしています。そして、労働運動への刑事事件としては異例な実刑判決を武委員長に課したのです。今年1月の1審判決で、6人の被告の中で、武委員長だけが、懲役1年10ヵ月の実刑判決です。

 さらに、武委員長にはもう一件事件があります。これは、私や関生支部の組合員にとっては理解可能な事件であるのですが、それは仲間内の理解であって、普遍化しにくい内容ではないかと危惧するものです。その件とは、大阪拘置所で発生したとされる贈賄事件です。武委員長が大阪拘置所の刑務官に、便宜供与(規則外の差し入れ)の見返りに、100万円を賄賂として贈ったとされた事件です。06年9月に4度目の逮捕、11月に保釈となりました。武委員長の主張は、当該刑務官が自分の母親の借金返済のために無心したことに対し、同情心で、金を貸したというものです。金銭の授受に争点はないのです。便宜供与はない、金銭の授受は同情による貸し借りであるという主張です。

 この贈収賄事件では、金を無心し違法な便宜供与をしたとされる収賄容疑の刑務官(公務員であり、発端の人物)は執行猶予がつき、同じく彼の関わった別件の贈賄容疑のやくざの幹部も執行猶予でした。そして、武委員長は懲役10ヵ月の実刑だったのです。

 この事件で、武委員長のマスメディアでの叩かれ方は、拘置所内で知り合いのやくざとの交信に便宜をはからってもらったというものです。生コン業界の暴力支配、政治家への不正献金、そして、拘置所での賄賂と至れり尽くせりの豪華版です。まるで、アメリカのマフィアと繋がった労働組合であるかの様な公安権力とメディアの気配りです。

 関生支部の闘争の歴史は、やくざとの闘いの歴史でもあります。関生支部では2名の組合員が、やくざに刺殺されています。そして、いま現在でも、武委員長には身辺の警護がつきます。彼も数度命を狙われ、あわやの場面もあったからです。現在進行形です。

 やくざは、「暴力団」と銘打って「市民社会」に居てはならないものとして、簡単に排除されるものではありません。やくざは、ここで生計を営まざるをえない者がひしめき合って生きる場であり、市民秩序から排斥されてきた者の「犯罪」グループなのです。やくざは両義性を持ちます。被差別者であり、人の生活や生命を傷つけます。その経済活動は、資本制生産様式の矛盾を糧として旺盛に活動します。しかし、主は資本であり、従がやくざです。ゼネコン支配の建設産業では、徹底して労働組合を排除してきた歴史を持ちます。そして、その反映として、必要人員の手配から管理を担ってきたのが、部分的にせよやくざではなかったのでしょうか。利益誘導の政治支配と官僚とゼネコンの談合構造がやくざを呼び込み、ゼネコンを頂点とした差別的な重層的下請構造がやくざの暗躍を許すのです。建設産業では、やくざや企業舎弟が、当たり前の様にいます。中小企業経営者で使い分けるものもいます。関生支部の産業政策は、こうした攻防抜きに語れません。

 こうした歴史と現在を持つ関生支部の委員長が、やくざの同伴者として断罪される国家権力の策謀に大きな怒りを感じます。
 そして、関生支部は治安管理強化の先駆けである暴対法制定に反対しデモした数少ない労組です。これは歴史のアイロニーというべきなのでしょうか。

 さて、しかし、こうした労組の委員長ともあろう者が、国家権力の一員である刑務官に金を貸すなんてことがあり得るのか。政治的な警戒心が皆無ではないか。むしろ、やくざと通底する特殊な労働組合と理解した方が判りやすい云々との声もあろうかと思います。関生支部ではどうか。武委員長は産業政策闘争の産みの親であり、不当労働行為には電撃的反撃を展開し、「他人の痛みは己の痛み」とする関生魂を培ってきた人物です。論理的でありながら、原点は情なのです。彼なら情にほだされて、金を貸すことはありうる、と言うのです。その脇の甘さを指摘されるが、そこがまた武委員長らしいと言うのです。私も含めて、理解が出来てしまう。

 労働運動である抗議行動・説得活動としての威力業務妨害や強要未遂容疑はありうる、労働組合の政治家支援が瑕疵ではめられるのも判る、しかし、拘置所内での贈賄容疑は理解を越えるとの声に、今の私は、仲間内の論理を越えているのか。普遍的言葉足りえているのか。私は、単に信じています、という以上のことを言いえているのかと思います。この間の論争は、私自身の問題でもあったのです。

 こうしたことに言及することが賢明であるかどうか。しかし、関生支部の産業政策の普遍性を多くの労働者や労働組合員に伝えたい。この闘いを展開する関生支部そのものを伝えたいと思っています。そして、今現在、この関生支部の執行委員長が実刑判決を集中されているという状況も知ってほしい。先端的な労働運動の狙い撃ちではないのか、一人関生支部だけの問題ではなく、日本の労働運動総体にかけられた弾圧ではないのかと思っています。関西のローカルな一事象だとは思えないのですが。公安権力は、つい最近も兵庫県警公安1課主導で、関生支部の友好労組書記長を不当逮捕しています。新たな事件捏造も含め、まだまだ予断を許さない状況だと思います。そして、弾圧は弾圧される者がダーティーであるかの装いを必ず伴います。

 最後に、私は、この間の論争とそれに関する様々な議論を見るにつけ、私を例外として、ネットの軽快なフットワークを感じてきました。ネットも両義性があるのでしょうが、その可能性を最大限延ばしていこうとする多くの方々の思いと試みを感じました。

 この投稿がプロパガンダと理解されないことを願うものです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

お返事遅くなりました
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 黒目  - 07/3/14(水) 13:08 -
  
ずっと考えていたのですが、私は結局のところ、「論理=言語」の使用の問題であるとか、インターネットとの関わり方の問題であるとかについて、基本的にことさら異論を申したてるほどの相違を、麻生さんとの間に見つけることはできません。おそらくは麻生さんは私と似たようなことを考えておられるのだと思います。
私自身、「ネット上の黒目というキャラクター」と、現物との落差について、「詐欺だ」と言われたこともあり(W,自分で気がつかないうちに多くの演出をしているのだと思います。
また、左翼の運動にかかわるものは「倫理的でなければならない」「熱心でなければならない」「論理=言語を操ることができなければならない」といったことが、左翼の中に変なヒエラルキーを形成してきたということが、左翼の衰退を生んできたのではないかというようなことを考え、「アホでもやれる運動」というようなことを構想してきたものです。

そもそも、私がここに介入しているのは、いくつかの看過しがたい問題が発生し、それへの対処が必要になったからにすぎません。
その問題の発生の根源が、あるいは戸田さんの人格人となりそのものにあるのかもしれませんし、あるいは運動構造的なものであるのかもしれないわけで、まあその中で、戸田さんの奇矯な立ち振る舞いによって、「戸田さんの人となり問題」というものが、議論の中心になってしまっている、ということではないかと思います。

いくつかの問題、理不尽な要求が突きつけられるといった件、奇妙な「命令」が発せられる件、スパイ行為の容認がうったえられる件、これが私が「看過しがたい」と考えた諸問題であるわけですが、確かにこのうちのいくつかは、「戸田さんの人となり」の問題としてしか考えようのないものも多々あるわけですが、一方で、「一人の人間の人格の問題」というようなものを「解決」する方法は、われわれは持っていないわけで、その中でこれらの、かなりシャレにならん種類の問題が「迷宮入り」してしまうというのも如何なものか、というようなことを考えています。

実際問題、私は立派な大人を捕まえて、その人格を云々するほどの器を持ち合わせてはいないわけで、せいぜいが「インターネットというものはそういうもんではない」とか「あなたはネットのコミュニケーションに向いていないんじゃないのか」とかいった類の意見を述べるといった程度のことしかできないわけです。

で、このような問題は、インターネットという様式が普及してきた結果、顕在化せざるを得なかった問題です。
だがしかし、長い左翼の運動の歴史の中では、このような理不尽な問題は数多く発生してきた筈なのであって、その中で、人に知られることなく、傷つけられ、去っていった人が多くあり、あるいはまた、周りにはまったく意味のわからない分裂が発生したりしてきたのではないでしょうか。
われわれはインターネットというものを手にすることによって、これらの理不尽な問題をまっとうに解決するための手段を得たのだ、という風に考えなければならないのではないか。
というようなことを考えています。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.1.2) Gecko/20070219 Firefo...@softbank219022240046.bbtec.net>

「迷宮入り」にならない様に努力します
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 麻生英人  - 07/3/16(金) 19:21 -
  
 実際はなかなか難しいのだろうけど、黒目さんの目指そうとされる運動論や内部矛盾の解決の手段としてのネット(大衆的解決方法)という位置づけに共鳴します。

 勿論、この間の過程が、一活動家の人格の問題に収斂されてよいはずもありません。本来は軽やかなステップを踏みながら、楽しく連帯していくべき関係性だろうと思っています。

 また、私は戸田さんの主体性を尊重していますが、そのことが客観的結果的に、戸田さん批判者の主体を押しとどめ、私が抑圧に転化する意味を持ってしまうということも感じています。時間的余裕がないというのは、主観にとってのいい訳であり、速やかに解決すべき問題であろうとも感じます。

 私は、本来なら、個としての主体的判断による解決が最も望ましいと考えます。むしろ、組織的枠組みによる何らかの圧力の中での議論は、なるべくなら避けるべきであると考えます。また、個人の芸風・表現方法の尊重(勿論、自己の虚構性を意識した範囲、という限定をつけながら)、個人の実務的処理能力の範囲の尊重などは見ておきたいと考えます。但し、差別や権力に関わる問題は別でしょうが。一方で、大きな意味では、左翼とは、新たな人間関係をどう形成するのかという問題でもあります。

 私は、先の投稿で、現在の資本制生産様式の中で、30年前から取組んでいる、関生支部の政策闘争の普遍性を不器用に説明しました。協同組合と労働組合は、主として19世紀の産物でしょうが、両者による生産協同体は未来の生産様式の萌芽的形態ではないのかと思っています。そして、こうした議論というのは、精神的な協同関係をいかに形成していくのかの問題でもあるような気がします。そこでの関係性を意識した議論形成と配慮が求められている。戸田さんは、この機微が判る立場にいると信じています。

 いずれにしても、またも、少し時間を下さい。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

Re:(7) 最後に、関生支部の現状を
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 ホッシュジエンの国内ニュース  - 07/12/30(日) 19:35 -
  
企業や官公庁で働く人のうち、労働組合に入っている人の割合は、
昭和22年に調査を始めて以来最も低い18.1%にとどまり、
非正規の労働者が増えるなかで、組合離れがいっそう進んでいること
がわかりました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    * 労組幹部は企業主に労働者の統率力を
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  /    見せて出世しようとする。企業主は
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦~~  そうして労働者を意のままにしようとする。
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l  労組トップは政党と財界とも繋がっています。(・A・ )

07.12.30 NHK「労働組合離れ いっそう進む」
http://www.nhk.or.jp/news/2007/12/30/k20071230000076.html

* 戦後労組の歴史はこうして財界が人間の弱さ、エゴに付け入って
 労組組織を丸め込んだ歴史でした。一方、政党は労組を票田とする
 事で現体制の投票制度を堅持しようとします。しかし投票制度その
 ものは公務員支配体制の中で公務員が管理していますので、投票結
 果はどうにでも操作出来るようになっているようです。つまり票田
 確保は国民が確かに投票所へ向かったという、彼らの用意した「投票
 結果」を既成事実化するためだけにある事になります。
  大戦中、日本は選挙を行いましたが、投票が国家方針に影響を与え、
 早期停戦に持ち込まれて多くの国民の犠牲が避けられるという事はあり
 ませんでした。戦後内閣の東久邇は「戦争に負けたのは天皇の責任では
 なく国民のせいである。」と言い放ったのはよく知られた歴史的事実です。
 労働者が労組離れを起こすのは当然の結果といえるでしょう。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@p3137-ip602marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp>

Re:(3) 議員と労働組合
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 ホッシュジエンの国内ニュース  - 08/2/20(水) 16:02 -
  
 町村信孝官房長官は20日午前の記者会見で、在日米軍が沖縄の
全米兵の外出禁止などの措置を決めたことについて「昼夜を問わ
ないで外出を禁止するということだからそれなりに評価する」との
認識を示した。一方で「具体的な再発防止策が必要であり、その
点は今後さらに協議していくことになる」と述べ、再発防止策の
とりまとめを急ぐ考えを強調した。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    日米軍事支配体制の中で、日本が米軍を
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  /    コントロール出来るかという視点に
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦~~  この作為的な不祥事の発端があるように思える。
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l  * この体制の中では本質ではないでしょう。(・A・ )

08.2.20 日経「米兵の外出禁止措置、官房長官が評価」
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080220AT1G2001N20022008.html

*  元々、WW2において世界的な戦争利権であった核技術開発、生体工学
 技術開発に絡む日本の対米協力戦争が太平洋戦争でした。戦後米は生産
 技術支援、米国市場の開放などで財界へ、アウシュビッツ、731部隊の生体
 実験を経て完成された、いわゆるマインドマシンと俗称される生体工学
 技術による恐怖政治により、ほぼ完全に国内統治を掌握する事で閨閥・
 特権階級への褒賞が与えられたのが戦後日本の姿といえます。国内の主要
 分野において各トップが国策協力者で固められたのは公的機関のみでは
 ありません。既存の報道機関を初め法曹界、医療組織、教育機関、巨大な
 背景を持った既存の平和団体や労組にいたるまで、今日では国民の側には
 ありません。トップに与えられる褒賞・利益配分で、彼らは公的機関や
 政治団体と癒着し、その一方で公務員権限は一層強化されて行ったので
 した。民主主義社会において国民の唯一の手段といえる投票選挙制度も
 公的機関が管轄します。国民の投票結果が国策を決定するのではなく、
 『国策』が国民の『投票結果』を決定するのです。  

  戦後日本における日本政府の駐留米軍への統率力・影響力はしばしば
 問題になってきましたが、敗戦国であるが故に米権限の優位性が論じられて
 来たのが常であったと私には思われます。しかしこうした支配体制の中では
 むしろ敗戦国だからではなく、あくまで対米協力による政官業及び彼らの委託
 業者といえる各種団体への利益配分が中心になって国内統治問題が決定され
 ているからだという事が分かります。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@p3007-ip601marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp>

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