「自由・論争」 掲示板

★この掲示板は戸田が「革命的独裁」をする所である。
この掲示板はジャンルを問わず、論争・口ゲンカ・おチャラけ・ボヤキ等、何でもOKだが、「掲示板のルール1」「掲示板のルール2」を読んで必ずそれに従うこと。
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★戸田の回答書き込みは多忙な活動の中では優先度最下位である。戸田の考えを聞きたい人は電話して来る事。
●「Re:○○」形式の元タイトル繰り返しタイトルは厳禁!!必ず「内容が伺える独自のタイトル」をつけること。
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(1) まず、最初に 麻生英人 07/2/15(木) 20:03

(補) 戸田さんとまっぺんさんの努力に敬意を表します 麻生英人 07/2/20(火) 20:56
補2) 一致点を拡大し、違いは時間をかけて 麻生英人 07/2/24(土) 17:48
<補3> 黒目さん・よねざわいずみさん・まっぺんさんへ 麻生英人 07/3/8(木) 0:53
お返事遅くなりました 黒目 07/3/14(水) 13:08
「迷宮入り」にならない様に努力します 麻生英人 07/3/16(金) 19:21

(補) 戸田さんとまっぺんさんの努力に敬意を表します
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 麻生英人  - 07/2/20(火) 20:56 -
  
 どちらにも返信したいので、この形で表明します。お二人の自己抑制と理解を深めようとする姿勢にあらためて敬意を表するものです。また、私の所でこのような意志表明をして下さり感謝いたします。
 時間が許せるのであれば、もっと言及したいところですが、また、あらためて意見表明します。ありがとう。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

補2) 一致点を拡大し、違いは時間をかけて
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 麻生英人  - 07/2/24(土) 17:48 -
  
 時間に追いかけられるような気持ちで余裕が無く、様々な見解表明や提起に即応できないことをお詫びします。

 さて、今回事態の発端であった1月2日以降の戸田さんの膨大な書き込みについて、戸田さん自らが、別の提起の仕方があったかもしれないと述べられている点は、画期的だと思います。私は、サイバーアクション補章についての内容のあれこれについての批判は自由だと思いますし、意見表明したいと思えばして当然と思います。ただ、方法は考えなければならない。草加さんのご指摘以上に付け加えることはありません。

 また、出版の自由妨害の危険性を考慮して、社会批評社への申し入れを撤回される旨の表明も歓迎するものです。元来、「出版の自由」も含めた「表現の自由」という概念は、国家権力から守られるべき人民の権利であると規定されるものです。しかし、人民内部においても守られなければならない大切な原則と思います。但し、例外として、差別する自由は抑制されると考えます(この兼ね合いと、何を差別とするのかという問題は一様ではないとも考えますが)。

 さらに、サイバーアクション補章及びそれに関するやりとり批判や管理者としての方法論固守については変更無いとの見解でしたが、そのことに対しても、それなりの自己の方法的政治的意図を説明していたと思います。論争過程で、自分の土俵で、従来主張を修正していくことは、なかなか難しいものです。戸田さん批判者には勿論不十分でしょうが、私には勇気ある決断と感じます。但し、始まりの第1歩であるともいえますが。

 そして、それ以外は譲れない、管理者としての管理方法は貫くという点に関しては、私は、すでに言及している様に、原則は管理者の創意工夫の範疇であると考えます。しかしながら、同時に、この論争は、この掲示板だけで展開されていません。ネットというものの優位性だと思いますが、平行して、それぞれの場所で意見が展開されている。そこで、この論争に触発されて、色々な見解が現れたことは評価されるべきでしょう。そこでは、戸田さんが評価を下げる場合もあるでしょうし、反感が組織される場合もある。しかし、見直されることもあります。ネットの可能性・優位性や限界性も議論されたと思いますし、実際としても現れていると思います。多くの場で、戸田さんやまっぺんさんの見解が相対化されることはいいことだと思います。

 現在、戸田さんもまっぺんさんも見解の違いが大きくあります。しかし、双方が相手を重く大切に受け止めざるを得ないと評価しています。譲歩の一歩もあります。その上での批判・反批判であってみれば、後はネット全体で論争すればいいし、両者の距離がもっと縮まれば、同じ土俵で詰めればいいと思います。公開のネット上で、なんだそれだけかとの評価もあれば、そこまで前進したのかとの評価もありえます。

 私は、「事件」が発生すれば、同じ陣営と思われている人々が、反感を募らせ、袂を分かつかもしれない光景に遭遇しました。仕掛けてきた戸田さんが悪いという言い方は成り立ちます。私も当初、何の意図かと訝しく思いました。何故急に宮崎学擁護なのかと、その政治的意図を心配しました(宮崎問題については、後日言及します)。しかし、しばらく論争過程を見て、戸田さんの直球勝負を見て安心しました。他意はないんだと(だからといって、他意が無いことだけですべてが許容されるとは思いませんが)。ここらの機微はなかなか表現しにくいものです。
 戸田さんを悪し様に評したい気持ちは判るような気がします。批判にも理由があります。しかし、同時に、戸田さんの芸風を愛し、大様に見る支持者もいる、あるいは、それなりのネット活用者が掲示板に現れてくるという事実にも目を向けてください。戸田さん支持者=「とんでもない人々」でもないと思いますが。そこから戸田さんを理解する論理の足が伸びる可能性もあるような気がします。
 
 私は、論争の厳しさや論理の力を信じますし、曖昧な解決を拒否しなければならないときは拒否します。ところで、小異を捨て大同につくことは本当に難しい。当事者にとって、小異などないからです。当事者間では大異しかない。私は小さな声で自分自身に言っています。切れないようにしよう、繋いでいこう、今までも、これからも。

 あらためて、戸田さんとまっぺんさんへエールを送ります。

  
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

<補3> 黒目さん・よねざわいずみさん・まっぺんさんへ
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 麻生英人  - 07/3/8(木) 0:53 -
  
 相変わらず、即応できずにすいません。

 さて、私はこの論争経過を戸田さんの掲示板と同時に、まっぺんさんの管理するサイトとの二元中継で理解しています。私は、両者のサイトを見ているという前提で論を組み立てている場合があります(勝手で申し訳ありませんが)。この論争に関心ある方は、レッドモール党公式サイトへアクセス下さい。それ以外の場所で言及はあるのでしょうが、追えていません。

 そこで、ここで登場できないまっぺんさんの意見も見ています。また、私への批判もありますし、この掲示板での黒目さんの見解(2月16日付)への言及もありますので、各人の主体性を尊重しないということではなく、まとめて見て頂きたいという意味で、こういう投稿形式にします。

 まず、冒頭に、よねざわいずみさんから、私の立ち位置に関する批判を受けました(2月28日付)。
 私の基本的立場は、どちらか一方の観点から一方を批判するというものではありません。指摘された私の文章は、証明されていない事をあたかも証明されたかの様な前提で、他者(戸田批判者)を非難していることになっていること、客観的事実と違うという意味ではレトリック(別言すればデマゴギーになりかねない)を使用していることにおいて、私の「立ち位置」からずれているとする批判だと思います。

 これに関しては同意し、謝罪します。私の性急な物言いであり、今まで述べてきた私の主観的意図、多少の異論はあるものの、大筋において戸田さんへの論理的追求自体への非難はないということへの理解の上に立っても、主要な問題点をずらした戸田擁護と戸田批判者への非難に繋がり、あらたな論議を生み出してしまう文章になってしまうこと、また、戸田批判者の真意を伝えないまとめ方は公平性を欠くという意味においても、ありうべき批判として受け止めました。以後気をつけます。

 黒目さん、黒目さんが主張される、ネットが「単なる通信手段」、日常生活の中にある精神的交通のツールであるというご指摘は理解しました。多分、そのことは戸田さんも判っているとは思います。その上での振る舞い方の問題である様に思います。ここでは、コミュニケーションの前提が大きく異なっていたり、立論するときの主体の仮構性・虚構性・演技の許容性などが議論の余地になるような気がします。決して、黒目さんが指摘されている、かつて「インターネットはバーチャルな空間」と言われていた、という意味での虚構性として言及してはいません。ただ、これ自体で議論すると本来の趣旨から遠ざかっていきますので、私の本意は、戸田さん理解の一助として、活用頂けるのならということです。意味が不明ということであれば、それは私の力の及ばなさです。

 次に、論理的であることについて、その限界性と抑圧性についてのご理解に感謝しますが、私のもう一つのお願いの声も聞いてほしいのです。
 論理力は誰もが当たり前に持っているものではない様に思います。私は人間的価値の優劣を言うつもりはありません。論理力を身につけるのは、それなりの時間と訓練がいると思います。持っている者は、自覚的に、その論理の足を最大限延ばして欲しいと思っています。もちろん、私にとっての主観的な願望であり自身もできていないという自覚の上で言いますが、相手の主張だけではなく、相手の言っていないこと、相手の無意識、その主張を成り立たしめている構造までを射程に入れてほしいと思っています。その上での、相違点の相剋をどう処理していくのか、の解決をはかって欲しいと思うのです。
 そして、これは出来るほうがやるということでしか無いように思います。当然、何の意味や義理があって、とやかく考えなければならないのかという声もあると思いますが。
 私は、時代錯誤的な倫理という言葉を多用してきました。この論争を左翼内部のあり方の問題として考えたいということです。

 まっぺんさん、すいません、息が切れてしまいました。可及的速やか返信します。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

お返事遅くなりました
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 黒目  - 07/3/14(水) 13:08 -
  
ずっと考えていたのですが、私は結局のところ、「論理=言語」の使用の問題であるとか、インターネットとの関わり方の問題であるとかについて、基本的にことさら異論を申したてるほどの相違を、麻生さんとの間に見つけることはできません。おそらくは麻生さんは私と似たようなことを考えておられるのだと思います。
私自身、「ネット上の黒目というキャラクター」と、現物との落差について、「詐欺だ」と言われたこともあり(W,自分で気がつかないうちに多くの演出をしているのだと思います。
また、左翼の運動にかかわるものは「倫理的でなければならない」「熱心でなければならない」「論理=言語を操ることができなければならない」といったことが、左翼の中に変なヒエラルキーを形成してきたということが、左翼の衰退を生んできたのではないかというようなことを考え、「アホでもやれる運動」というようなことを構想してきたものです。

そもそも、私がここに介入しているのは、いくつかの看過しがたい問題が発生し、それへの対処が必要になったからにすぎません。
その問題の発生の根源が、あるいは戸田さんの人格人となりそのものにあるのかもしれませんし、あるいは運動構造的なものであるのかもしれないわけで、まあその中で、戸田さんの奇矯な立ち振る舞いによって、「戸田さんの人となり問題」というものが、議論の中心になってしまっている、ということではないかと思います。

いくつかの問題、理不尽な要求が突きつけられるといった件、奇妙な「命令」が発せられる件、スパイ行為の容認がうったえられる件、これが私が「看過しがたい」と考えた諸問題であるわけですが、確かにこのうちのいくつかは、「戸田さんの人となり」の問題としてしか考えようのないものも多々あるわけですが、一方で、「一人の人間の人格の問題」というようなものを「解決」する方法は、われわれは持っていないわけで、その中でこれらの、かなりシャレにならん種類の問題が「迷宮入り」してしまうというのも如何なものか、というようなことを考えています。

実際問題、私は立派な大人を捕まえて、その人格を云々するほどの器を持ち合わせてはいないわけで、せいぜいが「インターネットというものはそういうもんではない」とか「あなたはネットのコミュニケーションに向いていないんじゃないのか」とかいった類の意見を述べるといった程度のことしかできないわけです。

で、このような問題は、インターネットという様式が普及してきた結果、顕在化せざるを得なかった問題です。
だがしかし、長い左翼の運動の歴史の中では、このような理不尽な問題は数多く発生してきた筈なのであって、その中で、人に知られることなく、傷つけられ、去っていった人が多くあり、あるいはまた、周りにはまったく意味のわからない分裂が発生したりしてきたのではないでしょうか。
われわれはインターネットというものを手にすることによって、これらの理不尽な問題をまっとうに解決するための手段を得たのだ、という風に考えなければならないのではないか。
というようなことを考えています。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.1.2) Gecko/20070219 Firefo...@softbank219022240046.bbtec.net>

「迷宮入り」にならない様に努力します
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 麻生英人  - 07/3/16(金) 19:21 -
  
 実際はなかなか難しいのだろうけど、黒目さんの目指そうとされる運動論や内部矛盾の解決の手段としてのネット(大衆的解決方法)という位置づけに共鳴します。

 勿論、この間の過程が、一活動家の人格の問題に収斂されてよいはずもありません。本来は軽やかなステップを踏みながら、楽しく連帯していくべき関係性だろうと思っています。

 また、私は戸田さんの主体性を尊重していますが、そのことが客観的結果的に、戸田さん批判者の主体を押しとどめ、私が抑圧に転化する意味を持ってしまうということも感じています。時間的余裕がないというのは、主観にとってのいい訳であり、速やかに解決すべき問題であろうとも感じます。

 私は、本来なら、個としての主体的判断による解決が最も望ましいと考えます。むしろ、組織的枠組みによる何らかの圧力の中での議論は、なるべくなら避けるべきであると考えます。また、個人の芸風・表現方法の尊重(勿論、自己の虚構性を意識した範囲、という限定をつけながら)、個人の実務的処理能力の範囲の尊重などは見ておきたいと考えます。但し、差別や権力に関わる問題は別でしょうが。一方で、大きな意味では、左翼とは、新たな人間関係をどう形成するのかという問題でもあります。

 私は、先の投稿で、現在の資本制生産様式の中で、30年前から取組んでいる、関生支部の政策闘争の普遍性を不器用に説明しました。協同組合と労働組合は、主として19世紀の産物でしょうが、両者による生産協同体は未来の生産様式の萌芽的形態ではないのかと思っています。そして、こうした議論というのは、精神的な協同関係をいかに形成していくのかの問題でもあるような気がします。そこでの関係性を意識した議論形成と配慮が求められている。戸田さんは、この機微が判る立場にいると信じています。

 いずれにしても、またも、少し時間を下さい。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@ntoska171109.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

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