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【3:「無所属市民派議員」が定着して以降に起こった「節目」のいろいろ】
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/8/7(日) 3:56 -
  
【3:「無所属市民派議員」が定着して以降に起こった「節目」のいろいろ】  

1:戸田が初当選した1999年頃は、「虹と緑の500人リスト」を筆頭とした「無所属市
 民派議員」がマスコミでも大きく好意的に取り上げられ、新たに市民派議員になろう
 とする多様な男女が参集し、運動も論議も非常に活発だった。
  (少なくともそういう印象が強い)
  「女性を議会に!」という運動も広がった。

  関東などでは「生活クラブ生協」から「自分らの代理人を議会に送る運動」も広が
 った。(「2期で議員引退して後継者にゆずる」というルールで)
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2:「1999年」はまた、ファシスト石原慎太郎が東京都知事に初当選した年であり、
 パソコンネットが発達して「ネトウヨ」が増えてきた時代でもあった。、
  翌2000年に石原慎太郎が「三国人発言」という差別発言をした事に対して、東京の
 小金井市の「市民派女性議員」(若竹りょう子さん)がネットで石原発言を批判した
 事から、その女性市議に右翼やネトウヨから猛烈な攻撃がかけられる、という事件があ
 った。

  戸田はHPで若竹さん断固支援で論陣を張ってネトウヨの荒らしと闘ったが、大半の
 「市民派議員」はこの「若竹攻撃」に萎縮してしまい、若竹攻撃問題に沈黙し、また
 自分のHP掲示板の自由投稿制を取りやめた。
  ▲「市民派(の大半)は右翼やネトウヨにビビッてしまう」という「弱点」がここで
   生まれていった。
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3:しかしこの時点では、そういう弱点はほの見えた程度で、全体としては「無所属市
 民派議員」の世界はメーリングリストでも学習会等でも論議が活発で、人も増え、
 「地域政党」づくりの取り組みが始まる地域もあった。(新潟など)

  2001年1月の茨木市議選では桂むつこ氏が、当時としては非常に珍しい「妊婦候補」 となり、誹謗中傷と跳ね返して見事に再選された。
  2004年4月の茨木市長選では桂むつこ氏が市議を辞職して挑戦し、「初の女性市民
 派市長の誕生を!」とみんな一丸になって燃えた。
  惜敗はしたものの、桂むつこ氏は全国に輝く「市民派の星」、「市民派のホープ」
 であり続け、桂氏HPでの情報発信も活発だった。
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4:●しかし翌2005年は「無所属市民派」に大きな暗転が起こった年だった。
  1/13に連帯労組生コン支部の武委員長ら4名が不当逮捕され、以降長期拘留される
 大弾圧が始まり、12月には反弾圧のスポークスマンたる戸田も政治資金規正法違反をデ
 ッチ上げられて逮捕されるという事件があった。

  これに際して日頃連帯労組に支援を受けていた「市民派議員」の少なからぬ部分が
 権力弾圧の本質を判断出来ず、反対の姿勢を取らずに遠ざかる、という現象が起こっ
 た。
  当時社民党だった辻元清美氏や「市民派の輝ける星」の桂むつこ氏の逃走ぶりは、
 その典型だった。
  ▲「権力弾圧と闘えないという市民派の弱点」がかなり露呈した。

  ●さらに桂むつこ氏が、2005年1/23の茨木市議選で3選を果たした以降は、「市民
 派仲間」、「女性運動仲間」とさえ音信を断ちつつ、「市長与党派になる」という、
 驚くべき「変節・変質」をとげていた!

  これに「新たな市民派女性市議を」と訴えて当選した小林議員も加わり、やがては
 他の若手も加えて5人もの「実質与党会派」が出来上がっていった。
  小林議員は「市民派議員」として「近畿市民派議員学習交流会」に出席し続け、桂
 むつこ氏は全く顔を出さない、という「役割分担」の形になった。
 
 ■(自公勢力市長なのに)「市長議案に全て賛成!」という、これまで誰も考えた事
  が無かった「御用市民派」が誕生したのである。
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6927;id=01#6927
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6928;id=01#6928
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6929;id=01#6929
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6932;id=01#6932
   (↑「市民派議員が腐敗する時」(1)〜(4))
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6951;id=01#6951
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5:この「御用市民派誕生事件」は、それ自体だけでなく、

  (1)その事が2012年4月の茨木市長選に桂むつこ氏が出馬して戸田が情報を得て批判
   するまでの7年間も(!)「市民派世界」の中で「誰も知らない・誰も論議しな
   い」状態になっていた事と、
   (反維新候補として新社会党の山下さんが出馬した選挙戦を妨害する形で桂むつ
    こ氏が自公らに推されて出馬した)

  (2)この「驚くべき変質」を戸田が暴露批判しても、井奥君が先頭になって「議論封   じ」を図り、既に出来ていた「緑の党」勢力の誰もがこの議論封じに従った事、
   http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6938;id=01#6938
 も併せて

 ■「御用市民派の発生」と「相互批判を嫌い公開的な政治論議を嫌がる『市民派ムラ政   治』体質」という、2つの問題を浮き彫りにした。
   「他人には説明責任、自分らは説明無責任」の2重基準である。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

6:さらに、2012年に「御用市民派発生」が7年越しで露見する以前の段階から、
 市民派議員の「変質転向」と「相互批判無しの説明無責任」問題は、以下のようにどん
 どん出てくるようになった。 
   ↓↓↓
 (1)エイズ被害者の川田竜平を全国の「市民派」と中村敦夫氏の後援で2007年参院選で
  東京選挙区の無所属参院議員として国会に送り出す事ができた。
  「初の市民派国会議員」として全国の市民派の期待を集めたが「川田本人(夫婦?)
  のわがまま」を制御する事が出来ず、川田は2009年12月に、「財界と米帝の新たな
  手先」である「みんなの党」に移行してしまった。

   しかも「市民派議員運動としての公開的な議論」は出来ないままに。
   本来は「議員になった者と支援者との相互関係」の問題として、「市民派」であ
  ればこそ、大いに論議されねばならないはずなのに!

 (2)2008年に橋下が自公推薦で大阪府知事に当選し、2010年に「大阪維新の会」とい
  う「地域政党」を作って(大成功裏に!)地方自治破壊を進め、「新たなファシズム
  勢力」となって自治体の議員や首長を増やしていったが、大阪の「市民派」の多数
  はこれと正面切って闘う事が出来ず、各地での維新の伸張を許した。
   
 (3)それだけでなく、かつて「虹と緑の500人リスト」の仲間だった「市民派議員」が
  「秘密保護法に賛成」の「みんなの党」や「維新」に移行する事すら起こった。
   神戸市議の高山氏や井坂氏が典型だが
    (井坂氏は2012年12月の「政権再交代」の衆院選近畿比例区で「みんなの党」
     の国会議員となり、2013年末に「結いの党」に移行し、2014年に「維新の党」
     に移行、政調会長にまでなり、維新の党分裂に際しては橋下に同調して
     「おおさか維新の会」に残った。)
   この手の「変質転向」が「市民派世界」の中では全く論議されないまま。
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

7:「権力弾圧と闘わず」、「ヘイト勢力を批判せず差別煽動に沈黙の加担をする」体質
 が、次のように酷くなっていった。
    ↓↓↓
 (1)2009年8/30の「政権交代衆院選挙」への報復弾圧としてなされた井奥・井筒逮捕
  弾圧(「東播2市議文書弾圧事件」)
   http://www.hige-toda.com/kakogawa_danatu/kakogawa_danatujiken.html
  で、「緑の党」の「市民派」は、「反弾圧闘争」を放棄して「個人のミスの問題」と
  歪曲した対応に終始した。

 (2)2009年の京都朝鮮学校襲撃でザイトクの差別暴力煽動が露わになっても、2010年
  3月には生駒市議会が襲撃されて市民派議員自身が被害にあってさえも、「市民派議
  員」の圧倒的多数はザイトク問題(ヘイトスピーチ問題)に沈黙し続けて保身を図っ
  た。
   戸田ら連帯ユニオン議員ネットに結集した議員・候補者達が「ザイトク糾弾」の
  決議を公表したりしただけだった。

   門真市で2009年9月議会を皮切りに「反ザイトク施策」、「住民の安全と尊厳を
  守る行政責務」が進行する一方で、「市民派議員達が支持してきた市民派女性市長」
  を擁する尼崎市では、2012年6月議会で
    ◆ザイトクが市議会傍聴で在日女性を囲んで差別罵倒攻撃しても放置!
      「市民派女性市長」も職員も知らん顔!
    ◆「人権派」議員達(市民派・共産・社民・民主)は「ザイトク相手にせず」
     と称して保身で反ザイトク闘争を抑止し、市民を攻撃にさらす!
  という事件まで起こっている。
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7453;id=01#7453
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=8296#8296

   しかもこれへの戸田の批判に対しては「尼崎市の古参の市民派議員」で「緑の党」
  の酒井一議員から無反省な居直りが、2014年2月に門真市で戸田が開催した「ザイ
  トク問題研修会」で示されたのみである。

   今年6月に「ヘイトスピーチ解消法」が施行されて社会的意識がだいぶ改善された
  以降も、「緑の党」系市民派議員からも、「オンブズ系市民派議員」からもヘイト
  対策を進めようとする動きは聞こえて来ない。
   「税金の使われ方には敏感でも、人権の潰され方には鈍感な人達」と言わざるを
  得ない。
===================================

 長文になりましたが、これで
「近畿市民派100回への提起書面1:「市民派」議員とは何か?その発生と経緯」を終わ
り、「提起書面2」を作成していきます。
                    8/3(水)10:44 戸田ひさよし 拝
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引用なし
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近畿市民派100回への提起書面:「市民派」議員とは何か?その発生と経緯(1) 戸田 16/8/7(日) 3:51
【3:「無所属市民派議員」が定着して以降に起こった「節目」のいろいろ】 戸田 16/8/7(日) 3:56
提起書面2:この弱点が克服されそうにない以上、「市民派」議員の存在意義は薄い 戸田 16/8/7(日) 4:01

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