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JRA関連:その生成から消滅、革命新党結成の挫折(「オリーブの樹」等から)
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 戸田 E-MAILWEB  - 08/3/9(日) 3:13 -
  
★どういう風の吹き回しかは知らず、JRA(Japanese Red Army=日本赤軍)に関する
 スレッドを「趣味的に」立ててみた。
  参照したのは、戸田も定期購読している重信房子氏救援通信「オリーブの樹」など。

  最近知ったが、「重信房子さんを支える会」のHPがあるんだね。
       http://www.geocities.co.jp/setfreemarian/index.html
  このHPには例えば、「日本赤軍の歩み─闘いの路線的なとらえ返しとして」なんて
 いいう貴重な当事者論考も載っていたりする。
       http://www.geocities.co.jp/setfreemarian/JRAHistry.html
  ただ、このHPには「第4回控訴審出廷記2007年10/4」あたりまでの情報までしか
 まだ載っていないようだ。今後に注目しよう。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■「新党結成」に挫折した革命党派の1例〜JRA(Japanese Red Army=日本赤軍)
               (重信房子氏救援通信「オリーブの樹」抜粋などから)

1974年 JRA結成・・・・2001年獄中の重信氏により「解散宣言」なされる。
  (72年5・30リッダ闘争は「JRAの闘い」と伝説化されたが、実は「PFLP指揮
   での日本人義勇兵有志によるPFLPの闘い」であって、72年時点ではJRAは全
   く存在せず日本人の個人やグループが存在していただけ。JRAの結成は1974年秋
   になってから。JRAの党綱領の確定は81年末。)

■JRAからの再編新党として、91年に国内部分も含む「人民革命党」を結成したと言わ
 れているが、国内生潜入で国内に組織主軸を移した(移さざるを得なくなって)ばかり
 の段階(?)での2000年重信氏逮捕で、こちらも消滅に至ったものと思われる。

(重信氏記述)今から捉え返すと、
 ・「党中心」である限り、民主主義は「戦術」としてしか機能しないことを自覚的に捉
  えていなかった。
 ●「党もまた自らが民主主義を例外なく問われる」事に無自覚だった。
 ●党形成を「建軍」の体系で行なう事の問題点に無自覚。
    ・少数精鋭の党 ・「建軍建党路線」

 ◆国内の(地域における社会変革を環とする)闘いの広がりに応えうる「党形成」は、
  決して軍事的要素を要求していなかったにも拘わらず、国内の実情を無視した狭い非
  合法主義的な闘い方を良しとしてしまった。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
        経過

1:1982年6/4開始の「レバノン戦争」(イスラエルのレバノン侵略・ベイルート占領)
  以前の楽観的状況三里塚や内ゲバなどの国内の運動状況への問題提起を通信(日本
  語版:人民通信、英語版SOLIDARIYTY)を通じて行ない、またアラブレベルでも世界
  レベルでもPLOと共にJRAとして政治交渉を展開。
  
2:英文機関紙なども含めて政治交流・国際連帯は多方面に広がり、共同の活動に多大な
 力を尽くした。 
  反米反帝統一戦線の様々なレベルの共同を模索。ML主義による国際革命協議会、
 民族主義や宗派勢力との反帝共同。

3:国内に対しては、「生活レベルの共闘から軍国主義化と闘う反帝統一戦線を作り出
 す」政治方針。「人民通信」、「日本革命家の任務」などを日本で発行した。

4:我々は「80年代初頭20年から25年かけて、いつでも闘い抜ける勝利の体制と陣形を
 作る」と決定した。

 ★「80年代10ヶ年計画」★               

 第1次2ヶ年計画:思想一致を政治一致として組確立を果たす」〜綱領・規約・政策を
          決定していく。
 第2次2ヶ年計画:綱領路線に基づいて国内共同を拡大していく。国内情宣拡大、反帝
          潮流拡大。
 第3次2ヶ年計画:自らの兵站・経済的自立基盤の強化を目指す。
 第4次2ヶ年計画:情宣・組織化など国内の政治活動を在外が支援していくことを目指
          す。
 第5次2ヶ年計画:国内の革命党母体を形成することによって、在外は国際任務を中心
          に担っていく。

5:「自らの教訓と総括を返していけば国内の指導勢力の統一の条件ができる」という主
  観的で安易な希望。
  しかし、「無謬の党」観を否定した新しい団結を求めた点で、国内との交流が広がり
  可能性が広がった。

6:70年代総括から「民主主義の徹底こそが社会主義を育てる」という「反帝民主主義路
 線」に転化。 武装闘争を安易にエスカレートさせた面を反省。

  欧州では70年代前半は新左翼運動の中から出た武装闘争盛んだったが、78年モロ首
 相拉致暗殺事件(イタリア)を契機に批判高まる。
  一方、人権・環境・民主主義を市民社会の内部に作り上げていく闘いが60年代末から
 拡大し、「緑」派を中心に新左翼・社民党青年・共産党若手にも広がり、行き詰まり的
 な武装闘争路線を70年代後半には完全に凌駕。

7:今から捉え返すと、
 ・「党中心」である限り、民主主義は「戦術」としてしか機能しないことを自覚的に捉
  えていなかった。

 ●「党もまた自らが民主主義を例外なく問われる」事に無自覚だった。
  JRAの「民主主義」も理念の解説に過ぎず、「民主主義を自らに適用しきれない」
  非合法実体のまま。
           ・・・・こうして1982年のイスラエルによる6/4侵略を迎えた。

8:82年「5/30アピール:反核・軍縮の闘いを共に」〜武装闘争路線の限界認識の地平で
 統一戦線の原則提起。
  既に人民革命の中に武装闘争の位置づけの転換をし人民性のない闘いを否定してい
 た。
  武装闘争で解決できる領域は大きくなく、民衆の支持のない所では意味を持たない事
 を学んだ。日本国憲法9条の価値を再確認。

 ▲統一戦線の原則を提起(政治党派に対して)▲

 (1) 無条件に「第1の敵」に対して結束。統一戦線結成段階においても政権樹立段階
   においても。
 (2) 内容・方法の違いによって排除してはならない。多種多様な方法を有機的なひと
   つの力とする。
 (3) 生活・生産の現場を基礎に共同行動と運動の実体を作り上げる。
 (4) 統一戦線結成では量的結合が問われるべきで、広ければ広いほどよく、多様性の
   中でこそ党は鍛えられる。
 (5) 党は運動の統一に力を注ぎ、一方で独自の計画と戦術・物質力量を形成し革命的
   展開力を育てる。

9:82年のイスラエルのレバノン占領以降、JRAのとって国際的に合法公然の政治活動は
 逆に広がった。
   PLOのもとにパレスチナ日本人民連帯が育つことを支援。一例として「東京法廷」
 の実現。
  82年ベイルート撤退〜84年ベイルート解放〜85年岡本同志を含む政治犯の解放帰還
   ・・・中東で反帝統一戦線を作り上げる人々の希望のシンボルだった。

10:国内独自の政治戦線の必要性〜「10大憲章」に基づく組織形勢の試み

 ★「考え方のポイントで一致した人々」で組織していく事、「新しいサークル的な拠点
  のネットワーク形成」を目指した。(「党」ではなく、「大衆運動」でもなく)
 ・非政治的な事を含めた社会運動を地域を基盤として行ない、生活の場を闘いの場とし
  て社会革命を目指す。
 
 ・10大憲章を基礎の闘う国内の政治にJRAも呼応する方向で80〜90年代を闘ったが、
  JRAが非合法化された中で闘ったために、広がりを作り得なかった。

  ◆「10大憲章」(我々の立場)◆
 1. 「自分を変えること無しに世界もまた変え得ない。自分も変わらなければ勝てな
   い」という認識を出発点として、現実の生活の場から自らの闘いを組織する。
 2. 世界中の平和と進歩を求めている人々と共に進み、日本の侵略政策に対する闘いを
   通して、世界的な反帝の闘いに共同する日本の拠点として、闘いを組織する。

 3. 反帝と民主主義の徹底を通して、人民本意の日本の進路・政治・経済・社会を育成
   する場として、闘いを組織する。
 4. 憲法改悪阻止を要に、反軍拡、差別と排外主義との闘いを進め、反帝・民主の意志
   を持つ人々の闘いを統一した力へと結集させる闘いを組織する。

 5. 「人民本意の立場から、人民第1、人民と共に」を合い言葉に、個別のあらゆる勢
   力を認め、共同する立場に立ち、全局に有利な闘いを実現するために闘いを組織す
   る。
 6. あれこれの理由で排除せず、目標において無条件に共同する立場を統一戦線に対す
   る立場とし、その形成と発展を闘い抜く場として、闘いを組織する。

 7. 国際・国内の公妨の現実の中で、全局にとって有利な闘いを闘うために、その方法
   を示す宣伝扇動の役割を闘いとして担う。
 8. 「総括を力に、自己変革をバネに、共感を土台に」、を我々の活動基準として、
   闘いを組織する。

 9. 自分たちの生活の場を闘いの場とし、自分たちの意志と力を土台とする。下からの
   主体的な闘いの結束として闘いを組織する。
 10. 政治的・非政治的なあらゆる問題の困難を出し合い、本音を言い合い、人と人の関
   係を何よりも重視し、あらゆる運動と交流しあうことによって、闘いを組織する。

11:「陣地線戦略」と「建軍建党路線」、「5つの戦略的観点」

 ・現代は、恐慌や経済危機が帝国主義戦争をもたらさない相互依存体制にある。
 ・日本で一挙的な蜂起や地理的なゲリラ戦による革命はあり得ない。 
 ・「生産点におけるゼネスト=革命」も高度経済成長・分配享受の現下の特殊条件の下
   ではあり得ない。(当時)
 ・人間の疎外は生産・労働の場のみならず消費生活の場・家庭・地域にも集中して現れ
  ている。
        ↓↓↓
  @人民の地域・生活の場こそ「革命の陣地」として成熟しうる。
   「自治・自決・自立」の地域の闘いを社会革命の戦略的要と規定した。

 ★「5つの戦略的観点」★
 1. (主導性)戦争や恐慌による混乱を待つ受動性でなく、主導的な反帝社会主義革命
 2. (思想的結束)ものの見方・考え方における結束。下から横への自治連帯など。
 3. (陣地線)地域人民の権力母体を育成するよう闘う
 4. (ゲリラ戦)敵の弱い所から叩いていき、敵の解体を目指す。
 5. (国際主義)国際的な連携、日本の地理条件を活かして闘う。

12:今から見た反省点

  ●「権力奪取」を安易に、力学的に措定する主観的・観念的傾向。
  ●党形成を「建軍」の体系で行なう事の問題点に無自覚。
   ・少数精鋭の党 ・「建軍建党路線」
   ・「軍事政治経験を経て党員資格を持つ」という軍事指揮体系を党形成全般拡大
    した。
   ・「軍事を担う」事に他の政治活動よりも価値を置くような、旧い考え方を混在
    させた。

 ●「建軍建党路線」は中東での「内戦の恒常的戦場」という当時の特殊条件下では力に
  なり得たが、「党組織」形成の組織方法に適用する事によって、運動的広がりを損な
  った。
   国内の(地域における社会変革を環とする)闘いの広がりに応えうる「党形成」
  は、決して軍事的要素を要求していなかったにも拘わらず、国内の実情を無視した
  狭い非合法主義的な闘い方を良しとしてしまった。

  ・党員が軍事経験を持つ事・党に政治軍事力量を備えさせる事と、党そのものを軍事
   的体系において統合する事とは違うはずなのに、それを混同していた。
    (赤軍派時代からの過ちのひきずり)
  (第3世界の人民党争においては、武装闘争と民主主義や平和は対立していないが)

12:★「人民革命党」としての再生(党再建)の試み
                     (90年初頭、国内を母体とした党形成)

 ◆1991年(80年代の「11ヶ年計画」終了の新しい体制で)、「日本赤軍」から「党」へ
  の転換を目指した。
  「これまで共同してきた人々」と共に「党」の創立を行なう。
        ↓↓↓
   ※「人民革命党」(90年代中期頃に設立と推測される。→2000年末重信氏逮捕でそ
     の党名が浮上。
    2001年4月の重信氏の獄中からの「日本赤軍解散宣言」で、「人民革命党」も解
    散したものと見なされている。

 ●80年代後半からのJRAの条件悪化
  1. 非公然陣形が持ちにくくなった。武力・兵站・身分証など「革命の衣食住」が困
    難になった。  社会主義東欧諸国でも、やがてアラブ圏でも。
  2. アラブ圏での政治宣伝活動すら難しくなった。
     (政治見解は日本国内発行に切り替え)
  3. 自らの存在が民主主義の一翼を担う合法性を持ち得ないため、「民主主義の徹
    底・実現」という政治主張が「理念の表明」に過ぎず、JRAの存在自身が自ら
    の主張する人民革命路線の桎梏になってしまった。
 
  ・・・公明正大に語るべき政治部隊を作れずに来てしまった。

 ● 「民主主義の実現」という国内での闘いのあり方と、(JRA―人民革命党の「軍事
  体系の下での主体形成」という矛盾。
   JRA(&人民革命党?)の解散消滅に関して
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

引用なし
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JRA関連:その生成から消滅、革命新党結成の挫折(「オリーブの樹」等から) 戸田 08/3/9(日) 3:13
■JRA解散についての見解:丸岡氏、和光氏、浴田氏、戸平氏、その他から 戸田 08/3/9(日) 3:51
◆戸田から和光晴生さんへの5/10書簡:革命派軍人24年からの情報発信を期待します 戸田 08/5/28(水) 7:06
★和光氏大特集の「図書新聞」が和光氏依頼で送られてきたのでHPアップしたよ! 戸田 09/2/23(月) 14:16
●和光さんからの電報で10/27上告棄却・無期懲役確定を知る。前日発送の手紙も受領 戸田 09/11/1(日) 6:50

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