ちょいマジ掲示板

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さあ「母親見舞い・秋田2泊3日弾丸ツアー」に出発だ!(残り点数1点で) 戸田 14/8/22(金) 2:35

◆往路940キロを17時間、復路1055キロを仮眠含め28時間、8/25(月)昼前無事帰着! 戸田 14/8/27(水) 12:44
☆念願の鳥海山ブルーライン!●夜の霧中走行の恐怖と疲労!1速半クラで延々と! 戸田 14/8/29(金) 4:21
▲バイク疲労に強い戸田が初めて体験した「体のロレツが回らない」ような疲労 戸田 14/8/29(金) 7:42
△40年前の強烈な体験。8号線の「親不知子不知」難コースを追体験 戸田 14/8/29(金) 8:26

◆往路940キロを17時間、復路1055キロを仮眠含め28時間、8/25(月)昼前無事帰着!
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 戸田 E-MAILWEB  - 14/8/27(水) 12:44 -
  
 報告遅れ申し訳ない。まず「母親見舞い・秋田2泊3日弾丸ツアー」の概略を紹介する。 

1:往路は8/22(金)朝5:20出発で、宿泊地の秋田県大潟村の「サンルーラ大潟」に到着
 したのが22:20。
  走行940キロで17時間を要した。

2:復路は8/24(日)朝7:22出発で、門真の自宅に到着したのが、当初見込みより大幅に
 遅れて翌8/25(月)の午前11:30だった。
  走行1055キロで28時間を要した。従って本ツアーは「3泊4日」になってしまった。

3:ただ、「4泊め」は宿泊ではなく、高速道路のサービスエリア(SA)のバイク置き
 場の雨を避けられる路面にカッパを着たまま死んだように横たわる「路上仮眠」を2回
 したものである。 
  こんな「仮眠」を取ったのは学生時代やその後の250ccや125ccバイクでの(所要
 23時間前後の)「一般道秋田ツアー」以来、25年ぶりくらいの事だ。

  復路では全行程の6割方に当たる北陸道の「黒部」までずっと一般道を走り、なおか
 つ秋田山形県境の鳥海山ブルーウエイとその周辺で4時間ほど遊んだために時間がかか
 ってしまい、疲労も進み、ライトが暗いV-MAXでは雨の高速での危険性が高まったた
 めに、なり振り構わず「路上仮眠」せざるを得なかった。

4:秋田滞在中の走行も含めて全走行距離は2086キロ。
  給油したガソリンは全部で146.2L、2万4906円。
    燃費は往路で13km/L、秋田滞在90km+往路1055kmで15.5km/L。
    全行程2086kmで14.3km/L  

  ■往復とも「ほぼ満タン状態で出て到着するためには6回給油が必須」だった。
   (V-MAXは満タンで15L。残り3Lでリザーブ。高速道でも一般道でも給油所が
    減っているから、もの凄く気を使う。)

5:高速代は、往路で1万2660円、復路で7530円。合計で2万5320円。
  (復路で6割も一般道を走って披露して時間をかけてもたった5130円安いだけ!) 

6:「秋田への手土産」が各種で8000円。「秋田での買い物」が1万2000円。
  いつもこれくらい使う。
  今回は3泊4日の旅程での飲食はかなり質素だったが、それでも1万5000円くらい。

 ◆合計すると、「母親見舞い弾丸ツアー」の総費用は10万円+α。
  「年1回の母親孝行」にはこれくらいはかかる。

  ※秋田行きでは「格安航空券」もあまり安くなく、2泊の安ホテル付きで5万円くら
   いはかかるし、秋田での「自由な交通」には費用もかかる。
   何よりも「V-MAXを乗り回す楽しみ」が全く無い。
    体の疲労は格段に少ないが。

7:母親はこの10月で84才。今は容態に急変は無いが、この先10年以上も持つとは思
 えない。
  「年に1回の見舞い」が出来るのは、「あと何回かだけ」だろうと思うので、せめて
 それだけは続けていきたい。 
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※今から役所に行って用事をするので、この続きは夜に書くことにする。
 (バイクに興味がある人には)いろいろ面白い話があるので、ご期待を。 
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i220-221-36-251.s04.a027.ap.plala.or.jp>

☆念願の鳥海山ブルーライン!●夜の霧中走行の恐怖と疲労!1速半クラで延々と!
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 戸田 E-MAILWEB  - 14/8/29(金) 4:21 -
  
 今回ぜひ走りたかったのが、秋田山形にまたがる「東北最高峰」の鳥海山の山腹を35kmに渡って走る「鳥海山ブルーライン」だった。
 (正式名称「鳥海ブルーライン」。上の投稿で「ブルーウエイ」と書いたのは誤記)

 学生時代に帰省した折り、戸田のバイク師匠の友人とバイクで走って、その素晴らしさに大感動して以来、戸田にとっては「何度でも走りたい絶景道路」になった。
 (写真や記事)
http://grand-touring-japan.travel.coocan.jp/roadofjapan/tohoku/chokai/blueline.htm
http://corocoma.hateblo.jp/entry/2014/06/05/171935

 「V-MAX帰省」の過去2年は、「夜になって時間が合わない」とか「雨天」とかで行けなくて残念な思いをしてきたが、今年は大阪出発を早朝にして往路夕方の鳥海山ブルーライン走行を可能にした。

☆そして、(高湿度猛暑走行の疲れで休憩を多くしたため予定より遅れはしたが)ついに
 雨に降られる事なく、念願の鳥海山ブルーラインを登る事が出来た!
  実に30年ぶりの再訪だ!

 ただ、山形県側から登って4合目あたりの「太平山荘」に着くまでの路程では、
「絶景」はそれほど多くない。
 しかし空腹で仕方ないので、「話のタネ」も兼ねて、初めて「太平山荘」に入って食事と休憩をする事にした。
 
 食堂の広い窓から、日が暮れていくのを眺めながら、「後の楽しみは大阪に帰る時に秋田側から登って」、と考えてゆっくり休憩した。

●で、「太平山荘」を出ると夜の闇の上に猛烈な霧(ガス)!
  山荘のおばさんに「霧が濃いから気をつけてね」と言われた時は軽く考えていたが、
 実際にバイクに跨って道路に出ようとしたら、これが半端じゃない!
  霧がこんなにも恐ろしいものとは知らなかった。  

●霧雨でヘルメットのバイザーが濡れて見にくくなる中で、見えるのはバイクの前輪の周
 辺2メートル程度だけ!
  道路の左端ラインと中央線がボヤ〜ッと極く短く見えるだけ!
  そのわずかの路面の様子以外の空間状況は全て濃霧の中で何も見えない!   
  
●つまり空間感覚がまるで掴めない。登り坂にいるのか下り坂にいるのかすら分からな
 い。
  バイクの2メートル先がどうなっているのか、まるで分からない。
  もちろん、ライトの明かりの範囲外の自分のすぐ横や後ろや上は、濃霧の壁だ。

■こんな中でV-MAXで走るためには、そのほとんどを「1速半クラッチ」で超低速走行
 するしかない。もう「走行」と言うよりは超低速での「移動」と言った方がいい。
  オーバーヒートに気を使って、時々は2速にも入れるが(やはり半クラッチ多用)、
 すぐに1速半クラッチに戻さないといけない。

■実は大型バイクを超低速走行させるのは、「ある種の曲芸」である。
  両手両足でアクセル・クラッチ・前ブレーキ・後ブレーキをそれぞれ微妙に操りなが
 ら、全身で上手にバランスを取り続けないと、何かの拍子に車体が倒れてしまう。

  車体が左右に倒れてしまう「限界角度」は、ビックリするくらいに僅かな角度だ。
  その僅かな角度を超えて車体が傾いたら、地面に足をいくらしっかり踏ん張っていて
 も、傾いて倒れるバイク事をもう支える事が出来ない。

■そして巨大トランク装備の戸田のV-MAXは、倒れてしまったら戸田1人では絶対に起
 こせない。
  明るい平地ですら起こせないのだから、闇夜と濃霧の山道では絶対に不可能だ。
    (これは戸田の技術不足ではあるが。上手な人なら1人で起こせる。)
  つまり、この濃霧の中でV-MAXをコカしてしまったら、「自分の居場所も不明な、
 鳥海山での遭難」になってしまうのだ。
  「母親の居る施設に今夜顔を出してお土産を渡す」どころの話ではなくなる。

▲「いつまで続くぬかるみぞ」。
  この恐怖と疲労の濃霧中走行を、いつまで続ければ視界が開けてまともに走れる場所
 に出るのか、全く見通しが立たない。(「やがては終わる」事ははっきりしているが)  
  ただひたすら、ヘルメットシールドの雨粒越しにうっすらと見えるわずかな路面ライ
 ンを凝視しながら、V-MAXをコカさぬよう、オーバーヒートさせぬよう、1速半クラ
 ッチ多用でノロノロと延々進み続けないといけない。
  いつ果てるとも知れない苦役。時々雷まで鳴って不気味さを盛り立ててくれる。

▲バイク歴40年の中ではもちろん、58年半の人生の中でも、これほど泣きたくなるほど心
 細く、情けなく、恐い思いをしたのは初めてだと思う。
  「ガス=濃霧を甘く見ては絶対にいけない!」、という強烈な教訓になった。
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 こうした「孤独な苦難の行軍」を続けること、たぶん1時間あまり。
 「太平山荘」から五合目の「展望台」下まで登り、ヘアピンカーブ連続の下りを「移
動」して、おそらくは3合目あたりまで降りた段階で、ようやく濃霧地帯が終わり、「小雨の暗い夜道」状態になって、やっと普通に走れるようになった。
 距離にしてたぶん10キロくらいだと思う。

 その後、国道や高速道を使って秋田市に入り、潟上市の母親の居るグループホームに着いたのが夜9時半過ぎ。
 予定よりだいぶ遅くなったので、母親には会わずに職員に手土産を託して「サンルーラ大潟」に向かい、10:20着。
 
 「念願の鳥海山ブルーラインで天国と地獄を見た初日」が終わった。
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 8/24(日)の帰路では、早朝7:20に出発して、懐かしい景色を楽しむために、あえて一般道のみを通って鳥海山ブルーラインに向かう。
 秋田県側の入り口からから入いって案内板に従って進んだつもりだが、なぜか道を間違えて離れた山麓を走ってばかり。(ナビも見ていたが)

 悔しいが諦めて国道に出て山形側に進み、8/22(金)に入った山形側入り口から入って、
「太平山荘」でラーメンとコーヒーでしゃれてみる。

 ブルーラインを秋田側に進んで終了手前でまた山形側に戻って国道に出るという、
「鳥海山ブルーライン往復の贅」を尽くす事にした。
 (鳥海山で何やかんやと4時間ほど費やしたので、その後の路程が遅れたのだが、
  「今この時にしか出来ない事」を優先する事にした。)

 30年ぶりに走るブルーラインは、たしかにいい景色ではあったが、曇り空だったせいか、過去3回ほど体験した「スカッとした素晴らしい景色」とは違っていたし、路面も昔感動したようなしっとりした美しさではない気がした。
 これはまあ、前々日夜の「恐怖と疲労の夜間濃霧走行」の悪影響が体と心に残っていたせいもあるかもしれない。

■太平山荘から5合目展望台下を経て秋田側まで走って思ったのは、「この道をよくぞ
 1速半クラッチ多用で延々と走ったものだ」、という感慨だった。 

  ちなみに、5合目展望台に分岐する道は、秋田側に向かって走った場合は道路の右側
 に分岐しているが、これがもしも道路左側への分岐だったら、車線左端ラインを頼りに
 進んでいた戸田は、この分岐で展望台側に進んでしまって訳が分からなくなって濃霧の
 中で立ち往生してしまったところだった。くわばらくわばら!
 
・・・・かくして、戸田の「30年ぶりの鳥海山ブルーライン走行」は終わった。
 来年夏もまた行こうと思う。

 今度は明るいうちに通過して秋田に向かうようにして、霧が出そうならば近づかないようにする事は言うまでも無い。 
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引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i220-221-36-173.s04.a027.ap.plala.or.jp>

▲バイク疲労に強い戸田が初めて体験した「体のロレツが回らない」ような疲労
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 戸田 E-MAILWEB  - 14/8/29(金) 7:42 -
  
 戸田は長年の長距離ツアーの経験から、バイク疲労には強い方だ。
 バイク疲労への我慢強さがあるだけでなく、自分の疲労程度を自分で判定して危険水域に達する前に休憩を取る判断力を持っていると自負している。
 だからこそバイク歴40年で無事故でこれたと思う。(運にも恵まれて)

 今回のツアーでも、往路の猛暑疲れと睡眠不足による疲れに対して「早期到着」を断念して頻繁な休憩を取ったし、復路では高速道走行の途中で雨中夜間走行を断念して路上仮眠を取るなど休憩を多く取った。

 しかし、そんな戸田が今回初めて体験した事があった。

 鳥海山ブルーラインでの「恐怖の夜間濃霧走行」をようやく抜け出して秋田市へ向かっている時、信号などで停車する時に非常にぎこちなくなっている事に気づいた。
 他人の失敗談として「長時間走行で疲れてしまい、停車時に立ちゴケしてしまった」
という事は知っていたが、今回は自分もそうなってしまいそうだった。

 「気をつけないと転んでしまうぞ」、と自分を戒めて停車のたびに万全の注意を払うようにした。
 先に書いたように、大型バイクを超低速走行させるには、ライダーが両手両足と全身バランスを上手に駆使しないといけない。停車する時も同様である。

 しかし疲労が溜まってしまったせいだろう、体のそれぞれの微妙な動きが上手く出来ない。
 例えて言うならば、体全体が「ロレツが回らない」という感じ。

 V-MAXでの長距離長時間ツアーは2012年5月以降数々やってきたが、こんな症状になるのは初めてだった。
 この症状は秋田で2泊して休憩を取った後も続き、無くなったのは大阪に帰った翌日の
8/26(火)からだった。

 鳥海山ブルーラインでの「恐怖と疲労の体験」が原因だっただろうと思う。
 今後も気をつけよう。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i220-221-36-173.s04.a027.ap.plala.or.jp>

△40年前の強烈な体験。8号線の「親不知子不知」難コースを追体験
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 戸田 E-MAILWEB  - 14/8/29(金) 8:26 -
  
 戸田がバイクに初めて乗ったのは、阪大に入学して鴻池寮に入った1974年のこと。
 もう40年も昔の事だ。

 この時、戸田にバイクの乗り方を厳しく伝授してくれたのが秋田高校の友人DDで、その時の事を「戸田のバイク掲示板」http://9306.teacup.com/vmax1200rmx250/bbs

◎戸田のバイクの師匠=DD(秋高友人)に感謝を捧げる。俺は生涯バイク乗りだぜ!
     投稿者:戸田 投稿日:2014年 7月 4日(金)
  http://9306.teacup.com/vmax1200rmx250/bbs/2
に書いておいた。

 今考えてみたら、DDには感謝しても感謝しきれない。
 そう考えて今回、DDに久し振りに会って感謝してバイク談義に話を咲かせた。

 この40年前の1974年の夏休みに、戸田はSL90というバイクに登山リュック一杯の荷物を積めて、信州ー東京ー仙台ー秋田の実家ー(日本海岸を通って)大阪、という「バイク初心者にしては極めて大胆なツアー」を敢行した。

 大阪への帰路で一番難儀したのが、「北陸の難所」として昔から有名な「親不知子不知」(おやしらず こしらず)(新潟県糸魚川市・国道8号線)だった。

 ここは日本海を横手に見て、半開放型のトンネルがいくつも続く、道路景観としてはとても素晴らしい所だ。
 しかし片側1車線で、特にトンネルの中でもカーブや坂道が連続するという日本で珍しい道路で、しかもトンネル内では全く逃げ場が無く、そこを長距離トラックがガンガン飛ばすという状況だから、初心者90ccバイク乗りとしては、トラックに追いかけられて生きた心地がしない、という恐怖と屈辱の体験をさせられた所として忘れられない。

 学生時代やその後に何回かバイクで通るたびにその事を思い出していたが、それも30年前の事。
 今回は秋田から一般道のみを通って鳥海山ブルーラインに挑んだついでに、ずっと一般道を通って「V-MAXで初めての国道8号線・親不知子不知」に挑戦したくなった。

 通った時はとっくに(小雨の)深夜になっていて、日本海の景色は見えなかったが、日曜日だった事でトラックの通行も少なく(乗用車も少なく)、ゆっくりした気持ちで走ることが出来た。
 しかし30年ぶりに見ても、トンネル内で左右に上下に道路がゆたっている様は壮観で、
「40年前のあの日」を十分に思い出させてくれた。

 既に夜10時頃になってしまっていたので、ガソリンを満タンにしたら最も近い高速乗り口から高足に入る事にした。
 そうして北陸道の「黒部」乗り口から高速に入って帰路に就いた。

 既に雨が酷くなっていて、高速ではカッパ着用せざるを得なかった。夜明けには雨が上がった。
 今回の秋田ツアーではカッパ着用した区間は全行程の1割強だったから、V-MAXでの全てのツアーのうちで「最も雨が少なかった幸運ツアー」だった。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB7.5; YTB730...@i220-221-36-173.s04.a027.ap.plala.or.jp>

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