ちょいマジ掲示板

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科学と宗教、その間の壁は破れるのか。 ゆうすけ 10/8/28(土) 22:06

☆思えば戸田は、社会問題に立ち向かう宗教者に数多く出会い感銘を受けてきました。 戸田 10/9/6(月) 11:37
正直言って、自分にとって、難し過ぎると思える書簡。 ゆうすけ 10/9/7(火) 16:45
人類が、果たして宗教なくして存在することができるのか。 ゆうすけ 10/9/10(金) 23:30
[ ゆうすけ 10/9/12(日) 22:13
失礼しました。題名を打ち直そうとして、送信になってしまいました。 ゆうすけ 10/9/12(日) 22:48

☆思えば戸田は、社会問題に立ち向かう宗教者に数多く出会い感銘を受けてきました。
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 戸田 E-MAILWEB  - 10/9/6(月) 11:37 -
  
 戸田は「宗教は阿片だ」と切って捨てる感覚はありません。
 谷口さんとの対話に触発されて考えてみて気づいた事ですが、戸田の場合、学生時代以降、様々な社会運動の場で尊敬できる宗教者に出会って感銘を受けてきた事が、その背景にある事に気づきました。

1:高校卒業までの秋田時代は普通に「葬式仏教」のみ
2:大学2年の1975年の11/22に韓国で発表された「11/22事件=在日韓国人スパイ団事
 件」(朴政権による「北のスパイ」デッチ上げ事件)の被告に阪大卒業の人がいたこと
 からその救援運動に参加。以来ずっと韓国民主化闘争支援に関わることになる。
  その救援運動で出会ったのがキリスト教の摂津富田教会の桑原重夫牧師。

  隻腕長身の迫力のある牧師で、日本の戦争責任に関わる運動のほか三里塚闘争など
 様々な運動の知的倫理的リーダーのひとりだった。
  また韓国でキリスト教会が民主化闘争を物心ともに支え、多大な犠牲も払っている事
 も知った。 

3:1976年秋から三里塚闘争(成田空港反対闘争)に参加する中で、三里塚反対同盟の委
 員長である戸村一作牧師を知る。
  農民に乞われて委員長を引き受けた戸村さんはキリスト者として闘う、非常にカリス
 マ性のある人で、凄い演説をすることで有名な人でした。
  79年に亡くなるまでの間(たしか78年から病床に就いた)、現地集会で何度か戸村さ
 んの演説を生で聞いた事は今でも戸田の誇りです。

  激烈な闘争演説の中にもキリストの話を挟む事が多く、戸田が一番強烈に覚えている
 のは、キリストがいわゆる「平和主義者」ではなく革命家であった事を解いて、「キリ
 ストはこう言った。『私は平和をもたらしに来たのではない。争いをもたらしに来たの
 だ』と」、と切り出し聴衆をギョッと驚かせた後に、「『なんとなれば、この不正な抑
 圧に満ちたローマの平和への屈従は不正義である事を説きに来たからである』、とキリ
 ストは言ったのです」、と話を続けたことです。
  このフレーズは戸田も学生時代に「逆説的演説」にだいぶ使わせてもらいました。

  戸村さんは反対同盟農民を引き連れて、中国に行って周恩来に(毛沢東にも?)会
 い、ベトナムやパレスチナ(レバノン)も訪問し、アラファト議長にも会って民衆的た 国際連帯を広げました。三里塚集会で「ハッタ」(アラブの大きなスカーフ)をまとっ
 て演説する事もありました。

4:1979年はニカラグア革命勝利の年ですが、中南米の革命闘争の中で「解放の神学」の
 立場を取るキリスト者達が社会主義者と共同して犠牲を払っている事を知りました。
  後方支援だけでなく銃を取って闘う神父も生まれています。
  また、米帝やそのどう猛な手先であるイスラエルシオニズムと断固闘うイスラム教徒
 達の存在も知りました。

5:1982年暮れから釜ヶ崎の運動に支援参加する中で、キリスト教の牧師・神父・シスタ
 ーや信者達が献身的に関わっている事を知りました。
  警察は彼ら彼女らを「釜ヶ崎のキリスト教」を略した「カマキリ」という符帳で呼ん
 で明確に弾圧対象にしています。

6:各種の反戦平和運動、反原発運動、部落差別反対運動、人権救済運動、住民運動、障
 がい者運動、国際連帯運動に参加する中で、キリスト者だけでなくお寺の住職とか禅僧
 とか、人々から信頼を受けている仏教者とも出会いました。
  大阪南部の戸次公正(べっき こうしょう)さん(真宗大谷派)や、守口西三荘駅そ
 ばの覚了寺の女性住職の連月さんなどもそうです。

・・・・・こういう尊敬できる数々の宗教者との具体的な出会いがあったので、戸田は「宗教は阿片である」という左翼教条主義の考えは持ちません。

■ただ、戸田にとって尊敬できる宗教者とは社会の矛盾や不条理に苦しむ民衆のために、
 共に闘う宗教者であって、そういう社会問題が目の前にあっても目を向けず、考えよう
 ともせずに、心の平穏だの神や仏の導きだのを説く宗教家や宗教団体ではありません。

  たしかに世の中に数限りなくある「課題」全てに関わる事は出来ないにしても、ひと
 つやふたつは社会の「現在のシステムや権力構造から派生している問題」に関わる、
 「自分らの身近にある問題」に手を差し伸べて、民衆救済のために、共に闘う宗教者で
 ないと、戸田としては敬意を払えません。

■谷口さんには申し訳ないが、30数年におよぶ社会活動の中では、そういう活動をしてい
 る日蓮正宗や創価学会の信者は見た事がありません。
  (先に述べた、創価学会員であることを伏せて個人で活動している人を除いて)
  世界中どこでも、創価学会員が民主化運動や独立闘争、革命闘争に寄与した、という
 話は聞いた事がありません。

  韓国には創価学会員が多くいますが、民主化闘争への寄与はゼロです。実際にはマイ
 ナス(抑圧への沈黙・加担)だろうと思います。
 (独裁政権に許可されて布教する旧侵略国からの伝来宗教、という事情もあって)

  創価学会がやっていることは、常に「自分達の組織の維持拡大のための活動」だけで
 あり、創価学会にとっての「民衆」とは、「自分達の信者に獲得するための対象」でし かない、というのが、30数年の社会体験からする戸田の認識です。
  そしてその信者の中でさえ、「信者は一体平等」という建前を分岐させないようにす るために、労働問題や住民運動その他諸々の社会問題での助け合いはしないように見受
 けられます。

  外から見ると、創価学会の熱心な、功績ある信者である谷口さんが、これほど悩み奮
 闘しているのに、学会仲間も公明党議員も、誰も支援や仲介をしようとしない、司法書
 士・税理士・弁護士等アドバイスできる専門家の学会員も多くいるのに誰も手を差し伸
 べない、という状況もその体質の現れだろうと感じられます。

  ま、善意に割り切って解釈すれば、狭い意味での信仰や活動の範囲を超える問題につ
 いては会員個人の自助努力によって乗り切れ、それも修行だ、とする団体だということ
 でしょうか。
  こう考えれば、創価学会員である事と、学会から孤立無援で個人で奮闘する事は矛盾
 しません。
  そうやって鍛えられた学会員が創価学会を豊かにするのだ、と考える事も出来ます  し。

★さて、戸田の場合は確信的に無神論・無宗教なのですが、それで全然不足とは思いませ
 ん。
  信じているのは(かなり雑駁ですが)マルクス主義であり、世界社会主義革命論で  す。
  世界社会主義革命の実現が「人類前史の総決算」=人類史の低い段階の克服であり、
 それから先に本当に文化的に豊かな人類史が始まる、と考えています。

  そして世界社会主義革命は、いろいろ時間がかかるとしても必ず実現するし、そうし
 なければ強欲資本主義によって世界の破滅になるだろうと危惧しています。
  現在は「20世紀社会主義」の痛苦な失敗を克服して、各種協同組合の組織化を基盤と
 した「21世紀型社会主義」形成に進んでいると捉えています。
  中南米のベネズエラ(チャベス大統領)やキューバなど「反米帝左翼政権国家連合」
 がひとつの指針です。

  キーワード的に言えば、反資本主義・反帝国主義・反差別・国際連帯・民主主義・人
 民主体・協同組合基盤の社会主義・共生社会・世界革命・国家の解体、等です。

  その革命を進める活動家としての人生が戸田の人生だと考えており、その信念は一生
 変わらない自信があります。 

  唯物論者・無神論者であっても、自然の神秘は感じるし、畏敬の念も持ちます。人と
 の出会いに「運命的なもの」も感じます。
  「霊の存在」は信じませんが、「今の科学では説明出来ないもの」があることは理論 的当然と考えています。

  「死者の魂」は信じませんが、「死者の記憶が世代や歴史を越えて伝達されていくこ と。死者を身近に感じる事」は信じます。

  だから社会主義革命論が出来るはるか以前から、また全然違った理論や宗教によって
 も、不正と闘い民衆解放のために闘って倒れた世界中の戦士達が我々の先達であり、お
 手本です。
  その彼ら彼女らの生き方に照らして恥ずかしくないか、というのが人生の規範であり
 モラルです。(従って何かの宗教や「神」に頼る必要がありません)
 
  こういった考えは武委員長を初めとする連帯ユニオンの活動家や、それと共同・共鳴
 全国各地の活動家とも共通する考えだろう、と戸田は考えています。
  そしてこういう仲間ー同志達は、既成左翼政党・政派の衰退と社会矛盾の激化の昨今
 の情勢の中で、「真に有効な左翼」として増大していくだろうし、そうさせねばならな いとも思っています。

・・・・以上、谷口さんに触発されて、戸田の人生観、世界観、使命感などを述べてみま
した。谷口さんの真剣な投稿がなければ、戸田がこういう事を正面切って書くこともなかったでしょう。
 これが「対話」の妙味だと思います。 
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6; .NET CLR...@i58-94-103-60.s04.a027.ap.plala.or.jp>

正直言って、自分にとって、難し過ぎると思える書簡。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/9/7(火) 16:45 -
  
お忙しい中、ありがとうございます。

多くの課題をいただきました。戸田さんの言われることを、この掲示板の読者、特に学会幹部や宗教家が対話に入り、よりわかりやすく、鮮明になればと期待もするのですが、まず、私の体験の上から、ご返事を書いていきます。考えを深くするためにも少し時間かかりますが、乞うご期待を!

そして、「小沢悪者論」を信じてる自分に対しての問題提起。これについても、マスコミや学会で聞く話だけでなく、小沢一郎という人間を(新進党では、尊敬する政治家であった)自分の眼で見ていこうと思います。

自治会の問題についても、戸田さんの助言を受けて再度、整理して見ます。「切れて、孤立することなく」。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.5; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska168002.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

人類が、果たして宗教なくして存在することができるのか。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/9/10(金) 23:30 -
  
ここ何日間か私なりに、思索しております。併しながら、現実は色んなことを抱え、山にこもるわけでもなく仕事もしながら。言えばそれこそが実践の哲学であると思っています。

先の書簡、私への課題と捉えていますが、戸田さんの思想や背景を語っていただき、率直に同じ世代の同じ人間であると親近感がもてました。

すべてに考えを「あうだこうだ」という必要もないと思いますので、掻い摘んで「こう思う」というところは、原文を引用しました。


> 戸田は「宗教は阿片だ」と切って捨てる感覚はありません。
> 谷口さんとの対話に触発されて考えてみて気づいた事ですが、戸田の場合、学生時代以降、様々な社会運動の場で尊敬できる宗教者に出会って感銘を受けてきた事が、その背景にある事に気づきました。


>・・・・・こういう尊敬できる数々の宗教者との具体的な出会いがあったので、戸田は「宗教は阿片である」という左翼教条主義の考えは持ちません。

●「宗教はアヘンである」というのは、青木雄二さんとの対談で青木さんから出た話でした。戸田さんもそうだったのかと思ってしまいましたが、切って捨てられず安心しました。また、多くの宗教者との出会い、これは学会員として見習うべきと思います。他宗を寄せ付けないというのと、近づけば破折するのが常で。


>■ただ、戸田にとって尊敬できる宗教者とは社会の矛盾や不条理に苦しむ民衆のために、
> 共に闘う宗教者であって、そういう社会問題が目の前にあっても目を向けず、考えよう
> ともせずに、心の平穏だの神や仏の導きだのを説く宗教家や宗教団体ではありません。
>
>  たしかに世の中に数限りなくある「課題」全てに関わる事は出来ないにしても、ひと
> つやふたつは社会の「現在のシステムや権力構造から派生している問題」に関わる、
> 「自分らの身近にある問題」に手を差し伸べて、民衆救済のために、共に闘う宗教者で
> ないと、戸田としては敬意を払えません。
>
>■谷口さんには申し訳ないが、30数年におよぶ社会活動の中では、そういう活動をしてい
> る日蓮正宗や創価学会の信者は見た事がありません。
>  (先に述べた、創価学会員であることを伏せて個人で活動している人を除いて)
>  世界中どこでも、創価学会員が民主化運動や独立闘争、革命闘争に寄与した、という
> 話は聞いた事がありません。


●決して申し訳ないとは、思わないでください。戸田さんが聞いてないというのは、身近にいないということだと思いますが、学会は民衆救済のために闘っていても、「じゃあ、おまえは何をしたのか」と言われれば、まだまだであります。


>  創価学会がやっていることは、常に「自分達の組織の維持拡大のための活動」だけで
> あり、創価学会にとっての「民衆」とは、「自分達の信者に獲得するための対象」でし かない、というのが、30数年の社会体験からする戸田の認識です。

●戸田さんにそう写ってることですので、弁解はしません。


>★さて、戸田の場合は確信的に無神論・無宗教なのですが、それで全然不足とは思いませ
> ん。

>  キーワード的に言えば、反資本主義・反帝国主義・反差別・国際連帯・民主主義・人
> 民主体・協同組合基盤の社会主義・共生社会・世界革命・国家の解体、等です。
>
>  その革命を進める活動家としての人生が戸田の人生だと考えており、その信念は一生
> 変わらない自信があります。 
>
>  唯物論者・無神論者であっても、自然の神秘は感じるし、畏敬の念も持ちます。人と
> の出会いに「運命的なもの」も感じます。
>  「霊の存在」は信じませんが、「今の科学では説明出来ないもの」があることは理論 的当然と考えています。
>
>  「死者の魂」は信じませんが、「死者の記憶が世代や歴史を越えて伝達されていくこ と。死者を身近に感じる事」は信じます。
>
>  だから社会主義革命論が出来るはるか以前から、また全然違った理論や宗教によって
> も、不正と闘い民衆解放のために闘って倒れた世界中の戦士達が我々の先達であり、お
> 手本です。
>  その彼ら彼女らの生き方に照らして恥ずかしくないか、というのが人生の規範であり
> モラルです。(従って何かの宗教や「神」に頼る必要がありません)


●上記で言われてることが、まだまだこれからの対話を必要とするところですが、「死」を意識し、自己の有限性を自覚した人間が、”永遠なるもの”を求めるところに、宗教の起源があります。仏法の生死観は、死後の生命と宇宙を一体と見ています。このことは、本来、主義主張、宗教や民族の相違を超えたものだと思います。

そこに人類の共通した一つの”真理”があると思います。

人間は戦争や紛争、あらゆる主義、思想を超えて、究極的には、同じ”真理”にたどりつくのではないでしょうか。「生」と「死」の問題は、その重要な鍵を握っていると思います。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.5; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska102072.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

[
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/9/12(日) 22:13 -
  
ヒゲ-戸田通信32号(4ページ)作成に四苦八苦しています。
 正確に言うと、「作成に着手し始めて四苦八苦」です。大体の構想はあるのですが、
まだ1ページめを半分作っただけです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.5; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska199143.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

失礼しました。題名を打ち直そうとして、送信になってしまいました。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/9/12(日) 22:48 -
  
ヒゲ-戸田通信32号、楽しみにしています。
戸田さんの使われてる四苦八苦という語源は仏教用語でして、普段あたりまえのように
使ってるものなんですね。

お忙しく、戸田さんの投稿は少なくなるとのことですが、ここのスレ完結まであと3〜4回、紙幅の都合もあるかと思いますが、投稿させてください。読んでいただければ幸いです。

今回の題名は、=「霊魂不滅」と「輪廻転生」=

まさしく、四苦の誰もが逃れることのできない「死」についてであります。キリスト教やイスラム教では、「死」とともに肉体が崩れ去っても霊魂だけは残るという、「霊魂不滅説」を説いています。生命のうち、精神、心だけが永遠であり、肉体を得るのは一回限りであるというわけです。

一方、仏教では、「生」と「死」は車輪が廻るように何度も繰り返されるという、「輪廻説」を立てています。

生死について、戸田第2代会長は、「死」を”眠り”に譬え、わかりやすく話されていました。

 ☆ 一日精いっぱい働いて、疲れて休む。翌日、目が覚めると、疲労がとれて元気になっている。「死」もまた、次の「生」のためのエネルギーを蓄えることであると。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.5; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska199143.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

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