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君が代強制問題で:権力追随俗論への分かり易い批判点〜good2ndの日記から 戸田 06/12/10(日) 9:40

☆9/21判決の重み:野田鑑定書の証拠採用は上級審にも大きな縛りに! 戸田 06/12/10(日) 15:40
▽酷くなる心身症状。自責念の悲惨なメカニズム。強制は「いじめ定義」そのもの! 戸田 06/12/10(日) 15:52
●門真でも教師の受けている圧迫は同じ!教委は強制・圧迫を止めよ! 戸田 06/12/10(日) 16:05
Re:▽酷くなる心身症状。自責念の悲惨なメカニズム。強制は「いじめ定義」そのもの! 門真を良くして欲しい元市民 06/12/27(水) 2:26
↑教師憎しで筋違いな文句付けで平気な神経では門真は良くできませんよ 戸田 07/1/21(日) 11:16

☆9/21判決の重み:野田鑑定書の証拠採用は上級審にも大きな縛りに!
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/12/10(日) 15:40 -
  
日刊ベリタ 2006年12月04日掲載  
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200612040923571
 「学校・子どもの危機と教育基本法の改悪 野田正彰氏(関西学院大学教授・精神科医)
が緊急反対行動を訴える」より抜粋 
 
▽予防訴訟の9.21勝訴判決の意義 
 
 こういう教育基本法改悪の中で、9月21日に東京地裁で旗・歌の予防訴訟(国歌斉唱義
務不存在確認等請求事件)で勝訴しました。
 なんで東京のときだけ騒がれるのかなと私も思います。広島のとき、あるいは沖縄のとき
騒がれないで、反対している先生方も含めて、相変わらず東京中心主義だなと苦々しい思い
もあります。

 私がいろいろなことで関わっている、たとえば根津さんとか佐藤さんが苦しんでいたとき
に、東京の高教組のある執行委員は、「あれはね三多摩地域の人たちのやり方が下手だから」
というようなことを平気で言っていました。
 それから「うまく都教委とやればあんなふうに処分されないですよね」とかその調子のこと
を言う人がいっぱいいました。
 それから各地のたとえば広島のきびしい弾圧状況の中で、多くの県の組合役員や先生方は、
「同じ国のことと思えません」とか「戦前のようですね」とかそういうことを言っていたわけ
です。 
 
 敵は一つなんですね。文科省にくっついて動かしている文教族であります。
 にもかかわらず先生方はそれを絞ってみることがなく、自分のとこは火がついていないと
いいながら、順々に攻め落とされてきたのがここに至ったわけです。 
 
 まあそれはそれとして、東京の都立学校の先生方が足元に火がついて予防訴訟というのを起
こしました。
 この判決は9月21日に東京地裁で出て、手元の資料にコピーが出ておりますが、
「憲法19条の思想・良心の自由に違反し、国民全体に対し直接責任を負って行うものであっ
て、教育行政による不当な支配は許されないという教育基本法第10条に違反している」と
判決が出たんですね。
 弁護団もそれはそれでいいんですが、このことを強調しています。だけど忘れないでほしい
ことがあります。それは私が関与したから言いたいという意味ではありません。 
 
 判決はそのことに加えて、重要なことがもう一つあります。
 判決文に「国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するか否か、ピアノ伴奏をす
るか否かの岐路に立たされたこと、あるいは自らの思想・良心に反して本件通達及び之に基づ
く各校長の職務命令に従わされたことにより、精神的損害を被ったことが認められる。」と
書いています。
 
 そして、「これらの損害額は、前記違法行為の態様、被害の程度等を総合考慮すれば、一人
当たり3万円を下らないものとするのが相当であり、当該判断を覆すに足りる証拠は存在しな
い。」と書いています。 
 
 3万円には何の根拠もありません。原告が一応3万円と請求していたからです。判決文も
3万円以下ではないとしました。
 そして、この裁判でいかに学校の先生方を心身ともにいたぶったかということを、私が鑑定
意見書として出したのが証拠として全面採用されています。だから最終弁論でも、70ページ
にわたって私の意見書を土台にして、それぞれの先生が精神的にいかに傷ついたかを整理して
述べています。それが全部証拠として採用されたんですね。 
 
 私もこの6,7年間にわたって先生方の抑圧の中での苦しみを聞き、そしていろいろな証言
をし、裁判の書証も書いてきました。
 われながら教育学者ではないのに、なんでこんなことに関わることになったのかな、と悲し
い思いもありますけれども、しかし、順々に書いていくたびに、憤りも強くなりましたし、文
章も整理され、この最後のときにはかなりすっきりした文章になっていると思います。今回の
本に入れてあります、それがやっと全面採用になりました。 

 その採用されたことで忘れてもらってはならないことは、裁判官は、このことを明記するこ
とによって、たぶん控訴審でどうするかということを考えたと思います。
 現在の最高裁判所の司法行政の中では、判決文に憲法違反と書いてもですね、上級審で覆さ
れる可能性が非常に高いです。
 しかし、私の鑑定意見書を証拠として採用したことは事実ですから、それを覆すということ
は容易でなくなります。

 つまりたとえて言いますと、自衛隊が憲法違反かどうか裁判を起こしてもですね、なかなか
判決してくれません。かつての長沼ナイキ基地訴訟(1973年、福島判決)のような時代は
とっくの昔になりました。
 しかし、自衛隊がどっかの民家に爆弾を落として人をぶっ殺した場合、これは違憲かどうか
ではなくて、殺人、傷害致死の事実として証拠採用されます。 
 
 同じことでして憲法違反かどうかとか、教育基本法10条違反、とくにこの10条を今、
明確に変えようとしていますから、変えられたら裁判は効果がないと却下されるでしょう。
 裁判所は、しかし、証拠として採用されたものは、それに対して、事実はないということ
を証明しなければなりません。

 そのためには私と対抗できるだけの精神科医をさがしてきて、そして事実と違うということ
を論証しなければいけない。それは大変難しいことです、彼らにとっては。
 私はこの鑑定意見書の中で、03年の10.23通達で突然ではなくて、その前からずっと
長期にわたって、学校の先生方に拷問を加えてきたんだということを立証しております。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-89-133-247.s04.a027.ap.plala.or.jp>

▽酷くなる心身症状。自責念の悲惨なメカニズム。強制は「いじめ定義」そのもの!
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/12/10(日) 15:52 -
  
日刊ベリタ 2006年12月04日掲載  
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200612040923571
 「学校・子どもの危機と教育基本法の改悪 野田正彰氏(関西学院大学教授・精神科医)
が緊急反対行動を訴える」より抜粋 
 
▽心身に杭を打たれるーある美術教師の場合 
 
 その症状を整理して、身体化された症状と感情の不安定と抑うつ気分、抑うつ状態ですね、
それから自己像の変化の4点にわたって整理しながら、訴えた人たちの思いをずっと書いて
あります。
 この訴えている人たちは闘っているんだから自分の弱い面を外に語るということはしてきま
せんでした。
 皆さんもきっとそうだと思います。

 日本の社会は、そういった権力と闘っているときに自分の悲鳴を弱音として、精神の傷とか
身体の軋みを混同していますから。そういったものを気づいてはいけない、あるいは気づいて
も人に言ってはいけないという思いがあります。

 しかし、そういったものを綿々と聞き取って整理していこうとし始めますと、もう全部の先
生方が10分ぐらいの聞き取りが始まってから涙を流し泣きつづけるという状態でありました
。私もかなり辛いインタビューがつづきました。 
 
 たとえば、ある美術の先生は、自分はこういった人間の創造性が抑圧されて共感が乏しく
なっていく時代の中で、美術の教師として人間の創造性を豊かにすることが自分の使命だと
思って働いてきた。
 しかし、それが年々軽んじられて、授業数も減らされるし、バカにされる状況の中でがんば
ってきた人だけども、自分はその教育の歪みの中で不安を覚えていた。そこに10.23の通
達がきたと。 
 
 そのとき自分は立ちはしない。しかし、もし立ってしまったら、子どもたちに自分の思いを
表現しながら生きなさい、と言ってきた私の教育者としての姿はどうなるんだろうかと、私は
立ったときには、最早次の瞬間から子どもたちの前に一つの統一された人格の人間として、子
どもに顔を向けることはできなくなると思いました。
 そして、しかし、だから座ろうと思ったんだけど、座ろうと思うと同時に座れば、当然処分
がくる。そしたら遠くの学校に飛ばされる、一連のセットですね。

 そして病気のお母さんの世話ができなくなる。それから1回だけではすまないから順々に座
っていけば、4回で辞めさせられるが、使命として思ってきた美術教師は奪われる。そう思っ
てですね、仕方ないから立つかと思った。
 職員会議中に椅子に座っていることができなくなり、立とうと決めたときに彼女は腰掛から
崩れ落ちたこともあった。それを彼女は、私に泣きながら訴えた。 
 
 ほんとにからだの中に大きな杭が食道から胃に打ち込まれる痛みを私は感じた。けっして
比喩で言っているのではないんです、と。
 多くの人たちはいやなものをさせられる症状を消化器の症状として訴えます。毒を飲まされ
るということですね。
 そういう形で不快なものを無理やり飲まされる、からだの中に突っ込まれる、どうしようも
ない吐き気、いやなものを吐き出したい、そういった症状、吐き気、嘔吐ですね、胃腸の重い
感じや痛み、下痢と便秘が交替するそういった消化器の過敏症状、そういったものがたくさん
の人に見られます。
 それから、胸部の圧迫感ですね、こういった身体化された症状が非常に強い、そして、精神
面では感情が不安定になっていきます。 
 
 怒りとか自責念とか自己破壊的イメージ、本来ですね、悪に対して向かっているのだから、
自責念などもつはずがないです。
 しかし、闘っている多くの人間は、自分を責めます。それはたとえばこういったことを覆す
だけの力がないということを、自分に責めたりします。
 
 あるいは日本的な文化の中で、こういう人がいます。「あなたはいいでしょう、座ることで
いいでしょう。でも座ることで学校の混乱はどうするんですか」「右翼が言ってきたりして学
校の名誉はどうなるんですか」などとそういうことを言われる。 
 
 そういったときもキチンと反論しましたけれども、それは心の中に残ってなんとなく今まで
と同じように話すことができなくなっている自分がいたり、そういう形で自分を責めて、自己
破壊的なイメージに満たされて、死を思ったりします。
 泣きやすくなったり、常に校長や教育委員会に呼び出されて、それに必死になって闘ってい
るけれど、闘っている自分がフラッシュバックのようにイメージされてくるとかですね。 
 
 それから、抑うつ的なんですね。曇りなく教育に打ち込むことが最早できない、自分のやっ
ていることが部分的には一生懸命やっているつもりだけれど、基本的には意味がないんじゃな
いかと思われてくる。
 こんな教育の中で、意欲が低下し、空虚感、焦燥感に陥って、そして自己像が変化し、同僚
との交流を控える傾向とか恥辱感とか絶望感、自分は無用な人間だという感覚、取り返しのつ
かない被害の感覚、喪失感。

 とりわけ生徒たちへの贖罪感、将来への不安こういったものが絡んでいきます。
 先生方はこれまで自分は校長の暴力に対し抗議し、教育委員会と闘っていると思うからです
ね、自分の苦しさを訴えてきませんでした。訴えたらいけないと思ってきたわけです。
 自分よりよほど辛い人がいるだろうからから、だけども私は違うと思ってきた。しかし、
実際は精神科とか内科に行って、睡眠薬とかもらいながら耐えてきているわけです。 
 
 こういった状況を今回の裁判は、キチッと精神的な被害であると認めました。
 こういった症状は、私の精神科医としての私見によれば、悪いですけど強姦された人の精神
症状と全く同じです。
 あるいは人質となって死をさまよった被害者の精神症状と同じです。
 こういったことが権力によって行われているわけです。

 文科省のいじめ定義というのはですね、読みますと何を言っているかと思います。みなさん
知っていますか。文科省のいじめ定義は。「強者による弱者への不当な圧力」と言っているん
ですね。それは、その圧力は身体的であれ、言語的であれ加えられている者が、その本人がそ
のために苦しむこと、と書いてありますよ。
 1センチも1ミリもこの日の丸・君が代の強制でやっていることからズレていません。

 そういうことが公権力によって、平気で行われているわけです。教育を破壊しているのは
文科省です。 
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-89-133-247.s04.a027.ap.plala.or.jp>

●門真でも教師の受けている圧迫は同じ!教委は強制・圧迫を止めよ!
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 戸田 E-MAILWEB  - 06/12/10(日) 16:05 -
  
 大阪府、門真市では確かに東京都ほど苛烈な形は取っていない。君が代の起立斉唱を「職
務命令」としては「まだ」していないし、職務命令違反としての処分も「まだ」やってはい
ない。
 しかし、卒業式・入学式に君が代の起立斉唱を強制していること、年々その「指導」を強
化して、不起立状況を調査して不起立教員の氏名を調べるなどして圧迫を加えていること、
「国旗国歌法」と学習指導要領をタテにして教員には不起立の自由はない、としていること
など、共通点だらけである。

 門真市教委は、9/21東京地裁判決や野田氏の意見をよく読んで、こういった強制施策をす
ぐに取りやめるべきである。当面、来春の卒業式・入学式に向けて、従来の強制方策を取り
やめよ!

 そしてもうひとつ、「この執勘な加害を容認してきた罪は多くの市民にあり、十分に抗議
してこなかった責任はマスコミにある。」という部分は市民もしかと考えるべきである。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-89-133-247.s04.a027.ap.plala.or.jp>

Re:▽酷くなる心身症状。自責念の悲惨なメカニズム。強制は「いじめ定義」そのもの!
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 門真を良くして欲しい元市民  - 06/12/27(水) 2:26 -
  
教育を与える立場、教師の立場からしか物を見られていないようですので、教育を受ける立場にいた者としてひと言述べさせてください。

私自身、ン年前に門真の公立小中学校に通いました。小中学校では、一度たりとも国歌を学んだことはありませんし、当然歌詞が何を意味しているのかさえ教えてもらった記憶もありません。それが良いのか悪いのか判断さえさせてもらえなかったと思っています。意図的に・・・。歌詞の意味、その背景を全て学んだ上で、その善し悪しを判断することこそが、児童個人の尊重につながるのではないでしょうか。

一教師の個人的な思想でもって、児童に基本的な教育を行わないこと。これこそが、教師という児童に対する上位の立場を利用した、暴力ではないかと思っています。

どうか一個人の凝り固まった思想だけで、弱者たる児童の権利を奪うことのない、もっと広い視野をもった教育者を目指して欲しいと願います。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@nttkyo602055.tkyo.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

↑教師憎しで筋違いな文句付けで平気な神経では門真は良くできませんよ
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 戸田 E-MAILWEB  - 07/1/21(日) 11:16 -
  
 「門真を良くして欲しい元市民」さんへ。返事が大変遅れてしまってすみません。
 返事が大幅に遅れる事があってもできるだけ返事をするように努めていますから、今後も
よろしく。

 さて、「門真を良くして欲しい元市民」さんの投稿、戸田にはある種典型的な「筋違いなイ
チャモン付け」に思えてなりません。
 下にも抜粋採録したような教員の悲惨な事実を知ってもなお、こういう非論理的な事を平
気で書ける神経には、キツイ言い方ですが、正直言って呆れます。

 「元市民」さんが言ってる事を整理すると、

A:自分は門真で教員に君が代を教えられなかった。これは教員による子どもへの暴力だ。
◆だから、
B:文科省権力によって教員が現実に心身の被害を受けていても、それは何ら酷い事ではな
  いし、不当なことでも同情に値する事でもない。
C:そんな事を取り上げるのは「教育を与える立場、教師の立場からしか物を見られていな
  いことだ」
という事です。

 まずすぐに分かることは、AとBは決して「だから」でつながる事ではないという事です。
 何よりも、東京都で心身被害を受けた教員は君が代を教える立場にある人はみな君が代を
教えているという事です。(音楽の授業を担当しない教員は君が代を教える立場にはない)
 今時の東京都で君が代を教えないで済むはずがありませんから。

 次に、「昔門真の学校で君が代を教えない教員がいた」事は、「現在東京(ほか全国で)
文科省権力が君が代強制によって教員に心身被害を与える事」の正当事由には絶対になり得
ないことです。

 また、「教員が児童に君が代を教えない事」を「上位の立場を利用した、児童への暴力だ」
(ではないか)という言い方は「上位の立場を利用した暴力」という言葉の過剰な拡張であ
って、「教える内容の不足」と「心身を深刻に傷つける権力行為」とを同じ「暴力」という
言葉を使うことによって、両者の間の格段の差を曖昧にして同列に置き、結果、心身障害の
加害を許容させようとするものです。
 
 そして、教員がこのような理不尽で非人間的な圧迫を受ける状況を見ている子供たちが、
情操や正義感も含めた健全な教育を阻害されているのは明らかなのに、この問題を指摘する
事に対して「教師の立場からしか物を見られていないことだ」と言える視野の狭さも考えざ
るを得ません。

 ちなみに、秋田県で育った戸田は君が代をちゃんと教えられてきた上で、歌の内容として
も民主主義制度に反するし国歌として強制されるのはなおおかしい、と考えてきましたので、
「学校で全然教えない」という事があったならばそれ自体はおかしいと思います。
「歌おうと思えば歌える」、「歌詞やその意味も知っている」、という事が土台にないと批判
も論議もできないからです。
 
 おそらく「元市民」さんの子供時代は、当時の時代背景と学習指導要領などで「君が代を
教える」強制力が今よりずっと弱かったのではないかと推測します。

 「元市民」さんは何かの体験で教員への嫌悪感が強く残っているのかもしれませんが、そ
うだとしても、戸田の一連の書き込みで生身の人間が受けている心身被害の酷さを読んでも
なお平然と切り捨てられる酷薄さにはうすら寒いものを感じます。
 「日の丸・君が代をちゃんとしないヤツは日本人としてケシカラン!」との思いが強い人
達によく見られる症状だと、戸田には思えます。

 こういう感覚で教員を見たり教育問題を考えても、また行政や地域づくりを考えてみても
門真は決して良くなりません。逆にまずます殺伐としてしまいます。
 
 最後に、戸田掲示板では「元タイトルの単純コピー返答」はしないよう求めていますので、
レスを付ける時は自分の文章内容にふさわしい独自なタイトルを付けて投稿するようにして下
さい。
 それでは。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 抜粋採録
 ↓↓
▽酷くなる心身症状。自責念の悲惨なメカニズム。強制は「いじめ定義」そのもの! 
   http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=731;id=
 ▽心身に杭を打たれるーある美術教師の場合 
 ・・・・
 ・・・もう全部の先生方が10分ぐらいの聞き取りが始まってから涙を流し泣きつづける
という状態でありました。私もかなり辛いインタビューがつづきました。 
 
 たとえば、ある美術の先生は、自分はこういった人間の創造性が抑圧されて共感が乏しく
なっていく時代の中で、美術の教師として人間の創造性を豊かにすることが自分の使命だと
思って働いてきた。
・・・・私は立ったときには、最早次の瞬間から子どもたちの前に一つの統一された人格の
人間として、子どもに顔を向けることはできなくなると思いました。
 そして、しかし、だから座ろうと思ったんだけど、座ろうと思うと同時に座れば、当然処分
がくる。そしたら遠くの学校に飛ばされる、一連のセットですね。

 そして病気のお母さんの世話ができなくなる。それから1回だけではすまないから順々に座
っていけば、4回で辞めさせられるが、使命として思ってきた美術教師は奪われる。そう思っ
てですね、仕方ないから立つかと思った。
 職員会議中に椅子に座っていることができなくなり、立とうと決めたときに彼女は腰掛から
崩れ落ちたこともあった。それを彼女は、私に泣きながら訴えた。 
 
 ほんとにからだの中に大きな杭が食道から胃に打ち込まれる痛みを私は感じた。けっして
比喩で言っているのではないんです、と。
 多くの人たちはいやなものをさせられる症状を消化器の症状として訴えます。毒を飲まされ
るということですね。
 
 そういう形で不快なものを無理やり飲まされる、からだの中に突っ込まれる、どうしようも
ない吐き気、いやなものを吐き出したい、そういった症状、吐き気、嘔吐ですね、胃腸の重い
感じや痛み、下痢と便秘が交替するそういった消化器の過敏症状、そういったものがたくさん
の人に見られます。
 それから、胸部の圧迫感ですね、こういった身体化された症状が非常に強い、そして、精神
面では感情が不安定になっていきます。 
 
 ・・・そういう形で自分を責めて、自己破壊的なイメージに満たされて、死を思ったりし
ます。
 泣きやすくなったり、常に校長や教育委員会に呼び出されて、それに必死になって闘ってい
るけれど、闘っている自分がフラッシュバックのようにイメージされてくるとかですね。 
 
 それから、抑うつ的なんですね。曇りなく教育に打ち込むことが最早できない、自分のやっ
ていることが部分的には一生懸命やっているつもりだけれど、基本的には意味がないんじゃな
いかと思われてくる。
 こんな教育の中で、意欲が低下し、空虚感、焦燥感に陥って、そして自己像が変化し、同僚
との交流を控える傾向とか恥辱感とか絶望感、自分は無用な人間だという感覚、取り返しのつ
かない被害の感覚、喪失感。

 ・・・自分よりよほど辛い人がいるだろうからから、だけども私は違うと思ってきた。しか
し、実際は精神科とか内科に行って、睡眠薬とかもらいながら耐えてきているわけです。 
 
 こういった状況を今回の裁判は、キチッと精神的な被害であると認めました。
 こういった症状は、私の精神科医としての私見によれば、悪いですけど強姦された人の精神
症状と全く同じです。
 あるいは人質となって死をさまよった被害者の精神症状と同じです。
 こういったことが権力によって行われているわけです。

・・そういうことが公権力によって、平気で行われているわけです。教育を破壊しているの
は文科省です。 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-89-136-220.s04.a027.ap.plala.or.jp>

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