ちょいマジ掲示板

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京阪沿線、文化住宅、公認市場、そして銭湯 なかやましげる 10/11/26(金) 9:21
大型スーパー出店反対運動、覚えています。 ゆうすけ 10/11/29(月) 0:44
旧知の友であり、何でも相談できる先輩のごとき存在であります。 ゆうすけ 10/11/30(火) 23:16
白菊温泉、宮前町周辺 なかやましげる 10/12/1(水) 9:03
公衆浴場料金と物価統制令 なかやましげる 10/12/2(木) 11:00
◆慈善事業同様の銭湯、月1万2000円程度の補助金じゃ少なすぎる:戸田の問題意識 戸田 10/12/3(金) 4:22
戸田さん、参戦おめでとうございます!!! なかやましげる 10/12/4(土) 6:11

京阪沿線、文化住宅、公認市場、そして銭湯
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 なかやましげる E-MAIL  - 10/11/26(金) 9:21 -
  
前にも書きましたが、30年ほど前、寝屋川市の大型スーパー出店反対の運動を取材し、当時路地裏まで歩き回ったことがあります。門真とは違うかもしれませんが、同じ京阪沿線、共通点も多いと思い、地元のことについて書いてみます。戸田さんが秋田に行くまでに書こうと思いましたが、いろいろと忙しく止まっていました。ぎりぎりでしょうか?

3時間ほどかけて、これまで谷口さんが書かれた書込みを読んでいました。当初、投稿できないと思い、さほど「熱心」に読んでいませんでしたが、いろいろと地元のことが書かれていたことを発見しました。「父を語る」(8月20日)、「宮前町の歴史」(8月22日)などです。お父さんが石川県のご出身だということは覚えていましたが、結構詳しく書かれていたので、これも参考にさせてもらいました。

寝屋川市の対馬江という仁和寺の交差点の少し東の田んぼにライフが出店するというので近隣の市場や商店街が反対運動を展開しました。連日、デモ、座り込み、淀川区三国のライフ本店?の周辺でもデモをしていました。最盛期、関西の商人3000人ほどを集めて、大集会も開いています。座り込みのスクラムも強固で、機動隊も跳ね除けていました。リーダーはインテリのおもちゃ屋でしたが、中核メンバーは豆腐屋、洋品店、総菜屋の人たちで、いずれも丁稚奉公から苦労をして店を持ち、商売への熱情も、腕力?も人一倍ある商人でした。結果として数年後にスーパー(関西スーパー)はできましたが。今では近隣の三和、大阪トップセンターといった市場は潰れています。門真にもトップセンターという同じ系列の市場があったと思いますが、今はどうでしょうか。

寝屋川の道は行き止まりが多く、バイクで走ってもバックすることがよくありました。谷口さんのお風呂ももともと田んぼに建ったとありましたが、寝屋川も田んぼに文化住宅を建て、その周りに市場ができ、そして銭湯もできたのでしょう。

京阪沿線の住宅街は戦後の高成長の時期に出来なのでしょう。昭和で言えば30年代(1950年代)です。明らかに阪急沿線とは「風景」が違います。よく言えば庶民的、俗っぽく言えばごちゃごちゃしてなべ底みたいとこです。それは階級構成にも現れているでしょう。下請けの労働者や零細な町工場の労働者が多く居住していたと思います。

これが30年ほど前から、文化住宅が一戸建ての住宅にかわり(一〇世帯ほどが一世帯になるので当然人口も激減します)、市場もスーパーにかわり、当然、人口構成も違ってきます。銭湯も少なくなっているのではないでしょうか。長田区も震災で文化住宅がほぼなくなり、震災前70軒ほどあった銭湯が20軒ほどの三分の一以下になっていますから。

下層の人たちに政治的な影響力があったのが公明党、「共産党」でしょう。
減少したといてもまだ底辺の労働者は多く居住し、門真が日本一公明党の地方議員の多い行政区というのは理解できます。この政治構造も経済構造の変化に伴って、変わっていくと思いますが。

そういう分析は戸田さんに譲るとして、少し銭湯経営者の出身について触れます。谷口さんのフォローも期待して。
先にあげた寝屋川の豆腐屋(豪傑でした)に聞いたのですが、彼も石川出身で、豆腐屋は石川出身者が多いということです。豆腐屋は朝が早く、仕事もきついのでなかなか他の県の人は務まらず、同郷の人が励ましあいながら商売を大きくしていくそうです。そしてこつこつと貯めた資金をつぎ込み、銭湯の経営に乗り出し、一軒2軒と増やしていくそうです。確か谷口さんもお父さんがギャンブルにこらずに家業に熱心ならもう一杯?銭湯が持てたと書かれていましたね。

私も戸田さんも労働運動の方がなじみがあると思いますが、商人も死活問題になれば体を張り、それはそれは戦闘的になります。当然のことですが、そういう庶民の生活、商売の営みなど生活に密着したところから政治というか、生起する諸問題を見ていく必要があると思います。谷口さんの自治会館建設の問題も根底は庶民の暮らし、声を無視して建設を強行する一部地域ボス、傍観する行政への怒りが根底にあったのだと思います。

これは蛇足ですが、長田区の銭湯について一言。
長田区の浴場組合が震災後、大型温浴施設に反対して、運動を展開しますが、この運動にも行きがかり上、関りました。
神戸市が新長田に温泉を掘り(一億円以上かけて)、民間業者に温浴施設を開業させようとしますが、浴場組合の大反対で結局「足湯」になりました。近隣の町工場やアパートが全焼し、高層マンションに変わり、内風呂ができて銭湯の経営が厳しい時に神戸市が地元の銭湯経営者を救済するのでなく、間逆のことをしたので「死活問題だ」と銭湯のおやじ達が決起したのでした。今でも「スーパー銭湯」に反対して反対は続いています。規制が難しく、被災地にも「スーパー銭湯」があいつでできています。
戸田さんは「スーパー銭湯」が好きで、たまに行かれると以前「嬉々として」書かれていたころ、長田区でそういう運動に関っていたので、複雑な心境でした。

思いつくままに書きましたが、続きは次回に。
それでは。
引用なし
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大型スーパー出店反対運動、覚えています。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/11/29(月) 0:44 -
  
当時、私は音楽隊(創価学会)のマーチングバンドに所属しており、大阪城公園や武庫川河川敷を練習会場としており、高柳に住む先輩を送り迎えしながら、高柳から仁和寺に抜けるのに、毎日のごとく店舗出店予定地の前を車で通っていました。車で通り過ぎるだけでしたが、盾看板や日曜の朝の只ならぬ空気と、はちまき姿で座り込みや小競り合いをしていたのに大変なことが起こっていると思っていました。地元商店主と大型店との対立であったのだと、中山さんのお話で今になり、ようやくわかりました。

中山さんも、当時、まだ30前だと思いますが、取材についておられたのですね。反対運動を押し切って、オープンしたのでしょうが、現在は万代になってると思います。公設市場という公設というのにあまり馴染みがないのですが、「おかあちゃん、市場に行ってる」。というのは、あたり前の日常会話でありました。今は、門真でもトップセンターが、それぞれの大型スーパーにとって代わっています。

うちの銭湯から一番近い市場が、萱島ストアーという商店主が店を連ねる対面販売の市場でした。そこも、近代化を試みて一度はレジになっての販売形式でしたが、老朽化と大型店の進出に取り残されました。市場の頃は、豆腐屋さんの母娘、魚屋さんの大将、果物屋さん、洋品店のご夫婦、市場に通う人だけでなく、市場の二階を住居とする人達が風呂にきてくれており、その日のできごとに花が咲いていました。

商店の大型化と、そして、浴場業界も関東、名古屋、大阪と時代を追って進出してきた大型の温浴施設に銭湯の経営も厳しくなっています。レジャー産業としてはニーズにあってるのでしょうが、番台があった時のように、お客さんとのふれあいがないのが淋しく思います。そんな中、町の銭湯は守っていきたいと思っています。20年近く前、長男が通う幼稚園の園長先生が「いつになっても風呂屋というのは、下駄履きで来る近所のお客さんを大事にすることやで」。そう言われたことが、今になって、よくわかります。
引用なし
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旧知の友であり、何でも相談できる先輩のごとき存在であります。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/11/30(火) 23:16 -
  
これほどまで、行動力、雄弁、話の明朗なこと、気遣い、いろんな面で圧倒されました。聞いた事に、マシンガンのごとく、話してくれるパワーと青年のごとき溌剌さに感動しました。お会いできて、よかったです。

遂に、お風呂に来られました。きょうは、休み明けで結構忙しかったのですが、風呂上りに話ができ、一時は先にロビーにいたお客さんもいっしょに、座談会となりました。それほど誰に対しても、初対面を感じさせないお人柄でした。話してて、なんと明るい人なのか、目が輝いてて、戸田さんと同じ目をしていると思いました。

会って初めて、闘いのなかでのご苦労、そんな境遇のなか、なんでこれほどまでに明るく目が微笑んでいるのだろうかと、吸い寄せられるように聞き入っていました。まったく違う世界で主義主張の違う生き方をしてきたのに、この共感は何なのだろうかと考え、いろんな質問をしました。それで、わかったのは、前向きに、言うべきことを真っ直ぐに(戸田さんにはかなわないと)、全生命を掛けてのフリーライターとしての生き方にあると思いました。またの再会を約束し、私の魂魄に留める思いでの投稿です。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.6; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska089241.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

白菊温泉、宮前町周辺
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 なかやましげる E-MAIL  - 10/12/1(水) 9:03 -
  
大阪の中山です。
谷口さんは余程あわてて書かれたのでしょう(忙しくて)。私の名前を書かれていませんでした。

昨日、四条畷市役所に用事があったので、国道163号線を北上し、途中、二階堂の交差点を左折し、バイクで周辺を回ってみました。谷口さんのお風呂屋もあり、なるほど以前田んぼの中を住宅や商店が建てられたことが理解できました。道が曲がっていて、田んぼのあぜ道を拡幅して、道路にしたのでしょう。周辺にはまだ古いアパートが建っていますが、道沿いはこぎれいな住宅が立ち並んでいます。若い世帯が増え、年齢構成などもかわっただろうなと思いました。当然、対面方式の市場も廃り、銭湯経営も大変だろうなあ、というようなことを思いながら、バイクを走らせました。

ほんの挨拶程度にお風呂屋に寄ったのに、詳しく書いてもらい、恐縮しています。
長田区でお風呂屋の人たちとお付き合いがあったので、今後もお風呂屋のことなど聞かせてもらおうと思っています。

銭湯の料金は今でも物価統制令(戦後直後につくられた法律)で規制されています。規制緩和でことごとくいろんな業界が「自由化」されましたが、唯一残った業界が公衆浴場の業界です。とえらそうに書いていますが、すべて長田区公衆浴場組合の人からの受け売りです。

銭湯と規制緩和、構造改革など戸田さんが好きそうな問題から銭湯のことに切り込んでみたいと思います。乞う、ご期待。

以上。


▼ゆうすけさん:
またの再会を約束し、私の魂魄に留める思いでの投稿です。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; YTB730; GTB6.6...@softbank218130024026.bbtec.net>

公衆浴場料金と物価統制令
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 なかやましげる E-MAIL  - 10/12/2(木) 11:00 -
  
谷口さんと当掲示板で意見交換するうちに、銭湯のことが思い出されました。

谷口さんの投稿で園長先生の言葉として「誰でも下駄履きでいける気軽さの銭湯を大事にな」と銭湯のことを言われたと紹介されましたが、銭湯がなくなれば、たちまち高齢者の健康が損ないます。仕事帰りの労働者の疲労も蓄積されるでしょう。
ダイエーは駅前店をつくりまくりますが、経営が悪化すると、すぐに撤退です。ダイエーがつぶした商店街のシャッター通は元には戻りません。

そうならないように、しっかり銭湯の経営者の方には頑張って欲しいと思います。
その最前線で谷口さんも頑張っておられると思います。

銭湯とのつながりは阪神大震災です。大量に水がある場所は銭湯でした。近所の避難所(公民館だったか)のトイレがつまり、糞尿がうずたかく積もり、誰も手が出せない状態になりました。初めはバケツで水を流していましたが、洗顔の水にも事欠く始末で、トイレどころではなくなりました。そこで近所の銭湯と交渉して、湯船の水を分けてもらい、何とか流れるようになり、歓声があがったことを覚えています。

そういう地域住民と密着していた銭湯でした。この銭湯が震災復興の区画整理に引っかかり、道路の拡幅工事で土地を提供(減部。実質的土地の取り上げ)しなけれならなくなり、当然銭湯の親父は反対して運動を起こしますが、10年ほどもめて、結局「震災復興」という神戸市の横暴に押し切られて廃業されました。

なぜ、10年間も頑張られたのか。というのは震災後、銭湯を再開されるのになみなみならない努力と自己犠牲を積んでこられたからです。
行政は、震災後の地域の公衆衛生の確立と住民の健康増進のために被災地の銭湯経営者に泣きついてきたそうです。銭湯経営者は義侠心ともいくべき奉仕の精神で開業に踏み切ったそうです。しかし、行政からの「支援」は貸付金の斡旋だけです。もちろん利子がつきます。震災特例で低利だったそうですが。

長田区は特に行政の「泣き落とし」が強烈だったそうで、激震地、全焼の銭湯も多かった長田区は必要としていた被災者が多いのに、銭湯の再開は遅遅として進みませんでした。私がトイレの水をもらったご主人は「きょうび一から銭湯を再開するには1億円の資金がいる。自己資金があれば別だが、借金して利子まで返済するとなると毎日何人のお客がいると思うか」と悩んでられていましたが、幸い大掛かりな改修をしなくて再開ができることがわかり、大変な努力をして自力で再開されました。

その後、近隣で神戸市が主導する温浴施設の話が持ち上がり、この時も浴場組合の人たちは反対運動を起こしました。震災直後の苦労があるから、反対には力が入り、頭を下げて頼みに来た神戸市への怒りは大変なものだったと想像できます。

銭湯は公衆浴場法で保護され、また料金設定では規制があります。これは私企業の公衆浴場ですが、公衆衛生、健康増進を担う銭湯は行政が保護してでも育成しなければならないと法律で定めているからです。

小売業も大型店舗法で出店の規制がありましたが、今では規制緩和でほとんど規制を受けずに大型店も出店できます。銭湯の業界だけが「物価統制令」で料金が設定され、行政の規制を受けています。

ここでいう銭湯、公衆浴場法の規制と保護を受ける公衆浴場とその他の温浴施設は明確に線引きがあります。つまり、レジャーランドの温浴施設は「その他の温浴施設」と規定され、料金も1000円以上して、公衆浴場とも競合しませんでした。
しかし、スーパー銭湯というどちらにも属さない、という温浴施設が急増し、銭湯経営を圧迫しています。大資本で全国展開している(たとえば『極楽湯』)スーパー銭湯は、レジャーラウンド並みの施設を持ちながら、低料金で規制も受けずに開業しています。温浴施設には料金の上限はありませんが、下限が設定されているのです。

長田区では公衆浴場の指導官庁である神戸市が間に入り、新長田に開業したスーパー銭湯と浴場組合が協定を結び、「3倍以上の価格差」を設定しましたが、チケットやいろんな「記念日」を設定して、どんどん安売りをやり、神戸市も黙認しています。

こういう状況に多くの公衆浴場経営者が置かれています。規制がかろうじてありますが、法の網の目をぬって「スーパー銭湯」のような両面をもったこうもりのような代物が出現しています。

酒屋も薬局もタバコ屋も規制緩和でつぶされました。ドックストアや大型商業施設で酒も薬もタバコも売られ、これらの施設には外国資本も少なくありません。国内企業でも外資の融資を受けている企業も少なくありません。
外国の資本(思うにアメリカ資本)が、地元の街の薬局、酒屋、そしてそのうち銭湯すら圧迫することになります。

それでは。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; YTB730; GTB6.6...@softbank218130024026.bbtec.net>

◆慈善事業同様の銭湯、月1万2000円程度の補助金じゃ少なすぎる:戸田の問題意識
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 戸田 E-MAILWEB  - 10/12/3(金) 4:22 -
  
 1999年12月の掲示板投稿で戸田はこういう事を書いています。

 「掲示板の過去記録」>1999年12月
   http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/99/99-keijiban12.htm

◎エライ!!1億以上の私費を投じて、門真で温泉掘り当てた人がいる!
          投稿者:ヒゲ-戸田   投稿日:12月20日(月)23時21分20秒

 門真の幸福町で温泉が出た!本日のスポーツ新聞などにも載ってました。

 ボーリングした深さ、なんと1200メートル!この方の熱意に脱帽します。暖かい街おこしの拠点にしたいものですね。この人、市長表彰モノじゃないやろか?
 銭湯というのは、日本の最良の文化のひとつだと思います。コーヒー一杯の料金でゆったり風呂に入れるなんて、「よくぞ日本に生まれけり」。

 保守派の皆さんはもっと銭湯保存のため に頑張って下さい。
 そしてあんなに長時間の営業、ほとんど慈善事業ですよ。
 門真で銭湯1軒 あたり月1万2000円程度の補助金じゃ少なすぎると思いませんか?

 高齢者への風呂券交付と合わせて、銭湯バックアップをしたいと思います。
 離婚して風呂なし文化に移って6年半、戸田はずっと銭湯愛用者です。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 戸田の記憶では、本会議一般質問でも「まちづくり」問題に関連して
  ・門真市はまだ銭湯が多く残っている。これは幸いな事だ。
  ・銭湯は非常に大変な家族労働で成り立っており、一度廃業すると再開される事がな
    い。
  ・地域のふれあいの場としても、町おこしのひとつとしても、日本の良き文化の継承
    としても、市は銭湯への援助を強めて大切にすべきだ。

というような質問をしたはずなのですが、戸田HPでいろいろ調べてみてもどうしてもそれが発見されません。(戸田弾圧の2005年12月の以前だったように思います)
 議会質問はせずに掲示板投稿しただけなのか?
 掲示板で検索してもそういうものが出て来ない。・・・新掲示板に移ってからのデータをスタッフのミスで全部削除してしまった2005年10月〜2006年3月までの間に投稿していたのか?

 ともかく、戸田としてはそういう問題式を意識を持っています。
 また、お風呂やさん達もほとんど自民党か公明党の支持者で市政「与党」なのに、議員を活用する事もなく、市当局への要求行動も起こさず、行政のなすがまま・なさぬがままでふがいないと感じています。

 この2〜3年で大池町のアドバンスが無くなり、少路町の銭湯もなくなり銭湯が減ってしまいましたが(他にも廃業があるかもしれません)、それでもまだ門真は銭湯の数が多い方だと思います。
 これ以上銭湯を減らさず「銭湯文化のあるまち」として打ち出していけるよう、お風呂やさん達も頑張ってもらいたいと思います。

 水道料金をもう少し割り引きさせるとか、燃料など必要物資の共同購入を進めるとか、「業者組合」としての力と工夫を発揮して欲しい。

 今の時代は「家風呂の無い人が仕方なく銭湯に行く」だけの需要ではなく、「家風呂はあるけれどもレジャーとして月に何回か銭湯に行く」需要を開拓しないといけないと思います。

 (そう言っている戸田自身がここ3年ほど全然銭湯に行ってないのは申し訳ないのです
   が・・・・)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6; .NET CLR...@i58-94-111-4.s04.a027.ap.plala.or.jp>

戸田さん、参戦おめでとうございます!!!
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 なかやましげる E-MAIL  - 10/12/4(土) 6:11 -
  
中山です。
戸田さんの11年前の投稿、読ませてもらいました。
私も離婚して10数年、銭湯愛好者です。と言っても結婚当初も風呂なしアパートだったので、数年間は娘と一緒に通いましたが。

戸田さんの問題意識、お風呂屋さんへの愛着、畏敬といった感情、伝わりました。
私も同意見です。
この10年の間でも銭湯経営は一段と悪化しているようです。
重油の高騰でやむなく燃料の廃材の割合を高めたとか(中には全部廃材)、そのご苦労は並大抵のものではありません。廃材を燃料にするとなると、その収集、集積場、決まった長さに裁断等々、労働力は大変です。

長田区の知り合いの銭湯経営者の方が神戸市に陳情すると言うので、経営状態の作成に協力しました。収入に労働者(夫婦の2人分)の平均賃金を計上して収支を出すと何と赤字でした。その分の補助金の要求だったのですが、なんともすさまじい状況です。実際は経営をし、生活されているので、作成した経営状態の収入の部分が減るわけです。しかも長時間労働。ご夫婦で働いているので、一人分の労働分しか確保できないと言っていました。つまり、どちらかはただ働きです。

街のお風呂屋さんを守ることは、地域住民の健康を守ることにとどまらず、地元の生活文化、地域経済を守ることにも通じます。

戸田さん、銭湯に行きましょう。怪我で活動が制限されているこの時期に。白菊温泉もだいぶ温度が下がっているようです。熱めで有名と以前書かれていましたが、私の感じでは今は普通でした。

今日はこの辺で。


▼戸田さん:
> 1999年12月の掲示板投稿で戸田はこういう事を書いています。
>
> 「掲示板の過去記録」>1999年12月
>   http://www.hige-toda.com/bbs1/tmp/99/99-keijiban12.htm
>
>◎エライ!!1億以上の私費を投じて、門真で温泉掘り当てた人がいる!
>          投稿者:ヒゲ-戸田   投稿日:12月20日(月)23時21分20秒
>
> 門真の幸福町で温泉が出た!本日のスポーツ新聞などにも載ってました。
>
> ボーリングした深さ、なんと1200メートル!この方の熱意に脱帽します。暖かい街おこしの拠点にしたいものですね。この人、市長表彰モノじゃないやろか?
> 銭湯というのは、日本の最良の文化のひとつだと思います。コーヒー一杯の料金でゆったり風呂に入れるなんて、「よくぞ日本に生まれけり」。
>
> 保守派の皆さんはもっと銭湯保存のため に頑張って下さい。
> そしてあんなに長時間の営業、ほとんど慈善事業ですよ。
> 門真で銭湯1軒 あたり月1万2000円程度の補助金じゃ少なすぎると思いませんか?
>
> 高齢者への風呂券交付と合わせて、銭湯バックアップをしたいと思います。
> 離婚して風呂なし文化に移って6年半、戸田はずっと銭湯愛用者です。
> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>
> 戸田の記憶では、本会議一般質問でも「まちづくり」問題に関連して
>  ・門真市はまだ銭湯が多く残っている。これは幸いな事だ。
>  ・銭湯は非常に大変な家族労働で成り立っており、一度廃業すると再開される事がな
>    い。
>  ・地域のふれあいの場としても、町おこしのひとつとしても、日本の良き文化の継承
>    としても、市は銭湯への援助を強めて大切にすべきだ。
>
>というような質問をしたはずなのですが、戸田HPでいろいろ調べてみてもどうしてもそれが発見されません。(戸田弾圧の2005年12月の以前だったように思います)
> 議会質問はせずに掲示板投稿しただけなのか?
> 掲示板で検索してもそういうものが出て来ない。・・・新掲示板に移ってからのデータをスタッフのミスで全部削除してしまった2005年10月〜2006年3月までの間に投稿していたのか?
>
> ともかく、戸田としてはそういう問題式を意識を持っています。
> また、お風呂やさん達もほとんど自民党か公明党の支持者で市政「与党」なのに、議員を活用する事もなく、市当局への要求行動も起こさず、行政のなすがまま・なさぬがままでふがいないと感じています。
>
> この2〜3年で大池町のアドバンスが無くなり、少路町の銭湯もなくなり銭湯が減ってしまいましたが(他にも廃業があるかもしれません)、それでもまだ門真は銭湯の数が多い方だと思います。
> これ以上銭湯を減らさず「銭湯文化のあるまち」として打ち出していけるよう、お風呂やさん達も頑張ってもらいたいと思います。
>
> 水道料金をもう少し割り引きさせるとか、燃料など必要物資の共同購入を進めるとか、「業者組合」としての力と工夫を発揮して欲しい。
>
> 今の時代は「家風呂の無い人が仕方なく銭湯に行く」だけの需要ではなく、「家風呂はあるけれどもレジャーとして月に何回か銭湯に行く」需要を開拓しないといけないと思います。
>
> (そう言っている戸田自身がここ3年ほど全然銭湯に行ってないのは申し訳ないのです
>   が・・・・)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; YTB730; GTB6.6...@softbank218130024026.bbtec.net>

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