ちょいマジ掲示板

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『 政治と宗教 』 ゆうすけ 10/11/16(火) 20:47

■国家権力と宗教の分離 ゆうすけ 10/11/17(水) 2:36
自治会、隣組など なかやましげる 10/11/17(水) 10:12
たいそうに考えていました。 ゆうすけ 10/11/18(木) 1:15
自分という人間は、打算的なのだと思います。 ゆうすけ 10/11/18(木) 21:06
私の舌足らずですが なかやましげる 10/11/19(金) 1:26
できれば、会って対話をしたいものです。 ゆうすけ 10/11/19(金) 3:01

■国家権力と宗教の分離
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/11/17(水) 2:36 -
  
古い時代には、いかなる社会にあっても、政治と宗教とは緊密に結びついていた。これは、一面では有益な結果をもたらしたが、反面では大きな弊害を生み出したことも否定できない。特に、近代においては、弊害面への強い反発から、国家権力と宗教の分離が、各国とも共通して原則化されてるようである。

そうしたなかで、創価学会は、本来の宗教運動から発展した一つの運動形態の中から、公明党という政党を生み出した。

このことについては、もちろん賛否両論の世論がある。政界に進出するということは、それに携わる人々がその原理と守るべき規範を誤るならば、過去の事例と同じような弊害面を生ずることを認識し、戒めていかなければならないと思う。

公明党としての(学会員であり、信仰を持った同志)政治家は、否、公明以外にも、信仰をたもった政治家は、その宗教のもつ他者への思いやり、人々の幸せのために貢献しようとする精神のみを汲み出すべきであり、他者を束縛したり強制したりしてはならないと考える。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.6; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska167023.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

自治会、隣組など
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 なかやましげる E-MAIL  - 10/11/17(水) 10:12 -
  
大阪の中山です。
谷口さんのようなたいそうな演題ではなく、もっと身近な問題ですが論議に参加します。
私は神戸の災害復興公営住宅に関っています。定期的に訪問活動し、お話を聞くぐらいでたいしたことはしていません。そこで話しになるのが自治会の一部役員についてです。
高齢者が多く、なり手がいないので、どうしても一部のグループ、仲がいい人たちの独壇場となることが多いのです。

ここで気になるのが、創価学会の人たち、そして「共産党」の人たちの評判です。
まじめに頑張っている人も確かにいます。しかし、入居者の人から聞くのは「独断」「押し付け」「引き回し」といった官僚的な運営への批判です。この声は、初めは非常に控えめで、遠慮がちなのでなかなか初対面では聞けないことです。そして、これらの一部役員の背後には行政、具体的には神戸市当局が控えています。だからうかつに声を出せないという構造がつくられています。「お上」には逆らえない仕組みです。これは門真でも同じでしょう。

以前、書いた大学教員の話では、宗教がアヘンとなりえるのは宗教と権力が癒着した時、そのような状況では、宗教が権力を保持するために信者をがんじがらめに縛り付けるため、ひきつけておくためになにか「えさ」を与えるのだろう、といっていました。そのことをマルクスも指摘したのだろうと言っていました。なるほどと思いました。

本来、自治会や隣組は相互扶助の組織です。打算や見返りを求めえて引き受けるようなものではありません。もしも見返りを求めるとそこに利権が生まれ、腐敗の温床となります。
多くの政治家が陥る道です。この構造にもっとも縁がないのが戸田さんといえます。だから打算がなく、多くの人をひきつけるのでしょう。

私は三井三池(福岡県大牟田市)という炭鉱街の出身です。炭住ではないですが、その近所の父やおじ達が自力で作った長屋に住んでいました。米はもちろん、味噌、しょうゆの類まで貸したり、借りたりする関係でした。だから、地域、職場に根ざした運動もできたようです。本来、人々はそのような関係、連なりをもった存在です。
それが打算と利権でばらばらにさせられてきました。

そういうとこからも「宗教と政治」という大きな問題まで考えていければと思います。


▼ゆうすけさん:
>古い時代には、いかなる社会にあっても、政治と宗教とは緊密に結びついていた。これは、一面では有益な結果をもたらしたが、反面では大きな弊害を生み出したことも否定できない。特に、近代においては、弊害面への強い反発から、国家権力と宗教の分離が、各国とも共通して原則化されてるようである。
>
>そうしたなかで、創価学会は、本来の宗教運動から発展した一つの運動形態の中から、公明党という政党を生み出した。
>
>このことについては、もちろん賛否両論の世論がある。政界に進出するということは、それに携わる人々がその原理と守るべき規範を誤るならば、過去の事例と同じような弊害面を生ずることを認識し、戒めていかなければならないと思う。
>
>公明党としての(学会員であり、信仰を持った同志)政治家は、否、公明以外にも、信仰をたもった政治家は、その宗教のもつ他者への思いやり、人々の幸せのために貢献しようとする精神のみを汲み出すべきであり、他者を束縛したり強制したりしてはならないと考える。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; YTB730; GTB6.6...@softbank218130024026.bbtec.net>

たいそうに考えていました。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/11/18(木) 1:15 -
  
演題はこれしかないと思って、新スレを立てて、あまりにも構え過ぎていました。中山さんがどういう人かわからず、論争を考えての断言的な言い方でした。自分の投稿を読み返してみて、ガチガチであるのがよくわかります。それを、いとも簡単に破ってもらい、肩の力をぬくことができました。ありがとうございます。

自分のことばで、身近な問題から入り、哲学を語っていくというのが大事だと思います。
中山さんがそのように自然体で語れるのは、仕事柄でしょうが、どういうことをされてるのか、機会があれば、また教えてください。

この投稿を夜9時頃から、書き始め、そこへ久々に友人が風呂に来ました。「タモリ倶楽部」の録画DVDを借りていて、取りにきてくれました。私が投稿するのは店番をしながらが多いのですが、その友人が風呂上りに缶ビールを飲み飲み、話をするのは、音楽のこと、宗教のこと、料理のこと等々盛り沢山で、きょうもまた、帰り際は信心する、しないでの押し問答で終わってしまいました。


そんなこんなで、この項のご返事よくよく吟味し、また後日、投稿します。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.6; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska200093.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

自分という人間は、打算的なのだと思います。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/11/18(木) 21:06 -
  
中山さんの仰るように、自治会や隣組は相互扶助の組織であります。しかし、正直言って私の場合、打算的に考える傾向があります。これだけのことをやれば、自分にやっただけのことは返ってくるだろうと考えてしまいます。商売人の金勘定とでもいうのでしょうか。

・・・・・・見返りを求めるとそこに利権が生まれ、腐敗の温床となります。多くの政治家が陥る道です。この構造にもっとも縁がないのが戸田さんといえます。だから打算がなく、多くの人をひきつけるのでしょう・・・・・・。そのような生き方に、自分もそうありたいと思います。戸田さんが見返りを求めないのは、それ以上に主義主張に生きるからでありましょうか。


 ■「自治会やPTAの役員を買って出て回りに感謝されている学会員も少なくないでしょ
 うが、ほとんどの場合それは「創価学会への親近感」にはつながっていないと思いま  す。
  なぜなら創価学会の活動の反射として、学会以外の人々には「それも票集め活動の一
 環だろう」という警戒心がぬぐい去れないからです。
  他の宗教や思想だったら、その人個人への信頼感の他にその宗教や思想にもソフトな
 親近感が湧く場合がありますが、創価学会の場合はそうなりにくいように思います。


上記は過去に戸田さんから指摘されたことでありますが、(またまた新発見!どこのスレで言われた事か、ページをさかのぼって探すが見つからず。この掲示板の検索エンジンを使っていとも簡単に記事が見つかる。あらためて、よく考えられた掲示板だと驚く)。私も過去に頼まれての、PTAの会長、自治会の幹事、副会長と務めたことがあります。そこには、役を盾に票集め、学会理解の機会にという気持ちがありました。だから、自分が学会とわかった時点でみんなからすれば、警戒心はあったのだろうと思います。

創価学会がきらいな人には、極端に嫌われるのは、過去にトラウマがあるのか、それだけ存在が大きいからでしょうか。


さて、大学教員の話ですが、私の飲み込みが悪いのか、理解できません。私はマルクスが「宗教はアヘンである」と言ったのは、真理を求めない低い教え、に対して言ったことであると思います。また、もう一つの側面はアヘンは薬として用いられてることからすれば、宗教が人々の心の痛みを取ってくれるという見方もあると思います。「えさ」を与えるということと、アヘンとなりえる、というのが、もう少し具体的に説明のほしいところであります。

政治家が、本来の利他的目的を見失って権力追究を目的としがちなこと、宗教者も、組織が巨大になれば、また、政治への影響力が大きくなれば、権力追究に陥る危険性をもっていると思います。戸田さんが公明・学会を叩くのは、このことを危惧してではないかと思います。

中山さんが暮らした、炭鉱街でのお話し、昭和のよき時代を彷彿とさせます。自分のことだけを考えるのではなく、人の不幸の上に自分の幸せを求めるのでもなく。日蓮大聖人のことばに、「人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、誓(たと)えば人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」

◎ここで大事なのは、人にほどこすことだけを言うと、傲慢になるし、人を救ってあげているという偽善であります。人のためということが、自分のためにもなっていることを自覚してはじめて、『修行させてもらっている』という謙虚さが現れると思う。「利他の炎」を燃やし続ける。その決意の、きょう11月18日としたいものです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.6; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska107061.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

私の舌足らずですが
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 なかやましげる E-MAIL  - 10/11/19(金) 1:26 -
  
谷口さんに「自分は打算的だ」などと書かれると今後、筆が鈍ります。
どうもこういう掲示板では一方通行になりますから。
ここは糾弾の場でも自己批判の場でもありませんから。

私も戸田さんも創価学会にはあまりいい印象を持っていないのは確かです。
特に戸田さんは全国一、公明党の市議の割合が高い門真市議会で孤軍奮闘されてきたので、私の比ではない感情をお持ちでしょう。谷口さんという私にとっては非常に珍しい創価学会の、しかも地域の役員もされていて、さらに誠実に私たち(戸田さんにも)に接してられる方と知り合いになり、忌憚のない論議ができると思い、こういう標題で論議もできるようになりました。
正直言って創価学会の人とまとも話しするのは初めての経験です。この場を大事にしたいと思います。

今後、少し構想があります。
30年ほど前に寝屋川の小売商人が大型スーパーに反対して大闘争をしましたが、密着して取材した経験があります。京阪沿線は文化住宅が多く、公認市場も多い地域でした。低家賃の住居があり、生活しやすい地域ということで下層の人たちが多く居住し、これは松下の下請け、関連工場などが多いからだと思います。寝屋川、守口も含めた京阪沿線と下層の人々、それらの人たちへの「共産党」・創価学会の影響などを書いてみようと思います。
門真市に創価学会の人が多い根拠を少し考えてみたいと思います。
当然、これらの地域には銭湯も多く、谷口さんの存在も必然となるわけです。

では、後日。
ps・やはり、ネットでは舌足らずになります。「宗教はアヘンである」についても落ちついて論議できる時にじっくやりましょう。本当は直接お会いして相互交流して、気分感情、表情などをみてお話しするのが一番なのですが。今後、戸田さんの会合などでお会いできたらいいですね。


▼ゆうすけさん:
>中山さんの仰るように、自治会や隣組は相互扶助の組織であります。しかし、正直言って私の場合、打算的に考える傾向があります。これだけのことをやれば、自分にやっただけのことは返ってくるだろうと考えてしまいます。商売人の金勘定とでもいうのでしょうか。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; YTB730; GTB6.6...@softbank218130024026.bbtec.net>

できれば、会って対話をしたいものです。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/11/19(金) 3:01 -
  
筆が鈍ると仰らず、どしどし書いてください。ここでは確かに、一方通行ではありますし、思うことがそのまま伝わらないかも知れません。しかし、そこからお互いが一歩深く考えられる事もあるように思います。何度かこうして、思うことを語り、やはり対話の醍醐味は会ってこそと思います。その節はよろしくお願いします。

打算的であるとは、自己批判ではなく、私の生き方を問うてみて思ったことです。風呂屋という商売をおやじから引き継いで、しかしながら、与えられた中で、苦労もなく、生き方としてこれでいいのかと考えた時、少しばかりの財産に固執して、戸田さんや、多分、中山さんもそうであると思いますが、自分の思うがままの生き方をする人が羨ましくもあり、かといって現実から抜け出せないでいる自分のことを言ったまでであります。


震災で肉親を亡くされ、長年築き上げた財産を無くされ、そこから立ち上がった人々がいかに強いかと、しかし、自分が裸一貫になって、そこまでできるかという恐れさえ抱いております。

いずれにせよ、戸田さん、そして中山さんの生き方に、私が悶々としてきた答えが見出せるかも知れません。また、私のやってきたことが生かせることを願っています。中山さんの構想、非常に楽しみであり、私の経験がお役にたてればと思います。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.6; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska101154.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

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