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スーザンジョージの「オルターグロバリゼーション」について 徳永基二 08/8/22(金) 0:51

大塚英志+東浩紀「リアルの行方」 徳永基二 08/8/23(土) 0:25
自己レス 徳永基二 08/8/23(土) 10:27
おおあさっぱな微分方程式の結果 ねこかぶり 08/9/7(日) 4:27

大塚英志+東浩紀「リアルの行方」
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/23(土) 0:25 -
  
ぜんぜん、ここまでの話と関係ないじゃないかと思われるかもしれませんけど
私にとってはスーザンジョージの話をするのもおたく論の話をするのもベクトル
的には同じです。

岡田斗司夫によっておたくは死んだことにされたのかと思えば、この二人の中では
まだ、おたくというのはリアルなんですね。

しかし、大塚英志はなぜいつも東とばかり話をしてるのでしょう。
大塚氏の志向性から考えれば東なんかより本田透と話をしたほうがよっぽど
生産的な話が出来うるのに。


昔、本上まもるという論者が「<ポストモダン>とはなんであったか」の中で
柄谷行人と東浩紀のことを次のように評していますが

「柄谷には美学がない。彼はその初期から情熱的恋愛に極めて警戒的あるいは批判的なのだ。美と恋愛それはいうもでもなく言いがたい魅力を放つ欲望の対象であり、ラカン派の言葉で言うなら「対象a」や「転移」の問題である。柄谷は初期から過剰にこの「対象a」について語ることを避けている。彼の思考は抽象化と引き換えに暴力と転移の問題が排除されてしまった。」


「東自身が著書で明らかなようにデリダ的幽霊は過去の記憶、それもほとんど表彰不可能なまでに甚大で過酷な暴力の記憶が担わされている。それは一端抑圧され隠蔽されるが、完全に隠蔽不可能で抑圧されたものは必ず回帰してくるのだ。

東の一連のポップカルチャー論ではそうした暴力と来歴問題がすっかり消えうせている。デリダ論の東とポップカルチャー論の東がどうもつながってこない。」

なんというか東と柄谷は似たもの師弟で。

「大塚 赤木君の体現しているルサンチマンはもっとも統治しやすい大衆の典型だよね。だから左右問わずそれこそ「階級」を維持したい人には使いやすい。じゃあそれを「悪いこと」と考えるのならその赤木君的なものをガス抜きしてゆく具体的処方箋はどうなの?

東 それは僕でなく統治者が考えるべき問題ですがざっといえば経済的問題と心理的な問題に分かれるでしょう。赤木さんは本の中で「とにかく食えないんだ」と言ってるそういう問題は解決できる。むしろ厄介なのは心理的問題です。どうも今は心の問題と経済の問題をごっちゃにした論が多い。僕は心理問題は心理的に解決すべきだと
思うのです。「規範的な家族意識や人生設計」といった高度経済成長期に日本が作り上げたシステムがまだ亡霊のように生きていてそれが若者たちに強迫観念的に縛り上げているという構造


大塚 でもそれだとさっきのリサンチマンと同様、経営する側の論理とすごく整合性が出てしまう。

東 格差肯定に聞こえるかもしれません。でもみな正社員に戻るべきだという幻想も違うと思います。富の格差が問題であれば正社員どうのこうのという前に、グローバルな極端な格差が大量にあるわけです。ところが今の日本の格差論は正社員と派遣の間にどれだけ格差があるのかと、どうしてこうも視野が狭いのか。

大塚 ここまでの東くんの話で違和感があったのは戦後民主主義に全てを帰結さすとこだけど。

東 僕は戦後は否定すべきだと言ってるのでなくそれでいいと言ってるのですが。

大塚 否定か肯定かの問題でなく、こういう状況をもたらしたのが戦後と言う枠組みなのかそれ以前なのか整理をきちんとしないと東君の立場は保守論壇にすごく利用されやすい。

東 どうなんでしょう誤読はつきものですから。

大塚 誤読されることは必ずしも誤読する側の問題でないような気がするけど、先ほどのネットは情報発信の民主化ということへの評価の是非は置いといたとしても、パブリックなものが不可能になってしまったのが戦後の社会の性なのかあるいはもっと根本的な原因があるのかと言うところで議論が違ってくると思うんだけど

東 それについてはいろいろな説明が可能でしょう。まずは今では、人々がニュースを見ても、すぐにコミュニケーションのネタにしてルサンチマンを晴らしてそれで終わりみたいな状況がある。しかもそのルサンチマンのネットワークがいとも簡単にマスコミにコントロールされている。滑稽な状態です。そんな現実はむかしからあったとも言えるし、戦後日本がアメリカによって骨抜きにされたからと言ってもいいかもしれないし、情報技術のせいだとも、ポストモダン化だと言ってもいいかもしれない。すべてそれぞれ真実で説明の方法によって違った側面に焦点が当たる。

大塚 そういう風にいろんな説明が可能だと相対化する作法を示すことで立論しないでスルーするのをやめようよ。

(中略)
東 ただ社会はみんなで運営しなくてもいいわけですよ。みんなが稼がなくてもいい。重要なのは富の再配分です。別の言い方をすれ僕はあるレベルでは絶望しているわけで、みんなで日本と言う国を良くしようというというのはもう無理なので、どうやって富を再配分するのかどうやって、心理的ガス抜きをするのかそういうことを考えたいと思っている。

大塚 でも富を再配分するには結局は国家なり社会なり会社なりといったシステムを使ってゆくしないわけだし、

東 もっと洗練されたシステムは作れると思います。それは国家でもNGOでもいいけど。ある種の公共体を運営するシステムをどうやって作るのかと言う問題ですかいろいろなやり方があるはずです。

大塚 そうした時、東浩紀のポジションはどこのあるの?国家なんて特定の人間が洗練されたシステムの中で運営していればいい、残りの人間は考える必要はないと言った時、東は考える側にいるの、それとも運営する側、それとも傍観者?

東 傍観者です。官僚とも政治家とも違うし

大塚 う...ん、それで批評家としての仕事は成立するの?

東 成立しないかもしれない

大塚 じゃあ、なぜ批評家をやっているの?
君はよくメタって言葉を使うじゃない。世代論にして良いのかわからないけど、メタ的場所っていうのは君たちの世代の批評家があるいはものを書く人が好んで使うポジショニングだよね。つまり当事者ならず、自由な場所を設けておく。だから最初に言った空気を読んで先へ先へ回ってゆくと言うのも常に情報を相対化させるようなどこか未知の楽なポジションを探してゆくそういうゲームをしているような気がして

東 僕はそう思いません。僕が言っているのはむしろ了解可能性の拡大を大切にしたいと言うことです。例えば日本の左翼が2000年頃からなぜ急速に影響力を失ったかというとリベラルな人たちはリベラルでないことを大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルはみんながリベラルになることを望んでいる。例えば在日に優しくしようとリベラルはいう。でも世の中には在日を差別する人もいっぱいいる。ではどうするのか。
 ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは左翼は出版メディアを握ってみなが自分のようにリベラルになるべきだと言っている、しかしそれこそが抑圧だということです。そういう意見に対する処方箋はひとつしかない。リベラルでない立場も認めるような「拡張されたリベラル」しか実践的に取りようがない。

大塚 そうなのかな。僕は論理のすり替えがあるような気がする。リベラルと言う言葉は好きじゃないけどでも、僕もリベラル何だと思います。でも今日も君と話しているし、政治的に対立する人間とも話してきたし、特に憲法に関しては前原誠司とも小林よしのりとも話したし。君の言ってるリベラルの拡張っていうのは今僕の言ってることと同じような気がするのだけど

東 それは実践的な現れ方はどう違うのでしょうか?

大塚 異質なものとぶつかり合って第三項が出てくるのじゃなくて同じ集団内で先読みゲームをしているだけのような。

東 世界にはいろんな立場の人がいます。たとえば南京虐殺があったという人もなかったと言う人もいる。僕には両方の友達がいるけど、この二人を合わせてもかみ合わないのが目に見えている。なぜなら二人とも伝聞情報に基づいて意見を組み立ているから。当たり前ですけど政治判断は一般的に伝聞情報に基づいて下される。ある事件について本当に何があったか確かめれる人間は常に少数です。それなのに膨大な情報だけネットで簡単に手に入る。左右はその中で自分に都合のいい情報だけ集める。
僕たちがいるのはそういう環境です。ではなぜそうなったのか。それは僕たちのいる世界はあまりに複雑でその中で「政治」はあまりに大雑把に一貫した世界観を当てはめようとするからです。だからさっき言ったみたいに赤木さんの「政治」は単なる実感主義でじつに狭いけど逆に今はそれぐらいだけが誠実な政治といえる。因みに僕は南京虐殺はあったと「思い」ますがそれとて伝聞情報にすぎない。

大塚 南京虐殺があると思うのだったら、知識人である東はなぜそこでスルーするわけ?知識人であるあなたはそのことに対してきちんとしたテキスト解釈や事実配列をしえる地位や教養やバッグボーンを持ってるのじゃないの?

東 そんな能力はありません。自分で調査したわけでないんだし。

大塚 それを言い出したら何もいえなくなる、柳田國男について発言できるのは柳田本人のみになってしまう。歴史学自体が成立しなくなってしまう。資料は全て伝聞だからね。一次資料だって誰かのバイアスが掛かっているだろうし。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

自己レス
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/8/23(土) 10:27 -
  
自分の意見は既に何度も書いているのであれなんですけど。

猫かぶりさん辺りがなんか書いてくるだろうと
期待してましたが今のところレスがないので自己レスです。

大塚辺りに「君たちの世代」扱いされることが不愉快だからというのも
ありますが。


メタシステムにおいては不寛容な人たちも許容するのかという
設問は民主主義理論の中でも古くて新しい問題ですけど、

一般的な答え方は、個人的に思っているだけなら許容しても
よいと、それが公の空間に出てきた場合には責任ある態度
(公的な空間に相応しい寛容ある態度)を取るべしとなります。


これがもし、「リベラルな人間はリベラルでない」ことなら
それを受け入れましょう。それに本来、リベラルな人間はリベラル
でないとは映画「招かざる客」みたいな態度に対して言われる言葉です。


それに私は高橋哲哉的対応を基本的に支持しているので
で、その対応に対する根拠付けとして、自分はデリダ的脱構築とは
解釈の自由でなく「○○からの自由」だと述べました。
(本上まもる的言い方をすれば、亡霊的次元を含んだ論理だ。)


ただ、東の言ってることは東個人の問題と済ますことは勿論できません。
確かに東の論理は今時の相対主義者の典型的な事例を示してくれているので。

人は確かに何ものにも関わらない自由があります。
(個人的アナキズムと社会的アナキズムの間の長きに渡る論争史があります。)

ですが、人はなにものにも関わらないでいようとしたって国や資本は攻め上ってくる
のでそれに対して防衛しないとなにものにも関わらない自由は満喫できません。
(いわゆるリスク社会論の問題です)

それに対する反応は「選挙に行こう」だけではありません。
選挙とは近代民主主義にとって支配者がみんなに選ばれたことを擬装するための
体の良いメカニズムになっていまして、

そこでは複雑な問題が技と単純な選択肢に還元され、選びたくもない選択肢の二者択一を求められるように出来ているわけです。
それに対してそれ以外の選択肢があると提示するための運動のあり方はまた別にあるわけです。

勿論、デモのマスの論理に辟易すると言う人もいるでしょう。ですが政治的行動は
一人からでも始められ得るということを忘れてはいけません。
(小田実のべ平連はそのことを充分に示したのではなかったか)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; .NET CL...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

おおあさっぱな微分方程式の結果
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 ねこかぶり  - 08/9/7(日) 4:27 -
  
わやしはケイジニアンを自称してますが、あのおおおさっぱさをみるにつけ‥

▼徳永基二さん:
>岡田斗司夫によっておたくは死んだことにされたのかと思えば、この二人の中では
>まだ、おたくというのはリアルなんですね。

まぁ、愛國戦隊大日本を見ることをお勧めします。
彼は間違いなく旧世代のオタクです。
また、旧世代からうまれた、コピー世代のオタクも健在です。
マクロスFでも見てくだされ

>「柄谷には美学がない。彼はその初期から情熱的恋愛に極めて警戒的あるいは批判的なのだ。
>美と恋愛それはいうもでもなく言いがたい魅力を放つ欲望の対象であり、ラカン派の言葉で言うなら
>「対象a」や「転移」の問題である。柄谷は初期から過剰にこの「対象a」について語ることを
>避けている。彼の思考は抽象化と引き換えに暴力と転移の問題が排除されてしまった。」

私にとって美学は数学です。
他に矛盾もなく世界を作る手段があるでしょうか?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

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