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「ゲセルプルードン派」の自分が協賛してもよいのか? 徳永基二 08/6/19(木) 8:15

私的所有について 徳永基二 08/6/29(日) 15:11
相続のあり方について ねこかぶり 08/6/29(日) 17:05

私的所有について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/6/29(日) 15:11 -
  
ついでに私的所有についても考えてみたいと思います。
と言っても既に書き込みの中で言及されているのですが
あまりにもさらりと駆け足で流しすぎたので....

自分の考え方はハンナアレントの言っていることとあまり変りません。

「財産とは世界に特定の部分に場所を占めること、従って財産とは、
政治体に属すること、つまり集まって公的な領域を構成した諸家族
のうちの一つの長となること。

「生計の手段となっている私的富はその起源がまったく異なりもっと
歴史的に後の時代に属する。古代においては、生命の必要は、家族の
私的領域と同じと見られた。各人は生命が必要とするものを私的領域
のなかで手に入れなければならなかった。同じ自由人でも貧困によっ
て奴隷状態を「強制される」自由人がいた。したがって私的富が公的
生活に加わる条件となった。しかしそれは、その所有者が富の蓄積に
従事したからでなく、その所有者が自分で使用手段と消費手段を得る
仕事に携わる必要がなくなり公的活動力の自由に確実に保障されるか
らであった。」

「私的所有物はの方は、本質的に永続性がなく、所有者が死すべきもの
である以上その死と共に滅びる。なるほど富というものは個人が一生
使っても使い尽くせないほど蓄積可能だが、それでも消費されるなにもの
かであることはかわらない。」

「近代社会で今尚進行中の富の巨大な集積は土地収用に始まる。財産は
盗みなりというプルードンの格言はたしかにはっきり根拠がある。」

因みに私は一番下のハンナアレントの言葉に次のヴィクセルの言葉を
付け足せばより完璧だと思う。

資本とは「利子に対する貨幣額で表した元本のことであり、この語の
それ以上の意味はこの元本概念の拡張にほかならない。ここにおいては、
“全ての利子をを生む所有物―すなわち減価償却することなくその所有
者に所得を与える全ての財ないし財の複合体”に資本の定義を与えよう
と思う。」

土地は耕したり、手入れを怠ると荒野に変りますし、その上の建物は
30年もすれば老朽化が進み、工場施設は稼動しないと錆びたスクラップ
となりますのでここで減価償却しない財とは勿論、貨幣のことです。
近代社会の富の蓄積の原初にある土地収用は貨幣に対して利潤が提供
できなくなった所から始まります。

この考え方からわかるように自分が考えている私的所有とは個人に
所属し、個人の死と共に霧散するもの、いずれ消費されてなくなる
もの自然界のエントロピーの法則に飲み込まれて消え行くものです。
労働とはこのエントロピーに対抗する活動ですので両者を足し合わ
せると+-0にならないとおかしい。

因みにこの考え方は著作権制度にもそのまま、当てはまります。
元々、アメリカで最初に著作権制度ができた時は5年の制度でした。
後はパプリックドメインになる。勿論、著作物の権利は創作者当人
にあり、会社にあるわけではなかった。

自分は著作権制度改正論者ですけど、その時の改正ポイントはおそらく
4つではないでしょうか。1、批評権.パロディ権の創設。(フランスの
法制度を参考にしています。)2、著作者人格権に名誉毀損の場合のみ
と限定化する(本来、ベルヌ条約ではそうなっています。)3、著作権者は
実際に作った人のみ(運用を委託できますが他者に権利を譲り渡せません)
4、著作物保護期間は5年とする。

勿論、著作権者は侵害であると言わない限り原則、二次著作物は違法では
ありません。それに当たり前ですが著作権法は民法上の規定でして警察の
管轄ではありません。

見て分かるとおり私は二次創作に寛大な考えの持ち主です。(おたくでネット
で活動している人の大半はそうだと思っているのだがどうだろうか?)
これは私が「全ての創作は過去の創作から何がしかを被っている二次創作」
だと思っていること。また、「一端生み出された創作物は自ら生命を持ち
自由に解釈され流布するもの」と思ってることから来てます。
(この二つのテーゼはどちらJデリダが言ってるテーゼ)

人は自分に不利になるような偽情報を流されない権利並びに自己が公表
していないプライバシーを暴かれない権利がありますが、一端、創出さ
た創作物が酷評されようがパロディで茶化されようが文句はいえない。
それも一つの需要のあり方なのだから。だから人間の社会システムの
進化?を理解する上でもっとも重要なのは生産諸関係より需要諸関係
だと思います。どんなに真摯な訴えでも社会にそれを受けれる下地が
なければ芽吹かない。時代を越え、早すぎた発明発見、思想は歴史に
数多く埋もれているが残念ながら社会がそれについてゆけていない。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

相続のあり方について
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 ねこかぶり  - 08/6/29(日) 17:05 -
  
ちょっと難しすぎて頭を抱えてます(苦笑)
単純な答えしか出来ないで申し訳ないのですが、世代間の相続は
富の偏在を生み、これは国家として最小限にとどめ、再配分に
勤めなければならないと

▼徳永基二さん:

>「私的所有物はの方は、本質的に永続性がなく、所有者が死すべきもの
>である以上その死と共に滅びる。なるほど富というものは個人が一生
>使っても使い尽くせないほど蓄積可能だが、それでも消費されるなにもの
>かであることはかわらない。」

前段の部分は難しすぎてどうコメントをつけていいかわかりませんでしたが、
基本的に相続は被相続者の住む住居程度のものでそれ以上は公共財として
再配分されるべきだと思う。

>「近代社会で今尚進行中の富の巨大な集積は土地収用に始まる。財産は
>盗みなりというプルードンの格言はたしかにはっきり根拠がある。」

確かに世代間にわたる土地の継承は最小限にされるべきですね。

>因みに私は一番下のハンナアレントの言葉に次のヴィクセルの言葉を
>付け足せばより完璧だと思う。
>
>資本とは「利子に対する貨幣額で表した元本のことであり、この語の
>それ以上の意味はこの元本概念の拡張にほかならない。ここにおいては、
>“全ての利子をを生む所有物―すなわち減価償却することなくその所有
>者に所得を与える全ての財ないし財の複合体”に資本の定義を与えよう
>と思う。」

資本の定義として正しいと思いますが、私は資本自体は否定しません。

>土地は耕したり、手入れを怠ると荒野に変りますし、その上の建物は
>30年もすれば老朽化が進み、工場施設は稼動しないと錆びたスクラップ
>となりますのでここで減価償却しない財とは勿論、貨幣のことです。
>近代社会の富の蓄積の原初にある土地収用は貨幣に対して利潤が提供
>できなくなった所から始まります。

現在土地の利用価値以上の土地の値段というものもまかり通っており、
現在のところ物でないものに対しても貨幣的価値が与えられ取引
されてます。貨幣自体が貨幣を無限に生み出す不思議な仕組みが
出来上がっている気がします。まぁ、バブルといえばバブルなんですけどね。

>この考え方からわかるように自分が考えている私的所有とは個人に
>所属し、個人の死と共に霧散するもの、いずれ消費されてなくなる
>もの自然界のエントロピーの法則に飲み込まれて消え行くものです。
>労働とはこのエントロピーに対抗する活動ですので両者を足し合わ
>せると+-0にならないとおかしい。

理想はゼロなんでしょうけどね。

>因みにこの考え方は著作権制度にもそのまま、当てはまります。
>元々、アメリカで最初に著作権制度ができた時は5年の制度でした。
>後はパプリックドメインになる。勿論、著作物の権利は創作者当人
>にあり、会社にあるわけではなかった。
>
>自分は著作権制度改正論者ですけど、その時の改正ポイントはおそらく
>4つではないでしょうか。1、批評権.パロディ権の創設。(フランスの
>法制度を参考にしています。)2、著作者人格権に名誉毀損の場合のみ
>と限定化する(本来、ベルヌ条約ではそうなっています。)3、著作権者は
>実際に作った人のみ(運用を委託できますが他者に権利を譲り渡せません)
>4、著作物保護期間は5年とする。

まぁ、4には議論の余地があるが、残りは賛成です。
現在の50年というのが長すぎるのは同意ですが、15年ぐらいはとって
あげてもいいのでは?

>勿論、著作権者は侵害であると言わない限り原則、二次著作物は違法では
>ありません。それに当たり前ですが著作権法は民法上の規定でして警察の
>管轄ではありません。

その通りですね。

>見て分かるとおり私は二次創作に寛大な考えの持ち主です。(おたくでネット
>で活動している人の大半はそうだと思っているのだがどうだろうか?)
>これは私が「全ての創作は過去の創作から何がしかを被っている二次創作」
>だと思っていること。また、「一端生み出された創作物は自ら生命を持ち
>自由に解釈され流布するもの」と思ってることから来てます。
>(この二つのテーゼはどちらJデリダが言ってるテーゼ)

私もその手は賛成です。
例えばうる星やつらで放映された「そして誰もいなくなったっちゃ」は
例の小説のオマージュですし、そういうものを見ることによって原作を
読むことだってあるのです。

>人は自分に不利になるような偽情報を流されない権利並びに自己が公表
>していないプライバシーを暴かれない権利がありますが、一端、創出さ
>た創作物が酷評されようがパロディで茶化されようが文句はいえない。

批評は自由ですね。そのために必要な最小限の引用も自由です。
また、公的人物(政治家なり団体代表なり)は批評の対象にされて
しかるべきですね。

>それも一つの需要のあり方なのだから。だから人間の社会システムの
>進化?を理解する上でもっとも重要なのは生産諸関係より需要諸関係
>だと思います。どんなに真摯な訴えでも社会にそれを受けれる下地が
>なければ芽吹かない。時代を越え、早すぎた発明発見、思想は歴史に
>数多く埋もれているが残念ながら社会がそれについてゆけていない。

まぁ、世の中そんなものです。
生きているときは二束三文で死んでから有名になった芸術家なんて
山と居ますので‥発明者の名前が残ってない物だって沢山ある。
それを日常的に使っている。文明とはそんなものじゃないでしょうか?
だから著作権にしろ、特許権にしろせいぜいその人が生きている間
少し幸せになればいい15年もあれば十分ではないでしょうか?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

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