「自由・論争」 掲示板

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「婦人公論・時代を創る女たち」の重信房子ルポは出色の出来、見逃すな! 戸田 07/12/7(金) 12:37

★独立コマンド和光晴生氏の「赤い春:私はパレスチナ・コマンドだった」もお勧め! 戸田 07/12/7(金) 18:20
▲10年目の眼差しから・ベイルート82年夏・秘密、リンゴの木・・売って下さい! 戸田 07/12/12(水) 6:37
・秘密、リンゴ、は入手するも「10年目」と「ベイルート82」は高すぎて手が出ず 戸田 08/5/5(月) 14:16

★独立コマンド和光晴生氏の「赤い春:私はパレスチナ・コマンドだった」もお勧め!
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 戸田 E-MAILWEB  - 07/12/7(金) 18:20 -
  
赤い春 私はパレスチナ・コマンドだった
和光晴生:著
集英社インターナショナル
単行本 四六判ソフトカバー 304頁 本体価格:2,100円(税込)
発行年月日:2007年10月26日
ISBN:9784797671681
ブック・レビュー・ガイド http://www.honn.co.jp/reco/index.cgi?src=reco_list.html&cate=17

船戸与一氏(作家)、絶賛!!
パレスチナ解放闘争の「現実」を描ききった瞠目のノンフィクション。

 1979年5月、組織のありかたに疑問を感じ、それまで所属していた日本赤軍に脱退届を
出した<私>は、一人のコマンドとしてパレスチナ解放の戦いに身を投じた。小さな民家
を改造した兵舎には、さまざまな男たちが集まっていた。パレスチナ難民上がりの少年、
欧米からのボランティア、イラン革命を成立させた闘士たち……

 淡淡と過ぎていく「兵士の日常」、そして突如として現れたイスラエル夜襲部隊との戦い、戦友の死……。
 やがて活動の拠点をレバノンの首都ベイルートに移した<私>は、そこでドイツ出身のアミーナというボランティア女性にで出会う。アミーナとの心の触れあいに、遅れてきた青春を感じる<私>だったが、そこにイスラエル軍のレバノン侵攻が──!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 和光氏は日本赤軍結成(1975年)から4年で脱退し、以降はパレスチナで独立コマンド
として主として軍事活動に従事してきた人。
 1997年にベイルートで「日本赤軍5人組」として逮捕され、2000年に岡本さんを除く
4人が「日本赤軍」として強制送還された。
 その後、自分の立場を初めて公表し裁判闘争。現在は「1審無期懲役判決の控訴人」
として東京拘置所に拘留中。

 日本赤軍に対する辛辣な批判も随所に見られるこの本は、今初めて明かされる秘話も
ふんだんに含んだ興味深い本である。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i222-150-202-52.s04.a027.ap.plala.or.jp>

▲10年目の眼差しから・ベイルート82年夏・秘密、リンゴの木・・売って下さい!
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 戸田 E-MAILWEB  - 07/12/12(水) 6:37 -
  
 絶版や品切れの本です。ぜひ買いたいのでお持ちの方は戸田までご連絡下さい。

 「10年目の眼差しから」と「ベイルート82年夏」は出版時にすぐ買って、非常に感銘を受けた本ですが、人に貸しているうちに行方不明となってしまいました。
 「秘密」は著者の重信メイさん本人に、大阪での集会で会ってサインを入れてもらった
貴重本なんですが(戸田は「チホー議会の闇の奥」にサインを入れてメイさんに進呈)、これも人に貸しているうちに行方不明(誰に貸したか忘れてしまい)となってしまいました。

◆「10年目の眼差しから」重信房子 1982年出版 「話の特集社」から

◆「ベイルート82年夏」日本赤軍 1984年10月出版  話の特集社から

  参考:最終意見陳述  浴田由紀子 二〇〇二年三月十一日
                     東京地方裁判所 刑事第五部御中
     http://share.dip.jp/hannichi/ekita/benronnekita.txt
 9.ベイルートでの経験と総括実践

 82年夏イスラエルによるレバノン侵攻、ベイルート包囲下での経験は、日本赤軍にとっても、私自身にとっても、“70年代の闘いの総括として確立した地平と路線をどう実践して行くのか”を試されるものであり、同時に私達の総括地平への確信を強くするものであったと思っています。
 水も食糧も入ってはこない、砲火にさらされたベイルートの中で、人々は、「あなたたちは、とにかく安全にして、絶対に生き残ってくれ。銃をとって、イスラエルと闘うことは、今このベイルートにいる者誰にでもできる。しかし、このベイルートの人々がどのように生き、闘って死んで死んでいったのかを世界と日本の人々に伝えることができるのは、あなた方だけなのだから、必ず生き抜いて、このベイルートのことを世界中の人々に伝えてくれ」と言いました。

 私は砲火のベイルートで、人々に守られて生きのびました。
 自分が何をしたいか、どうかっこよく生き死にたいのかではなく、状況と人々にとって今、日本人である私に問われている役割は何なのか、そうにどう応えることが、日本からアラブの地に来て、共に闘おうとする者の国際主義実践の姿なのかが問われていました。

 あの場で私達にしかできない、私達ならできる役割を見つけ出すこと、それは日本共産主義運動総括とその教訓を再確認し、実践を開始することへの確信になってゆきました。
 ――――――――――――――――――――――――――――――
◆「秘密 パレスチナから桜の国へ 母と私の28年」 著者:重信メイ
     講談社  発行年月日:2002/05/30
     定価(税込):1,575円
  http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2108593

 ■「日本赤軍のリーダー、国際的なテロリストとして、世界に名を轟かせた重信房子に
  1人の娘がいた。メイである。
  その生い立ちは、何万人に1人という数奇な運命を背負っていた。28歳まで国籍も持
  てなかった。
   日本では犯罪者として捕えられている母を、メイは、「この母の子に生まれたこと
  を誇りに思う」と言い切っている。
   聡明で、心やさしく、感性の豊かなメイに、誰でも友人として思わず手をさしのべ
  たくなるだろう。そういう魅力をこの手記は持っている。」

  著者は「母」と「お母さん」という2つの単語を使い分けている。母とは血のつなが
 った母親の重信房子を指し、お母さんとは家族として生活をともにして幼い頃面倒を見
 てもらった日本赤軍の女性メンバーを指す。
  国際テロリストとして捕らえられた母が、英雄として尊敬されるアラブ諸国で著者は
 大人になった。
  立場によっては正義が全く異なることを身をもって学んだわけだ。
  房子の娘であるという「秘密」を抱えたまま28年間国籍すら持てなかったが、母の逮
 捕後日本国籍を取得して日本で生活している。

  本書では思想を超えた母娘の関係や、ジャーナリストを目指す立場から米同時多発テ
 ロ後の報道についての批判を述べている。数奇な運命を背負った彼女にしか書けない
 1冊である。

第1章 桜の国へ
第2章 太陽を握って生まれてきた娘
第3章 戦火の下で
第4章 母の記憶
第5章 中学高校時代
第6章 大学生活
第7章 母との再会
第8章 日本で歩き始めて
 ―――――――――――――――――――――――――――――――
別の内容紹介
  日本赤軍・重信房子の娘が書いた数奇な半生

国籍を持たず、身分を隠し、英雄の娘としての衿持を抱いて生きてきたメイさんが、母のこと、仲間のこと、学生生活、恋愛……すべてを書きおろした衝撃の手記。

こういう生き方――
 「日本赤軍のリーダー、国際的なテロリストとして、世界に名を轟かせた重信房子に
1人の娘がいた。メイである。その生い立ちは、何万人に1人という数奇な運命を背負っていた。28歳まで国籍も持てなかった。日本では犯罪者として捕えられている母を、メイは、「この母の子に生まれたことを誇りに思う」と言い切っている。聡明で、心やさしく、感性の豊かなメイに、誰でも友人として思わず手をさしのべたくなるだろう。そういう魅力をこの手記は持っている。」――(瀬戸内寂聴)

目次
---------------------------------------------------------------------
逮捕
無国籍ということ
太陽を握って生まれてきた娘
「お父さん」と「ほんとうのお父さん」
ガサ入れのうた
マジック・サンドイッチ
車爆弾とおもちゃ爆弾
大家族の愉快な1日
引っ越しは突然に
パレスチナ難民キャンプの現実
母が私に伝えようとしたこと
「海岸をきれいにするキャンペーン」
カーナ大虐殺
トップ・シークレット
ジャーナリズムと政治学
「みんな、夢を持っていますか?」
28年間の空白を埋めるために
ふたたびレバノンへ
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◆『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』 重信房子著 【幻冬舎】
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/undapple.html
  この印象的な、ある意味では詩的でさえあるタイトルをつけられた本書は、じっさいには法務局宛に書かれた上申書であるという。何を申し上げているのかと言えば、自分がたしかに娘を産んだ母親であり、メイと自分は血のつながった親子である、ということ。そのとき、娘のメイは27歳。つまり、それまでのあいだ彼女は日本人として存在しておらず、ゆえに彼女たちは戸籍上の母子関係でさえなかった、ということになる。

  書籍紹介
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30819973

英雄か、テロリストか?日本赤軍・最高幹部の母から、わが娘へ。本書は重信房子が警
視庁留置場で書き続けた、法務局宛の上申書である。今、赤裸々に明かされる感動の手
記。
  目次

私の歩んできた道
アラブでの闘いと生活
夏・ベイルート―イスラエル軍の侵攻(1982年の日記より)
岡本同志、捕虜交換で奪還
あなたが生まれて
育児が私を変える
嵐のなかの恋愛
世界から日本へ、日本から世界へ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i222-150-202-52.s04.a027.ap.plala.or.jp>

・秘密、リンゴ、は入手するも「10年目」と「ベイルート82」は高すぎて手が出ず
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 戸田 E-MAILWEB  - 08/5/5(月) 14:16 -
  
 先日、吉岡君に調べてもらって、「秘密 パレスチナから桜の国へ 母と私の28年」
と『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』をネットで買う事ができた。

 しかし、はネット古本で2万円以上の
値が付いているのしか発見できず、入手断念せざるを得なかった。

 「10年目の眼差しから」=3000円まで、
 「ベイルート82年夏」=5000円まで、 で売ってくれる人がいたら戸田に連絡してきて下さい。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-94-110-81.s04.a027.ap.plala.or.jp>

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