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ウェブマガジン:カムイミンタラの藤本監督記事全文を紹介(2)
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 戸田 E-MAILWEB  - 08/5/26(月) 6:50 -
  
 (ここではテキストだけの紹介になるので直接リンクして映像等も見て下さい)
http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=136200707t01
(続き)

アメリカの社会はもう戦争を続けられない

 藤本さん藤本さんが言います。
 「アメリカは国土が戦場になってこなかったので、戦争の悲惨さは想像できなかったと
思います。でも戦死者が3500人にも及び、誰がどこで死んだかを伝えるテレビ番組もある。

帰還しても無事ではない。

 そんな兵士やその家族は大変な数にのぼり、一般の人々もそうした戦争の悲惨を理解し
始めました。アメリカ社会がカネの面でも人の面でもイラク戦争を支えきれなくなっています」

 「ぼくたちはブッシュ大統領がどう言ったとか、大きな声しか聞くことがありませんでした。でもアメリカに行って小さな声、1人では力を持たない人たちの声がたくさん聞け
ました。

 アメリカの人々が口をそろえて言っていたのは、いったん戦争を始めたら止めることがほんとうに難しいということです。
 戦争を始める前だったら何とかなるかもしれないが、戦争をする国になったら泥沼に足を踏み入れていくしかないことを日本人に伝えて欲しいと。この映画を観てもらって戦争をする国にならない、その1つの力になればと思っています」

 さて今回の映画は藤本さんが代表をつとめる森の映画社(新得町)が自主制作しており、資金は募金でまかなわれます。
 費用は1千万円ほどにのぼりそうですが、ビデオカメラを使った撮影で、かつてのフィルムの時代とは費用が文字通りケタ違いに少なくて済むそうです。
 華々しいドキュメンタリー映画制作の裏側にあるのは、泥くさくて地道な資金集めなのです。藤本さんは常にその中に身を置いてきました。

ビデオの進化で映画づくりが激変

 「アメリカでの撮影は長期間やってきたので、たぶん1千万円くらいかかると思いますが、フィルムの時代だったら1億近くかかったんじゃないでしょうか。1988年にぼくが助
監督で5ヶ月間アフガンのロケをやったときには7千万円かかりましたが、そのときと同じくらいのスケールですので」

 ビデオ編集ならパソコン画面で簡単にできますが、フィルムではそうはいきません。
ネガで撮影し、それをまずラッシュと呼ばれる編集作業用のポジフィルムに焼き付けま
す。

 ドキュメンタリーはほとんど16ミリフィルムで撮影されますが、400フィート(約120m
約10分)のネガフィルムは2万円、ラッシュをつくれば3万円かかり、素材費だけで1時間
あたり30万円くらいになってしまいます。撮影するカメラやテープレコーダーも高価な
ので、1日3万円ほどでリースします。

 人件費もまったく違います。撮影にはプロカメラマンが必要で、また録音スタッフなどを合わせると4〜5人になってしまいます。いまならビデオカメラの性能が良くなり音も録れるので、1人だけで撮影できないこともありません。

 「闇を掘る」の撮影風景藤本さんの代表作の1つ「闇を掘る」(2001年)は炭鉱で生活し
た人々の姿を収めたドキュメンタリーです。

 制作委員会を結成し、個人の募金、企業からの寄付金、国や道、市町村などからの補助金で2500万円を集めましたが、かかったのは4千万円。各地での上映会などを積み重ねな
がら少しずつ返済してきました。

 「闇を掘る」の制作は1994年から準備が始まります。
 当時、小規模な露天掘りを除くと道内には歌志内市の空知炭鉱と釧路市の太平洋炭鉱
の2つが残るのみ。そして空知炭鉱が親会社の北炭(北海道炭礦汽船)の倒産によって閉
山となるのです。1995年、撮影は始まりました。
 最初にフィルムに収められたのは閉山する空知炭鉱のシーンでした。

 「闇を掘る」は炭鉱の内部や炭鉱マンや家族の生活、思いなどを幅広く記録しています。生産を続ける太平洋炭鉱の採炭現場や鉱夫たちの表情が映し出される一方で、草木
が茂る山野に戻った炭鉱の跡も映し出されます。

 炭鉱町で生きた人々の暮らしが語られ、坑内事故の悲惨さ、職業病である塵肺の苦しみ、そして炭鉱での思い出を引きずりながらも新たな環境で生きていく人々の姿も追い
ます。
環境破壊と戦争をテーマに「闇を掘る」は6年の歳月をかけ、数多くの人々の協力を得て制作された1時間45分の大作ですが、これまで藤本さんが一貫して追及してきたテーマか
らはちょっと外れていたといいます。

 「炭鉱の映画はじつは自分の中でも特別なものなんです。助監督のときも含めて撮ってきたのは環境破壊と戦争のことです。ぼくは四日市ぜんそくで全国に知られた三重県四日市市で1954年に生まれました。水俣病の胎児性の患者さんがたくさん生まれた年でもあり、ビキニの水爆実験で第五福竜丸が被爆し、それをきっかけに映画『ゴジラ』が制作された年でした。

 大学時代は水俣の運動をずっとしていました。20世紀後半は環境破壊、それに戦争の時代だと思っています。その時代に生まれた者としてこの2つのテーマをずっと追い求めて
いこうという気持ちがありました」

 藤本さんは早稲田大学政治経済学部を卒業後、「水俣−患者とその世界」など水俣病の作品を作り続けていたドキュメンタリー映画監督の土本典昭さんのもとで助監督になります。

 そのテーマは原発にもおよび下北半島の漁業者に降りかかる原発・原子力船問題を撮った「海盗り―下北半島浜関根」(1984年)、さらにはアフガニスタンの内戦を撮った「よ
みがえれカレーズ」(1989年)などを制作、藤本さんが助監督をつとめます。

 そして初の監督作品となったのが「教えられなかった戦争−侵略・マレー半島」
(1992年 高岩仁さんと共同監督)です。

 「太平洋戦争の初期にマレー半島で起こった出来事について元兵士などを訪ねて撮っ
た映画です。
 ハワイ攻撃と同時に陸軍がマレー上陸作戦をやるのですが、12月8日未明と決めている
ので、波が高かったにもかかわらず50キロの荷物を担いで海に飛び込み数多くの溺死者が
出ました。
 そしてシンガポールまで進軍するのですが、中国系住民に不信感を持っていて、次々に殺していく。

 ある二等兵は刑務所に入れた200人くらいの中国系住民を突き殺して埋めたという話を
してくれました。今の日本の平和憲法はアジアの人々の犠牲と日本人が大陸の土となり太平洋の藻屑となってできたものだ、と言っていたのが印象的でした」
引用なし
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<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-94-92-203.s04.a027.ap.plala.or.jp>

特報!新映画「アメリカばんざい〜crazy as usual〜」のNEWS23報道ほか(阿修羅) 戸田 08/5/26(月) 6:24
そこで紹介されているウェブマガジン:カムイミンタラの藤本監督記事全文を紹介(1) 戸田 08/5/26(月) 6:40
ウェブマガジン:カムイミンタラの藤本監督記事全文を紹介(2) 戸田 08/5/26(月) 6:50
ウェブマガジン:カムイミンタラの藤本監督記事全文を紹介(3) 戸田 08/5/26(月) 6:55
◆戸田が阿修羅に出したお礼投稿:私達連帯ユニオンもこの映画を支援してます! 戸田 08/5/26(月) 8:13

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