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《注目意見》今の資本主義はもう、やめてくれ (2/2) 安田喜憲氏
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 考える葦  - 09/2/11(水) 16:23 -
  
(1/2より続く)

――食料生産と人口増加の不均衡を指摘した「人口論」ですか。

安田 マルサスは「人口論」を出した時にこう言いました。「神の命の通り、一生懸命働いていれば豊かになれるはずだ」と。「貧しい人間は神の命に背いた人間であり、罰を受けているんだ」と。

これが18世紀の産業革命の時に出てきた。このマルサスが今の市場原理主義を形成した考え方でしょう。

英国にはエリザベス救貧法をはじめとした救貧法がありましたが、19世紀になると、救貧法による福祉は削減されました。マルサスの思想の影響です。そして、スラム街が悲惨な状態になり、見るに見かねたマルクスやエンゲルスが社会主義革命を進めていくきっかけになった。

市場を信奉している人々は「神の見えざる手」、すなわち市場の自由な競争に任せておけば世の中うまくいく、と言うけれど、現実の市場を見ると、情報は非対称。証券会社のプロと庶民を比べたら証券会社のトレーダーの方が圧倒的に情報は多い。庶民が必死になって株を買っても勝てるわけがない。

人間以外の生命に対する畏怖の念がなかった

この市場原理主義の考え方は、大量の情報を持つ人間、つまりカネをたくさん持つ人間にとってメリットがある。

社会のエリートをサポートするには都合のいい理論、支配者にとっては都合のいい理論でしょう。

「この世の中は自由競争だ」「お前らは商売が下手だから貧しいんだ」と言えばいいんだから。

「競争に負けた自己責任だ」。同じ人間に対してこう言うのだから、森の命、昆虫の命、動物の命――といった人間以外の生きとし生けるものに対して畏敬の念を持つことは全くない。「お前は神の命に背いたから貧しいんだ」「そんな人間はどこで野垂れ死にしようが構わない」という理論の中で、人間の外にある自然の命に対して目配りできるはずがない。

そうしたら、人間は皆豊かさを求めるために必死で生き、資源を収奪し、食い尽くすだけ食い尽くして、欲望を肥大化させるしかないわけです。その結果、今の地球環境問題が生まれてきた。

―― つまり、今の市場原理主義を伴う資本主義は一神教であるキリスト教から生まれた。自然と人間の関わりを聖書でうたっていないキリスト教は、自然に対する畏敬の念がない。キリスト教社会で生まれた今の経済理論は環境に想いを巡らせる発想がそもそもない。だからこそ、地球環境問題が生じた、と。

安田 その通りです。多神教と一神教の最大の違いは何か。それは、自然や人間以外の生命に対する畏怖の念。

キリスト教は森を開拓し、自然を克服していった。だからこそ、自然を冷徹に見つめる自然科学が誕生した。

でも、そこには人間以外の生命に対する畏怖が欠落している。

ヨーロッパの森を切り倒した後に広がったのは一神教の世界でした。これは、先ほども言った通り、妄想の世界です。

現代の世界を支配している市場原理主義も妄想の世界。金融システムも数字だけで生きている虚構の世界でしょう。

八百万の神が生きる多神教からは市場原理主義は生まれない。

―― しかし、資本主義や市場主義は今の世界のスタンダードになっています。

安田 日本はこれだけ森林資源が有り余っているにもかかわらず、世界一の木材輸入国だった。国土の70%が森林に覆われて、腐るほど木が余っているのに、外国材が安いというそれだけの理由で輸入してきた。

あるいは、ほんの一部の金持ちがトウモロコシに投資した結果、値段が上がり、アフリカの人々が食べることができなくなった。ほんの一部の金儲けのために、何千万人という人の命が危険にさらされている。

同じことが水でも起きようとしている。水は人間が生きる最低限のもの。それさえ一部の金持ちの投資対象になりつつある。その一部の人間は100 回、地球上で生きたって使い切れないくらいの富をためている。

そして、100回生きても使い切れない金をためても「まだ欲しい」と言う。こんな社会が許されるわけがない。

―― では、われわれは今後、どんな社会を目指すべきとお考えですか。

安田 僕はよく言うんだけど、北海道の渡島半島に南茅部遺跡というのがあって、そこから縄文の足形が出ている。

子供の足形で、小さい子供の足形が土の板に押してあった。生まれたばかりの子供の足形でした。

ところが、よく見ると、指だけが強く写っている。これは指が硬直しているため。死んだ子供の足形なんですよ。

この足形にはペンダントのように下げる穴が開いていました。壁に掛けるためでしょう。

これは、大人の墓から出てきました。親にとって、自分よりも先に子供が死ぬのは一番悲しいこと。縄文時代は子供の死亡率も高く、日常茶飯事だったと思う。その時に、子供の形見として足形を取って、一生涯ずっと持って、死ぬ時にお墓に一緒に埋める。それを6000年前の縄文人がやっていた。縄文人がいかに命というものを尊重したかが分かるでしょう。

でも、今の世の中では、自分の子供を平気で殺す親がいる。それに比べれば、縄文の社会は原始的で未開かもしれないが、縄文人の心は現代の人間よりも崇高だと僕は思う。縄文時代はどんな人間でも平等だった。

縄文時代は1万年続いたけど、一度も戦争をしたことがなかった。そして生きとし生けるものの命を最も大事にした。

今よりも遙かに崇高な時代だったと思う。式年遷宮を1300年続けられることが日本人の喜び

弥生時代も同じです。弥生時代はコメを作って魚を食べる社会でした。コメを作るためには水を使わなければいけないでしょう。

だから、稲作の社会は水によって、人と人とがつながっていた。自分の田に入った水は、自分の田の水だけれども、同時に次の人の水でもある。この社会では他人の幸せを同時に考える社会だった。

ところが、戦後の人たちは伝統的な日本の水利共同体のシステムを破壊した。破壊した結果、水源に産業廃棄物を捨てるとか、そういうことを平気でやるようになった。

日本人は生きとし生けるものを崇拝し、他人の幸せを考え、慈悲の心を持って、人と自然が接するという素晴らしい伝統があった。でも、今は「成長こそが素晴らしい」という市場原理主義。もともと、日本人はこうした考えを否定していたにもかかわらず、ね。

―― そうなんですか。

安田 伊勢神宮の式年遷宮があるでしょう。持統天皇の時代に始まった式年遷宮は20年に1回、お社を建てるという行事。

しかも、同じ大きさに、同じ方法で建てる。これは、何の成長もないということ。僕は三重県出身ですから式年遷宮はよく知っている。だけど、なぜ20年前と同じことをしなければならないのか。なぜ大きい建物ではなく同じ物を建てなければならないのか。その理由がよく分からなかった。

でも、地球環境問題が起きてその意味が分かった気がしました。20年は一世代。おじいさんが式年遷宮をしたらお父さん、お父さんがやったら子供、子供の次は孫、曾孫と1300年間、延々と式年遷宮は続けられてきました。

これは、20年ごとに式年遷宮をやれる喜びを感じてください、ということではないか。右肩上がりに成長するのではなく、持続的に式年遷宮を続ける喜びを感じてください、ということではないか。

今、右肩上がりで成長したとしても、地球環境問題が深刻化すれば、20年後に式年遷宮ができるかどうか分からない。

「2050〜70年に現代文明は崩壊する」と僕は考えている。20年後はともかく、60年後にできるかどうか、分からない。それに比べれば、成長は確かにしないかもしれないけど、20年ごとに式年遷宮ができて、1300年続く方が喜びは大きいのではないか。

市場原理主義をリードしているほんの一部の人々が100生分のカネをためても、文明が50年で崩壊したら何の意味もない。それよりも、一生か二生分のカネをためて、その残りを、地球資源を守るために使う、あるいは、貧しい人々の暮らしを守るために残しておいて、1000年地球を存続させる。その方がよっぽど幸せではないか。

こういう哲学が市場原理主義には完全に欠けている。

イースター島の崩壊は森林破壊から始まった

―― 先ほどの「2050年〜70年の現代文明崩壊説」とはどういう考えでしょうか。

安田 地球が支えられる人口はどれだけ頑張っても78億人ぐらいだと僕は見ている。その限界点を突破するのは2025年頃。それでも、人口が増え続けて、地球上の人口は2050年に92億人、多ければ98億人に達すると言われている。

100億人近くに増えればさすがに人口を維持できないでしょう。

私がこう主張するのは、イースター島の盛衰を考えたためです。

南太平洋に浮かぶ絶海の孤島、イースター島は宇宙に浮かぶ地球と同じですよね。ところが、イースター島は人口が1万人に達した直後、崩壊しました。食料がなくなり、最後は共食いまでした。その原因は環境破壊です。

イースター島の人々は12世紀頃から森林を切り始め、この島の森林をすべて破壊してしまった。17世紀の段階で人口が1万人ぐらいになりましたが、その頃には森がほとんどなくなっていました。そして、食料危機、燃料危機に直面し、人口が急減した。

ペルーに奴隷として連れて行かれた人もいましたが、最終的には40人ぐらいにまで減ってしまった。

森を破壊したイースター島は島の人口を維持できなくなり、人口が激減した。今のまま、地球環境を破壊すると、現代でも同じことが起こり得る。

―― 人口の増加だけでなく気候変動も深刻な影響を与えますね。

安田 「今の温度条件、環境条件がこのまま続いたとしても、2050年には崩壊するだろう」というのが私のシナリオです。でも、地球温暖化がこのまま進行すれば、もっと恐ろしいシナリオが現実味を帯びる。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は今世紀末には6.4度、温度が上昇すると言っていますが、2度水温が上がると珊瑚礁は絶滅すると言われている。珊瑚礁はCO2を吸収しているわけだから、絶滅すればさらに温暖化が進む。

同時に、生物多様性が半減する。その段階から地球上の食料は徐々になくなっていくでしょう。

平均気温が3度上昇すると、グリーンランドの氷が解けると言われている。グリーンランドには厚さ3000メートルの氷がありますが、それがすべて解ける。解けると何が起きるか。様々なシナリオが考えられるけれど、北極の氷がすべて解けた場合、海洋の循環が止まる可能性がある。

次のシステムを作るのは多神教の国、日本

―― 海洋の循環とはどんなものでしょう。

安田 海洋には表層水と深層水の循環があります。北大西洋で表層水が潜り込み、インド洋を通り、北太平洋で湧昇流となって浮上してくる。なぜ水が沈むかというと、水は4度の時が最も比重がある。

そのため、北極の冷たい氷で冷やされた海水が重くなり、北大西洋で深層に潜り込むわけです。

その動きがエンジンになって、インド洋を通り、北太平洋で上がる。オホーツク海周辺の北大平洋は素晴らしい漁場でしょう。なぜ優れた漁場になるかと言えば、栄養分を含んだ深層水が海底から上がってくるため。

それがプランクトンを育て、魚を呼び寄せる。ところが、4度に海水が冷やされなければ、水が潜り込めないわな。

エンジンがなければ、海水の循環は止まってしまう。

―― 海水が循環しなくなると、何が起きるのですか。

安田 海底が無酸素状態になって、海洋生物が大絶滅する可能性があるね。それは、琵琶湖で既に起きている。冬に飛騨山脈から吹く冷たい風が琵琶湖の水面を冷やしていた。それで、酸素を含んだ表層水が下に下り、海底に酸素を供給していた。でも、最近では冬になっても寒くならないものだから、無酸素状態になってヘドロがたまっている、と言われています。これと同じことが大西洋、太平洋で起こればえらいことですよ。

IPCCは6.4度と言っているけど、平均気温が3度より上がるだけでこれだけの影響が出る。5度上がると、地球は別のシステムになる。人類はそこでは生きていけないでしょう。

―― 地球環境を考えると、今の経済システムそのものを変えていかなければならない、と。

安田 変えなきゃいけない。もうやめることですよ。もちろん、社会が混乱するから一気にやめることはできないけど、今の資本主義を修正していくところから始めるべきでしょう。人間が生きるために必要な水や食料、エネルギーに対する投資には一定の規制を設けることが必要ではないでしょうか。

―― われわれ日本人には、何ができるのでしょう。

安田 暗い話をしましたが、次のシステムを作れるのは日本だと思います。一神教の世界観に立脚した経済システムに代わる経済理論、経済システムを作るのは多神教の世界観を持つ日本しかありませんよ。

そのキーワードは命。生きとし生けるもの、この地球上にあるあらゆる命が輝くような経済社会を作る。

今までは人間だけが命を輝かせていたけれども、さらに言えば、金持ちだけが命を輝かせていたけれども、

地球の皆が輝けるような社会を作ることです。

篠原 匡(日経ビジネスオンライン記者)

(終わり)



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《注目意見》今の資本主義はもう、やめてくれ (1/2) 安田喜憲氏 考える葦 09/2/10(火) 18:23
《注目意見》今の資本主義はもう、やめてくれ (2/2) 安田喜憲氏 考える葦 09/2/11(水) 16:23

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