「自由・論争」 掲示板

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草加さんの「中核派について(より幅広い大衆戦線のための提言)」を紹介 戸田 07/1/2(火) 15:06
[管理人削除]
草加さんの言葉もよくわかりますが 統一戦線 07/1/3(水) 19:58
もちろん「許される」わけではありませんが 草加耕助 07/1/9(火) 5:27
そうですね 統一戦線 07/1/19(金) 6:49
中核派は内ゲバの反省はしてないと思う パルタ 07/1/21(日) 16:11
相手によっては反省してると思うけど 統一戦線 07/1/22(月) 21:54

草加さんの「中核派について(より幅広い大衆戦線のための提言)」を紹介
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 戸田 E-MAILWEB  - 07/1/2(火) 15:06 -
  
 いろんな深い洞察に満ちた旗旗ブログhttp://bund.jp/ ですが、その中で戸田も特に意
見を出してみたい草加さんの文章があったので、ここに紹介しておきます。
 戸田の意見は「自由論争掲示板」に書いてから同ブログにも投稿しようと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
                           2006年12月19日(火曜日)
中核派について(再掲・より幅広い大衆戦線のための提言)
カテゴリー: 運動・組織論- 草加耕助 @ 06時57分13秒
        http://bund.jp/modules/wordpress/index.php?p=319
 以前に書きました「一日共闘集会の報告」の最後に、補足として付け足した文章です。
上記のエントリーに対していくつかコメントや反応をいただきましたが、この「補足」に対す
るものが多かったです。また、エントリー下段のわかりにくい所にありますので、「あの文章
をもう一度読みたいけど、どこにあったっけ?」などという問い合わせもいただきました。
 そこでわかりやすいように別エントリーとして、いただいたコメントともどもあげておくこ
とにしました。

【再掲】より幅広い大衆戦線のための提言

 さて、最後に一言、言わなくてもいいことを言っておきますか(笑)。
 まあ嫌われ役ということでご容赦願います。

 今回の一日共闘に参加したいくつかの団体(もちろんすべてではない)と、党派としてつき
あいがあるのは唯一中核派です。だからこの集会を「中核派系」だと思っている人も多かった
んではないかな?ここまで書いてきたように、内容的にはそんなことはなかったし、党派色も
まったく感じませんでした。誰でも参加できる楽しい雰囲気の、良い市民集会だったと思います。
 ですがそういうこともあって、私がおつきあいのある方でこの集会に参加したのは、元中核
派、元戦旗派、良くも悪くもそういうことにはこだわらない戸田さんというところ。後はみん
なさめた目で見ていた。だからちょっとデモをしながら気分は暗かった。そういう皆さんには
、「管制塔被告連帯キャップ」をかぶって、それをよく見えるようにしながら会場を歩きまわ
ってきたことを報告しておきます(笑)。

 実は過去の潮流として私のような系列の人と、中核とおつきあいのある系列の人が、まがり
なりにも同席できるのは全国的に名古屋だけなのです。後は全部バラバラの別々です。これは
正直に言わせてもらって、残念なことだと思います。原因を言い出せばお互いに言い分があろ
うと思うし、また泥沼にはまるのですが、20年ほど前の中核派が、反体制運動をしていた非
常に多くの団体や個人を「反革命」つまり国家権力や右翼と同じ存在であると規定して、暴力
的な襲撃や恫喝などをしまくったという経緯があるのです。一番酷い被害にあった人は片足が
壊疽をおこして切断せざるを得ませんでした。

 私の周囲でも被害にあった人がいます。その頃の運動や組織防衛にあたった苦労は忘れがた
いものです。特に学生運動での被害は甚大で、主だった地域から中核派系以外の学生運動は根
絶やしにされました。短期的には「中核派の天下」となりましたが、長期的に見れば中核派を
含む学生運動そのものの衰退を招来してしまいました。一般学生との隔絶は、その後長きにわ
たって埋めがたいものとなった。

 なによりも、この頃に被害にあった人々は今でも多くの市民運動を担っていて、その頃の苦
しみや悲しみ、中核派に対する不信感は世代を超えてごく自然に伝承され続けているのです。
 だいたい中核派の方は、この事態にいたるまでの論争経過に遡って自身の正当性を語る方が
多いのですが、そういう問題ではないと思います。
 「中核派は自分に逆らう者を平気でテロる」「中核派が同席したら自由にものが言えなくな
る」「近寄りたくない」「あいつらを入れたら滅茶苦茶になるんじゃないか」という、消えが
たい記憶、無関係の人にとっては「敬して遠ざける」抜きがたい雰囲気を残したことが最大の
問題なのです。

 中核派はその後、こういう方針をあらため共闘関係重視の路線に転換しました。それは非常
に良いことだとは思います。ですから、その路線転換以降に中核派の運動に参加された方は、
連帯や共闘を求める自分たちが「不当に排除」されていると感じることもあるようです。
 でも、これも違うと思います。
 だって、中核派は当時のことを一度だって謝罪も自己批判もしていません。だったら当時の
ことを今でも「正しかった」と思っていると判断されて当然です。だったら共闘関係重視の
「路線転換」も信用できない。

 本当に中核派の人は、この頃のことをびっくりするほど軽く考えている。それはもう信じら
れないくらい、唖然とするくらいにそうです。「殴られたほうはその痛みを一生忘れないが、
殴ったほうはすぐ忘れる」とはよくぞ言ったもんだと思います。自分たちのしたことが、相手
に与えた心や体の傷、人間としての屈辱や激しいショックを、たった10年や20年ぽっちで
水に流せる程度のことだと考えているのでしょうか。その感性は到底信じられません。
 あなたがたのせいで一生をむちゃくちゃにされた人、正義感をもってはじめた運動から泣く
泣く追放されていった人々の苦しみ、悲しみ、怒りが本当にわからないのですか。

 たとえば権力や右翼に襲撃されたり、そのために普通の人生を歩めなくなっても悔いはなか
ったでしょう。たとえその後に運動から離れても、自分なりに納得のできる記憶になっていた
はずです。
 けれども勝手な「内ゲバ」で襲撃されてそうなった人には、悔やんでも悔やみきれない、苦
しんでも苦しんでもまだ足りない、恨んでも恨みきれない、暗い暗い悲しみが残るのです。
 「汚れちまった悲しみに」という詩があります。権力の襲撃を「切ない悲しみ」とすれば、
中核派から受けた傷は、思い出すのもやるせない「汚れちまった悲しみ」です。

 それでも、こういう当時の中核派の被害者の大部分は、中核派のことを一生許さないとは思
いつつ、だが中核派を権力と同レベルに扱ったり、ましてや「反革命」などと呼んで敵対する
ことはありませんでした。法政大学の弾圧への抗議にも、こういう多くの人が名をつらねてく
れました。中核派の方は、このことの重みを100万回でも認識するべきです。そのことを涙
ながらに訴えます。

 これらのことは今まで何回も書いてきたし、これからもしつこく書き続けます。そしてそれは、お互いが手をとりあえない現状を不幸であると感じ、深く悲しんでいるからなのです。
 そのことをわかっていただきたい。

 中核派が各地、各戦線での共闘関係に入って共に闘える日のくることを望みます。そのため
に、当時の所業に対し、「謝罪」もしくは「一方的な自己批判」を行われることを提案し続け
たいと思います。
 もちろん、そのようなものを出したからと言って、翌日から諸手をあげてみんなが中核派を
受け入れてくれるなんて考えてもらっては困ります。実際、それを正式に評価したり、受け入
れ表明するところは皆無に近いと思います。

 人によっては、襲撃の前提となった論争についても、中核派の自説を撤回しろという人も出
るかもしれない。それは拒否してもいいと思います。私もそこまで遡る必要は認めない。
 「我々の主張そのものは正しかった。だが、起こしてしまった結果について責任をとり、謝
罪する」「今後は意見の違いを認めあい、二度とあのようなことはしない」そういうことでい
いと思います。

 これは、短期的には中核派だけが政治的に傷つくことになるかもしれない。現場活動家も、
しばらくは針のムシロでしょう。離脱する人もいるかもしれない。だからこそ、こういうもの
が出せないのでしょうね。でも、それは絶対にさけて通れないことなんです。
 けれども、これは逆に中核派の権威を高めることにもなる。それは5年後10年後には必ず
生きてきます。もちろんそれまでに手のひらをかえさず、自己批判の精神を実践で示し続けれ
ばという前提はつきますけれども、必ず中核派にとってプラスになります。それは疑いがない。

 いえ、中核派だけにとどまらず、日本の反体制運動全体にとって、はかりしれないくらいに
大きなプラスになることです。どうか真剣に考えていただきたい。今のままでは八方ふさがり
です。勇気のある一歩を踏み出してください。それができる組織なら、私も応援することがで
きます。

 いつかは絶対にやらなくてならないケジメです。そういうものは先延ばしせず、早ければ早
いほどいいのです。さっさとやっちゃって下さい。今すぐに。
 何の痛みもなく、当時のことを水に流せるほど、この世は甘いところではないのです。
 だいたい、それすらできないのなら、いくら勇ましいことや立派なことを機関紙やビラで書
かれても、当時を知る人民の立場からはむなしいだけなのですから。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-89-136-220.s04.a027.ap.plala.or.jp>

[管理人削除]
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   - -
  
この書き込みは管理人によって削除されました。(07/1/3(水) 21:47)
引用なし
<@>

草加さんの言葉もよくわかりますが
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 統一戦線  - 07/1/3(水) 19:58 -
  
前投稿で途中でボタンを押してしまい、ただのコピーを送信してしまい
ました。戸田さん、前の分は削除してください。
長文読みました。私も管制塔被告へのカンパで損害賠償攻撃への
あの劇的な1億円叩きつけにほんのわずか参加させてもらいました。
(もちろん私はインターでもブントでも中核でもありません。)
草加さんとはそのおりにネット上で知り合いました。
寄金は「中核の人も出資してます」と言っておられましたね。
さて書かれていることは最もだと思います。
「我々は学内での大衆運動一般の生存は無条件では保障しないよ。
死を賭けてたたかうアジア人民と連帯するのか否かが人民に
問われているときに革命に有益かどうかで判断されるべきだ。」
と革命的なオルグさんは私たちにおっしゃいました。
つまり中核さんが「無益」「反革命」と判断したら運動の
生存は保障されないと言うわけでした。たぶん、それで
草加さんの言うような事態が全国で起こったのでしょう。
私が属していたところも中核さんや革マルと対決しながら
ある大学でインターさんをどついているところを見ました。
ある大学では平和団体の学生が「内ゲバ反対」の党派に殴られた
そうです。党内で殺し合いに発展したところも複数あります。
小ぜりあいから「バールで脳天」「ナイフでメッタ刺し」
までいろんなレベルがありますがとにかく、有意義だけど嫌な事も
多い時代でしたね。ところで「謝罪し、二度としないと誓えば許される」
のでしょうか? 日本の社会は、金軍事委員長がそう小泉首相に謝罪したら
俄然、居丈高になりました。(ちょっとレベルの違う話かな?)
日本の左翼は国共合作の度量を長年持ちえていません。
中核さんは謝らないだろうし、戸田さんの言うように
「いつまで言うてるねん」「情勢を見れば今の共闘が大事でしょ」
とも思います。現実的な解決、(解決は無理だろうから)
「小異を置いて大同に」の「小異の置き方」を真剣に考える時でしょうね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@58-188-67-58.eonet.ne.jp>

もちろん「許される」わけではありませんが
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 草加耕助 WEB  - 07/1/9(火) 5:27 -
  
>ところで「謝罪し、二度としないと誓えば許される」のでしょうか?

いえ、当該の被害者からは一生許されないと思いますね。
それでも謝罪し、自己批判するしかないのです。
たとえ受け入れられなくても、一方的にするしかないのです。
それは日本の戦時犯罪に対する謝罪と同じこと。
そして中核派が「謝罪」できない構造も、日本政府が「謝罪」できない構造と同じ。
変わったと言いつつ、実は本質的なところで変わっていないから。
だから過去を謝罪すれば、現在の正当性やアイデンティティが危機に陥る。
「今」が変わらなければ、そのための痛みを受け入れなければ、決して「過去」を清算することもできない。

二次ブントが分裂、崩壊した時も、内ゲバが多発しました。
しかし今から見れば、そんなの集会場で「ちょっと竹竿で突付きあう」くらいのもんでした。
倒れて逃げ遅れた叛旗派のメンバーに、そいつが持っていた竹竿を投げ返して「二度と来んじゃねぞ」で終わった話などを聞かされました。当時は「内ゲバ」って言ってもその程度のものであったと。

私がかつて所属していた戦旗派は、その程度の「内ゲバ」に、たまたま連戦連勝していたにすぎません。
ですが、その時に蹴散らされた旧二次ブント系の方々は、この21世紀になっても、いまだに30年近く前のことをいろいろ言ったりする人がいる。

これは「お互いに」やりあったことだし、人数も互角というか、むしろそっちのほうが当時は数が多かったわけです。それがたまたま負けたからって、そんなに自分を被害者みたいに言うのは、正直おかしいと思います。ですが、「殴られた方」の意識や、自分が人生を賭けていた運動を潰されかけた人のショックとはそういうものなのです。

その後、西田派と分裂した戦旗・共産同(=通称・日向派)は、ブント分裂時の論争については自分たちが正しかったという主張は堅持しつつ、「思い上がった学生共産主義者的な体質」や「前衛ショービニズム(=大衆に対して「前衛」ぶりっこをすること)」、「党外の大衆と、党員との扱いの差別」などを次々と自己批判し、とりわけ無党派団体に対してセクト主義的で高圧的な引き回しがあったことを公式に謝罪したりしました。

ですが、そんなのかつてやりあった「被害者」たちは、誰も信じてくれませんでしたよ。内ゲバ時代の頭目として憎まれていた荒(=日向)さんがこっちに来たので、西田さんのほうはそれなりに「反日向」でうまくやれたようですが、戦旗・共産同は最後の最後までブントの孤児でしたし、とりわけ関西の学生戦線では、なかなかどこの共闘戦線に入れてもらえないような状態でした。だから、現在の中核派の、路線転換後に結集した新しいメンバーの気持ちも、痛いほどによくわかるのですよ。

では、自己批判や謝罪は無駄だったかと言えば、そんなことはない。それがあったからこそ、そしてその自己批判を口先で終わらせないよう、末端までのメンバーが、どんなに理不尽な排除を受けても耐え抜いたからこそ、ブント系以外のインターやプロ青などの方々に受け入れてもらえたのだし、そこから再び新左翼運動内部での足場を作ることができたのです。

80年代に入って、もう旧ブント系が何をどう言おうとも、戦旗を排除したり無いものとして扱うことができなくなっていくわけですが、そこまで受け入れてもらうのに、自己批判作業開始から実に10年かかっているわけです。ほんの1年足らず、竹竿でお互いに突付きあっただけでですよ!そうしてその突付き会った人々とは、こちらがいくら共闘を熱烈に望んでも、ついに最後まで和解できなかったのです。

それにくらべて中核派のしたことを考えてみて下さい。「お互いに」ではありません。極めて一方的な襲撃です。しかも「竹竿で突付く」どころではない。アイスピックで足をめった突き、両手両足の関節をバールで粉々に砕く、そしてそれを背景に「次はお前だ」「殺してやる」と言いながら、次々と拉致してはリンチを加えています。こんな凶悪な被害にあって逃げ回った被害者からすれば、その時の恐怖や憎しみは想像を絶するものであり、一生かけても消えるものではありません。内ゲバからの防衛に時間を浪費し、生涯をめちゃくちゃにされた人にとって、それは「昔のこと」では絶対にすまされない。

ではどうするのか。「すまされない」から放っておくのか?そうではないでしょう。たとえ「すまされなくても」謝罪というか、自己批判するしかないのです。それも方便としての謝罪や「路線転換」ではダメです。それじゃあ「過去の一時期に不幸な歴史がありましたことは遺憾です」とかいう、どっかの誰かさんの「お言葉」レベルのものでしかない。ましてや、「さあ、謝ったんだから、いつまでも昔のことをグチグチ言わずに一緒にやろうぜ!」では、全くの逆効果でしかないことは、私たちはすぐそばで実例を見てきているはずです。

そうではなくて、「なぜそんなことをしてしまったのか?」という思想性(イデオロギー)のレベルで自己を点検しなくてはなりません。つまり、謝罪もさることながら、自己批判が重要だと考えます。別の言い方をすれば、運動論的にマイナスだったという現実の政治論のレベルじゃダメだということです。それでは、運動的にプラスと判断すれば、いつでも過去の路線に戻るのではないか周辺からと疑われます。これも実例を私たちは見ている真っ最中ですよね。たとえ自分たちが損をするような場面でも、人民内部に牙をむかないという思想性を獲得すべきなのです。

そして現実の政治や運動方針上の方便ではなく、思想レベルで「路線転換」したのだということは、最低でも10年以上かけて実践で示しぬいていくしかない。その過程では悔しい思いもいっぱいするでしょう。しかしそれに耐え抜いて頑張りぬき、人民のためにすべてを甘受して跳ね返していった時にこそ、「えっ、あの中核派が?」「変わったなあ」と初めて言ってもらえるのではないでしょうか。

中核派のしたことを考えれば、本当は10年どころか50年かかって、世代(人間)がすっかり入れ替わるまで無理なことだと思います。ですが、今は左翼の仲間は一人でもほしい時代です。「大同団結」を求める声は渦巻いている。実は中核派の体質に対していろいろな論評がなされ、その変更を求める声があるのは、こういう時代背景があるわけです。

謝罪・自己批判・路線転換の「要求」は、実は中核派に対する人民からの「要望」でもあるのです。この、「党に対する人民の要請」に応えることができるのかどうかに、中核派の未来がかかっていると言ってもいいでしょう。中核派は今、大きな岐路に立っていることを認識するべきであると思います。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.0.9) Gecko/20061206 Firefo...@softbank060111090019.bbtec.net>

そうですね
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 統一戦線  - 07/1/19(金) 6:49 -
  
▼草加耕助さんの思慮深い文章で自己批判も含めて
述べておられることはよくわかります。

>当該の被害者からは一生許されないと思いますね。
>それでも謝罪し、自己批判するしかないのです。
>たとえ受け入れられなくても、一方的にするしかないのです。

全く同感です。私も日共民青には容赦のない
攻勢を掛けましたが、今となっては悪かったと
思っています。

彼らによると京都では「トロツキストの
襲撃で失明した学友もいる」とのことです。
私を名指しで暴力学生と罵倒するビラに
それが書いてありました。当時の京都ですから
たぶんブント系ですかね?その私もある日、
人数で優勢になった日共民青に暴行され、
血だらけになりました。
日共と今や護憲で共闘する最近ですが、複雑な気持ちです。

また、街頭ゲバで、敵対党派の一人が死亡しました。
相手の命日前後にはそこを訪れて花を植えています(軟弱な)

>それは日本の戦時犯罪に対する謝罪と同じこと。
>そして中核派が「謝罪」できない構造も、日本政府が「謝罪」できない構造と同じ。
>変わったと言いつつ、実は本質的なところで変わっていないから。

それは、しかし厳しすぎるのではないかと
中核ではないぼくはあえて弁護します。

鉄パイプをふるわなくなってから十年以上になるのでは
ないでしょうか。脅迫的な事も、「革共同の利益に合致
しない潮流は反革命」と言う意味の事も言わなくなっている
ことも前向きに評価出来る点ではないでしょうか?
「前進」にはソフトボール大会の記事も載る時代です。

>集会場で「ちょっと竹竿で突付きあう」

懐かしいですね。ぼくはバールが頻繁に使用されだしてから、
数年で日よりました。ふるったことがあるのは竹竿。
鉄パイプはふるいかけた時に先鋒が勝利して、ふるわずにすみ
護身用に持っていた物も、幸い襲われる機会に恵まれなくて
使わずにすみました。
(日よって、よかった!殺されるのは自業自得ですが、
殺さずにすんだのが一番うれしいです)


>ではどうするのか。「すまされない」から放っておくのか?そうではないでしょう。たとえ「すまされなくても」謝罪というか、自己批判するしかないのです。それも方便としての謝罪や「路線転換」ではダメです。それじゃあ「過去の一時期に不幸な歴史がありましたことは遺憾です」とかいう、どっかの誰かさんの「お言葉」レベルのものでしかない。ましてや、「さあ、謝ったんだから、いつまでも昔のことをグチグチ言わずに一緒にやろうぜ!」では、全くの逆効果でしかないことは、私たちはすぐそばで実例を見てきているはずです。

それも分かります。

>謝罪・自己批判・路線転換の「要求」は、実は中核派に対する人民からの「要望」でもあるのです。この、「党に対する人民の要請」に応えることができるのかどうかに、中核派の未来がかかっていると言ってもいいでしょう。中核派は今、大きな岐路に立っていることを認識するべきであると思います。

確かにそうです。しかし(または、だからこそ)よく標語にあるような
「立ち直る 子どもに注ぐ 温かい目」も大事ではないでしょうか?

レ・ミゼラブルでジャンバルジャンのことを
「またやるつもりかも知れん。いや再犯するに違いない。ずっと
監視して、おかしいことが少しでもあればしょっぴいてやる!」
と追いかけ回したジャベール刑事は、徹底した自己批判要求と
その後の監視役を果たしましたが、その意義が無いことはないものの
あまり良い効果をもたらさなかったように思います。
(たとえが悪ければ申し訳ないです)

むしろ彼の更生を信じ、「銀の燭台は彼が盗んだ物ではなく
私が与えてやったのです」とかばったミリエル司教のほうが
ジャンバルジャンを改心させ、後に市長にまで上り詰めさせた
のではないでしょうか?

ただ、趣旨は全体として
草加さんのおっしゃるとおりだと思います。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@softbank220012028228.bbtec.net>

中核派は内ゲバの反省はしてないと思う
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 パルタ  - 07/1/21(日) 16:11 -
  
▼統一戦線さん:
>鉄パイプをふるわなくなってから十年以上になるのでは
>ないでしょうか。脅迫的な事も、「革共同の利益に合致
>しない潮流は反革命」と言う意味の事も言わなくなっている
>ことも前向きに評価出来る点ではないでしょうか?

小西・白井両名襲撃から10年もたってないはずです。内ゲバの反省はしてないと思います。中核派も革マル派も解放派も基本図式は何も変わってないと思います。中核派にとって悪いのはあくまでカクマルであって、中核派ではないのです。彼らにとっては全てが現在であり、何も過去にはなってないのです。
これが中核派の現在の主張です。

 革共同とは
http://www.zenshin.org/tokusyu/whatsnc/whatsnc.htm

 革共同の2006年3・14アピール
 第1章 カクマルの歴史的大罪を革共同は絶対に許さない
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no06/f2237.htm#a4_1より抜粋転載
 1975年3月14日、内戦を最先頭で指導していた本多延嘉書記長は反革命カクマルによって虐殺された。黒田、松崎、土門によるこの反革命に対して、われわれは怒りに燃え、党の存亡をかけて革命的報復戦に決起した。これに対して、反革命カクマルはさらに、わが偉大な全逓出身の労働者革命家、橋本秀次郎同志を76年2月に虐殺したのだ。
 3・14反革命をけっして忘れるな! 
中略 あらゆる困難を克服して闘ったカクマルへの軍事的せん滅戦と対日帝戦争、その最大の蜂起戦=90年天皇決戦の勝利の上に立ち、われわれは91年5月テーゼをもって「労働者の中へ」の闘いに突入した。
中略
 われわれは、新指導路線をさらに強力に闘いぬくことで、分裂したカクマル両派の完全打倒を実現する地点に立っている。革命軍によるカクマルへの復讐戦を強め、3・14復讐戦貫徹、カクマル完全打倒へ突撃しよう! 虐殺者=黒田・松崎・土門の革命的処刑を戦取しよう!
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322; Inf...@fp0004.nnc.or.jp>

相手によっては反省してると思うけど
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 統一戦線  - 07/1/22(月) 21:54 -
  
▼パルタさん:
>小西・白井両名襲撃から10年もたってないはずです。

うーーんそうでしたか。

>中核派も革マル派も解放派も基本図式は何も変わってないと思います。

血で血を洗い、しまいには自組織の中で殺し合ったものね。

>革マルへのゲバは全く反省していないようです。

でもインターさんなどへは、やりすぎたと思っている節が
無くもないのでは?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)@softbank220012028228.bbtec.net>

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