ちょいマジ掲示板

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「私はこう思う」。 ゆうすけ 10/8/13(金) 2:45

65回目の終戦の日。 ゆうすけ 10/8/15(日) 23:15
◎事務所片づけ集中(再出発準備)の盆休み中です。谷口さん、みなさんよろしく! 戸田 10/8/16(月) 16:52
★ヒゲ戸田通信に思う。 ゆうすけ 10/8/17(火) 4:07
「かなり、来てるな」 ゆうすけ 10/8/19(木) 1:36

65回目の終戦の日。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/8/15(日) 23:15 -
  
日比谷公会堂・あの感動を再び
〜 終戦直前に響いた第9 〜

「東京は焼け野原になったが、日比谷では第9が歌われている。まだまだ日本は大丈夫だ」

1945年6月14日、終戦2ヶ月前の日比谷公会堂に、ベートーベンの第9交響曲が響きわたった。 演奏は尾高尚忠指揮の日本交響楽団(現在のN響)。日響にとって戦中最後の演奏会。 冒頭の言葉は、テノールのソロを歌った木下保が、戦地に赴いた弟子に書き送った手紙の一節。 第9の響きは、当時の日本人に大きな感銘を与える。
終戦から65年。この公演を、日比谷公会堂でN響が再現。

写真や証言で当時のエピソードなども紹介しながら、 日本人の心に勇気を与えた第9の響き。

交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」 から   ( ベートーベン作曲 )

--------------------------------------------------------------------------------
ソプラノ : 小林 沙羅
アルト : 福原 寿美枝
テノール : 志田 雄啓
バリトン : ジョン・ハオ
合 唱 : 国立音楽大学合唱団
 〃 : 玉川大学芸術学部合唱団
 〃 : 成城合唱団
管弦楽 : NHK交響楽団
指 揮 : 井上 道義

[ 収録: 2010年7月2日, 日比谷公会堂 ]


 ●テレビで聴き入って、涙する。会場には1945年に合唱で出られた91歳の男性の姿が。 そして、国立音大合唱団と思うが、89歳の男性が紹介される。

  なぜ、その当時に第9なのか背景はわからないが、戦時下において、軍部からの弾圧 もあったと思うし、いつ空襲警報が鳴るともわからない状況ですごいことだと思う。


 日本では、戦争は「昔の話」になりつつあるかもしれない。しかし、中国の人たちは忘れていない。韓・朝鮮半島の人たちは忘れていない。アジアの人たちは忘れていない。世界が忘れていない。当の日本人だけが忘れかけている。その「ギャップ」がこわい。

「日本のことしか考えない」・・・・そこに「戦争の根っこ」がある。「日本があって、世界がある」のではない。「世界があって、日本がある」。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.5; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska202069.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

◎事務所片づけ集中(再出発準備)の盆休み中です。谷口さん、みなさんよろしく!
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 戸田 E-MAILWEB  - 10/8/16(月) 16:52 -
  
 8/13〜17の5日間が戸田の職場=協同会館アソシエの盆休み(夏期休暇)です。
 今までに溜まっていた各種郵送物・資料の読み込みと整理をし、増加一方で散らかって
いた本や荷物を整理して、スカッとさせて次の「ヒゲ-戸田通信32号」作成にかかる事を絶対的課題として取り組んでます。

 戸田の場合、「捨てられない病」で、「片づけるのに考え込んでしまう症候群」なので、なかなかはかどりませんが、この機を逃しては後が無い!との危機感をもって頑張ってます。

 休みも残り1日だけ。
正規の通信としては、
★ヒゲ戸田通信 第31号改2(さらば門真市議会、また来るまでは!)
           2009年4月18日発行
以来1年4ヶ月超ぶりになりますが、
       http://www.hige-toda.com/_mado02/mado02_index.htm
この間の戸田の動向や政治情勢、門真市議会のことなど色々盛り込みたいので、A3版
(裏表で4ページ)にして8月末には駅頭配布から初めて2万枚はまきたいと考えて
ます。(A3版は、作成も折りも配布も手間が大変なんですが)

 休み中には最初の1ページができるかどうか、という所でしょう。
 片づけ2日、作成3日にしたかったのですが、そうはいきませんでした。

 それをしつつ、生コンストの事を阿修羅掲示板や「自由論争」に投稿したり、またザイトク告訴の件で、大阪地検・大阪地裁に抗議文を出したり、地検にメガネ損壊犯=宮井将
の裁判記録(何と戸田には全く連絡無く、謝罪や弁償もなく非公開の7/28略式裁判で終了していた!)の請求をし、民事賠償請求訴訟の準備もする、という課題もあります。

 そんなこんなで、「ちょいマジ」への投稿は戸田の方からは今週は滞ると思いますので、その間は谷口さんやほかのみなさんによろしくお願いします。

 岸和田町民さんも、投稿ありがとうございました。お礼が遅れましたがこの場を借りてお礼いたします。
 ユニークな、そして勇気ある立場を取った岸和田町民さんの投稿のおかげで、行政のいろんな不十分点が明らかになり、だいぶ改善に役立ちました。

 特の門真市広報の未配布問題は、岸和田町民さんの投稿無しではあそこまで追及して抜本改善させる事は出来ませんでした。市民サイドの第1功労者です。

     ◆広 報 配 布 と 自 治 会 問 題 大 特 集 ◆
 「広報未配布約1000世帯」の異常を根本改善させた戸田の闘い
            (2001年6月〜2003年1月)
   http://www.hige-toda.com/_mado10/kouhou/index_kouhou.htm

 今日、古川橋駅ダイエー1階の「フーラン」というカフェレストに行って涼んで、女
店員さんに会った時に、あの「古川橋駅ダイエーそばでの3中女生徒ひき逃げ事件」から丸2年経ったことを思い出しました。

 2008年9/1に戸田が被害者のお母さんから相談を受けて事故現場に行った時、全く偶然この店に入り、全く偶然にこの女店員さんに問いかけた事で、この店員さんが8/11事故
直後の目撃者で、被害者の女の子を救助した事を知り、詳しく話を聞けた事が、問題の
追及と解決につながったのでした。
 
 あのときから2年経ったか・・・・、との感慨を持ちました。
 詳しくは、「女子中生ひき逃げ事件特集」 
     http://www.hige-toda.com/_mado08/2009/jiken/jiken.htm
を見て下さい。
 それんしても、「門真市内の08年度のひき逃げ15件で検挙ゼロ!」、「09年年度は
8月末現在でひき逃げ16件・検挙ゼロ!」には仰天しました。
 こういう問題は、超党派で議員全員で「8/1ひき逃げ犯の早期検挙とひき逃げ犯検挙率向上の要請決議」を上げてもよさそうなものだし、それぞれに出来る事もあるはずですが、相変わらず他の議員達は「我関せず」でした。

 「女子中生ひき逃げ事件特集」の中にある戸田作成の文書、図面の数々を見て下さい。
我ながらよくここまで作成出来たものだと思います。
 議員でなくなり。他の仕事に就いている今ではこんな事は全く出来ません。

 この一例を取ってみても、「議員は普通の仕事人がボランティアや夜間休日議会の日当
制でやればいいんだ」という河村名古屋市長や阿久根市長流の、そして大半の市民が刷り込まれている、「議員に対する市民感覚」がいかに的ハズレなものであるか、よく分かると思います。

 ロクに勉強もしない・行動もしない議員が大半である事は事実ですが、それは議員達の仕事ぶりをチェックしない制度と、チェックしようと考えない(そう刷り込まれている)有権者が悪いにであって、それを変えようとせずに、「勉強をし行動をする議員」の出現と存在を阻害する「議員数削減」、「議員報酬・活動費削減」に走るのは、全く馬鹿げた
、方向が逆な愚挙でしかありません。

 門真で「議員定数削減」を最も執拗に重ねてきたのが公明党ですし、そのお先棒担ぎ市民です。
 「○○の市民の会」とやらを名乗るこういう市民は、実際は議会を有効なものに改善する事には何の関心も持っていない人達です。
 その証拠にこれらの「市民」はほとんど傍聴に
来たことがないし、出席手当問題にも、
議長や委員長の不当な手当問題にも、全国最低レベルの議会だより問題にも、その他大事な問題には何の関心も持たない連中です。
 全くチャンチャラおかしい、としか言いようがない。

 ・・・サラリと書いて終わるつもりが、段々熱くなってしまいました。
 これで終わります。それでは。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6; .NET CLR...@i58-94-108-232.s04.a027.ap.plala.or.jp>

★ヒゲ戸田通信に思う。
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/8/17(火) 4:07 -
  
そういえば、1999年初当選後、私はもちろん公明の候補に投票しましたが、戸田さんが風呂に来てくれてもいましたし、店に★ヒゲ戸田通信を置いた時期がありました。戸田さんの話を聞いて、なるほどと思ったのも事実で。しかし、自分が戸田の言うことに、理解していると言うことを、学会にまた公明議員に知られることが、軋轢となるのを恐れて、いつか戸田さんを避けるように、なっていました。

●組織といっても人間の集まりであるし、好き嫌いはある。意見も千差万別である。だからこそ、差異を超えた対話が必要であった。と今になって思えば、その時対話で、その後(1999年9月)に起きた「議員戸田久和に対する懲罰動議」のことを、しっかりと早川市議に聞くべきであった。

公明議員がなぜ、裁判傍聴や市民の相談に自ら動こうとしないのか、大きな支持母体に支えられ、大人数となり、硬直化、官僚化が原因だと思う。一人の議員として、困った人のため、生命を守るため、自分の判断で行動できなくなっているように思う。

忘れてはならないのは、市民に徹して奉仕するという根本哲学である。ゆえに、相談を所轄の部署に言っといたではなく、寸暇を惜しんで言われたことに応えなあかん。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.5; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska197020.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

「かなり、来てるな」
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 ゆうすけ E-MAIL  - 10/8/19(木) 1:36 -
  
数ヶ月前、ある先輩に会った時、「谷口は、かなりきてる」。ここの書き込みを見て、そう思った。と話してくれました。確かにその通りで、四面楚歌の中、何とか突破口を開こうともがいていました。その先輩云く、「おまえも俺といっしょでこてこての頑固もんやから、あかんと言うても聞かんやろうけど、物事を批判的に見るというのは、かなり追い込まれてることやで」と。

その上で、「人生どこまでも闘いである。弱い自分との闘いである」。そう言っていただき今日(こんにち)まできている。その時言われた課題にも、一日も欠かさず挑戦し勝ってきた。

仏法には、「心の師とはなるとも 心を師とすべからず」という教えがある。
自分の弱い心に負けてしまうか。それとも、その弱さに打ち勝って、信念の道を歩み通すか・・・。臆病な心に従って、一喜一憂するのが「心を師とする」生き方である。

自らが自身の「心の師」となり、何事にも粉動されない自分をつくる。そのために使命と人生の羅針盤を忘れてはならない。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; GTB6.5; .NET CLR 2.0.50727)@ntoska171028.oska.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp>

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