☆5月末完成の答申を8月末まで表に出さなかった作為

03/10/22ちょいマジ掲示板書き込みより


 これも審査会議事録を読んでみて初めて分かったことだが、情報公開審査会は03年5/28審査会に「答申書案」を出して、それを朗読させ、それを全員が了承していたのだ。
 こうして5/28段階で「答申書」は確定したにも拘わらず、実際に答申書が出されたのは8月29日付であり、その間審査会が開かれるわけでもなく、答申書内容に修正を加えられるわけでもなく、ただひたすらに、答申書が完成していることが伏せられたまま、7/14地裁判決を過ぎ、7/24戸田控訴、7/28市の控訴を経てからやっと8月29日付で答申書を出すという作為を曲学阿世達は行なったのだ。

  8/29答申書↓↓
http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/4/joho-inpei/03.8.29tousinsyo.htm

 5/28審査会での答申書案承認から8/29等親諸提出まで、3ヶ月も要する正当な理由はどこにもない!

●しかも、もうひとつ許し難いことには、戸田が6月議会一般質問通告で
  http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/5/2003-6/tuukoku.htm

 「4;1年近くも結論を出さない「情報公開審査会」の弊害について〜情報公開制度発足以来の答申までに要した期間の一覧、答申を出さなかった事例など、不服審査への答申の出し方についての実態を踏まえて種々質問する。」と通告して市に資料を出させたりしたにも拘わらず、三松情報政策課長や中本企画部長は「5/28でこの件の審理は完了した」ことを尾首にも出さずに、「現在審理中の案件」の中に入れて説明し、「審理が終わって答申書案がそのまま了承され、あとは市に提出されるだけ」という重大な事実について、完全にウソを言って戸田をだまし、議会でも虚偽答弁をしていた、ということである。

   戸田の6/25本会議一般質問と答弁↓↓
 http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/5/2003-6/ippansitumon-toben.htm

 まことに、三松情報政策課長と中本企画部長は「ウソつき役人」として厳しく糾弾されなければならない。怒り心頭である!