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部族化する政治と個人のサブシステム化について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/21(月) 11:59 -
  
今回はあまり使い慣れていない概念を使ってのお話をしてみたいと思う。
自分も現在進行中、ないしはこれから起こりうる可能性に言及しなければならい
時には試行錯誤するものだから。


これがプロバカンダーである私にとっての有効なアジになってるのかわからない。
だけどYUKIさんの出したレスに対して少しでも希望となるものを出せれば
これ幸いだと思う。
(自分が一番恐れているのは、「こういう分析もあるよ」「ふ〜ん」の領域に
入ってしまうこと。社会学はこのパターンに嵌ってしまう分析も多い)

部族化とはミシェル・マフェゾリの提起した概念だ。YUKIさんの提起した話


>先にも書いた様に、セクシュアルマイノリティの運動体は力が無い、そこで、メディ
>アに乗っかろう、自治体に乗っかろうとする動きもあります。
>そうした運動の場合、メディアや自治体「ウケ」が良いように運動の体裁を整え
>るために、運動のヘゲモニーを握った者が運動体内部を統制しようとします。
>さらにタチが悪いことに、そうした運動は利益を生むために、ヘゲモニーを握っ
>た当事者や勢力が運動で得られる利益を独占するという問題もあります。

がいわゆるマフェゾリが指摘する部族化だ。

「身近なものであれ、はるかに遠いものであれ、この図式は、歴史がわれわれに引き渡してくれた様々な政治的大事件に、この上なくよく当てはまる。我々は実在する権力の維持と、Vパレートが<エリートたちの循環>と呼んだものと対面する。

一見すると、これらは対立しているように見える。だが、そのメカニズムは同じだ。やがて革命運動の中に入り込み、時にはその先頭に立ち、次にはエリート主義の原理そのもの、つまり権力の永続という原理を復活させることになるのは、衰微凋落しているエリート構成員の中で最も明晰で、もっともデカダンスでない者たちであるのだから。どんな革命も、この<エリートたちの循環>の具体例はある。そのことはフランス大革命にだろうが、ロシア革命だろうが同じである。68年運動もこの掟から免れることがなかった。

実際、あらゆる分野で社会の指導的立場にいる<68年組>の一人一人を思い出して見ればよくわかる。彼らはよき後継者として、彼らが異議申し立てしたもの、それ自体の保持者になったのである。

「ロマのカーニバル」の中でル・ロワ・ラデゥリーは、自分らの政治行動から出発して、社会的ヒエラルギーの中で、自らの地位と、彼の一族の地位を確保してゆく《時宜に適した権力的な男》であるそのような民衆の指導者の社会的昇進を示している。

同じ学校のメンバー、派閥、あるいは理論的従属といった様々な仲介的《組織体》によって、如何に人々が社会の全体に対する権力の永続性を維持するのか見るためには、行政運営の階層について同様の分析をすることが残されているだろう。聖職者、政治家、官僚、社会の私有化を確保し、この社会の所有を自らに確認することを可能にする彼らの間の戦いも、同じことである!
 
望もうが望むまいと、これが支配的なろうとしている部族的姿勢である。後になって、なんらかの合法化や合理化を作り出すことが出来るが、取りあえずは、自らのために、近親者や親族、拡大した仲間たちのために、権力の独占とその実践を守ることが先決である。以前の著書の中で私はこのような構造的部族性についてのアウトラインを示した。宗教的なもの、政治的なもの、行政的なものはこの問題について、極めて教訓的である。そのどれもが、いかにその事実を否定しようとすればするほど、それぞれの領域において部族的である、ということができる。

単純に次のことを指摘しよう。おかしなことに理論的分析が理解しようとしないことが、ずっと以前から、民衆の良識にとっては自明のことであったということである。そのような良識は、政治的友好関係、イデオロギー的理論的依存関係、あるいは単に《コネ》といったものが、制度的世界に関わりのある人間にとっては必要なのだ、ということを知ってるのである。行政、大学、司法といったその分野がどんなものであれ、そうである。」

「政治的なものの変貌 部族化/小集団化する世界」 ミシェル・マフェゾリ著


こういう事態が良く知られているが故に個人主義的アナキストが政治的なものを忌避するということが発生するわけです。しかしこれだけ示して悦に入ったなら、先の
「こういう分析もあるよ」「ふ〜ん」の領域に入ってしまうことになる。だから別な
観点も示してみたいと思います。勿論、次に示す観点に可能性を見るか単なる上記のような事態へのきれいな言い換えを見るかは人それぞれでしょう。要するに両義的なのです。両義性にあいまいさ、言い繕いを見るか積極的転換の方向を見るのかどちらでも可能です。

「財(収入、職、安全)の配分をめぐっての対立は、古典工業社会の基本的対立をなし、関係する諸制度がその解消策を目指してきたが、リスク社会の出現に伴い、その対立にさらに「負の財」の配分をめぐる対立が覆いかぶさる。負の財の配分を巡る対立は、配分責任をめぐる対立と読み解ける。財の生産リスク(原子力や化学関連の技術、遺伝子研究、環境に対する脅威、過剰な軍備、西側社会以外での窮乏化)をどのように配分し、阻止し、管理し、正当化しうるかをめぐって、それらの対立は噴出している。
 
 社会理論や文化診断の観点から言えば、リスク社会の概念は、工業社会の途上でこれまで産出されてきた脅威が限界を超えてしまった、そういうモダニティの段階を示している。ここでの問題は、これらの脅威が五感で捉えられないだけでなく、我々の想像力を超えるものであること、つまり科学によっては確定できないことである。何が危険かの定義は、常に《認知的》、かつ《社会的》に構築されたものである。近現代社会は、自らの生み出した結果を省察せず、ただ同じ政策を続けてゆく限り、自前のモデルの基盤はその限界に直面することになる。

 工業社会文化に見出す、集合的な、集団に固有の意味供給源(例えば階級意識や進歩に対する信仰)は枯渇し、解体し、魔力を失い始めている。これらの意味供給源は20世紀に至るまで西側の民主制と経済社会を支えてきたが、その喪失は、結果としてすべての意思決定作業を個人に委ねるようになる。このことがまた、「個人化過程」という概念の意味している問題である。

 かつては家族集団や村落共同体の中で、あるいは社会階級や集団の力を借りて克服することの出来た生活暦上の好機や危機、ジレンマを、人々は益々自分でそれに気がつき、解釈し、対処しなければならないのである。確かに家族は以前存在するが、核家族は今まで見たこともないような制度になっている。不平等は益々拡大しているが、階級間の不平等や階級意識は、社会における中心的な位置づけを失っている。更に自我でさえも、もはや自明な自分でなくなり、自己を語る矛盾だらけの言説へと断片化している。

人々は今日、近現代社会の複合性のために、確かな、信頼できる根拠に基づいて必要な意思決定を行なうことなしに、つまり生じうる帰結を考慮することなしに、こうした「リスクをともなう好機」を自分のものにするように求められている。」

「個人化された個人は、つまり自分自身と自分の世界に関する修繕屋は機能主義が想定するような、単純な古典工業社会の「役割演技者」ではもはやない 一人一人は、機能主義の役割モデルが想定する以上に、何の制約もない、複雑な言説による相互作用を通して、組成されてゆく。

逆に現実には、制度がその要目や基盤の点で現実味を失い始め、それゆえ、個人に依存してゆくようになる。労働組合や政党は、「上の方」や「下の方」という階級意識に基づいて綱領や成員資格、権力を作り出してきたために、制度のなかにそうした失われた階級意識を取り戻そうという試みが始まっている。

家族に関する解消しだしたポスト家族的多元論が旧来の概念のボトルの中に注入され、栓をされ、倉庫に収納されてゆく。要するに、互いに反映しあうことのない二重の世界が出現し始めているのである。

つまり「一義的」モダニティと「両義的」モダニティという、二つの異なる時代に属する対立や権力闘争、手段、活動の舞台から構成される混沌とした世界である。一方で政治的空洞化が、他方で、政治的なもの、制度的に依存しない復活が進行しはじめている。個人が社会制度に戻ってきたのである。」

「一見すると、ほとんどすべての事柄が、いま論じたことの反証になっているように見える。政治の舞台で議論されている問題点は政治的なものがきらめきを発することのできる起爆剤を、依然ほとんどもたらしていない。従って政党政治や協調主義といった上部構造から意思決定を引き出すことはますます難しくなり始めている。逆に政党や労働組合、利益団体といった同じような組織体は、体内的にも対外的にも、その分極化的特質と創造的、ユートピア特質をともに失い始めているように見える。

私見ではこうした診断は、政治と国家の同一視、政治と政治システムとの同一視というカテゴリーの誤解に起因している。こうした誤解を訂正しても診断の部分的正しさが失われるわけでないが、やはり診断は正反対になるだろう。議会や政党、労働組合などの、政治の場として規定され、正等に権限を付与された行為主体が執行してゆく舞台の中に、人々は政治を見出そうとしてきたのである。こうした見解においては、かりに政治という時計が止まってしまえば、政治的なものも、全体としてみれば既に時を刻まなくなってゆく。この場合、次の二つの点が見過ごされている。」

「まず、統治装置とその補助機関が行動の自由を失っていることは、社会の考えられる全てのレベルで付随的に行為者の機動性をまさしく高めてゆくこと。つまりサブ政治の活発化によって政治が次第に消滅してゆくのである。政治を上のほうから眺めながら結果を待ち望むだけの人は誰もが政治的なものの有する自己組織性を見過ごしている。この自己組織性は社会の多くの領域を、それどころか全ての領域を--少なくとも潜在的には--「サブ政治」という面から動かしてゆくことができる。」
               
「政治の再創造」ウルリッヒ・ベック著

この後はさすがに長ったらしいから飛ばしますけど、もう一つの点としては、Uベックは既存の工業社会の中で自らを条件付けてきた政治制度や政治主体は二つの異なる時代の前で個々の問題についでお互い矛盾しあう対策をとり始めると言ってます。(自分流に例を挙げると一方で社会のネット化を促進しながらもう一方で知財の囲い込み、言論規制を図る様なちぐはぐな態度)

サブ政治化という概念に既存の政治を超える可能性を見るかそれとも新たな部族化の場所が広がっただけとみるかは人それぞれでしょう。ただ、物事が両義的な時には
可能性もある。
引用なし
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私的所有/中間共同体/対話的公共圏 YUKI 08/7/14(月) 1:12
左翼的運動の課題〜「革命21」についての苦言も含む YUKI 08/7/14(月) 1:51
温故知新:集団の持つ権力性について YUKI 08/7/15(火) 1:15
まあ、折角のレスですので。 徳永基二 08/7/14(月) 4:17
コミュニケーションの手段と ねこかぶり 08/7/15(火) 0:18
非常に蛇足的な話なんですけど 徳永基二 08/7/15(火) 1:07
蛇足ついでになぜデリダに拘るのか 徳永基二 08/7/16(水) 1:42
Re:蛇足ついでになぜデリダに拘るのか ねこかぶり 08/7/16(水) 16:40
哲学は必要/ポストモダンと新自由主義の親和性について YUKI 08/7/18(金) 0:14
ジュディス・バトラー, ガヤトリ・スピヴァクの「国家を歌うのは誰か?」について 徳永基二 08/7/19(土) 4:42
Re:哲学は必要/ポストモダンと新自由主義の親和性について 徳永基二 08/7/19(土) 12:51
Re:哲学は必要/ポストモダンと新自由主義の親和性について ねこかぶり 08/7/19(土) 23:11
68年について 徳永基二 08/7/20(日) 3:20
68年について ねこかぶり 08/7/21(月) 19:14
「ポストモダニズムなどは最初からどこにも存在しない」について YUKI 08/7/20(日) 7:36
Re:「ポストモダニズム」について 徳永基二 08/7/20(日) 14:02
再びデリダについて 徳永基二 08/7/20(日) 14:55
セクシュアルマイノリティの運動を概観してみる YUKI 08/7/21(月) 4:28
部族化する政治と個人のサブシステム化について 徳永基二 08/7/21(月) 11:59
経済的に弱者でりかつ粒子化した人にとっての社会運動について 徳永基二 08/7/21(月) 12:55
基礎所得-タイムダラーの挑戦 徳永基二 08/7/21(月) 15:36
またまた難しい話をする人ですね。 ねこかぶり 08/7/21(月) 18:10
補足説明 YUKI 08/7/21(月) 17:25
クイア理論とフェミニズム運動について 徳永基二 08/7/22(火) 1:34
ありがとうございます。(そんなに遠くない) YUKI 08/7/22(火) 4:14
「補足説明(YUKIさん)」への質問(本人から) ひびの まこと 08/7/22(火) 23:29
この人を知ってます? YUKI 08/7/22(火) 23:45
あんまり過剰に防衛反応したりする必要はないです ひびの まこと 08/7/28(月) 0:58
私は人との対等な話し合いを重視しています YUKI 08/7/28(月) 4:57
お気楽にやってます ねこかぶり 08/7/28(月) 17:51
自分も若干、補足です 徳永基二 08/7/22(火) 0:09

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