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非常に蛇足的な話なんですけど
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/15(火) 1:07 -
  
社会運動系のこういう場所で哲学的な語りをしていいのかそれは
運動系の人に対して愚弄する行為でないかと不安もあるのですけど、

映画「マトリックス」に関するスレがあるぐらいですので、
それと同じ感覚で書いてみようと思います。みなさん気楽に聞いてくださいませ。

上記スレに書いた
「物語の解釈の多義性は認とめているが倫理の多様性も歴史の多様性も認めていない。」「ナラティブな歴史は事実の上にしか築かれない」

「先見的な倫理はないけれど、人は過去の失敗から学ぶし、悪い社会を選ばない。よって多様性を放置しても人は正しい結論を選ぶ」
は何を根拠に言い出している確信なのかという話です。

実存主義の世界では良く知られているように「ハイデッカーのナチズム加担問題」
というのがあります。この問題を弟子筋に当たる哲学者たち(サルトルやデリダ)
はどう見ているのか?というのが今回の話の根底にある事柄です。

単純にまとめると次のような風になります。

ハイデッカーは死すべき存在の不条理を自覚することで、真の存在のありように気づくと考えた。(この真の存在がハイデッカーにとって「アーリア民族の栄光」や「ナチスの栄光」だったのだろう)

サルトルは存在の不条理は能動的な自己規定で存在を無化することで乗り越えられる
と考えた。(サルトルの場合、自己の選択は脅迫的に選ばなければならないという形で現れた。また他者は眼差しを介して自己を相対化する故に常に敵対的な関係だった。)


デリダの場合、自己決定とは既に過去に誰かが行ったことに対するパロディ、オマージュである。自己の行動は単独で完結することなく常に読み手を介して読まれることで意味を持つようになる。だが行動の影響圏はコミュニケーションネットワークと
同じぐらいの広がりをもって広がっているので、その読み手は無数の未だ来たらざる
未知な他者に開かれているものと見做される。つまり行動の意味は常に未完であり
意味内容とは暫定的なものにすぎない。

サルトルはハイデッカー的存在を無化するが同時に歴史に対してアンガージュせよという脅迫に囚われている。デリダの場合、そういう脅迫はないが、行為の意味内容が
拡散しすぎて否決定、相対主義の迷路にはまり込みそうな気がする。

だが私は90年代のデリダに関してこれと別個な読みが出来るのではないかと考えている。すなわち「正義は脱構築できない。脱構築が正義なのだ」とはどういう意味か


上野千鶴子VS高橋哲哉という有名な論争がある

元朝鮮人慰安婦の人たちからの日本国家に対する損害賠償請求を生じた時、日本では自由主義史観を名乗る人々からあれは単なる商行為であって、国家は関与していなかったと言う反論が生じた。その時、上野と高橋両氏はどちらも元朝鮮人慰安婦の女性の立場から発言したのだが、両者の発言スタンスは違っていた。

「慰安婦」との「交情」を懐かしげに語る元日本兵にとっての「現実」と、「慰安婦」経験を恐怖と抑圧として語る被害者の女性にとっての「現実」との間には、埋めがたい落差がある。関係の当事者の一方が、他方とこれほど落差のある「経験」を持っているとき、両者が「一つの経験」を共有しているといえるだろうか。
「さまざまな歴史」を認めるということは、あれこれの歴史パラダイムの中から、唯一つの真実を選ぶと言うことを意味しない。歴史が、自分の目に見えるものとはまったく違う姿をしている可能性を認める、と言うことだ。(『ナショナリズムとジェンダー』青土社)

この歴史観に二点の点で異議を唱えたのが高橋哲哉である。
「元日本兵」の語る「現実」と元「慰安婦」の語る「現実」は二つの全く違う現実として単に共存しているのではなく、激しく抗争関係になるはずである。「単なる商行為だった。」「唯一の楽しい思い出だった」などという「元日本兵」の物語と、「強姦だった」「犯罪だった」「恐ろしい暴力だった」と言う被害者たちの物語は、平和共存できないだろう。現実に生じているのは、被害者たちが謝罪や保証や責任者処罰まで要求しているということ、つまり、「<商行為>だったのではなく、強姦だったことを認めて、責任をとれ」という要求だろう。もしも歴史が「、自分の目に見えるものとはまったく違う姿をしている可能性を認める」と言うことだけで済むなら「元日本兵」はこう言い放つだろう「なるほどあなた方にとっては強姦に見えたかもしれない。それがあなた方の現実だったことは認めよう。しかし私にとってはあれは商行為以外何者でもなかった。それが私の現実だったので二人は別の歴史を生きたのだ。私は現実に強姦していないのだから、責任を取る必要はない。」

更に高橋は「強者の歴史認識に対する弱者の歴史認識の闘い」という見解にも疑問を表明している。
「ドイツ並びに西ヨーロッパでは「ナチ・ガス室はあった」というのが支配的現実であり、ホロコースト否定論者は「少数派」であるだけでなく、その活動が刑事訴追の対象になりうる「弱者」でもある。このホロコースト否定論者との闘いに上野は正当/不当判断抜きに、どのようにコミットメントするのだろうか?「弱者」や「少数派」との「闘い」も、なんらかの「正しさ」へのコミットメントはやはり必要でないか?」

両方とも『歴史/修正主義』高橋哲哉著 岩波書店

デリダ派に属しているはずの高橋哲哉にとってこのような正義へのコミットメントは
どうやって為すのだろう?

例えば竹田青嗣はデリダ的もの言い「正義は脱構築できない。脱構築が正義なのだ」
を正義とは何かの説明責任を放棄した、直感主義への逆戻りと批判している。

自分はこう思う。「デリダ的解釈の多義性にはハイデッカー的な存在が含んでいない。デリダはサルトルと違ってただ一つを選択してアンガージュしないが存在の無化の方法は引き継いでいる。」

話がこうなら後は簡単だ。このけして選ばない存在の輪郭線を追うてゆけば選択は多様であっても、倫理の輪郭線が見えてくるのだ。

ところで多様な差異あるものが互いの存在を”差異あるもの”として認識しあうためには同じ状況の地平線を共有していなければならない。こういうところも社会構築主義に対して批判したいところである。(つまり解釈のみしかない空間では正しい解釈をめぐっての力の関係すら発生しない。事実がないのだから、互いによく似た物語群があるというだけになってしまう。)

引用なし
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私的所有/中間共同体/対話的公共圏 YUKI 08/7/14(月) 1:12
左翼的運動の課題〜「革命21」についての苦言も含む YUKI 08/7/14(月) 1:51
温故知新:集団の持つ権力性について YUKI 08/7/15(火) 1:15
まあ、折角のレスですので。 徳永基二 08/7/14(月) 4:17
コミュニケーションの手段と ねこかぶり 08/7/15(火) 0:18
非常に蛇足的な話なんですけど 徳永基二 08/7/15(火) 1:07
蛇足ついでになぜデリダに拘るのか 徳永基二 08/7/16(水) 1:42
Re:蛇足ついでになぜデリダに拘るのか ねこかぶり 08/7/16(水) 16:40
哲学は必要/ポストモダンと新自由主義の親和性について YUKI 08/7/18(金) 0:14
ジュディス・バトラー, ガヤトリ・スピヴァクの「国家を歌うのは誰か?」について 徳永基二 08/7/19(土) 4:42
Re:哲学は必要/ポストモダンと新自由主義の親和性について 徳永基二 08/7/19(土) 12:51
Re:哲学は必要/ポストモダンと新自由主義の親和性について ねこかぶり 08/7/19(土) 23:11
68年について 徳永基二 08/7/20(日) 3:20
68年について ねこかぶり 08/7/21(月) 19:14
「ポストモダニズムなどは最初からどこにも存在しない」について YUKI 08/7/20(日) 7:36
Re:「ポストモダニズム」について 徳永基二 08/7/20(日) 14:02
再びデリダについて 徳永基二 08/7/20(日) 14:55
セクシュアルマイノリティの運動を概観してみる YUKI 08/7/21(月) 4:28
部族化する政治と個人のサブシステム化について 徳永基二 08/7/21(月) 11:59
経済的に弱者でりかつ粒子化した人にとっての社会運動について 徳永基二 08/7/21(月) 12:55
基礎所得-タイムダラーの挑戦 徳永基二 08/7/21(月) 15:36
またまた難しい話をする人ですね。 ねこかぶり 08/7/21(月) 18:10
補足説明 YUKI 08/7/21(月) 17:25
クイア理論とフェミニズム運動について 徳永基二 08/7/22(火) 1:34
ありがとうございます。(そんなに遠くない) YUKI 08/7/22(火) 4:14
「補足説明(YUKIさん)」への質問(本人から) ひびの まこと 08/7/22(火) 23:29
この人を知ってます? YUKI 08/7/22(火) 23:45
あんまり過剰に防衛反応したりする必要はないです ひびの まこと 08/7/28(月) 0:58
私は人との対等な話し合いを重視しています YUKI 08/7/28(月) 4:57
お気楽にやってます ねこかぶり 08/7/28(月) 17:51
自分も若干、補足です 徳永基二 08/7/22(火) 0:09

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