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日本のクリスマスは1983年より始まった。
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/9(水) 5:16 -
  
「若者殺しの時代」堀井憲一朗著
に次のような記述があります。
「日本のクリスマスは1983年から始まった。
朴達が子供の頃、1960年代はクリスマスは圧倒的に子供のものだった。
クリスマスプレゼントをもらって、クルスマスケーキを食べて、クリスマスソング
を歌って、それからお正月の準備を始める。大人は正月のことで手一杯で、クリスマスまでかまっていられなかった。
「一年の中で、大事なのはお正月よりクリスマスですよ」
突然そういわれたのは1982年の夏のことだ。僕らは大学四年生で、言ったのはサークルの後輩の女子だ。けら川内栄子20歳。のちの漫画家けらえいこだ。「いやクリスマスは子供のものだろう。大事なのは正月だ」と僕は言った。本当にそう信じていたからだ。
「でも女の子にはクリスマスです。」そういわれた。信じられなった。

その年のクリスマスは突き当ていた彼女の家で過ごした。ちなみに「クリスマスは大事だ」といったのとは別な女の子だ。
3000円のぶどう酒とクリスマス用ケーキを買って、彼女は鶏肉を買ってきてそれを煮込んだ。彼女がそうしたいといったからだ。
 西部新宿線の沿線にあった彼女の部屋にはファンシーケースと中古のTVと勉強机と冷蔵庫とちょっと広い台所とトイレがあって、バスルームはなかった。電話があって、これが世界と繋がっている最新鋭の機械だ。
 このころはまだなんだって手作りだった。西洋料理を手作りで作って彼女と食べたのだった。街にはフランス料理店というものがあって、そこでクリスマスをすごせば楽しいだろうなと想像が付いたが、大学生が行けるフランス料理店は西部新宿線沿線にはなかった。好くな手も僕の知ってる限りではなかった。アングルと言う雑誌で調べたが僕の行けそうな店はなかった。それ以外に食べもの屋を紹介している雑誌は文芸春秋の「東京いい店うまい店」しか知らず、そもそもその本を買う金さえなかった。

 ちなみに僕の誕生日は2月なので1970年代後半から1980年代半ばにかけて手編みの
マフラーとセーターをもらい続けた、ずっとだ。妹までもが誕生日に手編みのマフラーをくれた。2月生まれは手編みをあげやすいのだ。12月では編むのに短いし、3月だと春が近すぎる。2月生まれが一番いいみたいだ。冬になると山手線でも東西線でも西武新宿線でも、若い女の子が毛糸で何かを編んでいた。若い娘が電車の中で編み針を動かしてるのは、なんだか幸せそうな風景だった。でも1987年を最後に手編み物のプレゼントをもらわなくなった。電車の中で編み物をしている娘も見なくなった。あれは昭和と共に消えてしまった風景だったのだ。70年代はまだいろんなものが手付かずだった。「クリスマスを若者に売れば、もうかる」と大人たちが気づいたのは80年代入ってからだ。手編みのセーターを作らせている場合ではないと気づいた連中がいるのだ。

「クリスマスはシティホテルで過ごそう」と女性誌が言い始めたのが1983年である。
古い雑誌を引っ張り出して調べた。

クリスマスのデートの記事は1970年代から始まっていた。
1970年アンアン「2人だけのクリスマス」
1972年アンアン「クリスマスに二人で行きたい店」
1974年女性セブン「彼を獲得する今年最後のチャンス。クリスマスイブ愛の演出方法」
1977年ヤングレディ「ふたりのためのイブの絵本」
1977年ノンノ「クリスマスの贈り物、愛する人へ心を込めて」
1979年ヤングレディ「二人きりの車内にキャンドルをともして...恋を語らう」

男性誌も含めて1970年代のいろんな雑誌を知らべてみたが見付かったのはこの六つ
だけだった。1970年代の記事を読むと世の中に、まだ恋人たちのクリスマスの場所が
用意されていないことがわかる。まだそういう商売が出てきていないのだ。だから
若い人たちは自分で工夫してロマンチックな夜にするしかない。雑誌はその創意工夫を提案しているのだ。今読むと想像しにくい風景だ。

1981年ノンノで「ペンションで過ごすホワイトクリスマス」と言う記事が出た。いかにも80年代らしい。ノンと言う雑誌は内向的少女向けという一面がある。だからこの記事も女の子同士でペンションへ行っている。その方がロマンチックだからだろう。
メルヘンの世界だ。クリスマスプレゼントもとにかく手作りを薦めている。70年代的世界だ。そして世界を転換させたのが1983年のアンアンだ。
「クリスマス特集。今年こそ彼の心をつかまえる!」そのなかに「クリスマスの朝はルームサービスで」というページがある。シティホテルに泊まって、朝、ルームサービスで彼と朝食をとろう、という記事だ。なるほど。当時はおもいもつかなかった。
多分、僕が男子だから思いも付かなかったんだろうと思う。

そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動き出したのだった。「若者」といカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」と言う情報を流し、若い人の行動を誘導し始めた時期なのだ。」

引用なし
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備忘録:ナチ追随の保身主義牧師の有名な言葉(「良心的」なのは戦後反省してから) 戸田 08/7/7(月) 0:08
温故知新:松本哉さんによる現代社会の本質に迫る文章 YUKI 08/7/9(水) 1:05
日本のクリスマスは1983年より始まった。 徳永基二 08/7/9(水) 5:16
自己レス 80年代という時代について。 徳永基二 08/7/10(木) 1:31
サミットを皮肉ったイギリスのマスメディアは健全 YUKI 08/7/10(木) 0:01

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