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橋下への秀逸な分析を紹介:「金の全能性」への信仰が血肉化している男への「人気」 戸田 08/7/5(土) 11:50
これは徒手空拳ブログから:「生活」そのものが「消費」と「経済活動」だけに・・ 戸田 08/7/5(土) 12:05

橋下への秀逸な分析を紹介:「金の全能性」への信仰が血肉化している男への「人気」
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 戸田 E-MAILWEB  - 08/7/5(土) 11:50 -
  
 ある方からのメールで紹介された秀逸な分析を紹介します。
   ↓↓↓
橋下府政三ヶ月の総括:http://blog.tatsuru.com/2008/04/29_1124.php

・・・新聞記事だけから断片的に知れるのは、この人が着任以来「金の話しかしない」ということである。
 「政治というのは金の分配のことである」というのがこの人の信念らしい。
 その点では、「金で買えないものはない」とうそぶいた堀江貴文や「金儲けは悪いことですか?」と獅子吼した村上世彰と同系列の人物と見てよろしいであろう。

 「金の全能性」への信仰が血肉と化しているという点で「魂の兄弟たち」である。
 だから、メディアや府下の市町村が「金の分配の仕方」について批判したり、異議を唱えたりしている限り、「政治とは金の分配のことである」という橋下イデオロギーはますます強固なものになる。

 橋下府政三ヶ月は「政治的難問とは金がないことであり、金さえあれば世の中のほとんどすべては解決する」という強固な確信のうちにその反対者たちをも含めて巻き込んだ。
 その点では、序盤戦は橋下知事側の「大勝利」と評価してよろしいであろう。

 彼が府知事に選ばれたのも、「ぶっちゃけた話、『金がない』というのが大阪のかかえる唯一の本質的な問題なわけでしょ」というシンプルなストーリーに有権者たちが飛びついたからである。
 その点では「構造改革」や「郵政民営化」の小泉イズムと似ていないこともない(スケールははるかに小さいが)。

 今のところ、府政にかかわるすべての議論はあたかもそれが真の問題であるかのように「リソースの分配」をめぐって熱く展開している。
 けれども、これは「あたかもそれが真の政治問題である」かのように仮象しているだけで、真の政治問題ではない。

 真の政治問題とは「リソースを優先的に配分する使途を、明確なヴィジョンに基づいて明らかにし、承認を得ること」だからである。
 ビジネスの場合であれば、話は簡単である。
 「リソースを優先的に配分する使途」とは「採算がとれる部門」のことであり、分配がカットされるのは「採算不芳部門」だからである。

 ところが行政はビジネスではない。だから、「採算の上がる部門」というものは存在しない。
 久しくリソース分配の優先順位は、「次の選挙で票が集まりそうな事業」に予算をつけようと争う政治家たちの実力差によって決された。
 そして、このルールでやっているうちに底抜けの財政破綻に至ったわけであるから、このルールはもう使えない。

 理屈から言えば、府民全体の承認を得た「あるべき自治体像」から逆算して、予算を優先配分するところと、削減するところが決められる、というのがことの筋目であるが、橋下知事には残念ながら、そのような明確な自治体像がない。

 だから、このリソースの分配についての争いは、最終的には「すべての部門の配分を同じ比率で減らす」という「痛み分け」に帰着するはずである。
 つまり、すべての行政サービスを同じ比率で劣化させる、ということである。
 たしかにそれで財政赤字は多少とも目減りするだろう。

 けれども、「それによって利益を得る府民が一人もいない、痛みをともなった構造改革」は、不満顔の府民たちと、窓口でその府民に文句をつけられて「僕に言われても困りますよ。文句があったら、知事に言ってください」と仏頂面をする府職員たちを大量に生み出す結果になる。

 もちろん知事はその責任を取ることを拒否する。
 彼は「このような結果になったのは、府内外の『抵抗勢力』が私のやりたいことを妨害したせいである」と顔を赤くして言い訳するだろう。
「私こそが最大の被害者なんです」と。

 不満だけが残り、その責めを負うものがどこにもいないという「いつもの風景」がここでもまた繰り返されることになる。

 橋下知事が忘れているのは、集団のパフォーマンスというのは、「どうやって支出を減らすかというような」退嬰的な目的によっては決して高まることがないという平明なる人間的事実である。
 給料を減らされることでアチーブメントを高める人間は存在しない。

 集団のパフォーマンスを高めるのは「オーバーアチーブする人」の存在だけである。
 与えられた仕事の範囲を超えて責任を取り、創意工夫を行うことを喜びとするメンバーをどうやって府政内部に組織的に生み出すのか、それを自治体の首長であればまず考慮しなければならない。

 オーバーアチーブメントを支えるのは「士気」であり、これは数値的に表示されない。
 そして、「金の全能性」イデオロギーの信奉者の最大の弱点は、数値的に表示されないものを「ゼロ査定」してしまうということにある。
 知事はおそらく「人気」と「士気」を取り違えているのだろうと思う。

 「人気」は「この人は私たちのために何かをしてくれるだろう」という期待の関数である。
 「士気」というのは「この人のために私たちは何をしてあげられるだろう」という意欲の関数である。

 知事は今のところ人気は高いようだが、府職員の士気高揚のためにはほとんど何の努力もしていないように見える。

 いずれ彼が「私たちのためには何もしてくれない」ことが有権者たちに実感されたときに、橋下知事はいまの人気を維持することはむずかしいだろう。・・・・・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-94-91-113.s04.a027.ap.plala.or.jp>

これは徒手空拳ブログから:「生活」そのものが「消費」と「経済活動」だけに・・
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 戸田 E-MAILWEB  - 08/7/5(土) 12:05 -
  
 これもなかなか考えさせてくれる文章です。
  ↓↓↓
徒手空拳で書くブログ。/生身の人間の政治・経済 
          http://blog.kansai.com/iroiro/67

 内田さんのブログに橋下知事の政治手法についての振り返りが書かれていた。
 「橋下府政三ヶ月の総括」:http://blog.tatsuru.com/2008/04/29_1124.php

 内田さんは、橋下知事の信念を「政治というのは金の分配のことである」という風に捉えた上で、「橋下府政三ヶ月は「政治的難問とは金がないことであり、金さえあれば世の中のほとんどすべては解決する」という強固な確信のうちにその反対者たちをも含めて巻き込」み、「その点では、序盤戦は橋下知事側の「大勝利」」だと現状を分析する。

 しかし、これから先の橋下府政には「不満だけが残り、その責めを負うものがどこにもいないという「いつもの風景」がここでもまた繰り返されることになる」だろうと結論づける。
 なぜなら「集団のパフォーマンスというのは、「どうやって支出を減らすかというような」退嬰的な目的によっては決して高まることがないという平明なる人間的事実」を橋下弁護士が忘れているからである。

 橋下知事は、最近警察の人数を減らすということを宣言して、あいも変わらず騒ぎを起こしているわけだけれど、そうした行動に対しておれたちが肌で感じる違和感というものが、どこからくるものかを端的に言い当てているとても面白い指摘だと思う。
 何のビジョンもなくただ歳出を減らすためだけに歳出を減らすというのでは、根本的な解決になりえないということ。

 とはいえ、今日の本題はここから。別に橋下知事について書きたいわけではないので。

 おれがおもしろいなあと思ったのは、内田さんが橋下知事について書いた文章と、コン
ビニで買ったMeetsのコラムに江弘毅が書いていたことがすごく近かったことだ。

 以下は、内田さんが橋下知事に関して書いた文章。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 集団のパフォーマンスを高めるのは「オーバーアチーブする人」の存在だけである。
(・・・)
 オーバーアチーブメントを支えるのは「士気」であり、これは数値的に表示されない。
 そして、「金の全能性」イデオロギーの信奉者の最大の弱点は、数値的に表示されない
ものを「ゼロ査定」してしまうということにある。
   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 そして以下は、江弘毅がMeetsに、「ほっといてくれよ「まちづくり」。」と題して書
いた文章の一部である。少し長いが引用する。

(現代では消費のありようとそれに伴うお金の稼ぎ方がその人のありようを決定してしまうようなところがあるように、「まちづくり」においても「まちの活性化」や「都市ブランド確立」とは、つまり「どれだけ高い家賃を払ってくれる人がいて、そこでどれだけ高利益をもたらすか」ということでしかない、という話に続いて)

 そういうところでは「生活」そのものが「消費」と「経済活動」だけになってしまう。そこでは、人は消費と金儲けにどれだけ長けるかが自己実現や自己表現であり、その2つ
の能力によって人や社会関係を評価する。

 (・・・)街は数字をエクセルに入力したり電卓を叩く経済軸だけで出来るものでは
なく、むしろ誰かにビジネス的な目的で作られることを拒むように構造化されている
(中略)アメ村にしろ南船場、堀江にしろ、街というのはそれぞれ全く違ったOSで出来て
きたから「その街」なのであって、ビジネスモデルとかとは違う。

 こういう話は人や時間とともに街で過ごし、身体でわかっていただけないと、ちょっとつらい話でもある。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 2人が共通して言っているのは、人間の生活や社会活動を理解するときに、「客観的」
な「数値」や「データ」だけでは全く不十分であって、そのデータを形作っている生身の
人間のことを考えることが避けられないということだ。

 ここ最近まで、人間は自分の利益を最大化するためにのみ行動する動物だと経済学は言
ってきた。
 だから「ビジネス」とか「マネッジメント」を語る人たちはこういう視点を見落としたり、無視したりすることなのだけれど、政治や経済を理解するために用いられる「客観的」なデータは、生身の人間の考え方や活動の結果で、それらはロボットの生産性をまとめたデータとは全く違う「なま物」であることは、考えてれば当たり前のことだ。

 同じ給料で店員が働いていたとしても、いい雰囲気の職場ならよりよい働きをするし、その逆に、雰囲気の悪い職場では店員のやり気は下がる。
 それに、仮にある仕事の給料が別の仕事よりも高いとしても、その仕事に魅力がなければ、やりたい人は出てこないのじゃないだろうか。

 江弘毅の引用の最後、「身体でわかっていただけないと、ちょっとつらい話でもある。」という部分は、そういう彼らの姿勢が、現れている面白いところだと思う。
 話の分からない相手に絶望するのでもなく、切り捨てるのでもなく、「ちょっとつらい」とふぅとため息をつく感じ。なんともならない状況で、なんともならないなりになんとかせんとあかんなあ、という感じ。

 構造改革とか、経済活動とか、なんとか言ったって、そこにいる人が笑って楽しく過ごしてればそれが一番いいのだ、という当然の確信。

 もちろん、笑えていない人がいるからそういうことが必要なのではあるのだけれど、
生身の人間を置いてけぼりにしたどんな政治も経済も、空論でしかないということを偉い
人は忘れてはいけないのだ。
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引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-94-91-113.s04.a027.ap.plala.or.jp>

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