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備忘録:ナチ追随の保身主義牧師の有名な言葉(「良心的」なのは戦後反省してから) 戸田 08/7/7(月) 0:08
温故知新:松本哉さんによる現代社会の本質に迫る文章 YUKI 08/7/9(水) 1:05
日本のクリスマスは1983年より始まった。 徳永基二 08/7/9(水) 5:16
自己レス 80年代という時代について。 徳永基二 08/7/10(木) 1:31
サミットを皮肉ったイギリスのマスメディアは健全 YUKI 08/7/10(木) 0:01

備忘録:ナチ追随の保身主義牧師の有名な言葉(「良心的」なのは戦後反省してから)
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 戸田 E-MAILWEB  - 08/7/7(月) 0:08 -
  
 ナチスが共産主義者を弾圧した時 私は不安に駆られたが
 自分は共産主義者でなかったので 何の行動も起こさなかった
 その次 ナチスは社会主義者を弾圧した 私はさらに不安を感じたが
 自分は社会主義者ではないので 何の抗議もしなかった
 
 それからナチスは学生 新聞人 ユダヤ人と 順次弾圧の輪を広げていき
 そのたびに私の不安は増大した が それでも私は行動に出なかった

 ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた そして私は牧師だった
 だから行動に立ち上がった が その時はすべてが あまりにも遅かった
                    マルチン=ニーメラー
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
戸田のコメント:

 「最初は共産主義者が・・・、でも私は何もしなかった。」と戦後反省した「良心的牧師」は、反省したから「良心的」となったのであって、戦前(ヒトラー支配下時代)の行動は、「口先できれい事を語るだけの権力追随の保身主義者」で、多数の被抑圧者を見殺
しにしてきた罪を持つ事を忘れてはならない。
 
 私が思うに、日々民主主義の破壊・不当な人権侵害・憲法空洞化・戦争体制への進行が
進められている、この「準戦時下の日本」で、護憲・人権・反戦を口にしている全ての「市民派」・「リベラル派」・「革新陣営」等々の人々は、この「ヒトラー追随の牧師」に転落するかどうかが、日々問われている。

 「自分は逮捕されっこない。逮捕されるような活動はしない」という事を前提にしてしか、この問題を考えられない人々は、既に「ヒトラー追随の牧師」に転落しかけている、と自戒すべきであろう。
 「戦後」に反省しても遅い。「反省しない人よりはマシ」というに過ぎない。
 例のドイツの牧師と同じように・・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ※原発言を読み直したら、それでもこの牧師は(自分の?自分達宗派の?)教会が弾圧
  された時には「行動に立ち上がった」らしい。あのヒトラー・ゲシュタポ支配下で。
   自分らの同業者が権力弾圧されても「行動」はおろか口先での反対すら言わない、
  日本の「市民派」や「ジャーナリスト」の一部の連中よりはマシな人である。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98)@i58-94-91-113.s04.a027.ap.plala.or.jp>

温故知新:松本哉さんによる現代社会の本質に迫る文章
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 YUKI WEB  - 08/7/9(水) 1:05 -
  
「左翼」と呼ばれる人たちは「難しい理論」から入るので話が堅苦しくなる場合が多いです。
これはこれで良い面はあるものの、真面目なだけでは人はついてこないのも今の雰囲気です。
一方、松本哉さんは、ふざけた中に、しっかり本質を突いている所があると思います。
私ももちろん「何でもかんでも松本さん流」がいいとは言わないが、疲れた人が多い現代、こういうユーモアも必要です。

------------
http://www.jimmin.com/doc/0029.htm

クリスマスは街ぐるみで金を巻き上げるボッタクリイベントだ

最近も、街では相変わらず、監視カメラをつけまくったり、ホームレスのオッサンを追い払ったり、大道芸を禁止したり、ロクな事になってない。街の中は、とにかく金を使わなきゃならない反貧乏人システムができつつあり、貧乏人&役立たず&大バカ者どもがのさばる楽しい世界からは、更に遠ざかってきている!実にこざかしい!

クリスマスというボッタクリイベントなどは、その最たるもので、街ぐるみで金を巻き上げる状況を作ってやがる。奴らは、貧乏人の見たこともないようなイルミネーションやツリーで人をおびき寄せておいて、金を使わせたりする。浦安あたりのネズミ屋敷では盛大なネズミパレードをやってクソ田舎に人を集め、詐欺レストランやボッタクリホテルに泊めたりして、ひと儲けしている。どいつもこいつも、マフィアみたいな連中ばかりだ!

そこで!街頭を我々の手に奪い返すために、クリスマスイブの一二月二四日の夜、敵の新たな拠点「六本木ヒルズ」を襲い、叩き潰すことにした!悪い芽は早めに摘んでおかねば、後々ろくな事にならない!

とりあえず「クリスマス粉砕!六本木ヒルズを火の海に!」というビラを都内に数千枚撒き散らし、来るべき大暴動に備えた!
貧乏人を追い払う雰囲気ただよう六本木ヒルズ、クソ食らえ!

当日九時ごろ、まず、発電機・鍋・スピーカー・横断幕などを持った準備部隊が六本木ヒルズに到着した!しかしその瞬間!六本木ヒルズの職員が警察に通報し、警官どもがワラワラ集まってくるではないか!もちろん、そんな合法マフィアの手下どもをいちいち相手にしててもしょうがないので、六本木ヒルズの最中心部に移動した!うーん、ここはすごい!巨大ツリーから謎のオブジェ・装飾にいたるまで、貧乏人を追い払おうという空気が漂っている…。ほかの通行人同様、金持ちのふりをして徘徊するよりない雰囲気だ。これはやはり鍋をやって、演歌でも大音量でかけまくって、一気に叩き潰さねばならん

と、その時!バカづらの機動隊の一個小隊が、駆け足でこっちに向かって来るではないか!さらに、気付いたら、辺りに公安警察が数十人もウロウロしてやがる。浅草の馬券売場かと思った!!そして機動隊の別の部隊も続々到着してきた。

なんだなんだ?こっちは発電機や鍋を持って(確かに怪しいが)立ってるだけだぞ!公安もちょっかい出してきて、不当な言いがかりをつけてきた。「鍋置くな!鍋置くな!」「お前らぁ、そこで宴会やったらどうなるか分かってんだろうなぁ!」(バカか)。

ようやく買出し部隊が到着したので、とりあえず缶ビールなどで「六本木ヒルズクソ食らえ!」と乾杯した。しかし、なんだこの光景は!酒を飲む貧乏人集団を数百人の警官隊で包囲するとはお前ら、クリスマスイブに何してんだ!! 子供が泣いてるぞ!

すると、その直後!ここぞとばかりに六本木ヒルズ職員が「迷惑なので、直ちに退去してください」とぬかしてきた。やり取りは次の通り!

貧「何がいけないんだよ」

職「通行の障害になってます」

貧「じゃあどけばいいんでしょ」

職「六本木ヒルズは禁酒(いつ決まった!)なので迷惑行為です」

貧「じゃあもう酒飲まないよ」

職「いや、クリスマス粉砕という目的がいけない。それに一度始めてしまったん
だから今更やめても遅い」

貧「なに?そんなの理屈通ってないぞ!」

(ここで公安刑事が、職員の背後から「おい、もういいよ!後は警察に任しと
け」と言う)

職「ハイ!もう通告しましたからね」(と、職員は立ち去ってしまった!)

こうなったら六本木ヒルズに雇われた国営ヤクザ(警察)のやりたい放題だ!数
百人の大部隊が強制排除に乗り出し、大騒ぎになった

失業率五%・自殺者三万人なのにサンタもトナカイもあるか!

しかし諸君!よく考えても見てくれ!ここは三里塚でも国会前でもないぞ。六本木ヒルズ(しかもイブ)じゃねえか!まんまと六本木ヒルズが、人相の悪い機動隊や公安のハゲ頭で埋め尽くされてしまった!おお、これは予想外の展開だが面白いぞ!

カップルがイルミネーションをバックに、どう写真を撮ろうとしても、貧乏人と機動隊との揉み合いや公安のハゲ頭が、否が応でも写ってしまうのだ!板橋あたりから無理して出てきた親子連れも、福島あたりから冥土の土産に来た老夫婦も、期待を裏切られ、大ショックは免れない!

おまけに、普通に遊びに来た無関係の一般市民も、みすぼらしい格好で歩いている奴は、警官に「お前も貧乏人だろ!さっさとウセロ!」と怒鳴られてつまみ出されていた!彼の精神的ショックは計り知れないものがある…。

貧乏人階級の諸君!まんまと騙されて、ツリーだのサンタだの言ってる場合じゃないぞ!現実は貧乏人vsボッタクリ集団の大乱闘なのだ!失業率五%&自殺者三万人で、サンタもトナカイもねえ!金持ち中心社会を叩きのめしてやれ!

ちなみにその後は、通行人もかなり集まってきて、何だ何だと大騒ぎになってきた!また、マヌケな貧乏人が「いまドラマの撮影で、警官は全部エキストラらしい」という、いかしたデマを流したので、みんな信じてしまい、警察が「解散してください!」と言っても、セリフだと思って誰も言うことを聞かなくなった。
気の毒に!!

かくして、六本木ヒルズのボッタクリ・エセクリスマス文化は、完全に粉砕された!ざまあみろ!! 六本木ヒルズが、このまま廃墟となることを心から願いたい。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.15) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

日本のクリスマスは1983年より始まった。
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/9(水) 5:16 -
  
「若者殺しの時代」堀井憲一朗著
に次のような記述があります。
「日本のクリスマスは1983年から始まった。
朴達が子供の頃、1960年代はクリスマスは圧倒的に子供のものだった。
クリスマスプレゼントをもらって、クルスマスケーキを食べて、クリスマスソング
を歌って、それからお正月の準備を始める。大人は正月のことで手一杯で、クリスマスまでかまっていられなかった。
「一年の中で、大事なのはお正月よりクリスマスですよ」
突然そういわれたのは1982年の夏のことだ。僕らは大学四年生で、言ったのはサークルの後輩の女子だ。けら川内栄子20歳。のちの漫画家けらえいこだ。「いやクリスマスは子供のものだろう。大事なのは正月だ」と僕は言った。本当にそう信じていたからだ。
「でも女の子にはクリスマスです。」そういわれた。信じられなった。

その年のクリスマスは突き当ていた彼女の家で過ごした。ちなみに「クリスマスは大事だ」といったのとは別な女の子だ。
3000円のぶどう酒とクリスマス用ケーキを買って、彼女は鶏肉を買ってきてそれを煮込んだ。彼女がそうしたいといったからだ。
 西部新宿線の沿線にあった彼女の部屋にはファンシーケースと中古のTVと勉強机と冷蔵庫とちょっと広い台所とトイレがあって、バスルームはなかった。電話があって、これが世界と繋がっている最新鋭の機械だ。
 このころはまだなんだって手作りだった。西洋料理を手作りで作って彼女と食べたのだった。街にはフランス料理店というものがあって、そこでクリスマスをすごせば楽しいだろうなと想像が付いたが、大学生が行けるフランス料理店は西部新宿線沿線にはなかった。好くな手も僕の知ってる限りではなかった。アングルと言う雑誌で調べたが僕の行けそうな店はなかった。それ以外に食べもの屋を紹介している雑誌は文芸春秋の「東京いい店うまい店」しか知らず、そもそもその本を買う金さえなかった。

 ちなみに僕の誕生日は2月なので1970年代後半から1980年代半ばにかけて手編みの
マフラーとセーターをもらい続けた、ずっとだ。妹までもが誕生日に手編みのマフラーをくれた。2月生まれは手編みをあげやすいのだ。12月では編むのに短いし、3月だと春が近すぎる。2月生まれが一番いいみたいだ。冬になると山手線でも東西線でも西武新宿線でも、若い女の子が毛糸で何かを編んでいた。若い娘が電車の中で編み針を動かしてるのは、なんだか幸せそうな風景だった。でも1987年を最後に手編み物のプレゼントをもらわなくなった。電車の中で編み物をしている娘も見なくなった。あれは昭和と共に消えてしまった風景だったのだ。70年代はまだいろんなものが手付かずだった。「クリスマスを若者に売れば、もうかる」と大人たちが気づいたのは80年代入ってからだ。手編みのセーターを作らせている場合ではないと気づいた連中がいるのだ。

「クリスマスはシティホテルで過ごそう」と女性誌が言い始めたのが1983年である。
古い雑誌を引っ張り出して調べた。

クリスマスのデートの記事は1970年代から始まっていた。
1970年アンアン「2人だけのクリスマス」
1972年アンアン「クリスマスに二人で行きたい店」
1974年女性セブン「彼を獲得する今年最後のチャンス。クリスマスイブ愛の演出方法」
1977年ヤングレディ「ふたりのためのイブの絵本」
1977年ノンノ「クリスマスの贈り物、愛する人へ心を込めて」
1979年ヤングレディ「二人きりの車内にキャンドルをともして...恋を語らう」

男性誌も含めて1970年代のいろんな雑誌を知らべてみたが見付かったのはこの六つ
だけだった。1970年代の記事を読むと世の中に、まだ恋人たちのクリスマスの場所が
用意されていないことがわかる。まだそういう商売が出てきていないのだ。だから
若い人たちは自分で工夫してロマンチックな夜にするしかない。雑誌はその創意工夫を提案しているのだ。今読むと想像しにくい風景だ。

1981年ノンノで「ペンションで過ごすホワイトクリスマス」と言う記事が出た。いかにも80年代らしい。ノンと言う雑誌は内向的少女向けという一面がある。だからこの記事も女の子同士でペンションへ行っている。その方がロマンチックだからだろう。
メルヘンの世界だ。クリスマスプレゼントもとにかく手作りを薦めている。70年代的世界だ。そして世界を転換させたのが1983年のアンアンだ。
「クリスマス特集。今年こそ彼の心をつかまえる!」そのなかに「クリスマスの朝はルームサービスで」というページがある。シティホテルに泊まって、朝、ルームサービスで彼と朝食をとろう、という記事だ。なるほど。当時はおもいもつかなかった。
多分、僕が男子だから思いも付かなかったんだろうと思う。

そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動き出したのだった。「若者」といカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」と言う情報を流し、若い人の行動を誘導し始めた時期なのだ。」
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

サミットを皮肉ったイギリスのマスメディアは健全
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 YUKI WEB  - 08/7/10(木) 0:01 -
  
日本では市民運動家でさえ、サミットについての議論を避ける人がいます。
それを思えば、サミットの豪華ディナーを皮肉ったイギリスのマスメディアは健全だと思います。

時事通信より
--------
http://www.jiji.com/jc/p_archives?id=20080708220144-6376543&rel=m&g=pho
サミットは「偽善的」−英各紙

華ディナーを囲んで食料危機問題を討議−。8日付英各紙は、7日に始まった北
海道洞爺湖サミットを、こう皮肉った。各紙とも高級食材をふんだんに使った昼
食・夕食会のメニューを大きく掲載している 【時事通信社】
引用なし
<Mozilla/5.0 (Macintosh; U; PPC Mac OS X Mach-O; ja-JP-mac; rv:1.8.1.15) Gecko/...@118x240x206x101.ap118.gyao.ne.jp>

自己レス 80年代という時代について。
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/10(木) 1:31 -
  
私なんかは80年代の恋愛資本主義を忌々しく思い、
『神田川』みたいな世界に郷愁を感じるような人間ですけど。

公平を期すために敢えて指摘しますが、荷宮和子が林真理子に依託しながら
書いているように、80年代を権利の拡張、開放と捉えた女たちが居たのも
また事実だと言っておきます。

80年代は確かに男女雇用機会均等法ができ、職業を通じての男からの
自立と独自の消費文化に目覚めた女たちが居た。で、私はそのこと自体を
単なるバブルのあだ花だと蔑む気はさらさらない。そりゃあ、電車の
中で男のためにセーターを二ヶ月もかけて編んでいる女より昼はビジネス
スーツでオフィスを闊歩し夜はボディコンで踊ってる女のほうが生き生き
している。

マルキストはこういうブルジョワ文化を嫌うのだろうが、私はそこに
少しでも個人の人権にとってプラスになる要素があるなら重視したい。
それに経済的処方箋をもたないマルキストがどんなにアウトサイダーの
視点を言おうが所詮、資本による消費の差異化戦術の間で舞ってるだけだ。

私が思うには、現代の視点から改めて見た時、結局、林真理子VSアグネス
は不毛な論争だったと思う(アグネスはこれで味を占めて子供を引き合
いに出せば個人の表現の自由をそれがたとえ二次元おたの子供とはまっ
たく関係のない妄想だろうが侵害できうると主張するようになったし、
林真理子はすっかり右の人になってしまった。)

資本主義がもつ解放的な契機はそれとして評価しつつそれでもなお、資本主義
に対してアンチテーゼを出すこと、林真理子的な生き方はそれはそれとして
肯定しつつ、それと子連れ論争と共存さすこと。現代から見るとそれができ
なかったのかと思えてならない。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

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