「自由・論争」 掲示板

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Re:世間一般並びに左翼系団体内へゲセル主義のプロバカンダ(金融不安について) ねこかぶり 08/6/30(月) 23:15
Re:世間一般並びに左翼系団体内へゲセル主義のプロバカンダ(金融不安について) 徳永基二 08/7/2(水) 6:56
良くわからないのは新資本主義理論 ねこかぶり 08/7/2(水) 23:15
Re:イングランド銀行 杉本 一平 08/7/5(土) 23:51
貧困と投資信託について(サプライムローンから考える) 徳永基二 08/7/6(日) 22:04
貧困が受け継がれるのは防がねばならない ねこかぶり 08/7/7(月) 0:48
Re:重商主義――イギリス商業革命そして、英仏百年戦争 杉本 一平 08/7/8(火) 5:05
時代背景について 徳永基二 08/7/8(火) 8:58
Reグレシャムの法則 杉本 一平 08/7/14(月) 4:03
Re:マルクスとゲセル 徳永基二 08/7/14(月) 8:56
朝は若干、つっけんどな書き方をしてしまって申し訳ありません。 徳永基二 08/7/14(月) 23:44
Re:気にしないで下さい 杉本 一平 08/7/15(火) 10:31
Re:問題は単に翻訳上の問題に過ぎないと思いますよ 徳永基二 08/7/16(水) 0:28
Re:問題は世界貨幣 杉本 一平 08/7/16(水) 6:43
Re:問題は世界貨幣 徳永基二 08/7/16(水) 23:26
いわゆる帝国主義戦争について 徳永基二 08/7/17(木) 0:06
Re:みすぼらしいマルキスト――本当に? 杉本 一平 08/7/17(木) 3:02
マルクスの遺稿の整理状況を第三者が知れという傲慢 徳永基二 08/7/17(木) 8:44
マルクスの残した遺産 ねこかぶり 08/7/18(金) 0:43
ついでながら、ゲセルとケィンズについて 徳永基二 08/7/18(金) 20:55
労働全収益について 徳永基二 08/7/18(金) 21:44
ケインスについて ねこかぶり 08/7/19(土) 23:38
スタグフレーションとインフレについて 徳永基二 08/7/20(日) 0:39
Re:投機マネー 杉本 一平 08/7/20(日) 5:28
Reためにする批判と経済学 杉本 一平 08/7/20(日) 7:14
Re:Reためにする批判と経済学 徳永基二 08/7/20(日) 17:02
世界貨幣は幻想 ねこかぶり 08/7/18(金) 1:00
Re:世界貨幣と銀行券の違い 杉本 一平 08/7/18(金) 6:06
国際通貨同盟(バンコール案)について 徳永基二 08/7/18(金) 20:09

Re:世間一般並びに左翼系団体内へゲセル主義のプロバカンダ(金融不安について)
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 ねこかぶり  - 08/6/30(月) 23:15 -
  
>サブプライムローンによる証券会社・銀行の破綻を救済するためのドルの
>過剰発行によるインフレ、それに追随してドルを救済するためにユーロ、
>や円(「多くの国が、ドルの供給増に合わせて、自国通貨の供給を増やし、
>自国通貨を意識的にドルに連動して弱体化させている。」
>http://tanakanews.com/080609bank.htm)の過剰発行をしているのです。

私はアメリカ国債の過剰発行が現在の状態を招いていると思いますが‥
日本の国債は日本人がほとんど買ってますが、アメリカ国債は
各国の銀行や政府系金融機関が買っている。それがドルの信用不安で
暴落すると自国通貨も危なくなる

>「新自由主義」によって、まさに、「富が世界に貧困をもたらす」のです。

富の偏在が貧困をもたらすのでは?
政府が適切にアクセルとブレーキをコントロールすればいいだけです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

Re:世間一般並びに左翼系団体内へゲセル主義のプロバカンダ(金融不安について)
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/2(水) 6:56 -
  
杉本氏の書いた元の記事を読みましたので分かりやすく説明しましょう。

2003年1月〜04年3月にかけて15ヶ月間総額35兆2564億円に上る
大規模介入を日本国政府は行っています。これは全て円高ドル安を防ぎ
ドルの通貨価値を守るためでした。円高になると輸出品の価格が上がり
輸出産業が打撃受けますし、また、輸入物価が急落して一層のデフレ経済
を国内に招きますので。

ところでこのための資金をどこから政府は調達したのでしょうか?
それは政府短期証券(FB)という13週間で償還される国債を市中銀行
で売ってです。お上の借金を嫌がる市中銀行はありません。ただ、FB
には発行限度枠というのが本来あるのですが、この時の政府は03年度の
予算限度枠を超えてしまう。といっても補正予算は審議が間に合いそう
もないというので買った米国債を日銀に後日、買い戻すと約束して売買
するという禁じ手まで用いたわけです。

一方、投機筋は手に入れた円をどう使ったのでしょう?この
時は当面、ドル安が続くことは誰の目にも明らか。寝かしておいて
後日、ドルを買い戻すだけでも儲かるのですけど、日本で運用して
からドルを買い戻せば更に儲かる筈です。唯、日本での債券市場は
超低金利で旨みが少なく、かといって株は全面安でした。そこに降ってわいた
のがりそな救済の為、一時国有化するという発表。外国人投資家は
こぞって日本株に流れ込みました。つまり政府は外国人投資家に資金を
提供して日本株を買わせたともいえます。

他方、日本国政府は為替介入で手に入れた大量のドルを全て米国財務省証券
に買い換えました。一見この投資はただ資金を眠らせておくより合理的な
投資に見えますけど、実際は円をせっせと使って折角ドルを買ったのに、
もう一度、そのドルを投機家筋に戻してることになります。この時、政府が
買った米国債は約3200億ドル。アフガニスタンとイラクで使われた米軍の
戦費3500億ドルの9割を越えていることになります。つまり我々「日本人」が
貯蓄するだけで米国の戦争に協力していることになるわけです。

ここでもう一度、金の流れを見てみると円もドルも全て現金は投機家筋に渡り
日本国政府には日米両国が発行した借金証文だけが残ることがわかります。


ここで話を遥か昔に遡ってイングランド銀行がどのように中央銀行になったのか
その大元から考えて見ます。元々は英国政府が戦争執行のためにイングランド
銀行から多額の借金をしたところから始まります。その後、英国政府はその融資で
戦費を賄ったので後には多額の借金のみが残りました。英国政府を経由して
イングランド銀行券を受け取った市中銀行もそれを準備資産に組み込んで信用
創造を行いましたので、負債は社会全体に拡散したことになります。

それでも最初は金という担保価値物件に基づいて通貨は発行されていたのですけど
貿易赤字になると金が流出するため、国内投資資金まで枯渇するようになり、
最後にはヨーロッパ大戦にまで発展して行った。こうしてヨーロッパの国は次々
金本位制から脱落していったのですが、第二次大戦後、唯一の債権国アメリカの
金本位制1オンス=35ドルのドルに連動することでかろうじて間接ながら金本位制が
続いていました。だけど、ニクソンショックによってそのアメリカの金本位制も
瓦解。以後、米ドルは米国債のみを根拠にして発行していることとなり、借金は
同じ社会の中で流通している資金で支払うことしかできない以上、マネーの中枢は
このシステムが崩れないために世界中の国に自由化と規制緩和を押し付けて世界中の実体的富を簒奪しつづけているわけであります。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

良くわからないのは新資本主義理論
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 ねこかぶり  - 08/7/2(水) 23:15 -
  
まぁ、ケインズの世界までは微分積分ですみましたが、最近の経済理論はカオス理論まで
言及されているとか‥経済とはどうあるべきかを考えるに付きカオス理論との結びつきに
疑問を持つのですよね。収束すべき経済がなぜまた分散しなきゃいけないのかと
金を儲けるための経済理論としか思えないのですよね。ピークのとき売って底の時
買うという実体経済を無視した投資家だけの理論に覚えるのですよね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

Re:イングランド銀行
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/5(土) 23:51 -
  
>ここで話を遥か昔に遡ってイングランド銀行がどのように中央銀行になったのか
>その大元から考えて見ます。元々は英国政府が戦争執行のためにイングランド
>銀行から多額の借金をしたところから始まります。その後、英国政府はその融資で
>戦費を賄ったので後には多額の借金のみが残りました。英国政府を経由して
>イングランド銀行券を受け取った市中銀行もそれを準備資産に組み込んで信用
>創造を行いましたので、負債は社会全体に拡散したことになります。

ネットから次の事を調べました。

http://www.tabiken.com/history/doc/B/B181R100.HTM
>●イングランド銀行 イングランドぎんこう
ヨーロッパ 英国 AD1694 後期スチュアート朝
 1694年設立されたイギリスの中央銀行。その存在意義は,その設立が他国にさきがけて早かったことと,19世紀半ば銀行特許条例によって確立した同銀行の制度が,各国の中央銀行制度の模範となったこととの2点にある。

>【名誉革命とイングランド銀行の設立】
1694年スコットランド人のウィリアム=パターソンの建議により,国連長官チャーチズ=モンターギュが設立した。そのころまで金融業は「金匠」とか「金貸し」,「質屋」によって営まれていたが,とくに名誉革命後のイギリスは対フランス戦争遂行のため政府としても多額の戦費が必要で,安定した金融機関が待望されていた。名誉革命はいろいろな意味でイギリス近代の始まりとされているが,政府財政の点でも「財政革命」の名の通り,国王に私的に金を貸すといった性格の公債ではなく,責任ある議会に融資する公債という考え方が人々のあいたに生じた。それが背景となって同行が設立されたわけである。
もっとも今日の研究者がいうように,当初イングランド銀行は,「どうみても銀行ではなく,むしろ投資信託にはるかに似ており,約1,200人から集められた総計120万ポンドの基金はすべて政府へ貸出され,見返りとして年10万ポンドの収入が保証されるというもの」であった。つまりそれは民間の金融機関というよりも政府のための金融機関としての性格が濃厚であった。投資した人びとも1,000ポンド以上の大口投資者が多く,ロンドン大商人・金融業者・官職保有者が主であった。民間への貸し付けも東インド会社や南海会社などへのものが多かった。
政府への貸付金が結局は重商主義的植民帝国を建設するための対フランス戦費に充当され,しかもおもな投資先が貿易会社であったことは,当時のイングランド銀行がイギリス商業革命を支えていたことを示している。
(商業革命――15世紀末における「地理上の発見」−1492年のコロンブスによる新大陸の発見と,1498年のヴァスコ=ダ=ガマによる新航路の発見−によってもたらされたヨーロッパの国際的商業体系における一大変革をいう。)

>【1844年のピール銀行条例】イングランド銀行は18世紀後半以後,地方銀行などと組織的な結合を強化していったが,産業革命以降にはイギリス全体の信用組織の中核としての地位を明確にしていった。1826年と1833年の条例によって地方支店の設置とイングランド銀行券の法貨化が認められ,さらに1844年には首相ピールによって制定された銀行特許条例によって,中央銀行としてのその地位をいよいよ強固なものとした。銀行部のほかに発行部が置かれ,紙幣の発行もおもな業務とされた。このため,紙幣の発行はいきおいここに集中し,独占的な中央発券銀行としての性格も強まった。この後半世紀ほどのあいだにイングランド銀行は徐々に,一般の銀行業務と利潤動機とを放棄し,国家の銀行としての義務を身につけていった。こうして各国中央銀行の範としてまことにふさわしいものとなった。19世紀末からは,金貨流通本位制の確立によって,中央銀行としての役割はいよいよ増大するとともに,ロンドン金融市場の国際化に伴って対外準備防衛にも強い関心をはらう世界の銀行となった。


次のような英国銀行についての記述もある

http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507290000/
>以上のことから見えてくるのは、この時代に英国は乗っ取られたということになる。英国に“寄生”した主体は「国際金融家」であろう。莫大な戦費を必要としていた英国に、イングランド銀行は国家の債券を担保に「銀行券」を発行していた。そして紙幣が発行されたのである。すなわち「金本位制」が本格的に確立されたということ。これは“大事件”である。商業銀行が金貨を預かり紙幣を渡すシステムになったことで何が起こるか。以上のことから見えてくるのは、この時代に英国は乗っ取られたということになる。英国に“寄生”した主体は「国際金融家」であろう。莫大な戦費を必要としていた英国に、イングランド銀行は国家の債券を担保に「銀行券」を発行していた。そして紙幣が発行されたのである。すなわち「金本位制」が本格的に確立されたということ。これは“大事件”である。商業銀行が金貨を預かり紙幣を渡すシステムになったことで何が起こるか。


これは余りに主観的な予断に満ちた記述であって、中央銀行と市中銀行あるいは地方銀行という銀行制度は、ピール条例(1844年)を待たねばならなかったのです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@tetkyo167149.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp>

貧困と投資信託について(サプライムローンから考える)
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/6(日) 22:04 -
  
>もっとも今日の研究者がいうように,当初イングランド銀行は,「どうみても銀行ではなく,むしろ投資信託にはるかに似ており,約1,200人から集められた総計120万ポンドの基金はすべて政府へ貸出され,見返りとして年10万ポンドの収入が保証されるというもの」であった。つまりそれは民間の金融機関というよりも政府のための金融機関としての性格が濃厚であった。投資した人びとも1,000ポンド以上の大口投資者が多く,ロンドン大商人・金融業者・官職保有者が主であった。民間への貸し付けも東インド会社や南海会社などへのものが多かった。


ロイド保険もこういう起源です。債権の法人化がなんと1992年まで行われていず
無限責任を持つ個人が支払い責任を持っていたため、世界各国で起こる災害の前に
支払えない債権者が続出すると言った事態になりました。

>この時代に英国は乗っ取られたということになる。英国に“寄生”した主体は「国際
>金融家」であろう。

階級史観的にいうとこういう価値観になるのですが、現在の投資信託体制は貸す側、
借りる側両方にとって問題ある制度です。

まず、借りる側の立場から考えて見ます。(例としてサプライムローン問題について
考える。)

まず、なぜ貧乏人は金を借りるのかと言うと、資本主義の社会では金がなくては
生きてゆけないからです。生まれた時より金を持って生まれてくる人はいません。

資本主義前の社会では様々な労働手段を親の代から受け継いでいる人が多かった
のですけど、今の社会では金がなければその日生きてゆくのも困難になります。

それに人は家畜と違ってただ生きるのが目的じゃないので、家庭や社会を築き
その中で評価され豊かな人間関係を築くために生きてるのです。そのために
日々精進し向上しようと努力するのです。もし、アメリカに中流家庭の夢を
見てメキシコ辺りから移民してきた現に貧困に喘いでいる人のところにセール
スマンが来て「あなたがたの移民してきたアメリカという国は不可能を可能に
する場所なんです。住宅価格は上がり続けますから」などと言い寄って、見た
ことないような多額の金を提示して夢にまで見た住宅購入を勧めたらどうだろう?
誰でも乗ってしまうのではないか。

そういう人に働いて返せばよいだろうなどというのは他人事過ぎる言い方だ。
そもそも労働条件もよく賃金も高く、保障も行き届いた仕事に就けるのは一部の
コネがある人、そういう恵まれた社会階層にある人だけだ。普通の人は大学を
出ていてすら碌な仕事にありつけない。まして貧乏人にとってまともな教育を
受けることですら既に金銭的に困難なのだ。

そういう人の所に労働条件の粗悪な企業が言い寄ってくる。例えば民間軍事産業
みたいなところだ。そういうところでは現代の強制連行がまかり通っている。

サプライムローンなどは例外中の例外などと考えてはならない。そもそも投資
という制度そのものが我々の未来の労働を繰り込むことでしか成立しない。
金を貸す側は必ず金利を要求するが、借りる側は金がないから借りているの
であり、借りた以上、現在彼が必要としている事柄に使うだろうから、金庫に
は残らなくなる。その状態で借りた分+金利を余計に払うなど恐ろしく困難だ。

土地が値上がるだろうとか、経済成長が起こってとかばかなことを期待すべき
でない。値上がるものはいずれ下がるし、経済成長は何かを搾取することなくして
起きない。(日本の高度経済成長は環境破壊やベトナム戦争、第三世界の貧困など
の上に成立していた。現代の東アジアの経済成長も基本的には同じだ。)

で、ここからは貸す側の話をする。
1995年から2005年まで10年間に世界の金融資産総額は6095兆円から1京3800兆円に
増えている。だがこの間の世界総生産は3000兆から4000兆円にすぎない。
資産の裏返しは負債である。つまり1京3800兆円もの負債がどこかの誰かの元に
積み上げれたことになる。秒速約2440万円の速さだ。これらの負債はいずれ実物
経済の中から吸い出すしかない。しかしどうやって?

スーザンジョージは債務ブーメランの中で
地球環境破壊
麻薬
納税者の負担増
失業と市場縮小
移民の圧力
地域紛争と戦争の激発

すべてこれ増え続ける債務のせいだといっている。
こんな話は国際金融資本と一部の金持ちが悩めばいいのであって、我々とは
関係のない話だと思うかもしれない。だがこれらの原資が一般庶民から広く
薄く集まられた銀行預金、保険、郵便貯金、年金であるとすればどうだろう?
つまり、我々がこつこつと稼いで蓄えていると思っている資産が実際は紙くず
同然の負債にすぎないとすればどうだろう?

ところが金融音痴のこの国の左翼(なんと共産党)は低金利のせいで老人の
年金が減り続けているなどとほざいている。

資産に関しては次の格言の方がよっぽど共産党より真理をついている。
「あなたがたに求める者には与えてやり、奪う者から取り戻すな。
罪びととて同じだけのものを返してもらおうとして貸す。だからあなたは
何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなた
がたはいと高きものになるだろう。」

日本流の言い方だと「金は天下の廻りもの」という。

すなわち、ハイリスクハイリターンとやらのために貸すのでなく、何も
当てにせずに寄贈せよ。さすれば金は天下を廻って最終的にはあなたの
収入も増えてくるという格言だ。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

貧困が受け継がれるのは防がねばならない
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 ねこかぶり  - 08/7/7(月) 0:48 -
  
▼徳永基二さん:
>そういう人に働いて返せばよいだろうなどというのは他人事過ぎる言い方だ。
>そもそも労働条件もよく賃金も高く、保障も行き届いた仕事に就けるのは一部の
>コネがある人、そういう恵まれた社会階層にある人だけだ。普通の人は大学を
>出ていてすら碌な仕事にありつけない。まして貧乏人にとってまともな教育を
>受けることですら既に金銭的に困難なのだ。

私が思うに貧困が相続されるのが問題だと
だから公教育の無償化を進めるべきだと思う。
少なくともチャンスは平等化すべきだとね。その後のことは平等化すべきとは
おもわないがね。

>そういう人の所に労働条件の粗悪な企業が言い寄ってくる。例えば民間軍事産業
>みたいなところだ。そういうところでは現代の強制連行がまかり通っている。

ま、日本でもここ10年で日雇い派遣とか当たり前になりましたけどね。
その前の耐性に戻すべきだと私は思いますがね。

>サプライムローンなどは例外中の例外などと考えてはならない。そもそも投資
>という制度そのものが我々の未来の労働を繰り込むことでしか成立しない。
>金を貸す側は必ず金利を要求するが、借りる側は金がないから借りているの
>であり、借りた以上、現在彼が必要としている事柄に使うだろうから、金庫に
>は残らなくなる。その状態で借りた分+金利を余計に払うなど恐ろしく困難だ。

うーん、借りる側にも問題があると‥
金利変動なら高い方に動く方も考えるべきだとね。
#だから私はあえて金利固定のローンを選びました。

>で、ここからは貸す側の話をする。
>1995年から2005年まで10年間に世界の金融資産総額は6095兆円から1京3800兆円に
>増えている。だがこの間の世界総生産は3000兆から4000兆円にすぎない。
>資産の裏返しは負債である。つまり1京3800兆円もの負債がどこかの誰かの元に
>積み上げれたことになる。秒速約2440万円の速さだ。これらの負債はいずれ実物
>経済の中から吸い出すしかない。しかしどうやって?

ま、そこを読みきれない人間が負けるのですよ。
負けるの自体は本人の問題で本来の問題じゃないけど、それが世代間で継続される
のは問題です。本人の問題は本人の問題で処理すべきなんです。でも、それがその
子孫に受け継がれるのは社会制度として防がねばならない。法はそこを整備すべき
なんですよね。

書き足りない部分があるので明日書きます。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

Re:重商主義――イギリス商業革命そして、英仏百年戦争
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/8(火) 5:05 -
  
▼徳永基二さん:
>ここでもう一度、金の流れを見てみると円もドルも全て現金は投機家筋に渡り
>日本国政府には日米両国が発行した借金証文だけが残ることがわかります。
・・・・・・・・
>ここで話を遥か昔に遡ってイングランド銀行がどのように中央銀行になったのか
>その大元から考えて見ます。元々は英国政府が戦争執行のためにイングランド
>銀行から多額の借金をしたところから始まります。その後、英国政府はその融資で
>戦費を賄ったので後には多額の借金のみが残りました。英国政府を経由して
>イングランド銀行券を受け取った市中銀行もそれを準備資産に組み込んで信用
>創造を行いましたので、負債は社会全体に拡散したことになります。


徳永様
対フランスとの戦争の費用を出すためのイングランド銀行は次のものでした。

「約1,200人から集められた総計120万ポンドの基金はすべて政府へ貸出され,見返りとして年10万ポンドの収入が保証されるというもの」

ここでの英国政府の発行する債券は、今日の国債=信用貨幣とは異なって、単なる紙切れではないですね。重商主義の展開によって、インドやアメリカなどからかき集めた光り輝くゴールドが債権の代わりに登場するのですからね。


>それでも最初は金という担保価値物件に基づいて通貨は発行されていたのですけど
>貿易赤字になると金が流出するため、国内投資資金まで枯渇するようになり、
>最後にはヨーロッパ大戦にまで発展して行った。

>多額の借金・・・・・貿易赤字
どころか世界から金がイングランドに降り注いできたのですし、それをもとに産業革命の基礎が作られたのです。
次のような世界史の今日を形成するに至る一大転換のなかでの、対フランスとの百年戦争の戦費なのですから、重商主義と金匠(両替業・金庫番)と言う社会的土台を基礎にした英国銀行の発生なのです。

世界史講義録http://www.geocities.jp/timeway/kougi-55.html
第55回  大航海時代2
 コロンブスは、1492年8月3日パロス港を出発した。コロンブスが乗るのがサンタ・マリア号。・・・・ 約二ヶ月間陸地を見ることなく、西へ西へと航海はつづきます。なかなか陸地が見えないので乗員の不安が高まり反乱が起きそうになったりもしますが、コロンブスは成功時の報酬をつりあげたり、脅したりしながら航海をつづける。
 ついに、10月12日に現地ではグアナハニと呼ばれた島を発見して上陸しました。これが、現在のサン・サルバドル島です。バハマ国の領土になっています。大きな地図でないと確認できないような小さな島です。

世界史講義録http://www.geocities.jp/timeway/kougi-62.html
第62回  絶対主義
 ここで、スペインはイギリス征服作戦を開始した。スペインの誇る無敵艦隊が百三十隻、将兵二万三千人を乗せてイギリスに向けて出撃した。
これが、1588年です。
スペインは当時ヨーロッパ最強。一方イギリスはというと、まだまだ弱小国です。エリザベス女王が海賊にスペイン船を襲わせていたのも、もとはといえば、貿易でも戦争でも正面から立ち向かって勝ち目がないから。だから、ゲリラ戦をやっていたにすぎない。 これが有名なアルマダの海戦です。ドーヴァー海峡にやって来たスペイン無敵艦隊――イギリス海軍に敗北。

世界史講義録http://www.geocities.jp/timeway/kougi-69.html
第69回  大西洋ネットワーク・商業覇権の移動
(第二次英仏百年戦争)
 海外貿易で富を蓄えた最初の国はスペインでしたが、オランダ独立の頃からスペインは衰える。17世紀前半はオランダが商業覇権をにぎります。中継貿易と加工工業で繁栄し、アムステルダムはヨーロッパ金融の中心となる。イギリスも海外貿易に乗り出しますが、オランダにはかなわなかった。1623年、アンボイナ事件でオランダに負けていましたね。
 オランダにかわってイギリスが覇権をにぎるのが17世紀後半ですが、このイギリスのライバルとして、登場してくるのがフランスです。ルイ14世時代以来、積極的な重商主義政策をとって、各地でイギリス勢力と衝突した。
これを第二次英仏百年戦争(1689〜1815)という。
 ヨーロッパで戦争がおこると、それにあわせて北米大陸でイギリスとフランスが戦った。箇条書きでいきます。
 1689〜97、ヨーロッパで、ファルツ継承戦争。北米で、ウィリアム王戦争。
 1702〜13、ヨーロッパで、スペイン継承戦争。北米で、アン女王戦争。
 1744〜48、ヨーロッパで、オーストリア継承戦争。北米で、ジョージ王戦争。
 1755〜63、ヨーロッパで、七年戦争。北米で、フレンチ=インディアン戦争。
これらの戦争を通じて、イギリスはフランスから植民地を奪い、北アメリカ大陸の支配権を確立していきました。戦争の名前は、戦争時のイギリス王の名前です。フレンチ=インディアン戦争は違いますが。
 フランスはインドにも進出していて、1757年、インドでイギリス、フランスが戦いました。プラッシーの戦いという。これも、イギリスが勝つ。これ以後イギリスは本格的なインド支配をはじめることになる、重要な戦いです。
 フランスとの百年間の抗争は、イギリスの勝利で終わる。これ以後、イギリスが世界経済の中心となっていく。20世紀になってアメリカ合衆国が台頭するまで、この状態はつづきました。


そして、
1769年、アークライトの水力紡績機が登場
1769年、ワットの蒸気機関
1779年には、クロンプトンがミュール紡績機を発明
として産業革命が進行していくのです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@tetkyo053212.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp>

時代背景について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/8(火) 8:58 -
  
百年戦争と言う言葉が出てきたので一瞬びっくりしました。普通はフランスの地方領主
でもあった英国王室が婚姻政策とフランスでの王位継承のごたごたへの介入でフランスでの覇権を目指し、絶対王政の確立を図るフランス王家と衝突する戦いを指すのですから(1157年ごろ〜1475年ごろまでの戦い。起源はノルマンディ候ギョームのイングランド遠征から始まる)

>オランダにかわってイギリスが覇権をにぎるのが17世紀後半ですが、このイギリス
>のライバルとして、登場してくるのがフランスです。ルイ14世時代以来、積極的な
>重商主義政策をとって、各地でイギリス勢力と衝突した。
>これを第二次英仏百年戦争(1689〜1815)という

なるほどこれを第二次百年戦争というのですか。


>それでも最初は金という担保価値物件に基づいて通貨は発行されていたのですけど
>貿易赤字になると金が流出するため、国内投資資金まで枯渇するようになり、
>最後にはヨーロッパ大戦にまで発展して行った。

いえいえ、矛盾しませんよ。貿易赤字にしないために重商主義(輸入をせず輸出をして金を蓄える)としたのですから。それに政府債務の話と民間債務(貿易赤字)の
話がごっちゃになってます。当時は民間の方が富み栄えていたから政府は金を借りようという話になったのです。(イングランド銀行は最初から独占的に銀行券を発行できる権限があったとはいえ、最初は民間銀行)

平凡社の百科事典によると「対仏戦費の調達に苦慮する名誉革命政権(ホイッグ党政府)を財政的に支援するため、ウィリアムパターソンの原案に基づいて資本金120万ポンドの出資を募りその全額を国庫に貸し上げる代償として、出資者たちがイングランド銀行を設置する許可を受け、政府から年8%の利子(および4000ポンドの管理維持費)を受け取るほか、資本金と同額まで銀行券を発行して各種の銀行業務を始めた」


ただ、上記の話にはトリックがあります。
>貿易赤字になると金が流出するため、国内投資資金まで枯渇するようになり、
>最後にはヨーロッパ大戦にまで発展して行った。
と書いている話は明らかに第一次世界大戦や第二次世界大戦、(要は杉本さんの
書いている第二次百年戦争の話はすっぽり飛ばしている)からです。

ただ、この辺の話をするには重商主義→産業革命→自由貿易主義、三角貿易→フランス革命、アメリカ独立→民族独立・国民国家の形成戦争→第一次大戦→アメリカの台頭などといった長ったらしい話をせざる得なくなる。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Reグレシャムの法則
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/14(月) 4:03 -
  
徳永さん
>ただ、上記の話にはトリックがあります。
>貿易赤字になると金が流出するため、国内投資資金まで枯渇するようになり、
>最後にはヨーロッパ大戦にまで発展して行った。
と書いている話は明らかに第一次世界大戦や第二次世界大戦、(要は杉本さんの
書いている第二次百年戦争の話はすっぽり飛ばしている)からです。

この問題をゲゼルさんは、次のように反論しています。

http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo3-5-jp.html
シルビオ・ゲゼル研究説
代表作「自然的経済秩序」〜第3部 お金の実態3-5 紙幣の保証と担保
1、お金の素材は金融面での政府権力の乱用の前では何の保証にもならない。
グレシャムの法則を無視すれば、お金の素材はせいぜいコインのごく一部分のみを保証するにすぎない(銀は最高でもタラーの4割ほどしか保証しない)。お金の引渡し契約(抵当証書や政府の債務)として1000倍もの金額が担保されないまま存在している。
2、お金からお金の特権が剥奪された場合、政府の補償義務は紙幣の場合のみ明らかだ。金属貨幣の場合この義務は、異論に対してより強く改革で損害を被る市民の反対を通じて証明され、弁護される。このため紙幣は金属貨幣よりも信頼性が高い。
3、お金の素材はお金の需要には影響を与えられない。そのため、何ものも担保とみなされることも決してない。お金の素材はお金の需要の換気も、それに対する影響の行使も、ましては制御もできない。
お金の担保は、その材質に関係なく常に分業である。
お金の保証は、市民や権力者へ正しい通貨政策に対する考えが行き渡ることによってのみ達成される。


※6:グレシャムの法則:ある国でお金の量が交換手段としての実際の需要よりも多く、物価が上昇した場合、この価格上昇のために輸出が鈍り、輸入が促進され、その結果として貿易赤字が生じ、それは専ら金の輸出を通じて補償される。そのため、たとえばドイツでは毎年数十億マルクも国外に流出し、1872年から1874年にかけて、戦前ドイツは輸出超過を記録したにもかかわらず、36億4600万マルク(ほぼ戦後補償の全額に相当)の輸入超過を記録した。

マネーサプライの減少を意味する金(きん)の輸出は価格を適性水準にまで下げ、自動的に輸出入の均衡をもたらす。だが金(きん)の輸出が示す警告を政府が無視し、引き続き紙幣発行によってマネーサプライを増加すると、仕入れのための金(きん、あるいは手形)の調達で輸入業者が危機を迎えるまで金の外国への流出が続く。この危機は割増金となり、貿易の調整弁となり、輸入を抑制し輸出を促進する。一方割増金は同時に国内の金(きん)の流通を阻害するが、それは国内では国庫や裁判所が紙幣しか受け取らず、毎日の取引で流通する割増金はすぐに金(きん)のわずらわしいおまけとして感じられ、金(きん)はいやいや受け取られるものとなる。割増金はあちらこちらで不評を買い、金(きん)は取引に不要となる。金(きん)はすぐに銀行に余剰物として集められ、所有者が金利を求めて満期を過ぎて請求に来るまで放置される。すると、金(きん)は国内ではその競争相手である紙幣と比べて短い期間で引き出される。紙幣はその競争相手である金(きん)を常に決まって国外に押しやるこの「法則」は、発見者の名前を取ってグレシャムの法則と呼ばれる。
独マルクがその金含有量を通じて、ペテン師や泥棒から保護されるという考え方に、そもそもお金の歴史に対する無知が見て取れる。


シルビオ・ゲゼルさんは「グレシャムの法則など・・お金の歴史に対する無知」と言うご返事なのですね。しかし、これはプルードンの労働貨幣論とは違いますね。

この問題でのマルクスの論評は、ご存知のように、資本論1巻3章第3節の「世界貨幣」で扱っています。

さらに、資本論3巻19章「貨幣取り扱い資本」で次の記述があります。
「世界貨幣としては、国内貨幣はその地方的な性格を脱却する。ある国内貨幣が他の国内貨幣で表現され、かくして、すべての国内貨幣がその金銀内実に還元されるのであるが、この金銀は同時に世界貨幣として流通する二つの商品としては、その総合的価値比率−これはたえず変動する−に還元されねばならない。この媒介を、貨幣取り扱い業者は自分の特殊的業務とする。かくして、両替業と地金取り扱い業とは貨幣取り扱い業の最も本源的形態であって、貨幣の二重の−国内(金本位制)としての、及び世界貨幣としての−機能から発生する。」(世界の大思想資本論三巻P263〜264)さらに、次のような但し書きを添えて、マルクスさんは注意を呼びかけています。
「貨幣取り扱い業者が処理すべき貨幣の分量は、流通している商品及び産業家の貨幣資本だということ・・・」
――つまり、信用(世界・国内)の発展を同時に語っているのです。詳しくはどうか原文に当たることをお奨めします。ゲゼルはんは、資本論3巻を読んでいなかったようですね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@tetkyo011236.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp>

Re:マルクスとゲセル
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/14(月) 8:56 -
  
二つの問題に答えておきます。

>この問題をゲゼルさんは、次のように反論しています。

この下に出ていた文章は金本位制を批判した文章で認めた文章ではありません。
で、自分が書いた文章は種本を青木秀和氏の『「お金」破壊』においてますけど
そこで青木氏が言ってるのは金本位制はダメだったけど、その次の利子生み資本
下の貨幣制度もダメだったと言ってるわけです。どこにも「反論」になってないと
思いますけど。

>ゲゼルはんは、資本論3巻を読んでいなかったようですね。

ゲセルはこう言ってるじゃないですか。

搾取とその原因、そしてそれとの闘争
  私の資本理論とマルクスの資本理論の対決

 『自由経済研究』 第28号

「ところで、こうした彼らの期待は、マルクスの『資本論』第三巻と『資本論』
第一巻の間に存在している無数の矛盾に基礎を持つものである。
 従って、彼らはプロレタリアートとともに、成熟したマルクス、すなわち『資本論』第三巻のマルクスが若きマルクス、すなわち『資本論』第一巻のマルクスを打倒するだろう、すなわち独創的研究者たる『資本論』第三巻のマルクスが俗流経済学の学徒たる『資本論』第一巻のマルクスを片付け、科学的マルクスが政治家マルクス--
『共産党宣言』の起草者マルクスーーをノックアウトするだろう、と期待している」

私はここでいう彼らが杉本氏のことを指しているように見えますが。

そういえばゲセルはこうも言ってる。
「こうした命題の上に偉大な著作『資本論』第一巻と第二巻が構築され、(第三巻は第一巻や第二巻と多く点で矛盾してるけれど、それは我々の関心を引くものとはならない。というのは、第三巻は社会主義政治においていかなる役割も演じていないからである。」

>シルビオ・ゲゼルさんは「グレシャムの法則など・・お金の歴史に対する無知」と言
>うご返事なのですね。しかし、これはプルードンの労働貨幣論とは違いますね。

引用した文章からはどこからもグレシャムの法則の批判が見えませんが。
むしろ、グレシャム法則が当たってるから金本位制はダメなんだと言ってるように
見える。

ただ、プルードンの労働貨幣論を批判しているのはその通りです。
『プルードンが未解決のまま残した問題に解決を与えたのは、自由貨幣論である。
もし、プルードンが生きていたなら彼はきっと次のように言っただろう。
「諸君は私の思想を逆転した。私は、商品を現金と同じ地位に引き上げようとした。
今や、私の失敗は諸君らの自由貨幣によって克服されている。諸君は商品を貨幣と同等の地位に引き上げるのでなく、逆に貨幣を商品と同等の地位に引き下げたのである。」』
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

朝は若干、つっけんどな書き方をしてしまって申し訳ありません。
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/14(月) 23:44 -
  
徳永です。朝はつっけんどな返事のしかたをしまして申し訳ありません。
急いでいたものですから(多少カチンときたのも事実だが、プルバカンダー
であろうとするものがこれぐらいで怒っていたら役割を果たせない。)

まず、杉本氏が引用した箇所について
『自由地と自由貨幣による経済的秩序』
シルビオ・ゲセル著 相田愼一訳 ぱる出版
「ちなみに、グレシャムの法則を完全に度外視した場合、鋳貨の金属含有量
によって保障を与えれた人々とは、本来誰なのか。疑問の余地なく、そうした
人々とは鋳貨のその時々の所有者たち、つまり以前のドイツで流通していた
40億マルクないしは50億マルクの金貨の所持者であった。だが、こうした
金貨の額は、国債、担保証券、為替、借地契約書や借家証明書などの一兆マルク
と比較すればそれほど大きな額とはいえない。そうであるとすれば金貨にどれ
ほどの重要性があるのか。
(中略)
 その上、鋳貨は非鋳造貨幣(それは従ってあらゆる貨幣支払い約束証明書で
ある)と比較した場合、大海の孤島の如きものにすぎない。それゆえに、鋳貨
の金属含有量による保証も、たえず大海の孤島の如き意義しか持たないのである。
その点を度外視したとしても、グレシャムの法則という用語で総括される諸力
の作用を通じて、この大海の孤島も次第に消滅してゆく運命にある。」

(「第三部 現行の貨幣ー金属貨幣と紙幣」262P〜263P)

それともう一つ、自分が引用した「搾取とその原因、そしてそれとの闘争」について
この著作は1922年に書かれたものですが、自分の引用した箇所「こうした彼らの期待は、マルクスの『資本論』第三巻と『資本論』第一巻の間に存在している無数の矛盾に基礎を持つものである。」とはベーム・ヴァベルクの「マルクス体系の終焉」
(1896年)の後にカウツキーとベルンシュタインの間で始まった修正主義論争のことを指すのではないかと推測できます。

(余談ですが、ゲセルの利子理論はそのベーム・ヴァベルクの利子論を批判した
ヴィクセルの思想から影響を受けているのでないかという人もいます。)
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Re:気にしないで下さい
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/15(火) 10:31 -
  
徳永様
概念の受け取り方が違うので途惑っています。
異を論じることも容易いですが、第一インターでのバクーニン以来の対立を論じても仕方ないですよ。おかげさまで、英国銀行のことなどあまり視野に無かったことが勉強できました。互いの先入観での違和が大きいですね。
まず共通点を探してみました。

http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo3-4-jp.html
〜代表作「自然的経済秩序」〜
第3部 お金の実態
3-4 どうして紙からお金ができるか
b) 事実の説明

ある人が何らかの事物を必要とし、欲し、その求められた事物を他人が所有し、もはやその所有を欲しない場合、求めているものをその所有者が手放し、彼に譲渡してもらうためには、自分が持っている何かの提供が一般的に必要となる。こうして、交換を通じて自分のものにすることができる。そして、もし求める商品がその所有者にとって不要である場合でも、これを行わなければならない。それを証明するには、もし所有者が、他の人がその商品を必要としていると知った場合、その商品をその人にただで渡すことはなく、そのためだけに取っておくということが往々にして行われるということを示すだけで十分だが、これは所有者が、その人以外にもその商品を有効利用できる人がいると知っているからだ。 そしてその事物への必要度が差し迫っていればいるほど、所有者の要求も高くなる。

ここまでの文章は現在のところ、あまりにも自明で自然なため、多くの人がこの表現を冗長なものとみなすだろう。確かに、私が知る限り、経済学の文献でこんな法則をわざわざ書いたのは初めてである。だが実はこれは、今日の経済やビジネス、そして市民同士や市民と国家との関係の基本的な法則にかかわるものだ。

上記の「世界を震撼させる」発見は、ニュートンの重力の発見と同じように、凡庸で自明なものである。そのためこれは経済学にとって、自然科学に対するニュートンの発見と同じ画期的な意味を持つ。

・・・・・・
そのため、お金になる紙が自ら紙幣となることの可能性を明らかにするには、この状況でシュルツが、ミュラーの所有下にある紙幣を彼に渡してもらうために特定の場所に来ることを立証すればいい。そしてこの立証は、非常に簡単に行える。

この分業(※6)の産物である商品は、以前から交換されるべきものとして規定されており、つまりわれわれにとってのお金と同じ意味をその製作者に対して持っており、交換物として役に立つ。他の商品と交換できる生産物(商品)という見込みだけで、生産者は原始経済から脱し、分業を導入するようになる。


このゲゼルさんの<「世界を震撼させる」発見>としての分業と商品・貨幣の関連

は、マルクスがこう述べていることと同じ意味ですね。


 資本論1巻3章第2節 流通手段a 商品の変態
「W−G。商品の第一の変態または販売。商品価値が商品のからだから金のからだに飛び移ることは、私が別のところ〔『経済学批判』、『全集』第13巻71ページ〕で名づけたように、商品の“命がけの飛躍”である。この飛躍に失敗すれば、なるほど商品は打撃を受けないかもしれないが、商品所有者はたしかに打撃を受ける。社会的分業は、彼の欲求を他面的にするのと同じ度合で、彼の労働を一面的にする。・・・・・・・
言いかえれば、その労働は、社会的分業の一分肢であることを実証しなければならない。しかし、分業は、自然発生的な生産有機体であり、その網の目は、商品生産者たちの背後で織られたものであり、また引き続き織られつつある
・・・・
こうして、商品は貨幣を恋したうが、「“まことの恋が平穏無事に進んだためしはない”」。分業体系のうちにその“引きさかれた四肢”を示している社会的生産有機体の量的編成は、その質的編成と同じく、自然発生的・偶然的である。それゆえ、わが商品所有者たちは、彼らを独立の私的生産者にするその同じ部分が、社会的生産過程とこの過程における彼らの諸関係とを彼ら自身から独立のものとすること、諸人格相互の独立性が全面的物象的依存の体制によって補完されていること、を見いだすのである。
 分業は、労働生産物を商品に転化させ、そうすることによって、労働生産物の貨幣への転化を必然にする。同時に、分業は、この化体が成功するかどうかを偶然にする。」

「全面的物象的依存の体制」つまり、商品・貨幣の物象に依存した社会的分業の体制ですね。エンデが『モモ』で明らかにした――灰色の男達を媒介にした分業のシステムです。

「社会的分業」が、インカ帝国のように使用価値の生産を目的とするもので無く、交換価値の生産ですので、商品は、商品と貨幣の二重の姿態を持っているとマルクスさんの提示なのです。

この点での徳永さんのお考えを教えて頂ければと思います。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@tetkyo099206.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp>

Re:問題は単に翻訳上の問題に過ぎないと思いますよ
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/16(水) 0:28 -
  
杉本氏がマルクス派の立場から議論していたとは今、始めて知りました。

ここ何回かの往復レスで問題となっているのは、経済史の認識についての問題と
単に翻訳上の問題に過ぎないと思いますよ。

経済史の認識に関する問題は私が単に途中過程をすっとばして
話を短略化しことで発生した問題ですし、(自分がイングランド銀行の
話をしたのは起源を語ることで現代に至る原型の構造を示すため)

ここ数回のグレシャムの法則をめぐるやり取りは単にネットのゲセルの翻訳が
粗悪であるということで発生したものです。
(自分はゲセルの理論について話す時は相田愼一氏の翻訳した文献を
座右において語っている。)

お気になさらないように!

さて、上の文章に関するレスですけど、自分たちには分業化=物象化
とする視点そのものがないのです。あるとすれば、分業化=選択の自由の拡大
です。勿論、疎外概念はあるのですけれど、それは資本の集積→貸借関係の
連鎖による企業集団の形成→労働疎外という関係です。(ゲオルグ・ジンメル
の概念の枠内で説明が出来る。)

勿論、ミヒャルトエンデの問題にした時間泥棒という概念はあるのですけれど
マックスウェーバーのいう計算合理性の枠で説明可能です。(ハバーマスがこの
問題を生活世界の目的合理性による植民地化と呼んでいます。)

因みに自分たちは時間泥棒を剰余価値の源泉とは見做していません。マルクスの
議論と自分たちゲセル派の理論とでは結果と原因がまったく逆転しています。

マルクスでは労働の分業→労働疎外→私有財産発生→物象化の進展→貨幣→国家
ですが、自分らの議論の場合、貨幣制度の歪みの結果、歪んだ産業構造が形成され
労働疎外が生じるという考え方。(原因は貨幣、労働疎外はその結果論)

因みにこの考え方はジョン・メーナド・ケィンズと同じです。例えば上記で
問題になっている話しをケィンズは「流動性打歩」もしくは「流動性選好」
と呼び「一般理論」の第17章で議論しています。

「貨幣の特徴は、その収益性がゼロであり、その持ち越し費用は無視しうるほど
小さいが、その流動性打歩はかなり大きいという点である。勿論、異なった商品
はそれぞれ異なった程度の流動性打歩をもつであろうし、貨幣はたとえば安全保管
のためにある程度の持ち越し費用を伴うことがある。しかし貨幣と他の全ての(また
大部分の)資産の間の本質的な相違は、貨幣の場合には、その流動性打歩がその持ち越し費用をはるかに超過するのに、他の資産の場合にはその持ち越し費用がその流動性を遥かに超越しているという点にある。」

JMケィンズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』塩野谷祐一訳 東洋経済新報社 第17章 225P
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Re:問題は世界貨幣
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/16(水) 6:43 -
  
徳永様
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4371;id=01
>経済史の認識に関する問題は私が単に途中過程をすっとばして
話を短略化しことで発生した問題ですし、(自分がイングランド銀行の
話をしたのは起源を語ることで現代に至る原型の構造を示すため)

そうでしょうか?徳永様のこのサイトへの登場は、連帯労組に次のことを訴えるためでしたね。討議の経過の主題がどこにあるのか?振りかえってみましょう。

>処方箋は次の通り。
政府紙幣として減価マネーを発行し、基礎所得政策を行う。


お金の制度を変えることですよね。そして次の事を主張されました。

徳永様
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4251;id=01
>ここでもう一度、金の流れを見てみると円もドルも全て現金は投機家筋に渡り
日本国政府には日米両国が発行した借金証文だけが残ることがわかります。
ここで話を遥か昔に遡ってイングランド銀行がどのように中央銀行になったのか
その大元から考えて見ます。元々は英国政府が戦争執行のためにイングランド
銀行から多額の借金をしたところから始まります。その後、英国政府はその融資で戦費を賄ったので後には多額の借金のみが残りました。英国政府を経由して
イングランド銀行券を受け取った市中銀行もそれを準備資産に組み込んで信用
創造を行いましたので、負債は社会全体に拡散したことになります。
それでも最初は金という担保価値物件に基づいて通貨は発行されていたのですけど貿易赤字になると金が流出するため、国内投資資金まで枯渇するようになり、
最後にはヨーロッパ大戦にまで発展して行った。


FRBや日本銀行が範としているイングランド銀行が国債――銀行券と言うノー−トに依拠することで誕生していると述べているのではないですか?
それにたいして、第二次の英仏百年戦争――商業革命を背景としてイングランド銀行が登場したと述べたのでした。


http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4285;id=01
政府への貸付金が結局は重商主義的植民帝国を建設するための対フランス戦費に充当され,しかもおもな投資先が貿易会社であったことは,当時のイングランド銀行がイギリス商業革命を支えていたことを示している。
(商業革命――15世紀末における「地理上の発見」−1492年のコロンブスによる新大陸の発見と,1498年のヴァスコ=ダ=ガマによる新航路の発見−によってもたらされたヨーロッパの国際的商業体系における一大変革をいう。)
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4317;id=01
>「約1,200人から集められた総計120万ポンドの基金はすべて政府へ貸出され,見返りとして年10万ポンドの収入が保証されるというもの」

ここでの英国政府の発行する債券は、今日の国債=信用貨幣とは異なって、単なる紙切れではないですね。重商主義の展開によって、インドやアメリカなどからかき集めた光り輝くゴールドが債権の代わりに登場するのですからね。
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4359;id=01
>かくして、両替業と地金取り扱い業とは貨幣取り扱い業の最も本源的形態であって、貨幣の二重の−国内(金本位制)としての、及び世界貨幣としての−機能から発生する。」(世界の大思想資本論三巻P263〜264)

世界貨幣の機能がスペイン帝国を打ち破った大英帝国にとって要求されるから、イングランド銀行が作られたのです。

17〜18世紀では世界貨幣が金であることは自明なことでした。
それを、<国債――銀行券と言うノー−ト>では、以降の産業革命――帝国主義戦争という世界史は不問にされるのではないですか?と私は 問うているわけです。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@tetkyo167058.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp>

Re:問題は世界貨幣
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/16(水) 23:26 -
  
><国債――銀行券と言うノー−ト>では、以降の産業革命――帝国主義戦争という世
>界史は不問にされるのではないですか?と私は 問うているわけです。

何を簡略化したかということに対する認識が多分ずれています。

自分が書いた文章によると
「ただ、この辺の話をするには重商主義→産業革命→自由貿易主義、三角貿易→フランス革命、アメリカ独立→民族独立・国民国家の形成戦争→第一次大戦→アメリカの台頭などといった長ったらしい話をせざる得なくなる。」

つまり、この認識だと植民地主義とは金本位制下の重商主義の結果、もたらせたものということです。産業革命はその後の派生現象ということになる。

すなわち、 金本位制→重商主義→植民地争奪戦→産業革命です。

ところで、「Re:世間一般並びに左翼系団体内へゲセル主義のプロバカンダ(金融不安について) 」の中で問題にしてるのは

利子生み資本ならびに債務ブーメラン経済です。金本位制や植民地経済は既に過去の話になっている。ならば、当面の話に必要なのは

1、利子生み資本制度の起源はどうであってか? 2、それ以前の制度はどう破綻して現代の制度に入れ替わったか? 3、現状はどうか?

さえ言及できれば事足りるという話になる。第二次百年戦争や産業革命以前の段階の
話がなぜ必要でしょうか?(勿論、第三世界に植民地時代の爪跡が残っていないと
言ってるわけでない。しかし、経済問題の解決で全ての諸問題を解決できるわけでない以上、それは別の文脈の問題といえる。)

あと、もう一つ杉本氏がマルキストと仮定して上で指摘したいのは
マルキストにとって経済の問題とは労働諸関係(産業構造)の問題ですけど
自分らにとって経済の問題とは交換関係(金融問題)だという点です。

産業革命以後、鉄と石炭の時代→石油と多量消費、モータリゼーションの時代
→特許著作権の囲い込みにより製造現場を海外に移転するサービス産業、ネットの時代 と変換してきましたけど、同じ利子生み資本の貸借関係が背後にある以上、
支配の構造は同じであると見做すわけです。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

いわゆる帝国主義戦争について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/17(木) 0:06 -
  
杉本氏のスレにレスを返すために改めて読み返していたのですけど
「帝国主義戦争」=植民地争奪戦のことを必ずしもささないのでないかと
思えてきた。

確かに植民地争奪戦は既に過去の話になったのですけれど

消費、蕩尽活動しての戦争行為なら現在もなお進行中です
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Re:みすぼらしいマルキスト――本当に?
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/17(木) 3:02 -
  
徳永さん
http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4361;id=01
>すなわち独創的研究者たる『資本論』第三巻のマルクスが俗流経済学の学徒たる『資本論』第一巻のマルクスを片付け、

これには笑ってしまった。いいだもも氏によれば、マルクスは、資本論全4部(3巻と剰余学説史)の草稿を書いてから、資本論一巻を書き上げた――とおっしゃっていました。
剰余価値学説史でのリカード・ベイリー論争への批判と、資本論1巻1章でのベイリー批判(物象化と物神性の問題)とを比較してみれば、どちらが先か後かわかるはず。価値論――価値形態論など問題にしない・マルクスの遊び・・・と言うのが徳永さんの主張なら仕方ないですね。

まあいいでしょう。ゲゼル研究会がまともに資本論研究をしているはずも無いでしょうから。しかし、これでは第二組合を誇示した昔の同盟以下の扱いです。
そんなにもゲゼル研究会をいばらなくてもよいでしょう。

>あと、もう一つ杉本氏がマルキストと仮定して上で指摘したいのは
マルキストにとって経済の問題とは労働諸関係(産業構造)の問題ですけど
自分らにとって経済の問題とは交換関係(金融問題)だという点です。
産業革命以後、鉄と石炭の時代→石油と多量消費、モータリゼーションの時代
→特許著作権の囲い込みにより製造現場を海外に移転するサービス産業、ネットの時代 と変換してきましたけど、同じ利子生み資本の貸借関係が背後にある以上、
支配の構造は同じであると見做すわけです。


マルクス経済学にとって、経済の問題とは社会関係の問題ですし、資本・賃労働の経済学的範疇の人格化たる資本家と労働者の社会関係を分析し、労働者階級の経済的解放を目的とするものです。資本制的生産様式を、価値関係、貨幣関係、資本関係と言う社会関係の分析から解明していくものです。
そして、資本制的生産様式の上部構造としての信用機構として利子生み資本を分析して、アソシェ−ション革命(協同組合社会)の物質的条件を明らかにしていくものです。

徳永さんは一体どこで話をしているのですか?「自由・論争」 掲示板を主催される戸田さんは、連帯労組の役員であり、連帯労組は自前の政治組織を「革命21」として、民主集中制批判を第一の結集軸として準備会を立ち上げたところです。
「革命21」が一体どこで、
>経済の問題とは労働諸関係(産業構造)の問題
などと寝ぼけたことを云っていますか?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@tetkyo004059.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp>

マルクスの遺稿の整理状況を第三者が知れという傲慢
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/17(木) 8:44 -
  
斉藤金三郎さんの遺稿となった『マルクス遺稿物語』は
なかなか優れた著作でした。この本によればマルクスが1883年に亡くなった時、
未だ資本論第二巻は発表されていず、後には象形文字のような字で書かれた草稿のみ
残っていたとか。その原稿を引き継いだエンゲルズは原稿の整理と読解に後の全人生を
使い果たし。エンゲルズが死んだ時には未だ、第三巻しか出版されていませんでした。

第四巻の出版はカウツキーとベルンシュタインに託されたわけですけど。両者の確執と
マルクスの娘たちとの版権を廻ってのいざこざで結局『資本論第四巻』としては発表されなかった。で、資本論は今でも尻切れトンボの形で文章の途中で終わっている。これは有名な話です。

以上の事情を外部の人間がみな斟酌しろいうのはそれこそ傲慢でないでしょうか。

マルクスはプルードンの本『経済的諸矛盾の体系』を流し読みして全然頓珍漢な答え方をしているのに。

それと、私が言ってるのは「経済の問題とは交換関係(金融問題)だ」です。

杉本氏のいわれる「経済の問題とは社会関係の問題ですし、資本・賃労働の経済学的範疇の人格化たる資本家と労働者の社会関係を分析し、労働者階級の経済的解放を目的とするものです。」だと

「左派が主張してきた政策の大半が基礎所得があって初めて
実現できることが多い。(この視点を見失うと、労働者の所得倍増
→雇用増→経済成長という論理に絡め取られてしまう)曰く市民
オブズマンやら市民活動の活性化、NPO、ワークシェアリング、
国家から自立的な社会、セーフティネットなど

基礎所得がない社会で左派的主張を行うと、市民活動とは一部生活に
ゆとりのある層の活動にすぎなくなり、ニートやフリーターは排除される。
ワークシェアリングとは賃金引下げと労働条件の悪化を意味し、
セーフティネットとは即戦力の人材育成を、国家から自立的な社会とは
私企業の自由を、個人の主体性、自立とは金儲けの自由を意味するように
なる。」
となると『私的所有について』で書いたと思うのですけど。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

マルクスの残した遺産
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 ねこかぶり  - 08/7/18(金) 0:43 -
  
今日某企業の面接で共産主義は上に対してYesというものだと聞いて私なりに
違和感を感じましたが‥本来マルクスの目指したものではないと‥
スターリンあたりだと同意しますがねぇ

▼徳永基二さん:
>斉藤金三郎さんの遺稿となった『マルクス遺稿物語』は
>なかなか優れた著作でした。この本によればマルクスが1883年に亡くなった時、
>未だ資本論第二巻は発表されていず、後には象形文字のような字で書かれた草稿のみ
>残っていたとか。その原稿を引き継いだエンゲルズは原稿の整理と読解に後の全人生を
>使い果たし。エンゲルズが死んだ時には未だ、第三巻しか出版されていませんでした。

うーん、私自身岩波の第三巻で力尽きて読むのをあきらめたのですが‥

>第四巻の出版はカウツキーとベルンシュタインに託されたわけですけど。両者の確執と
>マルクスの娘たちとの版権を廻ってのいざこざで結局『資本論第四巻』としては発表されな
>かった。で、資本論は今でも尻切れトンボの形で文章の途中で終わっている。これは有名な話です。

そうだったのですか‥
最後まで読んでないのでなんともいえないですが‥

>それと、私が言ってるのは「経済の問題とは交換関係(金融問題)だ」です。

それには賛同します。

>杉本氏のいわれる「経済の問題とは社会関係の問題ですし、資本・賃労働の経済学的範疇の
>人格化たる資本家と労働者の社会関係を分析し、労働者階級の経済的解放を目的とするものです。」だと

労働者階級の開放というのには賛同しかねますが、人間の人間らしく生きる権利は
保護すべきですね。それ以上は本人の努力によると

>「左派が主張してきた政策の大半が基礎所得があって初めて
>実現できることが多い。(この視点を見失うと、労働者の所得倍増
>→雇用増→経済成長という論理に絡め取られてしまう)曰く市民
>オブズマンやら市民活動の活性化、NPO、ワークシェアリング、
>国家から自立的な社会、セーフティネットなど

まぁ、ケインスが左派の影響を受けているのは否定しませんし、
私はその政策に全面的に賛成します。マルクスなくしてそれは
存在し得なかったのも認めます。

>基礎所得がない社会で左派的主張を行うと、市民活動とは一部生活に
>ゆとりのある層の活動にすぎなくなり、ニートやフリーターは排除される。
>ワークシェアリングとは賃金引下げと労働条件の悪化を意味し、
>セーフティネットとは即戦力の人材育成を、国家から自立的な社会とは
>私企業の自由を、個人の主体性、自立とは金儲けの自由を意味するように
>なる。」
>となると『私的所有について』で書いたと思うのですけど。

私も最低所得の保証には全面的に賛成です。
人間が人間らしく生きる権利は保障すべきです。
それ以上は本人の努力によるということで‥
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

世界貨幣は幻想
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 ねこかぶり  - 08/7/18(金) 1:00 -
  
▼徳永基二さん:
>すなわち、 金本位制→重商主義→植民地争奪戦→産業革命です。

今、ドルの価値は急速に落ちてます。

>産業革命以後、鉄と石炭の時代→石油と多量消費、モータリゼーションの時代
>→特許著作権の囲い込みにより製造現場を海外に移転するサービス産業、ネット
>の時代 と変換してきましたけど、同じ利子生み資本の貸借関係が背後にある以上、
>支配の構造は同じであると見做すわけです。

ネットの時代になって急速に旧来の価値観が陳腐化してます。
著作権囲い込みを必死でやってますが、ネットの前では無力です。
利子の問題も最近のサブプライムローンの問題で問題を抱えてます。
これから急速にドルは無力化して商品が価値を持ち出すのではないでしょうか?
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

Re:世界貨幣と銀行券の違い
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/18(金) 6:06 -
  
前にこう書きました。その追加をさせてください。
>http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=4359;id=01
>>かくして、両替業と地金取り扱い業とは貨幣取り扱い業の最も本源的形態であって、貨幣の二重の−国内(金本位制)としての、及び世界貨幣としての−機能から発生する。」(世界の大思想資本論三巻P263〜264)
>
>世界貨幣の機能がスペイン帝国を打ち破った大英帝国にとって要求されるから、イングランド銀行が作られたのです。


以前は読み飛ばしていたものを再発見できました。人と議論するのはよいことです。
貨幣の(国際・国内)二重の機能についてです。

「さまざまな国民的流通領域の間の商品交換が発展すればするほど、国際収支決済のための支払手段としての世界貨幣の機能は、ますます発展する。」(『経済学批判』岩波文庫P197)

「象徴的貨幣または信用貨幣は、・・・購買手段または支払手段としての貴金属に、国内流通では変わることができるが、世界市場では代わることが出来ない。だから紙幣は社会の貨幣であるが、金銀は世界の貨幣である。」(『経済学批判』岩波文庫P220)

イングランド銀行が出来たとき発行したノートと重商主義での国際的交易の手段としての金の違いですね。つまり異なる共同体の間での交易には社会的労働の体化物の張り付いた金が必要とされたのですね。ところが金本位制の元での国内交易ではノートで済ますことが出たのです。この点を分析したのが、マルクスの貨幣生成での人々の無意識的な共同行為(物象の人格化)であり、選択された一般的等価物の姿態を金と選定する行為(人格の物象化)であったのです。(勿論、信用貨幣の基礎にある一般的等価物としての金についてです。)
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0)@tetkyo004053.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp>

国際通貨同盟(バンコール案)について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/18(金) 20:09 -
  
ゲセルマネーはベルグルとシュバーネンキルヒェンの通貨実験の後では
(ゲセル本人の意向に反して)地域通貨の理論書と見做されたぐらいですから
域内閉鎖空間での貨幣理論という側面をもっています。

なにせ、減価マネーなど導入すれば国際的な投資資金の流れが海外に
逃げてゆくという意見に対して、

「貨幣が外国に「避難」したり「流出」したりすることはない。誰かが現金をトランクに詰め国境を越え、外国の金庫に保管しようとしない限り。しかしこれはごく普通の貨幣の保存と同じである。このような保存であっても循環促進剤を導入すれば国内外伴に費用・損失が生ずる。それ以外は「貨幣の逃亡」は為替取引を通じて行なわれるしかない。つまり国内の利子率が低いためにカネをドル預金と交換したい人はちょうどそれと逆をしようとする相手を見つけ出すしかない。これは現金同士だけでなく、国内預金とドル預金の場合も同じである。銀行での清算のため見えにくくなっているが結局は同じことである。例えばドル預金者が循環促進措置を受けた定理の通貨に交換するのは旅行・買い物・投資のためのであるが貨幣や預金残高はそれが属する国に留まる。
 ドルや高い金利のついた別な貨幣への需要が過剰になれば為替レートは上昇し、「貨幣の逃亡」はおのずとブレーキが掛かる。」

『人間の経済』第75号 ヘルムート・クロイツ『貨幣改革に対する12の典型的批判と、それへの回答』朴 勝俊訳

などと答えるぐらいだから。

では国際的な為替、通貨政策に関しては金本位制や債務貨幣を批判する以外何もしていないのかというとそんなこともない。
それがケインズがIMF創立時に、米国案に対して対案として出したバンコール案
(国際通貨清算同盟案)だ。

その概要はというと
「清算同盟は加盟国に対し戦前の貿易シェアを基準にして巨額の当座貸し越しを割り当てる。巨額の当座貸枠があるので加盟国は国際収支に制約されずに国内拡張政策を追求できる。これにより加盟国は経常鑑定における全ての為替制限を無くし、為替相場の安定を維持できる。


他国全体に対して受け取り超過になっている国(貿易黒字国)は清算同盟に貸方記帳をし、支払い超過国(貿易赤字国)が借方記帳をする。記帳された通貨単位はバンコールと呼ばれる。この受取、支払の超過額が無限に累積しないよう債権国は貸方記帳を未使用にしてはいけない。

債権国がバンコールを使うためには債務国からものを輸入するか手持ちのバンコールを無償援助する以外にない。もしそれを回避しようとすれば、自国通貨でのバンコール価値を高めざる(通貨切り下げ)をえない。」

1941年〜1946年当時、最大の債権国といえばアメリカだった。もしこの案が通っていたなら、アメリカは他の債務国に対してフェアトレードか無償援助かドル切り下げを
行わざるえなくなり猛然と反対した。

だが、もしこの案が通っていたなら、累積債務問題も貿易不均衡もドル支配もなかったかもしれない。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

ついでながら、ゲセルとケィンズについて
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/18(金) 20:55 -
  
ついでながら、ゲセルとケィンズの関係について考えてみたいと思う。

この両者は資本主義に関する考え方はほぼ同じといっていい。どちらも
搾取とは利子のことであり、貨幣に利子があるのは持ち越し費用が安いため
貨幣の退蔵が可能だから、と見てる点は同じだ。

じゃあ、違いは何かというと処方箋の仕方。ケィンズは社会を投資家、企業家
労働者の三階級構成で考えていて、企業家を温存ないしは有利なように政策を
組み立てようとした、だから「公共投資」政策などという発想になる。

一方、ゲセルの場合、レオンワルラスのように投資家・企業家・労働者とは本来
一経済人の中に同居している別な側面に過ぎず、それが分化するのは貨幣の平等な
分配が為されていないからだ、と考えた。だから基礎所得政策のような発想になる。

ケィンズの公共投資政策はいろんな批判が為されてきた。ゲセル思想と関連しそう
なものを上げると

公共投資は政府と業界の癒着を招き、産業構造を硬直化する。(労働者からみると
職業選択の幅を狭める)

ケィンズの政策はインフレを招く(パイの拡大を招く)これは大量生産大量消費という環境破壊の元凶となる

ケィンズ政策は乗数効果という非常に不安定な前提に立って波及効果を訴える。


一方、反ケィンズ三派(マネタリズム、合理的期待論派、サプライダー経済学)が訴えてきた論点(垂直のフリップ曲線、財政出動は将来の増税を予想させ財布の紐を締めさせる、クライングアウト)はゲセル思想から見ると全て無効だ。

1、そもそも基礎所得は賃金でないので必ずしも物価に反映しない。

2、貨幣の減価は逆に財布の紐を緩める。人々は減価分を取り戻そうと(節税しようと)こぞって消費や投資に走るだろう。

3、そもそも、ケィンズ案だと特定の産業への需要喚起なので投資資金需要増を招き
金利上昇を呼び起こす。ゲセル案だと消費増がたとえ投資資金需要増へと跳ね返ってもそれと同じぐらい投資市場への供給が発生しているので金利は動かない。

だが、ゲセル案でも結局、拡大再生産を招くのでないのか?
これについて下にも引用しているヘルムートクロイツ氏はこう書いている。

「一つの経済において需要は所得より大きくなることはなく、所有は生産能力より大きくなることはない。
所得・生産能力・需要可能額は対応する。利子率を引き下げても需要は増加することはなく、ただ利用者が変わるだけである。利子支払い者だった人がもっと買えるようになり、利子受取人だった人々の購買力が減少する。総需要は変化しない。むしろ債務への圧力と、成長への圧力が無くなってゆくだろう。(但し、デフレギャップで多くの失業者が存在する時には、基礎所得政策で需要が増大し、労働の最適分配=完全雇用が達成されるまである程度の経済成長がある。/徳永)」


(上の文章の金利と下の文章の利子の違いに注目。上は名目金利、下は実質利子率
例えば5パーセントの名目金利があったとしても、5パーセントの減価マネーの下では
実質、受取利子は0パーセントだ。)
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

労働全収益について
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/18(金) 21:44 -
  
杉本氏との議論の時には全然触れなかった労働価値説について考えてみようと思う。

経済学での一般通念だと限界革命の後、価格とは需要と供給による調整を指し
いわゆる価値論なるものは存在しないということになっている。

だが、ゲセル研と労働価値の関係は微妙。一方では価値論を全面否定したような
言明もある。

その一方、中国における時間貯蓄に関する考察(自由経済研究 第27号)や
タイムダラーへの言及など労働価値説に乗っかって議論しているのでないか
と思える節がある。

{中国では未だ元気な高齢者が他の高齢者の世話をすることで時間切符を買い、
それを自分が世話を受けなければいけなくなったときのサービス購入に使おう
という取り組みがある}

ゲセル本人には労働全収益という概念がある。これは市場から利子が消滅した時
労働者は初めて市場で自分の労働に匹敵する購入が可能になるという論理。

この考えはプルードンにもあった。すなわちレオンワルラスの一般均衡理論を経過
した後にも(本来、この理論は現在の自由市場を正当化した理論でなく理想的な
社会主義市場とは何かを考察した理論だった。)何がしかの労働価値説は残った
見做せるのでないか。

 但し、剰余価値という概念がないという点は変らない。本来、エントロピー+労働
=0なので別個に価値が生じない。利子は貨幣を金庫に入れておいても付くので純粋に貨幣的現象であり、労働とは関係がない。そもそもマルクス的な労働搾取理論の成立するためには商品は必ず売れるというリカード的前提(それは植民地支配下の三角貿易みたいな関係があって初めて成立していた。)を必要とする。

前にヴィクセルとゲセルに関係があるという説を紹介した。ヴィクセルの説だと
自然利子率という概念があるので(小麦一粒から千個の粒が収穫できたら999個が
自然利子率だとヴィクセルはいう。)剰余価値の関係する余地が発生するかもしれない。だが同時にヴィクセルは自然利子がプラスかマイナスかはその時々の状況によると言っている。

この自然利子率と貨幣利子率の関係の論理を発展させたのがケィンズの投資の限界効用学説である。貨幣利子率が自然利子率より高すぎると誰も投資をしなくなる(企業がなくなる)という理論だ。この理論では自然利子率そのものがマイナス状態である
時のことがあまり想定されていない。このことはケィンズにエントロピーや資源の限界という概念がない(だから平気で拡大再生産を雇用問題の解決のための処方箋として説ける)ということを示している。
ことを
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9) Gecko/2008052906 Firefox/...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

ケインスについて
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 ねこかぶり  - 08/7/19(土) 23:38 -
  
▼徳永基二さん:
>この両者は資本主義に関する考え方はほぼ同じといっていい。どちらも
>搾取とは利子のことであり、貨幣に利子があるのは持ち越し費用が安いため
>貨幣の退蔵が可能だから、と見てる点は同じだ。

御意

>じゃあ、違いは何かというと処方箋の仕方。ケィンズは社会を投資家、企業家
>労働者の三階級構成で考えていて、企業家を温存ないしは有利なように政策を
>組み立てようとした、だから「公共投資」政策などという発想になる。

でも、公共投資なくして賃金はない。
確かに資本家に有利な制度かも知れない。

>一方、ゲセルの場合、レオンワルラスのように投資家・企業家・労働者とは本来
>一経済人の中に同居している別な側面に過ぎず、それが分化するのは貨幣の平等な
>分配が為されていないからだ、と考えた。だから基礎所得政策のような発想になる。

うーんの経済というものは理想かもしれないが、貨幣のみ減価しない経済というものが
存在するのか言うものが謎です。現在起こっているスタグフレーションは貨幣は減価するが
物価は上昇するという経済です。(困ったものだが)

>ケィンズの公共投資政策はいろんな批判が為されてきた。ゲセル思想と関連しそう
>なものを上げると
>公共投資は政府と業界の癒着を招き、産業構造を硬直化する。(労働者からみると
>職業選択の幅を狭める)

それは投資の道を狭めているからです。90年代に日本に見られた道路一辺倒と
同じで‥同じ金額を光ファイバーに投資していたら未来がもっと明るくなったものを

>ケィンズの政策はインフレを招く(パイの拡大を招く)これは大量生産大量消費という環境破壊の元凶となる

その分消費がついていくので問題ないです。

>ケィンズ政策は乗数効果という非常に不安定な前提に立って波及効果を訴える。

あっりゃ、あの方程式のいいかげんさをみらねぇ‥

>一方、反ケィンズ三派(マネタリズム、合理的期待論派、サプライダー経済学)が訴えてきた論点(垂直のフリップ曲線、財政出動は将来の増税を予想させ財布の紐を締めさせる、クライングアウト)はゲセル思想から見ると全て無効だ。
>1、そもそも基礎所得は賃金でないので必ずしも物価に反映しない。

物価が上昇しないという前例ですよね。
これは国際的に見て危険です。

>2、貨幣の減価は逆に財布の紐を緩める。人々は減価分を取り戻そうと(節税しようと)こぞって消費や投資に走るだろう。

みんなが同じ所得ならありえますが、そうでなければ投資に走るですでしょうか?
投資をした場合のリスクを考えると容易に走らないとおもわれます。

>3、そもそも、ケィンズ案だと特定の産業への需要喚起なので投資資金需要増を招き
>金利上昇を呼び起こす。ゲセル案だと消費増がたとえ投資資金需要増へと跳ね返ってもそれと同じぐらい投資市場への供給が発生しているので金利は動かない。
>
>だが、ゲセル案でも結局、拡大再生産を招くのでないのか?
>これについて下にも引用しているヘルムートクロイツ氏はこう書いている。
>
>「一つの経済において需要は所得より大きくなることはなく、所有は生産能力より大きくなる
>ことはない。所得・生産能力・需要可能額は対応する。利子率を引き下げても需要は増加
>することはなく、ただ利用者が変わるだけである。利子支払い者だった人がもっと買える
>ようになり、利子受取人だった人々の購買力が減少する。総需要は変化しない。むしろ債務
>への圧力と、成長への圧力が無くなってゆくだろう。(但し、デフレギャップで多くの失業者
>が存在する時には、基礎所得政策で需要が増大し、労働の最適分配=完全雇用が達成されるま
>である程度の経済成長がある。/徳永)」

試してみないことには解りませんね。
私自身文章を読む限りそうと思うところもあれば思わないこともある‥
壮大な実験場で試す価値はありそうですけど、怖いですね。
#最近の実在のマネーを越えたマネー経済というのをみると試す価値はありそうですね。
引用なし
<Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1)@58x4x92x253.ap58.ftth.ucom.ne.jp>

スタグフレーションとインフレについて
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/20(日) 0:39 -
  
スタグフレーションというのは
商品市場に大量の金が流れ込んで供給が追いつかなくなり、インフレになるが
投資市場は相変わらず資金が枯渇したままという経済を指します。

(最初、この説明を聞いたときなんのことか判らなかったが、現在の経済の実勢を
見ているとはっきりわかる。一方でサプライムローンの破綻に端を発して金融市場では
こぞって全面安、その一方で量が急には増やせない原油や食料などが値上がっている。)

インフレと貨幣の減価はよく似ているようで違います。
インフレは今日得た所得で本来買える筈の生産物が値上げのため買えなくなる
(交換関係の不正規化)の現象を指します。

貨幣の減価は今日持っている資産が明日は減少している(使ってもいないのに)を
指します。(要は資産課税の一種)

所得税の場合、もらえる所得そのものが減りますがこの減価(貨幣流通促進税)では
もらえる所得そのものが減るわけではありません。(しかし早く別な資産に変換しないと減少してしまう。)

貨幣の減価は消費税とも違います。消費税はどちらかというと上のインフレに近い。

利子経済における利息は(投資した時に得られる利息)は貨幣減価の真逆ですけど
経済全体に及ぼす波及効果という点では消費税によく似ています。(すなわち
ものを買うたびに利息を払っている。)貰える利息が払う利息を上まっている層が
本当の意味での資産家階級(金持ち層)です。

利子経済では消費税がそうであるように逆進性があり、下層階級ほど負担が大きくのしかかってくる計算になります。(例え借金0でもだ。)

因みに不況時の減税は将来所得の心配を抱えているので貯蓄に回り有効性を欠いています。(Iフィッシャーがそのことを明らかにした。)そういう時には資産課税の方が有効な政策になります。(小野善康の「不況の経済学」参照)

オランダにおいては既に基礎所得政策が実施されていますけれど
(オランダでは生存権を保障をするためオランダに合法に住んでいる人に対し、
各自治体は月額720ユーロ(約90000円)の生存金を無条件で支給している。
オランダのホームレスはこの720ユーロから施設利用費用、食事代として
約550ユーロくらい天引きされ、生存権の残り170ユーロがかれらのお小遣いになる)

これの経済的な有効性を理論化したのが
オランダ社会党の理論的イデオローグだった経済学者ヤン・ティンバーゲン
(1969年第1回ノーベル経済学賞受賞)が提唱した「総需要の外部注入理論」です。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.1) Gecko/2008070208 Fire...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

Re:投機マネー
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/20(日) 5:28 -
  
「スタグフレーション」で検索したら次ところを見つけました。
すごい世の中ですね。自宅にいながらにして図書館の機能が使えるのですから。

http://www.nomura.co.jp/terms/japan/su/stagflation.html
スタグフレーション[スタグフレーション]
景気が停滞しているにもかかわらず、インフレーションが続くこと。不況(Stagnation)と インフレーション(Inflation)の合成語。
通常、景気が停滞すると、消費者の需要が落ち込み、物価は落ち着くといわれているが、1970年代、第一次石油ショック後、主要先進国にて金融引き締め政策をとった際、景気が沈静化しても、物価の状況には変化が生じないケースがみられた。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/114/index.html
「2008年景気展望(1) 戦後初のスタグフレーション到来か」
 おそらく、何年もたってから振り返ってみると、景気が後退に入った年として記憶されるに違いない。そして、2007年は格差の拡大と定着がなされた年でもあった。 国税庁の調査によると、給与所得者の平均年収は9年連続の減少。年収200万円以下の給与所得者が21年ぶりに1000万人を超える一方で、高額所得者は増加した。つまり、中流が崩壊して、上流と下流が増えるという近年の傾向が続いたのである。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/114/index1.html
 米国の住宅バブルが崩壊すると、その資金は原油市場に流れ込み、原油価格の高騰を招いた。1バレル=100ドルという極端な原油高騰の原因は、中国やインドでの需要増大ではなく、原油価格を支配しているニューヨーク市場に膨大な投機マネーが流入したことにほかならない。
 原油高騰の後、マネーは次の商品へと投機先を求め、穀物、大豆などに流れ込み、バイオ燃料の需要増大による穀物価格の高騰に拍車をかけた。
引用なし
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Reためにする批判と経済学
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 杉本 一平 E-MAIL  - 08/7/20(日) 7:14 -
  
▼徳永基二さん:
>斉藤金三郎さんの遺稿となった『マルクス遺稿物語』は
>なかなか優れた著作でした。この本によればマルクスが1883年に亡くなった時、
>未だ資本論第二巻は発表されていず、後には象形文字のような字で書かれた草稿のみ
>残っていたとか。

『マルクス遺稿物語』をよみ、
資本論草稿(1861−1863年草稿)についてご存知の人が、
>外部の人間
というのには驚きですね・・・・・

私は残念ながら『マルクス遺稿物語』を読んでいません。不勉強ですね。
これを<ためにする批判>というのですね。

エンゲルスさんは、資本論3巻序言にこう述べています。
「1863年から1867年までの間に、マルクスは、『資本論』の最後の二部の草稿と第一部の印刷用原稿とを作り上げたばかりでなく・・・」(世界の大思想・資本論三巻P10)
と外部の人間にもわかるように書いてありますね・・・

世界の大思想・資本論一巻で、訳者の長谷部先生の「解題」で紹介された各巻の初出年を追ってみましょう。
第一巻(初版)1867年
第二巻    1885年
第三巻    1894年

そして、調べてみると『経済学批判』は、1859年
先ほどあげた草稿が、1861−1863年に かかれたものです。
『資本論草稿集』の7――に、サミュエル・ベイリーのリカード批判の論文への批判がなされています。同じものが、『剰余価値学説史』7P222〜301にあります。そりゃ草稿集は、専門的なものですが、後者は、国民文庫ですからありふれたものですし、価値論を勉強する人なら、久留間――宇野論争に紹介されているのですから必読文献の筈です。
草稿は、1861−1863年
資本論初版は、1867年の出版

これくらいのことは、才知に溢れたお人なら調べている筈ですが・・・?
世間の常識におもねるのが、知識あるお人のやることですか?


徳永さん
>「経済の問題とは交換関係(金融問題)だ」

エンゲルスさんが、1859年の『経済学批判』書評にこう答えています。
「経済学は、商品をもって、つまり生産物が、――個々人の生産物であれ、自然発生的な共同体の生産物であれ、――互いに交換される契機を持って、はじまる。交換に入り込む生産物は商品である。しかし生産物が商品であるのは、ただ生産物という物に、二人の人物または二つの共同体の間の関係が、結びつくことによってである。ここでわれわれは、とりもなおさず、経済学全体を貫いており、かつブルジョア経済学者どもの頭にひどい混乱を引き起こしてきた一つの特有な事実の一例を持つことになる。すなわち、経済学がとりあつかうのは、物ではなくて、人と人間の関係であり、結局は階級と階級との間の関係であるということ、しかしこの関係は、つねに物に結び付けられていて、物として現れるということ、これである。」(『経済学批判』岩波文庫P266〜267)

マルクス経済学は、価値関係(商品関係)−貨幣関係−資本関係を探ることなんです。
引用なし
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Re:Reためにする批判と経済学
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 徳永基二 E-MAIL  - 08/7/20(日) 17:02 -
  
>『マルクス遺稿物語』をよみ、
>資本論草稿(1861−1863年草稿)についてご存知の人が、
>>外部の人間
>というのには驚きですね・・・・

あなたは1922年のゲセルとその思想を現代のマルクス学まで動員しながら復活を計っている私とをごっちゃにしています。


『状況』の1994年3月4日号の「戦後思想を読むに」次のような
宇野弘蔵批判があります。
「実践運動との接触がはたす役割が『資本論』としての科学的経済学が成立する
ことの関係でしか理解されないという問題がある。(中略)一旦、社会主義運動
からの刺激を通じて『資本論』体系が成立したからといって、それが問題しえな
かったこと、あるいはそれが論理的に採用した前提条件などが、実践運動からの
展開の中で再考を促されるということはなにのだろうか?そうしたことがあると
すれば科学として成立した枠組みすらも相対化し、パラダイムシフトにさらす
ために、常に実践運動からの刺激を確保することは、むしろ経済学研究にとって
重要な要素になる筈である。」

「唯物史観を半ば自明視するこうした宇野の態度は、現代の新しい経済現象を
捉えるためのパラダイムチェンジを難しくさせる。例えば高度大衆消費社会の
特徴である文化的価値の生産・刷新を機軸とした資本蓄積構造。これを捉えるには
経済的諸関係に対応してイデオロギー的文化価値が形成されるという捉え方から、
メディアの力に支えられた文化的価値の生産・刷新が経済的過程を駆動するという枠組みへシフトする必要がある。」

「あるいはまた、労働価値説に対する宇野の態度についても、同様なことが言える。
価値実体論や労働生産過程との論理的序列や、労働の平均化メカニズムとの論理的関連など、確かに宇野は、マルクスの価値論に異議を唱えている。しかし、それは主に方法や論理展開の面での批判であり、結論としての抽象的人間労働による価値規定については、むしろ宇野は強固にそれを擁護した。それは『価値論」でのいささか田と場的とも思える、徹底したベーム・バウェルク批判にも垣間見ることが出来る。」

なお、資本論の価値転形論といえば森嶋シートン方程式というヤツが有名だが70年代の論争でこの方程式は非常に限られた前提の下でしか成立しないことが判明している。
http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/marukusuhasakusyurironsaikensyoua.pdf

「しかし、宇野の理解とは違って、実際には、マルクスの労働価値説には論証されざる方法的前提がある。すなわち、事実上その対象が恒常的に再生産できる商品に限定されていることにも明らかなように、そこには、商品の原料・素材、そして生産物そのものが希少性の問題を発生させることなく調達・再生産できるという暗黙の前提がある。(中略)こうしたマルクスの労働価値説の暗黙の条件設定は、現代の資源・エネルギー問題や環境問題を経済論理的に捉えにくくさせる」
   『「分をわきまえた科学主義」と秘めれたイデオロギー性--宇野弘蔵』
                    浅見克彦著


野口真氏のマルクス経済学叢書6「現代資本主義と有効需要の理論」社会評論社 にはこう書いてあります。

「もっともマルクスの著作にセーの法則批判まがいの指摘を見出すことは困難ではない。貨幣を流通から引き上げる行為が販売と購買の分離をもたらす結果、「貨幣の需要」を意味する商品の販売が「貨幣の供給」を生み出す商品の購買を上回る「一方的な売り」が生ずる。これを貨幣の超過需要=退蔵と解釈しようとする試みは、比較的にマルクス体系に馴染みやすく見えるであろう。また、現実資本の運動から相対的に自立化した貨幣資本の運動を景気循環過程として説こうとするマルクスの関心は、貨幣ヴェール観を越える視点を確かに含んでいる。しかしマルクスは、一方で資本主義経済の無政府性を強調する立場から個々の需給の不一致を当然のこと前提しながらも、他面、資本主義を自立的なシステムとしてその全体において把握するときには、投資と消費からなる総需要が蓄積過程の基本的制約になるとは結局考えなかった。蓄積過程の桎梏は生産それ自体による生産の制約あるとするのが、マルクス的な蓄積論の基本を為すとみてよい。蓄積を緩みなく飲み込んでゆく自己増殖運動として資本を捉えるマルクスの方法はそのことを端的に示しているといえるだろう。

こうして有効需要の論理をマルクス経済学の原理論体系の中に取り込もうとしても、それは体系の均整を損なうだけのように著者には思われた。マルクスの言説のあれこれにセーの法則批判を結びつけるいかなる試みにも本書が組しえなったのは、そのためである。」

で、野口氏は宇野理論を参照しつつ、有効需要の論理を原理論と現状分析の中間段階の理論として歴史的なある段階の議論と見做すわけですけれど、利子生み資本の廃絶=プルードン・ゲセル主義経済の最終的到達点と見做す自分の立場にとって、それが受け入れられる筈がない。なにせ、自分たちは利子生み資本の説明を古代ローマ共和国の帝政化や、神聖ローマの解体・領邦国家化にさせ適用するぐらい汎歴史的な現象と見做して敵対してきたわけですから。

因みに自分がレギュラシオン理論に対する批判をするときも野口理論と同じような構造を持っているから。自分からみるとマルクスの理論的前提、賃金搾取論こそ単なる歴史的に限られた段階の話を汎用化したものにすぎない。少なくともマルクスの労働価値説が当てはまりそうにもない民俗学的社会はいくらでも名指し可能だし、資本は労働の助けがなくても勝手に自己増殖できる方法をいくらでも探し当てるだろうと思う。大体、これまでの議論を読めば判るように自分が最終的に目指しているのは労働者の解体ですから。
引用なし
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.9.0.1) Gecko/2008070208 Fire...@i219-167-42-192.s02.a027.ap.plala.or.jp>

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