▲日当制にした矢祭町の特殊性:全員兼業議員と心意気。肝っ玉町長交代後の「変化」
戸田 - 11/2/18(金) 14:03 -

福島県東白川郡矢祭町(やまつりまち)。
人口 6,343人の小規模自治体(面積は118.22km²と広い)ですが、
ここは2001年10月にの「市町村合併をしない矢祭町宣言」
を町議会全員一致で決議し、さらに2002年7月、全国最初に住基ネットからの離脱を宣言実行し、
これまた国の猛圧力と闘い続けている「国県に媚びない・屈しない気骨の町」として全国に勇名を馳せてきた町です。

 この矢祭町が「2008年度から議員の日当制への移行」を宣言実行し、
「議員の人数・報酬削減」を求める世論的にはかなり共感を呼んでいます。
 議員専業論の戸田としては、合併問題と住基ネット問題でその見識に拍手喝采した矢祭町だけに、戸惑わざるを得ません。
 ただ、現地の事情は知らなくても、次のような見解は表明しておきました。
     ↓↓↓
◆民衆・議員から行政チェックの武器を奪わせない事が大事。予算の1%前後の議会費で
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=6063;id=#6063
 後段:・・・矢祭町の「日当制議会」について簡単に言っておけば、合併しない宣言を
    し、住基ネット接続拒否をした立派な見識の町長と、それを支える見識ある議員
    達・職員達によって現在はうまく行政運営が出来ているかもしれないが、それは
    しかし「現在の人々の幸運な組み合わせ」によるものであって、永続性に欠ける
    と思います。
     今の町長がいなくなったらどうなるのか?
     日当制議員しか経験していない議員が続いていって、果たして行政全体や国の
    政治に絡んだ様々な制度法律の問題に対してちゃんとした見識が議員として保て
    るのか、心許ない要素が多いと思います。

 で、その後矢祭町の事をいろいろ調べて、今から書くわけですが、上記の戸田見解は我
ながら「詳しい知識が無くても判断力がしっかりしていれば正しい判断が出来る」という原理を裏付けるものでした。エッヘン。

 資料は竹下先生の<地方議会 その現実と「改革」の方向>の94〜96ページと、竹内謙
氏コラム『Samurai Mayors』(サムライ メイヤーズ)の福島県矢祭町(1)〜(4)
  http://www.news.janjan.jp/column/takeuchi/list_samurai_mayors.php#point0
と<「合併しない宣言」の矢祭町がちょっと変ですよ>2009/12/12
    http://www.news.janjan.jp/area/0912/0912110292/1.php

1:矢祭町の町議会議員は、全員が農業や会社員などの職業を持つ兼業議員だった!
  (94ページ)
  町議会の報酬はどこでも安いので、本業を持っていないと家計も活動費も維持できな
 いから、「片手間議員」をやらざるを得ず、だから矢祭町の議員達は「本業の合間に出
 来る範囲での審議や調査しかして来なかった」のだし、「議員とはそういうものだ」と いう共通認識を議員も住民も持って来ていたのだ。
  そういう長年の状況があるからこその「議員日当制への移行」だったし、
  「日当制になっても議員活動に支障はない」という認識が生まれていたのだ。

  ここにもし、専業議員がいて調査や啓発にそれなりに金を使って頑張るBという議員
 がいて、住民からも高い評価を受けていたとしたらどうだろうか?
  「日当制への移行」はその議員の生活と活動を破壊する事は明白だから、当のB議員
 からはもちろん、住民からも「日当制移行はB議員潰しになるから反対だ!」という声
 が出ていたことだろう。
  そうであれば、次に述べるようにそこらの自治体よりはずっと見識の高い町長・議員・職員・住民
  のいる矢祭町では、そういった事情や声を尊重して、「議員日当制」の
 実施はしなかったはずである。
  
 ■一言で言えば、矢祭町での議員日当制移行は、全議員が兼業議員であったからこそ容
  認されたものだった、ということだ。

2:議員達は根本良一町長(1983年4月〜07年4月。6期24年)と共同して「合併しな
 い矢祭町宣言」を議会で全員一致で議決し、その後も国県の圧力と共に闘うほど(住基
 ネット離脱でも)見識高い行動をした。

3;特に住基ネット問題の時は、県の執拗猛烈な圧力によって町長が「町独自の情報保護
 条例(離脱権を明記)を作った上で住基ネットに参加する」という苦渋の選択で議会に
 条例提出した時に、02年当時の議員達は賛成1、反対16の圧倒的多数でこれを否決す
 るという大英断を下している。
    http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503264988/1.php
  ◆国の動向に何でも従う、合併推進、住基ネット賛成の門真を含めた全国の議会とは
   全然違う見識を発揮したのだ。矢祭町の議員も住民も!
   この「レベルの違い」を見ずして「矢祭町に倣って議員日当制に」はおかしいよ!
    ・・・矢祭町議会では09年6月からは本会議質問を「対面式、一問一答形式」に
    改善し、この時は住民も70人も傍聴に行っている。・・・ここもレベルが高い。  
4:02年6月議会で18人の議員定数を一気に10人に削減する条例案を賛成多数
 (賛成12・その他6人=12人案2・8人案1・意思表示なし、欠席、議長各1人)で
 可決したのも、「合併しない宣言は保身のためではない」との心意気を示す要素が大き
 く、04年3月の町議選ではベテラン議員を中心に7人が引退、重ねて「保身」でないこ
 とを身をもって示した。http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503214836/1.php

5:日当制移行を決めたのは、根本町長勇退後の後継として07年5月から無投票で町長に
 なった古張町長の07年12月議会での提案によるが、これは前町長時代の「一丸改革」
 の延長として了承したものだった。

6:そういう見識ある矢祭町議会ではあるが、08年度日当制移行でマスコミの注目を集め
 る以前は、本会議一般質問はかなりおざなりなものだった。(本の94ページ)
  質疑に関して言えば、日当制前も後も十分とは思えない。09年9月議会で見ると、全
 26議案を質疑するのに要した日は実質2日間だけだった。(本の95ページ)
  これは全国どこの議会でも似たようなものだが、「そういう議員だから日当制で十分」
   というのでは、議会がまともに機能していない現状を追認してしまうだけ。
  (本の95ページ) 
  
7:矢祭町では職員の中に潜在能力の高い人達がおり、「合併しない宣言」で全国に
注目された事を契機にして、その能力がどんどん発揮されて町政改革を押し進めてこれた。
  つまり、人口6千余の小さな田舎の町での気骨ある町長・議員・職員・住民の「幸運
 な巡り合わせの共同体」で良き町政がこの間運営されてきたのであって、制度的にそれ
 が永続する保障はないという事であり、日当制議会が良き町政を担保するものでは全然
 ない、という事である。

 その根拠:「職員が考える」のを待っていた町長
 (福島県矢祭町(4)「合併をしない宣言」から芽生えた自律意識 2005/03/29)
    http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503264988/1.php
  抜粋:
・・・・「ほんとうは町長に行革なんてやるつもりはなかったんですよ」
  自立に向けて役場改革の牽引車になってきた自立推進グループ長の高信由美子さん
 が意外なことを打ち明けてくれた。どういうことか。
  高信さんの話によると、「市町村合併をしない矢祭町宣言」(01年10月)から
 というもの、矢祭町は全国の自治体からの視察ラッシュに襲われた。当時、議会事務
 局勤務だった高信さんがもっぱら応対係になった。視察団から、自立のための財政、
 行革、街づくりをどう考えているのか、矢のような質問が飛んできた。

  役場のだれも、なにも考えていなかったので、なにも答えられない。町長は適当な
 ところで席を立ってしまう。
  高信さんは「町長は現状維持で大丈夫ぐらいにしか考えていなかった」とみる。
  あとに残される高信さんは、来る日も来る日も視察団が繰り出す同じ質問に、だんだ
 ん不安が募ってきた。

  意を決して「本格的な行革をしなければ町は自滅する」と町長に直訴した。
  町長の指示は「お前さんたちが考えてやれ」だった。町長はなかなか人使いに長けた人だ。
   何ごとにつけて職員が自ら立ち上がるのを待つ手法をとる。

 ・・・これまでの役場の古い慣習と変えることへの抵抗と衝突し、会議の度に大声が
 飛び交い合いながらも、次第に全庁に広がった。そして03年8月の機構改革で「自立
 推進課」が生まれ、ようやく軌道に乗った。・・・・・「何をしても変わらない」から
 「できることから変えよう」へ、職員の意識が変わってきた。
  なかでも中堅でみんなをまとめる人がいるグループは改革に拍車がかかった。・・・

  高信さんは「ここまで行財政改革を進めてこられたのは、町民の不安の声と全国から
 の視察団の叱咤がわれわれを変えてくれたお陰なのです。人は出会いによって成長する
 ものだとつくづく思います」という。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
8:数々の感動を生んできた矢祭町でも町長が替わってキシミが出てきた。
  参考:「合併しない宣言」の矢祭町がちょっと変ですよ 竹内謙2009/12/12
  http://www.news.janjan.jp/area/0912/0912110292/1.php (抜粋)
 
 ・・・・自立路線を主導した根本良一・前町長のもとで改革に辣腕を振るってきた高
 信由美子・教育長の再任を町議会が拒否、自立路線に黄信号が灯り始めたのだ。

  教育長再任拒否事件の発端は、町執行部の単純な事務的ミスだった。高信氏は、古張
 町長就任(07年4月30日)後の07年6月4日に教育長に任命されたが、任期は前
 任教育長の残任期間(09年9月19日まで)だったにもかかわらず、町執行部も教育
 委員会事務局も本人も「就任から4年間」、つまり2011年6月と勘違いしていた。
  就任時の町広報紙にも、そう書いてあった。

  騒ぎが起こったのは、本年9月18日の9月定例町議会最終日。ある議員が高信教育
 長の任期切れが迫っていることを指摘した。
  町執行部は一度は「任期はまだある」と答弁したが、調べてみて初めて任期切れに気
 づき、あわてて再任の人事案件を追加議案として提出した。
  これに対して町議側が「唐突すぎる」と反発、今度は町長が提出議案を取り下げる混
 乱を演じてしまった。

  町長は9月24日に臨時町議会を召集、改めて高信前教育長を再任する人事案件を
 提案したが、「高信教育長の職務は高く評価されている」「執行部が任期を知らないの
 は前代未聞。この際、新たな人選をすべき」など賛否が分かれ、採決の結果、再任案は
 賛成4、反対5の賛成少数で否決された。

  高信氏は1977年に矢祭町役場に入り、議会事務局の職員の時に、議会が全会一致
 で採択した「市町村合併をしない矢祭町宣言」の宣言名を考え出した。
  宣言後には根本前町長が目指した自主自立路線を具体政策化する自立課の自立グルー
 プ長として活躍。住民基本台帳ネットワークシステムへの非接続、職員数と人件費の削
 減、年中無休の窓口業務、職員の自宅を利用した出張役場、全職員による税の滞納整
 理、保幼一元化、職員消防隊、スタンプ券での公共料金支払いなど根本町政が推し進め
 た自立政策の蔭の牽引役だった。

  6期24年間にわたった根本町長が勇退し、町議から副町長を経験した古張允氏が後
 継町長に就任、根本町政の方針を引き継ぐことを公約して無投票でのバトンタッチだっ
 た。
  高信氏は古張町長から教育長に抜擢されたあとも、全国から40万冊を超える寄贈本
 を集めた「もったいない図書館」や民間塾「若あゆスクール」を開設するなど斬新なア
 イディアを繰り出して教育行政の改革に積極的に取り組んできた。

 執行部に向く日当制の不満
  議会が高信氏の再任を否決した背景には、いくつかの事情が重なっている。

  第1には、高信氏について改革の牽引役としての評価が高い一方で、議会内には「独
 断専行が過ぎる」「議会を軽視している」と不満を募らせていた議員がかなりの数いた
 ことは間違いない。
  それは根本前町長が敷いた自主自立路線に対する議員側の意識のずれでもあった。

  第2には、議会内に古張町長からの離反現象が次第に顕在化しつつあった。
  今春には町職員OBらに役場事務の一部を委託する「第2役場」構想や分譲地の販売
 促進を目指した定住促進条例が議会の反対で相次いで頓挫した。
  古張町長による高信氏の教育長登用は就任直後だっただけに異論は表面化しなかった
 が、当初から面白く思わなかった議員たちは、9月議会の町長提出議案の中に教育長再
 任の人事案件がないことを渡りに舟と、執行部の不手際を理由に一気に再任拒否に持ち
 込んでしまった。

  第3には、議会側には「全国初」と大きな反響を呼びながら導入された日当制議員報
 酬への強い不満がくすぶり続けている。
 ・・・・月額制による議員報酬の年間総額(07年度)が3,473万円だったのに対
 して、日当制導入後は1,206万円(08年度)と、3分の1に削減された。
  つまり、10人いる町議の平均報酬は年額347万円から120万円に大幅縮減され
 たのだ。
  「議員はボランティアで、職員は高い給料をとっている」という不満が募り、そのは
 け口が町長ら執行部に向けられてきた。

 自立路線が崩壊し始めた
  残念ながら、古張町長には根本前町長のようなカリスマ性やリーダーシップはない。
 ・・・・・
  高信教育長の再任拒否についても、高信氏を「『元気な声が聞こえるマチづくり』の
 お手本になる仕事をどんどん取り入れてやってくれた」と評価する一方で、「ただ議会
 にすれば、議員さんたちの話を聞かないで新しい施策をやってきたことが面白くなかっ
 たのかなという気もする」と、自ら提案した人事に対する執念や責任からはかけ離れ
 た、評論家的な見解を披露する始末なのだ。
 
  この記事は、高信教育長の再任に反対した5人の議員<注>は事前に周到な準備をし
 ていたとの見方を示している。
  それはともかく、この再任拒否事件は、単なる特別職人事の否決を意味するにとどま
 らない。
  「合併しない宣言」から8年、矢祭町が進めてきた「自立の町づくり」路線が町長交
 代から2年余りにして崩壊を始めたとみるべきだろう。
  そこには、町民本位の改革に耐えきれなくなった議員たちからの「昔」へ回帰しよう
 とする構図が透けて見える。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
8:上の記事の末尾では「町民本位の改革に耐えきれなくなった議員達が昔へ回帰しよう
 とする構図」と書いて、「町民本位の改革・自立路線」と「議員日当制の撤回」が
対立するかのように描いているが、それは間違いだと思う。
 
  「偶然の良き巡り合わせ」に依存することなく行政のシステムとして「町民本位の改
 革・自立路線」を継続発展させていくためには、そういた路線を持った議員が議員活動
 と生計をそれなりに両立させて持続的に活動できるような報酬を保障する事だろう、と
 戸田は考える。

・・・・「合併しない宣言」以降の矢祭町の感動的な話は数々あって、
ぜひ紹介しておきたいのですが、長文になりすぎるので、
ここでは代表的なリンクだけ紹介して終わります。
そこの文章は別投稿で紹介します。

◎市町村合併をしない矢祭町宣言
    http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503074371/2.php

◎市町村合併なんて馬鹿こくでねぇ 
   http://www.kojintekina.com/monthly/monthly90602.html

◎根本良一矢祭町長にお会いして 04年2月
 http://www.matunomi.com/jcp/jyuumin/1000nin/yamaturi.pdf

◎福島県矢祭町(2)いまも遺る“昭和の大合併”、血の雨のしこり
  http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503144626/1.php

◎福島県矢祭町(3)どうみても3役は総務課長ほど働いていない 2005/03/22
  http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503214836/1.php

◎福島県矢祭町(4)「合併をしない宣言」から芽生えた自律意識 2005/03/29
    http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503264988/1.php


△たしかに感動的な「小さくともキラリと光る」矢祭町の実話の数々。敬意を込めて紹介
戸田 - 11/2/19(土) 2:54 -


 人口6300余の福島県の町、矢祭町(やまつりまち)。
 議員日当制への移行というのは、全員が兼業議員だった事で出来上がっていた
「議員観」の延長でなされた苦肉の経費削減策であって、
議会の機能を向上させるものでは全然なく、従って「望ましい議会」のお手本になるものではない、
と戸田は判断しますが、
それ以外の様々な面においては、国や県の圧力と対峙し抜いた矢祭町の歩みは感動的な話に満ちています。
 それらのいくつかで、上で紹介いた以外の部分を敬意を込めて紹介しておきます。 
 (議会については月報酬制に戻しつつ、旧来以上に議員としての調査・審議をしっかり
  深められるようにして行政チェックと民意反映の機能を高める事を期待します。)
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎市町村合併をしない矢祭町宣言
    http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503074371/2.php

 国は「市町村合併特例法」を盾に、平成17年3月31日までに現在ある全国3,239市町村を
1,000から800に、更には300にする「平成の大合併」を進めようとしております。
 国の目的は、小規模自治体をなくし、国家財政で大きな比重を占める交付金・補助金を削減し 、
国の財政再建に役立てようとする意図が明確であります。

 市町村は戦後半世紀を経て、地域に根ざした基礎的な地方自治体として成熟し、
自らの進路の決定は自己責任のもと意思決定をする能力を十分に持っております。

 地方自治の本旨に基づき、矢祭町議会は国が押しつける市町村合併には賛意できず、
先人から享けた郷土「矢祭町」を21世紀に生きる子孫にそっくり引き継ぐことが、
今、この時、ここに生きる私達の使命であり、将来に禍根を残す選択はすべきでないと判断いたします。
 よって、矢祭町はいかなる市町村とも合併しないことを宣言します。


1.矢祭町は今日まで「合併」を前提とした町づくりはしてきておらず、独立独歩「自
立できる町づくり」を推進する。
2.矢祭町は規模の拡大は望まず、大領土主義は決して町民の幸福にはつながらず、現状
 をもって維持し、木目細かな行政を推進する。
3.矢祭町は地理的にも辺境にあり、合併のもたらすマイナス点である地域間格差をもろ
 に受け、過疎化が更に進むことは間違いなく、そのような事態は避けねばならない。
4.矢祭町における「昭和の大合併」騒動は、血の雨が降り、お互いが離反し、40年過
 ぎた今日でも、その痼は解決しておらず、二度とその轍を踏んではならない。
5.矢祭町は地域ではぐくんできた独自の歴史・文化・伝統を守り、21世紀に残れる町
 づくりを推進する。
6.矢祭町は、常に爪に火をともす思いで行財政の効率化に努力してきたが、更に自主財
 源の確保は勿論のこと、地方交付税についても、憲法で保障された地方自治の発展のた
 めの財源保障制度であり、その堅持に努める。

 以上宣言する。
        平成13年10月31日   福島県東白川郡矢祭町議会
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎市町村合併なんて馬鹿こくでねぇ 
   http://www.kojintekina.com/monthly/monthly90602.html

 久慈川のほとりで、名物といえばアユくらい。人口7千人弱の矢祭町(やまつり)は、
01年10月に議会が「市町村合併をしない矢祭町宣言」を決議して、一躍注目されました
県南部12市町村の首長らが集まる会議があって白河市長が「カネもたくさん入ってくる。
みなさん検討しましょう。12万住民の半数以上が賛成している」という。
 「調査したのか」と聞くと「役場の総務課長が集まる会議で半数以上が賛成だから」というんだ。
「木っ端役人の総務課長がいいといって、それが住民の総意か。馬鹿こくでねぇ」と。
それで早めに旗幟(きし)鮮明にしなければならないと思ったんだ。

 元福島県矢祭町長 根本良一氏:
 私が口述して白石勝夫総務課長(現・町社会福祉協議会会長)に成案させた。
 「合併反対決議」だったんだけど、総務省に槍を突きつけているようで具合が悪い。
 思案しているうちに、議会事務局の高信由美子さん(現・町教育長)が「合併しない
宣言でいいんでないの」と。
 議長と総務課長を呼んで、臨時議会を開いてくれと。議案はこれ一つ。
 マスコミも呼んだ。結果は18対0。
 その後住民調査もしたが、回答率97%で合併反対が70%だった。

— 反響がすごかったとか
 自治体、マスコミ、研究者らから問い合わせが殺到しちゃって。最初の2年間で350自
治体、4千人、引退するまでなら、 700の自治体から8千人が視察にきたよ。
 「財政力指数が0.2で交付税頼みで自立してやっていけるのか」とか「コスト削減策は」とか、職員が聞かれるわけ。
 答えようがないわな。宣言を出しただけで、中身は何もないんだもの。これが、のちに、職員が発案した行財政改革につながった。

— 議会も反応しました
 総務省の職員が近隣の合併説明会で「合併しないのは、町長や議員の保身のためだ」と話していると聞こえてきた。議員が怒ったね。
 02年7月に議員定数を18から10に減らすと決めた。私も町長、助役、教育長の給与を総務課長と同額に下げた。
 どう考えても総務課長以上には仕事してないもの。「一寸の虫にも五分の魂」だな。

  朝日新聞夕刊2009年6月15日「人生の贈りもの」より
トイレ掃除、助役以下が交代で

 6期目を迎える直前に引退騒動がありました
 早く辞めたいと思っていたから。5期目を終える直前の03年3月に新聞に引退すると書いてもらった。
  既成事実を作ろうと思って。家族も喜んでね、赤飯を炊いてくれたよ。

 翌日、議会で引退表明するんで30万円もした新調の一張羅の背広を着込んで役場に行ったら、
  狭い町長室が町民であふれていた。
 消防団員が「辞めるならおれも法被を脱ぐ」。女性陣も来て100人くらいになったかな。
 「合併しない宣言を出した船頭が先に降りるのか」。監禁だな。
 議場に上がらせまいと背広を引っ張る。背広はぼろぼろだ。

 妻と約束したことだと言うと、かあちゃんまで引っ張りだしてくるし。議場でも時期尚早と言われ、泣きながら撤回した。

— そこから本格的な行革に
 宣言前も、節約はしておったんです。最盛期108人いた職員を83人まで減らしていたし。
  でも将来交付税が減っても生き残れる体制が必要だった。
 私が示したのはただ一つ、「10年後は職員50人体制で行政サービスの質を落とさない」。
  具体策は職員が全部考えてくれました。

 50人体制は退職者を補充しないで達成する。
  歳入全体で約40億円の町で最終的に2億5千万円の人件費が浮くから大きい。
 7課を最後は3課に減らす。嘱託職員34人は全廃。係り制度は廃止してグループ制にする。
  グループ長は業務に精通していれば若手でもなれるし、課員に戻ることもある。

 例えば、滞納を督促する税務課の徴収係長は部下なし。でも他の職員は手伝わない風潮があった。
  グループ制にして助役意以下みんなが手伝って恒常的に徴収するようにしたら、滞納額が目に見えて減った。

 電話交換もトイレ掃除も自前でやる。トイレは町長以外、当番で掃除します。
  お茶は自分で入れる、電話は空いている人がとる。
 フレックス勤務を導入して、開庁時間を朝7時半から夕6時45分まで延長した。
  休日も8時半から5時半まで開き、住民票の届けや納税を受け付けることにしました。
  代休を取ったりして手当ては出ません。

 職員の自宅を出張役場にした。一人暮らしのお年寄りはなかなか役場まで来られない。
  近くの職員の家に行けば窓口業務を代行してくれる。
 06年からは、商店会のスタンプ券や商品券で公共料金や税金の支払いもできるようにした。

— コスト削減と住民サービス向上の両方を同時に
 「財政力指数は0.4近くまで上がった。
 何より地方自治とは何か職員が考え始めたのが収穫だ。行革が進むにつれ、職員に対する町民の見方が変わった。
 昔は、はっきり言って職員は馬鹿にされていた。それが今は「頑張ってるねぇ」になり、無償の「行政サポーター」が公園の掃除や草刈りをしてくれる。
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◎福島県矢祭町(2)いまも遺る“昭和の大合併”、血の雨のしこり
  http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503144626/1.php
・・・・
 町議会で「市町村合併をしない矢祭町宣言」を総務常任委員長が提案したのに対して、
  8人の議員が賛成討論に立った。
 「政府・財界の一方的な合併には断固反対」
 「地方分権といいながら中央集権」
 「先人が築いた町を次代に引き継ぐべき」
 「昭和の大合併は大きなしこりを残した」と口々に合併反対を唱えた。
 そして18人の全議員が決議に賛成した。
「二度とその轍を踏んではならない」という「合併しない宣言」の言葉は、
「昭和の大合併」の悪夢に裏付けされた町ぐるみの確固たる決意表明なのだ。
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◎福島県矢祭町(3)どうみても3役は総務課長ほど働いていない 2005/03/22
  http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503214836/1.php
・・・・・
 ◇特別職の報酬見直し
 03年6月議会。根本町長は特別職(町長・助役・収入役・教育長)の報酬見直しを提案した。
  提案理由の説明に名言を吐いた。
 「どうみてもわれわれ3役は激職の総務課長ほど働いていない」
 
 特別職の報酬額を総務課長の給与額(月額53万3000円)に合わせる提案であった。
  加えて、04年4月からは収入役、12月からは教育長を不補充にした。
 節減額は1300万円/年。
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◎根本良一矢祭町長にお会いして 04年2月
 http://www.matunomi.com/jcp/jyuumin/1000nin/yamaturi.pdf
 穴の開いた外壁。片方しか開かない、しかし直すつもりもない玄関のドア。
 歩くとギシギシ鳴る階段。トイレには昔ながらの木のサンダルが置かれ、
  古びたタイル張りの床にガランガランと響きます。
 昭和35年に建てられたままの庁舎と、封筒に入れた書類が床から積み上げられ、
  夏は扇風機を回し、冬は小さなガスストーブ1台で暖をとる質素な町長室が、根本町長の21年にわたる町政に対する姿勢を表しています。

 町長車(トヨタ・センチュリー)も町民が見かねて寄贈した中古のお下がりで、
  走行距離はすでに30万キロを超えているそうです。

 また、昨年の六月議会で根本町長は「町長・助役・収入役・教育長の給与を総務課長と同じ額にする」という条例改正案を提案しました。
 提案説明で町長は「どうみても自分達は総務課長ほどには働いていないから」と述べ、
  全会一致で引き下げが決まりました。

 行政に関わる者・物は徹底的に経費節減し、その分はすべて町民の福祉、サービスに回す。
 一方で、「これからは口を開いて待っているヒナのために役場の職員がいるわけじゃない。
  団体や町民ができることはできることはしてもらう。自治本来の姿に戻るべきだ」とも言います。
 帰り際、「この建物が役場だとは思いませんでした」と言うと、
  「これが俺の誇りなんだよ」と笑った根本町長の座っている古いソファーの肘掛部分は、擦り切れたのでしょう、ガムテープが何重にも貼ってありました。
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   ◇“女の涙”で溢れた町長室に監禁
 03年3月14日(金)。根本良一町長は晴れやかな朝を迎えた。
 町議会の最終日。ここで引退を表明することを前日のうちに家族と地元紙の記者に話していた。
  65歳。次の4年間の任期を全うする健康にも自信がなかった。
 家族は喜んでくれた。朝刊には「きょう引退表明」の記事が載っていた。

 20年間の町長生活は妻と娘から嫌われ通しで、いつも朝食は自分で用意して出掛けたが、
  この日はにぎりめしとみそ汁を出してもらった。奮発して新調したスーツを着て役場に出掛けた。

 そこで思わぬ出来事に巻き込まれることになった。
 「引退表明」を知った消防団員や民生委員が町長室に押し掛けて、
  「町長が辞めたらオレも法被(はっぴ)を脱ぐ」「私も辞めさせてもらう」と口々に引退を翻意するよう迫った。
  さらに強力だったのが続いてなだれ込んできた町のおばちゃんたち。100人ほどが「辞めるなんて言わないでください」と涙ながらに訴える。

 町長が「辞めることは妻と約束したから困る」というと、だれかが町長夫人を家から連れてきてしまった。
  夫人も泣いている。
 女性たちは午前10時の議会開会の時間になっても、町長の服を掴んで離さない。
 町長は“女の涙”で溢れる町長室に監禁されることになった。

 ようやく辿り着いた議場は傍聴者で超満員だった。4人の議員が緊急質問に立った。
 だれも引退を認めようとしない。こらえきれなくなった根本町長は、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら、
  「任期途中で倒れるかもしれないけど、行くところまで行く」と引退の意思を撤回した。
 傍聴席からは「バンザイ」の歓声が沸き起こった。
 翌月の統一地方選挙で5期連続の無投票、6期目の当選となった。

 「小さいからこそ輝く」とは、このことだろう。そこには、町民の意思が目に見える政治がある。
  大きな自治体にこんなことは起こりようがない。絶滅危惧種のような町長が、そこにいる。
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◎福島県矢祭町(4)「合併をしない宣言」から芽生えた自律意識 2005/03/29
   http://www.news.janjan.jp/column/0503/0503264988/1.php
  接続を迫る県との5カ月にわたる攻防
  ◇住基ネットに不参加表明

 住基ネットの稼働(02年8月5日)を前に、福島県が開いた住基ネット市町村連絡会(02年7月22日)の席上、
矢祭町の担当課長は「住基ネットは個人情報保護法とセットで実施するのが国の約束であり、
個人情報保護法案の成立の見込みがないなかで、矢祭町は当面参加を見合わせる」と表明した。
全国最初の不参加表明だった。
 個人情報保護法の未整備を表向きの理由にしてはいたが、
根本良一町長は住基ネットに基本的な疑問を持っていた。

 「人間を番号で管理するという考えは薄気味悪い。
管理国家へのスタートになるのではないか。少なくとも私はしたくない。
 町民のプライバシー保護はもっとも重要なことで、世界中のハッカーにどう対応するつもりなのか、
町民の情報を危険にさらすことはできない。
行政の簡便化や身分証明なら番号もネットワークもいらない。膨大な経費は財政を圧迫することにもなる」

 確信犯的な不参加であることは間違いない。
 その直後から福島県は矢祭町に独自の条例を制定して接続するよう執拗に迫ってきた。

 根本町長は02年12月、「万が一にも不測の事態が生じた場合、県は矢祭町の意向を尊重しながら、
万全の措置を講ずることを確約する」との覚書を県と締結したうえで、
個人情報が漏えいした場合の措置として「町長の判断でネットから切断する」
「裁判を待たずに賠償に応じる」ことを明記した個人情報保護条例案を町議会に提出した。

 県との案文調整に5カ月、10回の書き直しをする難産の条例案であったが、町議会は賛成1、
反対16の圧倒的多数でこれを否決した。
 議員からは「情報漏洩や不正利用の危険性がある」「町民は住基ネットを望んでいない」などの反対理由が相次いだ。

 それから2年あまり、今年4月からは国の個人情報保護法が施行されるが、
いまのところ根本町長が住基ネット不参加を再考する兆候はない。
 町長の条例提案は県への顔立て、町議会の否決は町長にとっても本意だったのかも知れない。
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   ◇地方交付税40%削減の「ムチ」にも耐える
 改革事例の紹介は、この辺までにしよう。どのぐらいの経費削減を成し遂げたのか。
 ここに取り上げた「助走期間」の成果を合計しただけでも約2〜3億円/年にはなる。
 将来の職員数削減を考えれば5億円/年規模までの見通しはついた。
 00年度末に6億5,000万円であった貯金(財政調整基金)は、毎年着実に積み増され、04年度末には10億6,000万円になった。・・・・・
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●矢祭町の日当制は全議員が兼業ゆえの特殊例、議会機能向上と無縁で手本にならない
戸田 - 11/2/19(土) 10:48 -


 上記2本の投稿で述べた肝を合体させると、こういうことになります。

 議員日当制への移行というのは、全員が兼業議員だった事で出来上がっていた「議員観」の延長でなされた苦肉の経費削減策であって、議会の機能を向上させるものでは全然なく、従って「望ましい議会」のお手本になるものではない、と戸田は判断します。

◆:矢祭町の町議会議員は、全員が農業や会社員などの職業を持つ兼業議員だった!
  (94ページ)
  町議会の報酬はどこでも安いので、本業を持っていないと家計も活動費も維持できな
 いから、「片手間議員」をやらざるを得ず、だから矢祭町の議員達は「本業の合間に出
 来る範囲での審議や調査しかして来なかった」のだし、「議員とはそういうものだ」と いう共通認識を議員も住民も持って来ていたのだ。
  そういう長年の状況があるからこその「議員日当制への移行」だったし、「日当制に なっても議員活動に支障はない」という認識が生まれていたのだ。

  ここにもし、専業議員がいて調査や啓発にそれなりに金を使って頑張るBという議員
 がいて、住民からも高い評価を受けていたとしたらどうだろうか?
  「日当制への移行」はその議員の生活と活動を破壊する事は明白だから、当のB議員
 からはもちろん、住民からも「日当制移行はB議員潰しになるから反対だ!」という声
 が出ていたことだろう。

  そうであれば、そこらの自治体よりはずっと見識の高い町長・議員・職員・住民のいる矢祭町では、そういった事情や声を尊重して、「議員日当制」の実施はしなかったはず
である。
  
 ■一言で言えば、矢祭町での議員日当制移行は、全議員が兼業議員であったからこそ容
  認されたものだった、ということだ。