最高裁 上告申立の理由(3)


第2;1960年大法廷判決見直しには本件が格好の事例である。

 1960年大法廷判決の妥当性は、現代の社会状況ではもはや存在しないことは既に十分に論じたところだが、しかしそれでも「大法廷判決」を見直す作業は裁判所にとって決して軽くない負担であろうと思われる。しかし、本件上告事件には本年4月に最高裁が棄却し た加茂町議会戒告懲罰事件とは違う十分な大義名分が存在し、まさに判例変更の格好の事例なのである。それを以下に論証してゆく。

1;本件が戒告懲罰でなく、実害を伴った重大な出席停止懲罰であること

 懲罰には「除名」「出席停止」「陳謝」「戒告」の4段階があるが、裁判提訴されるのは「除名」「出席停止」「戒告」の3つだけである。なぜかと言えば、「陳謝」懲罰の場合は、当該議員が「陳謝」した場合は提訴の余地が無く、「陳謝」しない場合は「出席停止」懲罰にスライドされるのが普通であり、まれにスライドされないのは双方で「手打ち」が行なわれた場合だから(本年2月の茨木市議会大量懲罰事件の場合)、これも提訴されることがない。
 そして「除名」の場合は必ず司法審査されるのだから、結局提訴した議員から司法審査が求められて問題になるのは「出席停止」と「戒告」の2つだけである。
 懲罰事由の不在や懲罰手続きの不正などの違法性は同じであっても、当該議員の名誉の問題を主として、あえて言えば「実害性」の弱い「戒告懲罰」と、議会での質問や審議・議決行為への参加阻害をされて有権者から付託された議員としての権能をその議会で剥奪されるという重大な「実害性」のある「出席停止懲罰」とでは、その重みが違うと言わなければならない。

  その点で仮にも最高裁大法廷判決を見直すのに、加茂町議会の戒告懲罰事件ではいささか心許ないとしても、本件門真市議会の出席停止懲罰事件であれば、その「資格十分」ということができるだろう。
 なお、上告人が受けた実害や出席停止懲罰の重大性については、1審準備書面(1)のP19〜24の「8;出席停止懲罰は、最終本会議での議決権・質問権剥奪に直結させられる仕組み」、「9;不当な出席停止懲罰の脅威によって、どのような言論萎縮が生じるか」、「10;本件出席停止懲罰で原告が剥奪されたもの」に詳しく記載してある。
 また、2審第1準備書面のP12〜14の「第6;出席停止懲罰の損害は過小評価すべき でない」にも記載してある。

2;本件懲罰だけでなくその前後の、不当で執拗な攻撃の悪質さ

 本件懲罰が「冤罪事件」であることは1審2審の提出書面で十二分に論証されたことだが、それも単なる出席停止懲罰ではなく、出席停止懲罰としては最高刑の「出席停止5日」を同一議員に同一議会で二つも重ねて合計「出席停止10日」とした「重罪懲罰」である。(たとえ結果として「実質1日」だったとしても、あえて「10日」とした事実は消えない)
 しかも、2001年3月16日提出の2本目の懲罰動議は、3月14日提出の1本目の不当な懲罰動議に対する上告人の反論(=「一身上の弁明」)の内容がケシカランとして出されたもので、まさに不当懲罰の屋上屋を重ねる暴挙であった上に、その存在を3月26日本会議直前の議運まで不利益処分対象者たる上告人に秘密にして全く防御権を奪うという悪辣さであった。(この経緯は1審準備書面(1)のP43〜47の「18;原告発言(2)も「誹謗中傷」「無礼の言葉」「議会の品位」等に全く抵触しない」に詳しい)

 それだけではない。加茂町議会の場合は、後にも先にも戒告懲罰が一つだけだったが、門真市議会の場合は、1審準備書面(1)のP24〜31の「11;重要参考;原告への最初の懲罰と問責決議事件(99年9月議会)」、「12;重要参考;原告への辞職勧告決議事件(99年12月議会)」、「13;重要参考;共産党議員への懲罰事件(2000年3月議会)」にあるように、本件懲罰事件以前に99年度だけで上告人に出席停止2日を含む2本の不当懲罰と問責決議、辞職勧告決議を議決し、共産党議員へも懲罰議決をする、という日本の議会史上例を見ない猛烈な少数派議員攻撃を実施した上に、委員会議事録を上告人にだけ見せないという業務妨害を起こしたりした挙げ句、本件懲罰事件を起こして提訴された後も、上告人に対して再三に渡って「質問打ち切り動議」を可決させて質問封じを繰り返すなど、その悪質さは他に類を見ないものがある。

(1審準備書面(1)のP6〜9「3;本件解明に不可欠な門真市議会の特質と運営実態について」、および2審第3準備のP5〜11の「第2;門真市議会の非常識体質がまた露見した「伏せ字議事録情報公開」6/28降参事件」、「第3;この6月議会でも発生した証人申請対象3名の質問封殺行為とこれまでの「実績」」、「第4;不適正行政へのチェックを意図的に妨害する4会派の行状と本件懲罰及び公益との関係」に記載)

3;高裁判決の後で被上告人自ら恣意的懲罰であったことを行動で示した新たな事実

 本件の根本たる3月14日付懲罰動議は、2001年3月議会での控訴人質問に関して、

 (1)市の幹部職員の業務実態を批判したことをもって「職員に対する人権侵害と誹謗中
   傷した」と決めつけ、

 (2)2001年12月の控訴人に対する不当捜索事件を議会で悪用して2001年2月1日発行
   の議会だよりに「家宅捜索を受けた市議は戸田久和議員」という人権侵害記事を載
   せて全戸配布した経過を取り上げて批判したことをもって、「議会の品位を汚し、そ
   の権威を失墜させた」と決めつけたこと、

の2つの懲罰理由によって構成されている。
 これが全く不当であることは既に控訴人が十分に論証してきたところであるが、このうちの(2)の「議会だより事件」(甲第11号証@〜K、甲第35号証など参照)について、高裁での7月26日結審直前の7月4日に、大阪弁護士会が公式文書を門真市議会大本郁夫議長あてに提出し、上告人の主張と同様に2000年12月議会での大本議長の議会運営と2001年2月の議会だよりの記述について厳しく批判するという特筆すべき事態が起こり、上告人の主張の正しさが裏付けられたにも拘わらず(高裁第3準備書面)、原判決はこれを無視する過ちを犯しているが、その後さらに上告人の主張の正しさを裏付ける新たな事実が発生した。

 すなわち、9月30日の本会議において上告人が一般質問の中で、「3;弁護士会から人権侵害救済の勧告や要望が出された場合について」として2001年3月議会での懲罰対象発言を意図的にそのまま再現したにも拘わらず、4会派がそれに対する懲罰攻撃を何ら起こさなかったことである。
 この質問の中で上告人が、「12月議会最終日の12月20日本会議終了間際 になって、公明党の山本純議員の『質問』を受ける形を取って、事実調査もせず、私の説明をあえて発言禁止にしてまで、『家宅捜索を受けた議員は戸田議員である』という記録づくりのためだけとしか思えない議会運営が行なわれた結果、作成・発行されたものであり、その理不尽さと危険性・・・」と山本議員の下の名前の追加までして、かつて懲罰の対象となった発言をそっくり繰り返したが、かつてこの発言を「議会を誹謗、中傷し、議会の品位を汚し、その権威を失墜」させたと決めつけて懲罰動議を起こした4会派議員達は、今度は全く静観するだけであった。

 また、「4;市役所ぐるみの条例違反・虚偽公文書作成・偽計業務妨害として国賠訴訟されたことについて」と題する質問項目の中では中本企画部長・辻情報政策課長の名前を挙げて「条例違反・虚偽公文書作成・偽計業務妨害を犯した」と批判したが、かつて中東保健福祉部長・中川児童課長を情報隠蔽・職務怠慢と批判した時に「職員を誹謗、中傷し、議会の品位を汚し、その権威を失墜」させたと決めつけて懲罰動議を起こしたのに、これも今度は全く静観するだけだった。

 つまり、本件事件の根幹を成す3月14日付懲罰動議が、その時々の多数派議員の気分次第による恣意的ものでしかなく、何ら一貫した基準に基づくものではないことを、上告人に懲罰をかけた多数派議員達自らがその行動によって明白に示したのである。
 これこそは高裁判決の後に新たに浮上した新しい決定的な証拠であって、全く同じ事を言っても、全く同じ性質の事を言っても懲罰をかけられたりかけられなかったりする この一事を持ってするだけでも、高裁判決を取り消すのに十分な証拠である。

 

4;門真市議会で再び不当懲罰が発生して提訴したら司法の信頼性はどうなるか?

  以上見たように、本件上告事件は1960年の最高裁大法廷判決を見直すのに十二分な根拠を備えているし、これを司法審査しなければ、今後再び上告人に対して違法な懲罰事件が発生する可能性はかなり大きいと言わなければならない。
 その場合、当然上告人はまた提訴するが、本件上告を棄却した後で同じ門真市議会で同じ議員に対してまた不当懲罰が起こって最高裁にやってくる、という事態になるならば、最高裁への信頼性、司法への信頼性はどうなるだろうか? 2002年の本件上告に対して最高裁が大法廷判決見直し=司法審査開始という適切な対応を取らなかったがために再び上告事件が起こったという因果関係は隠しようがなく、それは司法にとって決して良いことではない。
 だからこそ、今、最高裁は本件上告を受け入れて審理のやり直しを命ずるべきである。

 

5;1960年大法廷判決見直しを決定するのは最高裁自身をおいて他にはない。

 「1960年大法廷判決体制」の42年間もの継続は余りに長く、そして地方議会の健全な活性化への害悪と司法への信頼の危機は余りに大きく、しかもその見直しを今後の別の事件で下級審に負わせるのは余りに酷である。
 今こそ、最高裁自身がこの格好の事例たる本件上告事件を活用して「1960年大法廷判決体制」の変更に乗り出すべきであり、それが最高裁としての責任である。

 ちなみに、自治体議会に慧眼を持つ前田英昭駒沢大学教授は、週刊「自治日報」(株式会社自治日報社発行)2002年2月15日第3102号の1面左上段の論説記事において、「・・京都府の加茂町議会で『いらん事を言った』として懲罰に処せられた議員が名誉回復を求めている。これまでの判例は、除名処分を審査対象にしているように見受けられる。裁判所は、議員の斡旋収賄について職務権限を拡張解釈して対応してきたように、除名類似行為という概念を導入することによって司法審査の対象を拡大し、議員の名誉回復への道を開けないか。議員は、除名にならなくても、発言を制限されれば、実質的には除名を受けたに匹敵する。「懲罰」という無言の圧力は、新人議員、無所属や小会派議員の発言に大きく影響する。議員が自由な発言をやめたときの議会は、昭和15年の斎藤隆夫の粛軍演説・除名の例に見られるように、死に体同然となる。地方議会も司法権がもう少し踏み込んだ方が議員や住民のためになるような状況になってきた。」と、注目すべき提起を行なっている。(甲第71号証)