最高裁 上告申立の理由(2)
第1;1960年大法廷判決の根本問題とそれが司法 1;現代の社会意識水準からはとうてい容認されない判決と事件の実態 判例というのはなるほど重要で尊重すべきものであるが、それは数学で言えばひとつの公式ではあっても決して「公理」や「定理」ではない。個別事件ごとの実態をあまりにも無視したり、時代状況の変化やそれに伴う社会意識の変化を全く勘案せずに、そもそも司法正義の実現という根本目的を失念して、金科玉条の如く判決の結論部分を全ての事例にも、どんな時代にも当てはめようとするのは、接客の根本を考えずにマニュアル通りの言い方しかしようとしないファーストフード店の店員以上におかしなものである。 そもそもこの大法廷判決の対象事件たる新潟県の山北村村議会の1957年(昭和32年) 出席停止懲罰事件は、村議会の中で合併問題を巡って2派に分かれて対立している状況下で、議会の3分の2以上の同意が必要な「村役場一条例の改正」に賛成する一方が、反対派の2議員を評決からはずすせばこれが成立することに目を付けて、なんとこの2議員が発言もしていない本会議碧頭において、2議員の反対姿勢がケシカランからとして、驚くべきことに懲罰動議文書すら提出せずに過半数の賛成多数で「出席停止3日の懲罰」を押し通し、狙い通りに同条例を可決せしめたという、田舎議会のむちゃくちゃな政治謀略劇としか思えないものであった。 上告人の子供時代に放映された有名なテレビドラマ「逃亡者」冒頭の、「正しかるべき司法も時として盲いる時がある。」というナレーションが思わず浮かんでくるような事例である。 これを現代の眼で見直したとしたらどうであろうか? まさに誰が考えても許されな い、民主主義のイロハに違反する暴挙として指弾されること必定であろう。 2;天下の愚論、机上の妄論でしかない「部分社会論」 このようなおかしな判決の土台となった「学説」が「部分社会論」とよばれるものだが、これが「天動説を証明するためのスコラ哲学」の如き天下の愚論、机上の妄論でしかないことは、以下の事例を考えてみただけでも明らかである。 @ ヤクザ組織の「掟」に従ってその団体内部で構成員にリンチを加えて腕を折っても →そんな馬鹿なことはあり得ない。組織の掟がなんであれ、組織内のことであれ、人 A 任意に自発的に結成された団体内部で経理に不正があって、会員の支払ったカネが →そんな馬鹿なことはあり得ない。任意に結成されたサークルであろうが企業であろ B 趣味や主義主張、政治理念、信仰などを同じくする者が自発的に結成する同好会、 →そんな馬鹿なことがあって良いはずがない。公的な重みが全く違う。公的機関にお C 同好会やサークル、政党、宗教団体などの内部における地位や役職、権限の決め方 →そんな馬鹿なことがあって良いはずがない。公機関であればあるほど、法律・条例・ D 何万人もの有権者による選挙で選出された議員達の内部で、20人かそこらの多数 →そんな馬鹿なことがあって良いはずがない。これではその議員に投票して政治を委 E 例えば議会が多数決をもって「全ての議会記録を1年間非公開にする」と決定して →そんな馬鹿なことがあって良いはずがない。特別な事情があって「秘密会」とする
3:1960年大法廷判決が42年間も司法判断を呪縛してきた事情 その第1の理由は、訴訟処理に圧倒的に楽だから、ということである。日本の裁判官はひとり300件以上とか、1チーム300件以上とか非常に数多くの事件を抱えていて重い負担を背負っているのが現実である。科学の最先端分野や高度な行政事業や経済経理問題も含んだ、複雑多岐・多数に渡る訴訟の処理をしなければならない苦労は察するに余りある。 こういった困難な司法環境の中では、「司法審査を行なう要件をできるだけ狭くしよう」という心理が無意識的であれ働きがちなことは、神ならぬ肉体的精神的限界を持った人間である以上、司法関係者の間に働きがちであることは否めない。 そして第2には、何といっても「最高裁大法廷判決」ということの威厳と重みである。 あえてこれを批判して別の判断を示すことは、どんな裁判官にしてもあまりに精神的負担が過重であろう。 そして第3には、地方議会の実態についての研究や議会懲罰についての研究が非常に少なく、従って裁判官も実態を知らないという事情がある。もともと国政に比べて、地方政治(行政・議会)を研究する社会的な動機付けが日本では圧倒的に弱い。中でも地 方議会に対する興味関心は地方行政に対するものよりもっと弱い。 さらに第4には、もともと議会での懲罰事件は滅多に起こることではなく、その中での「政治的悪意による懲罰」=不当懲罰は確かに絶対数としても数少ない。 要するに地方議会での懲罰問題は、ほとんど研究もされずに今日に至り、1960年以降つい最近まで訴訟も絶無に等しく、大きな社会問題になることもなかったために、42年間も1960年大法廷判決の呪縛が続いてきたのである。しかし、既に述べたように状況は変わってきた。 |