最高裁 上告申立の理由(1)


はじめに;本件上告の歴史的位置と意義〜違法懲罰
       異常多発の2002年と最高裁の責任

 この文書に目を通される最高裁の調査官と裁判官に強く訴えておきたい 。
 戦後の民主主義国家の日本において、「どんなに違法な行為が行なわれても司法は関知しないし救済しない」と裁判所が公言するに等しい異常なことを続けてきた唯一の分野が、「除名処分以外の議会懲罰」であり、それを決定づけたのが1960年10月19日の最高裁大法廷判決であった。
 本件上告は直接的には大阪高裁の「控訴棄却判決」の破棄と正しい裁判を求めるものだが、本質的にはこの42年間にも渡って日本の健全な地方自治の発達、なかんずく地方議会の健全な活性化を阻害してきた元凶=違法懲罰を容認助長してきたこの大法廷判決と、 この判決の呪縛を受けてきた「大法廷判決体制」とでも呼ぶべきこれまでの司法体制の抜本的変革改善を求めるものである。

 時あたかも2002年、この42年前の大法廷判決に漫然と寄りかかって上告人の不当懲罰取り消しの訴えを棄却した大阪地裁判決が2月21日、大阪高裁判決が9月21日になされるとともに、最高裁第3小法廷が4月9日、京都府加茂町議の曽我さんの不当戒告懲罰取り消し裁判の上告を棄却した。
 その一方で、2月に大阪府茨木市議会で日の丸の議場掲示をめぐる対立から6人もの議員に陳謝懲罰をかけるという日本初の「日の丸大量懲罰事件」が発生し(高裁提出;甲第74号証)、さらに6月には同じく日の丸掲示を巡る対立で横浜市議会で2名の女性市民派議員が除名懲罰されるというショッキングな、これも日本初の「政令市での議員首切り懲 罰事件」がおこった(高裁提出;甲第80号証)だけでなく、愛知県尾張旭市の女性市民派議員が理不尽な「発言取り消し要求」に応じなかったことで戒告懲罰を受け(甲第82号証)、同じ愛知県の日進市ではこれも女性市民派議員が支持者の送った私信メールが議運で読み上げられて攻撃されただけでなく、「休憩時間に総務省に問い合わせしたのは議会を侮辱するものだ」という奇天烈な理由で懲罰動議を出されて、9月議会冒頭で戒告懲罰される(甲第83号証)というとんでもない事件が発生し、新聞で「女性議員に懲罰相次ぐ」とか「女性の風に懲罰の壁」と特集されたほどであった。(甲第84号証)
 地裁・高裁・最高裁がそろって60年大法廷判決に寄りかかって機械的に棄却判決を重ねる中で、地方議会での違法懲罰はとうとう「議会内での言論へのインネン付け」どころか「総務省に問い合わせることをも懲罰の対象とする」所まで暴走してしまったのである。

  このような議会懲罰の暴走を生み出したのが、まさに上告人も加茂町の曽我議員も再三再四指摘してきたように、「除名処分以外はどんなに違法な行為が行なわれても司法は関知しないし救済しない」とする「1960年大法廷判決体制」であることがまざまざと示されたのが、この2002年であった。
 今年4月に曽我町議の上告を棄却した最高裁の裁判官諸氏は、「総務省に問い合わせることをも懲罰の対象とする」この違法実態を見てもなお、42年前の大法廷判決護持を良しとするのだろうか? そのような安直な姿勢が違法懲罰を助長し、地方議会での活発な言論活動を阻害して行政へのチェックと住民自治を阻害していることに目をつぶり続けるのだろうか? 本件上告審理で問われるのは実はその点を最高裁がどう考えるのか、なのである。

 大法廷判決体制が違法懲罰を助長し、上告人がつとに指摘してきたように、インターネット・ホームページの普及が進んで裁判書面が作りやすくなった今日これからは、かえって訴訟を増やす結果になることも、最高裁にはぜひ知っておいてもらいたいことである。
 現に上告人はそれを大いに活用して最高裁まで本人訴訟でやっているし、横浜市議は既に訴訟を起こし、日進市議も提訴間近の状態にある。
 これからは、違法懲罰被害議員が「どうせ裁判しても無駄」と諦めるのではなく、「理不尽な大法廷判決体制を変えるためにも懲罰事件を積極的に何度でも裁判に訴えていく」という時代に、そして裁判の過程をホームページで広汎な市民が検証する時代に確実に入ったのであり、「議会の自律権を唱えてどんな非常識な違法懲罰でも司法救済しない」ということを司法が継続するならば、司法自らが広汎な市民に司法不信・政治不信を植え付けていくことになってしまうだろう。

 現在、「知る権利」が社会に定着したように、「住民投票」が社会的認知を大きく得てきたように、議会懲罰も従来の「真昼の暗黒」状態を脱却して、「懲罰事由の存在が客観的に明白で適正な手続きを経たものでなければ許されない」=「冤罪懲罰などはかけた側が処罰される」状態に必ず変化していく方向にあることを、最高裁の裁判官諸氏は認識すべきであり、42年間もの長い時間を経て今がまさに、この上告事件がまさに、その格好の転機であることを認識するべきである。
 (こういった司法と議会懲罰の関係やその改善方策については、甲第85号証;2002年10月19日に上告人が東京での「開かれた議会を考える会」シンポ第2部で行なった「地方議員の懲罰を考える」と題した講演のレジュメを参照していただきたい。)

 時あたかも2002年、長野県議会の圧倒的多数によって不信任を突きつけられて失職した 田中康夫氏が圧倒的得票を得て県知事に返り咲いたことは記憶に生々しい。
 これは県議会議員達の圧倒的多数とそれを支える諸組織の考える「常識」が、一般有権者の考える「常識」と実はかけ離れていたことをまざまざと立証した事件でもあった。
 最高裁の諸氏に考えていただきたいことは、これほどまでに一般有権者の意識とかけ離れた認識を持つ人間達が、しかし選挙の洗礼を経て県議会の圧倒的多数を占めているのが地方議会の現実であるということと、超有名人で初回選挙でも優位に当選して「県民参加の県政」を推し進めてきた知事さえも不信任決議で突き落とす絶対多数派の県議達が、も し自分たちの気に入らない県議に懲罰の牙をむけたらどうなるか、ということである。

  いったん彼らの標的とされてしまったら、懲罰事由の全くない冤罪懲罰もやり放題で、除名懲罰にならない限りはいかに議員としての権能と名誉を侵害されようとも全く救済されないことは容易に想像できるはずである。そのような懲罰事件が起こっていないのは、いわばたまたまのことであり、より踏み込んで考察するならば絶対的多数派の威圧力によって保たれている静けさに過ぎないのである。
 田中知事をひとつの象徴とする改革派首長の継続的誕生や各地での住民投票実施など、「地方自治の新時代」が浮上する一方で、公共工事汚職や裏金問題、税金浪費問題などの摘発も後を絶たないが、これは行政のチェック役としての地方議会が多くの場合健全に機能していない、活性化していないことが根本原因である。

 では多くの地方議会が活性化していないのはなぜなのか?その主たる原因が、「市民感 覚」に沿って旺盛な行政チェックをしようとする議員に対して既存スタイルの多数派議員達がかける有形無形の同化圧力であり、その最たるものが不当懲罰による言論封じ攻撃圧力であることは、現職議員たる上告人が豊富に見聞している所であり、また多くの議会関係者が指摘しているところである。

  一言で言うならば、田中康夫知事の失職と圧倒的得票による復職、および長野県議会内最大会派の見るも無惨な崩壊という、日本の地方自治と地方議会の歴史を画する事件と、政治的違法懲罰すなわち健全な議会言論への異常なまでの不当懲罰多発の同時浮上というこの2002年状況の中で、最高裁が42年間続けてきた不当懲罰放置助長司法をさらに漫然と続けるのか、地方議会健全化支援の方向に舵を切り直すのかが問われるのが、本件上告事件の歴史的位置と意義に他ならないのである。

 上告人は、この理由書を執筆するに当たって、あえて法律論や学説、判例分析を後回しにし、先に歴史的社会状況を全面に据えて1960年大法廷判決体制を批判する構成を取ることにした。
 それは、後に述べる理由で議会懲罰に関する裁判例が極少数でしかなく、従ってそこに現れる法律論や学説、判例分析それ自体は実際のところ裁判官諸氏にとって見飽きたものでしかないであろうと思うからであり、そのような狭い覗き窓から外を見て決まり切った論法で世界を判定するような思考よりも、裁判官諸氏に現実社会の歴史的重みを正面から受け止めた思考をして司法正義の実現と地方自治改善への寄与をしていただきたいと願うからである。
 日常生活に不便がないからと言って天動説に固執するのは知的怠慢であり、そこに留まる限り真理の発見も、本当の意味での日常生活の豊富化も実現できはしないであろう。
 そして天動説に凝り固まっている人を論破するのには、100も200もの学説を案出しな いでも、広い世界の現実を見せさえすれば数個の説明をもってすれば足りるだろう。
 それでもなお1960年大法廷判決や、その基盤となっている「部分社会論」や「議会の自律権絶対論」に固執する法律家がいるとすれば、それは司法の他の分野での新しい観点・制度の進展に対比して、まさに世間の一般大衆までが地動説を常識としている中でひとり天動説を妄信している「大学者」の如き滑稽で哀れなものと言わなければならない。

 一般市民に信頼される司法の実現のためにも、他の全ての分野での「司法改革」との歩調を整えるためにも、原判決の破棄と1960年大法廷判決式見解の変更を求めるものである。