10/19東京シンポ;地方議員の懲罰を考える レジュメ

2002年10月19日 大阪府門真(かどま)市議;戸田ひさよし


不当懲罰と「真昼の暗黒」(=司法の闇)
     その打破の展望


■議会での不当懲罰は戦後日本社会の中で、今や数少なくなった「司法の闇」(=司法の手抜きによって如何に不当違法なことが為されようと救済されない)の領域として残っているもの。
 それを決定づけたのが、悪名高い1960年の最高裁大法廷判決。

▲しかし、この不正義は必ず打破されなければならない。それに挑んでいるのが全国の市民派議員のさらにまた極少数の有志達であり、それらの人々を中心に1998年に「不当懲罰を許さない全国議員・市民の会」が結成。
    ;代表 千葉県柏市の吉川ひろし市議 http://members.jcom.home.ne.jp/h-yosikawa/                     電話・FAX 04-7144-0073 h-yosikawa@jcom.home.ne.jp
 しかし、この会の活動力には限界があり、HPの開設や事例の随時の整理には及ばないできた。

▼その中で、京都府加茂町の曽我議員への戒告懲罰の取り消し訴訟が、棄却されたとは言え最高裁にまで進み、大阪府門真市議の戸田もまたそれに続いて、9/11高裁判決から最高裁上告へと進んだ。
 奇しくもこれと平行して、本年、茨木市議会「日の丸問題大量懲罰」、横浜市議会「日の丸問題除名懲罰」、日進市議会「非常識違法懲罰」などが起こった。
 そしてそれらの事件や裁判がHPで知られるようになったことも相まって、地方議会での不当懲罰への関心と批判が増加してきた。

●そういう状況の中で待ち望まれていたのが、全国の不当懲罰実例とその詳細、原告の訴えや資料、判決文などの具体的な裁判資料、当事者議員の連絡先・HP紹介を行ない、情報意見の交換ができるHP。
 それがまさに、「地方議会の懲罰を考える」HPとして今開設された!

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1;議会での不当懲罰問題が、なぜ「司法の暗黒」状態に放置されてきたか?

1;もともと国政に比べて、地方政治(行政・議会)を研究する社会的な動機付けが日本では圧倒的に弱い。なかでも地方議会に対する興味関心は地方行政に対するものよりもっと弱い。

2;しかもいざ研究してみようとすると、地方議会の実情や仕組みはてんでバラバラな面が大きく、比較しようにないとか、統計を取れないとかのカベにぶちあたってしまう。またいくら研究しても全国的に通用するものを作りようがない場合が多いし、特定自治体に役立つものも作りにくい。

3:戦後日本の裁判所では、戦前の「大日本帝国憲法」・軍国主義体制の裁判官が何の裁きも審査も受けずに全員横滑りして裁判官を続けていた。
 新憲法下、新しい概念に基づく地方自治が施行される中で議会懲罰の訴訟が多く起こされ1950年代、60年代時には、こういった地方自治の現場を何も知らない戦前感覚の裁判官達によって裁判がなされ、その最悪部分の頂点に立つのが1960年大法廷判決だった。

4;当時の最高裁判事や法律学者達の、地方議会問題に対する民主主義感覚なき空理空論ぶりは「アホウ!」としか言いようのないものだが、こんなアホウな話でも「最高裁大法廷判決」となってしまった以上、ものすごい重みを持ってしまった。
 これがどんな事件だったかは、戸田HPに以下のように載っている。驚くべき内容だ。
      ↓↓↓↓  

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    出席停止処分取り消し請求事件:1審 第2備書面
     http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/1/tyoubatu/01-09junbi.htm

  第4:裁判所の司法審査の放棄が地方議会における懲罰の濫用を招いており、
      これを放置しては今後は訴訟が増加するばかりである
     http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/1/tyoubatu/01-09junbi-c.htm

  (抜粋)
 そもそもこの大法廷判決の対象事件たる新潟県の山北村村議会の1957年(昭和32年)出席停止懲罰事件にしてからが、村議会の中で合併問題を巡って2派に分かれて対立している状況下で、議会の3分の2以上の同意が必要な「村役場一条例の改正」に賛成する一方が、反対派の2議員を評決からはずせばこれが成立することに目を付けて、なんとこの2議員が発言もしていない本会議碧頭において、2議員の反対姿勢がケシカランからとして、驚くべきことに懲罰動議文書すら提出せずに過半数の賛成多数で「出席停止3日の懲罰」を押し通し、狙い通りに同条例を可決せしめたという、田舎議会のむちゃくちゃな政治謀略劇としか思えないものであった。
 ・・・・こういう懲罰事件が「部分社会論」に基づいて「司法審査をしない」とされ、出席停止懲罰取り消しは「もはや訴えの利益がない」、反対派排除の政治謀略の上で可決された条例改正については、「それとこれとは関係ない」として切り捨てられたのが1960年当時の実相であった。
 これを現代の眼で見直したとしたらどうであろうか? 新潟の村のこととは言え、住民からの猛烈な抗議や監査請求・リコール運動・住民投票要求・予算執行差し止め請求などなど沸き起こるだろうし、そもそもこんな政治謀略を仕組むこと自体が無理なのではないだろうか。

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5;こうして「除名懲罰以外はどんなデタラメな懲罰でも司法審査しない」という「最高裁大法廷判決体制」ができてしまった。これに反する判断を下級裁判所の裁判官が行なうことはとてつもなく勇気が要ることで、ほとんど不可能事であった。

6;もともと議会での懲罰事件は滅多に起こることではなく、その中での「政治的悪意による懲罰」=不当懲罰は絶対数としても数少ない。
 平成7年中の懲罰事例は8市8件、平成8年では7市7件、平成9年で8市10件しか発生していない。
 現在日本には670の市議会があるが、各市で1年間に4回の定例議会があるから、全議会開催に対する懲罰事件発生の割合は、それぞれの年で2680回議会に対して平成7年8件で0.30%、平成8年7件で0.26%、平成9年10件で0.37%、平成7年8年9年の3年間合計8040回議会に対しては25件で0.31%である。
              (平成12年中における懲罰の事例は、9市9件)
 また、あらゆる面でラジカルな「市民派議員」が登場するはるか以前のこの段階で、社共などの革新勢力議員は議会で増加して会派としての力を付けていってたことと、議会内のシキタリに従順であったというか、ともに作っていったことから、懲罰攻撃の対象にはなりにくくなったように思える。
 仮に不当懲罰されたとしても、「最高裁大法廷判決」と闘うのは労力の無駄、と初めから訴訟を諦めるようになった。(今年の茨木市議会で不当に陳謝懲罰された共産党・新社会党も、「陳謝はしないで放置する」という「落とし所」で収めて訴訟せず。)  

7;以上の事情から1960年大法廷判決以降、地方議会の懲罰での訴訟は激減し、戸田が承知しているのは甲府地裁昭和1963年10月3日判決、長野地裁昭和1986年2月27日判決、佐賀地裁1961年9月5日判決〜佐賀県神崎町議会の事件で直接的には1984年の出席停止懲罰だけ。
 また、国会では「乱闘騒ぎ」を起こしたとしても議員への懲罰が問題になることはほとんどない。

8;従って政治行政学・法律学の学者研究者、法曹関係者からすると、地方議会での懲罰問題は、1960年以降訴訟が絶無に等しく、あっても「最高裁大法廷判決」を覆す可能性を生むほど社会問題になることもなく、次々に訴訟が起こされる状況があるでもなく、研究しても役に立たない全く需要のない分野と見なされて、ほとんど研究も調査  もなされず今日に至ってきた。

★門真市議会の場合は1999年の4定例議会のうち(9月議会で)原告に対して2件(陳謝懲罰と出席停止)で実に50%、2000年には3月議会で共産党議員に対して1件だから25%、2001年は3月議会で本件懲罰(出席停止2件)が出されているから、仮に今後懲罰事件が発生しないと仮定しても、既に今年の年間発生50%となっており、本年末までのこの3年間12定例議会に対して既に5件だから、3年間の懲罰事件発生率実に41.67%の超々高率になっている。

 

2;しかし嘆いてばかりはいられない。「危機はまた好機でもある!」

なぜ好機かと言えば、

1:「1960年で固定した以降42年間で訴訟わずか数件」という中で、曽我訴訟・戸田訴訟・横浜市議会訴訟が発生してきた。つまり新たなサンプルが飛躍的に増加した。

2;「門真市議会繰り返し非常識懲罰」、「茨木市議会大量懲罰」、「横浜市議会除名懲罰」、「日進市議会連発超非常識懲罰」など、「誰が考えてもおかしい」懲罰が連続的に起こっており、なおかつ有事法制・日の丸強制の絡みも含めて今後も増えそう。

3;損得勘定に囚われずに「水滴で岩をうがつような闘い」でも断固闘う市民派議員とHPの合体が進んできた。 情報の伝達・共有における進化は一昔とは比べものにならない。
 HPを使えば、かなりの程度の書面を作成して独りででも裁判を起こせるようになった。
 大法廷判決体制を打破するのは、何よりも断固とした訴訟の数を増やすこと!

4:状況の成熟は人の出会いを生み出す。戸田と聞きかじりさん、影絵さん、日進市議、横浜市議、曽我町議などなどの直接・間接の遭遇がまさにそのことを示している。
 多種多様な人々の力が作用し合って、ここ数年で「最高裁大法廷判決体制」は崩れていくだろう!

★「最高裁大法廷判決体制」を崩すのは、被害議員の連続的な裁判提訴だ!

 

3:不当懲罰を発生させない議会規則改正を!

◇現行規則の懲罰規定は、およそ民主主義社会において不利益処分を下す手続きとしての最低限の規定を備えていない。今の議会での懲罰手続きは、「弁護人抜き・被告人抜き・事実審理無し・当然の法理無視の暗黒裁判」だ。

◆99年9月議会から2001年3月議会までのわずか7定例議会で、実に5本の懲罰処分と問責決議1つ辞職勧告決議1つを発し、うち共産党議員の懲罰ひとつ以外は全て私に科せられる、という日本議会史上類例を見ない異常事態を起こした門真市議会での現実の教訓として、以下の規定が絶対に必要であると確信する。

1;懲罰動議は議長への提出と同時に、被告議員に対しても提出しなければならない。
       (被告の防御権のため)
  @門真市では、懲罰動議上程直前の議運まで数日間に渡って被告に内容を知らせなかった。

2;懲罰動議においては、懲罰の事由とする被告議員の言論や行動を具体的に特定するとともに、それが自治法や議会規則のどの条項に抵触するかを具体的に指摘しなければならない。
       (被告の防御権と、多数派の恣意的な懲罰発動への歯止め)
  @門真市では、具体的事実に基づく行政批判までも、何ら根拠なく一方的に「誹謗中傷」「職員の人権侵害」として懲罰の理由にされた。これこそ被告議員への誹謗中傷に他ならない。

3;懲罰動議について、本会議への上程を審議する議運の段階から、被告議員による質疑が認められなけれるべき。
        (あまりに粗雑な懲罰動議を防止する)

4:本会議での懲罰動議上程・提案理由説明に対して、被告議員及びその他の議員から自由に質疑できるものとする。
 被告が悪事を働いたことを前提とするかのような「一身上の弁明」という措置は廃止し、原告ー被告の対等な争いとすること。質疑には回数制限・時間制限を設けず、提案者は誠実に答弁する義務を負う。回数・時間は議員の良識に委ねる。

5;被告議員は、排斥されない。(被告人抜き裁判にしない)

6;懲罰動議への質疑ののちに、被告議員を含めて賛成討論・反対討論を行なう。
   被告議員が謝罪の意志があれば、その旨を述べる。

7;懲罰特別委員会付託ののちの審議についても、上と同様に被告議員の質疑の権利を保障する。

8:被告議員の懲罰動議への反論に対してさらに懲罰をかけることを禁止する。
  @門真では、懲罰動議への反論に対してさらに懲罰動議が出されて、2重に処分された。

9;議会言論の許容範囲に関して、「議員必携」や「社交の儀礼を標準としてはならない」という札幌高裁判決を踏まえることを明記して、懲罰濫用の防止条項を新設する。

10:懲罰動議の審議記録に関して、被告議員の同意がない限り、もしくは議員以外の第3者のプライバシー保護に特段支障があると議決されない限り、全て公開しなければならない、と定める。
  @門真では、「伏せ字」措置のために何が問題になったか不明で、被告議員への悪印象拡大の策略がなされた。

●これらは最低限必要な規定であり、別途詳細に懲罰手続規定を設けることが望ましいかもしれない。

 

4:天下の愚論、1960年大法廷判決・部分社会論

  【 大法廷判決に沿った2002年2/21大阪地裁判決の実例 】

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 自律的な法規範を有する杜会や団体内部における当該規範の実現行為の適否の判断については、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない当該団体等の内部的な問題にとどまる限り、内部規律の問題として、その団体等の自主的、自律的な解決に委ねるのが適当であり、このよう内部規律に関する係争は裁判所の司法審査の対象とはならないものと解するのが相当である。
 現行の地方自治制度においては、地方議会にはその運営等について広範な自律権が認められていることはいうまでもないから(地方自治法120条、134条)、その内部における権限行使の適否に関する問題については、議員の除名処分のような議員の身分自体の喪失に関する重大な事項は別として、原則として当該地方議会の自主的、自律的な措置に委ねるべきであると解される(最高裁昭和35年10月19日大法廷判決・民集14巻12号2633頁参照)。

 本件各処分は、原告に対して実質的に1日の出席停止の効果を有したにすぎないのであって、そのために原告が予算案等の議決に参加することができなかったとしても、その効果はいまだ市議会内部での議員としての活動に関する部分的な制約にとどまり、一般市民法秩序に直接関係するものとはいえない。
 したがって、本件各処分の適否は、司法審査の対象にならないと解すべきで ある。
 議員に対する懲罰権の行使は、議会の自律権に基づくものであり、議員の自由な議論や正当な議員活動の妨害のために濫用してはならないことは当然であるが、懲罰権の行使の適正は、個々の議員の良識ある行動及び議員選挙権を有する市民の議会に対する監視によって保障されるべきものである。

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       < 批判 >  

@司法審査を拒否する1960年大法廷判決は、国民の裁判を受ける権利を侵害し、憲法第32条に違反する

@憲法第32条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定し、 国民の重要な基本的人権のひとつとして裁判所において裁判を受ける権利を保障してい る。この規定は日本国民のみならず外国人も含めて保障された基本的人権である。

@出席停止処分取消は裁判所法3条1項の「法律上の争訟」に該当する。

@除名処分以外の懲罰処分に対して司法審査を拒絶する1960年(昭和35年)10月19日最高裁判所大法廷判決は変更さるべきである

◆「部分社会論」は破綻している。

(1) 団体の性質による区別をせずに、一律に内部規律にゆだねようとする問題点

(2) 問題点の二つ目は、争いの性質を区別していないことである。

(3) 地方議会は、公的機関であり、しかも地方自治法等による法令による規制が存在しているのであるから、当然司  法審査の対象とされなければならない。
  議会の一定の自律権等の保障も、議会そのものを究極的な保護対象としているとするのは早計である。
  地方自治の本旨に鑑み、住民の意思を十分に反映させるために、他からの圧迫干渉を 排して十分な議論ができ、且つ、地方行政に対する的確な監視を果たすためにこそ、地方議会に与えられた権能を発揮しなければならない。
  地方議会は、政党や宗教団体のような特定の理念で団結している団体ではない。逆に、様々な利害の対立する代表者からなる団体。
 利害対立や意見の対立は、 そもそも予想されるところ。だからこそ、住民の意思を十分に反映するために、議員の自由な討論が最大限保障されなければならない。

 地方議会に一定の裁量権が認められるといっても、法令に従わなければならないことは当然。
 懲罰権行使の場合も地方自治法の正しい解釈とその要件該当性についての正しい事実認定が当然要求される。

(4) 更に、裁判所が介入するとしても、懲罰決議における議会の自由裁量を一切認めない ということにはならない。

 事実認定は、裁量の問題ではない。要件該当性判断は、事実認定の問題だから、そこに司法審査権が及んでも、裁量権の侵害の問題は生じない。

 

5:裁判所の司法審査放棄が懲罰濫用を招いている

   こんなに酷い、不当懲罰放置の実例

◎甲府地裁昭和38年(1963年)10月3日判決(行裁例集14巻10号1860項)の事件

 富士吉田市議会の7人の市議に対する同年8月7日の出席停止懲罰に対して、同年10月3日というわずか2ヶ月で出された。
 市議会は2つの会派に分かれて対立しており、富士吉田市ほか2村とで構成し、北富士演習場地代・材木等莫大な財産を持つ「恩賜県有財産保護組合」議会への選出9議員のポストの独占を図った一派が、懲罰処分に名を借りて対立会派7名の議会出席権を奪って狙い通り自派で9名のポスト独占を実現したのであった。
  ここでは、広島市での外部団体大会への議会代表としての派遣について、医師の診断受けて病気理由で辞退届け  を提出した議員を非難して懲罰を科したものだった。

◎佐賀地裁昭和61年9月5日判決、佐賀県神崎町議会の事件

 直接的には1984年(昭和59年12月14日の出席停止懲罰だが、実は1985年3月議会の全期間と6月議会の全期間にも出席停止懲罰をかけて、しかも多数派が「今後も議会の度にずっと出席停止懲罰をかける」旨を断言したという空恐ろしい話。
 さらに1984年の懲罰自体、懲罰動議が出されたのが同年10月臨時議会であるのに、「会期不継続」の議会の基本原則を踏みにじっ12月議会になってからこの懲罰動議が可決されるという、無法なものだった。
 対立の原因は当時議長をしていた原告が、議長職の持ち回りの慣例でもあったのか(多くの地方議会で1年とか2年ごとに議長ポストを持ち回りするために、議長が「自発的に」辞表を出して交代する仕組みが今に至るも作られている)辞表を出すと約束していたのに、議会の役職人事を決める10月臨時議会で辞めようとしなかった、というものだが、辞表提出の約束は非公式の全員協議会であり、ポスト争いの報復のために、「議会外での言動」を理由に懲罰を科した点においても違法なものであった。

◎京都府加茂町議会の曽我千代子町議への1997年の戒告懲罰

 100%町の補助金で運営され事務局も町教育委員会におかれている体育協会の補助金の使途、行政の指導のありかたについて質問をしただけなのに戒告懲罰を科された。

◎山崎芳弘広議員・埼玉県座間市の場合

 同議員が、1993年9月定例会一般質問発言において、同年6月議会で、20年前に作られた鉄くず扱いで廃棄処分されたプレスが座間市リサイクルセンターに納入された件に関し、そのプレスを「ぽんこつプレス」と表現したのを正副議長が不適切発言と認定して伏せ字にした経過を取り上げ発言したところ、内容の撤回を求められた。
 同議員が撤回を拒否すると、同年9月22日懲罰決議が可決され、出席停止1日の懲戒処分を受けた。

◎伊藤裕希議員・青森県三沢市の場合

 同議員(1996年3月初当選した)が、ノーネクタイで登庁したのに対して、1996年12月議会において「議員の服装規則」が制定され、翌年3月議会で5日間の出席停止、同年6月議会でも5日間の出席停止の懲戒処分を受けた。

◎中村幸子議員・島根県匹見町の場合

 同町議が、同町社会福祉協議会の会長を兼任していることが、地方自治法92条の2の兼職禁止にふれるとして、1996年1月25日、同町議会は同議員の議席剥奪を決定した。
 これは、同議員が中電変電所建設反対運動や町福祉計画に対する同議員の主張を快く思わない勢力によるものであった。 全国的な講義・批判の広がりの中で、同町議は復職することができた。

◎繁田智子町議・奈良県平群町の場合

 1997年5月5日の朝日新聞地方版でのインタビュー記事で繁田議員が「議員親睦会でお酌をして回らなかったら愛想が悪いと言われた」「最近の議会は飲み屋で話がまとまるようなことはなくなった」と語ったところ猛烈な攻撃がなされ、これに関した議長と同議員とのやりとりを口実に出席停止10日の懲罰が決定された。
  これに対して同議員が奈良県に不服審査請求をしたところ、今度は問責決議がなされた。

◎なかや多恵子市議・福岡県中間市の場合

 1995年、同僚市議が公道上を無断で不正配管・不正給水して10年間も水道条例に違反していた事実を議会質問で質したところ、市もその違反事実を認めたにも関わらず議会で戒告懲罰を科せられた。懲罰のあとでそこに水道メーターが設置されたが、議員の不正を他の全議員がかばって問題告発した議員を懲罰にかける一方、市当局はこれを通じて議員に貸しを作ったものと言える。

 

6;「一般市民法秩序と直接の関係を有しない団体の内部的な問題」とはとんでもない誤り

(1)選挙で選出され、公金で運営される公機関たる地方議会が「一般市民法秩序と直接の関係を有しない当該団体等」に全く該当しないのは自明の理である。
 それどころか住民の直接選挙によって選出されて、首長が率いる行政機構のチェックを委ねられ、地方行政と住民生活のありようを決定する予算や条例規則を審議・議決する地方議会は、日本国憲法の議会制民主主義体制の基底を構成するものであって、「地方自治は民主主義の学校」と言われるほどに一般市民法秩序と直接密接に関係を有する団体である。

(2)昨今の報道を見るまでもなく、官僚や首長・議員の不正行為が後を絶たない現実社会にあって、本件のように懲罰事由がなくても議会内多数派の意向によって特定議員を議会の審議・議決から思いのままに排除できるということは、議会で多数派の意向に反した不正追及や問題指摘が許されないことになる。
 これは有権者から付託された行政チェックの任務を阻害し、不正不適切な行政行為を看過することで一般市民社会に損害を与えるとともに、本来なら公機関では最も法秩序が遵守されるべきであるにも拘わらず、「議会では民主主義の法規範が通用せず多数派に逆らったら懲罰される」ことを市民に見せつけるものであり、一般市民の法秩序意識に著しい害悪を及ぼすもの。

 

7;出席停止懲罰の損害は過小評価すべきでない

「年に4回しかない定例議会の議決から排除された」
 =「806億円もの規模の新年度予算案を始めとした29本の議案の審議・議決から排除された」
 =「選挙で選んだ議員の行動を通じての政治参加」という議会制民主主義の根幹を崩すもの」

@この懲罰は、議会での行政責任追求を迫害し、以て不適正な行政の改善を阻害して、その結果、市民社会に大きな損害を与える途を開く。
 判決は、本件冤罪不当懲罰の放置が門真市の行財政と一般社会に与える害毒を全く認識していない。

@「出席停止処分は議員の除名処分のような議員の身分自体の喪失に関する重大な事項と違う」という原判決の判断は、懲罰処分の被害を議員個人の身分と経済利益という狭い範囲でしか捉えない過ち。
 「議員の最も重要で根幹的な活動は議会での質問や意見表明などの言論活動である」ということが正しく認識されていない。
 だから「議員の身分は保持されて報酬ももらえるのだから、出席停止にされても重大な問題ではない」という判断を行なう。

 

8;「司法審査抜きの懲罰権濫用阻止」=「選挙で是正」論の過ち

◆不当懲罰事案が起こるのは、本件や本件類似事件のように「良識ある行動をする議員」が少数派で、「良識ある行動をしない議員」が多数派である場合だけ。
 これら多数派議員達は自らの行動を何ら反省しようともしていないからこそ不当懲罰が起こる。
 現実に、「懲罰を議決しうる多数派議員側が良識ある行動を取らない」からこそ起きている事件に対して、「個々の議員の良識ある行動によって懲罰権の行使の適正が保障されるべき」、とは無意味な空論。

◆「懲罰事由がないのに懲罰をかけるという冤罪事件」が頻発するのは、議会の自律権の美名の下に「除名懲罰以外は司法審査の対象にされない」という実態が1960年最高裁大法廷判決以来継続しているからこそ。
 この点を不問にして「個々の議員の良識ある行動によって懲罰権の行使の適正が保障されるべき」というのは無責任な虚論

知り得ないことをどうやって監視するというのか?

 不当懲罰事件では、懲罰の実質的段取りも、懲罰特別委員会審議も、市民どころか議員たる控訴人でさえ傍聴できない所で進めらるのが常。
 「議員選挙権を有する市民の議会に対する監視」を唱えるのは空論。

どうやって一般市民が、多数派議員が反省するほどの「議会監視」ができるのか?

 地方議会における懲罰事件は、懲罰した側の一方的な決めつけだけが「議会だより」や広報で全戸配布されることはあっても、客観報道としてはせいぜい新聞の地方版に小さく載るだけなのが普通。
 戸田のように旺盛に報道宣伝活動を行ない、新聞テレビで紹介され、日本一アクセスのホームページで大々的に真相を詳細に掲載し、広範な市民の支持を得るに至ったのは例外中の例外の幸運な事例である。
 しかし、そうであってさえ99年に続く本件2001年の冤罪懲罰の再発は防げなかったし、4会派議員には何の反省も見られず、今も冤罪懲罰再々発の危険性は減少していない。

◆「議会」という言葉で一般市民がまず思い浮かべるのは国会。
 国会では、たまに不穏当発言で議事録削除とか発言撤回とかはあっても言論によって懲罰を受ける事例がない。
 懲罰と言えば他の議員にコップの水をかけて出席停止懲罰を受けたとか、そういうことに過ぎない。  時に罵り合いや肉弾戦までも含む激しい言論の応酬が許容されているのが国会という議会。
 いくら多数派による強行採決が多発しようとも、冤罪懲罰が少数派議員に科せられて出席停止や除名になった例は戦後日本においてない。

●従って一般市民にとって、地方議会で不当な冤罪懲罰が起こる危険性があるとか、今発生した懲罰事件が冤罪懲罰である可能性があるとかは想定することができず、司法が取り上げないのは司法の特殊な判断のせいではなくて、そもそも違法行為がないから司法が取り上げないのだ、と問題を過小に判断することになり、その分「議会監視」の力が弱くなる。

●「選挙による審判・淘汰」論は、次の選挙での「審判」があるまでの最長4年間は冤罪懲罰の実行およびその威迫による議会言論の阻害・行政チェック機能の低減・正当な政治的権利の剥奪・制限が続くことを放置して良いとする不正義な論。

●人は誰でも過ぎ去ったことはどんどん忘れて行くものである。テレビ新聞の全国ニュースで連日報道された大事件さえ、1年たってもよく覚えていることは困難であり、まして3年前4年前の地方議会の事件においておや。
 テレビに連日出るどころか新聞の地方版に小さく出ただけの事件をもって、3年後4年後の「次の選挙で審判・淘汰の材料」になるというのはほとんどマヤカシでしかない。

●選挙というものは、「良くないと思う候補者を落とすためのもの」ではない。
 他候補の批判を言い募ることは選挙の常識としてマズイし、実際問題として自分の4年間の実績と今後の抱負を語っていくだけで選挙戦では精一杯であり、とても過去の冤罪懲罰加害者への十分な批判をしている余裕はない。

1人2人の議員が悪いのではなく、多数派議員が結託するからこそ冤罪懲罰加害が起こるのだ!  
 しかもその首謀者や真の責任者が判然としない「集団加害による無責任体制」を取るのが普通。

●冤罪懲罰問題の真相を3年後4年後に一般市民に伝えるのには、絶対に詳細な文書を使って説明する必要があるが、
実際の市議選において選挙期間中は、広範な有権者に候補者名で文書を配ることがそもそも禁止されている!

 無所属候補者は政策ビラもまけない。
 それが配布できる政党・政治確認団体であっても、冤罪懲罰加害者を特定して批判することは選挙法違反になってできない。

●司法が冤罪懲罰を審査しないという対応を続ける限りは、冤罪懲罰加害者は法的道義的責任を世間に問われることなく、強固な後援組織に支えてもらえさえすれば、楽々当選することが十分可能。現実にそのような例ばかり。

 以上検討したように、
  【懲罰権濫用を抑止し防止するという目的実現】の手段として、
    A:司法審査は行なわない、とした上で、
    B; 個々の議員の良識ある行動、及び
    C: 議員選挙権を有する市民の議会に対する監視、によって保障されるべきである、という大阪地裁判決の認識は荒唐無稽な虚論!

【懲罰権濫用を抑止し防止するという目的実現】のためには、「懲罰に関して司法審査を行なう」こと、より詳しく言えば「懲罰事由の存在について司法審査を行なう」他ない!