第5;横浜市議会2議員除名懲罰事件は「懲罰裁判続発時代」の到来を告げている

1;今年の横浜市議会6月定例議会において、議場への日の丸掲示に反対行動を行なった2名の女性議員が除名懲罰を受け、市議会から追放されるという事件が起こった。
 この除名懲罰事件は首都圏では大々的なニュースになっただけでなく、朝日新聞が「市議除名――いくら何でもやりすぎだ」と題して社説で取り上げたこともあって、全国で話題となりテレビでも取り上げられた。(甲第80号証@AB)
 事件の概要と社会での受け止め方を紹介するために、以下に6/26朝日新聞の社説の抜粋を紹介しておく。


  市議除名――いくら何でもやりすぎだ

横浜市議会で、異常なできごとがあった。
 今議会が始まって間もなく、2人の女性市議が議場から日の丸を撤去しようとして退場させられた。1週間後、2人は議長席と事務局長席を占拠し、6時間後に強制的に連れ出された。
 これを重大視した市議会は2人を「議会の品位をけがし、秩序を乱した」という理由で除名してしまった。自民党をはじめ、民主、公明両党など、賛成は出席者の4分の3を超えた。
 もとより2人の行為が穏当だとはいえない。だが、選挙で選ばれた議員の資格を失わせてしまうことの重さを、他の議員はどこまで真剣に考えたのだろうか。
 ・・・・・・議長席などの占拠について2人は「議長と議論しようとしたが応じなかったので、やむをえなかった」と説明している。
 意見表明の場がなかったからといって、こうした行為が許されるはずはない。
 懲罰の対象にされるのもやむをえまい。しかし、いきなり除名とは何とも乱暴である。・・・・
 国会でも、与党ペースの審議や採決を阻むために少数派が議場の前で座り込むといった実力行動は、過去に何度も繰り返された。それでも、除名などという話は聞いたことがない。
 汚職や不祥事にからんだ国会議員について、政権党は法的拘束力のない辞職勧告決議案でさえなかなか認めない。有権者の負託を受けた議員の身分は重い、というのがその理由だ。・・・・  


2;議員の身分を失い議会から追放された2議員は、処分取り消しの裁判に訴えていくことが決まっており、議会懲罰をめぐる裁判が本件の他に増加することになる。横浜市議会懲罰事件の場合は、懲罰事由自体は存在するので「除名懲罰を選んだ裁量の問題」の適否が主要な争いになるだろうし、「除名懲罰だから司法審査をする」という従来の最高裁大法廷判決の枠内での裁判に形の上ではなるだろうが、そうであっても以下の諸点からして、この事件は「懲罰裁判続発時代の到来」を告げるものとして、議員懲罰と司法の関係において新しい局面を切り開く可能性があることに、裁判官諸氏は注意を払っていただきたい。

(1)「横浜という大都市」、「女性の市民派議員が2名も同時に」、「除名懲罰」、「日の丸押しつけ問題で」、という諸点で世間の人々にとっては大変衝撃的であり、大きな支援体制と弁護団の下で華々しい裁判闘争が繰り広げられるだろう。(甲第80号証CD)

(2)小泉政権の下で耳にタコができるほど、「議員の出処進退は議員自らが決めるもので議会の多数決で辞めさせることはできない」ということを聞かされてきた一般国民から、「国会議員と違って地方議員は除名懲罰ができる」という現行法規定自体が不合理でとうてい承伏できない、自治法の規定を変えるべきだ、という声がこの裁判を通して起こってくる可能性が大である。
 議会・行政・司法関係者だけでなく、今までは「市民派」と言えどもこういう発想は起こらなかったことであるが、一般市民からしたら、国会議員と都道府県・市町村の自治体議員と何処が違うのか、それぞれに「守備範囲」が違うだけで、選挙で選ばれる身分の重さも、議会での言動の自由が最大限保証されるべきことも、有権者の付託を受けた「議員」としては同じではないか、と思う方が考えてみたら普通である。
 地方議会でも国会同様、牛歩戦術や乱闘騒ぎが許されているものだと思っている市民の方が実は多いはずである。

(3)今年2月に大阪の茨木市議会で、同じく日の丸の議場掲示を巡って反対派議員なんと大量6名に陳謝が下されるという、これまた大事件があった。(甲第74号証)
 この懲罰は陳謝懲罰が決定され、6名が陳謝を拒否したままに終わったが、日の丸押しつけ、有事法制などが全国的に進行しつつある昨今、政治問題を巡っての議会での対立が強まっており、懲罰事件が今後急増することが容易に想像できる。
   (甲第81号証)
 そしてそれらについて、懲罰取り消し裁判がかなり提起されていくことは間違いない。茨木市の場合は「陳謝懲罰―無視」という形で多数派と少数派の水面下の合意で「落とし所」が決まって裁判にはならなかったが、出席停止や除名に突き進むケースは絶対に出てくるだろう。

(4)そもそも、懲罰推進側が司法審査を承知の上で、新聞が「いくら何でもやりすぎだ」とのタイトルで社説に書くほど過酷な除名懲罰に一気に突っ走った原因のひとつは、従来の司法の議会への不介入対応によって、地方議会で「懲罰」総体が気軽に弄ばれ、ある種「気軽に」考えられてきたことにある。要するにカベが低すぎたのである。
 何千人の有権者の付託を受けてきた議員に対して、たかだか数十人の議員の意向で懲罰を与えること自体が正当なことなのか、もしやるとしたらその手続や事実審理はどうあらねばならないのか、などということが真剣に考えられてこなかったから、騒動の憤激に駆られて「出席停止じゃ生ぬるい」とばかりに一気に除名に走ったのであろう。

(5)本件は奇しくも、これから華々しく最高裁まで争われること必定の横浜市議会懲罰裁判と併存し、今後いくつか発生するであろう政治的懲罰事件裁判の先例としての位置を持つことになった。最高裁大法廷判決体制の変容はもはや必然であり目前である。    
  時代の変化に即した司法審査を裁判官諸氏に願ってやまない。
   しっかりした事実審理と証人尋問をお願いします。

以上。