はじめに

 有事法制や住基ネット・市町村合併など地方自治に関わる重大問題が持ち上がり、自治体議会の内実が鋭く問われる状況の中で、門真市議会での冤罪懲罰の取り消しを求める本件訴訟に対する大阪地裁の不当棄却判決を経て、この2審が開始されようとしています。
 またこの間、日本で初めて戒告懲罰の取り消しを求めて最高裁に上告された京都府加茂町議会の事件について、最高裁第3小法廷が本年4月9日に上告棄却判決を下すという遺 憾な事態があったために、控訴人の知る限り本控訴審が現在日本で唯一の議会懲罰の不当性を争う裁判となっております。

 往々にして真理は少数者の訴えから始まるのが世の習いとはいえ、本件は最も言論が自由であるべき議会において、懲罰事由が全くないのに、多数派の横暴によって議員が懲罰を受け議会での審議・議決の権利を奪われたという、有権者の政治参加・議会制民主主義の根幹を揺るがす重大事件であり、必ずや正しき裁きが下されるものと信じております。

 本件訴訟は決して過去の1時期(2001年3月)の懲罰事件の是非を問うだけのものではありません。なぜならば、今現在門真市行政をめぐって大スキャンダルとでも言うべき2つの事件が露呈し、これを6月11日開始の6月定例議会で控訴人が問いただすことがまたぞろ4会派によって不当な懲罰攻撃を受けて、出席停止懲罰で本会議質問ができなくされ、最悪の場合除名懲罰をかけられることすら予測しうる状況があるからであります。

 「除名懲罰なら司法審査にかかってしまう」ことを危惧するよりは、「裁判になってもどうせ判決がでるまで2年近くかかるし、来年4月の市議選で戸田が復活するとしても、それまでの間だけでも議会から追放しておく方が得策」、という判断すらしかねないのが門真市議会4会派の実態です。このような悪辣な謀略政治に途を開いてしまうかどうかが、高裁裁判官諸氏の本件訴訟への取り組みにかかっていることをどうかご理解下さって、十分な事実審理を行なって下さいますよう、哀心よりお願い申し上げます。

 上記の2大スキャンダル事件のひとつは、府の監督を受ける門真市シルバー人材センターという公益法人における情報公開拒否=情報隠蔽問題で、控訴人の追求によってついに 府が厳しい文書を公開して門真シルバーを指導した、という前代未聞の事件ですが、その門真シルバーの副理事長で運営に重い責任を持っているのが誰あろう、かつて控訴人が別の事案で「情報隠蔽部長」と批判したことによって「誹謗中傷・職員への人権侵害」と決めつけられて懲罰をかけられた原因となった保健福祉部長であります。
 他にも市の派遣職員が事務局長兼常任理事などを勤めており、そういった幹部職員の肩書き氏名を上げての市の監督責任追求がまたしても懲罰になりかねません。  (詳しくは甲第67号証@AB・・参照)

 もうひとつのスキャンダル事件は、「門真守口合併推進要望」という、市に究極の決断を迫る重大な要望を団体として市に提出した多くの団体で、実はこれが会員に諮らず役員会にすら諮らない会長ら極一部の人間による「団体要望デッチ上げ事件」だった、というものです。(詳しくは甲第68号証@AB・・参照)
 この要望デッチ上げ団体には、自治会連合会・老人クラブ連合会・社会福祉協議会・人 権啓発推進協議会などのそうそうたるものがあり、補助金支給や人員派遣・事務業務遂行をしている市の責任は大きいし、門真市のボス人脈ともいえる団体会長らのモラルと良識の問題も見逃せません。これを控訴人が議会で追及したらどうなるでしょうか?市の幹部職員への批判ですら「人権侵害・誹謗中傷」と決めつけられるのなら、諸団体や門真市のボス人脈への疑念や批判の提起はより激しく懲罰対象にされる危険性があるのは明白です。

 実際に2000年6月議会において、シルバー人材センター問題を質問した控訴人は議長から発言禁止命令を喰らって、一般質問の半分以上を潰されてしまった経験を持っています。(詳しくは甲第69号証@AB・・参照)

 高裁裁判官の皆さん、こういう議会状況の中で行政をチェックすべき議員としての良心に沿った活動をするのにはどうするべきなのでしょうか?
 4会派から懲罰を受けるような質問をする方が悪いと言われなければならないのでしょうか?
 司法救済がない現状に合わせて質問をセーブすべきなのでしょうか?
 私は決してそのようには考えません。懲罰を避けるために問いただすべきことを問いたださないのは職責放棄であります。

 それにしても議員としてまっとうに職責を果たすことが、通算5本目懲罰を受けて日本記録再々更新になるようなことになりかねず、それでも「除名懲罰でなければ一時的な権利の停止に過ぎない」と片づけられるような社会がまともな民主社会でしょうか? 涼しい顔をしてそれを放置するのがまっとうな司法のあり方でしょうか?

 奇しくも歴史を振り返って見れば、この42年間議会を司法救済の及ばない無法地帯としてきた1960年最高裁大法廷判決の対象事件は、新潟県の山北村の合併問題を巡る対立 でした。反対派の2議員を評決からはずすために、なんとこの2議員が発言もしていない 本会議碧頭において、2議員の反対姿勢がケシカランからとして、懲罰動議文書すら提出 せずに過半数の賛成多数で「出席停止3日の懲罰」を押し通し、狙い通りに同条例を可決せしめたという、むちゃくちゃな政治謀略劇でした。
 こういう懲罰事件が「部分社会論」に基づいて「司法審査をしない」とされ、出席停止懲罰取り消しは「もはや訴えの利益がない」として切り捨てられたのが1960年当時の実 相でしたが、これを現代の眼で見直したとしたらどうでしょうか?
 当時は考えられもしなかった情報公開や住民投票等々が新たな常識になっているこの21世紀においても、議会の無法地帯は放置され続けるのでしょうか?

 門真市議会の異常な実態を描いた私の著書「チホー議会の闇の奥」は、堅い本が売れないこの時代にあっても北海道から沖縄に至る全国各地で既に約3000冊がさばけ、一般市民だけでなく県知事から議会関係者、研究者にまで関心を呼んでなお堅調に読者が広がっております。(甲第47号証・70号証) また、「自治体議員としてアクセス数断然日本一」を誇る私のホームページは一層快調に全国に話題を提供しております。まさに全国の熱い注目の下で開始されている本件において、議会と司法の関係を正しく位置づけ直す歴史的な審理をなさっていただきますよう、裁判官の皆様には重ねてお願い申し上げます。

 (*なお、1審第2準備書面の第9で「出席手当懲罰」とあるのは全て「出席停止懲罰」の間違いでありますので、恥ずかしながらここに訂正を申し出ておきます。)