3;中北龍太郎弁護士から 最高裁不当判決に思うこと 住民の間で多様な意見があるからこそ、住民の意見を自治体に反映させるために、住民の代表である議員がそれぞれの立場から自由かっ達に議論を尽くして地方議会を活発化させる必要があります。ところが実情は、多数派が議会を支配しているため、発言の割り当ても多数派に有利で、少数派の議員は不利なように仕組まれ、また多数派の数の力で少数派の発言を封じ込めたり、他方少数派の発言に対し議会で懲罰を加えるようなひどい事例も少なくありません。曾我さんへの懲罰は、そんな中でも最悪の部類に入ります。 この懲罰は、議員のいのちともいうべき発言権を抑圧し、曾我議員と有権者との信頼関係を悪化させるもので、議会や選挙中の活動を困難にする悪影響を与えます。 不当懲罰に象徴される類廃した議会の現状を改めることは、日本の民主主義の発展のために欠かせません。議会改革はまず、議員の努力、議会の自浄作用によって実行されるべきでしょう。しかし、多数派が権力にあぐらをかいて自浄能力を失っているときには、裁判所もそれ相応の役割を果たさなければなりません。とくに議会の懲罰の乱用に対しては、裁判所が果たす役割は大です。 ところが、最高裁判決は1960年10月19日判決で、「除名処分以外は議会の自律権に任せるべきだという理由で司法審査をしない」と判断しました。これ以降、議会の懲罰乱用が野放しになってきました。 また、議会に自立権を与えた根本精神である議会における議員の表現の自由を保障する観点からいえば、表現の自由を委縮させる懲罰の乱用こそ戒められなければなりません。 どう考えても懲罰権の乱用といわざるをえない曾我さんの事件で、私は、最高裁判所が従前の見解を改め、憲法・人権の番人としての使命を果たしてくれるものと大いに期待していました。残念ながら、この期待は裏切られてしまいました。 |