1;曽我千代子町議から

 5年間の戦いを終えて

(事件の概要)

 1997年9月議会の一般質問で、「体育協会の補助金のあり方について」の、一般質問をしたところ「戒告処分」という懲罰に付されました。
 議員が行政に対して、補助金の使い方について、意見を呈するのは、議員として保証された事柄です。議員の中に、体育協会の会長が、居ようが居まいが関係のないことです。それを、多数派にいる議員の、気に入らないことを言ったからといって、懲罰にかけられるのは「言論封じ」であり、まさに民主主義の破壊であるとして、その取り消しを求めて提訴しました。

(結果)

 2002年4月に、最高裁判決で棄却に至るまで、ほぼ5年にわたる闘いでした。
 結局、1960年の大法廷判決である「議会の自律権」を理由として、「裁判所の立ち入れない範囲」というのを、超えることができませんでした。つまり、いったん議会で決まったことは、裁判所でも取り消しは叶わないと言うことです。
議会がそんなにも多大な権限を有しているという事を、1票を投じる住民や、選ばれた議員自らも、理解しているでしょうか?「議会なんか・・・」「議員みたいなもの!」と、言ってみても、こんなにも権力を持ったものであるということを、改めて思い知らされた結果になりました。

(学んだこと)

 そして、今回の裁判を通じて、我が国には、いったん事が起きたら、それを救済する制度の無いことをも実感いたしました。まだまだ、民主主義そのものが育っていない国だと言うことも分かりました。
 しかし又、今回の裁判闘争をする中で、そういう日本の状況を良く知っていて、様々な分野で活動を展開している方々も、多くいるのを知りました。そんな方々との連携もできました。そして何よりも、多くの方々の支援を頂き、人間の温かさや、ネットワークの力強さも知りました。この事件が無ければ、気づかずに過ごしたことを、多く学べた5年間 でもありました。
 本当にありがとうございました。今後とも、活動を続けて参りますので、引き続きましての連携・ご協力をよろしくお願いいたします。