懲罰裁判:不当結審糾弾!「年度内の壁」越えず2/21に判決
10時からの口頭弁論に安田・上野弁護士が12分も遅刻する、というだらしないこと があったので、裁判官もそれにあわせて入廷していない間を利用して、戸田が他の事件
も含めて満席の傍聴席に向かって、「1人50万円ももらっていながら、年の初めの裁判 に遅刻するとは何事でしょう。本件は実はこういう事件なんですよ・・」として戸田の
通信の余分を渡したり、裁判資料を回覧させたり、本の宣伝をしたり、と「ミニ演説会」 みたいにしちゃいました。10:15から他の事件が入っているので、その人達も両弁護士
遅刻で迷惑被っているわけです。
やがて到着した両弁護士のうち、上野弁護士が遅刻批判に対して「書面出すならもっ と前に出してくれんと困る」と文句垂れるので(これ自体は正当だけどネ)、「あなた方
の遅刻でみんなに迷惑かけたことをまず謝るべきではないか」と一喝し、上野弁護士が 苦い顔をしながら遅刻のお詫びを全体に対して述べる、という一幕がありました。
まずは先手を取ったわいと内心喜びながら、裁判官に促されて「原告の弁」を力強く 述べていったところ、今回は裁判官の制止もなく、8分もしゃべらせてもらった。
「冤罪事件である。被告自ら懲罰事由がないことを露呈している。被告は答弁書に答え るべきである。・・・」 陪席裁判官がうなずきながら聞いてくれている。
「被告の意見は?」と聞かれて上野弁護士が答えるのに、いつものように「審議終了・ 棄却」を言うかと思ったら「膨大な書面を出されたので、この場では答えられない。裁
判所の判断を仰ぐ」、と謙虚な言い方。
ここで裁判官が「合議します」と言って奥に引っ込んでいった。引っ込む前に「休廷 中は静かにしていて下さい」と戸田にクギを刺したのには苦笑してしまったが。(「ミニ
演説会」が奥にも聞こえていたんだね!)
「おお、これはいけるぞ。憲法論議も含めた膨大な書面と資料や、戸田とふくお氏の 2冊の本を提出し、当日には被告に対する10項目の「答弁要求書」をだした甲斐があっ
たぞ」、と喜んでいたものの・・・・・・
数分して出てきた裁判官が言ったことは・・・・「これにて審理打ち切り。2/21(木)午 後1:15に判決言い渡し」だった。アリャリャ!
戸田が「せめて本人尋問だけでもしてもらいたい」と粘ったがだめだった。
裁判の最も争点となるべきことを整理した「答弁要求書」を被告に答えさせる機会を 放棄して(被告は内心「裁判所に指示されたら答弁書を出さざるを得ないが、しかしそ
れは苦しいなぁ」と思っていたはずなのに)、審議打ち切りに走ったことを戸田は不当結 審として糾弾するものである。
●要するに、初めから「1/10結審」を決めていたので「最後のサービス」として戸田に
自由にしゃべらせたのだった。「合議」したということはちょっとだけ迷ったけれども 「やっぱり既定方針通り」としたわけだ。「1ヶ月強で判決」、ということは非常に「楽
な判決」即ち1960年大法廷判決に寄りかかった「除名懲罰以外は司法審査しない」と いう訴え棄却判決を出そうということだろう。
●従って、2/21判決は9分9厘戸田の敗訴であると考える。4会派諸君とりあえずはヨ
カッタね。しかし当然ながら戸田は控訴して高裁で争うし、3月議会でもなんらひるま ず厳しい言論を叩きつけ、懲罰攻撃があればまた提訴することを今から宣言しておく。
●山ほど事件を抱えさせられている日本の裁判官は年度ごとに人事異動する。従って「他
の裁判官に嫌がられない」お互いの暗黙の了解として、「なるべく年度を持ち越させな い」心理が働くのだと、司法の実状に詳しい人達は語っている。
今回、戸田の訴えはそういう「年度内の壁」を越えることが出来なかったということ だ。しかしまあ、訴状以外は全て裁判の素人である戸田が作成して、よくここまで来た
ものだ、とも言える。ドッサリ作成した書面・資料はそのまま高裁にも引き継がれてい く。高裁で負けたら最高裁までいくだけのこと。弁護士なしで最高裁の原告なんていう
のもカッコイイ。何年か後には「60年大法廷判決を変更させた門真市議会事件」として 「判例集」に載るかもネ。 よしっ!不当懲罰徹底粉砕まで闘うぞ!