第7;門真市議会4会派の非常識ぶりは世間周知の事実である

1;まず、原告の言う「4会派議員の非常識な行状」とは彼らの私生活批判や人格批判ではなく、議員という公人としての言動に対するものであること、個々の議員の関与度合いの実状ががどうであれ、「4会派」として共同で行なった非常識なことは「4会派議員の非常識」として総体的に批判していることを表明しておくものである。
 これは裁判所に対しては言わずもがなのことであろうが、被告弁護士が歪曲した捉え方をしないために、あえて付言しておく。

2;「議会の常識は世間非常識」という言葉がある。門真市議会の4会派議員の言動、特にその議会運営に関わる実態が非常識なものだと考えていないのは、当の4会派議員とその周辺の取り巻き的人々だけである、と言っても全然過言ではない。
 その実態は原告の著書「チホー議会の闇の奥」(甲第47号証)やこれまでの書面で明らかであるが、昨年12月に出版された、東京武蔵村山市の元ベテラン市議の「ふくお ひろし」氏の著書「デスマッチ議員の遺書」(甲第48号証)にも「全国最低の市議会」として門真市議会が紹介されたくらいである。
 ふくおさんは、武蔵村山市で7期28年も猛烈な闘いをやってきて2年前に引退した有名な元市議であり、田舎体質行政を猛烈に批判追求するだけでなく、議会の民主化にも体を張って闘い、全議員を巻き込んで質問時間制限などのない、日本で一番自由闊達な議会言論と徹底した審議保障を実現させ、既に1986年に全国最高レベルの情報公開条例を議員提案で作り上げた凄い実績を持ち、その議会奮闘記の「たった一人の革命」で第2回朝日ノンフィクション大賞まで受賞した方である。

  そのふくおさんが、原告からの依頼ではなく(原告は同氏と面識がないしこの本のことも全く知らなかった)、独自に懲罰連発の門真市議会の事件をあちこちで聞き知って、今回ご自分の著作で原告の闘いを大きく紹介して下さったわけで、本の第11章で「全国最低か?大阪・門真市議会」と見出しをつけて146項〜149項に渡って門真市議会の異様さを批判している。そこでは、「各地の実例に接してきた中でも、特に大阪の門真市議会は度を超していると批判せざるを得ない。」、「議会の品位を汚している点では、知る限りにおいて、恐らく全国的にも低程度のトップクラスと位置づけても間違いないと確信して言える」と書かれている。

 他にも甲第14号証などの新聞・雑誌記事に見られるように、門真市議会の問題が取り上げられた報道はほとんど全て4会派の議会運営に批判的で疑問を呈しており、4会派議員の行状を賞賛したり好意的に評価するような報道は全くといって良いほどなされていないのが厳然たる事実である 。
 それこそ「何故、このような、結果になったのかを、先ず、被告は冷静に考えてみられるべきではないのか?」 被告弁護人はどう考えるのか?

3;門真市議会は武蔵村山市の足下にも及ばないのは当然としても、全国的に見て決して  高いレベルとは言えない北河内7市の近隣他市と比べても議会の審議時間が身近ことが歴然としている。
 ちなみに寝屋川市と比べた場合(2000年度)、本会議の年間「実会議時間」は寝屋川市が59時間21分で門真市は30時間17分と約半分。
 委員会審議の場合、年間「実会議時間」は、寝屋川市の(門真と同性格の)委員会審議時間が年間104時間22分で、門真市がわずか40時間09分とわずか4割でしかない。(甲第57号証)
 ところがこういう実態を反省して改善しようとするのではなくて、質問時間の削減や多数決による質問封殺をして恥じないのが4会派議員達なのである。(「ヒゲ-戸田通信10号裏面上部;甲第49号証)これを「非常識」と批判して何が悪いのか?

4;伏せ字議事録問題において被告は「裁判所の提出命令を待つまでもなく提出する」、などともっともらしい言い方をしているが、実際には当方からの公開要求を拒否し続け、8月16日口頭弁論でも提出しようとせずに結審を求めるなどしていたわけで、このままでは裁判所から提出命令を出されることを懸念して提出したものとしか思えない。
  また、「伏字にした部分は、議長が地方自治法第129条に規定する秩序保持権に基づき発言の取消しを命令した部分であり、それ以外の理由はなく、」と準備書面で述べているが、これは全くの虚偽である。

  実際には、3月議会記録のどこを見てもそのような「議長の発言取り消し命令」などは存在せず、単に「後刻速記を調査の上、必要により措置することにいたします」と発言したことが「発言取り消し命令を意味するのだ」というおどろくべきデタラメな主張をしているのである。(甲第62号証)
 議長が「必要により措置します」と一言言えば議会終了後に自由自在に議事録から発言削除してよい、というのが4会派の「常識」なのである。これでは多数派の思うがままに議事録が改竄されてしまい、議会審議の真実が闇に葬り去れらることになってしまう。「議会公開の大原則」も何もあったものではない。
 この件については甲第61号証64号証の「不服申立書」「反論と審査会への訴え」で詳細かつ完膚無きまでに批判しているが、情報公開の審査会委員方々も「存在しない命令が発動された」と言われてさぞとまどっていることだろう。

 ことほど左様に、懲罰動議の存在を対象者に直前まで隠し続けたり、むちゃくちゃな懲罰をかけたりするだけでなく、こういうところにも4会派議員が「当然法理や社会常識」さえわきまえていない実態が現れているのである。
 この実態を指して「非常識」と言って何が悪いのか?
 また、被告の言う「閲覧申請書」なるものは、従来存在しなかった書面を急遽作成したものであり、しかも原告に対して「外部に公表しないことの誓約」を求めて情報隠蔽に屈服加担させようとするもので、とうてい承認できないものであった。
   (甲第60号証)

5;4会派議員の非常識ぶりは上げればきりがないが、その他の典型的なものは、原告の第1準備書面の「3;本件解明に不可欠な門真市議会の特質と運営実態について」(6項〜)及び著書「チホー議会の闇の奥」(甲第47号証)に載っている。
 被告弁護士はこういう事例をして「非常識」と呼ぶことのどこがおかしいというのか?
 そう呼ぶことが「有権者への侮辱だ」などと言うのならばその方がよほど有権者への侮辱ではないだろうか?

第8;現在、原告は最も市民の期待と支持の多い議員である

1;門真市は従来、組織票のない新人議員が当選したことがなかった土地柄で、共産党以外の革新陣営市民派議員が当選したのは初めてである。(原告の所属の連帯ユニオンの門真での「組織票」はわずか30票前後) そういう土地柄にあって門真転入7年過ぎの無名新人が最下位得票だったとしても当然といえば当然であるが、当選以降の活動と4会派議員の不当な攻撃との闘いによって、原告は門真市で最も知名度が高くて市民の期待支持の多い議員になっている。

 そのことは市民からの手紙やFAX(甲第64号証でその一部を紹介する)及びホームページへの書き込み(甲第55号証など)や、議員出席手当問題での住民監査請求に署名捺印して共同する市民が1ヶ月弱で続々107人も集まり、しかもそのうち50人は今まで全く知らない市民だったこと(甲第52号証53号証)、などで如実に証明されている。
  マスコミでの肯定的な紹介の数々(甲第14号証・第53号証(1))など「この2年半で全国で最も多く報道された市議」であり、「ホームページのアクセス数断然日本一の市議」である。著書の発売でさらに市議会の実状を知って原告を支持する市民が増大することも疑いない。
 次回選挙では「トップ当選3000票」の見込みもおかしくないのであって、そうなれば実に「投票者倍増以上」となる。そしてそれは同時に4会派政治に対する痛烈な批判として表出するからこそ、原告への攻撃が執拗に続けられるのである。

2;原告はこの秋以降においても、市民の市政批判や要望を積極的に汲み上げ、不当な「議員出席手当」をついに廃止決定に追い込み(甲第52号証53号証)、歴年の広報未配布問題の抜本解決の道筋を付けたり(甲第54号証)など、今まで誰もなしえなかった成果を上げつつ、どの議員も触れることのなかった学校の「諸費」未納問題を議会で大胆に取り上げたり(甲第59号証)、市民の告発の応えて「勤務時間以外には保育園当事者市民と懇談しない」という横柄な役所の対応を厳しく追及して、改善に向けさせたり(甲第55号証)するなど、多大な成果を挙げている。

 たった1人の無所属議員である原告がこのような成果を上げられるのは、ひとえに恐れることのない情報公開の言論活動を通信・ビラにおいても、ホームページにおいても、議会においても断行しているからに他ならない。
 出席手当廃止運動においては、これを2年半も放置して応えようとしない4会派議員の実名を通信10号で書いて、特に公明党議員については顔写真まで入れて議員自宅周辺はじめとした市内一円に約2万枚配布して世論に訴えるとともに、「マンモス監査請求運動」を発案して107人の市民から署名捺印を得て、11月26日に記者会見を設定しながら市に提出してテレビと新聞で報道されるように工夫することによって、4会派が尻を叩かれたようにあたふたと「出席手当廃止」を決めて11月30日議運での決定と12月議会での議決に至ったのである。

第9;出席手当懲罰は有権者の参政権と行政チェック機能への妨害である

1:1960年大法廷判決に連なる判決にしろ、その尻馬に乗る4会派にしろ、共通して欠如しているのは、懲罰を議員個人の利害問題としてしか捉えようとしないことである。
 なるほどその観点からすれば、除名懲罰では議員としての身分も収入も全て失うから重大だが、出席手当懲罰ならばそういうものは失われず、「一時的に議会出席ができなくなるだけ」だろうが、有権者の参政権や議員の活動を通じての行政チェックという根本的な問題を考えたらどうなるのか。

 言うまでもなく出席手当懲罰によって、先の準備書面で解明しておいたように、年に4回しかない貴重な定例議会における貴重で重要な議案の審議と議決から排除され、行政への質問もできなくされてしまうのであって、これが議会多数派の数の力で強行されるならばゆゆしき問題であることは明白である。
 そしてこれが大法廷判決などの決定的な欠陥なのである。それは議員という存在を議員個人の名誉や身分・報酬の面からしか考えず、有権者にとってどうなのか、行政チェックという役割にとってどうなのかを考えることがあまりに薄いと言わなければならない。
 原告の旺盛な議員活動と市民からの期待を見るならば、不当な出席手当懲罰によってこれを阻害することの害悪はすぐに理解されるはずである。

                                    (以上)