第4:裁判所の司法審査の放棄が地方議会における懲罰の濫用を招いており、これを放置しては今後は訴訟が増加するばかりである。

1;被告は「1960年大法廷判決」を金科玉条の如く振りかざして、「除名懲罰以外の懲罰には司法審査が及ばない」と述べているが、そこには議会制民主主義の内実を如何にして深めていくか、という姿勢はかけらもなく、懲罰の根拠規定や懲罰事由の妥当性すら言わないままに居直ろうとしているが、本件の裁判官諸氏におかれては、こういった民主主義原則の蹂躙姿勢を峻拒して、真に日本国憲法と地方自治法の規定と精神に基づいた、勇気と先見性のある高邁な判断を願うものである。

2;日本の裁判官が非常に数多くの事件を抱えていて重い負担を背負っていることは、健全な民主主義社会の公益実現実現の観点から大いに問題であり、特に複雑多岐・多数に渡る行政訴訟の処理については、担当裁判官諸氏の苦労は察するに余りある。   
  こういった困難な司法環境の中では、「司法審査を行なう要件をできるだけ狭くしよう」という心理が無意識的であれ働きがちなことは、神ならぬ肉体的精神的限界を持った人間である以上、司法関係者の間に働きがちであることは否めないと考えられる。   
  そこに1960年大法廷判決がああいう形で作られた事情の一端があったと考えるのは、全くの見当違いとは言えないであろう。   

 そもそもこの大法廷判決の対象事件たる新潟県の山北村村議会の1957年(昭和32年)出席停止懲罰事件にしてからが、村議会の中で合併問題を巡って2派に分かれて対立している状況下で、議会の3分の2以上の同意が必要な「村役場一条例の改正」に賛成する一方が、反対派の2議員を評決からはずせばこれが成立することに目を付けて、なんとこの2議員が発言もしていない本会議碧頭において、2議員の反対姿勢がケシカランからとして、驚くべきことに懲罰動議文書すら提出せずに過半数の賛成多数で「出席停止3日の懲罰」を押し通し、狙い通りに同条例を可決せしめたという、田舎議会のむちゃくちゃな政治謀略劇としか思えないものであった。   
  当時の原告側文書はこれを「地方自治法によらざる町村合併、即ち新市町村合併推進法により、強制力を用いて行われた町村合併の生んだ悲しむべき紛争であり、合併条件に関する約定のその後における無視および多数派の違法不当な横暴に対する村内正義派のやむにやまれぬ提訴である。」と記している。   
  原告が子供時代に放映された有名なテレビドラマ「逃亡者」冒頭の「正しかるべき司法も時として盲いる時がある。リチャードキンブル、職業医師・・・」というナレーションが思わず浮かんでくるような事例である。  
 こういう懲罰事件が「部分社会論」に基づいて「司法審査をしない」とされ、出席停止懲罰取り消しは「もはや訴えの利益がない」、反対派排除の政治謀略の上で可決された条例改正については、「それとこれとは関係ない」として切り捨てられたのが1960年当時の実相であった。   
  これを現代の眼で見直したとしたらどうであろうか? 新潟の村のこととは言え、住民からの猛烈な抗議や監査請求・リコール運動・住民投票要求・予算執行差し止め請求などなど沸き起こるだろうし、そもそもこんな政治謀略を仕組むこと自体が無理なのではないだろうか。

3;被告が得意げに持ち出している「出席停止処分は司法審査の対象としない」の他の判例にしても、実相を見ると相当ひどいものであって、これらが地裁判決どまりになっているのは、山北村のひどい例ですら大法廷で敗訴させられたことによって当事者が控訴断念したからであろうと推測される。

 ◎甲府地裁昭和38年(1963年)10月3日判決(行裁例集14巻10号1860項)の事件は、富士吉田市議会の7人の市議に対する同年8月7日の出席停止懲罰に対して、同年10月3日というわずか2ヶ月で出されたものである。
 ここでも市議会は2つの会派に分かれて対立しており、富士吉田市ほか2村とで構成し、北富士演習場地代・材木等莫大な財産を持つ「恩賜県有財産保護組合」議会への選出9議員のポストの独占を図った一派が、懲罰処分に名を借りて対立会派7名の議会出席権を奪って狙い通り自派で9名のポスト独占を実現したのであった。  
 ここでは多数派の議長が議会を招集しておきながら高校のハンドボール大会に出席する無軌道を行なっていながら、逆にこれを咎めた対立会派側議員を「議員にあるまじき行為」だとしたり、広島市での外部団体大会への議会代表としての派遣について、医師の診断受けて病気理由で辞退届けを提出した議員を非難して懲罰を科したものだった。     

 ◎佐賀地裁昭和61年9月5日判決は、佐賀県神崎町議会の事件で直接的には1984年(昭和59年12月14日の出席停止懲罰だが、実は1985年3月議会の全期間と6月議会の全期間にも出席停止懲罰をかけて、しかも多数派が「今後も議会の度にずっと出席停止懲罰をかける」旨を断言したという空恐ろしい話であって、さらに1984年の懲罰自体、懲罰動議が出されたのが同年10月臨時議会であるのに、「会期不継続」の議会の基本原則を踏みにじっ12月議会になってからこの懲罰動議が可決されるという、およそ常軌を逸した無法なものであったのだ。   
 対立の原因は当時議長をしていた原告が、議長職の持ち回りの慣例でもあったのか(多くの地方議会で1年とか2年ごとに議長ポストを持ち回りするために、議長が「自発的に」辞表を出して交代する仕組みが今に至るも作られている)辞表を出すと約束していたのに、議会の役職人事を決める10月臨時議会で辞めようとしなかった、というものだが、辞表提出の約束は非公式の全員協議会であり、ポスト争いの報復のために、「議会外での言動」を理由に懲罰を科した点においても違法なものであった。   

◎長野地裁昭和61年2月27日判決(判例自治22号34項)の長野県の町議会の事案は、手元に資料がなくて不明なので触れないが、いずれにしてもこれら地裁判決に対して原告は1960年大法廷の判決を安易に踏襲した間違った判断であると強く批判するものであって、こういうものがあるからといって原告の正当性は何ら揺らぐものではない。
  最高裁に上告した加茂町の曾我さんと共同して、1960年大法廷「部分社会論」の誤謬を打破するために闘ってゆくのみである。    
  こういうふうに、原告は過去の判決についての評価を明らかにしているのであるが、被告はなぜ1952年最高裁判所小法廷判決や、札幌高裁1950年(昭和25年)12月15日判決への評価を明らかにしないのだろう。早く明らかにしてもらいたいものである。

4;これら不当懲罰以外に、比較的最近の不当懲罰の実態について、「これでいいのか!地方議会 懲罰議員白書」コピー(甲第65号証)を中心に次に簡単に紹介しておくと、  

(1)京都府加茂町議会の曽我千代子町議への1997年の戒告懲罰   
 100%町の補助金で運営され事務局も町教育委員会におかれている体育協会の補助金の使途、行政の指導のありかたについて質問をしただけなのに戒告懲罰を科された。    
  大阪地裁・高裁敗訴の後、2001年12月18日に最高裁に上告している。詳しくはこの上告理由書(甲第58号証)と(甲第65号証の(1))をご覧頂きたい。  

(2)山崎芳弘広議員・埼玉県座間市の場合(甲第65号証(2))  
 同議員が、1993年9月定例会一般質問発言において、同年6月議会で、20年前に作られた鉄くず扱いで廃棄処分されたプレスが座間市リサイクルセンターに納入された件に関し、そのプレスを「ぽんこつプレス」と表現したのを正副議長が不適切発言と認定して伏せ字にした経過を取り上げ発言したところ、内容の撤回を求められた。この当時、市は既にこのプレスをスクラップ屋に出して解体処理をしていたものである。同議員が撤回を拒否すると、同年9月22日懲罰決議が可決され、出席停止1日の懲戒処分を受けた。  

(3)伊藤裕希議員・青森県三沢市の場合(甲第65号証(3))
 同議員(1996年3月初当選した)が、ノーネクタイで登庁したのに対して、1996年12月議会において「議員の服装規則」が制定され、翌年3月議会で5日間の出席停止、同年6月議会でも5日間の出席停止の懲戒処分を受けた。同議員は、その後、議会内での発言の機会を確保するため、やむなくネクタイ様のものを着用して登庁した。   
 同議員は、初当選する前から、地域新聞を自主発行し、議員の不正や疑惑を暴き、議員の親善野球大会への公費支出などを追及してきていた。  

(4)中村幸子議員・島根県匹見町の場合(甲第65号証(4))  
 同町議が、同町社会福祉協議会の会長を兼任していることが、地方自治法92条の2の兼職禁止にふれるとして、1996年1月25日、同町議会は同議員の議席剥奪を決定した。これは、同議員が中電変電所建設反対運動や町福祉計画に対する同議員の主張を快く思わない勢力によるものであった。   
  全国革新議員会議や女性議員を支援する会等、全国的な講義・批判の広がりの中で、同町議は復職することができた。  

(5)繁田智子町議・奈良県平群町の場合(甲第65号証(5))   
 1997年5月5日の朝日新聞地方版でのインタビュー記事で繁田議員が「議員親睦会でお酌をして回らなかったら愛想が悪いと言われた」「最近の議会は飲み屋で話がまとまるようなことはなくなった」と語ったところ猛烈な攻撃がなされ、これに関した議長と同議員とのやりとりを口実に出席停止10日の懲罰が決定された。   
 これに対して同議員が奈良県に不服審査請求をしたところ、今度は問責決議がなされた。  

(6)なかや多恵子市議・福岡県中間市の場合(甲第65号証(6))    
  1995年、同僚市議が公道上を無断で不正配管・不正給水して10年間も水道条例に違反していた事実を議会質問で質したところ、市もその違反事実を認めたにも関わらず議会で戒告懲罰を科せられた。懲罰のあとでそこに水道メーターが設置されたが、議員の不正を他の全議員がかばって問題告発した議員を懲罰にかける一方、市当局は  これを通じて議員に貸しを作ったものと言える。  

 ここに取り上げた事案は、地方議会において懲罰権が本来の目的を逸脱し、多数派に よる少数派議員への恫喝や嫌がらせ・多数派への取り込みの手段として利用されている 一例にすぎない。
 まさに、多数派議員らが、少数派議員の表現活動・議会活動を妨害し、まっとうな市政・町政の監視をするような活動をも押さえ込むために、懲罰権が濫用されていること が理解できる。

5;ところで、地方議会において、議員の懲罰がなされたのは、1995(平成7)年4月1日から1999(平成11)年3月31日までの間に、全国で84件(88人)程度であり、そのうちの何割かは、本来の目的のためのものであろうことを考えると、不当懲罰について司法審査が行われることになったとしても、濫訴を招くという事態はおおよそ考えられない。むしろ、司法審査が及ぶことになれば、懲罰権の行使が慎重になされ、不当な懲罰が減少するであろうことは容易に予想できるのであり、司法審査を肯定した場合においても、司法権の行使によって議会の自律権を侵害するような虞は皆無に等しい。   
  逆に、裁判所が従来のように司法審査を回避する姿勢を続けた場合の方が訴訟が増えてしまうという、新たな時代の波が起こっていることを裁判所には認識していただきたい。   
  それは昨今、地方議員の中に新しい不当懲罰を許さず断固として提訴していこうという機運と裁判を起こす能力が高まってきていることである。    

 そのひとつの要因は、情報公開、市民オンブズマン、住民投票などに示される住民の自治意識・政治参加意識の高まりを背景とした新しいタイプの革新派議員・市民派議員の増加である。同じく「議会で少数派で不当懲罰をかけられやすい」とはいっても共産党議員の場合は、自治体議員総体としては最大人数を擁する大勢力でほとんどが会派を形成している議会の安定勢力であると同時に、大法廷判決の壁を前にして訴訟を起こしてまで闘うかどうかの全国的・組織的な政治判断が働いて訴訟は回避しがちであるのに対して、原告や曽我さんなどの無会派の革新・市民派議員は自分単独の判断で、会派間の貸し借りや議会の旧来慣行に縛られずに、市民感覚に基づいて「おかしいものはおかしい」、として、大法廷判決があろうが何があろうが、決起することに躊躇しないのである。  

 これらの新しいタイプの地方議員たちによって1998年、「不当懲罰を許さない全国議員・住民の会」が発足し、活動を継続・拡大してきている。   
  とりわけ現在「戒告懲罰取り消しで最高裁に上告」という画期的訴訟活動を闘っている曽我町議と、「日本最悪の懲罰議会」たる門真市市議会の異常懲罰攻撃を地裁に提訴した原告とは、「車の両輪」として緊密な連携を持って裁判闘争を展開しており、この両者の動きに刺激されて、不当懲罰が降りかかったら決然と訴訟提起する議員が続々と増えることは間違いない。   

 もうひとつの要因は、コピー・FAX・パソコン・インターネットの普及によって、訴訟提起することが格段に簡単になったことである。1960年頃がまだカーボンコピーと青焼き・ガリ版印刷の時代で、パソコンどころかコピー機すら一般にはなかった時代であったことを思い起こすならば、現在の複写・印刷・情報伝達環境は夢のような進歩であって、だからこそ一介の市議が猛烈な議員活動をこなしながら、弁護士無しでこれほどの文書・資料作成ができるのである。一介の町議が敢然と大法廷判決体制に挑めるのである。(原告もまた、仮に地裁・高裁敗訴でも最高裁に挑む覚悟でこの裁判を闘っている)   
  私も曽我さんも自分のホームページに裁判書面を公開して、誰でも自由に活用することを呼びかけている。私達の後に裁判提起する議員は私たちよりももっと簡便に、もっと高度な裁判所面を作成して不当懲罰取り消し裁判に挑んでいけるのである。   
  そしてまた、その有様がホームページを通じて全国・全世界に伝えられるのであるから、全国的・全世界的に市民の注目監視のもとで、議会の実態・懲罰の実態が問われてゆくのである。      
  このように、まさに誰でも簡単に高度な訴訟を起こせる時代に入っているのであって、従って懲罰に関する訴訟提起を押さえようと思えば、方法はただひとつ、裁判所が積極的な司法救済の姿勢に転換することである。   
  そうすることによって初めて、懲罰事由がなくても議会外のことでも、数の力さえあれば安易に不当懲罰をかけられるとタカをくくってきた地方議会内の「非常識多数派」を牽制し、エリを正させることができ、結果として不当違法な懲罰事件の発生を抑制して訴訟提起を減らすことができるのである。   
  「議会の常識は世間の非常識」ということがはびこってきた地方議会の実態を市民常識に沿ったものに改善すること、「法理・法律に反することをすれば裁かれる」ことを議会に対しても示すことが、訴訟提起を抑制して「議会の自律権」を本来あるべき姿にする唯一の道であることを裁判所はぜひご理解願いたい。

だい2