糸氏からの9・9意見聴取記録 13/10/21up

→2ページ目
<糸氏 意見聴取>
日 時 平成25年9月9日 午前9時から12時まで
場 所 本館2階第7会議室
発言者 ●…糸氏 
      ■…戸田議員
応対者 ▲…総務部次長 法務課長 営繕住宅課長 法務課契約グループ長

■ 2013年9月9日(月)朝9:06

■ 2013年9月6日月曜日朝午前9時6分ですが、事情徴収にあたって役所の方からそれぞれ出席者の肩書と名前を紹介ください。

▲ 市 
それでは私の方から、総務部次長をしております、宮口といいます。営繕住宅課長をしております、亀田といいます。法務課長の狩俣と申します。よろしくお願いします。法務課の契約G長橋本です。よろしくお願いします。

■ 戸田議員
糸正臣さんから中央小事件についての是非申し立てしたいということがありますので、それを瑠々、述べて言って下さい。

● 糸正臣です。
今回、戸田さんのこういう場を持っていただきましてありがとうございます。今回の工事について、ちょっといろいろ言いたいこともあるんで、今日、こうして来たわけですけども、過去に門真市には、建友会、今もあると思うやけども、田中も、田中営業部長、金川の田中営業部長も言うとるように元暴力団砂子川組系の岡田卯一郎という人が主催しておったというような、

■建設の建と友の会と書くんですか。

●建設の建と友の会で、建友会。

■歴代の会長がいろいろ変わってはおるけども、この中に御存じの人もおると思うやけども「多田まさき」さんいう人がえらい力持っとって、会長しとったことがあって、当時は談合の時代ですよね。でそういうのがあって、当時はこういう公共工事については請負金額の3%が地元対策費ということで計上されとったと。
すいません、その当時というのは平成でいうと何年ごろですか。
西暦でいうてくれたら、すぐわかりますけどね。

● 昭和時代ですね。昭和63年から60年代の平成の始めぐらいまでの間ですね。

■ じゃ1988年が平成1年ですよね。だから1980年代ぐらいまでということですね。平成になるぐらいのあたりまで。

● 平成になる前ですね。

■ 1970年、万博の70年それから1980年代の始めぐらいまで。昭和の終わりぐらいまではということですね。

● そういうのがあって、談合もしかりですけど。

● どこが落としても、だれが行ってもいいんです。要するにマンション工事が出ましたと、1億の工事が出たとします。
3%は地元対策費で見てもうてるわけやから、それを見て右翼団体とか勝手に自分で建設業を名乗って名刺を持って「下請させて下さい。」と言って名刺を置いて帰って、その名刺が色んなとこからくる。それで10社なり20社多いところなら50社ぐらいとか名刺を置いて帰るわけやけども、その名刺が出そろってみんながもう営業しに来る人がないと思った時点で、暴力団関係者が出ていって1社につき3万円、5万円、10万円と渡して「これで辛抱してください。」と言って話をつけとったと、こういう時代があった。

■ ちょっとすいません。建友会というのは、構成メンバーは、門真市の工事にかかわるいろんな建設会社。

● 建友会はそう、門真市の公共工事に加盟した指名業者37社は確実に入ってました。

■ それと、暴力団の組長さんとかも入ってたんですか。

● 会長が「多田まさき」さんという人だった。

● この人は現役の暴力団組長ではないんです。
砂子川組の3代目砂子川組の岡田組長の実子。実の息子だと。

■ 砂子川組の親分さんの実子だと。暴力団そのものではないと。
その人が建友会の会長をやってた。

● その人が建友会の会長をやって、しきっとったと。

■ ということは、その人も建設会社を経営していたということですか。
その会社の名前も覚えていますか。

● 大雅建設ですね。大きいミヤビですかね、大雅建設です。

■ じゃ、その建友会には、会社だけが入っていたんですか。それとも警察とか門真市の役所の人間とかは入っていないんですか。

● そこには入っていないですね。

● 地元の指名業者が37社ほどあって、結成して建友会というのをつくって門真の公共工事には、その人らが入ってると。
その一方では、当時というのは今言うようにマンションが建つ、まあこういう学校でも一緒やけども、はすはな中学でも一緒だけども、落札した業者さんとこへ名刺を持って「下請けさしてください。」と、いろんな業者あるいは右翼団体・暴力団関係者が行ってたと、そこに3%の地元対策費というのがあったわけでそれも配分しとったと、この3%今回、多田さんだけではないけども、そういう建友会の場合は、多田さんが話をつけておるやろうし、ほかの一般の民間業者が建友会と関係ないところは、また違う暴力団関係者が出てきて話をつけるとまあ、こういう時代ですね。

■ じゃあ、門真市の公共工事に関わる指名業者だけで作っている建友会と、あと指名業者以外のもっと小さい業者とか、また別に何かを作っていたみたい。

● そういう人たちはそういう人たちで、別に建友会の会長に頼むときもあるやろうけども、違う暴力団関係者に頼むときもあると。当時は要するにいわゆる「前さばき」と呼ばれとったんですけどね。その工事自体の話をつける人たちは、そう言ってきた人間を前でさばくという意味で、前さばきというのがあって、その工事を受けた業者が、請負った業者が先に建友会なり暴力団関係者なりに3%というお金を預けておいて、「これこんだけの業者さんが来ましたよと、名刺をみんな持って行って3%の中で話をつけてください。」と、こういう話ですね。
3%だから例えば1億の300万であればそれを100万で話をつけようが、200万でつけようがその後はもう知らないと。で、一銭も払わんと、暴力団の看板、代紋で話をつける。
代紋の威力で一銭も払わずに話をつけたら300万は、その組の人間が儲かるとこういうことです。当時は。

■ すいません建友会のね、指名業者だけ、ということですが、その指名業者の門真市の公共工事以外に民間のいろんなマンションとか工事とか請け負うわけで、その場合でも、建友会として、やくざ関係がきた時には、対処するんですか。公共工事についてだけ対処するんですか。

● そうじゃなしに、公共工事の場合は、指名業者で組んで、そうやっとったから、そういうときは、その指名業者さんは、トップに多田さんがおるから当然多田さんに相談をすると。
但し、多田さんに相談してもあかんとかそういうときは、建友会を通さんと違う人間に話を持っていって話をつけてもらう。そういうことは当然あった。

■ それで、糸さんはその建友会の実態になぜ詳しいんですか。
どういうことから知っていますか。

● 私は、暴力団の砂子川組系の坂根組というところの組員やったから、知ってるんです。

■ 組員やから、身近に見たり聞いたりしていたと。

● 見たり聞いたりしてたから知ってる。当然そういう話によその暴力団関係者が出てきたときに、地元暴力団の関係者いうことでお話ししに行ったこともあります。

■ 話しにいったことがある。

● 当然あります。これやっぱり地元の業者が仕事を請け負っているのに、他から来た暴力団関係者が「金をください。」っていってきたって、「それはちょっと辛抱してくれ。」と、そういう話も当然しにいったことはあります。当時はね。

■ そういう動きは、門真市は承知していたと思われますか。当時。

● 当然、門真市は門真市が認めた建友会であって、それやから承知してます。当時は。

■ 市が認めた建友会とはどういう意味ですか。

● 門真市は裁判所資料で、「門真市には建友会いうのがあります」とはっきり言ってますからね。
私が今回の事件で建設業組合を作ったそういうのはないけども、建友会いうものがあると。ということは門真市が認めとると。建友会という会を。

■ 建友会で、そういう暴力団員ややくざ関係が下請け参入を強要してきた場合は、建友会の内部で、そういうさばき方をしていると。あとは地元対策費の3%というのを昭和の終わりぐらいまでは出して、地域にばらまいたりしながらスムーズにやっていると。こういう仕組みを門真市は承知していたと。

● そういうこと。

■ その時代に、例えば自治会長が業者を推薦したり、或いは自治会長と業者がねんごろであって、後でキックバックを受けたりとか、そういう風なことなんかもあったと聞いていますか。知ってますか。

● 今でもあると思うけど、当時は自治会長の力は、絶大ですね。
守口で、今回の金川建設を落札した府営住宅の建て替え工事があったときに、私が地元の子供会の副会長しとって、自治会長が友達で、そのときに、二部上場のフジ建設ゼットですね。「フ」が二つ。ゼット。「フ」が二つ。普通の「フ」にさかさまの「フ」を書いてゼット。ゼットみたいですね、フジ、フのフがフジ建設というところがあって。そこが推薦がほしいということで来たことがあって、「うちらは推薦します」と、推薦したときに、金川建設とそこが仕事をとったということがあるんですからね。
ランクでは難しいとこやったんやけれども地元の推薦ということでそういう入札に参加させてもろうて、そこが落札者と皆話しするわけですね。

■ 自治会とか子供会とか糸さん側には何か見返りはありましたか。

● 見返りというのは当時3%ぐらいの礼はすると。そういう話です。 

■ 現金をくれたということですか。

● そうそう。

■ 自治会に。それは、守口市の話ですね。守口市での話ですね。

● 守口市での話です。
今回もあとで言うけれども、今回も自治会長の推薦いうことで金川建設ですかね。あのときの金川建設からはそういうのが往々にして、あったんじゃないかと思うのでね。

■ 糸さんちょっと早口なんで、なるべく言葉をゆっくりあとで聞いてわかりにくかったらいかんからね。それが土台に昔は少なくともあったと。糸さんは、砂子組の砂子組の組員でしたっけ。組長でしたっけ。

● 砂子川組系の坂根組というとこの組員です。

■ で、そういうのが直接、見聞きしていたと。糸さんが事件起こして、刑務所に入ったりして、シャバと縁が切れたのはいつぐらいからですか。

● 昭和63年に入って、平成4年に出てきて、次は平成8年からですね。

■ ということは、昭和60何年から、一旦シャバに出てきたことはあるけども、また、次の事件で、平成11年にぶち込まれているから、その建設現場具体のことで言うとその間は、なかば空白みたいなものですね。

● そうですね。その間は、私は外のことは一切知らんから。但し、その間に暴対法とかいうのができて、その3%の地元対策費もなくなったんです。それは平成になって私が出てきたころ、平成4年頃にはもうなくなってましたね。その地元対策費というのは。

■ そのシャバに戻ってきたときに、地元対策費がなくなっていたというのがわかったと。それ以外に、昔と違っているなとか、昔とこの点は同じだなとか。直接、糸さんが見聞きしたことはありますか。

● 私が見聞きしたことでは、もうそういうのがなくなって、暴力団関係者や右翼団体が実態もないの名刺を持って建設会社に仕事くれと行ったらその業者が警察に連絡するようになっとって即逮捕されると。
だから今後は極力気つけてくれと、「糸さんは、そういうとこにおった人やからシャバのことはわからんやろうから、こういうことは絶対したらあかん。」とこういうお話はあって、私もそれは気をつけたと、こういうことなんです。

■ そしたら、糸さんが詳しいのは、昭和の終わりぐらいまでのことだと。

● そうそう。

■ 昭和の終わりぐらいまでのことで、まだ言い忘れてたこととか、付け加えることとかがあればお願いします。

● その当時に、さっき言うた守口の府営住宅が、建て替え工事があって、そのときに金川建設、

■ 裁判で出てきている糸さんと昔ちょっと関わりがあったというのは、そのことですね。

● 裁判で、田中自身が言うとったけれども、私が言いがかりをつけてきたと。

■ はい、そういう言い方してますね。

● 私に言いがかりをつけてきたんで、その暴力団関係者である暴力団組長が関係する建友会に言うて、話をつけてもらったと田中は言うとるわけです。これ皆さんは、見てくれとると思うから。

■ 糸さんからすれば、自分から言いがかりをつけたんじゃないと。向こうから言ってきたんだと。こういうことですか。

● なにがですか。

■ 守口の住宅の件については。

● あ、あれは、田中さんが言うのはあそこの工事があったときに、私が仕事くれと言いがかりをつけてきたと。そのときに田中さんところは、建友会の多田さんに頼んで、私に手を引いてもうたと、こう裁判記録で言うとるわけです。「その建友会の多田さんいうのは暴力団組長ですね。」と聞かれて田中が「そうです。」と言うとるわけです。田中は当時暴力団組長に頼んで私に手を引いてもらったと。実際は私はそういうことは一切ないんです。

■ ないと。

● さっきも言うたように地元の自治会長と子供会の副会長である私で、よその地元ではないフジ建設というところを推薦して向こうに仕事をとってもらって謝礼はもらいましたけれども。
金川建設に仕事をくれとは、一切ないんです。

■ 言ってない。

● 但し、地元の業者さんが、金川建設に口を聞いてほしいというて、自治会長のところに頼みに来たり、暴力団関係者が「おまえ、俺を推薦せい」というて、まあ脅しですよね。三度似たようなことがあって、そのときは私も当時現役でしたから、その暴力団関係者には「手をひけ」と。
但し、地元の住民ですよね。地元住民であって、そういう電気とか鉄筋とかそういう工事をしてる業者さんを、「ほな自治会長、金川建設と一遍セットしてみたらどうや。」と。こういう話でセットして仕事をとったとらんはわからんけども金川建設でお話したときもあるのはあります。

■ 糸さんがある意味、さばきをしたということですよね。

● その時はね。

■ 当時は、昭和の終わりごろでいうと、糸さんが現役の暴力団の組員であるとみんな承知の上で、子供会の会長を任されたり、自治会の会長を任されたり、したそういう時代だったと。

● そうそう、暴力団がその暴力を背景に言ってくると。自治会長も私に、「こうこうでどこどこの組が来ておる。」ということで私は出ていって、「ここは地元やから遠慮してほしい。」と。
この自治会長はカタギですからね。
こんな風に、こんなこと言うべきじゃないんやと、それともう一つ言うてしもうたら、金川建設が当時、金沢組いうのがあったんですけど、山岡組いうのもそこが親分を連れて、私に手を引けと言うてきたことがあるんです。当時は、今の田中営業部長いうのは、中身は全然知らないです。あれは、ただ、横に立っとただけです。

■ もう一回確認させて下さい。糸さんは、子供会の会長はやっていたけれども、自治会の会長もやったこともあるんですか。

● 自治会長は、ないです。

■ 自治会長は、ないですね。子供会の会長は、やったことがあると。自治会長から何かと暴力団対策的な、頼りにされていたということですね。

● はい。そういうことです。

■ その田中の裁判証言で、糸さんとの昔の関わりで言うと、糸さんからすればまったくの嘘だと。自分がヤカラ言うて、仕事をよこせと言ったんじゃなくて、金川の方から話をもってこられたんだと。

● そうです。そうです。   
金川の方から。こっちは自治会ですからね。自治会長と私がおって金川建設がよろしくお願いしますと、こういう話はありましたよ。「今後、この入札に参加したいのでよろしくお願いします。」と、自治会長さんとこに暴力団の親分を連れてきたこともあるんです。

■ 金川建設が。

● そうです。そうです。山岡組の組長を連れてきたんです。

■ その時の親分だと、なぜ分かったんですか。

● 私の知っている知り合いだから

■ 暴力団の世界でよく知っていると。

● 向こうが私より大分年上で、金川建設にしたら、私を抑えようと思ったら、それが必要だと。要するにあの仕事を全部取りたかったと思うんですよね、金川建設が。但し、自治会推薦で、よそが入ってもうたから、そやから今後は、それはささんとこ思って、その人間を連れてきて私に手を引いてくれんかと話を持ってきたことはある。

■ その時は、その暴力団の一緒に来た親分ちゅうのは、形式上は、何とか建設の社長という形式できたんですか。それとも。

● いやいや暴力団組長でバリバリの親分で、金川建設もみんな一緒についてきて、で、連れて来たまでは、よかったけれども、そのときに入ろうとしたら、私も中におったんでその場所に、ほんで慌てて金川建設が戸閉めてつれて帰っていった。

■ 入ろうとしたら、そこに糸さんがおるからこれは、やばいということを向こうが考えて、帰したと。そのときには、何とか組の組長ですとか別に紹介とかわけではないですね。

● ないです。

● 前と後ろに自治会長に対して、そういう話をしてる。ほんで俺がおるというんで、それやったら具合が悪いので、自治会長だけのところに行ったけどもたまたまそこに居たので。

■ 糸さんがいないと思って。

● だから、金川建設がいろいろ言ってるけれども、実際には本人も田中も認めておるように、過去にはそういうことがあった、そういう建設会社のなんです。これはもう間違いない。

■ じゃあ、あと昭和の終わりまでの間で言い逃したこと、言いそびれたことがあれば言って下さい。

● これはさっきもいうように、恐らく役所とか業者とかその辺は3%いうのは地元対策費として認められとった。
そこに暴力団関係者とそういう人らがその3%をもらっていうたら金もうけをしとったと。
それはいかんということで警察が暴対法とか、ああいうのをつくって3%の地元対策費というのはなくなったと。
その後、さっきも言うたように、私らが名刺を持ってくる、誰でも一緒やけどそういうことしたらすぐ警察に通報すると。そういうことが出来て、「そういうとこには一切近づくな」ということを私も言われて、それを守ってきたんでね。

■ わかりました。じゃ、昭和のことで最後にちょこっとだけ聞きますが、3%の対策費の使われ道ですけども、やくざ・暴力団・右翼関係だけが取ってしまう場合、配ってなくなってしまう場合もあるだろうし、実質的に自治会側になにがしかの金が入るとか、自治会側にもちゃんと自治会として受ける場合もあれば、自治会長が個人的にもらっちゃう場合もありそうに思うんですが。

● 例えば、自治会長に話して、これは実際にあった話やけども自治会館、自治会館がちょっと古くなっとったと。だから「ここをちょっと手入れしてもらえませんか。」という話を自治会長はやって、業者さんとかにやってもらったとか。
敬老の日にちょっと地元で、カラオケ大会するというんで業者から寄附をお願いしてもうたとか、自治会に対してね。そういうのはありました。
当然今もあるんじゃないかと思うけど。それはあったけども自治会に対して、この工事に対して何%落としますとかそういうのはないですね。

■ じゃ、あくまで下請けさせるとか、たかってくる寄ってくる者に対して、さばいていく金が主だと。

●そうそう

■ わかりました。じゃあ次の項目に行って下さい。

● 今回の件について、ちょっと言うときたいんですけどね。

■ 2番目項目として、今回の中央小事件と言われてるものの本当の全貌ですね。お願いします。

● あれは、平成21年の12月4日に金川建設が落札した。
これをこの情報を得たんで、先にも言うように、今の時代は、私は電話するなり何なりして、金川建設に直接仕事を下請させてくれとかこういうことを言うて行ったら警察に逮捕されるとか、そういう可能性があると。
また向こうも迷惑すると、いうことで私は知り合いの西田さんにお願いしたんです。うちの近所でこういう工事が出たんやけど、あの工事に何とか下請参入できんやろうかということを相談した。

■ じゃ、すみません。ちょっと今のところでね。その時に、糸さんは、もう服役も終えて、身分的に全くの一般市民で、暴力団もとっくの昔に、まあ消滅しているし、法的に全くの一般市民なんだけれども、念には念をいれて、あの直にいかないように、まあ相手が誤解したり、威圧を感じたりしないようにして用心をして、西田さんにしてもらったということですね。

● そうです。うちの組は、当時から18、平成6年解散してから組がもうないんです。
だからそれ以後は私は、一切暴力団の組織に所属したこともないし、そないとこからの援助とかもう手の生活は一切してないし、自分で居酒屋したり、今でいうブローカー的なことみたいなとか、自分で会社も作ったけどもそういうことして生活をしとったけども、念には念を入れて今言うように、ちゃんと会社して税金も仕事もちゃんとしておる。なおかつ金川建設ともつながりのある人に相談して、どうやろうかということを言うたところ金川建設の田中に電話してくれたと。その人がね。

■ 糸さんのその時の動機というのは、糸さんも建設業界のブローカーとして、仕事をやって、収入を得ようとしていたわけですね。

● ブローカー、まあ当時は、それ以前は、私も実際に自分で会社をやって、徳栄建設という会社をやって年商2億近い売り上げがあったんです。
ほんで逮捕されて、帰ってきたからその会社消滅したから新たに株式会社徳栄建設いうのを。

■ 徳栄建設。徳栄。

● 帰ってきてから。

■ 徳栄とは、どんな漢字を書くのですか。

● 徳之島の徳、徳に栄える徳栄建設、前株です。
その会社を作って今後営業していこうと、経営していこうということやった。但し、重機があるわけでも、そういうもんではないけども、ペーパーカンパニーと言われるかもわからんけども下請業者さんは、昔の関係でようけ知ってるわけですから仕事の契約さえできれば下請は何ぼでもおるわけですから、ちゃんと仕事をできるのはできるわけです。

■ 仲介料を得ようと。こういうことですね。

● まあまあ。

■ 合法的な。

● 下請けなんぼでいくのか、と。差額は私の利益にしようと思うて、その当時は活動しとったわけです。
但し、さっき言うように時代が違うと、また私、私は刑務所におって、世間のことがわからんということもあるんで、いろんな人にアドバイスを聞いとったら、「変な要求したら逮捕されるからあかんで。」と。「特におまえの場合は気をつけなあかんぞ。」と。こういうお話やったからその西田さんにお願いしたんです。

■ 西田さんは、何会社の方ですか。

● 隼三建設の社長です。
これも指名業者です。門真の。それで金川建設の田中営業部長が先ほどのとおり、昔から知っとる仲やから、「ほな、糸さんに会いに行きますわ。」と言うてくれたから、明日、要するに12月5日の2時に私の居酒屋兼自宅ですけどそこで待ち合わせたんです。

■ 旧トポスの並びの安い居酒屋さんですね。

● そうです。中町のね。

■ 名前なんていいましたか。居酒屋さんの名前。

● 名前は百円酒場ですね。

■ 百円酒場、はい。

● で約束の時間に西田さんと田中さんが来て、私がお願いしとった松茂組という解体屋と紹介してくれた西尾さんと私と5人で会ったんですね。うちの店で。

■ そん時、他のお客さんはいないんですか。貸切状態。

● いや、昼の2時ですから。

■ ああそうか、営業時間じゃないんですね。

● まあ、そこで「久しぶりやな。」という、挨拶もあって、座敷でみんなで名刺も交換して、話した時に、松茂組という会社やけどもここを使ってもらいたいと。見積りだけ出させてほしいと。そしたら、わかりましたと。
そしたら、イケダコーポレーションが5200万で見積もり入れるから4800万ぐらいで見積もりを入れてきてくださいと。後はこっちで会社にも話しときますからというお話があったんです。

■ 具体的金額も提示したんですね。田中さんがね。

● 具体的な金額の提示があって、「これでなかったら難しいから、これくらいでお見積もりを出してくださいね。」と。
「もし地元でトラブルになったときはちゃんと話ししてくださいね。」と。「わかりました。」ということで別れたんです。
これはこれ以外何にもないんです。実際にこれで別れて、それっきり、私はあとは返事待ちやと思っとたから何も田中さんと会ってもないし、電話したことも一切ないし。途中で、1回だけ、12月の末ごろに私が歩いとったら、後ろから田中さんが車で来て一方通行でね、「どこいくんや。」「ちょっとそこまで食事しにいくんや」というたら、「乗ってって下さい。」いうて、送ってもうたことはある。
それ以外、一切田中さんとは、見積もりだすとのその会合12月5日の会合以外、一切連絡も何もとってない。

■ 門真市内であったんですよね。

● 門真市内です。

■ 向こうから声かけて、「どうしたの。乗っけてあげよう」というてくれてた。

● 「もうすぐそこやから、50mぐらい先か、100mぐらい先やからもういいと。歩いていくから。」、「いやいやそういわんと乗って下さい。」と言うから乗ったけども、それでも私はそのときでも、あの後の話はどうなったんやと聞こうと思っとたけどね。西田さんが間に入っての話やから、そっちはそっちで話してくれるやろうと思っとたから、そん時は一切聴かんかった。送ってもらって、ほなまた言うて、「正月前で忙しいから帰りますわ。」言うから帰ったんです。
それも全然何もトラブルも何もなしで、それから年が明けて12月6日から工事が始まったけどね。
そうその前に、ちょっと待って下さいね。12月の12日か13日にですね。12月の13日に。北摂産業の迫田いうのと、私と齋藤いうのが、クリスタルビルで飲んどったんです。居酒屋で。スナックで飲んどったんです。そこに住野が齋藤に呼ばれて来とったんです。齋藤に呼ばれて、その席で私に住野が言うたんは、「糸さんあんた、解体工事、この中央小学校の解体工事を取りにいっとるやろ。実は、そこには俺が押さえとる住民、家が2件ある。だから、この仕事を私らと一緒に組んでせえへんか。と、もしせえへんというやったら、糸さんあんたが仕事をとっても、仕事はだせへんよ。」ま、こうきたんです。

■ 住民てのは、中央小のごく近くに自分の息のかかったのがおるから、あなたがいくらとっても、トラブル起こすでと、ま、こういう意味だと。

● そういう意味のこというてきたんです。ま、さっきのお話じゃないけど、金川はもちろん知っとんやけどね。住野いうのは大石興業、大石敏雄いうものの舎弟なんですよ。

■ 大石興業という暴力団ですね。どこにある暴力団ですか。

● 門真の上島頭ですかね。の、大石敏雄。

■ 門真にある。昔から。

● 昔からある。住野はそこの舎弟で、但し、今のこの時代から暴対法とかこういうのができてるから警察に暴力団やというふうに認定されたら動かれへんと。しのぎもでけへんからということで看板上げたりとか外には大石興業の舎弟やいう名刺を作ったりと、いうのは、一切してない。ただ、大石興業の組長の還暦祝いとか、そんなときには、ずっと顔を出してた。その当時、22年の4月の末か5月の時に、また大石興業の組長の還暦祝いがあったんやけども、このときは出席してないんですよね、金だけ包んで持っていっとんです。
それは何でかいうたら、「警察からそのさっきの齋藤いうのを通じて、この還暦祝いには警察が大挙して押し寄せてくるからそこに顔を出したら暴力団と認定される可能性があるから顔を出すな。」とこういう連絡があって、住野は行ってない。そういう人間、住野いう人間はね。

■ 大石興業いうたら、大きな石と興味本位の興ですね。興業の業、なりわいですね。

● そう。

■ それは、糸さんは昔、坂根組で暴力団やってた時からのずっと、業界の中での知り合いいうことで、知っていると。

● 知り合いは知り合いですけども、私はある組と抗争事件になって、刑務所に行って帰ってきとるからね。いうたら仲のいい知り合いじゃなしに、どっちか言うたら、敵対同士なんですよ。住野は、そこの舎弟なんですよ。住野は。
その住野が俺にそういうことで、言うてきたんで、「これはこちらは金川建設にお願いしとる立場やから、おうこら言うて、暴力団を介入さしたら、金川建設及び門真市にも迷惑かかる、かかるであろうと思ったからおまえらと付き合う気はない」と断ったんです。「ほなら、こっちは勝手にさせてもらうで」と、相手は言うから。

■ ケンカ別れみたいになったわけですね。

● そう、ケンカ別れみたいになった。そこに、齋藤、迫田、俺、まあ三人もおるのに、呼んだ齋藤がそれに対して、一言も物言わんからね。これやったら、住野が俺にケンカ売らす、齋藤が売らせたんかなというふうに私は受け取ったから、「気分悪いから私は帰るで。」言って私は帰った。

■ 齋藤というのは、何か会社をやっている人間ですか。それとも。

● 齋藤もなんか梅田の方で会社やっとるけども、これもあとで知ったんやけども、大石の舎弟なんですけどね。
当時は、私は全然知らんかったです。大石の舎弟で、なおかつ、後の話になるんやけど、トモエコーポレーションの、「私は用心棒や。」自称ですね。本人は私にそう言うとるんです。だから、はすはな中学校の新築工事には「糸さん一緒に組んでやりましょう。」とかいう話もしっとたんです。

■ トモエコーポレーション

● トモエコーポレーション

■ カタカナで書くんですか。

● カタカナでね。

■ 齋藤というのは、糸さんと田舎が一緒ですか。

● いや、迫田ですね。迫田、北摂産業、廣野建設の会長の迫田です。
これも指名業者です。門真市の。

■ 齋藤は以前から知っていたんですか。

● 齋藤は一切知らなかったんです。

■ そのとき、初対面

● 迫田が連れて来て、「これ大石の舎弟やからなんかあったら向こうとは話もつくやろうし、まあまあ仲ようして欲しいんやけど。」大石の舎弟じゃなく大石と話できる人間としてね。
そのあとで、齋藤がそういう人間やと知ったんは、教えてもらったんは大阪府警本部です。

■ 逮捕されてからという意味。

● 府警本部が「お前齋藤いうのよう知っとんのか。」と私が逮捕されたときに聞くから。私は、「齋藤いうのは、知らんのや。」と。私が逆に警察に聞いたんです。「ほんまに知らんのかと。あれは大石のもんや、あれはおまえ大石の舎弟やないか、関係者やないか。」と言うから、えっーと思って、そこで私はこいつら俺を裏切りよったなと思ったけど、さっきの話に戻るけど、そういうお話があったんです。クリスタルビルで、会って、別れた。
で、別れたら、そのあとですね。金川建設の田中が「糸さんには仕事を出されへん。」というお話をしておるということを、だれから聞いたか、どっかで聞いたけど、そういう話は12月末ぐらいには耳にも入ってきとったからね。当然、住野が言いに行って、長々とやって、そういう事になったんやろと思ったから、ああそれは、ええやないか、そう私も思っとったんです、もうそれは仕方ないですからね。大石組長から私、直に話聞いて手紙ももうたりしてわかったことやけど。

■ それは、だいぶ後の話でしょ。手紙を云々、というのは後で逮捕されていろんな事があってからですよね。

● そう、逮捕されてから後の話で。

■ いつわかったのか、ちょっとまず、いつの話か言って下さい。

● 要するに住野がそういうことをして、住野が田中に金川建設に糸を入れたらどうのこうのいう話をしたからこれを断わられる、断るなとは思うとったけど、それが後でわかったことで、あとで逮捕されて拘置所に行ってから、わかったことやけども、私の方から大石に手紙を出して、「あんたんとこの舎弟、俺を陥れて、結構金もうけしておるみたいやけども、あんた何ぼもうたんや。」いう手紙出したら、向こうから返事が来て、「俺もそんなもん金なんか一銭も貰ってない。糸さん、あんたを陥れたのも、間違いないと。四條畷警察の松尾信夫という刑事がおって、こいつとうちの若いもん頭の川北いうのが仲が良いと、しょっちゅう電話のやりとりもしてると。だから、そいつが、そいつの話でおれは糸さんが逮捕されるのは、早ようから聞いて知っとったよ。」とこういう話を聞いた。そのやりとりの中で。
川北がいうのが大石興業の若いもん頭、その住野が金川建設に行って、「うちは大石興業やと頭の川北がこの工事をしきっとんのやと、これ糸さんにさしたら、けんかなるで、川北が動くというとるよ。だから、これは、糸にさせたらあかんで、俺んとこにさせ。」というお話をしたということなんですよね、それは立ち合ったわけではなしに、大石からの話ですよ。ま、伝文やけど、手紙ではそうなんでね。
そういう話を住野がしおったんやと。岡田と二人で。だから金川は今度、私を抑えるのに逆に大石興業を今度は利用しとると、前みたいに、昔に帰ったわけじゃないやろけど、俺から言わしたら帰っているとしか思われんねけども、俺を抑えよう思うたら地元で現役の暴力団で、私とこは組も何もないから、それはあの、大石興業の方が有利やと、田中はそう考えて頼んだわけです。頼んだというか俺は断った。それやけど向こうが、仕事さしてほしいというて向こうには仕事をさしたと。こういう構図で、あとからわかったことですけど。

■ いったん整理します。
そもそものね、北摂産業の何とか言う人が呼んで、糸さんと齋藤若しくは、および住野と引き合わせたんは、こうやって話を聞いてみると、どうも糸さんを住野の手下みたいな扱いにした上で、だったら仲間に入れていいよ。仲間にいれてたるよと。というような糸さんと組む、一緒にやらへんかという意味はね、対等な間でなくて、あくまでも糸さんは、自分の手下みたいに、子分みたいにやるんだったら、入れたるよ。そういうことだったと思えるんですけどね。で、糸さんは、お前みたいなやつとは組むかいと、いう話で、けったと。

● そうそう一緒にやろうというから、上とか下とかじゃなしに、とりあえず私は昔から、地元におって現実に仕事もしてきたし、まああいつらは、私の見る目ですよ。所詮、暴力団やと。あんな弱い者いじめして、そんなことするのは。今、警察も暴力団と私はそう思っている。元砂子川組という組は、勝手な言い方かも知らんけども、建友会とかそういう建設業界もみんな頼りにしとったような組で、弱い者いじめするんじゃなしに、弱きを助け強気をくじくという意味のやくざやと、侠極道やと私はプライドというか、そういうのを持っておるつもりなんです。
だからそんなやくざがおれに「一緒にしましょう。」と言うてきたから、私としては納得できないと。

■ 言葉の上では、一緒にしましょうと言ってきたけども、糸さんからすれば、こんなゲスな連中と一緒にやりたくないと。はっきりと断った。とその時の時点で、糸さんと、住野や、齋藤と一緒にあわせるという、そもそもの目的は破たんしてしまったと。糸さんとしては、向こうは大石興業の関係者なんで、それを狙っていると、工事をね。とすれば、これはちょっと俺がやいのやいの言うてもちょっと無理やなと。あとなるようにしかならんかな。と思って、なかば、あきらめるような気持になってたと。

● あきらめとったわけです。
そらあ、あきらめとったけども、但し、後で住野・岡田がガラ処分をするというお話になったんでね。という話を聞いたんで、それで400万儲かると、儲けると話を聞いたんで、こいつらまた弱い者いじめしよるなと、400万円のお金を支払いせんと払うべきとこに払わんと儲けようと思うとるなと。そう受け取ったから、これまたえらいことになるでと、また金川建設がばかなことしよるな、とその時はですよ。その時は思ったけど。
また、金川の田中が住野側にね、暴力団側に、「俺を抑える。他の暴力団が来てもみんな排除してほしい。」という意味で下請に介入さして、金を何ぼか上乗せして、支払ろうた。そんな事は一切その時は、わからんかったんですし、思ってもなかったんです。工事代金の中から400万儲かる、儲けるという話やったから何ぼ考えても、いろんな人・業者に聞いてもあの工事で600万なんて金が浮くわけがないやないかと。よう浮いても100万までやと。そんなもん何を考えてんのやと言うて、金川の事をいう話があったけども、そんなことそれ、なんで金川が、と思ってたら、不法投棄しよるわけで、絶対山いこうかとか、何か悪させえへんかったら、そんな金は浮かんと、そうはっきり言った。それ北摂産業の迫田が私に言ったんです。

■ じゃ、ちょっと一旦整理してね。ひとつは、住野や岡田らのかんでる話だから、払うべき金を自分が用立てた業者に仕事をさせといて、払わんで、すっぽかすということは、あいつらだったらしかねない。という、実例があったんですか。

● 実例があったんです。持ち逃げして私の知り合い、知り合いではないやけども、「住野が3000万持ち逃げして、くい打ち工事させて、3000万円持ち逃げ、住野に持ち逃げされた。」と。そんで、「家も近くやし、糸さん、今、暴力団は関係ないんやから、取り立ていっても、大丈夫だから、これも金を返してくれ、それももちろん大事やけども、あの住野のいう人間が私をだましたことが私はどうにも納得できんと行って話だけでもしてくれへんか。」と。

■ 仕事をしたのに金を払ってくれないという目にあっちゃったと。

● そう、仕事をしているのに金も払ってくれないと。
「営業経費で先に300万渡しとるから、私も腹がたっとるから、これに据えかねて、行って、捕まえて話だけさしてくれ。」と。「話だけしてくれ。」とこういう話だった。それ以外にもうあれはいろんなことで1億近い金を使い込んどる、こういう話を私は迫田とかあちこちから聞いてましたからね。
そこでの400万やから。これまた私は同じことしよるなと考えて、そやのになんで金川建設はこんなことをしよるかな、今どき、そんなこと、しとったら、役所にばれたら、即、指名停止になってえらいことになるのになと、まわりの人間みんなが、迫田も西田とかもみんないうとる話なんですよ。

■ ちょっと話の骨を折るみたいで、申し訳ないですが、住野がそういう3000万だとか一億だとかいうことの踏み倒しをしてるという話をしていると、聞いたりしたのは、いわゆる、富士フィルム事件で、ぶち込まれて、出て来てから後に聞いた。

● あとです。

■ 割と最近の話なんですね。そうするとね。

● あいつらが持ち逃げしで2、3カ月ぐらい後でね。そう一時、逃げてなかったから何とか探してくれと言われて、探したんです。

■ それとその、400何万儲けるつもりだと、その400万という具体的な数字はいつ誰から聞いたんすか。

● 齋藤が齋藤言うのが、「この工事で、住野が400万もうけると。その金をさっきいうた、3000万円持ち逃げしたところの一部として払うと言うてる、だから、とりあえず住野にいやい言ういくのはやめといてほしい。」と、こういう話があったんですよ。そういうことがあったから、住野がこれに入るなと言うことは私はもうその時点で知っとるわけです。知っててそれから、先に戻るけども、田中とは一切連絡とってなかったけど1月6日にいきなり工事が始まったんです。この解体工事が、いきなり始まったんです。いきなり工事が始まったから、そのとき私は何も、田中さんにどないやどないやと電話したわけでも何でもない。ただ、西田さんに「工事が始まったけどもちゃんと断わりの電話1本入ってるんか。」と聞いたら、「一切入っていない、ちょっと聞いてみるわ」というて聞いて、ほんで、イケダコーポレーションに決まったらしいわ。という返事をもうたんです。そん時にね。

■ 糸さんとしたら、まあ住野らが大石興業関係者が、がっと乗り込んできて、
わっとしてきたら、取られちゃうだろうなと、なかばあきらめてたと。
それから、その浮かす金、400万浮かして、糸さんが取り立てを依頼されていた、3000万の一部を返済をすると、実際にするかどうか別にしても、そういう話を聞いていたと。

● そういう話を聞いてたんです。

■ まあ、ある意味しゃあないなとの気持ちも当然おこりますわね。

●そうそう

■ ただし、それはそれとして、田中営業部長からのなんも電話もないのは、ちょっと、ひどいじゃないかという気持ちがあったと。

● 金川建設がいきなり工事を始めて、始めたのは、えっと断られる、やくざがはいっとるわけですからね。
それで向こうはどういう風に判断して、そのやくざを使うようになったかは別としても、うちは断るのは、かまわへんねんけども、西田さんに一言の電話ぐらいは、あってしかりじゃないんかと、私は思ったんです。西田さんに言うたらに西田さんは聞いてないと、ほんで、電話してみますわ。言うて、電話して初めて、池田コーポレーションか決まったらしいわということだったんでね。
ああそうか言うて、それはそんで終わったけれども、私としたら、その住野の件もあるし、一応、市役所に行って、あのときは、地元説明会もやったという話を聞いてなかったんでね。
それで行って、市役所に行って、中野、当時の課長に営繕課長に行ったんが1月8日です。1月8日に行って、「あの解体工事が始まっとるけども地元説明会はどうなったんや。」と、話をしたのです。それで「今回は、個々に回って説明するということで自治会長と話がついとるんで、そういう風にさしてもらいました。だからあれやったら、糸さんとこにも田中に連絡して田中営業部長に連絡して行ってもらいます」と。そん時は、私は帰ったんですよ。そうですか、いうて、帰った。で8日が。金曜日かなんかで、3連休やったんですよ。1月の8日の9、10、11と3連休です。3連休で、12日に田中が来よったんです。私の方へね。それは、前から連絡を受けて12日の2時に田中が説明に行くというてるから待っといてくれという連絡を西田さんから受け取ったんです。
私は待っとったんです。約束どおり、田中が来て、「糸さんとこは、断った。何でやいうたら、重機も何も持ってないような会社やと事務員も電話にも出ないと。糸さんが紹介してくれた会社は、だからこの会社を使ういうても、門真市もそれは納得してくれへんから今回断らしてもらいました。」と言うから、ああそうかと私も言うたんですよ。

■ わかりました。いったん休憩。

■ 1月12日に田中部長がきて、断ったと。その断った理由が、糸さんが、紹介した会社が、電話にも出ない。重機もないと。ペーパーカンパニーやから、そりゃあむりやで、とこういう風なことをいって、糸さんもその時は、その時の時点では、そりゃしゃあないなと思ったというところからあとですね。

● えっと、平成22年の1月12日の2時に、田中が来て、さっきも言うように電話にも出ない、そういう会社やから断りました。と、ちなみにこれ言うとくけど、松成組いうのは、その後に、門真市の公共工事この体育館の解体工事をした業者です。
ちゃんと書類もみんな出して、重機もちゃんと持っとる業者なんです。
但し、田中は、私にそういう風に言うて、うそをついて、断った理由を嘘をついて、電話にも出ないというて断ったわけです。
それでも私はああそうか、それやったらしゃあないなということで、諦めとったわけやからね。

■ ちょっと整理しますと、その時に、つまり糸さんは、自分の紹介した会社やけども、マツシゲ建設がそんなええかげんな会社と違うということは、詳しくは知らなかったんですか。

● その時点では、知らなかったです。
まさかそんなことはないと思ってましたよ。但し、向こうが言うのは、電話にも出ないというから、今ごろ電話でんような会社はないはずやけどなと思ったけど、

■ そう、相手が真顔でいうから。そうだろうと。

● そう、田中がそういうから、それやったらそうかなと私が

■ もともと松成建設が、誰から聞いてその業者を知ったんですか。

● その松成組いうのは、西尾さんから紹介してもらった。その時点では、紹介してもらってただけやから、そこと付き合いがあったわけでもないからね。
田中がそういうから、ま、そうとは思わなかったですよ。
そんなええ加減な会社を紹介するはずがないし、それはおかしいなと思ったけど、向こうは断る口実にそんなこと言うとるんやなとぐらいの気持ちでそれはそうかとそれはええやないかという話だった。「それはそうと、住野らはどうするん、どうなったんや」って、きいたんです。私がね。田中が「住野さんらはガラ処分をさせることになった。」と。私は前から聞いとったけど、ガラ処分させることになったというから、「それはあかんやろ。おれも断っとるし、そんなん後で、あんなやつら、使うてたら、絶対問題起こるで。」と言うたけども、「いやそういう訳には、いかない。」と言うから、「ああそうか、ほなええわ。」言うて、そんで別れたんです。
そのとき、それで別れて、話を私はここではっきり言わしてもらいますけども、市役所はもう地元説明会は個々にすることでもう終わっておると。
よう話合ったし、あと、あれがなかったら、私が市役所にいろんな話にいける材料が無いわけです。
但し、住野らにガラ処分させることになったと、要するに暴力団関係者を介入させるという話やから、13日に再度中野課長を訪ねて、「田中いうのが来たのが来たけども、嘘ついて帰りよった。」と。と言うのは、さっきの戸田さんの話じゃないけど、あいつが帰ったあと、西尾さんに電話を入れたんです。「電話連絡もつかんで、全然でたらめな会社やで、そやから断ったで。」と言ったら、「何をばかなこと言うとんのや。」と、3階まで届くような解体の重機も持ってて、クラッシャーも持っとるし。事務員なんか2人もおるで、ばかなこと言うたらあかんわ。」ということやったんで、田中さんに電話したけども、田中さんが全然電話に出んかった。
そのあとは、私は、話できる口実ができてしもたわけやから、役所行って課長の中野さんにね、「田中がきたんやけども、うそついて帰りよった、それともう1つこの工事に住野が暴力団関係者が介入しよるけど、あんた知ってのか。」と、こう聞いたんですよ。それがなかったら、私は行かんかったんです。行きようがなかったんです。行って聞いたら、中野さんは「知らん、一切知らん。」というから、「知らんのやったらええけども、これ入りよるから地元説明会を一遍開催してほしい。」と私は言うた。これが13日の月曜で、その時に中野さんが、また言いよったんです。「それやったらもう1遍、田中さんに連絡してそこんとこちゃんと説明しにもう一遍、糸さんとこに行かすわ。それで一遍了承してください。」と。そう言うのやったら、もし田中が来たときに、俺は役所にも言うてるし、あいつらのやめといてくれとやめといたほうがいいねと再度、田中に言うたらいいわぐらいの気持ちがあった、その時点でね。
それで帰ったんやけれども、待てど暮らせど、田中から一切連絡がないわけです。私は田中にも電話したけど、電話も出ない。今度は、中野さんとこに、たぶん14日ですかね。行ったんやけども、「うちはもう関係ない。田中にもちゃんと言うてと連絡しました。あとは知りません。」というからね。
んで、今田先生のとこに行って、「門真市っていったいどうなってんのや。そんなみすみす暴力団関係者が入ると俺が言うて行ってんのに、肝心の指名業者の金川建設にも、連絡をようとらんと、こんなばかばかしい話はないと思うけどな、先生。」と、聞いたら「それはおかしいやろ。」と言うて、今田さんは、中野を呼んで「仕事とかそんな内容のことは、私は知らんけども指名業者の金川建設に連絡は取らんというのは、中野君ちょっとおかしいんじゃないの。」ということで、話してくれたんですね。

■ 議員控室ですね。

● ええと、そう議員控室です。
「話してくれ。」と言われて、「わかりました。」と言って中野さんは帰ったんやけども、それでも田中から一切連絡ないんです。
これでね、その途中で、話はちょっと13日に。私は中野さんにそういうことをいうて帰ったあとで中野さんは田中には連絡したというんです。
「糸が来たと連絡した。連絡するようにちゃんと説明する連絡しました。田中も連絡を受けた。」と。これはいうとるわけやけども、この13日のその話の直後に田中は、私に電話せずに住野に電話を入れておるわけです。裁判資料から。

■ 裁判資料からね。



2ページ目につづく