戸田が「緑の党」を支援しない理由 13/7/16UP


戸田が「緑の党」を支持しない理由を述べます。

 各位
参院選たけなわですが、戸田はかねてから強い確信を持って「『緑の党』は支持しない」、と決めています。以下にその理由を述べていきます。 

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1:現在日本社会を大きく変えようと願うのであれば、たしかにいつまでも既存政党に頼っていずに、「自前の国会議員づくり」を図る事は絶対に必要な事だ。
  「国会で多数を占める事が全て」的な運動路線では無いとしても、またすぐには当選見込みがないとしても、無謀と言われようとも挑戦していく事が必要だ。
  そしてそのような挑戦無しには、わずかの国会議員すら生み出す事は出来ない。
 その意味においては、「緑の党」の国政挑戦は尊い挑戦である。



2:しかし、民衆勢力が新たに国政進出をするためには、その運動体の「質」が既存政党よりレベルの高いものでなければ意味が無いのは、言うまでもない。
 では、どういう「質」が不可欠なのかと言えば、私は次の3つが必要だろうと思う。

 1)種々の政治論議を公開的に行なって政治方針、組織方針等を決め、きちんとした総括を重ねていく能力。
   (説明責任と論議能力)

 2)権力弾圧と右翼暴力を怖れずに闘い、運動と民衆を守る決意と能力。
   (権力弾圧や右翼と闘う気概と能力)

 3)一定以上の財政力と人員投入能力。
   (財政基盤)



3:在野運動がこれらを育成して国政進出していった身近な例としては、韓国の民衆運動、労働運動が「民主労働党」を作っていったまさに「血の滲む闘い」がある。

 日本の運動よりはるかに高いレベルにある韓国の運動でさえ、民主労働党が分裂したり、いろんな困難が続いているが、日本の「緑の党」にあっては、この3要素のどれもが大きく不足しているか欠落しており、しかも運動体自身がその問題を問題として認識しようとしない、という「致命的な欠陥」を抱えて改善される見込みがない状態にある。

 ・・・・そのように戸田は判断している。



4:「緑の党」を構成する全国全ての活動家がそうだと言うのではない。

 しかし主要な幹部活動家でその言動を直に知っている関西の活動家達の意識程度その他を見れば、「一部にちゃんとした活動家はいるものの、全体としては国政に挑戦するに足らない人達が活動の中心を占めてしまっている」、と判断せざるを得ない。



  (以下、各論的に)

5:「緑の党」が1)の(説明責任と論議能力)において全くダメであり、公開的論議を嫌がり、説明責任を果たさないで良しとする「市民派ムラ政治」の集団でしかない事は、09年政権交代時の「東播2市議文書弾圧事件」対応や昨年判明した「桂むつこ氏グループの『全議案賛成の御用市民派』への変質転向」問題での関西の「緑の党」活動家議員達の「論議封殺・沈黙」姿勢を見るだけでもう十分に明らかになっている。

 
地方自治体の場ですら、「政策ではなく人脈でかばい合う」、「お仲間の政治姿勢は問い質さない」、「政治姿勢を問う論議は封殺する」という「ムラ政治」しか出来ない人達が、もっとはるかに複雑怪奇な国政の修羅場で、「透明性を維持した論議や政治」など出来るはずがない。



6:また、「総括無し」で全国規模で有名な話としては「川田龍平」問題がある。

 「川田龍平」は「みどりのテーブル」が07年に中村敦夫氏の全面協力を得ながら「市民派国会議員」として参院に押し上げたが、川田龍平はやがて市民運動側からの統制を嫌って、08年に勝手に「みどりのテーブル」から離脱。

 さらに09年には「財界と米国の手先」である「みんなの党」に入党するという裏切りをやった。

 これは結局、「市民運動の側が『自前の国会議員』に政治協約を守らせる事が出来なかった」という事であり、なぜこうなったのか、再発防止にはどうするか、という公開的な総括論議が不可欠なはずである。

 しかし、ちゃんとした総括はなされず、話はウヤムヤのうちに終わったのみ。
 「緑の党」の主要幹部の大半は、この問題に関わっていたずだが(「有権者への説明責任」という面でも)、「次はこんな勝手な離党はさせない」とい
う新たな仕組みを考えた様子は伺えない。

 「緑の党」から今回当選する見込みはゼロだが、「当選した議員と投票した有権者の誓約関係」については、本来は公開的に論議して党のシステムに組み込んでおくべき問題ではないのか?




7:2)の権力弾圧や右翼と闘う気概と能力)という要素においては、「緑の党」活動家達のダメさ加減は非常にはっきりしている。

 彼女彼らの主要部分は全て、「権力弾圧とは闘わない」、「ザイトクなど右翼暴力とも闘わない」実態を、この4年ほどの間にこの上なくハッキリさせてきた!

 「緑の党」の活動家の中で、ザイトクに抗議の声を上げてきた人や、市民がザイトクの差別怒号や暴力に晒されている時に、身をもって庇おうとした人はほとんど誰もいない!(自分の身近でザイトクが跋扈していても!)

 街頭右翼に対しても然りである。

 
「緑の党」共同代表の長谷川羽衣子氏は戸田に、「放射能ガレキ問題で弾圧された時には救援活動しましたよ」と言って正当化しようとしたが、事はそんな簡単な事ではない。

 逮捕弾圧が脱原発行動だとかの「本来活動」にかけられるとは限らず、公務執行妨害だとか、政治資金規正法違反、甚だしきは痴漢冤罪まで、「個人的違法行為への対処」を装って弾圧されるのが権力弾圧の常である。

 現に09年政権交代時の「東播2市議文書弾圧事件」では、当時の「みどりの未来」(「みどりのテーブル」と「虹と緑」が合流)は、自分達のかけがえのない仲間が不当逮捕されたにも拘わらず、弾圧の本質を見抜けず、「あれは個人的問題、脇が甘かった」として「不当弾圧反対」の立場には全く立たず、反弾圧闘争を大きく阻害した。

 それへの反省も無いから、もし「緑の党」の誰かや、運動で協同している誰かが逮捕弾圧をかけられたら、権力マスコミ側の宣伝に屈服する形でしか対処しないのは明白である。

 日本においては、社会を変え得る運動が少し伸びると必ず権力弾圧とマスコミの誹謗宣伝、それに最近ではザイトク襲撃がかけられる。それと闘い抜く構えや思想を持たない運動は「ママゴト」でしかない。

 「緑の党」は、まさに「ママゴト運動」でしかなく、何ら期待すべきでない、というのが戸田の確信的判断である。



8:3)の「国政選挙を闘えるだけの政基盤」という点でも、「緑の党」はお話にならない。

 なるほど供託金の6000万円を集めたのは立派だが、それで息切れで、6000万円を没収されて終わるだけだろう。

 この問題は、1)の「総括能力」にも深く関係してる。

 端的に言えば、「国政選挙」という巨大物量・巨大人員が必要な作戦遂行にあたって物理的に必要物を準備しようとせずに、「善意の精神論」だけで突撃を繰り返すだけであって、到底勝利は見込めない。

 戸田は1997年あたりに「社民党参院大阪区(長崎ゆみ子さん)の市民選対責任者」をやった事がある。当時は辻元清美氏当選の翌年あたりで、今から見れば社民党がまだ華やかで力があった時だが、それでも国政選挙を運営する事の大変さで、「血反吐を吐く思い」をさせられた。

 その大変さが、戸田には強烈な記憶として残っている。

 一方、戸田も関わってきた反原発(脱原発)運動において、「国政をめざす運動」が過去2回行なわれてきたが、それにも関わってきた。

 スリーマイル事故を契機としたものやチェルミノブイリ事故を契機としたもので、「原発いらない人びと」だとか、緑のなんとかだと記憶するが、そこで
痛感したのは、「いくら原発問題で社会に危機感が拡がっていても、こんなに財政基盤も人的基盤も無しにやっても、国政選挙ではお話にならない」、という事だった。

 今回の「緑の党」も「フクシマ事故」という前代未聞の危機を受けて、前2回よりはマシとは言え、「国政選挙では勝利し得ない」基盤の弱さという問題は何ら変わってはいない。



9:◆「虹と緑の500人リスト」(1998年結成)から今回の「緑の党」に至る15年間は、「自治体議員と市民運動家の協同で国政に進出する」という方策の15年だった。

 では、その方策は正しかったのか?目標実現可能な方策だったのか?

 
戸田自身の自治体議員活動家としての体験から断言出来る事は、その方策は目標実現ができっこない誤った方策だったという事だ。

 なぜか?

 単純な話で、自治体議員や市民運動家は自分自身の責務を果たすために頑張れば頑張るほど、それに以外に使える金や時間の余力が極めて少ないからだ。

 「自前の国会議員」を生み出すためには、それ以外の財政基盤や人材力がなければダメだという事がこの15年間の体験ではっきりしているではないか。

 自治体議員選挙さえ、「いかなる組織にも頼らず・・・」なんて言いながらも連帯労組など左派労組の援助を受けて初めて当選を可能にしている例が少なくない。ましてや国政選挙では。

 この15年間で「無所属市民派の議員・市民運動によって生み出した国会議員」と言えそうなのは、07年の川田龍平氏だけのはずで、それとても翌年には運動圏から勝手に離脱され、翌々年には「みんなの党」に逃げ込まれて「別世界の人」になってしまった。



10:そういった過去の総括をせずに、「今度は脱原発の世論が増えたから」とか、ネットでの情報発信交流が力を発揮する時代になったから」とかを当てにして、週刊「金曜日」的インテリ文化人の支援や「ドイツ緑の党との連携」などの「国際ブランド」を売りにして、国政進出を果たそうとするのが今回の「緑の党」選挙であって、しかも主体の多くが「公開的政治論議を嫌がる市民派ムラ政治」の人々で、権力弾圧や右翼暴力に敢然と立ち向かう気概の無いような人達では、国政分野で闘えるわけがない、と私は判断する。

 おそらく選挙に惨敗するだけでなく、惨敗後の総括論議さえろくになされずウヤムヤにされるだろう。



11:●最後に、公約的に呆れ返ったのが、「まずやる事」として「国会議員の報酬半減」を挙げる偽善性と俗論追従姿勢である。

 まともに考えてみればいい。

 企業・業界団体・資産家などからの資金援助を受けないリベラル派国会議員にとって、有権者へのまめな情報発信が、マスコミの洗脳報道を少しでも打破して事実を伝え、世論を喚起し、自分達への支持を維持拡大するための命綱である。

 そしてそれは郵便発送として紙媒体で行なわなければ、広範囲な人々への確実な伝達がなされない。「ネット発信で全てが足りる」という事はあり得ないのである。

 1通の郵便には郵送料・チラシ作成費・封筒代等々の実費だけでも最低100円かかるだろう。
 だから1万人に発送すれば1回100万円、10万人に郵送すれば1回1000万円かかる事になる。
 それら万単位の郵便物を封筒詰めする作業の人件費も何十万円とかかるだろう。

◆戸田のような人口13万人の市の市議でも2000、3000の郵便発送は繰り返し行なう。(それが連続当選の大きな要因になっている)
 ましてや数十万人から100万人の得票を得ないといけない国会議員の場合、「10万人」というのは基礎的支持者の一部の人数でしかない。
 しかしその10万人に郵便発送するだけで最低経費が1000万円かかる!

 これはほんの一例であって、事務所と私設秘書、各種スタッフの維持にも様々な経費がかかる。
 企業・業界団体・資産家などからの資金援助を受けないリベラル派国会議員が、巨大な体制と闘い、マスコミの洗脳的報道と闘って国民を啓発しつつ支持を継続していくのは容易な事ではない。

■ところが「緑の党」は、そんなリベラル派国会議員の情報発信の源泉を真っ先に半減しようと公約するのである。
 「政党助成金の廃止」を言わないのは、どうせ自分らは「国会議員5人以上」という政党要件を満たさないと踏んでいるからか、共産党以外の既存政党から嫌われたくないからか? (共産党は「政党助成金廃止」論者)

 「緑の党」の少なくとも関西の主要な活動家であれば、辻元清美氏や服部良一氏らの「(政党の援助を受けられる)政党人ではあるがリベラル派」の国会議員が経済的に苦労しながら情 報発信を続けて頑張ってきた事をよく知っているはずだ。

(民主党主流派にすり寄った辻元清美氏への政治評価はもかく)ボランティア人脈の豊富な辻元清美氏でさえ、大変だった事を身近に見ていたはずだ。

■だから端的に問う。
 もし国会議員の報酬が半減されていたら、辻元清美氏や服部良一氏はああいう活動をやってこれたと思うのか?
 こういう事を考えれば、「緑の党」のこの公約は、リベラル派国会議員の情報発信を自ら塞いでいく、極めて愚かで害悪の大きい愚劣行為に他ならない。(情報発信のみでなく、全国や時によっては海外の現場視察、市民との交流のためにも経費はかかる)

 
「緑の党」は理屈としては「国会議員の個人収入と活動経費は分けて考える」ようではあるが、そんな区分は「報酬半減」というスローガンでは国民には絶対に伝わらない。

 「国会議員の報酬は高すぎる!削れ、削れ」という大合唱を「定員削減」(=国民の代弁者代理人、官僚チェックの人数削減)の大合唱と同伴して扇動する役割を果たすだけである。 

 「緑の党」がこういう愚劣で有害な公約を出すのは、彼女ら彼らが「国会議員も身を削れ」という俗論の愚劣さと正面対決する気概がなく、逆に俗論に媚びて票集めに役立てようという浅ましさに染まっている事と、「何から手を付けるべきか」を正しく判断する能力を持っていないからである。

 こういう集団に国政進出を期待し、支持することは到底出来ない。


 ちなみに「緑の党」共同代表の長谷川羽衣子氏が、人民新聞のインタビューの中で、「草の根の政治参加を活発化します。・・・500〜1000円で政治報告会やミニ会を日常活動としてやります」などとしゃべっているが、

http://www.jimmin.com/htmldoc/148401.htm

そんな「財政基盤」では、自治体議員の活動さえ、もし旺盛に活動するのであれば、まかなうのに苦労すると言うことは、これまでの実例で明らかになっている。

 ましてや最低でも何十万人を相手に見据えて活動する国会議員の場合は、絶対に成り立たない「おとぎ話」でしかない。

 
本人は議員経験が無いとは言え、多くの自治体議員が入っている「緑の党」の共同代表が、こんないい加減な話を語るというのは、「緑の党」の組織体質がその程度にいい加減で偽善的、俗論追従的であるという事だ。

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 以上ざっと述べました。他にも言いたい事はありますが、こういう理由で私は「緑の党」を支持しないし期待もしません。
 「国会議員の報酬半減公約」については、有害な扇動として危惧を感じます。

 最後に、最も重要な事柄を繰り返して書きます。

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民衆勢力が新たに国政進出をするためには、その運動体の「質」が既存政党よりレベルの高いものでなければ意味が無いのは、言うまでもない。
私は次の3つが必要だろうと思う。

 1)種々の政治論議を公開的に行なって政治方針、組織方針等を決め、きちんとした総括を重ねていく能力。
   (説明責任と論議能力)

 2)権力弾圧と右翼暴力を怖れずに闘い、運動と民衆を守る決意と能力。
   (権力弾圧や右翼と闘う気概と能力)

 3)一定以上の財政力と人員投入能力。
   (財政基盤)

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以上です。