▼松平・東大阪市議が見た、共産党長尾市政の4年間▼

共産党長尾市政の4年間の総括 

松平要;東大阪市議(新社会党)

はじめに
 今から4年前、1998年4月23日に清水行雄前市長が逮捕された。前年の市長選挙後の「猿発言」から始まった多くの疑惑の露呈と全国的な汚名の広がりにより、市民は何よりも清潔で開かれた市政を求めて長尾市政を誕生させた。そのため、長尾市政の4年間を総括するためには、清潔で開かれた市政にどこまで到達できたかが評価の中心に据えられることになる。

<1>施策面からの評価

【1】 選挙公約そのものに無理があったもの

 4年前の選挙にあたり、長尾陣営では当選後の実施の可能性を考慮せず、景気の良い公約、あるいは共産党の全国均一的な公約を掲げた。そして、当選後にこれらの軌道修正のために、時間と予算を費やし、反長尾勢力に攻撃の手がかりを提供してしまった。

(1)上水道の給水
 「市内全戸に上水道の供給を!」を公約としていたが、山間部への供給は十数戸への配管配水のために数億円がかかることがわかり、苦し紛れの妥協策として住居から100m離れた共同供水場を設けるというお粗末な施策で対応した。

(2)保健センター構想
 地域保健法の制定に伴い3保健所を1保健所3保健センターと変更せざるを得なかったにもかかわらず、法改正への認識対応が遅れたため、仮設保健所を設置しなくてはならなくなり、本来なら不要な出費があった。

(3)総合庁舎建設問題
 35年前の合併時より懸案となっており、毎年基金への積み立てもしてきた総合庁舎であるが、選挙時の公約で「不要不急な公共工事の見直し」を打ち出したため、公約との整合性に手間どり、また設計変更費等の余分な支出があった。おりしも全国各地で地元の反対を押し切った不要なダムや空港など、前時代的な土建行政への批判が高まっており、共産党は選挙時より東大阪における不要不急な公共工事は総合庁舎と定めてきた。しかしながら、今総合庁舎建設に踏み切らねば、この後かなり長期にわたり庁舎建設は凍結され、その間現在の蛸足庁舎による非効率と市民負担を強いることが徐々に明白になってきた。そこで、「見直し」公約との整合性をはかるため、もともと水道局が入るべきフロアを削減、また、地下駐車場を取りやめるなどの経費削減策をとるにいたった。
 水道局を現在の別庁舎に分散するについては、震災などの災害の際を想定し、ライフラインの分散ということが理由に位置づけられた。しかしながら、現在の水道局庁舎は築後30年と老朽化しており、耐震検査でも約10億の耐震施工が必要ということが判明し、結果的にライフラインの分散という目的を果たすためには総合庁舎において削減した額と同様またはそれ以上の新たな将来への出費を予定しなければならない事態となった。

(4)国保滞納者に対する保険証に代わる資格証交付の撤廃問題
 前市長時代にテレビでも放映された強圧的な国保証の取り上げに対し、資格証を全面撤廃すると公約したが、現行法制度の下では無理があることが判明した。また、国保料金の軽減も介護保険による老人医療費の負担減額分として数百円の減額にとどまった。

【2】 やろうとしてできなかったもの

 議会の反市長派との水面下の交渉の失敗や、圧力によって実現しなかった施策も数点あった。議会の意向に添って選任した目付助役がその交渉に当たってきたが、交換条件も反故にされるなど、やられっぱなしの感は拭えない。しかもこれらは長尾市政色を全面に打ち出す施策だったので、提案・取り下げを巡り、特に攻防が激しく行われた。新社会党は「否決されても提案し、その過程を市民の前に明らかにすること」を要望し続けてきたが、どこでどのような妥協劇があったのかの詳細もわからない状態だった。

(1)第2次総合計画の策定
  2000年度予算で審議会が設置され審議会答申まで受けながら、提案されなかった。

(2)コンプライアンス制度
  前市政の腐敗一掃を目的とした目玉施策であったが、一度は提案されたものの取り下げた後、再提案されなかった。

(3)オンブズパーソンマン制度
  介護保険の民主的運用を図るため、コンプライアンス制度とセットで住民自治への足がかりとして期待された施策であったが、同様に取り下げ後の再提案はなかった。

(4)介護保険の減免施策
  下水道料金の値上げと交換条件にした結果、見事に裏をかかれ、値上げは提案させられ、減免は取り下げるハメになった。

【3】 施策上の成果
  こうした抵抗にあいながらも成果のあった施策として、次の数点が上げられる。

(1)職員採用の透明化
  前市長時代には、新規採用でも人事異動でも情実や金銭が絡んだ不透明なものであったが、新規採用に関しては採用試験を重視した合理的な採用が実施されるようになった。しかし、定期や臨時の人事異動に関しては水面下交渉のカードの一つとして残されている疑惑は濃く、反市長派有力議員の介入を排除できていない。

(2)入札制度の改善
  前市長時代にもっとも疑惑の集中していた行政部署であるが、最低入札価格の事前公開などの施策を講じることで一挙に透明性が上がった。業者談合については、まさに「浜の真砂はつきるとも・・・」であり、長尾市政だけの課題ではないのであるが、少なくとも「官製談合」と言われた談合への行政の荷担はなくなったと言える。

(3)無秩序な民営化へのブレーキ
  地方行革のうねりの中で、前市政は保育や、ゴミ収集などの部門において無秩序な民営化を進めてきた。この流れに対するブレーキとして、乳幼児育成ビジョンの見直しやゴミ収集業務の委託の再検討がされてきたが、労組要求主導型の感は拭えず、行政が主体性を持って秩序のある民営化施策を打ち出すには至っていない。そのため、児童部や環境事業部で部長の頻繁な交替など、日常行政に悪影響を与えることとなった。

(4)全事業所実態調査
  中小企業の町と言われながら、中小零細企業の支援育成施策は立ち後れていた。この点、課長職以上の職員の総動員で実施された市内全事業所の訪問聞き込み実態調査の結果、市内事業所のデーターベースを整備し、諸施策を展開する上での貴重な資料の収集となった。実態調査を踏まえ、高度な技術を持ちながら、販路開拓や宣伝の手段を持たない小零細企業のために、全国でも類のない行政による技術紹介と取引機会の窓口である「中小企業技術交流プラザ」のホームページサイトの開設などの施策が生まれた。また副産物として、管理職職員が長引く不況にあえぐ中小零細企業経営者の実態を肌で感じることができた。このことはすぐに形に現れるものではないが、市の行政基盤であり特色である、中小企業の町の今後の諸施策に反映されるものと期待できる。

 他の施策は一般行政施策や前政権からの継続施策であり、取り立てて現市政の成果とは位置づけられない。成果のあった施策には、経済政策のように誰も反対しようのないものや、前市政時代の疑惑の温床への改善策といった特徴がある。また、民営化の問題はブレーキを踏む時期としては適切ではあったと思えるが、そのために労組や保守会派との板挟みになった幹部職員が戦線離脱するなど大変なエネルギーのロスがあり、また、議会混乱の素ともなった。

<2> 議会の混乱と幹部職員の士気の低下

 長尾市政の4年間の外形的な特徴は議会の混乱にあると言える。地域情報紙「朝日ピープル」は「東大阪の議会は建て付けの悪い戸のようなもので、なかなか開かないが、一旦開いたらなかなか閉じない」と評している。年4回の定例会が開かれず、逆に9月議会が3月の末まで会期延長される実状を言い得ている。しかしこれは「議会による市長いじめ」というレベルで単純に論じ得ないものである。まず、根底には政治的対立として、共産党政権を潰すという大前提があることは事実だが、そうした単純な構図(=私は「城攻め」とイメージングしている)では分析できない。二つの保守会派と公明とリベラル(民主)が各々の思惑で水面下で駆け引きするため、水面下で成立した下話も議会の場ではどんでん返しがあるといったことが茶飯事で、その意味では敵味方入り乱れた野戦の様相を呈している。

  さらに、幹部職員と市長の間にも微妙な距離ができ、市長と支持団体の板挟みに苦しみ、野党からの攻撃にサラされるため、議会の答弁でも迫力がなく、その場しのぎの答弁のために議会が休憩に入るという場面も数えきれなかった。自分たちが精魂傾けた議案が提案もされないなど、市長への不信が蔓延し士気の低下を生んだ。
 目付助役をつけられたことで市長は警戒心を深め、議会の同意が必要な助役(後任)や収入役や教育委員の選任については任期中ついに実現せず、幹部職員に一層の負担を強いることになった。こうした環境の中で職員は疲弊し、何もしないことがもっとも安全であることから、緊張感も喪失し、末端職員の不祥事の連発などを生む原因ともなった。そしてそれがまた議会審議では、反市長派のカードとして使われるという悪循環に陥っていったのだった。

<3> 鈍い共産党の動き

 幹部職員の士気低下に際しても共産党の議員は積極的に動かず、「助けてくれなければならないのに、逆に後ろから鉄砲が飛んでくる」という不満と不信を作った。「ご苦労さんといって職場を訪ねてくれるのはほとんど野党の議員さん」という状況で、幹部職員の漏らす弱音が逆にまた議会で市長追求の道具にされるということすらおきた。それでも、機関紙には、華々しい成果だけが報道され、「名は赤旗がとり、実は保守系一部有力議員がとる市政」という評価を生んでいることも事実である。議会対策においても、喧嘩すべきところをせず、つまらぬことで他会派との溝を深めることが多く見受けられ、城攻めは得意だが、野戦の実戦経験に乏しいことが露呈した。最初の当初予算に対する議会の修正に対し、再議でもって抵抗していくなど、敵に舐められぬ方策はついに採られることはなかった。
 共産党議員団と、共産党系の労組や市民団体の関係もぎこちなく、野戦の戦場で、どこに本陣があり、誰がどこでどんな戦いをしているのか、采配は誰が握るのかといったことが見えてこない混乱ぶりを呈した。こうしたことも議会混乱の大きな要素の一つとなった。