ちょいマジ掲示板

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◆死に直面してこれほどの文章をみんなに残した中西みよ子さん!読んで下さい
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 戸田 E-MAILWEB  - 08/4/25(金) 8:51 -
  
 4/14告別式で参列者に渡された中西みよ子さんの「お別れの言葉」。
 入院した病院で他の患者さんが描いてくれたイラストを表紙に、中西さん自身が書いた
文章が載せられていました。
 この「お別れの言葉」は、中西さんが治療不能となって自宅で死を迎える事になった時
期に、自分の死が近い事を見つめながら、自分の人生最後のメッセージとして綴ったもの
です。
 ここに謹んで、中西みよ子さんの「お別れの言葉」を画像とテキストで紹介します。

 病死に迫られてなおこのような文章を書ける人はめったにいるものではありません。
 何度読んでも涙が止まりません。本当に惜しい人を亡くしてしまいました。

 この文章とは別に家族に残した文章が当然あるものだと思っていましたが、親しいある
人に聞いたところ、「中西さんは、まず何よりも他の人のために尽くす人だった。家族に
向けた特別の文章は作らず、この文章ひとつに家族も含めた全ての人々への思いを込め
たと聞いている」という事でした。
 まさに共産党烈士と呼ぶべき人の荘厳な最後です。合掌。
 ―――――――――――――――――――――――――――――――――
 門真市共産党議員団HPhttp://kadoma.jcp-web.net/の中で、PDFでアップされています。
      ↓↓↓
◎中西みよ子さんのお別れの言葉.pdf
http://kadoma.jcp-web.net/wp-content/uploads/2008/04/koaqvildguaocykzgvgczikolcqc6olmjl6xdc5wzgy1.pdf
   中西さんの逝去を伝える共産党の[門真民報]No.1720(2008年4月20日号)
        http://kadoma.jcp-web.net/?p=503

◆中西みよ子さんの「お別れの言葉」(戸田事務所でテキスト入力)

 五十歳のとき、乳がんの手術を行い、再発の繰り返し、それ以来抗がん剤・温熱療法・
免疫療法・血管内治療とあらゆる治療とあらゆる治療に取り組んでまいりましたが、私の
ガンはガンとしてふさくならず、私の体を蝕んできました。
 二〇〇七年十一月から三ヶ月間最後の治療として高知・土佐清水病院に入院し、漢方療
法を中心とした治療を受けましたが、結局効果はありませんでした。

 私はまだ五十四歳もっと長生きして、いろんなことをやりたかった。
 もっと、人のお役に立ちたかったのに残念です。
 しかし、私は、自分の人生に悔いはありません。

 高校を卒業し寮と会社の往復でつまらなく「何かもっとやりがいのある仕事をしたい」
と東京に出てまいりました。東京にでて、女子栄養短期大学・女子栄養入学と七年間働きながら学び続けました。

 この中で自分の生きがいと社会進歩につなげて活動する共産党との出会い、この出会いが私の人生を前向きに示してくれました。

 大学を卒業して私は、どうしても、教師になりたいと教員採用試験に何回も挑戦しながら高校の家庭科の非常勤講師となりました。
 ここで、教えることの難しさ、生徒にわかってもらえたときの喜びを味わい、もっと子供たちに単なる知識ではなく、人生に役立つ知識をといろいろ工夫しました。

 教師という仕事の魅力にとりこまれ、これから非常勤教師となって本格的に教師の仕事を始めようという矢先、市会議員の声がかかりました。
 相当悩みましたが、教師は私ではなくてもっと優秀な人がいる。市会議員はなかなか人がいない。それなら自分がやろうと決心しました。

 しかし、市会議員という仕事も大変やりがいのある仕事でした。
 市民のみなさんが、悩み苦しんでいることに、耳を傾け一緒に働き、解決できた時、
市民の願いを議会で何回も取り上げ、実現した時ほど嬉しいことはありませんでした。

 私が印象に残っていることは、いつも雨。
 雨が降るたびに三十数年浸水している地域にやっと公共下水道が通り「これで雨の心配がなくなる。これで、やっとおばあちゃんにウォシュレットを使わせられる」と喜んでいただいたこと。

 現在、門真市駅前にドラッグストアが出来ていますが、ここが長年、空き店舗になっていたとき「ここにパチスロ店を」との話が出たとき、PTA,自治会などが一緒になって運動を行い、私も議会で、市長に再質問まで行い答弁を求め、ついにパチスロ店出店を断念させたこと、旧門真南高校がつぶされず、「市民総合センター」として残り、市民のスポーツ・文化の拠点として残ったことなどです。

 みなさんの温かいご支援のもと、三期十二年間、よい仕事が出来たことを誇りに思います。

 また、私の生涯の中でアレルギー問題に取り組みアレルギーで苦しむ子供、お母さん方のより所として「門真アレルギーを考える会」を結成し十七年間活動できたことも大きな役割をはたしてきたと思っています。

 平和の問題も重要です。平和でなければ、病気も治せないし、自由に生きることもできません。
 いま、憲法九条を変えてまた、日本を戦争する国につくり替えようという、きな臭い動きが強まっています。そのため、「九条の会」が全国でたちあがって門真でも市民のほうががんばっています。

 私は、病気のため残念ながら充分なことはできませんでしたが、大きな運動となるよう願っています。

 今や、三人に一人ががんで亡くなるという時代、皆さん方もお体に十分に気をつけて頂き、私の分まで長生きしていただけます様よろしくお願いいたします。

 最後になりましたが、残された家族(夫・長女・長男)も寂しい思いをしていると思います。街角でみかけましたらお声をかけていただきますようお願いいたします。

 本日は本当にありがとうございました。

二〇〇八年四月十三日
                           中西みよ子
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 私はまだ五十四歳もっと長生きして、いろんなことをやりたかった。
 もっと、人のお役に立ちたかったのに残念です。
 しかし、私は、自分の人生に悔いはありません。
・・・・・
 平和の問題も重要です。平和でなければ、病気も治せないし、自由に生きることもできません。
・・・・

 ああ、中西さん! 合掌。 
引用なし
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中西みよ子さん死去!!今夜お通夜、4/14(月)1時半から告別式(栄町・称名寺で) 戸田 08/4/13(日) 14:32
◆死に直面してこれほどの文章をみんなに残した中西みよ子さん!読んで下さい 戸田 08/4/25(金) 8:51

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