「自由・論争」 掲示板

★この掲示板は戸田が「革命的独裁」をする所である。
この掲示板はジャンルを問わず、論争・口ゲンカ・おチャラけ・ボヤキ等、何でもOKだが、「掲示板のルール1」「掲示板のルール2」を読んで必ずそれに従うこと。
●ここのルールを守らない荒らし的文句付け屋に対しては、「何で稼いでいるのか、どんな仕事や社会的活動をしているのか」等を問い質し、悪質な者には断固たる処置を取り無慈悲にその個人責任を追及していく。
★戸田の回答書き込みは多忙な活動の中では優先度最下位である。戸田の考えを聞きたい人は電話して来る事。
●「Re:○○」形式の元タイトル繰り返しタイトルは厳禁!!必ず「内容が伺える独自のタイトル」をつけること。
◆約10年間完全自由投稿制を維持してきたが、荒らし・妨害投稿頻発のため、投稿者登録制に移行した。投稿する方はこちらにアクセスし、所定の手続きを行なうこと。
◆投稿者のメールアドレスは戸田が把握するが、掲示板では非表示にできる。
◆投稿者名・メールアドレス・パスワードは登録時のものを使わないと投稿できない。 登録・投稿についての分かりやすい説明はこちら。うまくいかない場合の問い合わせは戸田事務所まで。(冒頭記:2009年4/8改訂)   これまでの管理者命一覧(必読)

  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃一覧表示 ┃トピック表示 ┃検索 ┃設定 ┃過去ログ ┃ホーム  
4751 / 5531 ←次へ | 前へ→

もちろん「許される」わけではありませんが
←back ↑menu ↑top forward→
 草加耕助 WEB  - 07/1/9(火) 5:27 -
  
>ところで「謝罪し、二度としないと誓えば許される」のでしょうか?

いえ、当該の被害者からは一生許されないと思いますね。
それでも謝罪し、自己批判するしかないのです。
たとえ受け入れられなくても、一方的にするしかないのです。
それは日本の戦時犯罪に対する謝罪と同じこと。
そして中核派が「謝罪」できない構造も、日本政府が「謝罪」できない構造と同じ。
変わったと言いつつ、実は本質的なところで変わっていないから。
だから過去を謝罪すれば、現在の正当性やアイデンティティが危機に陥る。
「今」が変わらなければ、そのための痛みを受け入れなければ、決して「過去」を清算することもできない。

二次ブントが分裂、崩壊した時も、内ゲバが多発しました。
しかし今から見れば、そんなの集会場で「ちょっと竹竿で突付きあう」くらいのもんでした。
倒れて逃げ遅れた叛旗派のメンバーに、そいつが持っていた竹竿を投げ返して「二度と来んじゃねぞ」で終わった話などを聞かされました。当時は「内ゲバ」って言ってもその程度のものであったと。

私がかつて所属していた戦旗派は、その程度の「内ゲバ」に、たまたま連戦連勝していたにすぎません。
ですが、その時に蹴散らされた旧二次ブント系の方々は、この21世紀になっても、いまだに30年近く前のことをいろいろ言ったりする人がいる。

これは「お互いに」やりあったことだし、人数も互角というか、むしろそっちのほうが当時は数が多かったわけです。それがたまたま負けたからって、そんなに自分を被害者みたいに言うのは、正直おかしいと思います。ですが、「殴られた方」の意識や、自分が人生を賭けていた運動を潰されかけた人のショックとはそういうものなのです。

その後、西田派と分裂した戦旗・共産同(=通称・日向派)は、ブント分裂時の論争については自分たちが正しかったという主張は堅持しつつ、「思い上がった学生共産主義者的な体質」や「前衛ショービニズム(=大衆に対して「前衛」ぶりっこをすること)」、「党外の大衆と、党員との扱いの差別」などを次々と自己批判し、とりわけ無党派団体に対してセクト主義的で高圧的な引き回しがあったことを公式に謝罪したりしました。

ですが、そんなのかつてやりあった「被害者」たちは、誰も信じてくれませんでしたよ。内ゲバ時代の頭目として憎まれていた荒(=日向)さんがこっちに来たので、西田さんのほうはそれなりに「反日向」でうまくやれたようですが、戦旗・共産同は最後の最後までブントの孤児でしたし、とりわけ関西の学生戦線では、なかなかどこの共闘戦線に入れてもらえないような状態でした。だから、現在の中核派の、路線転換後に結集した新しいメンバーの気持ちも、痛いほどによくわかるのですよ。

では、自己批判や謝罪は無駄だったかと言えば、そんなことはない。それがあったからこそ、そしてその自己批判を口先で終わらせないよう、末端までのメンバーが、どんなに理不尽な排除を受けても耐え抜いたからこそ、ブント系以外のインターやプロ青などの方々に受け入れてもらえたのだし、そこから再び新左翼運動内部での足場を作ることができたのです。

80年代に入って、もう旧ブント系が何をどう言おうとも、戦旗を排除したり無いものとして扱うことができなくなっていくわけですが、そこまで受け入れてもらうのに、自己批判作業開始から実に10年かかっているわけです。ほんの1年足らず、竹竿でお互いに突付きあっただけでですよ!そうしてその突付き会った人々とは、こちらがいくら共闘を熱烈に望んでも、ついに最後まで和解できなかったのです。

それにくらべて中核派のしたことを考えてみて下さい。「お互いに」ではありません。極めて一方的な襲撃です。しかも「竹竿で突付く」どころではない。アイスピックで足をめった突き、両手両足の関節をバールで粉々に砕く、そしてそれを背景に「次はお前だ」「殺してやる」と言いながら、次々と拉致してはリンチを加えています。こんな凶悪な被害にあって逃げ回った被害者からすれば、その時の恐怖や憎しみは想像を絶するものであり、一生かけても消えるものではありません。内ゲバからの防衛に時間を浪費し、生涯をめちゃくちゃにされた人にとって、それは「昔のこと」では絶対にすまされない。

ではどうするのか。「すまされない」から放っておくのか?そうではないでしょう。たとえ「すまされなくても」謝罪というか、自己批判するしかないのです。それも方便としての謝罪や「路線転換」ではダメです。それじゃあ「過去の一時期に不幸な歴史がありましたことは遺憾です」とかいう、どっかの誰かさんの「お言葉」レベルのものでしかない。ましてや、「さあ、謝ったんだから、いつまでも昔のことをグチグチ言わずに一緒にやろうぜ!」では、全くの逆効果でしかないことは、私たちはすぐそばで実例を見てきているはずです。

そうではなくて、「なぜそんなことをしてしまったのか?」という思想性(イデオロギー)のレベルで自己を点検しなくてはなりません。つまり、謝罪もさることながら、自己批判が重要だと考えます。別の言い方をすれば、運動論的にマイナスだったという現実の政治論のレベルじゃダメだということです。それでは、運動的にプラスと判断すれば、いつでも過去の路線に戻るのではないか周辺からと疑われます。これも実例を私たちは見ている真っ最中ですよね。たとえ自分たちが損をするような場面でも、人民内部に牙をむかないという思想性を獲得すべきなのです。

そして現実の政治や運動方針上の方便ではなく、思想レベルで「路線転換」したのだということは、最低でも10年以上かけて実践で示しぬいていくしかない。その過程では悔しい思いもいっぱいするでしょう。しかしそれに耐え抜いて頑張りぬき、人民のためにすべてを甘受して跳ね返していった時にこそ、「えっ、あの中核派が?」「変わったなあ」と初めて言ってもらえるのではないでしょうか。

中核派のしたことを考えれば、本当は10年どころか50年かかって、世代(人間)がすっかり入れ替わるまで無理なことだと思います。ですが、今は左翼の仲間は一人でもほしい時代です。「大同団結」を求める声は渦巻いている。実は中核派の体質に対していろいろな論評がなされ、その変更を求める声があるのは、こういう時代背景があるわけです。

謝罪・自己批判・路線転換の「要求」は、実は中核派に対する人民からの「要望」でもあるのです。この、「党に対する人民の要請」に応えることができるのかどうかに、中核派の未来がかかっていると言ってもいいでしょう。中核派は今、大きな岐路に立っていることを認識するべきであると思います。
引用なし
1,043 hits
<Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.0.9) Gecko/20061206 Firefo...@softbank060111090019.bbtec.net>

草加さんの「中核派について(より幅広い大衆戦線のための提言)」を紹介 戸田 07/1/2(火) 15:06
[管理人削除]
草加さんの言葉もよくわかりますが 統一戦線 07/1/3(水) 19:58
もちろん「許される」わけではありませんが 草加耕助 07/1/9(火) 5:27
そうですね 統一戦線 07/1/19(金) 6:49
中核派は内ゲバの反省はしてないと思う パルタ 07/1/21(日) 16:11
相手によっては反省してると思うけど 統一戦線 07/1/22(月) 21:54

4751 / 5531 ←次へ | 前へ→
  新規投稿 ┃ツリー表示 ┃スレッド表示 ┃一覧表示 ┃トピック表示 ┃検索 ┃設定 ┃過去ログ ┃ホーム  
ページ:  ┃  記事番号:   
870,900
(SS)C-BOARD v3.8(とほほ改ver2.1) is Free