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◎戸田の2011年10月書簡(1):いろんな意味で「目からウロコ」の「国民救援会」体験
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 戸田 E-MAILWEB  - 14/6/27(金) 16:56 -
  
 この書簡は、2009年秋に弾圧発生した「東播2市議文書弾圧事件」
   http://www.hige-toda.com/kakogawa_danatu/kakogawa_danatujiken.html
に絡んで、「加古川市議の井筒議員議救援」運動の中で、戸田が兵庫の「国民救援会」の人達に送ったメールです。
 パンフにして救援会メンバーの結婚パーティの席上で配布もしました。
 
 てっきり「自由論争掲示板」にもアップしたと思ってましたが、それはしていなかったので、この機会に公表します。

 「国民救援会」とはどういうものか? について、門真の人達に戸田の考えを知ってもらうのによい材料になるでしょう。
 長文なので2分割して紹介します。
   ↓↓↓
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◎いろんな意味で「目からウロコ」の「国民救援会」体験:戸田の2011年10/24メール

 井筒救援会のみなさんへ。
 昨10/22に神戸市内であった「国民救援会・兵庫県本部大会」と夜の(布川事件冤罪の)桜井さんライブ&歌声酒場に参加して、感銘を新たにしたのを契機に、1年前から書こうと思って果たせずにいた事を書きます。
  (かなりの長文になります)

 濱嶋さんには、このメールを国民救援会の仲間の適切なみなさんにも転送して読んでもらえれば幸いです。
 (「国民救援会」や共産党の人達には不愉快な記述が一部あるかもしれませんが、その
   点はご容赦下さい)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<1>濱嶋さん達「国民救援会兵庫・東播支部」との出会いの衝撃
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 井筒弾圧事件に対して、加古川市の山川さんら共産党議員が「反弾圧」の確固とした立場で支援してくれるのを見て、(高砂市の共産党議員も含めて)東播地区の共産党は左翼として人間として、「共産党には珍しい部類に入るほど立派だ」(失礼!)と感銘を受けましたが、さらに濱嶋さんや近藤さん、茅野さん達の「国民救援会」の兵庫県本部や東播支部のみなさんと出会って、権力弾圧反対のために協同する事に骨身を惜しまない誠実さに感銘を受けました。

 「国民救援会」は「共産党直結・共産党一色支配」の団体のはずなのに、非共産党の「市民派」や反共産党の連帯労組の友好団体である「連帯ユニオン議員ネット」に属し、社民党の辻元清美(当時)のピースボートファミリーでもある井筒君を心底支援してくれ、連帯労組も含めた井筒救援会との共闘だけでなく、

 弱体の井筒救援会を尊重しながら包み込むように、井筒救援の地平を「国際的視野に立った公選法問題」に引き上げてくれる、この立派さは何なんだろう、と非常に疑問に思いました。

 それで私は、「濱嶋さん達が特殊特別に人格が良くて、国民救援会・共産党世界では異端的な人達だろう」と考える事にしました。そうでなければ説明がつきませんから。

 濱嶋さん達は「これが国民救援会全体の姿勢だし、共産党支配の団体ではない」と言いますが、戸田としては「そんな事はない。濱嶋さん達が(自分らの特異さを)自覚してないだけだろう」と固く信じてました。

 しかし2010年夏に、大阪市内での冤罪問題集会に参加した時、国民救援会の大阪府本部の人達の事や集会の内容や運営を見て、懇親会にも参加して、

 「国民救援会はもはや共産党一色支配の団体ではなくなっている事(完全に)、
  共産党色のほとんどない、偽装ではなく真に(かなりの程度)共産党から自立した
  (当然範囲の協力連携関係のみ)、冤罪救援を主軸にした人権ボランティア組織にな
  っている事」
を確認しました。

 国民救援会の新聞も購読して読んでますが(東播支部の会員に加入して)、やはり
「共産党支配団体」と言うことはとても出来ない紙面になってます。

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<2>戦前共産党の直系団体「赤色救援会」として生まれ、戦後改名した「国民救援
   会」。60年代末に新たに「救援連絡センター」が生まれた理由。
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 しかし戸田が「国民救援会は共産党の直系団体だ」と捉えていた事には一定の理由があります。

 「国民救援会」は戦後につけられた名前で、そもそもは1928年(昭和3年)に三・一五事件の被告を救援するために設立された「解放運動犠牲者救援会」が起源。
 その後、コミンテルン(世界共産党)の指導の下に設立された「国際赤色救援会(モップル)の日本支部」となり、「日本赤色救援会」に改称しました。
 ただし、戦前いおいて非合法だった日本共産党とともに壊滅させられる。
 そして戦後、再建された共産党が中心となり、「日本国民救援会」が設立されたのです。

 ※「共産党」という同じ名前であっても、戦前の共産党と今の共産党とでは中味・体質
  がだいぶ違います。
   特に1955年の共産党6全協で宮本顕治体制が確立して以降の共産党は、議会主義
  偏重で革命的激動に常に反対する秩序派改良主義党派に成り下がった、と戸田は捉え
  ています。
  (労働者階級的ではない)「国民的議会主義・改良主義の左派政党」であり、宮顕引
   退後の不破ー志位体制でもそれが一貫して変わりません。
   
 しかし1956年のソ連でのスターリン批判やハンガリー動乱(ハンガリー革命)を契機に、日本でも「共産党から分離した左翼」が生まれ、60年安保闘争の時には共産党をスターリン主義の反革命と批判する「ブント(共産主義者同盟)」が安保闘争を主導した全学連の主流派を占めました。
 ブントの他にも革共同(のちに第4インター・中核・革マルに分裂)も生まれ、ここに「新左翼」勢力が生まれました。

 そして60年代後半は世界的な若者叛乱・スチューデントパワー、ゲリラ闘争、文化芸術革命の年代となり(今では「世界的な68年革命」と認識されている)、「共産党の前衛性」は地に墜ち(それを信じていたのは共産党信奉者だけ)、日本では「学園闘争と70年安保の時代」、「三派全学連と全共闘の時代」になりました。

 そうした中で、新左翼・反日共勢力の逮捕者救援にはそれぞれの勢力の救援会が作られて対処していくようになり、「国民救援会」は「全共闘・新左翼・過激派はお断り!」を鮮明にしていきます。

 そして新左翼・反日共勢力の横断的な救援組織として、1969年に「救援連絡センター」が作られて、現在に至ってます。
 (唯我独尊の革マル派だけはセンターに協力参加しないだけでなく、センターの弁護士
  を襲撃すらしてつまはじき)

 この救援連絡センター(以下では略して「救援センター」)を結成した1人が放射線物理学の研究者で、反原発運動を高木仁三郎氏らと共同した「水戸巌」さんですが、この水戸さん一家と戸田は知り合いなんです。

 それは双子の息子の弟が阪大に入って黒ヘルノンセクト・新聞会として、私の後輩格の希望の星として頑張ってくれて(兄は京大に入って赤ヘルノンセクト)、家族ぐるみで親交をもった事によります。
 (しかし山好きの父子3人は1986年末に北アルプスで遭難死してしまいました)

 水戸さん夫婦からは、救援センターを作るに至った経過のいくつかを直接に聞きました。

 水戸さん夫婦は67年の三派全学連の「ゲバ棒ヘルメットスタイル」登場で時代を画した「10/8羽田闘争」に対する救援活動から全学連全共闘への救援を開始し、
 東大闘争の時は日共民青(ゲバ民)が包囲網を作って水や食料の差し入れという人道的援助すら妨害する事に憤慨して、得意の山登り技術を活かして水とおにぎりを詰め込んだリュックを背負って、民青の目を盗んで建物をよじ登って差入れを届けました。
 そういう活動が1969年の救援センター結成につながります。

 そして救援センターは、武装闘争、爆弾闘争やゲバ事件を起こす「過激派」相手に弾圧救援(その組織や闘争への支援ではなく、あくまで権力弾圧に対する正当な防御としての救援活動ですが)をする事も含めて、反日共・非日共の広範な左派の救援活動をしていきます。

 もうひとつの特色は、「一般刑事犯への救援活動」にも手を広げていった事です。
 新左翼全共闘潮流に中に含まれていた(革マル派を除く)「下層主義」、「反差別共闘」、「善良なる市民意識からの脱却」等々の要素から来るものでしょう。

 そして救援センターをある種のプラットホームにして「獄中処遇改善闘争」や「獄中者組合の結成と闘争」なども進められるし、精神「病者」との共闘や「保安処分阻止闘争」なども進められます。

 こういう流れの中で、「国民救援会」は「共産党枠限定」、「善良なる冤罪被害者限定」に固定化されていったはずです。

 その典型が狭山差別裁判事件への取り組みであり、共産党が部落解放同盟と対立分岐して狭山事件への取り組みを後退させるのと歩調を併せて、
  「部落差別による冤罪逮捕事件だ」
 →「部落差別かどうかは不明だが冤罪事件だ」
 →「部落差別かどうかも冤罪事件かどうかも不明だ」
 →「救援対象ではない」
   (「狭山闘争」自体が解同とトロツキスト暴力集団による不当な妄動だ)
となったはずです。

 (石川さんへの救援活動自体は当初から解放同盟が担い続けましたが、狭山事件につい
  ての「国民救援会」の認識の問題として)

 だから現に、雑誌「世界」でも大きく取り上げられ、かなり広範な国民運動にもなった狭山事件が、「国民救援会」の世界では冤罪事件として全く認知されていないのです。
 (狭山女子高生殺人事件の発生と石川さん逮捕が1963年、一審死刑判決が翌64年、部
  落差別に理解を示す振りをしながら石川さんを殺人犯だと認定して無期懲役を下した
  寺尾判決は10年半後の1974年10/31)

 1966年に社会党・共産党・三派全学連などの広範な支援闘争から始まった三里塚闘争
(成田空港反対闘争)でも、共産党がその利敵行為によって現地の反対同盟農民達から絶縁されると、「国民救援会」も共産党と同じ認識で三里塚闘争を見ていきます。
(そこで逮捕者が出ても「救援されるべき権力弾圧ではない」という認識に立つ)
  
 こうして1970年前頃から「国民救援会」の救援対象は「共産党枠限定」、「善良なる冤罪被害者限定」に固定化されて、救援センターとは「別世界」・「棲み分け」状態になっていきます。

 その後にちょっと波紋が起こったのが、1982年〜84年の関西生コン支部労組の分裂騒動で、共産党の権力弾圧追随・労組支配に反旗を翻して独立した武委員長らの多数派自体、長年共産党バリバリの活動家集団で、新左翼勢力や解放同盟との衝突では「共産党の実力部隊」として威力を発揮してきた人達です。

 かつての(作家の宮崎学さんが学生時代に指揮を執った)民青ゲバルト部隊のように、「権力弾圧でやばくなりそうになったら無かった事にして使い捨て」という面も見て取れます。

 ここでも生コン労組に対する権力弾圧について、最初は「不当弾圧」と認定していたのに(共産党も「国民救援会」も)、やがて「労組の方に問題がある」に変わっていって、救援対象からはずされていったのだろうと思います。
 当時の生コン労組(員)は「国民救援会」の会員でもあったはずですが。

・・・この84年分裂は連帯労組側にも、共産党・建交労側にも、20数年経った今でもしこりを残しているし、関西の生コン現場では今も対立関係にある(少し前までは労組共闘していたが、また分岐)ので、「国民救援会」内部でも連帯労組に対する警戒心は根強いものがあります。
 (連帯労組は「金権暴力腐敗集団」と言われ続けて来ましたから)

 生コン労組分裂問題の参考: 
http://www.hige-toda.com/____1/renntai_yunionn/kakikomi/1_22kakikomi_3htm.htm 
http://www.hige-toda.com/____1/renntai_yunionn/kakikomi/1_22kakikomi_2htm.htm
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引用なし
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話題の冤罪映画「約束」が6/25ルミエール上映!国民救援会門真支部準備会に感謝する 戸田 14/6/27(金) 16:27
◎戸田の2011年10月書簡(1):いろんな意味で「目からウロコ」の「国民救援会」体験 戸田 14/6/27(金) 16:56
▲戸田の2011年10月書簡(2):いろんな意味で「目からウロコ」の「国民救援会」体験 戸田 14/6/27(金) 16:59
私も目からウロコ なかやましげる 14/6/29(日) 1:57

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