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2016年11/25(現地時)カストロ死去!(90才)2世紀をまたぐ革命の巨星に敬礼す!
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/11/27(日) 21:15 -
  
 「キューバ革命の英雄」フィディル・カストロがついに亡くなった。
 日本でニュース流れたのは11/26(土)だが、現地時間では11/25(金)夜。

 20世紀と21世紀をまたいで光を放った空前絶後の社会主義革命の巨星であり、「90才で天寿を全うした」事自体、帝国主義勢力による600回もの暗殺攻撃との闘いに勝利し抜いた結果である。
 心からの尊敬と追悼の意を込めて敬礼を送るものである。

 革命の同志=チェ・ゲバラが1968年10月に南米ボリビアで散ってから38年経て、カストロが後を追って天界に赴いたことになる。
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★フィデル・カストロ氏死去=90歳、キューバ革命の英雄 
    http://www.asyura2.com/16/kokusai16/msg/495.html

 1959年のキューバ革命を率い、引退後も国内外に強い影響力を保持していたフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日夜、死去した。90歳だった。

【サンパウロ時事】1959年のキューバ革命を率い、政界引退後も国内外に影響力を保持
 していたフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日、死去した。
  90歳だった。死因は不明。

 実弟のラウル・カストロ議長が国営メディアを通じ、「キューバ革命の最高司令官が今
夜(25日夜)午後10時29分、死去した」と発表した。
 遺体はフィデル氏が生前に示した意向に従い、火葬される。
 26日に葬儀委員会が開かれ、詳細が公表される見通し。

 53年にモンカダ兵営を襲撃して失敗したが、アルゼンチン人革命家チェ・ゲバラらとゲリラ闘争を続け、59年にバティスタ独裁政権を打倒。キューバ革命を成功させた。

 61年に米国と断交。ソ連に接近して社会主義路線を進め、62年にはソ連がキューバに核ミサイルを持ち込むキューバ危機を招いた。 

 革命家として生き、半世紀以上にわたりキューバを導いたカストロ氏
  (動画あり)
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◎キューバ フィデル・カストロ前国家評議会議長が死去  11月26日 14時33分 
   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161126/k10010785261000.html

 1950年代にキューバ革命を起こし、反米の社会主義政権を半世紀にわたって率いたキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日、死去しました。90歳でした。
 キューバのラウル・カストロ国家評議会議長は、日本時間の26日午後、国営テレビで国民に対し、「キューバ革命の最高司令官が午後10時29分に死去した」と述べ、兄のフィデル・カストロ前議長が現地時間の25日夜、死去したことを明らかにしました。

 また、本人の希望で火葬されるとしたうえで、葬儀の詳細について26日に発表すると述べました。

 カストロ前議長は1959年にキューバ革命を起こして親米政権を倒し、以後、最高指導者として反米の社会主義政権を率いてきました。

 米ソ冷戦の中、当時のソビエトと関係を深め、1962年にはソビエト製のミサイルのキューバへの配備をめぐって、米ソの核戦争への緊張が一気に高まった、いわゆる「キューバ危機」が起きました。

 カストロ前議長は2006年に体調を崩し、2008年には議長を退任して実の弟のラウル・カストロ氏に政権を移譲しましたが、その後も、一定の影響力を保ってきました。

 キューバは、去年7月に半世紀以上にわたって敵対してきたアメリカと国交を回復し、カストロ前議長は国交回復に向けた交渉を始めた、ラウル・カストロ議長の判断は適切だとして支持する考えを明らかにしていました。

 また、1995年と2003年には日本を訪問しているほか、ことし9月には日本の総理大臣として初めてキューバを訪問した安倍総理大臣と会談し、北朝鮮の核開発問題などについて意見を交わしました。

 カストロ前議長の死去を受けて市民の間には衝撃が広がっていて、強いカリスマ性で国をまとめる求心力となってきたカストロ前議長の死が、キューバや国際社会にどのような影響を及ぼすのかが注目されます。

=国営テレビの発表は=

 キューバのラウル・カストロ国家評議会議長は国営テレビで、「きょう、11月25日午後10時29分に、キューバ革命の最高司令官、フィデル・カストロが亡くなりました」と述べて、カストロ前国家評議会議長が死去したことを明らかにしました。

 そのうえで、「本人の希望により火葬される。あすの11月26日の朝に、キューバ革命の創始者に対して行われる葬儀の詳細を発表します」と述べました。
 そして、最後にキューバ革命のスローガンである「常に勝利を目指して」と述べて、
前議長の死を悼みました。

=カストロ氏のこれまでカストロ氏のこれまで=

 強いカリスマ性で人々を引きつけたカストロ氏は、当時のキューバの親米政権、バチスタ政権の打倒を目指して、1953年に革命運動に身を投じました。
 その後、左翼活動家のチェ・ゲバラ氏とともにゲリラ活動を展開して、1959年に「キューバ革命」に成功しました。

 首都ハバナへ凱旋(がいせん)した際には、国民から熱狂的な歓迎を受けました。
 この時、カストロ氏は「われわれはアメリカの目と鼻の先で社会主義革命を達成した。われわれはみずからの銃でこの社会主義革命を守るのだ」と述べました。

 革命後は中南米初の社会主義国として、外資系企業の国有化などを進めました。
 米ソ冷戦のさなかには、当時のソビエトと急速に関係を深め、「軍事的な備えが必要なため基地の強化に踏み切った」などとして、キューバ国内にソビエトの核ミサイル基地を建設することを容認しました。

 これに対してアメリカは海上封鎖などで対抗し、「キューバ危機」が起きました。
 世界は一時、核戦争の瀬戸際にまで追い込まれましたが、ソビエトがミサイルを撤去したことで危機は回避されました。

 カストロ氏は反米姿勢を強め、その後、社会主義革命を中南米やアフリカに広げる政策を進めていきます。

 一方で、最大の貿易相手国だったソビエトの崩壊後は経済危機に陥り、国民は苦しい生活を強いられました。
 80歳を超えたカストロ氏は、2008年に国家評議会議長を退任して、実の弟のラウル・カストロ氏に政権を譲りました。

 そして2011年には、政府や党の公職をすべて退き、政界の第一線から身をひいていました。
 また、1995年と2003年には日本を訪問しているほか、ことし9月には日本の総理大臣として初めてキューバを訪問した安倍総理大臣と会談し、北朝鮮の核開発問題などについて意見を交わしたばかりでした。

=キューバをスポーツ大国に育てる=

 25日に死去したキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は、国内をまとめ上げ、国際的にも存在感を高めるために野球をはじめとするさまざまなスポーツの強化に力を入れ、キューバを世界的なスポーツ大国に育てました。

 カストロ氏は1959年のキューバ革命で反米の社会主義政権を立ち上げると、最大の援助国だったソビエト連邦にならってプロスポーツ制度を廃止し、国家の全面的な支援によってアマチュア選手を育てる政策を推し進めました。

 みずからも優れた野球選手だったことから、野球を国技に定めて義務教育に採り入れたほか、ボクシング、陸上、バスケットボール、バレーボール、柔道の強化に力を入れ、
夏のオリンピックでは1972年のミュンヘン大会以降多くのメダルを獲得してきました。

 野球が正式種目となった1992年のバルセロナ大会では、のちにプロ野球の中日でもプレーしたオマール・リナレス選手を中心とする強打のチームで日本やアメリカをやぶって金メダルを獲得し、これまでに5つの大会で金メダルを3回獲得しています。

 一方で、より多くの報酬を求めて、国交が断絶していたアメリカの大リーグでプレーするために亡命する選手はあとを絶たず、ことしのワールドシリーズで優勝したカブスの抑え投手、アロルディス・チャップマン投手など、有力選手の流出はキューバ代表の弱体化にもつながっていました。

 これに対してキューバ側は国交のある日本のプロ野球などに選手を送る政策をおととしから進めていましたが、去年、アメリカとの国交が回復したことを受け、両国の政府が中心となってキューバ選手が大リーグに移籍するためのルールづくりに向けた話し合いが進められています。
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引用なし
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2016年11/25(現地時)カストロ死去!(90才)2世紀をまたぐ革命の巨星に敬礼す! 戸田 16/11/27(日) 21:15
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