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近畿市民派100回への提起書面:「市民派」議員とは何か?その発生と経緯(1)
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 戸田 E-MAILWEB  - 16/8/7(日) 3:31 -
  
 門真市議の戸田です。「近畿市民派学習交流会100回め開催」まずはおめでとうござい
ます。

 思うところあって今回は参加はせずに「書面での意見提起」を行ないます。
 「市民派議員」とは何か?どのような経緯をたどり、どういう問題を抱え、今後どうな
っていくのか(どうするべきか)等についての、「当然行なわれるべき論議」の参考に
してもらうべく、印刷したものを岸和田の高比良君に80部託しますので、よろしくお願
いいたします。
 (直接に議論の材料に取り上げてもらえなくとも、参加各人に読んでもらうだけでも
  意味があると考えます。)

 「過去の経緯に目をつむる人(関心を持たない人)」には「現在の問題」を正しく判
 断出来ないし、「今後取るべき方向性」も判断出来ない」というのが、私の根底的な
 考えです。
  それでは順次書いていきます。(長文ご容赦を)
(戸田の論述に事実誤認等があれば、ぜひご指摘下さい。異論や反論ももちろん大歓迎)
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【1:「市民派議員」に関する戸田の関わりや立場性の説明】

1:戸田は「資本主義打倒・日帝打倒・世界社会主義革命」を信じる左翼活動家であり
 、また「帝国打倒の階級的労働運動を行なう連帯労組の組織候補」の立場からも
 「地域においても民主主義の深化を進める」ものとして1998年に門真市議になる準備
  をした。

2:1999年統一地方選で門真市議に初挑戦・当選した際には、井奥君や桂むつこ氏ら
 に賛同して「虹と緑の500人リスト」の会員となっており、「無所属市民派」を標榜。
  「地方議員に市民派を増やして国政も変えていく」路線にも賛同していた。

3:しかし当選後に直面した「懲罰・問責・辞職勧告攻撃」への会員多数派の鈍感さな
 どを契機に「虹と緑の500人リスト」に幻滅を感じて脱会。

  立場性の標榜も「無所属市民派」→「鮮烈市民派」→「鮮烈左翼」→「革命左翼」
 へと変化させていった。(5期連続当選の中で)
  「地方議員に市民派を増やして国政も変えていく」という単純な路線にも賛同出来
 なくなった。

  その他後述する様々な点でも「無所属市民派」議員という標榜や立場性自体に「問
 題あり」という見解を持つに至った。

4:「関西での接触」が中心になるとはいえ、「自治体議員のあり方」について、それ
 なりに歴史的・全国的視野を持って情報を得て考えてきた、という自負は持っている。
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【2:社共の革新政党議員への反発否定としての「革新無所属議員」の発生】

1:「戦後革新勢力」とは社会党・共産党であり、特に共産党は「唯一の前衛政党」と
 しての「権威」を持っていた。
  しかし1960年の安保闘争の前段階、1956年の「スターリン批判」を契機に、共産党
 を「虚構の前衛・反革命」と糾弾する「新左翼」が誕生し、60年安保闘争では大きな
 力を発揮し、分裂を繰り返しつつも「反日共左翼」の流れが「全共闘」、「70年安保
 闘争」へと続き、また世界的な「60年代後期の若者叛乱」にもつながった。
  ・・・ゲバラ、パリの5月革命、ベトナム反戦、パレスチナ、等々・・・
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2:当初新左翼勢力は共産党への反発もあって議会(選挙)闘争を軽視する事が多かっ
 たが、いくつかの党派は自治体や国政選挙に挑み、自治体議員を得る党派も生まれた。
  また「無党派リベラル」の「ベ平連」運動の中から議員への挑戦も生まれた。
  リブ(フェミニズム)の運動の中からの議員への挑戦も生まれた。

  それらはたぶん、60年代末頃から始まり、1974年の「戸村選挙」(三里塚空港反対
 同盟委員長の戸村一作氏の参院選挙闘争」への対応の中で、全国に生まれていた無所
 属地方議員を中心に「全国革新議員会議」が設立されている。
 ・・・泉南の小山さん達が続けている「全国革新議員会議」はこれのこと!
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3:この60年代末頃から生まれた「社共に属さない様々な左翼・リベラル・リブの議員」 が、自らを「革新無所属」議員を標榜した。
  新左翼党派のほとんどは非合法闘争もやっていたためか、モロに党派活動家議員であ
 っても公的には「中核派議員」とかの党派名を名乗ったり、「革命派議員」を名乗った
 りもせずに、みな「革新無所属」を名乗ったようである。
 この時代、「市民派議員」とか「無所属市民派」とかを名乗る議員はいなかったはず。      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

4:「市民派議員」とか「無所属市民派」とかを名乗る議員が生まれたのは、1991年の
 「ソ連崩壊」以降かその直前あたりからの事である。
  「革新無所属議員」が一定の伸張の後に停滞していく中、ソ連崩壊で「ポスト冷戦・ 脱イデオロギーの時代」が謳われる(実はそれもひとつのイデオロギーで、しかも帝
 国主義の)時代となり、それに見合って「革新無所属」よりは左翼性をかなり薄め、  「革新」という言葉がとっくに無効になったとの認識を帯びて発生したのが「市民派」
 という規定であっただろう。
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5:もちろんここで使われる「市民」とは「町民・県民」などと同列の「市の住民」と
 しての「市民」ではなく、ベ平連の小田実らが多用した「社会の一員としての主権者
 であり生活者」として「理念化された」「市民」である。
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6:「自由リベラルと平和を愛し、人と環境に優しく、強権政治・金権政治を嫌う」が、
  「左翼や社会主義者」ではなく、この社会を「民衆と支配権力との闘い」とは捉え
  ても「資本主義の階級支配の社会」とは必ずしも捉えない、
 
  従って「労働者の力を高める事によって資本家階級を抑制打倒して社会を変革する」  路線には参与せず、「自立した個人の自由な連合によって社会を変革する」事を展望
  する人々。
  ・・・・「無所属市民派」の政治的立場は、そのように規定する事が出来ると思う。
      「古くさい左翼用語」で言えば、「プチブル個人主義の人々」。
 ※近年の実態で言えば「市民派」を自称しながら支配権力に追随する人も出てきたが。
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7:「市民派議員」の増加は「市民オンブズ運動」の広がりとも連動しているように思  う。
  「従来の革新議員も含めた議会や行政の『慣行』に異議を唱え、『税金の無駄遣い』 を告発する運動」としても、「市民派議員」は注目される存在になっていったし、
 実際にいろいろな改善成果も挙げていった。
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8::「市民派とは何ぞや」という定義は確たるものはなくても、大ざっぱには以下の
 ような共通認識があったはず。
 (このような共通認識があるからこそ、「保守系市民派」とか「小泉改革派」とかに
  対して「あんなの市民派じゃない!」という反発が「市民派」と自己規定している
  人達から生まれるわけです)

 A:近代的市民たる「個人」としての良心に従って行動する。(「市民目線」)
   組織や業界の反市民的利害には服従しない。
   議会での「会派馴れ合い政治」には追従しない。

 B:自分の行動(政治行動も経済行動その他全て)に説明責任を果たす。
   説明責任を果たさない行政や既成議員・政党を追及批判する

 C:人権擁護・護憲(特に9条)・反戦平和・日本の戦争責任の自覚・あらゆ
   る差別に反対(だから当然男女共同参画)・強権政治や全体主義に反対・
   子供の権利擁護、等々

 D:環境保護・「自然との共生の社会」、「地球に優しい社会」を目指す。
  だから当然にも反原発もしくは脱原発。
  (「原発推進の市民派」や「原発容認の市民派」はありえない)
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9:このような由来と内容を(大枠で)持つ「市民派」だが、人間誰しも個人的限界や
 弱点を持っているわけで、かつ「自分が置かれている現場からの視野の限界」も持っ
 ているので、
  お互いの切磋琢磨の意識とそれに基づく相互検証的な論議がなければ、行政やマス
 コミらが流布するマヤカシに知らず知らずに絡め取られていったり、小泉的エセ改革
 (最近では橋下的エセ改革)や新自由主義政治がホントの改革であるかのように錯覚
 して、それに同調していったりする。
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引用なし
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近畿市民派100回への提起書面:「市民派」議員とは何か?その発生と経緯(1) 戸田 16/8/7(日) 3:31
【3:「無所属市民派議員」が定着して以降に起こった「節目」のいろいろ】 戸田 16/8/7(日) 3:40
提起書面2:この弱点が克服されそうにない以上、「市民派」議員の存在意義は薄い 戸田 16/8/7(日) 3:49

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