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右翼側を「到底採用できず」・「明らかに虚言」・「全く信用できない」と明言!
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 戸田 E-MAIL  - 08/11/1(土) 10:41 -
  
 10/31大阪判決があったのは2時。その後6時からエル大阪で判決報告・講演集会が
ありました。
 その集会で主催者から配布された「高裁判決大要」レジュメからの抜粋紹介を私の手入
力にて行ないます。

 詳しくは近日中に「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」HP 
       http://okinawasen.web5.jp/
に出るでしょうが、今回の高裁判決が原告=右翼側の完敗になった事を一刻も早く全国のみなさんに知っていただきたい思いで、その象徴的部分を紹介する次第です。
 (産経や「原告」側のウヨ報道では大幅に歪曲された宣伝報道が即刻されるでしょうか
   ら)
 ※やっぱり「勝利した」と即日に大本営発表していた右翼側
     ↓↓↓
  「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」 http://blog.zaq.ne.jp/osjes/
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【 証拠上の判断 】(大阪高裁判決114項以下で)

(1) 控訴人梅澤は、昭和20年3月25日本部壕で「決して自決するでない」と命じたなど
  と主張するが、到底採用できず、・・・・・玉砕方針自体を否定することもなく、た
  だ「今晩は一応お帰り下さい。お帰り下さい。」として帰しただけであると認めるほ
  かはない。(判決208項以下に詳述)

(2) 宮平秀幸は、控訴人梅澤が本部壕で自決してはならないと厳命し、村長が忠魂碑前
  で住民に解散を命じたのを聞いたなどと供述するが、明らかに虚言であると断じざる
  を得ず、これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて
  到底採用できない。(判決240項以下に詳述)

(3)・・・照屋昇雄は、援護法適用のために、赤松大尉に依頼して自決命令を出したこと
  にしてもらい、サインなどを得て命令書(?)を捏造した旨を話しているが、到底話
  の内容は全く信用できず、これに関連する報道、論考等も含めて到底採用できない。
   (判決189項以下に詳述。203項で総合判断)

(4) 宮村幸延の「証言」と題する親書の作成経緯を、控訴人梅澤は、本件訴訟において
  意識的に隠しているものと考えざるをえない。・・・・ (判決194項以下に詳述)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 右翼側の主張や証言を「到底採用できず」・「明らかに虚言」・「全く信用できない」と明言してますね! 右翼の完敗は明白です。

 なお、裁判官が証人の証言を「明らかに虚言であると断じざるを得ず」、と異例とも思
える強い言葉で処断するのはよほどの事だ(それほど宮平秀幸の証言のデタラメさが酷
い)という事です。
 「これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠」、というのは、
藤岡意見書や種々の右翼雑誌、メディアの事ですが、これも「到底採用できない。」と処
断してケチョンケチョンです。

 宮平秀幸という人物が常習犯的なウソつき男として地元で有名な人間である事が、
「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」HP http://okinawasen.web5.jp/ に記載されてるので、紹介しておきます。
      ↓↓↓↓
「破綻した宮平秀幸証言」  大江・岩波沖縄戦裁判控訴審が結審しました!

 控訴人(梅澤・赤松氏)側はあいかわらず準備書面の提出期限を守らず、なんと口頭弁論の4日前の9月5日になってから、宮平秀幸陳述書なるものを出しました。
 まず宮平秀幸という人物とその証言を紹介します。

 秀幸氏は座間味島で「高月」という民宿をやっていましたが、そこに泊まる宿泊客やあらゆる媒体に積極的に集団自決の証言を語ってきた人物です。そんな彼の証言をジャーナリスト鴨野守氏(「世界日報」記者)が雑誌記事にまとめたものが、秀幸氏の証言として
提出されました。

 その内容というのは次のようなものです。

 1945年3月25日午後10時頃宮里盛秀助役ら村の幹部と宮城初枝さんが本部壕を訪れ梅澤隊長に自決用の弾薬などの交付を求めた際、そこには野村村長もおり、秀幸氏は隊長付き伝令としてその傍らでやり取りを聞き、その後に秀幸氏は村長や助役ら村幹部らの後について忠魂碑前に行き、午後11時頃、村長が村民に対し「部隊長から自決するな、避難させなさいと命令されたので解散する」と告げるのを家族と共に聞いたというものです。

 しかし、この証言は母貞子さんの座間味村史にある証言(秀幸氏を含む家族7人がその日は忠魂碑前に行っていないというもの)とも、彼自身が証言しているビデオドキュメント『戦争を教えてください・沖縄編』第二部『捕虜第1号が語る』(1992年記録社制作)(隊長付き伝令であったことも村長が忠魂碑前で演説したことも述べていない)とも食い違います。

 また、1987年に『小説新潮』の本田靖春氏の取材をうけて本人が語った記録や宮平春子さんや宮城初枝さんの証言とも食い違っています。
 そして、彼自身が伝令だったという事実もないということが本部付き伝令だった人物によって立証されました。

 こういった事実を被控訴人弁護士が準備書面で指摘したところ、控訴人は藤岡意見書を提出し、辻褄あわせを試みました。しかし、藤岡氏が憶測をたくましくして食い違いの理由をどう解釈したところであまりにも決定的な食い違いに、秀幸氏の証言の虚偽性はますます高まるだけでした。

 藤岡意見書でも、秀幸氏を評して、場面を描写的に再現する語り方をする証言者で、体験したことでないのに自分の直接体験であるかのように語る人物であり、自分が語りたいと思うことを文脈抜きで語る傾向があり、あまりにもビビッドに語るので彼がその場にいたのだと錯覚したこともあったとしています。

 彼のそういう性格は地元では周知の事実のようです。
 その場その場でカメレオンのように変わっていく証言を読んでいくと、自分の証言に関心を持ってくれる人たちにすりより、その人たちが好むように話を組み立てていったとしか考えられません。そんなすでに破綻した証言しか出してくるしかないところに、控訴人たちがいかに窮地に追い込まれているかが容易に見て取れます。

 最終的には食い違いの大きさを藤岡意見書ではいかんともしがたいと判断したのか、秀幸氏自身の陳述によって再度の食い違いの辻褄あわせをはかるしかなかったというところが、口頭弁論4日前の9月5日の宮平秀幸陳述書の真実なのかもしれません。しかし、彼らが藤岡意見書を出したり今回の陳述書を出せば出すほど彼らの論理の破綻は鮮明になりました。

 具体的に言えば、秀幸氏は鴨野守氏の記事によれば「私は戦隊長付きの伝令として梅澤隊長の2メートルそばにいました」とされていましたが、梅澤隊長自身が藤岡氏のインタビューに対して、村長は来ていなかったと強く否定し、秀幸氏がいた記憶も無いと言っているのです!なんというお粗末さでしょう。

 そして宮城初枝さんも秀幸氏がいたと述べていないと指摘されると、今度は、家族のもとへ帰るよう指示され整備中隊の壕から家族のもとへ帰る途中、本部壕の脇にたどりつき、中から人の声が聞こえたので、壕の入り口にかけられていた毛布の影から助役と梅澤隊長のやりとりを偶然盗み聞きした。そのため、梅澤隊長や助役らからは見えない位置にいたと述べています。

 余りにも稚拙極まりない辻褄あわせで幼い子どものうそですらもう少しまともだろうと思いました。
 この辻褄あわせの結果、かえって秀幸証言は隊長つきの伝令としてその場にいなかったことを立証することになったのです。

 しかも、1991年6月に読売テレビの取材に対し、忠魂碑前での出来事について証言したところ、田中村長から厳しく叱責されたとして、これをもって忠魂碑前での出来事を話さないように田中村長から脅されたとしており、藤岡意見書・秀幸陳述書には1992年のビデオ取材の際には田中村長から脅されていたので梅澤隊長が自決を止め、村長が忠魂碑前で村民を解散させたことを話すことができなかったとしています。

 ところが驚くべきことに、田中村長は1990年12月11日にすでに死去していることが、宮城晴美さんや沖縄タイムスの奔走でわかりました。
 死人に口なしをいいことに、死んだ村長にまで責任をなすりつけ、うそにうそを重ねた陳述書を出す控訴人の魂胆が露呈されました。

 当日の控訴人陳述では、宮平秀幸証言に触れることは墓穴を掘ることになると考えたのか、すべては藤岡意見書にあるということで言及しませんでした。
 (以下略)

引用なし
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